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過日、Twitterを見ていたら、とあるご同業の方が次のようなツイートをなさっていました。
・・・自分は指導時間中に問題演習をすることはない
これを見て、わたしは
「いろんな方がいらっしゃるなあ」
「たぶんわたしとは、違う「層」の生徒さんを指導していらっしゃるんだろうなあ」
と感じました。
その方は、主に中学受験の国語を専門に担当なさっているようです。
この件に関して、わたしの考えを記します。
・指導時間内では基本的に問題演習を行っている
・問題演習と解説の割合はケースバイケース
・指導時間内の問題演習は「成績を上げる」ためには必要
こんな感じです。
一方、ご父兄からご覧になると、「指導時間内に問題演習をする」というのは、もしかしたら、次のようにお感じになるかもしれません。
・指導時間内は、きちんと勉強を「教えてほしい」
・問題演習って、自習の時間と同じ?
→だから、指導時間内の問題演習ってムダな時間なんじゃないの?
→「ムダな時間」を使うんだったら、きちんとウチの子供に「教えてほしい」
指導料を出していらっしゃるご父兄なら、当然に抱くかもしれない疑問・不安です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしの場合、指導時間内には原則として、問題演習を行っています。
問題演習の量は、生徒さんによって様々です。
なぜ問題演習を行うのか、理由は次の通りです。
・今の段階で生徒さんがどれだけできているか、できていないかを見たい
・自学で問題を解いていたときとは違う環境を与えたい
生徒さんが問題を解くのに、自学の時間と、指導の時間とでは、条件が違います。
自学の時間に「問題が解けた!」と言っても、ほんとうに「解けた!」のかは正確には分かりません。
問題を解いた後の自己採点も、上位層を除くと、かなりいい加減に採点しているケースも多いです。
より正確にいうと、
「正解でもないのに、当たったことにしてマルを付けている」
ケースがかなり多いということです。
本来ですと、それではきちんと勉強をしたことにはなりません。
間違っているものをそのまま放置して、試験で点の取れる道理はありません。
指導の時間に、わたしのような受験指導者のそばで問題を解くときには、自学では可能な「ごまかし」はききません。
実際の試験のときほどではないですが、それなりにほどよい緊張感もあります。
そうすれば、生徒さんの実力がどれほどか、より正しく推し量ることができます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
生徒さんが試験で自分の力を十分に発揮できないということは、「よくある話」です。
・・・テストでできなかった問題を家でやってみたら、あっさり解けた
・・・テストが始まったら、昨日何回もやったことなのに、頭が真っ白になって、全然書けなかった
・・・この問題は分かってたはずなのに、テストのときには、なぜできなかったのか、こんな解き方をしたのか、自分でも分からない
いずれも、生徒さんからテストが終わってから聞いたフレーズです。
上に述べたケースでは、
「正解を書いていないので、採点はバツになる」
ということです。
これで分かるのは、同じ問題を解いていても、自学のときとテストのときとでは、違うということです。
そして、生徒さんの成績がどうなったのかを測るのは、「試験で何点取れたか」です。
ですから、
「テストでできなかった問題を家でやってみたら、あっさり解けた」
といったところで、何の意味もありません。
すべては後の祭りです。
ですから、指導をしている時間に、できる限り試験本番に近くした状態の中で、問題を解くというのは、受験指導として有益です。
わたしが、指導時間に問題演習を組み入れているのは、そういった理由です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
また、今まで述べた以外にも理由があります。
「解説だけをやっていたら、それは学校・映像の授業と同じ」
ということです。
だいたい、生徒さんというのは、こちらが望むほど、指導者の話を聞かないものです。
それは、成績が下のほうに近づけば近づくほどそうなります。
こちらが意を尽くして、いくら丁寧に噛み砕いて語っても、
「そもそも話を聞いていない」
ことはいくらもあります。
さらに「人の話を聞いている」だけの状態では、意外と頭が働いていません。
生徒さんがほんとうに指導者の話を理解しているかどうかは、指導中に演習問題を行うとよく分かります。
その結果を見て、
「ここはこうなる」
「あそこはああなる」
という風に指導をしていくのは、「聞きっぱなし・一方通行」の指導よりは、成果が上がります。
ほんとうにトップ層であれば、指導時間の演習は要らないのかもしれません。
また、あらかじめ課題として問題を出して、後日の指導の際に解説を加えるという形を取ったほうがよい場合があります。
大学受験の2次試験に出てくるような数学の問題などはそうです。
わたしのお伝えしたかったのは、
「指導時間内の問題演習には、成績アップの上で、大いに意味がある」
ということです。
ご理解をいただければ幸いです。
英語と国語では、長文を読んで解答する問題が出ます。
これに答えるには、とにもかくにも、問題文をしっかり読まなくてはなりません。
そして、これは読んだだけでは終わりません。
その内容について、様々な角度から質問されます。
わたしは、読解問題を解くとき、↓のように書き込み、メモをします。
これは誰かに教わったのか、あるいは教わらなかったのか、覚えていません。
いずれにしても、長文問題を目にすると、自然と手が動きます。
何というか...
