先生と言われるほどのバカでなし その1 2014/09/01

川柳に「先生と言われるほどのバカでなし」というのがあります。

「先生」と呼ばれ、悦に入っている人のことを皮肉ったもので、なるほど、いい目の付け所だなあと思います。

わたしも職業柄、ほとんどの場合、「先生」と呼ばれます。

それゆえ、この川柳の存在は気にかかるところです。

わたしとしては、「先生と呼ばれるほど、呼ばれるほど偉くはないんだけどなあ」と感じる半面、ご父兄や生徒さんには「先生」としか映ってないわけですから、それにふさわしい行動、言動を取らねばと常々感じています。

ここで「先生にふさわしい像」というのは、愚考するに、「威あって猛からず。でもときどきお茶目」というものです。

「威あって猛からず」というのは、天皇陛下のようなお方となるわけでしょうが、そのようには絶対になれません。

またわたしは一生懸命努力している生徒さんには優しい半面、しかるべき努力をしない生徒さんには厳しく、また容赦なく「喝入れ」をしますので、「猛からず」というわけにもいきません。

(次回に続きます)

先生と言われるほどのバカでなし その2 2014/09/02

(前回の続きです)

現実問題として、「先生にふさわしい像」としてわたしが取り得る方法としては、「生徒さんの話をしっかり聞き、またこちらの意向も生徒さんに聞いてもらった上で、嫌味にならない程度に生徒さんの知らない事項に知識を与える」ことくらいです。

ここで生徒さんに示す知識というのは、生徒さんの学年、学習に対する興味、関心の度合い、受験とのかかわりを総合的に判断して決めています。

家庭教師は字に書くごとく「教える」ことが仕事と考えられています。

しかし、少なくてもわたしが考える家庭教師の仕事とは「生徒さんが自らの力で勉強をし、しかるべき結果を出すことのお手伝い」です。

そして「教える」というのは、「お手伝い」を補完する存在であり、主たる業務ではない」というものです。

いくら知識があり、教えることが上手であっても、生徒さんが耳を傾けるに足ると判断した者でなければ、生徒さんの結果は出ません。

とかく「教師」と言われる人は、他人様に教えたがって悦に入りがちになりますが、ひとりよがりになってしまってはかえって逆効果で、そのあたり、自らを引き続き律していくつもりです。

京都大学入試問題一考 〜受験英語に求められる「真の力」〜 その1 2014/09/03

今年は、京都大学志望の受験生を担当するという超ハードな案件を抱えています。

うち、わたしが見ている教科は国語と英語です。

今回のコラムにおいては、京大英語の入試問題に焦点を当て、思うところを綴っていきます。

まず、京大英語の入試問題は、わたしが大学受験生だったころと形式が変わっていません。

大問2つが和訳、1つが英訳というものです。

内容も、そこは東大と双璧をなす超難関大学だけあって、大きな爆裂弾が3連発するようです。

生半可な力では通用しません。

入試問題作成者は、それが仕事とはいえ、毎年毎年よくもこういう難解な文章を見つけてくるものだと感嘆、慨嘆しきりです。

目を皿にして、このような悪文の典型のようなものを見つけ出してくるような作業をするくらいなら、もっとほかにすることがあるだろうと感じてしまいます。

わたしの個人的な感傷はともかく、ここでは英文和訳に焦点を当て、京大のような「超重厚問題」にどう対処すべきか、3点に絞って記します。

(次回に続きます)

京都大学入試問題一考 〜受験英語に求められる「真の力」〜 その2 2014/09/04

(前回の続きです)

以下、記すことはかなり専門的になりますので、興味・関心のある方以外は読み飛ばしてください。

それでは本論に入ります。

まず、第1点目が、動詞が他動詞なのか、自動詞なのか、しっかりと意識しながら英文を読むということです。

他動詞なら、その語は目的語を必要とします。

前置詞も同様です。

よって、もし文中に他動詞や前置詞が使われ、目的語が欠けているなら、当該目的語が代名詞で結合して、前に出張ってきていることが極めて多い点に着目する必要があります。

第2点目が、どこが主語になるのか、見失わないようにする必要があるということです。

特に倒置の文にあっては、それが必要不可欠です。

その典型例が、先日実施された駿台京大入試実践模試第1問に出た文章です。

whenで引っ張られた副詞句が延々と続き、中盤になってようやく主語にたどり着きます。

ここを倒置と見破れるかどうかがポイントです。

(次回に続きます)

