新高1生の先取り学習状況 その1 2016/04/01

この春休みの期間中、中3から高1へ継続指導となる生徒さんには、新学期から通うことになる高校からの課題のほかに、数学・英語の先取り学習を実施しています。

高校からの課題は、量的にまあこんなものでしょう、というくらいのものです。

ほとんどが中学校の国語・数学・英語の復習です。

一高・二高のようなところは高校への先取りも含めて課題になっていますが、例外的です。

今年はほとんどの高校が4月8日入学式、土日をはさんで11日に実力試験という日程を組んでいるので、それに向けて対策をしているところです。

先取りについては、わたしの場合、数学に重きを置いています。

というのも、英語の場合は時間をかけていろいろ調べたりしていけば、高校の授業が始まった当座は何とかなります。

その一方で、数学は出だしでつまずいてしまうと、後々それがずっと尾を引いてしまうからです。

英語の先取りは、昨年二高の1年生が使った教科書を使い、全訳や文法事項の解説をしています。

教科書の最初のページ見せた生徒さんの反応というのが、「え〜、1ページがこんなに文章だらけなんですか」「こんなに新しい単語が出てくるんですね。これ、どうやって覚えるんですか?」などというものでした。

そうでしょう。

これが高校の要求するレベルです。

とはいえ、全部の高校がこうではありませんが、難関大学に合格するということはそういうことです。

(次回に続きます)

新高1生の先取り学習状況 その2 2016/04/02

(前回の続きです)

数学については、先日もこんな会話がありました。

 

菊池: はい、じゃあ、ここの因数分解、やってみてください。

生徒さん: あの〜、こんな長い式、どうやって因数分解したらいいんですか?

菊池: ああ、これですね。長いけど、例題通りにやって行けば大丈夫ですよ。

生徒さん: え〜、よく分かんない.....

菊池: ここは式が長くて、面食らうかもしれません。わたしも最初にやったとき、エエッと思いましたから。

でも高校の数学って、中学に比べると、「やり方、解き方を知ってるか知らないかで解けるか解けないかが変わってくる」っていう問題が多くなりますよ。

ちなみにここ最近だと、一高とか二高に合格した生徒さんに、これやってもらったら、ヒーヒー言ってましたから。この分野はそういうところです。

生徒さん: ああ、では安心しました。

 

この時期の先取りにおいて重要なのは、教科書をしっかり学ぶということです。

高校の授業では、教科書を渡されて、実際は別の教材が「教科書」になっているということも珍しくありません。

それでもやはり基本となるのは教科書です。

わたしの考えでは、この時期においてやるべきは、「新高1生に高校の授業という荒波を乗り切って行けるだけの知力そして気力を養うこと」です。

教科書をやるというのはそういうことです。

(次回に続きます)

新高1生の先取り学習状況 その3 2016/04/03

(前回の続きです)

名のある大学に合格しようと思えば、教科書レベルが分かっても十分ではないのですが、教科書レベルが分からなくては話になりません。

よって慌てて、難しい参考書を買い込んで勉強するよりは、教科書ガイドを手元において、基本をじっくり身につけたほうが、後のことを考えるといい結果をもたらします。

ましてや進学校を自称するところに入学すると、グズグズしていれば、アッという間において行かれてしまいます。

わたしは高校に入って、置いて行かれてしまった級友を何人も見ています。

中には、不登校となり、自主退学してしまった人もいました。

一旦そうなってしまうと、上に上がっていこうとか、頑張って行こうという気力がなくなってしまいます。

人間、気力を失うというのは怖いことです。

逆にいうと、気力さえあれば、少々のことがあったもへこたれることはありません。

実力以上に力を発揮します。

精神的な屈服を防ぐために、この時期に格闘するわけです。

それをやっていけば、高校の授業でどのような形態がとられても、頑張ってやって行けるでしょう。

高校の授業が正式に始まるまで、あと少し残っています。

この期間、しっかり格闘しようではありませんか。

新高校1年生の生徒さんへ 〜入試はまだ終わっていませんよ〜 その1 2016/04/04

ここ数日来、新高校1年生の先取り学習状況を書いてきました。

今日はその続編というべきものを書きます。

結論を先に言いますと、こういうことです。

新高校1年生の皆さん、高校入試が終わったと思わないでください。

過日受けた高校入試は、「第1次高校入試」です。

高校入試の序章が終わったにすぎません。

6月に受ける中間試験を「第2次高校入試」と思って、そこまで何とか歯を食いしばってください。

多くの人たちは、高校入試が3月で終わったと思っています。

そこで初めての中間試験を第2回目の入試と考えて取り組めば、大いに活路は開けます。

チャンスです!

