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過日指導中に、「先生(=菊池のこと)、受験が迫ってきたので、『効率のいい勉強法』って、どういうのがありますか?」という質問を生徒さんから受けました。
「効率のよい勉強」というのは、なかなか定義することが難しいです。
これまで、勉強法の指導については、「こうしてはいけない。その代わり、こういう方法のほうがより効果がある」というふうに説くことが多かったように思います。
そこで今回は、「効率の悪い勉強法」として「とりあえずしてはいけない」という勉強法を3つほど選んで書きます。
1.教科書のまとめノートを作り直す
教科書から抜き出した重要事項をきれいにまとめ直している生徒さんがときどきいます。
これをやるのは女子に多く、効率としては非常に悪い勉強法です。
「効率が悪い」という根拠はいくつかありますが、最大のものは「まとめノート」を作るだけで、勉強が終わってしまっている場合が非常に多いことが挙げられます。
「要点のまとめ」は、それこそ問題集や学校より配布されているワーク、傍用問題集などにうんざりするほどたくさん掲載されています。
さらに学校で板書される内容も、その時点で非常に立派な「まとめノート」であるはずです。
必要なのは、「まとめノート」を作ることではなく、書いてある内容を繰り返し読み込むことです。
そしてどうしても覚えられない内容は、すでに用意されているものに自ら加筆して、記憶の際の助けにすることです。
今年仙台二高に合格したAさんは、手のひらサイズのノートに、どうしても覚えられないものを走り書きして、休み時間や勉強の合間に、折に触れて見ていたそうです。
そうしてこそ効果が上がるというものです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
2.「分かった」と思うだけ
分からなかった問題を、教師に聞くなり、問題集などの模範解答を見て「分かった」と思い、それ以後、何のフォローもしない、というのは効果が悪い勉強法の典型です。
例えば、こういう過程をたどっている生徒さんをよく見かけます。
ちょっと考えて分からない、あるいは面倒なのでほとんど考えずに「分からない」と判断する。
→問題集の模範解答を見たり、先生に質問したりして「分かった」と思う。
→「分かった」と思うだけで、ほんとうに分かったのかどうか、自分でフォロー作業をしない。
→そうこうして、同型の問題に遭遇する。
→「どこかで見たような気がするな〜」と記憶をたどるも、当然のことながら解けない。
→前回同様に問題集の模範解答を見たり、先生に質問したりして「分かった」と思う。
→「前にやったことあるな〜」と思う。思うだけ。
→そうこうして、同型の問題に遭遇する。
(以下、ループ)
ここで必要なのは、「ほんとうにやったことが身についているか」ということを、常に自問自答するということです。
自らペンをとって解く作業をしなければ、いつまでたっても身に付きません。
「常にアウトプットが必要」であることを自覚しましょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
3.1科目だけ集中的に勉強
自分の気が向く科目だけ、しかも1科目だけをひたすらやり続けるというのは、効率の悪い勉強法です。
今、「やり続ける」と書きましたが、正確にいうと、このような生徒さんは「とりあえず勉強しました」というアリバイ作りのため、ほんの申し訳程度に、しかも1科目のみをやる、という生徒さんが多いように見えます。
とにかく勉強をやるふりをすれば、親や家庭教師に「やってないわけではない」と言い訳ができます。
しかしそういっている当人が「ほんとうはしっかりやってないんだ」ということをいちばん自覚していたりします。
当たり前の話ですが、各種試験は1科目だけということはありません。
複数科目の総合得点で順位が決まります。
しかし、このことを自覚していない生徒さんが実に多いことに気づきます。
時間配分については英語・数学のような科目と、理科・社会のようなものとでは学習すべき量が違うというのは当然です。
とはいえ、少しでもいいから、複数科目の学習を心掛けるべきです。
要するに結果の出る学習をしなくてはならず、勉強することが自己目的化しないようにしていってほしいところです。
9月の試験の結果が出てきました。
上がった生徒さん、不本意な結果に終わってしまった生徒さん、いろいろです。
先ごろ告知した「対抗バトル」については、毎月10日から月中を目途に発表していく予定です。
果たしてどんな結果になるやら.....
生徒さんへは「対抗バトル」の要領を改めて指導の際に伝えています。
弊コラムを読んで知っていた人もいれば、ご父兄から言われた生徒さん、知らなかった生徒さんもいます。
その際、生徒さんの興味対象の関心は「豪華賞品」がどのようなものか、ということでした。
そのようなわけで、過日の指導における生徒さんとの会話です。
菊池: これこれ、こういうわけで、「対抗バトル」をします。入賞者には「豪華賞品」をプレゼントしますよ。
生徒さん: 「豪華賞品」って何ですか?
