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菊池さま
山岸です。
ほかにも裏付けのない一方的な見解の個所が多々見受けられます。
>こうなるにあたっては、仙台市の政治・行政における一高OBの力が強く働いているのは、たぶん間違いのないところでしょう。
そんなに力が強いのならそもそも学区分割などつぶせたはずです。
公聴会などでずいぶん反対意見が出ましたが、結局無視されました。
少なくとも線引きで南学区の中学生が多くなるようにできたはずです。
線引きは二転、三転していて、最初の案は最終案とずいぶん違っていました。
確認したいのなら新聞記事の文章や分割地図を送ってもいいです。
>ずいぶん以前に、一高が校舎新築を行ったときには、「一高OBの○○社長のところで請け負ったものは、ほんとうはこれだけかかるところを、これだけ安い値段で請け負って仕上げた」などという話が、あっちからも、こっちからも聞こえてきたものでした。
>>これらは某銀行に勤務する高校時代の同級生から複数ルートで聞いておりますので、確度は高い情報です。
あっちからも、こっちからも聞こえてきても真実ではないことがあります。
どこか一か所から広まっただけかもしれません。
「ウソも千回つけば真実になる」とも言います。
請け負いは競争入札だったのでしょうか、それとも随意契約だったのでしょうか。
『仙台一中、一高百年史』によると「建築工事請負会社は、佐藤工業・村本建設・石井組・千葉建設・野呂建設 建設工事共同企業体(代表 佐藤工業株式会社東北支店)」と書いてあります。
ウィキペディアによると佐藤工業は「北陸発祥の土木の名門ゼネコン」だそうで(本社は東京)、同族会社なので社長は一高出身者ではないようです。
ほかの会社も本社が宮城県外にあったりして、一高とどういう関係にあるのかよく分かりません。
『同百年史』によると設計者は一高出身の3人による「萩友会設計共同企業体」です。
これが人の口を経ていくうちに「請け負ったのは一高出身の社長の会社」に変わっていった可能性もあるのではないでしょうか。
「伝言ゲーム」というのがあって、最初の人から次の人へ順番に伝えていくと最後の人の受け取った伝言は元々の伝言とはずいぶん違ったものになっていることがあります。
>こういったことが、公然と語られているわけですから、実際はもっといろんなことがされていると推測されます。
もっといろんなことができたら夢のようなことがいろいろできたはずです。
二高みたいにすぐ近くに第二運動場が確保できたら良かったのですが、価格の面で折り合えずあんな遠くになり、津波でピッチングマシンなどすべて流されました。
駅名も一番最初はそのものずばりの「仙台一高」でした。
駅名について一般の意見を仙台市が募集した時一高は「仙台一高」を要望しましたがかないませんでした。
連坊小路は細長いので地図で確認しないと「連坊駅」の見当がつきません。
出入り口を設ける必要上周囲の土地を買い上げる必要があります。
民有地を買うより公立高校の一高の敷地を買った方が安上がりでしょう。
現に一高は桜の木を何本か切っています。
>一高OBで県内に残っている人たちというと、医師、公務員(教員、事務職含む)、七十七銀行、東北電力、会社経営者(自営業者含む)といったところで、彼らは仙台市のヒト・モノ・カネをつかさどる位置にあります。
>後輩諸君はその恩恵を受けているというわけです。
トップ校時代の一高出身者はもう皆50歳以上で、消え去るのみです。
二高のトップ校時代が30年以上続いてもう変わることもないから、二高出身者こそ仙台市(宮城県)のすべてをつかさどっています(特に医師)。
>そういう点からすると、一高のようなところは、宮城一高や二華高のような、旧女子高に比べると、格段に強いです。
共学化に伴う旧女子校の校名変更では県教委の指示で序列を表す校名にしないはずでした。
ところが一女高はそれに従わずに残しました。
同じ仙台市に二つの一高があるのはまったく異例です。
岩手県に盛岡一高と一関一高がありますが別の市で、一関駅でタクシーに「一高まで」といっても「一関一高ですか?盛岡一高ですか?」と聞き返されることはないでしょう。
一高同総会は当時の会長名で文書で一女高の新校名を変更するよう県教委に要望しましたが聞き入れられませんでした。
このことからすると宮城一高(旧一女高)は仙台一高より格段に強いのではないでしょうか?
>興味を引いたのは、一高生の半数超が、課題の量を「適当である」とし、課題は「必要」と答えている点です。
>一高というと、その校風から自主性が幅広く認められ、「自分の勉強は自分でやるから、ほっといてくれ」という人たちがことのほか多いものと思っていました。
>しかし時代性なのか、学校に従順(?)である様子が見て取れます。
>一高あたりだと、もともと勉強をコツコツやるのが苦にならない人たちですから、
学区撤廃で南学区のトップ層がみな二高に行って全然一高に来なくなったのだから当然です。
偏差値によって勉強のさせ方が違うというようなことを以前に書いていたようですが、一高の今のレベルでは自分で勉強して切り開いていくことができません。
学区撤廃直後は偏差値で二高と並んだことがあったようですが、それでも難関大学合格実績は段違いでした。
今は偏差値が2も違っているようなので天と地ほどの差です。
>その昔、自由奔放という校風は、「県内随一の人たちばかりを集めた」という前提のもとに成り立っていたのです。
その通りです。
ですからもう以前からの一高の校風は消滅すると私は見ています。
レベルの低い生徒に「自由奔放」にさせたら私立のI高やT高みたいになってしまうでしょう。
オープンスクールで水鉄砲を何々していた生徒がいたという話がありましたが、すでにその兆しが出ているようです。
>結局のところ、学区制撤廃と共学化で最も大きな利益を得たのが、仙台一高です。
それは違います。学区制撤廃と共学化で最も大きな利益を得たのは仙台二高の方です。
旧南学区のトップ層(男女)を全部手中にして全国レベルの進学校になりました(いわゆるスーパー進学校)。
一高にはトップ層がいなくなりました。
もう東大合格者も東北大医学部医学科現役合格者もいない年が普通のことになるでしょう。
東大合格者のいない高校は宮城県外では進学校に値しないでしょう。
コメントしようとすればまだまだあるのですが、このくらいにしておきます。
以上、長々と失礼しました。
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