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菊池さま
山岸です。
>次回メールの到着後に、弊コラムにて今回の顛末を書くことにいたします。
いやあ、もっと書かせてもらえませんか。
いったん広まったものはそんなことはあり得ないというだけでは人に納得してもらうことは難しいです。
慰安婦強制連行の吉田証言を打ち消すには秦郁彦氏の済州島に渡っての現地調査を必要としたように、具体的で多角的な検証を提示することが必要です。
なぜ昭和34年に一高が突如優位に立ったのかは合格者数だけでなく裏付け資料があります。
読売新聞宮城版昭和49年2月8日の次の文章は絶対書いておいて欲しい個所です。
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十五の嘆き④ あこがれ
"一高信仰"不動に東北大合格で他校制覇
【旧制時代から敵対】
一、二高も旧制一、二中の当時から激しいライバル意識を燃やし、互いに合格者数が「勝った」「負けた」で競い合い、一時は東大志望者をわざわざ東北大へ回すほどの過熱ぶりだった。
ところが、三十四年の入試を境にこの均衡関係は破れることになる。
この年、一高は大量百七十四人が東北大へ合格、中間層の学力を伸ばすという徹底的な個別指導方針が成果を収めたと言われる。
一方、二高側では学内騒動がからんだ動揺から合格者百二十人と一高に差をつけられた。
これ以後、世間の目はまず一高に向けられるようになったと言われ、「一高優位」は動かないものになった。
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「中間層の学力を伸ばす」というのがどういうものか具体的には不明です。
そんなに素晴らしいやり方ならほかの高校にも導入して宮城県の合格実績をぐんと伸ばしそうなものですが。
それはともかく「収めたと言われる」と書いているので記者の推測でなく誰かから聞いたことを書いたのは確かなようです。
書く方はこの個所だけでなく全体を知っておいた方が良いと思うので、連載記事全部を引用しておきます。
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十五の嘆き④ あこがれ
"一高信仰"不動に東北大合格で他校制覇
【父兄にも魅力的】
ナンバースクールが、中学生にとって一つのあこがれとなり父兄にも一種独特な学校と映るのは、有名大学への窓口であると共に、独自なカラーを持っているからだった。
一高は進取の気性激しい早稲田型、二高はおっとりした慶応型、三高は年齢のわりにわきまえすぎた立教型とも言われ、いずれも旧制高校風のにおいを残している。
しかし、高校の評価を東北大合格者数で計る傾向が、最近、特に強まってきた。
仙台一、二、三高だけで、募集定員二千百五十人前後の東北大へ三百人近くが合格する。
東北大だけが大学ではないといってしまえばそれきりだが、本県の高校では別格扱い、入学を果たせば親の喜びもひとしおだ。
【旧制時代から敵対】
一、二高も旧制一、二中の当時から激しいライバル意識を燃やし、互いに合格者数が「勝った」「負けた」で競い合い、一時は東大志望者をわざわざ東北大へ回すほどの過熱ぶりだった。
ところが、三十四年の入試を境にこの均衡関係は破れることになる。
この年、一高は大量百七十四人が東北大へ合格、中間層の学力を伸ばすという徹底的な個別指導方針が成果を収めたと言われる。
一方、二高側では学内騒動がからんだ動揺から合格者百二十人と一高に差をつけられた。
これ以後、世間の目はまず一高に向けられるようになったと言われ、「一高優位」は動かないものになった。
【新設校も巻き込む】
東北大合格者数を軸にしたこの考え方は、三十八年創設の仙台三高にも伝染した。
同校は一、二高を照準に置き、スタートから猛烈な大学受験体制を敷いた。
三年生の後期は午後の授業を受験教科の選択だけにしたことなどもその現れ。
その結果、四十三年には三十二人の合格者を出したが、東大入試中止のあった翌年以降は減少、内部的にも受検一本ヤリに批判が強まり、現在は軌道修正に移っている。
が、ナンバースクール間の不均衡はそれ自体に、また別のひずみを生む。
三高で昨年実施された「入学動機の意識調査」によると「他校に入りたかったが仕方なく」と答えた生徒が四十三%もいた。
【団旗事件で頂点に】
ところで一、二高の対抗意識を示すエピソードのひとつに三十四年の”応援団旗事件”がある。
今も続く対抗野球戦で第一試合終了後、一高の応援団旗が行方不明になった事件だ。
この旗が第二試合直前、二高生の手で一高ベンチへほうり投げられ、しかも足跡がついていたことから大騒ぎになった。
「二高は団旗を盗んだうえ、これを踏みつけて一高の名誉を汚した」。
怒った一高側は、教員まで先頭に立って強硬な抗議活動を起こし、二高側は「拾っただけで、とんでもないいいがかり」と強く反発、双方学校をあげての騒動に発展した。
【今も残る優越意識】
当時、一高の生徒指導をしていた北村潮現県教委学務課長によれば、真相は「ボヤッとした一高生が置き忘れ、それを知らずに観客のだれかが踏んだらしい」のだが、共にエキサイトし、結局「一高を象徴する旗の扱いとしては不注意だった」と二高生徒会長が全一高生の前で謝罪、ようやくケリがついた。
日ごろのライバル意識が生んだハプニングだが、当時の高校総体では、来賓の知事をヤジったり、一、二高だけでエールを交換するなど他校生のひんしゅくを買う行動が多かったと言われる。
以上の例は極端としても自分たちを「選ばれた者」とみる考えは今なお生き残っているようだ。
【効果疑問の解体策】
もちろん、有名校としてのナンバースクールには他学区からの入学者も多かった。
「募集定員の10%までは他学区からの入学を認める」県の規則があった。
県外からも学区変更を求める申請がかなりの数にのぼっていた。
仙台学区の四十七年度承認者数は計百八十七人、なかには申請理由として「近親者に養育依頼」が三十二人「養子縁組」が十四人もいる。
しかし、学校格差を招くとの強い批判の前に、県は今年度からこの10%条項を削除、越境を厳重にチェックした。
この結果、同学区の変更承認者数は八十二人に激減、「養育依頼」や「養子縁組」は一人となった。
やれば出来る見本のようなもので、県教委もこれまでの「向学心のため」といった申請理由は一切認めないという。
ナンバースクールへの他学区からの転入は阻まれ出したわけだが、今度は「高校入学時点でダメなら中学で」と越境が増えることも予想され、現に進行中と指摘する人もいる。
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次回に続きます。
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