京都大学入試問題一考 〜受験英語に求められる「真の力」〜 その3 2014/09/05

(前回の続きです)

第3点目が、和訳の巧拙を気にしすぎるなということです。

模範解答を見ると、実に巧みな文章で訳出されています。

あれは受験に携わるプロがやるから、あのようになるのであり、ああしなければ点がもらえないということはありません。

多少ゴツゴツした訳であっても、ポイントとなる箇所を見破っていれば、きちんとマルがもらえます。

逆にどんなにうまい訳であっても、肝心なところを踏まえていないなら0点です。

採点者は「コイツはきちんと分かって書いているな」「コイツは分からないで書いているな」ということはすぐに分かります。

「コイツは分かっていない」と判断されればどんなに美文を重ねても点はもらえません。

なおこれ以外にも、日々語彙増強が必要であることは言うまでもありません。

ちなみに駿台模試の模範解答の冊子を見ると、センター模試などではついている主要単語の解説はありません。

京大を志望するくらいであれば、単語・熟語はできて当然であるという考えなのでしょう。

何はともあれ、コツコツ努力を積み重ねていってください。

週末のつぶやき 〜 振り込め詐欺にご注意を 2014/09/06

来週から中学生が定期試験のピークを迎えます。

そのため、ここしばらく定期試験対策に明け暮れています。

生徒さんには「点を取れる指導」をしておりますが、それをしっかり受け入れてくれるかどうかは、生徒さん本人にかかっています。

1点でも2点でももぎとってほしいものです。

閑話休題。

先日、わたしの留守に事務所へ電話がかかってきました。

事務の仕事をしている家人がそれをとったところ、男の声で「ボク、スミオです」と言ってきたとか。

声もわたしの声でないし、第一わたしは自分のところへ電話するのに「ボク、スミオです」などというわけがないので、「もう1回言ってもらえませんか」と聞き返したところ、電話は切れたそうです。

振り込め詐欺をやっている連中の仕業でしょう。

こんなことをやっている暇があったら、真っ当に働けばいいのに、連中もまじめに悪事に励んでいたというわけです(笑)

この種の詐欺に引っかからないようにするには、「自分だけは引っかからない」と思わないことが大切だと聞きます。

また遠方に住むご高齢の親御さんがいらっしゃる場合、合言葉(母親の旧姓、他の兄弟姉妹の名前など)を決めておくとよいかもしれません。

とにもかくにも、ご注意を。

指導時の服装について 〜背広着用にこだわる理由〜 その1 2014/09/08

わたしはご家庭に伺うとき、背広着用を常としています。

学生時にこの仕事をしているときは、学校に通っているのと同じ格好でしたが、卒業して社会人になってからはさすがにそれはしていません。

ご同業の社会人家庭教師さんたちを見ていると、女性の方を除いて、背広着用をしている方は思ったほど多くないなあという印象を受けます。

他の方がどのような服装で指導に臨むかは、それぞれの考えがあってなさることですので、ここでは論じません。

わたしは背広着用にこだわりを持っています。

より正確にいうと、背広を着用せず、ご家庭に伺うのは非常に心理的抵抗があります。

以下、背広着用に対する管見を記します。

第1点目として、仕事をしに出向くとき、背広は最も無難で礼を失しない服装と考えられ、かつ見た目もいいからです。

「馬子にも衣装」の格言どおり、服装は非常に大切です。

また背広を着れば、わずかなりとも見た目がよくなるのではないかという淡い期待(妄想?)も持っています(笑)

芸能人のように何を着ても似合う人ならばいいですが、背広以外でご家庭に伺うのは、いかにも貧相に見える気がしています。

(次回に続きます)

指導時の服装について 〜背広着用にこだわる理由〜 その2 2014/09/09

(前回の続きです)

第2点目としては、背広以外に持っている外出着がほとんどないということがあります。

その種の服はここ10年以上、買ったことがありません。

いろいろ買い込んでも、タンスの肥やしになるだけで、場所ふさぎになるだけなので.....

