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今回は、仙台・宮城の高校受験システムについて、「これだけは知っておくべき」ということを書くことにします。
本コラムは、次のようなご父兄が対象です。
「そろそろ子供の高校入試のことも考えたいが、あれこれ情報が多すぎて.....」
「自分が子供のころとどう違っているのか」
「仙台・宮城に越してきたばかりで、ここの高校受験事情ってどうなってるの?」
などなど。
したがいまして、「自分は初歩的なことなら知り過ぎるくらい知っている」という方に、これから書くことは全く役に立ちません。
あらかじめご了解ください。
では、まず知っておくべきこと、3点です。
<第1ステップ3点>
1.宮城県の高校入試は、大きく分けて公立高校、私立高校の2種類に分かれています。
2.公立高校、私立高校とも、基本的に2回、入試が行われます。
3.公立入試は、筆記試験の結果と内申評定の合計で判定されます。
以上です。
これで「とりあえずは、仙台・宮城で高校受験の話に何とかついて行ける」というふうになります。
「複雑なことは、どうでもよい」という方は、今回で十分です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回は「第1ステップ3点」として、「これだけは」というものを凝縮して書きました。
次は「第2ステップ3点」です。
<第2ステップ3点>
1.公立高校の第1回目入試(前期日程)は、「内申評定+国語・数学・英語3教科の筆記試験+学校独自問題」で結果が出ます。
2.公立高校の第2回目入試(後期日程)は、「内申評定+国語・数学・英語・理科・社会5教科の筆記試験」で結果が出ます。
「学校独自入試」はありません。
3.私立高校の入試は、2回とも同じ科目で試験が行われます。
通常の筆記試験のほかに、推薦入試を行っています。
以上です。
私立高校は、2回とも同じ科目で試験を行いますが、その内容は1回目と2回目でもちろん違います。
公立高校における、前期と後期の違いにご留意ください。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前々回、前回と読み進めていただき、少しは頭の中の整理がついたでしょうか?
今度は第1、第2に引き続き、「第3ステップ3点」です。
<第3ステップ3点>
1.公立高校の内申評定は、1〜3学年末の通信票の5段階評価が国・数・理・社・英でそのまま入試の点数になります。
2.公立高校の内申評定は、実技教科が2倍され、入試の点数になります。
3.内申評定を「圧縮」し、当日の筆記試験を重視する公立高校が相当数あります。
以上です。
実技評価が2倍に換算されたり、内申評定を圧縮して当日の試験結果を重視する高校がかなりあることに十分にご留意ください。
これまでは、言ってみれば「ルールの説明」に終始しました。
実際どのように動いているのか、ホンネの部分を次回に書くことにいたします。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までは、仙台・宮城の高校入試制度の「ルール」について説明してまいりました。
今回のコラムでは、そのルールに従い、どのように動いているかを大胆不敵にも3点にまとめて記します。
<ホンネの運用編3点>
1.仙台・宮城の高校入試は、公立高校志向が非常に強いです。
従って私立高校はそうした流れを受けた生き残り策を取っています。
2.公立高校の内申評定は1年生のころからカウントされます。
そのため、受験直前になって「過去の不勉強」を嘆かないよう対処しておく必要があります。
3.志望校の判定は、定期試験以外に行われる学校での実力試験、および任意で受ける模擬試験で行います。
この模擬試験のうち、「みやぎ模試」が広く用いられています。
その際の高校別難易度の一覧はこちらです。
以上です。
先述したステップ1〜3のそれぞれ3点、および今回述べた3つのことを基にして、受験関係者は日々にあ〜だ、こ〜だと講釈を垂れたり、また淡々と対策を練ったりするわけです。
