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本コラム連載を開始して、本日でちょうど1年となります。
その間、多くの方々が教育コラム「雨か嵐か」をお読みくださいました。
心より感謝いたします。
この拙文の意義を改めて申し上げますと、「教育コラム」の名が示す通り、現在もしくは今後担当するであろうご家庭のご父兄・生徒さんへの情報提供です。
とはいえ、肩の凝るようなものばかりではお読みになる方もお疲れになってしまうので、「週末のつぶやき」などと題して、心に移り行くよしなし事をものしたり、といったこともしております。
そもそも「つぶやき」などと称して、仕事の上での愚痴のようなものや「今朝起きたら、アサガオがきれいに咲いていました」などというような「何の脈絡もない話」を延々と書き込んだ場合、有名人であれば聞く耳を持って下さる方もいらっしゃるでしょう。
しかしながら、、一介の家庭教師が同様のことをしたところで、読者の方からソッポを向かれるだけです。
ゆえに、そのあたりは今後とも自制しながらやっていきます。(一応、本人はこれでも少し自制しているつもりです(笑))
「肩の凝らないもの」もときには必要ですが、それのみに堕して、本来の眼目たる情報提供をゆめゆめ怠らぬよう努めていく所存です。
8月に入り、最初の週末を迎えます。
今月は各所でお祭りが開かれ、また盆休も入るなど、ハレの日が目白押しです。
受験生のみなさんはもちろんですが、他の生徒さんたちも、自らに与えられた課題を粛々とこなしていってほしいものです。
さて、わたしが過日よりアップロードを続けている「受験数学の素朴な疑問に答える」について申し上げます。
このページの第一の意義は、学校の数学の先生に対するわたしなりの「異議申立書」のつもりです。
生徒さんの話を聞いて、自分の中で何かが爆発し、一気呵成に書き上げたのがこのページです。
またこのページに書いてあることは、目先の試験の結果だけ欲しい方(生徒さん、もしくは受験産業に携わっている方など)には何の役にも立ちません。
そういう方には読んでいただかなくてもよろしいですし、また読んでいただきたくありません。
もっともわたしが「読んでほしくない」といったところで、屁のツッパリにもなりませんが(笑)
ただ受験数学に受験以外の何らかの付加価値を見出したい方にとっては、何がしかのヒントがあるものと確信しております。
先の大戦の連合艦隊司令長官である山本五十六元帥が、上に立つ者の心得ととして、部下の力を引き出すにはどうしたらいいかを語ったものとして以下の句が有名です。
「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ」
ほんとうによくできた句です。
実はこの句は生徒さんの指導をする場合にもあてはまります。
この場合は、「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 点は上がらじ」となるでしょうか。
わたしはこの精神を肝に銘じつつ指導を行っています。
この句の眼目は、一般に「ほめてやらねば」というところにあると解釈されているようです。
しかし家庭教師の指導の場合、最も難しいのは「させてみせ」にあると考えています。
生徒さんに対して、「やってみせ」たり、「言って聞かせ」たりするのは、極めて容易です。
むしろ「やってみせ」「言って聞かせ」の時間が多くなり過ぎないように自制しています。
また「ほめてや」ることは、難しいことですが、意識して褒めるようにすれば、何とかできます。
問題となるのは、「させてみせ」です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
もちろん、指導中に「させてみせ」ることはしています。
しかし当然ながら、それだけでは十分ではありません。
となれば、「させてみせ」の時間は、わたしの指導以外のところでも取り組んでもらう必要があります。
上位層の生徒さんは、「ここまでやってきてください」といえば、ほぼやってきます。
問題なのは、勉強の苦手な生徒さんの場合です。
そのような生徒さんは、志気の高い生徒さんが少なく、もともと持っている力も大きくないので、「させてみる」というのは難しくなります。
山本元帥ならば、意に沿わぬ部下に対して鉄拳制裁など、強制力を持っていますが、家庭教師の場合、そういう権利は持ち合わせていません。
となれば、そうした生徒さんに「させてみせ」て、十分でない場合、ご父兄の力をお借りする以外に方法がありません。
ここでいう「ご父兄の力」というのは、生徒さんの横に座って、家庭教師を務めてください、という意味ではありません。
叱咤しまた激励し、等々、志気にかかわるところでお力添えをいただきたいのです。
わたしが「菊池の力だけで生徒さんの成績を伸ばすことはできません。成績向上にはご家庭のご協力が必要です」と申す所以はここにあります。
夏休みの期間、標題のような番組が放送されています。
この番組の趣旨は、その名が示す通り、子供(主に小学生)から科学に関する質問を電話で各分野の碩学が答えるというものです。
内容としては、子供と回答者が直接電話でやり取りするというもので、かなり専門的な知識を要するもの、難問・奇問・珍問があり、大変興味深く聞けます。
またこういうところに電話して質問してくるような子供さんたちですから、かなり意識が高いのでしょう。
ただ、そこは小学生と碩学(主に大学教授)の話なので、話がときとして掛け合い漫才のようになり、毎朝、大笑いしています。
昨日は、こんなやりとりがありました。
<小学1年女の子の質問者>どうして葉っぱは水をはじくのですか?