それゆえ、カジュアルな服装はしたくてもできないのです。

第3点目には、自分自身に対して、仕事モードに入ったということを意識させるためです。

背広を着ると、やはり「仕事!」という感じがして、気持ちが引き締まります。

ご父兄の方は日々、額に汗して労働に励み、そうしたご苦労に末に得たお鳥目をわたしは頂戴しているわけです。

となれば、頭を仕事に切り替えてご家庭に伺うのが、最低の礼儀と考えます。

また、生徒さんに対しては、ラフな格好をしていくより、背広のほうがよい緊張感を与える効果があるとも考えています。

もっともその割には緊張感のない生徒さんもいますが.....

プロ家庭教師になりたい方からの相談 〜「経験がある」という強み〜 その1 2014/09/10

弊サイトは、現在担当している、もしくは将来担当する生徒さん、ご父兄向けに作成しています。

その一方で、わたしの想定していた以外の方も広くお読みくださっているんだなあと分かります。

と申しますのも、ここ数か月の間に「プロ家庭教師として生計を立てていきたいので、ついては助言を乞いたい」というメールが3通ほど当方に寄せられてきているからです。

yahoo掲示板などの各種サイトでご活躍のご同業の方は多いのに、なぜわたしだったのか、疑問が残るところではあります。

とはいえ、わたしの方向性をご理解なさっている方がいらっしゃるというのはありがたく感じています。

うち、ある国立大学の学生さんから来たメールに対しては、いきなりプロの家庭教師になるよりは、まず宮仕えをするなりして、社会経験を積んでからのほうがいいのではないかということを伝えました。

この社会経験というのは非常に大切なことです。また学生の世界と一般社会では相当に隔たりがあり、そこを埋めるにはかなり苦労します。

(次回に続きます)

プロ家庭教師になりたい方からの相談 〜「経験がある」という強み〜 その2 2014/09/11

(前回の続きです)

家庭教師は単に勉強を教えるだけでは務まりません。

いかにわかりやすく、かつ魅力的な指導をすることもさることながら、それより重要なのは、生徒さんが家庭教師の言に聞く耳を持って、自ら学習するようになるか、ご父兄との葛藤をいかに和らげることができるか、ということです。

学校や塾の先生ならば、全体としてレベルが上がればいいので、個々人がどういう結果を出すかということまでは、必ずしも考える必要はありません。

しかし、家庭教師の場合、目の前にいる生徒さん1人がどのようになるかということが重要なのです。

ゆえに生徒さんとのかかわりは、極めて濃密にならざるを得ません。

それに堪えるものを提供するには、経験が大きくものを言います。

わたしの場合、そのあたりの「社会経験」については、宮仕えをしたころもあるし、また扶養すべき係累もおります。

よって、ご家庭を持つご父兄とより近い目線で生徒さんのことを見ることができるのでないか、そこが自分の強みなのではないかと考えています。

それが、妄想だと指を差されないことを祈りつつ.....

