コラムを書く理由・目的について 2013/08/01

コラムを始めるに当たり、それを書く理由を以下述べます。

それは、「担当する生徒さんの成績向上」であり、また担当生徒さんではなくても、菊池に関心をお持ちになった方へ、菊池の人となりを知っていただくためです。

そもそも、家庭教師は「生徒さんの成績を上げてナンボ」の世界です。

結果を出さなければ解約されてしまいます。

菊池としては、担当生徒さん宅から月謝をいただいているので、解約というのは生活の基盤が危うくなることを意味します。

よって、担当生徒さんのご家庭と菊池は「生徒さんの成績向上」をともに志向するという点で、立ち位置は全く同じです。

まさしくwin-winの関係にあります。

当方が提供する情報を通じ、あるいはご活用になることで、「生徒さんの成績向上」の一助としていただければと思います。

生徒さんにはこう教えています 〜「なぜ勉強するの?」〜 その1  2013/08/02

初めて生徒さんの家に伺うときには、いつも緊張するものです。

一連の手続きに関する説明を終え、生徒さんとの指導が始まると、たいていの場合、「そもそも、国語・数学といったことを、なぜ勉強すると思いますか?」と切り出します

そう言うと、生徒さんはほとんどが戸惑ったような表情を見せます。

多くは「そんなこと、考えたこともない」という答えが返ってきます。

そこで、「これは別に正解はないから、思ったところを聞かせてもらえませんか?」と水を向けると、生徒さんは訥々と話し始めます。

いわく、「よく分からないが、将来に役に立つから」。いわく、「勉強を頑張って、いい暮らしをするため」.....

おもしろい答えでは「頭のいい人と、そうでない人を区別するため」などというのもありました。

もちろん、どのように答えてもらってもいいです。

そこで、こちらはこう返します。

「まだあなたは生まれてから10年ちょいちょいですから、よく分からないかもしれません。

が、将来、いま学校でやっている、関数・英単語などなど、そのままの形で役に立つということは、ほとんどありません。

しかし、これは将来、別な形で役に立つことが必ず出てきます。

その基礎を作っているのが、学校の勉強です。そう思って取り組んでください。」

そう言うと、生徒さんは分かったような、分からないような顔をします。

菊池がなぜ、初回にこんなことを聞くのか。

それは、「なぜ勉強するのか」ということを、しっかり考えた上で、学習に取り組むことが、大切だからです。

そして目的をはっきりさせることで、生徒さんのやる気を引き出し、ひいては成績向上につながると考えるからです。

このコラムをお読みの方はどうお考えになりますか?

またご父兄の皆様は、ご子息から「なぜ勉強するの?」と質問されたら、どのようにお答えになりますか?
よろしければ、お考えになるところをお知らせください。

参考にしたいと思います。

生徒さんにはこう教えています 〜「なぜ勉強するの?」〜 その2  2013/08/05

8月2日のコラムで「今、生徒さんがやっている勉強がそのままの形で役に立つということは、ほとんどない。しかし、これは将来、別な形で役に立つことが必ず出てくる。」と書いた点につき、補足します。