回答者: 葉っぱを顕微鏡で見るとね、顕微鏡って分かるかな?
質問者: 分かんな〜い
→小1の女の子の、実に素直なリアクションに笑い転げました。
<小3の男の子の質問者>どうして命は一つだけなんですか?
回答者: う〜ん。これは難しい。これは分かりません。
→回答者の先生からすると、答えようもないほどの超難問でしょうが、つれなく答えるわけにもいかず.....
<小3の男の子の質問者>どうして人間や豚はあまり体に毛がないのに、ほかの動物は毛がいっぱいなんですか?
アシスタントのお姉さん: 確かに人間は頭に毛がいっぱいありますが、ほかは毛で覆われていないですね
回答者: おじさんなんか、このごろは自分の頭の毛もなくなってきてますよ.....
→(笑)(笑)(笑)
こういうやりとりが目白押しです。
詳しくは↓を
現在、多くのご家庭が「家庭教師」というシステムを利用しています。
わたしもそのおこぼれに預かっているわけで、ありがたい限りです。
ところで、ご父兄におかれては、家庭教師または家庭教師派遣会社と接していて、「どうしてこうなの?」とお感じになったことがあるかもしれません。
そこで今回は「家庭教師の特性 〜横のつながりと職人気質〜」と題し、2点に絞り記します。
そうすれば、「なるほど、そういう特性があるので、ああいうことになるわけだ」とご理解いただけるのではないかと考えます。
まず、第1点目として、家庭教師間の横の連携は限りなくゼロに近いということです。
わたしのような経営体制をとっているところはもちろんですが、同じ派遣会社に登録・所属していても、交歓会を持ったりなどということはありません。
顔を合わせれば会釈ぐらいはしますが、名前は知らないことがほとんどです。
なぜそうなのかというと、基本的に家庭教師の仕事は夜であり、車で移動することが多く、酒席が設けにくいことがあります。
また家庭教師同士がチームワークをするということが基本的にないので、他の家庭教師と意思疎通をしなければならない必然性がないからです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
派遣会社で家庭教師を派遣する場合、科目別担当制を採り、複数の家庭教師を派遣することがあります。
その際、自分とは別の家庭教師との横のつながりは原則ありません。
名前も知らされないことも普通です。
もっとも名前を知ったところで、顔と名前が一致しないことがほとんどなのですから、どういう方かはわからないことが多いのですが。
そのような理由で、生徒さんの情報を互いに共有し合うということもありません。
同じ話を家庭教師それぞれからされたり、似たような案内をされたりするのは、そういったことからです。
ただこれは、生徒さん・ご父兄の個人情報を守るという側面もあります。
第2点目として、家庭教師は一人一人が独立した職人であるということです。
特にプロ家庭教師を自認する講師なら、それぞれが「オレ様のやり方」というスタイルを持っています。
もちろん、他の家庭教師からいいものを取り入れようとしますが、それはあくまで「オレ様のやり方」をよりよくするという手段にするだけです。
これは経営者が講師を兼ねているという学習塾も同じです。
したがって、上記のように、一人の生徒さんに複数の家庭教師がつく場合、お互いの領域を侵さないという不文律があります。
以上の点をご了解いただき、よりよく家庭教師と渡り合えるようになれれば幸いです。
夏休み、宴たけなわといった雰囲気です。
仙台では花火前夜祭、七夕祭りが終わりましたが、盆休明けまで「夏の非日常的時空」は残ります。
わたしは14〜16日、および23,24日にお休みを取る予定です。
仕事柄、1日まるまる休みを取るのが難しいため、この機会に各方面へ「浮世の義理」を果たしておきます。
さて、夏休みは特別編成での時間割となっています。
そのせいで通常とは違う時間に伺うことが多く、ご家庭のほうで、時間をお間違えになるケースがここ最近3件発生しております。
わたしは指導終了時に、必ずご父兄と次回の指導日を確認しております。
今回はやりくりしていただいて、いずれも事なきを得ましたが、どうぞお気を付け下さい。
わたしは初回面談のとき、ほとんどの生徒さんに志望校とその動機を尋ねます。