これまで4回にわたって述べてきたことは、分かる方からすれば、釈迦に説法のような話ばかりです。
もしお分かりになっていなかった箇所があったご父兄におかれては、今回を機に、知識を新たにしていただき、来る入試に備えていただければと思います。
本コラムは仙台・宮城において、子息の教育に関すること、受験に役立つことを、ご父兄の立場を想定して書いております。
おかげさまをもちまして、定期的にお読みくださっている方も増えました。
さて、このコラムの傾向を見ていますと、だいたい掲載後1週間を過ぎるとアクセスがぐっと減ります。
ということは、記事の鮮度は1週間と言えるでしょう。
そうした中、非常に長期間にわたって読まれているものもいくつかあります。
そのうちで、ブッチギリの第1位が「宮城・仙台での中学受験 〜 秀光中はお勧めできません わたしが体験したこと」というコラムです。
内容は、わたしが家庭教師派遣会社にいたころの体験を踏まえ、秀光中は進学先として勧めることができない、ということを綴ったものです。
掲載したのは一昨年7月になりますが、長く読まれています。
その理由というのが、yahooやgoogleで「仙台 中学受験」「宮城 中学受験」と検索すると3位にランクされているためかと思われます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしとしては、もともとランクのことなんかは意図せずに書いたため、こうした評価に驚いています。
学校側からは、このコラムに対し、抗議や問い合わせのようなものは来ていません。
しかし、受験生のご父兄は、こうしたものを何らかの形で目にし、また学校選びの参考にしておいでの方が一定数いらっしゃるのかと察します。
秀光中も以前はかなり進学実績を出していましたが、今年は国公立大合格者が秋田大、熊本大、宮城大にそれぞれ1名ずつで、うち現役が秋田大1名という具合になっています。
私立大のほうは、慶応、早稲田、上智などにそれぞれ1名出しているようですが、やはり二華や青陵に受験生が流れて行ってしまっているようです。
仙台・宮城の地では、高校入試において公立志向が伝統的に強いわけですが、中学入試においても二華・青陵という公立が幅を利かせています。
今後数年間は、中学入試において、二華の人気が上昇していくでしょう。
この流れはしばらくやみそうになく、したがって他の中高一貫校は何がしかの特色をこれまで以上に出していく必要が出てきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
次に長く読まれている記事は、「宮城・仙台の中学受験を考察する 二華高中入組1年生vs二高1年生 〜進研模試に見るその実力〜」です。
昨年の9月に書いたこの記事も、ロングランを記録しています。
このコラムの内容は、二華の中入組と二高の新入生の状況がどのようになっているかをまとめた記事です。
今春、二華の中入生が初めての「ご登場」で、二高を上回る東大合格者を出して脚光を浴びたため、「宮城県高校別の国立大学進学実績 〜二華vs二高ガチンコ対決の行方は?〜」と併せてよく読まれています。
特に合格発表があってからは、1週間程度、弊サイトに通常の5倍以上のアクセスがありました。
今はだいぶ落ち着いていますが、それでもアクセス数が多い記事です。
こうしてみると、上記いずれも中学受験がらみの記事です。
当地の中学受験は「ごく一部」から「一部」になっただけで、発展途上と言えます。
しかしその一方で、わたしへの指導依頼も中学受験がらみのものが増えてきているのは事実です。
そうした声におこたえし、できる限りの情報をお伝えするようにいたします。
指導に当たっては、兄弟姉妹の指導をお引き受けするときがあります。
その際、兄弟姉妹を同時に、ということもあれば、別々にという場合もあり、様々です。
これまでの経験ですと、兄弟姉妹を同時にというのは少数で、別々という場合が多いです。
また、同時指導の場合、異性同士だとしっくりいくことが多いのですが、同性同士だと、うまく運ばないことがままあります。