文語調の歌に親しむ 〜「君恋し」 2014/09/12

今回は、歌謡曲「君恋し」を取り上げます。

以下、動画にてどうぞ。

→動画が表示されない場合は、こちらから

<歌詞>

1.宵やみせまれば 悩みは果てなし

  乱るる心にうつるは 誰が影 

  君恋し 唇褪せねど

  涙は あふれて 今宵も更けゆく


2.歌声すぎ行き 足音響けど

  いづこに尋ねん 心の面影

  君恋し 思ひは乱れて

  苦しき幾夜を 誰が為偲ばん


3.去り行くあの影 消え行くあの影

  誰が為支へん 疲れし心よ

  君恋し 灯うすれて

  臙脂の紅帯 ゆるむもさびしや

  君恋し 唇褪せねど

  涙はあふれて 今宵も更けゆく
 

この曲は、我が宮城県の生んだ国民的歌手であるフランク永井さんによるものです。

若い方にはなじみがないかもしれませんが、今でいうと、五木ひろしさんや北島三郎さんクラスの方で、ある一定年代より上の方にはおなじみです。

私生活のことが原因で、さびしい晩年を送ったようです。

以下、文法解説です。

歌詞の中で「いづこに尋ねん」「誰が為偲ばん」「誰が為支へん」とあるところには、いずれも意志の助動詞「ん」が用いられています。

口語訳としては、それぞれ「どこに尋ねようか」「誰のために偲ぼうか」「誰のために支えようか」となります。

ただこれらは、前後の意味を見ると、単純な疑問というより、「どこに尋ねるというのだろうか、どこにも尋ねるところはない」などという反語に解釈したほうが自然です。

週末のつぶやき 〜 芋煮会恋しや 〜 2014/09/13

9月の期末試験については、ひと山越えました。

もうふた山ありますが、体調に気を付けて乗り切っていきます。

さて、そろそろ芋煮会の季節となりました。

芋煮会はこういう仕事をしているせいもあってか、ここ10年以上やっていません。

宮仕えをしていたころは、よくやっていましたし、また学生のころは「芋煮会のメッカ」と化した広瀬側の牛越橋付近にて、バーベキューなどを兼ねてやっていたものでした。

芋煮会は、仙台風、山形風があることはよく知られています。(少なくても「芋煮会」を催すところでは)

前者は、味噌・豚肉を使い、後者は醤油・牛肉で味付けをします。

わたしは多賀城生まれ、多賀城育ちですが、山形風のほうが好きです。

山形風のいも煮を初めて食べたのは学生のときで、そのとき初めて山形風というものがあること、またそのうまさを知りました。

また、わたしの出身大学は県外からの人たちが多く、「芋煮会」を知らない人たちを目の当たりにして、正直、驚いたものでした。

当時は、これが至ってローカルなものだとは知らず、どこでも当たり前のようにやるものだと思っていましたので。

今年も芋煮会、できそうにありません.....(涙)

敬老の日に思う 2014/09/15

今日は敬老の日です。

国民の祝日に関する法律によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」というのが趣旨だそうです。

現在の日本をつくって下さった人生の先輩方に、改めて感謝します。

ありがとうございます。

今の高齢の方々の中には、いかがなものかと思うような人もいないわけではありませんが、日本の礎を築いた立役者であったという事実はいささかなりとも揺るぐことはありません。

以下はわたしの感想ですが、今の高齢者の方は、わたしが子供のころの高齢者に比べると、随分と若々しい人が多いなあと感じます。

医学が発達して、平均寿命が長くなったりしたことも要因の一つでしょう。

また自分が毎年確実に高齢者の方の年に近づいているのも、一つの原因かもしれません。(笑)

学習障害(LD)の生徒さんの指導について その1 2014/09/16

当方にはときどき学習障害(以下LDと記します)もしくはLDと思しき生徒さんを持つご家庭からの問い合わせがあります。

ここで「思しき」と申し上げたのは、しかるべき機関による調査でLDと判定されたわけではありませんが、お話を伺って「これはLDだろうな」と思えるケースがあるからです。

お問い合わせをなさるご父兄の中には、LDという言葉をご存じない方も多く、用語が「学習障害」であるため、わたしとしては、通常以上に慎重に対応しています。

わたしのところに問い合わせが来るLDの事案で、最も多いのは、算数・数学分野におけるそれです。

典型的な症例は次のようなものです。

(1)知能については問題ない

(2)文字の読み書き(国語)の能力についても、特段問題はない

(3)3+5=8、8×3=24などの計算に関しても問題はない

(4)しかし計算を使う文章題になると、全くお手上げ状態、もしくは全く要領を得ない回答をする

(次回に続きます)

学習障害(LD)の生徒さんの指導について その2 2014/09/17

(前回の続きです)

具体的には次のようなものです。

(問1) いま1,000円持っています。800円のものを買いました。お釣りはいくらでしょう?

(LD生徒さんの回答) 1000+800=1800 答えは1,800円

(問2) いま、ケーキが10個あります。5人に同じ数ずつ分けたら、ケーキは何個になるでしょう?

(LD生徒さんの回答) 10+5=15 答えは15個

彼らに文章を音読してもらうと、しっかりと読みます。

ただ頭の中でその文章を数学的に組み立てる際、著しい困難を伴うようです。

彼らにどうしてそういう答えをしたのか尋ねると、深い考えはなくて、「とりあえず文章にある数字を出た順に足してみた」ということです。

わたしとしては、上述のような生徒さんからの引き合いがあった際、基本的に以下のように対応しています。

(1)専門機関でLDと診断された生徒さんの場合、事情をよく伺い、当方の方針をご理解いただいた上でお引き受けをする

(2)LDと診断されていないが、LDと思しき生徒さんの場合、まず専門機関における受診を勧め、原則お引き受けしない

以上のようにしている理由は2つあります。

(次回に続きます)