「ほとんど」と申し上げたのは、小学生で学校の復習中心の指導をすることがあり、「志望校」という概念がないためです。
その際、ほとんどの生徒さんが志望校を答えます。
だいたい自分の実力以上であることが多いです。
これはある意味当然と言っていいでしょう。
希望を持つということはいいことです。
さすがに、「ありません」などといわれてしまうと、こちらが萎えてしまいます。
生徒さんの志望動機はもちろん様々ですが、特に中学生で志望高校を決めた動機で、ある単語(以後xと呼びます)を挙げる生徒さんがいます。
残念なことに、これまで担当してきた生徒さんの中で、このxを挙げて、当該志望校に合格したことは皆無です。
したがって、この言葉をわたしは勝手に「第一志望校に合格しない魔法の言葉」と名付け、生徒さんがこれを言うと、心の中で「ああ〜言っちゃったよ」と叫んでいます。
これを口にする生徒さんは、おしなべて3点の特徴があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
まず第一点目が、平均点を取れていない生徒さんであること。
第二点目として、生徒さん本人の実力を考えると「とてつもない学校」であること。
そして第3点目が、その志望校を突破するための努力をしてきた形跡がほぼないことです。
「努力をしてこなかった」というのは、これまでのことですから、もう変えることはできません。
未来ならば変えることができるのですが、このような生徒さんの場合、変わるということはあまりありません。
わたしは当然ながら、そうした場合、志望校合格は極めて厳しい状況にあることや、自分の成績を「悔しい」と感じ、次は1点でも2点でも余計に取ると考えるべきことを説きます。
しかし反応は鈍いです。
わたしがいろいろと成績向上の策を講じるのは、職務上当然です。
が、それを聞きいれるか否かは、生徒さんの人生における選択の問題で、それ以上はわたしのほうでどうすることもできないし、またそれ以上のことはしてはならないと考えています。
ところで、このxの正体、わたしの心の中だけに留め置かせてください。
なお、本コラムは17日まで「充電期間」とし、更新をお休みします。
お盆期間中の「充電期間」を終え、今日からコラム連載開始です。
さて、多くの中学校・高校では夏休み後に実力試験が行われます。
この試験に関してですが、生徒さんが試験を終えて、帰宅すると、多くのご家庭ではご父兄が「試験、どうだった?」と生徒さんに尋ねているのではないでしょうか?
ご父兄ご自身も、ご両親からそのように聞かれていたのかもしれません。
この「試験、どうだった?」というのは、ご父兄にとっては生徒さんの感触を確かめたいということもあるし、また「こんにちは」「おはよう」といった挨拶程度に考えているのかもしれません。
しかし生徒さんにとって、「試験、どうだった?」と聞かれるのは非常に困ったことなのです。
というのも、「何点ぐらい取れそう?」とかいうような具体的な質問ならまだしも、「どうだった?」というのは、あまりにも漠然としすぎてどのように答えたらしいか、回答に窮してしまうからです。
生徒さんは、「試験、どうだった?」という問い掛けに口ではいろいろ答えつつも、内心では「『どう?』って、どうよ?」と感じています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そこで試験終了後は、「試験、どうだった?」の代わりに、余計なことを言わずに、「試験、お疲れさん」とねぎらいの言葉をかけてみてはいかがでしょうか。
ついでに、夕食のおかずを少し豪勢なものにするとか。
もちろん、いろいろとおっしゃりたいことはあるのでしょうが、試験を終えたご子息に、何らかの形で、敬意を持って接しましょう。
そして何か尋ねたいこと、言いたいことがあれば、答案が返ってきてから具体的に質問するなり、語りかけるなりすればいいのです。
わたしは、自分の子供たちに対しても、同じようにしてきましたし、生徒さんにもそうしてきました。
わたしのやり方というのは、試験の答案が返ってきた段階で、それと照らし合わせながら、しかるべき指導をするというものです。
受験生だったころを振り返ると、特に高校時代に模擬試験を受けた後は、疲労困憊で、とにかく一刻でも早く帰宅して、寝たい心境でした。
ちょっとした気遣い、実践されてみてはいかがでしょうか?