同性同士だと、牽制しあうのか、理由はよく分かりません。
わたしの持つ感想としては、兄弟姉妹を同時に指導する場合、別々にやるより、体力は使いますが、気を遣わずに済みます。
同じ場所で指導をしているので、他の兄弟姉妹が何をしているのか、どういう指導を受けているのか、何となく分かるからです。
一方で、別々の指導の場合は、体力的には通常と変わりませんが、若干気を遣います。
わたしが兄弟姉妹を別々に指導する場合、心掛けていることは主として2点あります。
第1点目は、兄弟姉妹といえども、否、兄弟姉妹だからこそ、「個人情報」を守っていくということです。
席次、勉強の進み具合などはもちろんのこと、早い話が「相手の余計なことを話さない」ということです。
誰にとっても、話してほしくないことというのはあります。
ただそういったことを親に知られるのと、兄弟姉妹に知られるのとでは、意味が違ってきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第2点目は、生徒さんは生徒さん個人であり、兄姉の役割、弟妹の役割というのを期待しないことです。
兄弟姉妹は同じ親から生まれ、両親も同じように育てているはずですが、持って生まれた性格というのは個々人で違います。
わたしも3人兄弟の中で育っていますが、わたし、弟、妹は性格、ものの考え方が違います。
兄姉がしっかりやるタイプで、弟妹がそうでもないという場合だと、指導の際に大きな問題になることはほとんどありません。
一方で問題となるのは、逆の場合、つまり兄姉に比べて、弟妹がしっかりしているというときです。
こういう場合だと、ご両親からは「お兄ちゃんなんだから.....」とか「お姉ちゃんなんだから.....」という言われ方をしているケースが多く、わたしはこういう言い方をしないようにしています。
そういう言われ方というのは、本人に問題があるとはいうものの、言われる本人がいちばんカチンと来ることであるはずだからです。
その一方で、別の兄弟姉妹に、本人には面と向かって聞きづらいことを尋ねて、情報収集にこれ努めたりもしています。
相手の兄弟姉妹のことは、遠慮会釈なく結構いろんなことを話してくれます。
本人やご父兄とは違った視点、わたしが知らなかったことが得られたりして、いろいろと参考になっています。
さて、月例となりました「対抗バトル」の結果は以下のようになりました。
(敢闘賞)塩竈市 高校1年 M.Hさん
今回はM.Hさんに敢闘賞を授与し、英雄として認定します。
M.Hさんはまじめにコツコツ頑張るタイプの生徒さんです。
高校入学後も、課題をしっかりこなしています。
先に受けた高校入学後に行われた実力試験の数学では、しっかりとした成果を残すことができました。
指導においては、数学を主にやっています。
中学とのレベルの違いに四苦八苦しながらも、ひたむきに努力する姿は他の生徒さんが模範とすべきです。
6月の中間試験では、10分の1以内の順位に入るよう奮闘しましょう。
しっかりと結果を残し、今度は対抗バトルの定期試験の部でぜひ1位を取ってください。
M.Hさん、あなたは大きな力を持っています。
それはしっかりと、着実に努力するその姿勢です。
結果を出せば、それが自信となり、よい意味での欲が出てきます。
勝利はあなたの掌中にあります。
今年の高校1年生の生徒さんは全員、中学からの継続指導です。
もともとこの学年は、志気の高い生徒さんが多く、高校入学後も継続してしっかりやっています。
「高校入試はまだ終わっていない。6月の中間試験が第二次高校入試と思って取り組んでほしい」と繰り返し言ってきたことが生徒さんにも、そしてご父兄にも浸透しており、3年後を見据えて動いています。
すでに具体的な進路の希望を持っている生徒さんもいます。
後はそれに向けて早めに対策を立て、メリハリのつく学習を心掛けるだけです。
今の時期はどの生徒さんも数学!数学!数学!です。
あとの科目は、学校からの指示に従って淡々とこなせば十分です。
とはいえ、それだけでも結構大変ではありますが.....