菊池: お菓子をプレゼントしようと思ってます。
生徒さん: お菓子ですか!? お菓子の詰め合わせかなんか?
菊池: いや、そんな大層なものでもありませんよ。一人当たり、100円〜200円の間のものですね。
生徒さん: そうなんですか。じゃあ、わたし、いりません。
菊池: 「いりません」って、まだ入賞したと決まったわけではないでしょ。仮に入賞したとしたら、賞品は辞退するっていうことでいいんですね。
生徒さん: やっぱり、いります。
菊池: な〜んだ。何だかんだ言ってほしいんじゃないんですか。
生徒さん: 賞品ってお菓子の銘柄は指定できるんですか?
菊池: わたしが決めます。
生徒さん: わたし「ばかうけ」がいい。
菊池: まあ、入賞したら、その暁に考えてあげましょう。
生徒さん: 先生、入賞したら「ばかうけ」ですよ。
「豪華賞品」については、想像している以上に生徒さんの関心が高いような気がします。
わたしにしてみれば、生徒さんの成績が上がればOKなので、どれだけ志気が高められるか、今から楽しみです。
生徒さんに接していると、中学生の多くが何らかの志望校を口にします。
小学生の場合、具体的な高校名の出ることは少ないですが、それでも、ハッキリ言う生徒さんは言います。
多くの場合、自分の住居の近くにあるとか、親の希望だったり、兄姉・親戚などが通っていたりと、何らかの形で自分と接点のあるところが多いです。
人気というのは偏る傾向があります。
仙台圏にはそうした人気のある学校が集中しています。
そのため、仙台近辺における高校入試の段階では3人に1人が公立高校不合格となっているという「向き合いたくない現実」があります。
その証拠が次の数字です。
<平成27年度後期選抜>
中部南地区 (定員)2,310名 (志願者)3,281名 倍率1.42倍
中部北地区 (定員)3,158名 (志願者)4,665名 倍率1.48倍
ここでいう「中部南地区」は名取・亘理・仙台南地区(昔の「仙台南学区」)、「中部北地区」は多賀城・塩竈・宮城郡・黒川郡・仙台北地区(昔の「仙台北学区」)を指します。
いずれも、100名の定員に対して、150名弱の志願者があるわけです。
学校ごとに倍率は違いますが、単純計算で3人に1人は不合格になっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
これが別の地区だと以下の通りです。
2例を挙げます。
南部地区(白石・柴田・伊具)(定員)1,100名 (志願者)1,064名 倍率0.97倍
北部地区(古川・遠田・志田)(定員)1,106名 (志願者)1,012名 倍率0.92倍
つまり、仙台圏の厳しさが突出しているわけです。
仙台圏の生徒さんが、競争の厳しくない他地域に行くということも、選択肢ではあります。
しかし、通学の便などを考えると、他地域から仙台に来る生徒さんはいても、仙台から他方に行くというのは、躊躇(ちゅうちょ)してしまうという方が多いのではないでしょうか。
恋愛対象の人気が、顔のきれいな人たちへ集中するように(こうした傾向は、わたしにとっても癪(しゃく)の種ではありましたが)、高校の人気もまたしかりです。
ところが、上記のような現実を知らず、無邪気に「志望校」を語る生徒さんの多いことには、複雑なものを感じます。
またこのコラムをお読みのご父兄のように、意識の高い方は当てはまりませんが、ご父兄の中にもそのような「現実」を踏まえず、受験間近になって慌て出す、という方がいらっしゃるようです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
以上は、先般見られた国会審議における「日本が、ある外国から武力攻撃を受けた場合.....」というような、仮定・仮想の話ではありません。
現実に毎年起きていることです。
よって、生徒さんはほんとうに、自分の「志望校」に入りたいのであれば、しっかりと現状を踏まえて、「志望校」を語るべきです。
受験は競争ですから、ライバルがいます。
志望校への入学は、そのライバルを追い落として実現するものです。
ライバルに先んずるためには、自分なりに努力して実力を蓄える以外に術はありません。
もちろん、ダメモトで、「挑戦することに意義がある」と考えるのであれば、話は別です。
それはそれで人生の勉強にはなります。
しかし、現状を知らず、それに対応する勉強をするわけでもなく、行き当たりばったりで受験に臨むのは、いかにも危険です。
不合格となった場合に受ける精神的衝撃が大きすぎます。
下手をすると、一生引きずる人もいるくらいです。
ゆえに、受験をするときには、現状を踏まえ、できる限りのことをすべきです。
すべては生徒さん自身に降りかかってきます。
すでに報道されている通り、大野博士・梶田博士のノーベル賞受賞が決まりました。
心からお祝い申し上げます。
2日連続での受賞発表は大変気分のいいものです。
ノーベル賞受賞者は、すでにその世界では「超有名人」であることがほとんどで、その道に詳しくない人にとっては突然降ってわいたような話になるものです。
わたしにとっても、理系の話は「その道に詳しくない人」の一人であり、受賞決定してから初めてお名前と業績を認識しました。
今回の受賞者の中では、大野博士の業績・人柄に接し、いたく感じるところがありました。
まず、大野博士は、研究者として異色中の異色で、決してエリートではなかったということでした。
定時制の高校で教員経験を積み、通ってくる生徒から刺激を受けて、研究者の道に本格的に乗り出す、などというのは、これまでのノーベル賞受賞者の中で聞いたことがありません。
そういうハンディキャップを背負って、ああいうアカデミックな世界で生きていくのは、それだけで大変なのです。
しかしそれをものともせず、実際に結果を出し、ノーベル賞受賞までにこぎつけたのは、ほんとうにご苦労が多かったのだろうと思います。
わたしごときが「ご苦労が多かった.....」などというのも、失礼な話ではありますが.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、大野博士は、一言で申し上げて「謙虚の塊」です。
受賞すべくしてしたと断言できます。
偉いのは自分ではなく微生物、自分なんかが賞をいただいていいのか、受賞報告はまず亡妻に、特許を放棄等々.....