過日、ある中3の生徒さんから質問を受けました。
この生徒さんは、最近とみに志気が高くなってきて、わたしがいう「いい顔」になっています。
以下、生徒さんとの会話です。
生徒さん: あの〜、聞きたいことがあるんですけどいいですか?
菊池: はい。何でしょう?
生徒さん: 学校で、先生が言うことで、どっちが正しいか、よく分からないんですよ。
菊池: 「どっちが正しい」って、どういうことですか?
生徒さん: 勉強のことでなんですけど、英語の先生は、「英語や数学は一旦分からなくなるとずっと分からなくなるから、理科とか社会は後回しでいいから、英語とか、数学をまず勉強したほうがいい」っていうんです。
でも、社会の先生は「理科とか社会は範囲が広いから、コツコツやったほうがいい」って言います。
どっちが正しいんですか?
何ていうか、先生ごとに言うことが違うんですよ。
結局、自分の教科を勉強しろって言いたいだけなんじゃないかって思うんです。
菊池: これはどちらも正しいでしょう。
生徒さん: えっ? どっちも正しいんですか?
(次回に続きます)
(前回の続きです)
菊池: はいそうです。
でも、勉強が得意な生徒さんとそうでない生徒さんとでやり方は違いますね。
勉強のできる、上位にいる人は、英語・数学はもともとできるわけで、「今やっていること」をやっていれば、だいだい大丈夫ですが、理科・社会はそういうわけには行きません。
1年、2年でやったことも忘れないよう定期的に勉強しなくてはなりません。
そうでない人の場合は、基本、英語・数学ですね。
仮に高校に入っても、理科・社会は何とかなりますが、英語・数学は大変ですよ。
まあ、大変さは高校によって違いますけどね。
君の場合は、平均点を取るところまでいってないわけですから、英語・数学は毎日やって、理科・社会あるいは国語はローテーションみたいに回していけばいいでしょう。
入試近くになったら、理科・社会の分量、増やしていけばいいでしょう。
.....以上のような会話でした。
(次回に続きます)
学校の先生は、当該教科のプロではありますが、受験指導のプロではないわけです。
そのため、先生ごとにてんでバラバラなことを言うのも仕方のない気はしますが、いろんな生徒さんがいるわけですから、できれば、もう一言付け加えてほしかったです。
生徒さんの「結局、自分の教科を勉強しろって言いたいだけなんじゃないか」というのは鋭い指摘です。
どの先生も、その教科の教職を志すに当たっては、何がしかの思い入れがあるのは当然です。
「数学が嫌いでしかたがなかったんだけれども、数学の先生になった」という方はまずいらっしゃらないでしょう。
そういった意味で、「自分の担当している教科書しっかり学習してほしい」と考えるのは、無理からぬことです。
しかしそれは、あくまで「学校の先生の論理」であって、「受験生の論理」ではありません。
どの受験生も無限に時間があるわけではないので、限られた時間の中で最も効率的な方法で対処しなくてはなりません。
(次回に続きます)
多くの小中高校ではもうすぐ夏休みが終わります。
仙台市内ですと、中3生は20日から授業です。
「やっと学校が始まる。子供にはまず学校に行っててもらったほうがいろんな意味で安心!」とお感じになるご父兄も多いのではないでしょうか。
さて、わたしはお盆期間中、3日間を「お休み」としましたが、休み前まで1日5件の指導に当たるという日々が1週間続き、他のことができませんでした。
そのせいか、これまで20年以上、交通違反とは無縁に過ごしてきたのに、一時不停止と駐車違反のかどで、2日間連続して警察の厄介になるという失態をしてしまいました。
一時不停止のほうは今もって納得いきませんが、駐車違反のほうは、駐車していたことすら忘れてしまっていたほどで、かなり疲れがたまってしまったと感じました。
これを自らへの天啓と受け止め、交通安全には気をつけねばならないと感じ入った次第です。
それにしても、罰金はイタカッタ.....(涙)
皆様もどうぞご注意ください。
(前回の続きです)
まず上位層にいる生徒さんならば、英語・数学ができるのは、当たり前でしょうから、理科・社会も抜かりなくコツコツやっていくべきです。