学校によっては、難しい大学入試問題へ取り組むところもあります。
しかもこの時期にやるのが「確率」という、「こんな解き方、どうやって思いつくの?」というところが顕著に表れるところなのです。
級友の相当数はこの時点で、数学への気力を失いつつあるはずです。
そこが逆にチャンスでもあります。
そして、これまでにない席次にのし上がることのできる、唯一の期間と言っていい時期です。
「どうやって勉強するか」ということは、極めて単純明快です。
「教科書の問題演習を繰り返す」「学校の課題を早めにこなす」たったこれだけです。
こういっては失礼ですが、中3生の生徒さんの、非常に無邪気な姿勢を見るにつけ、高1生の生徒さんのたくましさを強く感じています。
仙台一高・二高を目指す生徒さん、ならびにそうした生徒さんをお持ちのご父兄へお知らせです。
仙台一高・二高硬式野球定期戦が来る14日(土)コボスタで行われます。
12時30分より開会式、13時より試合開始です。試合開始は13時ということになっていますが、すでに午前10時くらいからコボスタの前でイベントがあります。
試合へ向けての応援合戦はそこから始まりますので、早めに行ってもよいでしょう。
そして今日は、14時ころから、一番丁アーケード街を経由して、西公園まで、定期戦を宣伝するための行進が行われます。
これを一高はアピール行進、二高はPR行進と呼びます。
その様子が↓です。
→動画が表示されない場合は、こちらから
昨年の試合は7−2で一高が勝ちました。
わたしはここ数年来、球場に足を運んで観戦しております。
しかし昨年はこの時期に緊急手術のため入院してしまい、病床で同級生がインタビューされていた様子をテレビのニュースで見ました。
球場に行ってみると分かりますが、観客は一高・二高の生徒だけではなく、ほかの学校からの生徒も来ています。
父兄はもちろんのこと、わたしのようなOBも来ています。
なかなかこういう大掛かりな高校のイベントはないかもしれません。
定期戦は字面だけを見ると、単なる野球の試合ですが、それを見ることは一高・二高を目指す生徒さんにとっては、野球以上のものを感じることができます。
受験勉強で単語の一つや数学の難しい問題を解く時間は大切です。
それに加えて(「それに加えて」というところに注意!)、先輩がどういう活動をしているのか、どういうふうに試合に臨んでいるかを肌で感じることで、勉強の励みになるでしょう。
昨年の応援の様子がyoutubeにアップされていますので、ご参考にどうぞ。
<仙台一高の応援風景>
→動画が表示されない場合は、こちらから
<仙台二高の応援風景>
→動画が表示されない場合は、こちらから
各種試験が終わると、生徒さんには課題として試験の解き直しをやってもらっています。
この試験の解き直しというのは、非常に効果が出る勉強法です。
受験対策というのは結局のところ、入試の過去問を いかにやりこむかということに尽きます。
ゆえに何らかの形で試験に出た問題は、間違えた原因とともに、ひとつひとつ丁寧につぶしていくというのが勉強法の王道であり、かつ確実なやり方です。
.....というふうにわたしは常々言っています。
また受験に関する情報誌や学校、その他ネット上においても、これと似たようなことが繰り返し説かれています。
しかしこれが万人に当てはまるわけではありません。
これができるには、ある程度以上の力がなくてはなりません。
わたしはこれができるのは、平均点以上を取れている生徒さんだと考えています。
そこまでに達しない生徒さんの場合は、下へ行くにつれ、自力でやることが難しくなってきます。
取り分け、中学生で定期試験の点数が30点台以下の生徒さんになると、「分からないところが分からない」状況であるはずです。
そういう生徒さんに対して、わたしは上述したような試験の活用法を取りません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが取る方法は、いかに試験を活用するかではなく、いかに試験を活用させず、志気を上げていくかということです。
そして「間違ったところ、分からないところ」をやってもらうのではなく、「当たったところ、分かっているところ」を再度やってもらっています。
本来の「活用法」からすれば、「こんなことをやって意味があるのか?」という疑問が出てきて当然です。
しかしわたしは意味があると考えています。
彼らからすれば、「分からないところが分からない」のです。
そういう状況で、「分からないところをしっかりやるべく自力更生せよ」といわれても途方に暮れるだけでしょう。
そうであるならば、「分からないところ」はこの際、スパッと切り捨てて、「分かるところ」あるいは「分かりそうなところ」を中心に演習したほうが、長い目で見て確実に点が取れます。
そして彼らにしても、演習をするのは「分かるところ」ばかりとなれば、家庭学習をする際に感じるストレスは、「分からないところ」ばかりやらされる場合に比べれば小さくなるはずです。
そうすれば、学習に対する志気がわずかではあるけれども向上します。
やる気をいかに出し、また保ち続けるのかというのは、千万の「勉強法」より役に立ちます。
落語界のかつての重鎮、5代目柳家小さんという方をご記憶でいらっしゃいますでしょうか?