「ねぶた祭り」や「すずめ踊り」の演奏が耳に入ると、体が意識せずに動き出すというような...
そんな感じなのです。
形容は難しいのですが。
わたしは国語の指導で、
「メモ・書き込みをしたほうが解ける確率が高くなる」
と教えています。
ところが、問題を解いているときに、メモ・書き込みをする生徒さんは、随分と少数派です。
トップ層を見ていてもそうです。
もちろん、どういう方法であれ、正解が出せるのであれば、構わないと思います。
しかしながら、こちらが指導したことをやってみようともしないで、
「国語の長文ができません」
「どうやれば点が取れますか?」
などと言われても、答えようがありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
英語・国語の長文問題と格闘している生徒さんの様子を見ていると、気づくことがあります。
それは、
「設問と似た言葉が含まれているワードだけを探している」
「そして、そのワードをそれらしくくっ付けて答えを書いている」
ということです。
ここで具体的を示します。
◎このクラスでA君ほど努力する生徒はいない
◎に最も近い意味の文章を(1)から(3)のうちから一つ選べ
(1)このクラスでは、誰もがA君ほどの頑張り屋でない
(2)このクラスには、A君より頑張っている人がたくさんいる
(3)このクラスの中で、A君はさっぱり努力しない生徒だ
答えは(1)になります。
◎も(1)も、
「このクラスでA君が一番の努力家だ」
と言っています。
(2)(3)はそういう意味ではありません。
しかし、(3)を選ぶ生徒さんがとても多いのです。
彼らにそれを選んだ理由を尋ねると、次のような答えが返ってきます。
「◎には『努力』『いない』って書いてあった。
(3)に『努力しない』って書いてあるから、こうかなあって思って」
要するに、「字を読んでいても、中身をきちんと理解していない」というケースが、思いのほか多いことが分かります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで紹介したのは、
「字を読んでいても、中身をきちんと理解していない」という生徒さんが、思いのほか多い
ということでした。
それでも、前回に出した文章は、まだ分かりやすいほうです。
文章が長くなったり、多くなると、正解にたどり着くのがなかなかに難しいという現実があります。
それから生徒さんがしばしば口にすることは、
文章が長かったり、多かったりして、時間が足りない
ということです。
確かに「共通テスト」の英語では、かなりの量の文章を読むことになります。
わたしもこれを時間内に終えるのは、四苦八苦します。
「時間不足」を克服するには、
・語彙力をつける
・長文に触れる機会を多くする
=日頃の学習で長文を読む練習をする
・何かしら音読を取り入れる
というような対策方法があります。
ネットを検索しても、いろんな方法が紹介されています。
ただ、いずれの場合も、テクニックのようなもので乗り切れるものではない気がしています。
こうした問題を多く解くことで、少しは精度がアップしていきます。
結局のところ、学習量の積み重ねがここでもものを言うわけです。
「テクニックを気にする前に学習量を増やす」ことが、何だかんだで、一番効果があるようです。
過日、Twitterに以下のようなツイートがアップしてありました。
ツイート・引用リツイートとも、高校の先生によるものです。
わたしも生徒さんに接していて、こちらの先生方の仰る通りだろうと思います。
以下、「指導困難校」=学習苦手層、「進学校」=上位層として、彼らが受験指導者に何を求めているかを記してみます。
わたしが指導のときに留意していることとして、上位層には、「彼らがよく理解していないことを教える」ことがあります。
一方、学習苦手層には、「彼らがよく理解していることを教える」ことを基本にしています。
これを逆にしてしまうと、指導が成り立ちません。
上位層によく理解していることを指導すると、彼らからの反応は
「そんなのよく分かってるから、聞くだけ時間のムダ」
というものです。
もちろん、彼らはそれを口に出すことはありません。
しかし、彼らの目や表情で、それはよく分かります(笑)
ですから、彼らには彼らの知らなそうなこと、学校の授業では扱わなそうで受験に役立ちそうなことを伝授する必要があります。