常人では言えることではないし、やれることでもありません。
ただひたすらに頭が下がります。
確かに、効果のある微生物を発見できたのは、「運」ではあったでしょう。
どの研究者も神経をすり減らして仕事に取り組んでいるには変わりないでしょう。
ところが、真に実力のある人ほど、そういう言い方をするんですよね。
そしておごらず、周りの人への感謝の気持ちを常に忘れない....
.翻って、このわたしですが、「仕事に対して謙虚であるべき」というのを、今更ながら学んだような気がします。
「仕事に対して謙虚」というのは、どういうことか、この仕事の場合は、定義が難しいです。
わたしができることは、独善に陥ることなく、ご父兄や生徒さんにとって何が最もいいことなのかを考えて、指導に当たるようにしていきます。
とにかく、今回の受賞は気持ちがいいです。
仙台・富谷など、二期制をとる中学校では、先に行われた期末試験の順位が出始めています。
塩竈・多賀城など三期制をとる学校は、ちょうど今頃が試験の季節となっています。
中1生は、これまで多くの学校で、1学期中間試験、夏休み明けの実力試験、1学期期末試験という具合に3回の試験を経ています。
これらの試験回数を重ねるたび、子息の成績が悪くなり、心配するご父兄が多いようです。
ここで、「成績が悪くなる」と書きましたが、この場合の「成績」は、多くの場合「点数」のことであり、「順位」ではありません。
なぜ順位より点数のほうで判断しがちになるかと言えば、試験は返ってくると点数がまず示されるからです。
順位は試験終了後にかなりほとぼりが冷めてから提示されるのが普通で、どうしても関心が低くなってしまうのでしょう。
この「点数」が悪くなり、「順位」のほうが、さほど変わらないとなれば、「成績は下がっていない」と判断してよいでしょう。
事実、特に中1生において、試験の回数を重ねるたび、点数が悪くなるのは、「よくあること」だからです。
実例を示しましょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
現在中3生のA君が中1生のときの平均点の推移は5教科500点満点で以下の通りです。
(1学期中間)370点→(1学期期末)341点→(2学期中間)335点→(2学期期末)311点
同じく、中3生B君の中1生時の平均点は以下のように推移しています。
(1学期中間)353点→(1学期期末)312点→(2学期中間)300点→(2学期期末)284点
1年間で平均点が60点近く下がっています。
他にも多くの例がありますが、傾向はおしなべて同じです。
なぜそうなるのかと言えば、理由は単純で、学習内容が難しくなるからです。
特に英語において、その傾向が強く出ます。
英語は1年の中間試験時、ヨーイドンで全員が同じところから出発します。
しかしスタート時点ですでに大きな差がついてしまっており、上位の生徒さんと下位の生徒さんではすでに埋めがたいほどです。
よって、点数が試験のたびに下がっていくのは、「よくあること」であるというのは分かっていただけましたでしょうか。
しかし、上から数えて一桁、あるいは下から数えて一桁というような生徒さんの場合、点数は大きく変わりません。
試験の結果が「ほんとうに下がっているか」は、「点数」ではなく、「順位」でご判断ください。
去る9月13日に実施された、中学3年生のみやぎ模試の結果が返ってきています。
結果については、各自に示されたとおりです。
出題された問題をしっかり解き直し、自らのものとすべく努力してほしいと思います。
みやぎ模試に出てきた問題は、入試の予想問題としてはよくできています。
これから数学・英語が佳境に入る中で、「まず、出た問題はしっかり解けるようにしておく」というのが入試の常道です。
そのような中、ある生徒さんのご父兄から次のようなお尋ねがありました。
多くの方にもかかわって来ることですので、この場を借りて申し上げることにいたします。
質問の内容はあらまし以下の通りです。
〜前回8月に比べて、偏差値が60→62と、2ポイント上昇している。
その一方で、受験生は前回8月比で7,279人→6,304人と、975人減少している。
そうした中での偏差値アップは額面通りに受け取っていいものか.....