まず、自らについては、学校で習うことを教えているわけですから、「学校でやっている勉強がそのままの形で役になった」例です。

しかしこれは珍しいといえるでしょう。

もともと、わたしは大学を卒業し、会社に勤務してから、今の仕事とは全く畑違いのことをしていました。

そのときには、まさか、家庭教師の仕事をすることになるとは、全く考えていませんでした。

人間なんて分からないものです。

次はうちの家内についてです。

家内は以前、ある携帯電話関連会社で電話番号案内の仕事をしていました。

これは全国各地から104でかかってくる問い合わせの電話に回答するというものです。

お客さんは、いろいろなところから電話をかけてきます。

が、仙台で対応していることは知りません。

そこで、いきなり「岡崎市役所の近くの、アなんとかという、ラーメン屋の電話番号を教えてほしい」などと言ってくるそうです。

その際、「岡崎市」がどこにあるか、などという知識があるかないかは大きな違いを生じます。

「もっと、地理の勉強、やっておけばよかった〜」とよく言っていました。

また家内は仕事のために、危険物取扱者試験という資格試験を受験しなければならなくなったときがありました。

問題をよく見ると、中学理科の化学分野の試験そのままというようなこともありました。

・・・・・・・ほかにもいろんな例があります。生徒さんは興味を持って聞いてくれます。

読書感想文あれこれ その1 2013/08/06

8月に入り、夏休みも本格的になってきました。

宮城県の多くの中学校では、国語の課題として読書感想文・弁論文といった作文の課題を出しています。

活動の拠点としている仙台市においてもその例外ではありません。

現在、指導する際において、夏休みの宿題は8月初旬までに完了するように言っています。

その際、どうしてもひっかかってくるのが、読書感想文です。

読書感想文を書くには、まずもって本を読まなければなりません。

また善良な市民は、「感想」なんかを原稿用紙に4枚も5枚も書けたものではありません。

そのようなわけで生徒さんの多くが苦手にしているようです。

今は、インターネットという極めて便利なものがありますので、「読書感想文 書き方」などというキーワードで検索すれば、これでもかというくらいヒットします。

大切なのは、その書き方を参考にして、自分の言葉で書くことです。

自分の言葉でないと、原稿用紙がなかなか埋まりません。

課題となっているものが、「課題図書」等、題材が決まっているものでなければ、自分の興味がもてる分野で書くといいでしょう。

ただ分野によって、「割と筆が進むもの」「進みづらいもの」があります。

「割と筆が進むもの」は、経験上、以下がベスト3です。

(1)環境に関するもの

(2)紀行文

(3)伝記もしくは人生を書いたもの

また、意外と小説などの文学関連は書きづらいです。

生徒さんはなるべく早く宿題を仕上げましょう!

そしてご父兄の皆様はなるべく生徒さんがなるべく早く宿題を終えるよう、心配りをしてください。

読書感想文あれこれ その2 2013/08/07

前回は、読書感想文の題材をどう選ぶかについて述べました。

今回は、その書き方について記します。

まず、感想文を書く場合、書く内容を別途箇条書きにしてから臨んでください。

生徒さんを見ていると、いきなり原稿用紙に書き始める人が多すぎます。

ネタに詰まって、「何を書くべ〜」となり、「僕はorわたしは.....思いました」を連発しています。

そうならないためにも、箇条書きのまとめは必要です。

これはそれほど丁寧にやる必要はありません。

感じたこと、書きたいことを3〜5点に分けて箇条書きにしてみるといいでしょう。

次の段階として、要点のまとめに基づいて書き始めます。

その際、「下書き→文章の推敲→原稿用紙に清書」という手順を踏んだほうがいいです。

ただ、時間はちょっとかかるかもしれませんが。

「下書き」は添削が目的です。

ガンガン書いて行って、途中、粗削りな部分を削いでから清書します。

「下書き」は紙にする必要はなく、パソコンに文章を入力してもよいでしょう。

そのほうが添削が容易です。

また「箇条書きまとめ→清書」としてもいいのでしょうが、途中で筆が進まなくなる場合があります。

「下書き→清書」方式が、早道である場合が多いです。

実はこのコラムも、この方法で書いています。

以上、参考にどうぞ。

文語調の歌に親しむ 〜 「栄冠は君に輝く」 2013/08/08

これから不定期に「文語調の歌に親しむ」と題し、歌詞が文語調になっている曲を鑑賞します。

文語調の歌を取り上げる理由は、歌詞が古典そのものであるからです。

わたしは、特に、高校生へ古典を教えるとき、文語調の歌を「副教材」として使うことがあります。

そうすることで古典への興味が増し、無味乾燥な文法を克服する動機となりうると考えるからです。

今日は高校野球大会の開会式の日です。

そこで大会歌である「栄冠は君に輝く」を取り上げます。

以下動画にてどうぞ。

→動画が表示されない場合は、こちらから

<歌詞>

1.

雲は湧(わ)き 光あふれて天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ

若人よ いざ まなじりは 歓呼に答へ いさぎよし 微笑(ほほえ)む希望

ああ 栄冠は 君に輝く

2.

風を打ち 大地を蹴(け)りて 悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ

若人よ いざ一球に 一打に(注)賭(か)けて 青春の 讃歌を綴(つづ)れ

ああ 栄冠は 君に輝く

3.