彼らの知的好奇心をできる範囲で満たすようにします。
そうすると、彼らはこちらを信用してくれます。
こちらの話に耳を傾けます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一方、指導に臨むにあたって、学習苦手層は上位層と相当に違います。
学習苦手層には、彼らがよく理解していることを教える必要があります。
そして、理解が難しいところはカットしていかなくてはなりません。
彼らは、「指導が分かりやすいかどうか」ということを、上位層以上に気にします。
彼らが言う「分かりやすさ」とは、「分かっているところだけを教えてくれる」という意味です。
彼らがこちらの指導に耳を傾けるには、
「分かりやすさ」=「分かっているところだけを教える」
ことが大いに必要だと感じます。
「分かっているところだけを教えるだけで大丈夫なのか?」
このようにお考えになる方がいらっしゃるかもしれません。
わたしが見るところ、
「OK! 大丈夫!」
という感じです。
というのも、学習苦手層の生徒さんが「よく分かっている」と感じているところでも、不十分なところが多いのです。
それゆえ、
「数学の一次関数は自信ある!」
というようなことを口にします。
そういう「自信のある!」ところでも、穴は少なからずあります。
学習苦手層には「分かっているところだけを教える」というのは、そういう背景があるのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学習苦手層の生徒さんたちが「よく分かっている」と感じている箇所について、更に付け加えます。
彼らに「よく分かっている」と感じている箇所を指導するのには、大いに意味があります。
これは前回のコラムで述べたとおりです。
そして、彼らは「よく分かっている」と感じている箇所に、「ある種の心地よさ」を覚えているようです。
「よく分かっている」と感じているところを、繰り返し演習するのを意外と嫌がりません。
彼らが嫌がるのは、「考えないとできない問題」「これまでやったことと少しでも違っている問題」を解くことです。
こういう問題を解いていると、彼らの集中力はあっという間に低下してしまいます。
逆に、上位層は違います。
彼らが「よく分かっていること」を繰り返しやるようにいうと、
「こんなことはよく分かってるんだから、同じことを何度もやらせるなよ!!!」
という表情をします。
ですから、彼ら上位層には、適切な時期に、適切な量の「考えないとできない問題」を演習する必要があります。
いずれの場合にせよ、わたしとしては、「彼らの成績が上がるように」ということを考えて指導しています。
何が適切な指導なのかは、生徒さんひとりひとりの状況をよく踏まえておくことが必要であると、日々感じます。
ここ数年来、学校現場では「考える授業・探求授業」というのが盛んです。
盛んな理由は、お上が推奨しているからです。
お上の側は、これを「主体的・対話的な深い学び」と言っています。
その授業は、ごく大雑把にいうと、こんな感じです。
「先生が生徒に一方通行で教えるのではなく、生徒が自分たちの力で考えて正解を導き出す」
ちょっと分かりづらい説明かもしれません。
具体的に申し上げると、こういう授業スタイルです。
↓の図形の面積を求める問題が与えられたとき、
「これはこういう風に求まります」と指導するのが、「伝統的なスタイル」です。
そして、「これはどのように求まるか、グループで考えて発表してみましょう」というのが、「考える授業・探求授業」です。
もちろん、こういう「考える授業だけ」が行われているわけではありません。
これまで通りのスタイルのものも実施されています。
今回のコラムでは、この「考える授業・探求授業」が、入試にどう関係してくるのか、書いてみます。
わたしの考えでは、次の通りです。
・上位層にとって、「考える授業・探求授業」は、入試で問われる学力アップに役立つ
・学習苦手層にとって、「考える授業・探求授業」は、マイナス面が多い
(次回に続きます)
(前回の続きです)
上位層にとって、「考える授業・探求授業」は非常に有効です。
◎数学で(-)×(-)=(+)となるのはなぜ?
◎6÷0みたいに、ゼロで割ってはいけない理由は?