模試、実力試験、入試を見据え、いつ何時、何を聞かれてもいいように、準備を整えていってください。
勉強が苦手な生徒さんの場合、まずやっておくべきは英語・数学であり、理科・社会はとりあえず後回しでいいです。
ここで重要なのは「とりあえず後回し」であって、「やらない」ということではありません。
しかるべき時期(だいたい秋ごろ以降)から入試対策としての理科・社会を始めて遅くはありません。
この手の生徒さんの場合、特に英語の教授には困難を極めることがしばしばです。
そうした場合、わたしは英語の学習時間および指導時間を「極端に少なくする」という方法を採ることもあります。
ここで肝要なのは、「極端に少なくする」ことであり、「ゼロにする」ことではありません。
「ゼロにする」というのは、高校進学後のことを考えると、あまりに危険すぎます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
だいたい、高校入学後の「学業不振」のネックになるのが英語・数学ということを考えると「生かさず殺さず」という程度に英語をやっておくことは必要です。
わたしの役目はご父兄・生徒さんが志望する学校(この場合は高校)に入ることのお手伝いです。
1点でも多くとって入学できれば万々歳.....なのですが、仮に入学した後で授業がついていけずに学業不振になり、中退ということになってしまっては、何のための高校入学だったか、分からなくなってしまいます。
わたしは高校に入って何人かの級友が授業についていけず、学校の敷居が高くなり、結果として中退に至ったという例を何件も見ています。
わたしが高校生のころと今とでは年代の開きはありますが、学校でやっていることは変わらないので、こうした人は今も相当数いるはずです。
「高校入学までということで指導を引き受けた家庭教師は、高校入学後のことまで心配しなくてもいいんだ」ということも論理としては成り立つのかもしれませんが、わたしとしては、一応、最低限の「良心」は持ち合わせているつもりでおります。
<歌詞>
1.遠き山に日は落ちて 星は空を散りばめぬ
今日のわざを なし終へて 心かろく 安らへば
風は涼し この夕べ いざや 楽しき 円居(まどゐ)せん
2.闇に燃えし かがり火は 炎 今は 静まりて
眠れやすく 憩へよと 誘ふごとく 消えゆけば
安き御手に 守られて いざや 楽しき 夢を見ん
この歌はその昔、小学校で下校時刻近くになると、下校を促す放送とともに校内放送でかかったり、また野外活動のキャンプファイヤーの際に歌ったりした記憶があります。
小学校のころはあまり意味も分からずに歌っていましたが、字にするとなかなかに難解で、また文語としてきれいな詩になっています。
以下、文法解説です。
「星は空を散りばめぬ」は「星は空をちりばめている」といういみです。
ここでの「散りばめぬ」は「散りばむ」という動詞に、完了存続の助動詞「ぬ」がついています。
また「円居」という言葉は、「親しい人たちが集まって、語り合ったりして楽しい時間を過ごす」という意味の文語で、「円居せん」は「円居をしよう」という意味です。
「せん」は「〜をする」の意味の「す」の未然形に、意志の助動詞「む」がついた形です。
わたしが現役の受験生だったころ、母はよくこんなことを言っていました。
「あんたたちは勉強、勉強って大変だねえ。わたしらのころは、そんなに勉強、勉強っていわれなかったからねえ」
わたしはそれを信じ、「ああ、オレたちは大変で、かわいそうな世代なんだ」などとずっと思っていたものでした。
しかし、母の世代(だいたい60歳半ば以上の方)は、勉強の苦手な生徒や経済的に余裕がない家庭の生徒は就職し、それをしなければ「穀つぶし」といわれたわけです。
どちらが大変だったかと言えば、母の世代の方だったわけです。
しかも当時は兄弟姉妹がたくさんいましたので、ひとりひとりにかまって上げる余裕はありません。
ちなみにわたしの父は5人兄弟、母は6人です。
以上のようなことを、わたしはときどき生徒さんに語って聞かせています。