空を切る 球の命に 通ふもの 美しく匂へる健康

若人よ いざ 緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす 感激を 目蓋(まぶた)に描け

ああ 栄冠は 君に輝く

2番、3番をお聞きになったこととある方は少ないかもしれません。

大変格調高く、美しい詞です。

小欄は、一応「教育コラム」と銘打ってありますので、名前にふさわしく、以下2点、文法上の要点を記します。

(1)3番にある「匂へる健康」の「匂へる」は「匂ふ」という四段動詞に完了の助動詞「り」の連体形がついたものです。

(2)「匂ふ」は、古語の意味においては視覚への良い刺激、すなわち「美しさが輝く」という意味があります。嗅覚だけではありません。ここでは視覚への刺激と解釈したほうがよさそうです。

高校球児諸君! いい試合を見せてください!

そして仙台育英高校の諸君! 今度こそ我が宮城県に真紅の大優勝旗を!

読書感想文あれこれ  その3 2013/08/09

8月6日、8月7日と読書感想文について縷々述べてきました。

これについては、中学生時代の思い出があります。

当時もやはり読書感想文の宿題が出ていました。

この読書感想文はほんとうに嫌いでした。

今となっては、インターネットなどという文明の利器が登場したので、ほんとうに便利になったものだと思います。

自分としては、どうしても読書感想文を書くためにわざわざ本を読むのが嫌で、「どの本を読んでもOK」というのを逆手にとりました。

そして中学1年の時に題材として選んだのが、「電話帳」でした。

「『電話帳』を読んで」と題して感想文を書きました(笑)

まさに苦肉の策だったのですが、帰ってきた宿題の評価は結構高かったように記憶しています。

採点なさった先生も驚かれたでしょう(笑)

それに味をしめ、翌年の夏休みには「『漢和辞典』を読んで」と題したものを書きました。

これは「電話帳」のときより筆が進み、一気に書けました。

もともと漢字に関しては、好きだし、興味もあったためだと思います。

やはり自分の興味関心に結びつけたのが、勝因(?)だったのでしょう。

夏の日の思い出です。

1週間ほどコラムの更新を停止します 2013/08/10

これから、1週間ほど、「充電期間」を置きます。

中学の皆さんであれば、明日は、みやぎ模試という方も多いことでしょう。

夏の暑い盛りにお疲れ様です。

生徒さんは、これまで受けた試験で、間違った箇所をもう一度しっかりチェックしてください。

10点ぐらいは上がります。

お盆が終わると、あっという間に学校の授業が始まります。

磯野カツオ君のようにならないよう!

生徒さんにはこう教えています 〜 「8月15日=終戦」は日本だけ その1 2013/08/19

「充電期間」が終わり、今日から「復帰」します。

さて、さる8月15日は終戦記念日であり、、各種の行事が行われました。

これは先祖の霊を弔うというお盆の習慣とも重なります。

先の大戦にまつわる指導をする際、生徒さんには「8月15日=終戦」とするのは、日本だけと教えています。

そうすると生徒さんは「???」と狐につままれたような表情になり、多くの生徒さんは「どういうことですか?」と返します。

生徒さんが事実を知ることで、歴史に興味を持ってもらえるようにしています。

以下な歴史的事実を列挙します。

まず、ポツダム宣言受諾を連合国に通知したのは8月14日です。

詔書を見ると、日付は8月14日となっています。

そして受諾が国民へ発表されたのが8月15日です。

この発表が昭和天皇の玉音放送です。

また政府が、宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印したのは9月2日です。

そして、連合国による占領が終わり、ソ連など共産主義諸国を除く連合国との戦争状態が終結した日が4月28日です。

8月15日に戦争が終わったわけではなく、北方などでは戦闘が続いていました。

今ロシアと懸案になっている北方領土も8月15日後の戦闘で奪われたものです。

8月15日に終戦となったわけでないことは、客観的事実からして明らかです。

 