こういうことを考える機会があるのは、入試で問われる「考える問題」「思考力を必要とする問題」に対応するときにも、役立ちそうです。
グループで討論などをするときにも、彼らはキーパーソンになるでしょう。
しかし、これが学習苦手層となると勝手が違います。
確かに彼らにとって、「考える授業・探求授業」が全く役に立たないというわけではありません。
しかし、「考える授業・探求授業」の前にすることがあります。
それは、教わったお勉強をもっとしっかり身につけることです。
言い換えると、学力をもっと蓄えることです。
物事を考えるためには、知識が必要です。
学校の「考える授業」で必要な知識とは、一定レベル以上のものです。
「下手な考え休むに似たり」ということわざが、事の本質を表しています。
ところが、学校現場、特に公立の小中学校では、上位層も学習苦手層も一律に「考える授業・探求授業」に取り組んでいます。
この「一律」という点が非常に問題であると、わたしは感じています。
毎年4月に、小中学校では、小6・中3生を対象に「全国学力調査」というのが行われています。
この調査の結果が、都道府県別のランキングという形で発表されています。
今年は9月30日に結果が出ました。
今回のコラムは、現場の先生からはどのように受け止められているかを紹介します。
そして、その受け止め方に対して、ご父兄や受験関係者から見るとどうなるかについても述べます。
さて、この件について、現場の先生からは以下のようなツイートがされています。
現場の先生からすると、全国学力調査の扱いが癪の種というのが分かります。
現場では、今回の結果について、会議やら何やらで、
「秋田ではこういう結果であるのに、一方で我が県は...我が校は...」
と詰められていると想像します。
わたしとしても、こちらの先生と同じ立場になったら、同じ感想を抱きます。
「秋田では学校ぐるみで過去問対策とかやってるわけだし...
じゃあ結果がいいのは当然だよなあ~
比べるんだったら、条件は同じにしないと...
そんなに結果が大事なら、うちの学校も過去問対策をやりゃあいんだよ」
そういうボヤキ・愚痴が聞こえてきそうです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
これが、受験関係者あるいはご父兄の目線で語ると次のようになります。
まず、学校の授業で全国学力調査の過去問演習をやるのは、よいことです。
学力を上げるという点で、役に立っています。
少なくとも、通常のスタイルの授業と同じくらい、もしくはそれ以上の効果があります。
学校の先生の中には、この学力調査の過去問演習を「ズルい行為」と考えている方がいらっしゃるようです。
それは、自校の結果が、過去問演習をたっぷりとやった県と比べられるからなのでしょう。
であるなら、この過去問演習を「学習のきっかけ」として、自校でも取り入れるようにすればよいと思います。
演習をやって、テストの点が上がるという結果が出ているのなら、それは学習法として「正しい」ということです。
ただ、学校を巡る様々な事情で、これは現場の先生の裁量だけでは対応できないかもしれませんが。
スポーツで、ある競技に勝とうと思えば、当然に実践練習をするでしょう。
それは、学習面でも同じです。
場数を踏めば、全体の結果がよくなっていくのは、何ら不思議なことではありません。
そして、ご父兄にしてみても、プロセスがどうあれ、学習の結果がよくなるのなら、過去問演習に反対する理由はありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「全国学力調査」については、もう少し補足をします。
とある小学校の先生がTwitterで語ったところによれば、「全国学力調査」は小学校の指導現場で、評判がとても悪いらしいのです。
理由は「学校で習わない問題が出ているから」
例えば、↓のような問題のことらしいです。
こういう問題は、確かにこのままの形で教科書に載っている問題ではありません。
しかし、中学・高校と進んだ場合、受験という面では、このような問題は「基礎の基礎」です。
さほど難しい問題というわけでもありません。
たぶん、小学校の先生方も、ご自身が受験をしたときには、この種の問題に取り組んだはずなのです。
小学校の先生は、全科目を指導するというのが「建前」です。
国語・算数・音楽・体育...をマルチに教えて、いじめの対策もしなくてはなりません。
そのため、小学校の先生方に、中学・高校の先生方のような科目の専門性を求めることはできません。
ただ、それゆえにこそ、「全国学力調査」のように、授業でやることは、十分に意味のあることだと思うのです。
小学校で行われている単元テスト(カラーテスト)を超える水準の問題の演習を、授業に取り入れる...
それが、生徒さんの学力が伸びるきっかけになる...
これって、すばらしいことではないでしょうか。
今回のコラムでは、特殊詐欺事件を扱います。
特殊詐欺というのは、オレオレ詐欺とか、振り込め詐欺とかとよばれていた、アレのことです。
それが、「教育コラム」とどう関係があるのか...