これに対して、結論を申し上げれば、受験生の多寡を考慮しても、成績は「上がっている」と判断できます。
8月に比べ、9月の受験者が減る傾向は、昨年(1,324人減)、一昨年(1,952人減)のように、よくある流れです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
8月に比して、9月がこれほど減ってしまう理由はいろいろあるでしょう。
以下2点挙げます。
まず、塾が8月の夏期講習にみやぎ模試の受験をセットメニューとして組み込んでいるため受験生が多くなることです。
第2点目に、模試が実施された9月13日の週には仙台など二期制の学校で期末試験が実施され、「試験疲れ」を嫌う受験生が多かったと推測されることです。
受験者が減少する中で、当該生徒さんの成績が変わらなかったなら、偏差値は「下がる」ことになります。
理由は、「少数精鋭」になって、意識の高い受験生が9月の模試を受けた、ということになるからです。
偏差値というのは、試験を受ける母集団を基にして決定されます。
それゆえ、同じ「偏差値50」でも、例えば東京の名門である開成高校の「校内試験の偏差値50」と、仙台二高の「校内試験の偏差値50」では、訳が違います。
それが、このみやぎ模試に関しても当てはまります。
そうした中で「偏差値が上がった」ということは、「成績向上が見られている」と判断してよいでしょう。
問題が易しかったか、難しかったかは、偏差値自体に影響はありません。
受験生の裾野が広がる、すなわち受験生が多くなればなるほど、偏差値は「甘く」なり、少数精鋭になるほど、偏差値は「辛く」出ます。
以上を念頭に置きながら、正しい分析を心掛けてください。
しばらく前、生徒さんの指導をしていて、このようなことを言われたことがありました。
〜課題で模試や定期テストの過去問、繰り返し解いていますが、過去問って解いてると楽しいですね。
前にできなかったところができるようになっているんで、自分の力が伸びてるような感じがしてうれしいです。
そうですか.....
「楽しい」ですか.....
そうですか.....
すばらしい!
すばらしいです。
勉強は文字通り、本来の意味は「勉め強いる」というもので、中国語では、今も「無理強いする」という意味にしか使いません。
それなのに「楽しい」とは.....
わたし自身、現役学生のころ、過去問を解いていたときには、前に解けなかった問題が解けるようになったとしても、それは自分にとって当たり前のことであり、何ら感動を伴うことはありませんでした。
むしろ解けなかったりすると、イライラして、己の物覚えの悪さを嘆き悲しんでいたものでした。
そういう意味で、過去問を解いていて「楽しい」と感じるという生徒さんの感覚は、うらやましいことです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
これについて、何人かの生徒さんに尋ねてみました。
すると、「あ〜、そう感じるの、何となくその人の気持ち、分かります。できるようになってるって、結構楽しいですよ」という答えが複数の生徒さんから返ってきました。
これまた意外な答えでした。
そしてそう答えた生徒さんの成績は、確実に上昇していました。
何年たっても、分からないことはあるものだとつくづく思います。
生徒さんは「まずは分かりたがっている。問題がスラスラ解けるようになりたいと考えている」というのは、頭では分かっていたつもりでした。
しかし、過去問を解くことが楽しいと感じた経験がなかったため、そうした生徒さんがいる、という視点はありませんでした。
今回の生徒さんの発言で得たものは、同じ問題を繰り返し解くというのは、今さらながら効果があるということです。
後は、繰り返しの作業のみに陥ることなく、ときには過去問から改題を作って生徒さんに解いてもらったり、また選択問題などで「なぜその答えが間違いなのか」ということをしっかり説明させる、ということも、重要であるということです。
何はともあれ、「楽しい」と感じるというのは、すばらしいことです。
「学びて時に之を習う、また楽しからずや」.....孔子様のおっしゃることに嘘はないようです。
以前に弊コラムでご案内いたしました、生徒さん同士の対抗バトルの入賞者を以下のように発表いたします。
(校内実力試験の部) 宮城野区 中学1年 W.Sくん 改善率12.54ポイント
(模擬試験の部) 富谷町 中学3年 T.Sくん 改善率 9.09ポイント
(敢闘賞) 若林区 中学2年 Y.Kくん
「定期考査の部」に関する表彰も予定していましたが、実施日が二期制をとるところ、三期制をとるところでずれていますので、来月に持ち越して表彰します。
「校内実力試験の部」の受賞を果たしたW.Sくんは、いま非常に伸び盛りにある生徒さんです。
指導中は熱心に取り組み、このごろは自分の行きたい高校に関する関心がとても高くなっています。
過日の指導では、そのことで質問攻めにあい、志気の高さを感じました。
「模擬試験の部」の受賞を果たしたT.Sくんは、コツコツと努力するタイプです。
課題をひとつひとつ丁寧にこなします。
このごろは、指導中の質問も多くなってきました。
伸びている証拠です。
「敢闘賞」を授与したY.Kくんは、中学入学以来、長期にわたって学年1位を守ってきました。
Y.Kくんのような生徒さんですと、どうしても「表彰基準」には漏れてしまいます。
そこで、「敢闘賞」を授与し、その努力をたたえます。
来月は上記に、「定期試験の部」を追加します。
もちろん、副賞として「豪華景品!?」をプレゼントします。
乞うご期待!