そこで波に乗るか、乗らないかで向こう3年間が決まります。

ここで波に乗れば、勉強がきつくなっても、それに立ち向かうだけの気力は持てます。

しかし乗り遅れれば、よほど強い気持ちを持たない限り、低空飛行を続けます。

高校に入学した時点では、ごく一部の人たちを除けば、成績はドングリの背比べです。

つまり同じくらいの成績の人たちの集まりです。

ということは誰でも平等にトップになれるチャンスがあります。

中学校時代は上がつかえていて、トップを取るなどというのは夢のまた夢といった成績の人がトップに躍り出てきます。

(次回に続きます)

新高校1年生の生徒さんへ 〜入試はまだ終わっていませんよ〜 その2 2016/04/05

(前回の続きです)

誰でもトップになれるということは、裏を返せば、誰でも下位になる可能性があるということです。

それゆえトップだった人が一気にダダ下がりになるということもあります。

それは大学受験の合格実績を見れば明らかです。

例えば東北大合格者は全員がナンバースクール出身かというと、そうではありません。

数は多くなくとも、準ナンバーからも合格者が出ています(さすがに同じ東北大でも、難関学部になるとその数は減ってしまいますが)。

彼らは高校入学後に努力してトップクラスに入った人たちです。

逆にナンバースクールのようなところに入学しても、低空飛行を続ける人たちというのは一定数います。

彼らは中学時代に逆立ちしても自分にかなわなかった人たちに、あっという間に抜かされていきます。

こういう人たちの場合、よくあるケースとは次のようなものです。

入学後に通学時間が長くなったり、部活動(特に運動部)に入ったために、帰宅時間が遅くなる

→疲れて学習時間が取れなくなったりして授業が分からなる

→あっという間に劣化

毎日規則正しく予習・復習をするというのも、大変でしょうから、いろんなしがらみのないこの時期に、先取りを進めておいて、「貯金」を増やしておけば、余裕をもって高校の授業に臨めます。

3年後に「ああ、菊池の言うようにしておいてよかった」と言ってもらえれば、わたしはそれでOKです。

高校の課題ってこんな感じです 〜ナンバースクールの長期休暇時における課題の比較〜 その1 2016/04/06

仙台一高の生徒会会報「創造」2016年版に、課題に関する興味深い記事が掲載してありました。

そこでは一高、二高、三高、宮一、二華の5校の1年生が、今年の冬休みに出された課題を比較し、一高生が課題をどうとらえているかについて述べてありました。

なぜ1年生としたかということについては、文系・理系が分かれておらず、他学年よりは比較しやすいと考えたからということです。

以下引用です。

 

(仙台一高)

国語 現代文24ページ、古文12ページ、漢文8ページ

数学 マスターノート23ページ、フォーカスゴールド20題

英語 ワーク10ページ

生物 ワーク20ページ

物理 ワーク37ページ

現代社会 ワーク12ページ

 

(仙台二高)

国語 現代文20ページ、古典20ページ

数学 Ⅰ+A計16題

英語 長文問題集、ワーク6ページ

家庭科 ホームプロジェクトB5版2枚以上

 

(仙台三高)

国語 現代文14ページ、古文6ページ、漢文8ページ、書初め

数学 合計60題英語 問題集

物理 俳句(科学のワードを使用)

家庭科 ホームプロジェクト

 

(宮城一高)

国語 短歌、ワーク10ページ

数学 市販問題集10ページ、先生作成の問題集

英語 授業の予習プリント、ワーク10ページ

 

(仙台二華高)

国語 ワーク 現代文8ページ、古文6ページ、漢文4ページ、俳句

数学 進研模試過去問題集2回分(高入生、一貫生別)、任意での復習

英語 ワーク30ページ

生物 設問に対するレポート。ワークではない。自ら調べる必要あり。

 

ここでは書いてあることをそのまま引用しています。

二高の国語など「現代文20ページ、古典20ページ」とあるのがどういう課題か判然としませんが、課題用のワークブックのようなものと思われます(二高に関しては、裏取り済み)。

また二華の生物の課題は「ABO式血液型と輸血に関しての血液不適応」「白血病の症状、原因、治療法は何か」「熱帯の海の危険性の調査」などを調べさせるというものです。

授業で学んだ知識だけでなく、生物に関して深い知識が問われています。

課題の量を見ると、一番多いと思われるのが一高で、最も少ないと思われるのが宮一です。

(次回に続きます)

高校の課題ってこんな感じです 〜ナンバースクールの長期休暇時における課題の比較〜 その2 2016/04/07

(前回の続きです)

課題に対して、一高生はどう考えているかというのが、以下の調査です。

調査対象となったのは、全学年、全生徒です。

 

<質問1 一高で出される課題(宿題量)についてどう感じていますか?>

多い 40%

適当である 55%

少ない 5%

 

<質問2 課題は必要だと思いますか? その理由があれば書いてください。>

必要だ 52%

必要でない 18%

どちらとも言えない 30%

☆必要だという理由.....「勉強の習慣がつく」というのが多数

☆必要でないという理由.....「自主学習の時間がほしい」というのが多数

 

興味を引いたのは、一高生の半数超が、課題の量を「適当である」とし、課題は「必要」と答えている点です。

課題の量は「多い」、課題は「必要でない」と答える人たちが圧倒的多数だとわたしは予測していました。

一高というと、その校風から自主性が幅広く認められ、「自分の勉強は自分でやるから、ほっといてくれ」という人たちがことのほか多いものと思っていました。

しかし時代性なのか、学校に従順(?)である様子が見て取れます。

これは女子が増えたということも影響しているかもしれません。

一部の関係者によれば、高校はムダな課題ばかりを出し、それをやる生徒はそのムダに苦しめられ、自分の志望に合った勉強ができず、あえぎ、苦しんでいるということになっています。

ところが、意外なほど(?)役に立っていて、生徒さん自身がそれを感じているというのが分かります。

一高あたりだと、もともと勉強をコツコツやるのが苦にならない人たちですから、他校で同じ調査をしたら、結果がどうなるかは分かりません。

さはさりながら、「ムダな課題」がなくなれば、その分「ムダでない勉強」をするようになるのかといえば、必ずしもそうとは限らないということを、心していくべきであるとわたしは感じました。