学習障害(LD)の生徒さんの指導について その3 2014/09/18

(前回の続きです)

まず第一に、わたしができることは「LDという現状を踏まえての受験指導」であり、「LDそれ自体への対処」ではないということです。

言い換えると、わたしができることは、当該生徒さんがどういうLDの症状なのかを専門家に判断してもらった上で、「では学校での日々の学習、もしくは高校などへの進学にどう対処したらいいか」ということであり、「LDそのものを改善すること」ではないからです。

第二番目として、「LDと思しき生徒さんの案件」の場合、非常に短期間で指導終了となることが多いからです。

LDの生徒さんの指導の場合、成果が目に見える形で現れることは大きな困難を伴います。

つまり成績を現状維持させることが精いっぱいで、「上げる」ようにするということは非常に難しいのです。

そのためちょっと指導をやってみて、「やっぱりダメだったか」となり、指導終了となることがこれまで何度かありました。

家庭教師派遣会社ならば、たとえ短期間ではあっても、契約を結ぶことができれば、会社の利益になります。

会社として、損はありません。

(次回に続きます)

学習障害(LD)の生徒さんの指導について その4 2014/09/19

(前回の続きです)

しかし、わたしのように主宰者自らが指導に当たるという体制を取っているところは、短期間で終了となってしまっては、経営の上で支障を来すことになります。

生徒さんを引き受ける場合は、生徒さんの指導不可日、わたしの予定、他の生徒さんの都合、移動の時間等をさまざまに調整しながら予定をひねり出します。

苦心惨憺して指導枠を作った結果が、すぐに「はい、やめます」となってしまっては、非常に困ってしまいます。

そうしたケースは多く小学生、特に低学年の生徒さんの場合に多いです。

またこうした生徒さんの場合、集中力の続かないことも多く、指導に一苦労します。

その一方で、中学生のLDの生徒さんの場合、多くがLDを踏まえたうえでの高校進学を考えています

そのため、こうした生徒さんは「勉強の苦手な生徒さん」という位置づけであり、指導に大きな支障はありません。

むしろこれまでの経験からすると、まじめに取り組む生徒さんが多く、わたしとしては大いに歓迎したいところです。

週末のつぶやき 〜 イジメラレっ子だった英語 2014/09/20

昨日、イギリスで歴史的な住民投票が行われました。

スコットランドがイギリスからの独立を巡って地域を二分した論争を広げ、結局、大英帝国にとどまることを選択しました。

ところで、我々が学んでいる(もしくは、学ばされた)英語は、今でこそ特権的な地位を得ていますが、元からそうだったわけではありません。

11世紀後半から、300年近くの間、英語は「支配者の言葉」ではなく、「支配される側の言葉」でした。

そのほかにも近隣から度重なる侵攻を受け、特に語彙の面では、フランス語、ラテン語、古代ギリシア語の影響を大きく受けました。

わたしは、英語のほかに、フランス語、ラテン語、古代ギリシア語を学んだ経験がありますが、(というより、学習継続中です)、これらを学んで感じるのは、フランス語では、英語の影響をあまり感じないのに対し、英語ではフランス語の影響を細部にわたって感じます。

ラテン語や古代ギリシア語は、古典語ですから、英語の影響はあるわけがないのですが.....