わたしが今回スポットを当てたいのは、被害者のほうです。
第三者から見れば、
「なんであんなのに騙されてしまうんだろう」
というようなことが、起きています。
特殊詐欺の被害に遭う人は、この報告書によれば、高齢者、特に80代女性が最も多いらしいです。
高齢になれば、判断力が鈍ってきます。
ただ、若い世代の人も多くはないがいます。
こういった状況について、わたしが生徒さんに接していると、
「ああ、だからこうやって騙される人が出てくるのね...」
と、妙に納得してしまうのです。
そう判断するのはなぜなのか。
「こちらがビックリするほど、他人の話を聞いていない、あるいはスルーしている」
という生徒さんが、一定数は確実にいるからです。
「こういう生徒さんが大きくなって、社会人になって...
そのうちのほんとうに何百分の1、何千分の1の人が、この手のものに引っかかっちゃうのかも...」
そう感じています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「こちらがビックリするほど、他人の話を聞いていない、あるいはスルーしている」
という生徒さんが、一定数は確実にいる...
これは、わたしのように家庭教師という形で受験指導を行っていると、そこそこの確率でそういう生徒さんに当たります。
例えば、
「これまで、何十回と同じ説明をし、同じ演習をして、同じ間違いをしてきて、今このタイミングでまた同じ間違いを、同じようにしちゃうのかなあ~」
こう思って、思わず天を仰いでしまうのは、そんなに珍しいことではありません。
そういう生徒さんにこう話したことがあります。
菊池:
わたしはこれまで、指導のときに、この問題を何十回と説明し、同じ演習をしてもらってます。
そして、君はそのたびに、同じような間違いをしてきて、そのたびに「分かった」と言ってます。
でも、今このタイミングでまた同じ間違いを、同じようにしちゃうって...
「ああ、ここで間違って、注意されちゃったなあ」
とか
「次は間違わないようにしよう」
とか、そういうことってあまり考えないものなんですか?
生徒さん:
あんまりそういうことは考えないし、間違うかもと思ってやってないです。
苦笑いを浮かべながら、生徒さんの話を聞いていました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「他人の話を聞いていない」というのは、両方のパターンがあります。
・聞いて理解をする能力はあっても、注意関心を向けない
・聞いて理解をする能力が、そこまでに達していない
わたしの経験ですと、「聞いて理解をする能力はあっても、注意関心を向けない」という生徒さんのほうが多いように感じています。
そして、そういう生徒さんというのは、自分の身の回りの半径3m以上のことには、興味関心をほぼ示さないという特徴もあります。
ですから、ニュースなどで世の中の話題になっているようなことに関して、ほぼ知識がないという感じです。
もちろん、彼らが成長を重ねていけば、世の中のことは段々と分かっていくでしょう。
しかし、そうなっても、バージョンアップの度合いは人それぞれです。
注意関心が向かなければ、情報はその人の前を素通りします。
そう考えると、いくら特殊詐欺のことを広報していても、被害に遭う人が一定数出てきてしまうのも理解できます。
たぶん、
「自分は騙されない」
「騙されるかもと思って生活していない」
ということなのでしょうか。
こんなことを言っているわたしは、
「自分も騙されるかもしれない」
と思って行動しています。
それが大切であるようです。
過日、Yahoo!の知恵袋を見ていたら、中学生女子と思われるアカウントから、次のような書き込みがされていました。
・・・本当に勉強が嫌いです。
甘い考えかもしれませんが、地頭はいいのでちゃんと勉強すればテストでいい点数も取れると思います。
それでも本当に勉強をしたくありません。
そもそも問題を解ける喜びとか楽しさが全くわかりません・・・
これを読んで、思わず微苦笑してしまいました。
「そもそも、ホントに地頭のいい人なら、匿名とはいえ、ネット掲示板に
『地頭はいいのでちゃんと勉強すればテストでいい点数も取れると思います』
なんていうことは、書かないよなあ」
これが、まず感じたことです。
「地頭がいい」・・・ときどき聞くフレーズです。
この「地頭がいい」というのは、あくまでも個々人の考え方・感じ方によるでしょう。
わたしが「地頭がいい」と感じるのは、二華中に合格した生徒さんたちです。
彼らを指導していると、
・・・この生徒さんは、頭がいいなあ~
自分より良くできるなあ~
お父さん、お母さんにとっては、自慢の息子・自慢の娘だよな~
自分が小5・小6のとき、彼らと同じ量の勉強をやれって言われたら、たぶん無理だわ~
このように感じています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが生徒さんの指導をしていると、
「この生徒さんは、今このくらいの成績だけれど、○○点くらいは取れるはずなんだよなあ」
と感じることがよくあります。
これは生徒さんの持っている「生まれ持った能力・素質」を、わたしなりに判断してのことです。
そこには、このたびテーマとして取り上げた「地頭の良さ」のようなものも含みます。
「この生徒さんは、持っている能力から言って、○○点くらいは取れるはず
→しかし、現状は、このくらいの成績」
こうなっている生徒さんが実に多いです。
これの意味するところは、
「いくら『地頭が良い』といったところで、力を発揮しきれていない生徒さんは、意外に多くいる」
こういうことです。
ですから、前回のコラムで引用したフレーズ
「地頭はいいのでちゃんと勉強すればテストでいい点数も取れると思います」
というのを目にすると、苦笑するほかありません。
これをお読みのご父兄も、こういう方、周囲にいらっしゃいませんか?