ツイッター始めました 2016/04/08

このたび、ツイッターを始めました。

弊サイトのトップページなどから入っていただき、わたしのつぶやきを一覧することができます。

こちらからもお入りになれます。

ツイッターにご登録の方は、フォロアーになって下さい。

わたしのほうからも積極的にフォローするようにいたします。

わたしのフォローをしてくだされば、リアルタイムでわたしのつぶやきがご覧になれます。

とはいえ、リアルタイムでご覧になるのが必要なほど大したことは語っておりませんが.....(笑)

ツイッターに登録のない方は、弊サイトで一覧することができます。

以前からツイッターをやろうかと思ってはいたのですが、多忙にかまけて一歩踏み出せずにおりました。

個人の趣味でつぶやくのなら、「くっちゃべり」の類でも構いませんが、わたしとしては当コラムで述べきれないようなこと、カバーしきれないことを140字という短い文言に乗せたいと以前から考えていました。

そういうわけで何をどのようにつぶやくかということを自分なりに勉強をして、このたびに至りました。

わたしはどうも、何も考えずにまずやってみて、やっている途中でいろいろ直しながら行くというのが性に合いません。

ある程度自分なりに下準備をしてからでないと、どうも不安で仕方がないのです。

これからも試行錯誤は続けると思いますので、よろしくお願いいたします。

優しさと厳しさ その1 2016/04/09

わたしには歯科医を開業している従兄がいます。

そのことでかなり前にこんなエピソードがありました。

わたしの祖母が駅のホームで列車を待っていたとき、隣に腰かけていたご婦人たちが話をしているのを聞くともなしに聞いていると、歯の治療の話になったそうです。

そこでその中の一人が「わたしはね、○○のところにある△△先生にかかってるんだけど.....」と従兄(祖母からすれば孫)の名前が出たのでハッとして耳を澄ませて聞き入ったそうです。

するとその婦人が「△△先生はとても優しくしてくれるし、丁寧だし、歯医者に行くのも億劫でなくなって、ずっとそこに通ってるの」「そうなの。わたしも今度そこに行こうかしら.....」

祖母はそれを聴いていて「そうおっしゃって下さって、ありがとうございます。わたしはその△△の祖母でござい.....」というのが口元まで出かかったということを上機嫌に話してくれました。

わたしがここでお話ししたいのは、くだんのご婦人の「△△先生はとても優しくしてくれるし、丁寧だし」というところです。

ここに家庭教師が心得ておくべきポイントがあると考えます。

つまりプロたる家庭教師というのは、「優しくて丁寧」であることがまず求められている、ということです。

(次回に続きます)

優しさと厳しさ その2 2016/04/10

(前回の続きです)

よく考えてみれば分かりますが、好き好んで医者にかかる人はいません。

体に具合の悪いところがあるから、しかたなしに通うわけです。

その際、かかった先生が腕の立つ方なのかどうかは実際に治療を受けて体感しないことには分かりません。

とするなら、腕は立つが患者さんに対して冷淡に接するお医者さんと、駆け出しで経験豊富とは言えないが、患者さんに温かく接するお医者さんでは、後者のほうに通いたいと思うのが人情です。

これと似たようなことが家庭教師の指導にも当てはまります。

そもそも塾とか家庭教師など受験産業は、学校の授業に何がしかの不安を感じておいでのご父兄がいらっしゃることで成り立っています。

学校が完璧ならば、業として成り立ちません。

ということは、ご父兄からすれば、できることなら受験産業の手を借りずに済ませたいとお考えになっているはずです。

ましてや実際に指導を受ける生徒さんは、自ら進んで受験産業の世話になりたいと願うケースは極めて少数です。

かてて加えて家庭教師の場合は、マンツーマンが基本ですから、余計に生徒さんとの相性は大切になってきます。

わたしもそういったご父兄、生徒さんの心理を十分に理解した上で指導に臨んでいます。

もっとも「優しく丁寧」だけで、結果は出ません。

「厳しさ」も必要です。

「優しく丁寧」と「厳しさ」をどう織り交ぜていくか、これからも試行錯誤が続いていきます。

塩竈・多賀城・富谷 〜3地区の高校進学実績を考える〜 その1 2016/04/11

しばらく前、多賀城にある学習塾の塾長さんとお話をしたとき、塩竈・多賀城の高校進学実績についてお話が出ました。

「多賀城の進学実績は結構厳しいですね。ナンバースクールについても、三高・宮一が主で、一高や二高となるとなかなか.....」とおっしゃっていました。

自分が中学生だったころと比べると、確かに勢いがなくなっているなあという感想を持ちます。

塩竈もしかりです。

わたしが多賀城で中学生だったころ、近所には「ニュータウン」と呼ばれる住宅地が造成され、人も多く流入してきました。

わたしの卒業した中学(多賀城二中)は1学年が6クラス240名程度で、同学年で二高に行ったのはわたしを含めて7名、宮城一女(現在の宮城一高)に行ったのは5名でした。