最初から、英語はジャイアン君だったのではなく、のび太君だった時期もあったということです。

参考までに書いてみました。

業務連絡 〜指導料に関するルール 「教育相談」についての取り扱い〜 2014/09/22

ご家庭におかれては、日頃よりご愛顧くださり、ありがとうございます。

さて、標記の件につき、現在担当しているご家庭より、ご子息の学習・指導等に係るご相談が寄せられることがございました。

この点につき、10月1日より以下のようなルールを設けることといたします。

1.「教育相談」は、なるべく指導時間内にお願いいたします。

2.指導時間以外に教育相談をご希望される場合は、別料金が発生いたします。

3.「別料金」の計算方法は、指導料の計算方法と同じとします。

4.指導時間以外の電話による「教育相談」は、15分以内でお願いします。

  それを超過する場合、2と同様に別料金が発生します。

5.メールによる教育相談には、簡易なもののみ承ります。

6.ご子息の「教育相談」とは、直接関係のないもの(例.料金体系に関するご質問、主宰者への苦情等)については、従来通り料金は発生しません。

ご家庭からの「教育相談」は、日々何らかの形でなされていますが、ほとんどはすぐに対処が可能です。

しかしかなり時間と労力を要するものもまれに発生することがあり、そうした際に明確な基準を出しておくべきと思い立ったからです。

わたしの仕事は、「成績を上げること」であり、「学習指導は成績を上げる一手段」です。

であるならば、「教育相談」も仕事の一部です。

よって、「教育相談」が指導時間以外に求められるならば、それに対してもしかるべき対価が支払われるべきと考えます。

皆様方のご理解をよろしくお願いいたします。

秋分の日に思う 〜ご先祖様への敬慕〜 2014/09/23

今日は国民の祝日、「秋分の日」です。

戦前は「秋季皇霊祭」という名称でしたが、現在はこの名称になっています。

今の時期、気温は高いですが、夏のような蒸し暑さはありません。

今日は、いまから家族と墓参に行きます。それから仕事です。

ご先祖様へのご供養、大切です。

「子供がなかなかいうことを聞いてくれない」「なかなか勉強しない」とお悩みのご父兄の皆様、一度しっかり生徒さんとともに墓参をして、ご先祖がどのような方であったのか、いかに子や孫のために尽くしてくださった人であったかをこの機会に生徒さんへ詳しくお話ししてみてはどうでしょう?

生徒さんは、この種のことにとても関心を持ちます。

そして自分の存在を再確認し、安心するのです。

どうでしょう?

試してみませんか?

弊サイトの閲覧について 〜生徒さんの閲覧もお願いいたします〜 2014/09/24

つい最近まで気がつかずにいたことがあります。

それは担当しているご家庭の生徒さんの多くが弊サイトを閲覧したことがないということです。

わたしが集客を媒体としてネットのみを用い、また依頼の決定をするのはご父兄であって生徒さんではないでしょうから、ご父兄は弊サイトをご覧になっています。

ところが、指導を受ける前に、このサイトを閲覧している生徒さんはグッと少なくなります。

わたしのサイトでは、プロフィール、指導に対する考え方といった文字情報のみならず、主宰者自身の近影を公開しています。

生徒さんにしてみれば、自分の親が依頼した家庭教師なる者がどういう人物か、不安なはずです。

そこで、わたしのプロフィールだけでも生徒さんに閲覧してもらえば、生徒さんの不安は若干なりとも少なくなるのではないでしょうか。

また指導をする上でも、不安が少しでもなくなっていれば、円滑に指導に入ることができます。

初回指導前には、生徒さんが弊サイトの閲覧をするよう、お取り計らいください。

家族が勉強を教えることの弊害 その1 2014/09/25

少し前の話になります。

新しい生徒さんを受け持つことになったとき、2件連続して同じようなことがありました。

いずれも、生徒さんからのご父兄からは「うちの子は集中力がなくて.....」という触れ込みで始まったものの、実際に指導してみると、集中力については全く問題がないのです。

またこちらの言うことにはしっかり耳を傾けてくれるという大変教えやすい生徒さんたちでした。

そこで指導が始まってしばらくたったころ、当該生徒さんとこのような会話がありました。

菊池: 実は指導の前に、君のお母さんからは「うちの子は集中力がなくて.....」って言われてたんですよ。 

 でも、実際やってみると、全然そんなことがなくて、安心しました。 

 お母さんは、なんで「集中力がない」っておっしゃったんでしょうね?

生徒さん: 自分は分からないところがあって、姉に聞いたりしたことがあったんですけど、姉から「こんなのも分かんないの〜?」って言われて、親からも同じように言われて..... 

それで、勉強が嫌になったというか、やる気がなくなったというか.....