生徒さんにはこう教えています 〜 「8月15日=終戦」は日本だけ その2 2013/08/20

昨日は8月15日を過ぎても、戦闘は続いていると話しました。

そこで、各国の「対日戦勝記念日」を見ると、政府全権である重光葵が降伏文書に調印した9月2日にしていることが多いです。

また旧ソ連、中華民国・中華人民共和国は対日戦勝祝賀会の行われた9月2日の翌日である3日を「戦勝記念日」にしています。

戦勝を祝うというのは、その戦争が終わったと解釈できるからこそなし得ることです。

そのように考えると、連合国は9月2日を「終戦」と見ていることが分かります。

8月15日=終戦とする考え方をとっていません。

ここで現在の日本人以外に8月15日=終戦ととらえているとすれば、当時日本国民であった台湾人や朝鮮人、南洋諸島の人々でしょう。

実際に南北朝鮮では8月15日を「光復節」とし、日本統治から解放されたということになっています。

とはいえ、日本は9月9日、降伏文書をしたためることで、朝鮮をアメリカに渡したのであり、8月15日に朝鮮半島が解放されたわけでもなんでもありません。

ただわたしは8月15日=終戦の日とすることに全く違和感はありません。

8月15日は玉音放送という驚天動地の出来事があったわけです。

歴史的事実はどうあれ、そこに多くの国民が「終戦」を感じることは全く自然のことです。

その一方で、8月15日に閣僚が靖国神社に詣でることを指して「取り分けて8月15日の参拝は、どこそこの国を刺激する」うんぬんとする一部マスコミ報道には強い違和感を持ちます。

ここで閣僚の靖国参拝の是非は問いません。

が、各国が「終戦」ととらえていない日を指して、「どこそこの国を刺激する」も何もあったものではありません。

これはプロパガンダ、要するに嘘を報道しているわけです。

生徒さんには、こうした報道を示し、メディアリテラシーの大切さも伝えています。

 

新聞の社説 − 国語の題材としては適しません 2012/08/21

以前、指導の際、中学生の生徒さんが学校の国語の課題として、「新聞の社説を読む」というのがありました。

何日間かの新聞の社説を読んで、その文章の主張をまとめる、というものであったかと記憶しています。

生徒さんからそれを聞かされたとき、思わず、「新聞の社説なんか読んだ日には、バカになる!」と叫んでしまいました。

国語の先生からすれば、社説のようなお堅い文章に触れさせたかったのでしょう。

が、はっきり言います。

一般論として、新聞の社説は国語の題材として適しません。

もしどうしても社説を国語の授業に使いたいのであれば、中学生にふさわしいものをあらかじめ選ぶか、社会の時間に扱うべきです。

まず、社説を読みこなすには、相応の知識がなくてはなりません。

「防衛大綱の要諦」や「量的緩和の是非」などというものが分かるようになるのは、大学生以降でしょう。

それから、政治が絡むと、著しく党派性の強い主張などもかなり目につきます。

もちろん、そうしたものに触れてもいいのでしょう。

が、それは生徒さん個人個人が手当てをすればいい話です。

学校の授業としてやるまでのものではありません。

第1面にあるコラムは、社説よりまだ少しましと言えます。

それでも、日によっては、いい年をした大人が、どうしてこういうお花畑みたいなことが書けるのかと思うような稚拙なものもかなりあります。

政治がらみのものは、とくにひどいです。

歪曲、こじつけ、揚げ足取り......等々、少なくてもカネを取っているプロの物書きがするような仕事ではありません。

ご父兄の皆様におかれては、ゆめゆめご子息に、社説読了を強制なさらないよう、お願いします。

また国語の題材選びには、もう少し慎重であっていただきたいと、学校の先生方には切望する次第です。

古典に親しむ 「論語」より 孔子宅から火事が出たとき 2012/08/22

生活のペースがそろそろ、日常に戻った方も多いことでしょう。

今日は、「古典に親しむ」として、「論語」からの一節を取り上げることにしました。

「古典」というと、多くの生徒さんはとっつきづらくて、よく分からないという印象を持っているようです。

それは真実ですが、受験にかかわりがある以上、放っておくわけにもいきません。

そこで、学校ではあまり取り上げないようなところから古典を取り上げ、少しでも興味を持ってもらうようにしたいと考えました。

それがひいては成績向上につながります。

前置きが長くなりました。

本題に入ります。

「論語」においては、孔子が宮廷に行っていた留守中に、孔子宅、正確にいうと、馬小屋から火事が出たという記載があります。

そのとき、孔子の門弟たちは一同避難して無事だったものの、孔子が愛してやまなかった馬が焼け死んでしまいました。

馬というのは、当時、貴重な財産で、軍事物資でもありました。

今で言うなら、ロールスロイスが焼失しまった、くらいでしょうか。

そのことを孔子に伝えると、「皆に怪我はなかったか」とだけ尋ね、そのほかの事は何一つとがめませんでした。

門弟としてはうれしかったでしょう。

こういうときに、人の本当の姿というが出るものです。

これと同じような話があります。

戦後の大物政治家河野一郎(子供の洋平氏が衆議院議長、孫の太郎氏が衆議院議員)の家が、テロにあって焼失したとき、河野は、顔色一つ変えず、「うちの者はみな無事か。怪我をした者はないか」とだけ答えたそうです。