宮城・仙台における高校受験において、当該生徒さんの実力を図る上で、最も広く用いられているのが「みやぎ模試」です。
この模試の向こうを張ろうと、近年、仙台進学プラザという塾のグループ企業が「合格ナビ模試」を無料で主催しています。
今年は第3回目の「合格ナビ模試」が、11月23日(月・祝)に、中1〜中3生を対象に行われます。
意識の高い受験生は両方を受験しているようですが、その際、「合格ナビ模試とみやぎ模試で判定基準が違っているので、どちらを信じたらいいのか.....」という声をときどき耳にします。
どちらもよい結果が出ていればいいのですが、問題は片方が思いのほか奮わなかったりした場合です。
ことにも中3生は時節柄ナーバスになりがちです。
以下、みやぎ模試と合格ナビ模試における数字の相関関係を3点述べます。
1.一般的に、(みやぎ模試の偏差値)>(合格ナビ模試の偏差値)となる。したがって、合格ナビ模試は偏差値が「辛く」出る傾向にある。
2.みやぎ模試と合格ナビ模試を受けた時点で、実力がほぼ同じだったとすると、「(みやぎ模試偏差値)=(合格ナビ模試の偏差値)+3」となる。
3.合否判定基準の評定「S・A・B・C・D」も、合格ナビ模試が「辛く」出る。
上記のプラス3という数字は、わたしの職業的な勘、経験値によるものです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
なぜそうなるかと申しますと、理由は2点あります。
第1点目は、受験者数です。
みやぎ模試のほうが、合格ナビ模試より、圧倒的に受ける人数が多いです。
参考までに中学3年における昨年度の数字は以下の通りです。
(合格ナビ模試)11月25日実施 2,272名
(みやぎ模試)12月7日実施 9,955名
中学2年の数字は次の通りです。
(合格ナビ模試)2月22日実施 798名
(みやぎ模試)1月12日実施 3,328名
受験者数において、みやぎ模試は合格ナビ模試の約4倍あることが分かります。
よって、合格ナビ模試は少数精鋭、すなわち、「意識の高い受験生が受けている」となり、偏差値や判定が辛く出る仕組みです。
また、合格ナビ模試は、特に数学が難しいと感じます。
実際、中学2年の生徒さんが2月22日に受けた数学の点数は35点で、偏差値が55でした。
このときの平均点が、20点前後だと記憶しているので、わたしの目から見ても、「これではあまりにも.....」と感じてしまいます。
受験生ならばなおさらでしょう。
わたしの感想では、みやぎ模試がより、入試の実態に近いと言えます。
合格ナビ模試については、再考の余地がありそうです。
先日、指導中にあった生徒さんとの会話です。
生徒さん: 先生(=菊池のこと)、見てください! 成績上がりました!
菊池: そうですか。それは頑張りましたね。どれどれ..... 英語が随分上がってますね。
生徒さん: そうなんです。英語、上がりました。親からも褒められました。
菊池: それはよかったです。
生徒さん: それでですね、今回英語が上がった勉強の中で、いちばん効いたのが英文の書き写しだと思うんですよ。
菊池: 書き写しですか.....