「・・・同僚の○○さんは、とても優秀。
もっと上のほうに行ってもよいはず。
仕えた上司に運がないせいで、今の地位にくすぶっている・・・」
ここから分かることは、
「能力の発揮しきれていない人は世の中にたくさんいる」
ということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までに申し上げたように、二華中に合格した生徒さんたちは、「地頭が良い」と感じます。
そういう生徒さんばかりが入学する二華中。
で、6年後にはどうなるか...
東北大クラス以上の大学に合格するのは、105名が入学するうちの半分まで行くかという感じです。
早慶上智クラスの実合格者数がどのくらいなのか分からないので、こういう言い方になります。
わたしの見立てでは、もっと多くの合格者があってしかるべきなのです。
しかし、現実として、そうはなっていません。
言い換えると、二華中の生徒さんのような俊英にして、約半分が東北大クラス以上の合格を達成できていません。
「いくら『地頭が良い』といったところで、力を発揮しきれていない生徒さんは、意外に多くいる」
こういうことです。
その一方で、例えば、泉高校からは、毎年東北大合格者が出ています。
ヒト桁ではありますが、毎年です。
泉高校は、普通科がみやぎ模試偏差値55です。
受験生を100人換算して上位30位くらいです。
泉高校に入学する生徒さんは、中1時点で、二華中の生徒さんたちには、たぶん逆立ちしても勝てません。
しかし、6年後には、二華中の生徒さんたちの半分を上回る実績をたたき出す生徒さんが現れます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回に紹介した「二華中の生徒さん」と「泉高校の東北大合格者」の関係について、補足します。
「二華中の半分の生徒さん」を6年後にひっくり返す生徒が現れるのは、泉高校だけではありません。
宮城野・南・向山・泉館山...といった「みやぎ模試偏差値55~60」の「準ナンバー」。
ナンバースクールは、申すに及ばず。
こうした現象は、たまたま今年だけだった、などという話ではありません。
毎年、そうなっています。
これの意味するところは、こういう現状になる原因がどこかにあるということです。
そして、結果だけを見れば、
「『地頭が良い』といったところで、力を発揮しきれていない生徒さんは、意外に多くいる」
という結論になります。
また、これとは逆にパターンもあります。
以前、「三高残念→学院高→岩手医大医学部」に行った生徒さんは、
「なぜこの生徒さん、三高残念でしたってなっちゃったんだろう?」
と感じるくらいに受験学習はできていました。
高校に入って頑張ったのでしょう。
そういうことを考えると、
「『地頭が良い』と自負したところで、結果が出ていなければ、屁のツッパリにもならない」
こういう見方に収まりそうです。
過日、当方のYouTubeチャンネルで「二華中ガチ狙い受験生にとっての附属中入試」という動画をアップしました。
この動画で述べたことに、補足します。
この動画の主旨は、二華中ガチ狙い小6生が、附属中をいわゆるスベリ止めとして受験するのは、避けたほうがよいというものです。
二華中ガチ狙い小6生のメインは、当然に二華中です。
ところが、附属中の入試は、思いのほかに難関です。
ですから、附属中の入試が「残念でした」で、二華中に合格というケースもあります。
附属中の入試・合格発表は、二華中入試の前に行われます。
「スベリ止め」の附属中に合格するつもりで入試を受けたら、残念な結果になった...