そのようなわけで、わたしは受験を人生におけるいい機会ととらえています。
一生に1回ぐらい、本気で勉強する時間があってしかるべきでしょう。
それは後々に大きな武器になりますから。
このコラムでずっと追ってきました東北地方への医学部新設問題に結論が出ました。
東北薬科大学に医学部が設置されます。
これにより、東北薬科大学は「東北医科薬科大」に名称変更されます。
また宮城県の受験にも影響を与えることになりそうです。
産経新聞 平成26年8月29日記事より引用
>>>
東日本大震災の復興支援として国が東北で1校に限り新設を認めた大学医学部。
28日、東北薬科大(仙台市青葉区)が改称して設置を目指す「東北医科薬科大」の選定が正式に決まり、関係者は歓迎の声を上げた。
一方、県の「宮城県立医科大(仮称)もしくは宮城大医学部(同)」(栗原市)と、福島県の総合南東北病院を運営する財団法人の「国際復興記念大(同)」(同県郡山市)は選から漏れた。
「医学部と薬学部との連携で研究の質が向上すると思う」。東北薬科大薬学部1年の女子学生(19)は、自分の大学が選定されたことを喜んだ。
同学部1年の男子学生(21)は「医学部ができると学校全体のレベルが上がる。チーム医療も充実すると思う」と話し、別の同学部1年の男子学生(19)は「県が名乗りを上げたので心配だったが、東北薬科大に決まってよかった」と笑顔を浮かべた。
同大の構想によると、入学定員は120人でうち20人の東北地域の特別枠を設ける。
臨床実習や医師不足が深刻な沿岸部への後方支援などを行う石巻地域医療教育サテライトセンターを石巻市立病院内に設置。
平成28年4月の医学部開設を目指す。医学部新設は昭和54年の琉球大(沖縄県)が最後で、37年ぶりになる。
医学部新設をめぐっては、政府は医師過剰を招く恐れがあるとして新設を認めてこなかったが、宮城県の村井嘉浩知事らが25年10月に医師不足解消のため東北への新設を国に要望。安倍晋三首相が下村博文文部科学相に検討を指示し、同11月に1校に限り新設を認める方針が決まった。
当初、東北薬科大、東北福祉大(仙台市青葉区)、脳神経疾患研究所(福島県郡山市)が名乗りを上げたが、5月末の構想の提出期限間際になり、東北福祉大が断念。
東北福祉大と連携していた仙台厚生病院(仙台市青葉区)と栗原市の要望を受け、宮城県が構想を申請した。
東北薬科大が選定されたことについて、宮城県医師会の嘉数(かかず)研二会長は、医学部新設により東北全体の医療レベルが上がる可能性を指摘。
一方で「医学部設立で地元のスタッフが引き抜かれたら本末転倒」と懸念を示した。
また、全国的に医学部の定員が増加しており、将来的に医師不足は解消されるとして、「このままでは医師が増えすぎて、減らすことになる。その調整能力も問われるだろう」と注文を付けた。
多くの小中高校で今週から授業が始まっています。
生徒さん同様、わたしもようやく日常に戻りつつあります。
ここで「日常に戻った」と書かず、「戻りつつある」とした理由は夏休み期間中にできなかったことがたまっており、片付いたとはまだ言えないからです。
その中の一つにスマートフォン取り扱い方法の習得というのがあります。
このたび思うところがあって、お盆期間中に携帯電話をガラケーからスマートフォンに変えました。
しかしながら、これまで説明書をじっくり読む時間が取れないせいで、全く使いこなせていませんでした。
来週あたりには、いろいろなことの目鼻がつきそうなので、せめて以前の携帯電話と同程度には使えるようにしたいです。
それでは、電話機を変えた意味がないのですが、まずは段階を踏んで、少しずつやっていきます。
ところでわたしが携帯電話を変えた件につき、生徒さんからのウケは非常によく、こちらが聞いたわけでもないのに、いろいろなことを語ってくれました。
彼らが嬉々として話す様子を見て、やはりというか、当然というか、今の世代の生徒さんは、携帯電話に並々ならぬ思い入れがあることが分かりました。
年代の差を感じてしまったひとときでした。
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