生徒さん: そうです。いつも課題に出されているやつです。先生からは、やるようにって言われてて、正直、こんなことして上がるのかと思ってましたが、どういう問題集をやったよりも効果があったような気がします。何というか、試験の問題を読んでると、日本語を見てて、英語が自然と浮かんでくるんですよ。このとき、「今回はもらった」と思って.....そしたらやりましたよ(満面の笑顔)
この生徒さんの英語の成績が上がったのは、これだけではないでしょうが、ここで改めて英文の書き写しの効用について述べることにします。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしは、英語を教えている生徒さんのほとんどに、英文の音読と、書き写しをしっかりやるよう指導しています。
英文の書き写しというのは、文字通り、写経よろしく、英文をそのままノートに書き写す、というものです。
量的には中学生であれば、教科書の1ページ分くらいの英文、高校生であれば、5〜10分くらいで書き終える程度の量を、毎日書き写すというものです。
「毎日」というところがミソです。
その際、書き写す英文を声に出しながらやると、余計に効果があります。
「こんなことで力がつくのか.....」と、いぶかしがる方がいらっしゃることでしょうが、「英文 書き写し 効用」などとキーワードを入力して検索すると、かなりのものがヒットします。
ただ英語の学習としては、こればかりやっているのも食傷気味になってしまうし、また問題演習も必要でしょう。
「量を決めてやる」というのが大切になってきます。
これは、即効性のある勉強法ではありません。
少なくても3か月程度は続ける必要があります。
事実、今回話題にした生徒さんの場合、書き写しから6か月目にして「英文書き写しは効果があった」と実感するようになったわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この勉強法はほとんどの場合、効果がありますが、効果が出るまでに時間がかかってしまうということ、そして英語自体がほとんど読めないという生徒さんには効果が薄いということが欠点です。
まれに「英語自体がほとんど読めない」という生徒さんの指導に当たることがあります。
英語の試験は読めなければ、まず文字通りお話になりません。
そうした生徒さんを指導する際、特に受験が迫ってくると、そういう生徒さんの場合は、英語の指導それ自体を切ってしまい、他の「少しでも何とかなりそうな」教科の学習にエネルギーを移してしまうことが多いです。
やってみると分かりますが、英文を写すこと自体は、教科書1ページ、5〜10分くらいの作業量であれば、さほどの忍耐力を必要としません。
同じ単語を繰り返し写すだけだと、やっている途中に飽きてしまいますが、意味のある英文を写すのは、それほど苦になりません。
比較的お手軽にやれるということも、この学習法の魅力の一つです。
ただし、長い期間やることです。「英語は何をどう勉強したらいいか.....」という方、まずはやってみるといいでしょう。
中学生の生徒さんのうち、何人かが今月に合唱コンクールを控えています。
昨年までは年度の前半にやるところが多かったように記憶していますが、学校のほうにもいろいろと都合があるのでしょう。
この合唱コンクールは、クラスごとに行われ、きちんとしたホールを借り切って行う大々的なものです。
さて、この合唱コンクールですが、何人かの女子生徒さんからこのところ、苦情を聞かされています。
内容は同じもので、「男子が歌おうとしない」「男子がコンクールの結束を乱している」というものです。
学校の先生方も、歌おうとしない男子にはお冠で、「ちゃんと歌え!」だのと日々声を荒らげているようです。
合唱コンクールで男子が歌わないというのは、たぶんどこでも似たようなものでしょう。
彼らはカラオケならば、マイクを握って離さないはずなのに、合唱となると、どうも気恥ずかしさが伴ってしまいます。
合唱コンクールは、単に音楽のイベントというだけでなく、クラスの結束を高める目的もあるでしょう。
だとするならば、わたしのような外部の者から見ると、そこまでして嫌がる人がいて、気恥ずかしさの伴うものを年中行事にしないでもよいのではなかろうか、と思ったりもします。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
クラスの団結を目標とするならば、なぜそれが野外活動であったり、合唱コンクールであったり、運動会であったりと、実技科目がらみだけしか発想がないものでしょうか。
教科は実技科目だけでなく、いわゆるお勉強の教科もあるはずなのに.....
なんなら、定期試験ごとにクラスの平均点を競い合って、一番になったクラスを大々的に表彰する。
そして優勝したクラスには賞品を出す、などということがあってもいいように思います。
もちろんそれにはデメリットもあるでしょう。
ビリになったところは「バカクラス」とか言われて、他クラスからバカにされる.....
過度の受験競争は正常な学級運営を妨げる....