当時は学区制が敷かれ、別学だったので現在と単純比較はできませんが、現在の多賀城二中と比べるとかなり勢いがありました。

もっとも多賀城二中はわたしのころから比べると、学区の一部が高崎中になっていますが、高崎中についても昔の勢いはないと聞いています。

二高、一女に行った人たちは、わたしともう1名の女性を除くと、全員が外から来た人たちでした。

また当時は多賀城高校に行く女子で優秀な人が多かったです。

一女に今一歩届かない女子が多賀城高校に行ったりしていて、今の多賀城高校よりは難易度が高かったと思います。

塩竈・多賀城を尻目に、ずっと伸びてきているのが富谷です。

なぜこうなっているのかということを自分なりに考えてみると、人口の推移にそのヒントが隠されています。

(次回に続きます)

塩竈・多賀城・富谷 〜3地区の高校進学実績を考える〜 その2 2016/04/12

(前回の続きです)

上記3地区の人口の推移は以下の通りです。

 

<1970年→1990年→2010年の人口>

括弧内は1970年に対する増加率

国勢調査より引用(wikipediaより孫引きです)

 

塩竈 58,772→62,025(+6%)→56,490(-4%)

多賀城 36,677→58,456(+59%)→62,979(+71%)

富谷 4,912→24,611(+401%)→47,046(+857%)

 

富谷は今年10月に市への昇格を控えています。

この町は成田・上桜木・明石台など新興住宅地を有し、進学実績を伸ばしています。

わたしが中学生のころの富谷というと、申し訳ございませんが、特段の印象はありません。

高校の同級生にも富谷出身者がいた記憶がありません。

大郷町の明星中出身者はいましたが、今から考えると隔世の感があります。

この3地区を比べると、進学実績は人の流入、特に新築で家が購入できるというような比較的所得の高い方がいかに入って来るかということと関連性が高いと考えています。

いまわたしが注目しているのが、若林区の七郷近辺です。

地下鉄東西線が開通し、新しい家が造成されています。

数年後、七郷中が変化を見せるようになるでしょう。

高校における定期テスト対策の壁 〜集団指導塾で対応できない理由〜 その1 2016/04/13

中学生向けの塾では、今でこそ定期テスト対策をやるのが当たり前になっていますが、わたしが中学生のころはそうではありませんでした。

塾と言えば、進学つまり受験のための指導をやる集団指導塾がほとんどで、定期テストのための勉強は「自分でやる」ものでした。

今、集団指導塾と申しましたが、当時はそれしかなく、個別指導塾というのはありませんでしたので(あるいはあったかもしれませんが、少なくとも今のようにメジャーな存在ではありませんでした)、単に塾と言っていました。

その昔は携帯電話というのはなかったので、「固定電話」という用語がなかったのと同じです。

それゆえ中学校のときは、定期試験近くになるとわたしは塾を休んでいました。

今からは考えられませんが.....

中学生向けの塾であれば、どこも定期テスト対策をしてくれますが、上記のような経緯もあり、もともと集団指導の塾は定期試験対策には向いていません。

定期試験対策にせよ、受験対策の指導にせよ、生徒さんを志望校合格に導くという点において、目的は同じです。

かと言って、集団指導塾は今のこのご時世、この地で定期試験対策を全くやらなくてよいかというと、そこまで強気になれるところはそうないでしょう。

特に宮城県の場合は、公立高校受験の場合、内申点すなわち定期試験の結果の積み重ねが大きな意味合いを持つからです。

(次回に続きます)

高校における定期テスト対策の壁 〜集団指導塾で対応できない理由〜 その2 2016/04/14

(前回の続きです)

中学生向けの定期試験対策が可能なのは、公立中学の場合、進度や学習内容が基本的に同じだからです。

中高一貫校や私立中学だと、「二華中向け定期試験対策コース」のようなものを設け、損益分岐点を超える生徒さんが集まらなければ対応できなくなります。

塾は企業として利潤を出さねばならず、費用倒れになるようなことはできないからです。

ただ塾と言っても、塾長さんが講師を兼ねているというようなところは、大手に比べて小回りが利きます。

それでも中学校は義務教育ですから、最低やらねばならないことは決まっています。

これが高校になると、学校のレベル、学科、文系・理系別でやっている内容はまるで違ってきます。

となれば、集団指導塾でできることは、最大公約数的な大学受験のための指導であり、定期試験の対応は「だいたいこのあたり」というところになります。

集団指導塾で、中学校のときのように、学校のカリキュラムにピッタリ合った定期試験対策ができないのはそのためです。

そうなると、その対策は個別指導塾や家庭教師のお出ましとなります。

実際、赤点対策や指定校推薦狙いのための評点アップなど、高校の定期試験対策をやってほしいという需要は少なくありません。

また一般入試を目指す場合でも、難関大学を含めて定期試験の積み重ねは大事です。

このコラムをご覧のご父兄の目的に合った指導者選びの参考になればと思います。

「何を教えないか」.....それが大切だ その1 2016/04/15

家庭教師というと、「勉強を教える人」という公知の役割があり、ご家庭もそれを期待しています。

しかしわたしの場合、生徒さんを担当するとき、まず考えることは「何を指導するか」ではなく、「何を指導しないか」ということです。

家庭教師の場合は、生徒さん個人に完全に合わせた指導が可能です。

それが家庭教師の最大の売りになっているわけですが、反面「これをやらなくてはならない」という縛りがかなり緩いのです。

指導の進め方は講師の裁量に任される部分がかなり大きいので、特に指導を始めて間もないころは、「はてこの生徒さんには何をどのように教えればいいのだろうか」ということが実は悩みの種になっています。