(次回に続きます)

家族が勉強を教えることの弊害 その2 2014/09/26

(前回の続きです)

勉強が嫌になったり、やる気がなくなったりしたのは、ご家族のせいだけではないでしょう。

本人の意識の問題が一番大きいはずです。

しかし生徒さんが口にしたことは重要な問題を提起しています。

人は誰しもそうですが、判断基準となるのは自分です。

またこの場合ですと、「自分がその年齢だったときにどうだったか」です。

自分の子供の達成度が、その基準より著しく下回ると当然のことながら失望します。

ご父兄は、その生徒さんを育てるに当たって、その昔、おむつを替えたとか、急な発熱で病気に駆け込んだ.....などということを忘れずにいますから、生徒さんに対してきつい言葉を吐きがちになります。

また身内同士の無遠慮ということもあって、言葉は選ばないきらいがあります。

しかし言われたほうの生徒さんは腹にこたえます。

次回に続きます)

週末のつぶやき 〜 たまには気分転換も必要〜 2014/09/27

生徒さんの定期試験、高校生の対策がようやく終わりました。

さて、当方、8月になったころから、今まで以上に忙しくなりだし、時間に追われる日々を過ごしております。

しかし、それもこれも数多くのご家庭のご愛顧があってこそのことであり、こんなに幸せなことはございません。

そのような中で、余暇・息抜きの時間は、今までも満足にあったとはいえませんが、このごろは極端に少なくなっています。

生徒さんのキャンセル等で、フッと時間が空いたりすると、普段は「時間があったら、あれをやりたい。これをやりたい」と思っているのに、趣味をやるにも億劫になって、結局、たまったデスクワークを片付けて.....などとなったりしています。

これを書きながら、このままでは頭もスッキリしないし、疲労はたまるばかりだし、仕事の効率を考えると、気分転換を無理にでもしたほうがいいように思えてきました。

早速実行します!

.....って、できるか、どうか..... でも、やります!(笑)

家族が勉強を教えることの弊害 その3 2014/09/29

前回の続きです

「なんで試験前なのに勉強しないの?」というのは、生徒さん本人にも責任があることなのでOKですが、「何度こんな問題も解けないの?」というのは、生徒さんの人格を否定する言葉であり、家族の間でも決して口にしてはならないことです。

否、むしろ家族から言われると、余計にグッサリ来るものなのです。

ちなみに件の生徒さんたちは、両名とも「先生(=菊池のこと)に教えてもらったほうが、気が楽」と語っていました。

以上は教える側のご父兄等のことですが、教わる方の生徒さんの側にも問題がないとは言えません。

というのも、小さいころであれば、親は絶対的な存在ですから、程度の差はあれ、「親の言うことを聞く」前提があります。

しかし年齢が進むにつれ、子供は成長し、体力面などでは親を上回るようになります。

そうなると親は必ずしも絶対的な存在ではなくなります。

そして生徒さんが親から勉強を教わるときには、なれ合いが出てきて、緊張感が薄れてしまいます。

上記のことから、家族が生徒さんに勉強を教えるときは、言葉に慎重であるべきです。

(次回に続きます)

家族が勉強を教えることの弊害 その4 2014/09/30

(前回の続きです)

余談ですが、この「なんでこんな問題も解けないの?」に関し、一点付け加えておきます。

世にある家庭教師派遣業を営む会社は、派遣する家庭教師に対し、「みっちり講習している」ことを謳っていますが、実際は「べからず集」のような冊子を配布して、総花的な心構えを説いているのがせいぜいです。

そういう「しているような、していないような講習」ですら、「なんでこんな問題も解けないの?」などと生徒さんに言うのは禁句中の禁句であると繰り返し「講習」されます。

であるなら、その言葉は、家族と言えども、発していい道理はありません。

世には「餅は餅屋」という言葉があります。

であるならば、何らかの点で専門的知識のある方ならばともかく、子息の勉強を教えるというのは、避けたほうが無難です。

むしろ勉強以外に、親にしかできないサポートはたくさんあり、そちらをしっかりとやっていただきたいと思います。

お問合せ・ご相談はこちら

受付時間
15:00~20:00
定休日
日曜日

ご不明点などございましたら、
お電話もしくはお問合せフォームよりお気軽にご相談ください。

お気軽にお問合せください

メール・お電話でのお問合せ

022-797-6500

<電話での受付>
15:00~20:00
※日曜日は除く

ごあいさつ

002-100-132.jpg

塾長の菊池です。
「受かってほしい アナタには」が菊池特訓塾のスローガンです。「勤勉と競争」を重視しています。

菊池特訓塾

住所

〒980-0011
仙台市青葉区上杉3-3-17長田ビル4階

電話受付時間

15:00~20:00

定休日

日曜日