であるならば、運動会や合唱コンクールで優劣をつけることはいいのでしょうか、ということにもなります。
学校は学校で、なんとか学習能力のレベルアップを図るべく、いろいろと知恵を絞っています。
始業前のわずかな時間を「朝自習」「朝読書」と称して、自習させたり、読書をさせる等々。
その取り組みは当然、あるべきことです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
しかしそれ以上に、きちんと努力し、結果を出した生徒さんには、しかるべき名誉が与えられるべきです。
誰が今回の試験で校内トップなのか、といったことも「個人情報」とやらで、皆に知らしめる、ということができないならば、学級ごとに平均点で競うのは、「個人情報」でもないし、許されることでしょう。
もしこのコラムをお読みの中で、学習における志気向上に悩んでいる教員の方がいらっしゃれば、ヒントにしていただければ幸いです。
やれない理由はいくらでもあるでしょうが、要は先生方が「その気」になって下さるかどうかがまず第一関門です。
わたしがなぜこのようなことを書いているかというと、生徒さんの「対抗バトル」における表彰をしていて、とにかく「生徒さんは勉強のことで褒められなさすぎる」ということを実感するからです。
生徒さんがしかるべき努力をして、結果を出したなら、それはきちんと報いなければなりません。
しかも生徒さん自身が気恥ずかしくなるくらい、大げさにやったほうがいいと、つくづく感じます。
そういうわけで、わたしは「対抗バトル」を今後も継続し、努力をした生徒さんは、心を込めて、しかも大々的に表彰します!
今週1週間は、わたしの大腸の再手術に伴う通院・検査が続きました。
その日程と重なったり、また疲れもあってか、体調を崩してしまって、予定をきっちりこなせず、担当のご家庭にはご迷惑をおかけしてしまいました。
申し訳なく思っております。
現在、ある総合病院にかかっており、通院・検査の日程は事前に担当医と打ち合わせて決定されます。
その際、非常に困っているのは、とにかく決めた時間が全くそのとおりになっておらず、2時間ずれることは普通で、3〜4時間遅れてしまうこともたびたびです。
病院の受付をしてから、支払いが終わるまで、何時に終わるか、全然予定が立てられません。
「3時間待って、診察は3分」などという話はよく聞いていましたが、ほんとうにそうなので、びっくりしてしまいます。
それならば、最初から「可能な時刻」を指定してくればいいのですが、「設定された時刻」より遅れて受け付けてしまうと、どんどん後回しにされてしまいます。
年金生活をなさっていて毎日が日曜日という方ならば、それでもいいのでしょうが、「月月火水木金金」を地で行く生活をしているわたしのような者にとっては、ほんとうに困ります。
苦情の一つも言いたくなりますが、緊急入院をし、命を盾に取られていますから、そういうわけにもいきません。
ちなみに、わたしが毎度毎度、指導の際に、3時間遅れて行ったら、すぐに首になってしまうでしょう。
これからも時間厳守で行きます。
「時は金なり」
先日、こんなことがありました。ある中学で8月に実施された実力試験の結果が、生徒さんのところへ返って来ました。
その際、点数は分かったのですが、席次が分かりません。
そこで、自分がどのような順位なのか、今後の指導のこともあり、担任の先生に尋ねてくるように生徒さんに依頼しました。
そしたら、その生徒さんは、担任の先生から、情報開示を拒否されたそうです。
理由はこういうことです。
「自分はこの学校に今年赴任したばかりである。よってそういう情報を生徒に開示していいものかどうか知らない。よって教えることはできない」
開いた口がふさがりませんでした。
試験が終わると、順位が成績表に付されてくる学校、そうでない学校、いろいろあります。
それはその学校の考え方でいいのですが、自分の順位を教えてくれと言えば、どの学校もすぐに教えてくれます。
わたしは生徒さんの成績の管理表を、指導の際には常に携帯しているため、点数のみならず、順位は大切です。
しかし、自分の情報開示を断られたという話は聞いたことがありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
何もその生徒さんは、他人の成績を教えてくれと言ったわけではありません。
自分の成績を教えてくれといっただけです。
担任の先生も、いかにもお役所的というか、面倒なことがイヤなんでしょう。
自分で判断できないというのもおかしな話ですが、分からないなら、校長なり、教頭なりにちょっと確認すれば、すぐに済む話ではありませんか。
せっかく、自分の生徒が殊勝にも、自分の学習に役立て立てるべく、席次を聞いてきたのに.....
なぜ当該先生は、木で鼻をくくったような対応をしたのでしょうか。
自分の順番を知るというのは、学習において、基本の基本であるはずなのに.....
確認するのも面倒だし、そういう手間をとったところで、自分の給料が上がるわけでもなし、また文句を言われたところで首になるわけでもなし、生徒一人の成績なんて、どうでもいいっていうこと?????と勘繰りたくもなります。
第一、点数だけを伝えて、なぜ順位を最初から成績表に書かない学校があるのでしょう?