そこでわたしは「何を教えればいいのか」という発想をやめ、「この生徒さんには、何を教えないか」ということを考えるようになりました。

そうすると、指導に当たって意外なほどいい知恵が浮かんできます。

家庭教師の指導は、週1〜2回の2時間というのが通り相場です。ということは、1週間のうち、指導に当たれる時間は2〜4時間が普通です。

土曜、日曜も含めて生徒さんが随意にできる時間を1日平均5時間と見れば、家庭教師の指導で生徒さんを見ることができるのは、せいぜい全体の3〜5%に過ぎません。

(次回に続きます)

「何を教えないか」.....それが大切だ その2 2016/04/16

(前回の続きです)

ここでご留意いただきたいのは、「生徒さんが随意にできる時間」であり、「生徒さんが実際に勉強している時間」ではありません。

部活動で拘束時間が長い生徒さんであっても、土曜・日曜を含めると意外に時間はあります。

塾と併用していたりすればもう少しパーセンテージは上がりますが、それでも1割を超えるというのは難しいでしょう。

残りの95〜97%の時間、どんなに多く見積もっても80%の時間は生徒さんが自主管理するか、ご父兄の手に委ねるかのいずれかになります。

小学校の低学年であれば別ですが、ある程度学年が上がってくれば、何でもかんでもご父兄がかかりっきりになるというのも現実的ではありません。

そういう非常に限られた制約の中で成績を上げようとするなら、「何を教えるか」を考えるより「何を教えないで済ませるか」をしっかり設定してから指導に臨むほうが効率的です。

例えばトップクラスの生徒さんであれば、基本となる演習は最小限にとどめ、応用的なものを中心にやります。

全般的に勉強が苦手という生徒さんであれば、小難しい応用問題はあらかじめこちらでカットしておいて、易しい問題でとりこぼすことのないように演習を積むという具合です。

限られた資源を1点に集中することが大きな効果を生みます。

わたしが高校に入りたての頃 その1 2016/04/17

高校1年生になった皆さんは、ようやく休みが来たという感じで、ここ1週間長かったことでしょう。

お疲れ様でした。

新しい環境に慣れるまでには時間がかかります。

もう少し辛抱してください。

わたしも突然この年になったわけではなく、高校生の頃がありました。

わたしが入学した高校は、新しい環境もさることながら、入学式の翌日に、対面式および応援団入団式というのがあるのです。

この応援団入団式というのは、こういうものです。

詳しくは上記のリンクから入ってご覧になって下さい。

大変よくまとまっており、わたしが経験した通りです。

当時は男子校でしたので、とにかく容赦ありませんでした。

今は女性もいるから、だいぶお手柔らかになったのではないでしょうか。

そしてその次の日から仙台一高との硬式野球定期戦に向けて毎日応援練習がありました。

その練習たるや、朝・昼・放課後と日に3回、これが5月半ばくらいまで続くのです。

朝練習は7時50分から始まり、(定期戦がもう少しというころには、7時30分集合だったような記憶があります)今以上に応援団の人たちは怖かったですから、遅刻などというものは許される雰囲気ではありませんでした。

この7時50分という時間、多くの級友は自転車通学で、しかもそれほど時間がかからないところからでしたから、わたしほどつらくはなかったでしょう。

わたしは多賀城からでした。

(次回に続きます)

わたしが高校に入りたての頃 その2 2016/04/18

(前回の続きです)

わたしは仙石線でなく、東北本線の陸前山王駅から通っていたのですが、本数が少なく、朝は6時ころに家を出ないと間に合わないのです。

ですから5時くらいには起床していました。

そんなわけで学校には7時ちょいぐらいには着いてしまい、練習までの間、ほかにすることもないので勉強をしていました。

応援練習については、なにしろ応援歌が11あって、これを暗記するほかにエールの仕方も覚えるのです。

しかもこの応援歌たるや5番までのもあります。

練習はとにかく大きな声を上げて繰り返すだけで、きちんとやらないと鉄拳制裁です。

昭和の時代でしたから.....

それでも2週間くらいすると、応援歌、しっかり覚えるようになるのです。

このとき、「繰り返すことって大切なんだな」と思うようになりました。

そして定期戦の前に、PR行進(一高ではアピール行進という)があり、初めて一高の生徒たちと「ご対面」となるわけです。

こちらは全員が学生服を着て、鉢巻きを締めているというのに、赤ジャージを着て、高下駄をはいて、とにかくだらしなくて、憎たらしそうに見えました(笑)

1年生のときには、野球場で応援団の先輩たちが一高の応援団と殴り合いになったりして、それだけ気合いが入っていたのでしょう。

定期戦までの期間は大変でしたが、今思うとそういうことを経験できてよかったです。

そんなこともあり、一高や二高は「単なる進学のための学校」になってほしくないんです。

そこには「伝統・格式」というのがあり、それこそが旧制中学の時代から綿々と続くものであってほしいのです。

今後もよき伝統が残りますことを.....

「対抗バトル」 〜表彰されて戸惑う生徒さんの心理〜 その1 2016/04/19

優秀な成績を残した生徒さん、努力の度合いが顕著であった生徒さんを表彰する「対抗バトル」は、先月に実施された試験が入試を除いてほとんどなく、今月はお休みとします。

さて、生徒さんを表彰する際は、ご父兄の前で、表彰状ならびに副賞をにぎにぎしく手渡しています。

その際の生徒さんの表情は様々です。

欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する生徒さん、にっこりほほ笑む生徒さん、表情を変えない生徒さん.....