こうなった場合、二華中の入試にメンタル面で、何がしか影響のある可能性が出てきます。
そして、このメンタル面について、思い出すのは、公立高校の入試のことです。
数年前まで、公立高校の入試は、2月上旬あたりに前期・3月上旬辺りに後期の2回行われてきました。
その際、学校によって違いますが、前期で30%くらい、後期で70%くらいの受験生を取ります。
これが、思わぬ副作用を生んでしまうことになってしまったのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで扱った公立高校の入試の状況について、さらに続けます。
前期入試には、出願する場合、内申評定などの「縛り」がありました。
前期で○○高校へ出願するには、平均評定○○以上などという条件です。
内申評定というのは、学校の通信簿の5・4・3...といった数字の全科目平均です。
そのため、前期には、その高校を目指す受験生でも、優秀な層が集っていました。
前期合格というのは、優秀さの勲章でもありました。
反面、ここで強調したいのは、「前期で残念でした」となった生徒さんです。
確かに、当初は「ダメもと」「受かれば儲けもの」的に前期入試を受けたわけです。
しかし、前期不合格後、マインドがダダ下がりしてしまう生徒さんがかなり出てきてしまったのです。
ここで、話を本題の二華中受験に戻します。
以上、述べたようなことを二華中受験生の視点だと、
「附属中受験は不安定な要因が大きい」
「附属中受験は、二華中受験のマインドを下げる可能性がある」
ということになります。
今シーズンの附属中入試は、前シーズンより募集人員が20名減ります。
二華中のガチ受験に臨む小6生で、附属中を併願する方は、申し上げた事情があることを踏まえて、受験に臨んでいただければと思います。
過日、Twitter上で、受験関係者の方とこのようなやり取りがありました。
内容は、学習苦手層に関することです。
学習苦手層へ指導をしていると、ここで紹介した方のような悩みを持つようになる受験指導者は多いように感じます。
彼ら学習苦手層は、テストの問題文を読んでも、正確にその文章の意味するところを理解するのがなかかかに困難です。
「徳川家康」ときちんと漢字で正確に書けるとか...
円の直径の公式と面積の公式をしっかり使い分けることができるとか...
こういうことの以前の問題として、テストの問題文の読み取りが難しいのです。
学年が進めば進むほど、これは深刻になります。
そこで、受験指導者は次のように考えます。
...なぜこの子に限らず、このレベルの文章の意味が読み取れないんだろう?
そんなに難しいことが書いてあるわけでもないのに。
自分の指導が悪いんだろうか?
彼らが、せめてこのレベルの文章を読めるようになるには、どうしたらいいのか?
わたしもこのことは、悩んだり、格闘したりしました。
指導のときに、自分なりに考えて、いろんな工夫をしたりもしました。
しかし、どうもこちらの考えるようには行きません。
あまりに壁が大きい過ぎるように思えました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この壁を乗り超えるのは、わたしの力では無理と感じるようになりました。
彼らの文章読解能力を伸ばしていく方法は、ないわけではありません。
しかし、そのためには膨大な時間・労力が必要です。
一介の受験指導者が劇的に改善できるようなものでもありません。
わたしは悩むのを辞めることにしました。
そして、わたしが考えるようになったのは、
「彼らの現在の読解能力で何ができるか」
ということです。
わたしが思い至ったのは、次の2点です。
・できそうもない問題は、できるだけ早く見切りをつける
・できそうな問題・できる問題を確実に得点できるようにする
「できそうな問題・できる問題を確実に得点できるようにする」
これは、言うは易くて行うは難しいことです。
できる問題・できそうな問題をいつ何時でも得点するのは、トップ層にしてなかなかできないことです。
事実、彼らの答案には大なり小なり、取りこぼしがあります。
学習苦手層の生徒さんは、できる問題・できそうな問題にしぼって演習をしていく以外、思いつきません。
たぶんこの方法ですと、そういうタイプの生徒さんは集中力を切らさずに学習に集中できます。
そして、それが彼らに最も適した学習方法です。
学校の先生あるいは受験指導者が授業を行うとき、いわゆる「雑談」をさしはさむ場合があります。
授業が「ほぼ雑談」ばかりとか、そういう先生も、わたしが生徒時代にはいらっしゃいました。
わたしは、指導のとき、「雑談」を差し挟む場合があります。
自分としては、こんな感じでやっているつもりです。
・指導中に集中力を高めるうえで、短時間
・「調味料」または「スパイス」としての
・内容は、生徒さんが興味を持って聞いてくれそうなもの
・受験になにがしかの関係があるもの
言い換えると、「生徒さんの成績を上げる一環としてやっている」ということになります。
ですから、自分がしゃべりたいことだけを話すということはありません。
「生徒さんが聞いてくれそうなこと」
「生徒さんが受験学習のきっかけにしてくれそうなこと」
こういうことに留意しながら話をしています。
例えばこういう話です。
◎工業高校への進学を考えている生徒さん向けに
...こないだ、テレビを見ていたら、少子化の影響で、技術を持った若年層が不足しつつあるというニュースをやっていた
◎二華中志望の生徒さん向けに
...同じ数をかけて9になる数は、3×3=9だから、3
では同じ数をかけて5になる数は ?×?=5 こういうのを中学で習う
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この「雑談」に関して、以前に二華中に合格した生徒さんのご家庭からは、
「うちの子供は雑談を楽しみにしている」
というお言葉を頂戴したことがあります。
わたしとしては、
「オッ! そうか!」
と思いました。
その生徒さんは、特に戦後の政治史にかなり興味がありました。
その知識も
「小6の生徒さんにして、ここまで知ってるのか!