もし、このコラムをご覧の学校の先生がいらっしゃったら、こういう対応が、多くのご家庭を受験産業に向かわせているということをご理解いただきたいと思います。
そうなれば、そうなったで、こちらとしては、懐が温まりますから、文句は言えないのかもしれませんが.....(苦笑)
過日、指導の際に、ある生徒さんから以下のような悩みを聞きました。
〜自分は菊池に言われるように、受験対策として過去問を繰り返し解いているが、もし、入試に過去問には全く出てこないような問題が出てきたら、どうするのか、非常に心配である。
「う〜ん、なるほど」と思いました。
これについては、わたしが高校生のころに使った参考書のことを思い出します。
わたしは高校生のころ、単語集として「試験に出る英単語」(通称「出る単」)を使っていました。
その中に、受験生からの手紙として、次のような趣旨のことがありました。
いわく、「『試験に出る単語』は、ベストセラーとなったが、それゆえに、大学入試において、大学側が『試験に出る単語』を研究し尽くして、掲載してある単語を出さないようにするのではないか」と。
それに対する筆者の答えは、以下の通りでした。
「この単語集から単語を出さないとなったら、大学入試はそれこそ空気の抜けたボールのようになってしまう。その手の心配は一切無用」
それを読んだとき、随分と筆者は鼻息が荒いものだな、と感じ入ったものですが、今では筆者の心情がよく分かる気がします。
生徒さんは、過去問について、いろいろと心配していたようですが、わたしの考えを述べれば、受験対策とは結局「過去問」である、ということです。
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(前回の続きです)
理由は簡単です。
入試の目的は、難しい問題をひたすら出すことではなく、受験生間の差をつけることだからです。
つまり、全員が同じ点を取る事態になっては困るのです。
そして勉強した人、しない人が「ほどよく」差がつくようにならないと目的を達せられないのです。
ならば、過去に出題した問題をそっくりそのまま出すわけにはいきませんが、過去問を全く考慮しないというわけにはいきません。
それから入試は満点を取る必要はありません。
合格点をとればいいのです。
ゆえに、過去問を研究し尽くし、解き尽くすということが肝要となります。
受験生にそれ以上のことはできませんし、また必要もないです。
誰も解けないような難問、奇問を出したところで、受験生間で差がつかず、出題者が困るだけです。
では、過去問では触れられなかった、新課程の問題はどう対処すればいいのか.....
模擬試験があるではありませんか!
模擬試験は大変よい予想問題集です。
模試の受験は、順位のみを気にするのではなく、何度も解き直しをし、自らのものとするのです。
せっかく受験料を払って模試を受けるのです。
精一杯活用しましょう。
過日、弊コラムで発表した対抗バトルの入賞者全員に、英雄認定証・副賞を配り終えました。
本来ですと、もう少し早くに完了する予定だったのですが、わたしの体調の都合で、延び延びになってしまったところがありました。
ここで生徒さんに配った賞状には「表彰状」ではなく、「英雄認定証」と印字してあります。
「表彰状」というと、わたしが上から目線だけで選んだような気がしますが、「英雄認定証」となれば、ちょっと趣きは違ってきます。
ここで入賞した生徒さんには、「成績の伸びがよかったから、菊池がそれを認めて表彰してあげるね」という趣旨で賞状を作っていません。
彼らは、日ごろの学習に耐え、驚異的な伸びを示した「英雄」です。
わたしは彼らを「英雄」と認め、それを顕彰するのです。
顕彰ということになれば、彼らの偉業はわたしの頭上を越えていきます。
わたしは彼らに心から敬意を払うものです。
そして授賞式は、ご父兄の前で、得賞式というファンファーレをバックに、大々的に行いました。
彼らは気恥ずかしい様子を見せながらも、うれしそうでした。
何しろ「英雄認定」なのです。
「君は努力して結果を残した英雄である」といわれて、悪い気になる生徒さんはいません。
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また興味深いことに、「実力試験の部」「模擬試験の部」で第1位に輝いた生徒さんたちは、受賞後、二人とも同じことを言っていました。
いわく、「1位をとって、こうして表彰されると、これから先は気楽に構えることができない。プレッシャーに耐えて、勉強しなくてはならない。次の試験が怖い.....」
なるほど、そういう見方もあるのかと感じ入った次第です。
プレッシャーに耐えて勉強しなくてはならない、と感じたならば、それはそれで結構なことです。
実際、彼ら2名は、以前に比べて、指導における顔の表情、なかんずく目が「いい顔」になっています。
質問も増えました。
鋭い指摘も多くなっています。
「学年1位の人とか、トップの人って、こういうプレッシャーをずっと抱えてやってたんですね。こういうことは全然分かりませんでした」と語った生徒さんもいました。
その言やよし!
そのとおりなのです。
それはわたしが現役学生のころもそうで、わずかな失点をなくし、また少しでも弱いところ、理解の薄いところを徹底的につぶして、シャカリキになって学習に取り組んでいました。
もちろん、試験の際のプレッシャーというのは、相当なものでした。
来月もまたやります。
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