その中であまり浮かない顔をする生徒さんもいました。

「浮かない顔」というより「戸惑いの表情」と言ったほうが正確かもしれません。

わたしとしては、生徒さんの頑張りをできる限り目に見える形で、しかもできる限り大袈裟に伝えたいだけで、生徒さんに喜んでもらうということを第一義としていません。

とはいえ、戸惑いの表情を見せられると、こちらとしてもハテどうしたものかと逆に戸惑ってしまいます。

この戸惑いの表情を見せる生徒さんはこれまで何人かいました。

どの生徒さんも成績は平均点に届いておらず、まじめなタイプという点で共通していました。

(次回に続きます)

「対抗バトル」 〜表彰されて戸惑う生徒さんの心理〜 その2 2016/04/20

(前回の続きです)

こういう生徒さんの心理というのはどういうものか、ある生徒さんに実はこれこれしかじかで、どう考えるかを聞いたことがあります。

するとその生徒さんは「あ〜、何となくその気持ち、分かります」と断った上で、このように答えてくれました。

〜賞を受けた本人としては、もちろんうれしいはずです。

ただ一度こういう形で賞をもらってしまうと、次の試験のときに成績が上がればいいが、下がったときのことを考えてしまいます。

下がってしまった場合、あのときにせっかく表彰してもらったのに、先生(=菊池のこと)に申し訳ないと感じます。

また自分一人で勉強してその結果が自分に返ってくるだけだったらまだいいのです。

でもそこに家庭教師という第三者が関与するようになると、自分の成績が単に自分の成績だけでなくなってしまい、心理的なプレッシャーを感じます。

戸惑っているのは、そういう意味だと思います。

.....なるほど、こういうことっていうのは、聞いてみないと分からないものです。

全員がそうだとは言えないでしょうが、一面の真理はあるような気がします。

つまり自分の成績に今一つ自信が持てず、成績が下がってしまったら、菊池に申し訳ないと感じてしまう.....

わたしに対して「申し訳ない」などと思うというのは、さすがにまじめな生徒さんだけあります。

(次回に続きます)

「対抗バトル」 〜表彰されて戸惑う生徒さんの心理〜 その3 2016/04/21

(前回の続きです)

その昔、プロ野球の阪急ブレーブス(今のオリックスの前身)で盗塁王として鳴らした福本豊選手が、ときの中曽根総理大臣から国民栄誉賞の授与を打診されたとき、「そんなん、もろたら立ちションもでけへんようになる」と固辞したと伝えられます。

彼らの戸惑いはその心理に通じるものがあるのでしょうか。

わたしにしてみれば、成績が仮に下がったとしても、勉強してまた上がればいいし、その「上がろう」という頑張りを期待したいのです。

席次というのは、あくまで結果であるので、同じように頑張っても下がることもあるし、意外とヒュッと上がることもあります。

大切なのは、下がったときに「自分はダメなんだ」と感じずに努力するということと、適度なプレッシャーを感じながら自分の成績にこだわりを持ち続けて学習に励むということです。

当然のことながら、上位にいる人たちというのは、そうしたプレッシャーの中で日々に研鑽(けんさん)を積んでいます。

ノンベンダラリとして緊張感のないところに向上は決して生まれることはありません。

わたしとしては、「対抗バトル」、今後も続けていくつもりです。

多くの生徒さんが成績向上しますように!

生徒さんの自主性をどこまで認めるか その1 2016/04/22

以前、家庭教師派遣会社を通じて仕事をしていたころ、こちらの出した課題を全くやろうとしない生徒さんがいました。

ここまではよくある話なのですが、この生徒さんの場合は、わたしが出した課題を全くやらず、自分がやりたい勉強だけをやってくるのです。

指導の際もこちらの話は黙って聞いているのですが、ちょっと癖のある生徒さんで、自分の気に入らないこと、納得しないことは、その場であれこれ言うのではなく、面従腹背をするというタイプです。

なかなかの根性の持ち主です。(笑)

わたしも中学生のころ、親や学校の先生の言うことをいつもハイハイと素直に聞いていたわけではありませんが、1対1の個別指導という状況にあってこれをやるという豪胆さ(?)はなかったでしょう。

ただ成績は中より少し上といったくらいで、勉強をしていないわけではないようでした。

最低限の基礎力はあります。

「はて、この生徒さんにどう対処したらいいか.....」

妙案が浮かばず、しばし思案投げ首の体でしたが、このままやりたい放題を放置するわけにも行きません。

そうして、ここで発想を転換し、「課題を出さなくてはならないと考えるから、それが悩みになる。いっそのこと、課題をなるべく出さないというふうに考えてみてはどうだろうか」と思い返しました。

(次回に続きます)

生徒さんの自主性をどこまで認めるか その2 2016/04/23

(前回の続きです)

そんなことを考えながら、指導の際、生徒さんにはこう言いました。

 

菊池: わたしの出した課題、やってきてませんね。どうしましたか?