この分野に関しては、自分よりよく知ってるかも...」
と、こちらが思わずうなってしまうくらいでした。
わたしもこの分野には、興味があり、いろんな情報に接しています。
そういう意味でも、その生徒さんとは「馬が合った」といえそうです。
また、この「雑談」のとき、大切なことがあります。
それは、生徒さんから学校の状況を聞くことです。
学校の状況というのは、例えばこういうことです。
・インフルエンザの流行状況は?
・あなたの高校は、男女比どのくらい?
・不登校生ってどのくらいいる?
などなど。
こうしたことは、一見すると、学校の学習それ自体とは無関係に見えます。
しかし、こうしたことを知っておくことは、受験の指導者として、大事であると思っています。
いま、中3生は「行く高校をどこにするか」ということで、いろんなことを決めなくてはならない時期です。
差しあたっては、
「私立高校の受験は、推薦・一般入試、どれにする?」
というものです。
「推薦」という場合、これはほぼ合格が確定します。
公立受験をせずに入試が終わります。
成績層としては、「平均に達していない」という生徒さんが主です。
一方、「一般入試」という場合は、公立受験がメインです。
このような入試を、私立高校から見た場合はどうなるのか、ということを書いてみます。
私立高校にとって最も大切になるのは「生徒の確保」です。
そうした意味で、「推薦入試」の受験者は「確実に入学してくれる生徒」です。
つまり他校に入学するおそれのない生徒です。
この「推薦入試」を受けるのは、多くの場合、次のような成績層です。
・平均に達していない
・公立高校の合格がボーダー付近、または厳しい
言い換えると、難易度がさほど高くない公立高校を受けても、合格が難しい受験生が主に「私立推薦」を選びます。
ですから、この成績層をメインターゲットとする私立高のコースは、近年特に「推薦入試」を推すようになっています。
ここでの生徒確保が、学校経営の面でもかなり重要になっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
私立高校から見ると、一般入試で入ってくる生徒は、
「受かっても他校に行ってしまうかもしれない生徒」
です。
むしろ、
「受かってもかなりの確率でウチには来ない生徒」
です。
公立高校に受かれば、公立に行ってしまう...
仮に公立が残念でしたとなっても、他の私立に行ってしまうかもしれない...
ですから、学校の経営をする上で、不確定要素が大きいわけです。
不確定要素が大きいということは、経営の上で、困ってしまうことが多くなるということです。
何しろ、これだけ少子化になっているのに、高校の数自体はわたしが中学生のころと変わっていないのです。
「少ないパイを奪い合う」という構図になっています。
逆に、公立高校のほうが、学校の再編という形で、高校を潰しています。
一般入試に関しては、「成績が平均より上、公立との併願」という受験生がメインターゲットになります。
私立高校としては、「特進コース」などという名前で、そうした受験生を受け入れています。
この「特進コース」は、受験つまり大学への進学実績という面で、その高校の「看板コース」ということになっています。
ただ、東北学院やウルスラは、「中学から持ち上がってくる生徒」が「特進コース」などでもかなり幅を利かせています。
受験するほうも、様々なことを考えた学校選びが求められます。
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