河野が「論語」のこの一節を知っていたかどうかは分かりません。

(以下書き下し文)

厩(うまや)焚(や)けたり。子、朝より退きて曰く、人を傷(そこな)ひたるかと。馬を問はず。

(以下原文)

厩焚。子退朝曰、「傷人乎」。不問馬。(郷党第十の十三より)

これは、落語にも出てきており、「厩火事」という話のモチーフになっています。

いろんな落語家が演じていますが、「笑点」で有名なこの方の高座をどうぞ。

→動画が表示されない場合は、こちらから

学習に興味を持つことが第一歩 2013/08/23

こないだ車中でラジオを聴いていたところ、子育てに関する悩み相談をやっていました。

相談に回答する方は幼稚園の先生を養成する専門学校の先生です。

対象は幼稚園生〜小学校中学年といったところでしょうか。

その際、「なかなか子供が勉強しないのだが、何かいい手立てはないものだろうか」というのがありました。

すると、先生からの回答はあらまし以下のようでした。

1.放っておいてもやる子、言えばやる子、言ってもやらない子と言うのは、その子の性格に起因する。

  しつけが悪かったとか、環境が悪かったとかいうものではない。

2.子供は興味を持つことならばやる。

  また興味はなく、自分にとってつらいことでも、将来の自分にためになると思えばやる。

なるほど、そのとおりだと思います。

今、指導している「受験勉強」は、おもしろいものではありませんが、それでも何らかの形で生徒さんに興味を持ってもらえる要素は多分にあります。

菊池の指導も「いかに生徒さんに興味を持ってもらうか」を常に念頭に置きながら行っています。

結果はいつあらわれるか 2013/08/26

ご家庭にとって指導料という対価を支払う以上、最大の関心は「いつ成績が上がるのか」ということでしょう。

これについて結論を申し上げれば、「個人差があり、確定的なことはいえない」ということです。

なんとも木で鼻をくくったような答えで申し訳ございませんが、例えばここに交通事故でケガを負った人がいて、いつ完治するかということを考えてみてください。

まず、その人のケガが重症か軽症かで治る速度は違います。

若い人か高齢者かでも違ってきます。

また必死にリハビリに取り組むか、いい加減にやるかでも違ってきます。

受験勉強もこれと同じ理屈です。

成績上昇は「これまでの蓄積×努力×どうしても目標を達成したいという闘志」で速度に差が生じます。

一般に、上位層の生徒さんはやる気があり、下に行けばいくほど志気は下がります。

が、全員がそうだというわけではありません。

「毎日机に向かい、学校の宿題以外の学習をする」という習慣のない生徒さんには、習慣づけから指導を始めなくてはなりません。

この習慣が身につくには、平均して3ヶ月はかかります。

成果はそれ以降です。

上述、「努力×どうしても目標を達成したいという闘志」という部分については、ご父兄のご協力が必要です。

わたしだけの力ではできません。

ぜひともお力をお貸しください。

高校の文化祭へ行こう! 2013/08/27

もうすぐ高校の文化祭が始まります。

中学生の生徒さん、特に3年生は志望とする学校の文化祭の見学をお勧めします。

オープンスクールは結構行く生徒さんが多いようですが、文化祭に行く生徒さんは少ないようです。

オープンスクールでの説明がいわば「ケの日=あるべき姿(建前の姿)」であるならば、文化祭は「ハレの日」です。

もちろん、高校は文化祭を毎日やっているわけではありません。

が、先輩方の楽しそうな姿を見れば、「この学校に入ろう」という気持ちが高まろうというものです。

ご父兄の皆様も、ぜひご子息を文化祭に行かせてあげてください。

公立高校の文化祭の日程はこちら

私立高校の文化祭の日程はこちら

それぞれご参照ください。

仙台二高と応援団 2013/08/28

仙台二高(以下、二高と書きます)というと、中学生の皆さん、あるいは在校したことのないご父兄はどのような印象をお持ちになるでしょうか?

「宮城県内では、長い歴史があって、勉強ばっかりしている人たちが行くところ」でしょうか?