生徒さん: 自分のやりたいようにやりたいんで。

菊池: 自分のやりたいようにやるのはいいのですが、それではわたしが指導に入る意味がありません。

一応、ご両親からこちらは依頼を受けてきているわけですから。

それでは、こうしましょうか。

家庭学習はこちらが最低これだけはやってきてほしいというものだけを出すことにします。

あとはあなたに一任します。

ただし条件が3つあります。

一つは、毎日3時間以上の学習時間を確保することです。

二つ目はどういう内容をやったのか、曜日ごとに内容を記し、わたしが見て分かるようにしてください。

最後は成績を上げてもらうこと、最低でも現在の成績を維持してもらうことです。

その3つができたら、あなたの希望を認めましょう。

ただしそのうち一つでもできなかったら、そのときは別途考えることにしましょう。どうですか?

生徒さん: それでいいです。

菊池: 分かりました。約束してくれますね。

生徒さん: はい

 

そのようにしたところ、その生徒さんはこちらの「約束」を守り、わたしの出した課題もやってくるようになりました。

そして成績を向上させ、当初志望した高校より1ランク上の高校に進学しました。

(次回に続きます)

生徒さんの自主性をどこまで認めるか その3 2016/04/24

(前回の続きです)

だいたいの生徒さんは素直で、こちらの指示に従ってくれます。

「わたしが課題をしっかり出して何をすべきか指示したほうがいいか、それとも自分で考えてやったほうがいいか」と尋ねると、大抵は「課題を出してもらったほうがいい」という答えが生徒さんから返って来ます。

が、中にはそうでない生徒さんもいます。

たしとしては、「結果を出しているのであればそれでいい」という考えなので、あえて生徒さんの自主性に任せるのもアリだと考えています。

さはさりながら、それは一面でリスクを伴います。

「家庭学習の内容は生徒さんにすべて任せています。こちらは生徒さんがどんな勉強をやっているのか、把握していません。そして成績は上がりませんでした」ということになってしまっては、ご父兄からしてみれば、何のための家庭教師だか分からなくなってしまいます。

生徒さんの「自主性」を認めるはいいが、野放図にすることはできないので、最低限の縛りはかけています。

当該生徒さんの場合は、あれこれ細かく指示するよりは、ある程度の自主性に任せることで結果を出せたわけです。

また当然のことながら、「自主性」に任せるには危険すぎる生徒さんもいます。

人を見て法を説くことの難しさを感じます。

国語読解力調査を実施して 〜読解力と成績の相関関係〜 その1 2016/04/25

このたび、わたしの生徒さんを対象に国語読解力調査を実施しました。

内容は2種類あり、小学生向け、中・高校生向けです。

いずれもわたしが自作しました。

調査の目的は二つあります。

一つ目は国語の読解力と成績の相関関係はどのようなものかということを調べることです。

「成績の基礎は国語力、文章の読解力にある」ということがよく言われています。

しかし現在行われている国語の試験では、必ずしも測りきれないものがあると常々感じていました。

そこで学校で扱う「五段活用.....」といったものを排し、純粋な読解力を見たかったのです。

二つ目は、その生徒さんに今後どのくらい成績の伸び代があるかを見ることです。

すなわち、読解力に難があれば、成績を伸ばすというのは大きな困難を伴うということを事前に把握しておきたかったのです。

当初は全学年共通でやろうとしたのですが、小学生に解いてもらったところ、さすがに無理があり、小学生向けの問題を作り直しました。

これをお読みのご父兄の方も、興味がありましたら、挑戦してみてください。

義務教育修了程度の国語力があれば、対応可能です。

「中・高校生向け」のほうは、中学生程度の国語力を、「小学生向け」のほうは、小学校高学年程度の国語力を想定しています。

次回以降に、その問題を掲載します。

(次回に続きます)

国語読解力調査を実施して 〜読解力と成績の相関関係〜 その2 2016/04/16

(前回の続きです)

では、問題を掲載します。

 

<中・高校生向け>

問題1 次の文を読んで、以下の問いに答えなさい。

 

ここにA,B,C,Dという4人の人物がいます。

Aの父方の祖父母と、Dの母方の祖父母は同一人物ですが、Aの母方の祖父母と、Dの父方の祖父母はそうではありません。

またAの父であるCは40歳、Dの母であるBは38歳です。

 

問1 (   )に当てはまる親族名称を答えなさい。

(1)DはAの(       )です。

(2)CはBの(       )です。

問2 上の文章から読み取れないことを次の(ア)〜(ウ)のうちから1つ選びなさい。

(ア)CはDの伯父(おじ)です。

(イ)AはBの姪(めい)です。

(ウ)Cの父はDの祖父です。

(答え)        

問題3  以下に記した同じ意味を持つ言葉で言いかえた場合、当てはまる言葉を漢字2字で答えなさい。

「3人の子供を持つ」

→(別の言葉で言いかえた場合)「3人の(      )に恵まれる」

 

◎解答
問1(1)いとこ(2)兄(兄弟も可) 

問2(イ)(理由はAの性別が不明であるので、Bの姪であるとは断言できないから) 

問3 子宝

 

いかがでしたでしょうか?

次回は、小学生向けの問題です。

(次回に続きます)

国語読解力調査を実施して 〜読解力と成績の相関関係〜 その3 2016/04/27

(前回の続きです)

それでは小学生向けの問題です。

 

<小学生向け>

次の会話を読んで、以下の問題に答えなさい。

登場人物はA,B,C,Dの4名です。

B君とD君が会話をしています。

 

「おーい、B君! 体育の徒競走、やっと君に勝てたよ。」

「ああ、負けちゃったね。でもタイムはA君には負けたけど、C君には勝てたよ」

「へえ、C君に勝てたんだ。じゃあ、ずいぶんがんばったね。」

「うん、何とかね。ところでA君とはどっちが速かったの?」・・・・・(あ)

「A君はぼくに追いつけなかったよ」

 

問題1  (あ)にある「うん、何とかね。ところでA君とはどっちが速かったの?」というのは、だれがだれに言ったのかを書きなさい。
→答え    が     に言った。

問題2   A,B,C,D君の中で、2番目に速かった人を書きなさい。

→答え             

問題3  上の文章から読み取れることで、正しいか、正しくないかを考え、「正しい、正しくない」のどちらかを選んで、あなたが考えたものを線で囲みなさい。

(1) A君はC君ほど速くありません。

→答え( 正しい ・ 正しくない )

(2) B君より速い人は少なくとも1人はいます。

→答え( 正しい ・ 正しくない )

(3) D君はC君より遅く、A君より速いです。

→答え ( 正しい ・ 正しくない )

(4) 他のどの3人よりも速いのはD君ではなく、A君です。

→答え ( 正しい ・ 正しくない )

(5) B君より速く、そしてD君より遅い人はいません。

→答え ( 正しい ・ 正しくない )

 

◎解答

問題1 BがDに言った 

問題2 A 問題3 (2)のみが正しく、そのほかはすべて正しくない

☆問題文より、A,B,C,Dの速さは速い順にD→A→B→Cとなります。

 

次回、調査結果をお知らせすることにします。

(次回に続きます)

国語読解力調査を実施して 〜読解力と成績の相関関係〜 その4 2016/04/28

(前回の続きです)

調査の結果は次の通りです。

総体的なものとしては、やはり上位層ほど読解力がしっかりしているということが分かりました。

そして勉強の苦手な生徒さんの場合、この点が大きな弱点になっています。

このような結果になるのは予想されていましたが、改めて読解力の大切さを実感します。

ここでいう「読解力」とは「言葉の意味を理解し、それを目に見える形で図や表にできること」を意味します。

問題文を正確に図や表にできないとしたら、言葉の意味を理解しているとは言えないということです。

中・高校生向けの問題では、語彙力ならびに一般常識も調べましたが、小学生向けの問題では、分からない言葉というのは、なかったはずです。

しかし小学生においては、勉強の苦手な生徒さんになると、問われたことを図や表にできていません。

ということは、学習において問題を解く以前に、問われている意味が分からないということが出てきているということです。

となれば、それはいろんな事項を暗記するとかいう以前のことということになります。

ちなみに中・高校生に関しては、問2の理由を含めて完全に正解したのは1名のみです。

このくらいの年代だと、姪(めい)という言葉の意味を理解している生徒さんは多くない、ということが分かりました。

今回の調査を踏まえ、生徒さんへの対応の参考にしてまいります。

多くなった中学英語教科書の文章量 〜現状とその対応策〜 その1 2016/04/29

今春、中学校の教科書が改訂されました。

その中で、英語の教科書を手に取って感じたのは「あれれ、分量が多くなってるなぁ」ということでした。

前回まで使われていたものに比べると、教える内容自体が増えているわけではありません。

しかし、教科書のページ数当たりの文章量が増えているような気がしたのです。

そこでこれがわたしの単なる錯覚かどうかを確かめるため、東京書籍の本社の英語編集担当部署に連絡し、真偽を確かめてみました。

すると、担当者によれば、少しではあるが、分量を増やしたと言っていました。

わたしの勘もまんざらではなかったということが証明されました(笑)

担当者は次のように話していました。

〜今回の教科書改訂は、文科省の指導要領の変更に基づき、内容を見直しました。

文科省のほうからは、「教科書の文章量を増やせ」というような具体的な指示は来ていません。

しかし小学校での英語教育が、近い将来、始まることになります。

そうした状況を考えて、出版各社は教科書の分量を少し増やしています〜

なるほど。

小学校での英語教育のことも考えていろいろと策を講じているわけですね。

この視点はありませんでした。

大学入試においては以前から言われてきているように、センター試験での問題が長文化しています。

限られた時間の中で多くの英文を読ませるという傾向が、このごろ特に顕著になっています。

(次回に続きます)

多くなった中学英語教科書の文章量 〜現状とその対応策〜 その2 2016/04/30

(前回の続きです)

宮城県の公立高校の入試問題は、全県一律です。

以前は宮城県の公立高校入試も英語・数学に関しては、A問題、B問題という区別があり、学校が何を課すかを選択できました。

このうちB問題が進学校向けにやや難しくなっていました。

しかし例えば東京では、都立高校でも学校ごとに独自の問題を課しているところがあります。

そういうところでは、入試に長い文章を出してきます。

わたしの見立てでは、今後そうした流れは続いていきます。

すなわち、英文の量が多くなることはあっても、少なくなることはないということです。

そうした流れに沿った形で教科書の内容も少しずつ変わってきています。

これに向けて、ご父兄、生徒さんが取るべきが対策としては、音読、文章の書き写しといった基本的なことをこれまで以上に繰り返してもらうこと、そして中学校入学前から少しでいいので、先取りを進めて行ってもらうということです。

現場の先生は気づいておいででしょうが、そういった先取りを何らかの形で進めてきた生徒さんと、そうでない生徒さんの間では、年々差が広がっています。

授業が始まる前から、かなり差がついてしまっているということです。

中学で英語が始まり、子息が学校でつらい思いをしないよう、最低限の対策は講じておいてほしいところです。

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