それは一面で真実ではありますが、「それだけの学校」ではありません。

極めて特徴的なのが、新入生がやらされる応援練習です。

これは仙台一高(以下、一高と書きます)との硬式野球戦向けのもので、5月第二土曜に毎年行われています。

これに向けて、放課後などにひたすら練習をします。

何しろ二高は校歌以外に、応援歌が10あります。

また応援歌も5番ぐらいまであるものもあり、エールのやり方なども含めて、ひたすら応援団から叩き込まれます。

今は、入学と同時に応援歌が入ったCDが配られ、「予習」ができるようになっています。

我々の時にはそのようなものはなく、朝・昼・放課後と日に3回、ひたすら応援練習でした。

二高は制服がないのですが、定期戦までは中学の制服を着用するというのが不文律です。

それは「定期戦をしっかり経験するまで、一人前の二高生とは認められない」という伝統があるからです。

これは今に至るまで、しっかり踏襲されています。

一高はそれに引き換え、応援練習はあるものの、二高に比べると緩いようです。

一高の応援は、二高と比べると、まとまりがありません。

これは我々が現役生のころもそうでしたし、今もそうです。

今は共学になり、だいぶ学校の中も変わってきたそうですが、「よき伝統」というのは残してほしいものです。

全国学力テストについて思うこと その1 2013/08/29

今年度の全国学力テストの結果が出ました。

詳細は新聞などで報道されているとおりです。

これらの報道は、毎回同じような切り口でされています。

いわく、平均点の都道府県別ランキングはこれこれである。

上位の県はこのように指導をしている。

思考力を要する問題の正答率はよくないから、ここを改善すべきである。

このような報道のしかたは、残念ながら、該当するお子さんを持つ親御さんの目線に立ったものではありません。

そこで今回は、学力テストの裏事情なども含めて、マスコミではあまり報じられないことを2回に分けて書くことにします。

まず、例の学力テストは、そもそも先生方のためのもので、「先生方の通信簿」であるということです。

そのため、この学力テストに関しては、過去に文部省(現在の文部科学省)と日教組との悶着があり、極めて政治色を帯びたものとなってしまいました。

それゆえ、学力テストが行われるようになったというのは、極めて画期的なことなのです。

2007年に再開した学力テストも、民主党政権になってから、2010年に全校参加でない方式になり、また全校参加方式になります。

こうなると、児童・生徒や親のことは全く蚊帳の外です。

(次回に続きます)

全国学力テストについて思うこと その2 2013/08/30

(前回の続きです)

前回は、学力テストが政治色を帯びたものであると述べました。

今日は、それ以外のことを書きます。

新聞などによれば、「上位を取る生徒さんの生活の様子」が記してあります。

「早寝、早起き、朝御飯」という例のアレです。

上位を取る生徒さんはおおむね、規則正しい生活をしています。

ただ、これはあくまで上位の成績を取るための「必要条件」です。

それで十分というわけではありません。

彼らはしっかり自学自習の習慣を身につけています。

また思考力を要する問題への対処法として、報道では「学校の授業においては、どうしてこうなるのかをしっかり考えさせるような授業をしなければならない」と説かれます。

しかしこれは、順番が逆です。

思考力を要する問題に対処するには、まずもってしっかりした知識の会得が必要です。

つまり漢字の読み書きをしっかりできるとか、英語の単語をしっかりかけるとか、等々の知識を詰め込んで初めてよい思考ができます。

知識のない状態で、「考える」などと言っても、それは乾いたぞうきんを絞って水を出せというのに等しいのです。

ゆえに、「思考力を育てたい」ならば、知識を徹底して詰め込むことです。

そして考えるのはそれからやればいいことです。

事の軽重の扱いを誤り、マスコミ報道に惑わされることがないようにしたいものです。

お問合せ・ご相談はこちら

受付時間
15:00~20:00
定休日
日曜日

ご不明点などございましたら、
お電話もしくはお問合せフォームよりお気軽にご相談ください。

お気軽にお問合せください

メール・お電話でのお問合せ

022-797-6500

<電話での受付>
15:00~20:00
※日曜日は除く

ごあいさつ

002-100-132.jpg

塾長の菊池です。
「受かってほしい アナタには」が菊池特訓塾のスローガンです。「勤勉と競争」を重視しています。

菊池特訓塾

住所

〒980-0011
仙台市青葉区上杉3-3-17長田ビル4階

電話受付時間

15:00~20:00

定休日

日曜日