その昔、永谷園のCMによく出ていて、落語界初の人間国宝に選ばれた方です。
小さん師は揮毫(きごう)を依頼されると、よく「万事素直」と記していたそうです。
つまり素直であれば、芸も伸びると。
これは受験の学習にもよく当てはまります。
これまで数多くの生徒さんを見てきた中で、めきめきと力をつけて伸ばしていく生徒さんは例外なくこのタイプです。
.....ということは、よく言われることだし、わたしもそう言ってきました。
では、具体的に「素直」というのはどういうことなのか、深く掘り下げてみると、興味深いものがあります。
普通、「素直」というと、大人の言うことに逆らわず、「ハイ」と返事をする、というイメージをお持ちかもしれません。
しかし受験勉強で求められる「素直さ」というのは、これだけでは不十分です。
わたしの生徒さんのほとんどは「素直」な生徒さんです。
指導中はわたしの指示にしっかり従ってくれます。
受験勉強に必要な「素直さ」というのは、
「ハイ」と返事をする
→なぜそういう指示を受けたかを自分で納得する
→言われたことを実行する
という3点がそろっていないと「成績が伸びる素直さ」ではないのです。
受験には定員というのがあります。
いくら性格がよくて、いい生徒さんでもそれだけでは第一志望校に合格できるわけではありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
生徒さんによっては「ハイ」と返事をするだけで、面従腹背をするだけの生徒さんがいます。
また指示に対して納得はしているが、言われたことを実行するとことが少ない、という場合もあります。
もとより実行という点においては、生徒さん個々人で能力の違いがあり、結果はよくなくても、これは仕方のないところです。
しかし重要なのは、「素直に実行しよう」という気持ちで向かっているかどうかです。
わたしもこの仕事に就いて長いですから、生徒さんが素直にこちらの指示を実行しようとしているかどうかはすぐに分かります。
それが最も如実に出るのが、数学あるいは算数の計算です。
計算ミスをする生徒さんほど、こちらがいくら基本に忠実にやるように指導しても、面倒がって途中式を書かず、ミスするということを繰り返します。
わたしのような小心者からすると、とても怖くてこんなズボラはできません。
こういう大胆不敵さはわたしの理解を超えるものです(笑)
そしてそれを指摘し、「こうやって解いてみてください」とわたしがやってみせても、「ハイ」というだけで、そうしようとしません。
これでは「素直さ」という点では不十分であるというのがわたしの考えです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしはあまり自分のスタイルというのを押し付けないよう、生徒さん個々人のやり方には寛容であろうとはしています。
わたし自身が、現役学生のころ、押し付けがましくされることを好まなかったので、多くの生徒さんもそうであろうと考えているからです。
生徒さんが自分自身のやり方(というほどのところまで行っていない生徒さんが大部分ですが.....)でやるというのであれば、それに見合うだけの結果が出ていることが条件です。
結果が出ない「個性の尊重」は認めるわけには行きません。
わたしの任務は成績を上げるという結果を出すことであり、生徒さんの好き勝手を放置することではありません。
逆にいうと、ある一定の割合で、素直さとしては不十分な生徒さんがいるおかげで、素直な生徒さんは助かっています。
「素直な」生徒さんは、「素直さが十分でない」生徒さんを尻目に、どんどん伸びて行ってください。
わたしは結果がどうあれ、どこまでも応援します。
「素直さが十分でない」生徒さんは、黙ってそして無自覚にあなたの踏み台になってくれています。
「素直さが十分でない」生徒さん、はて、それでいいでしょうか?
先日、自動車の運転免許証の更新に行ってきました。
今回の更新はいつもと勝手が違いました。
と申しますのも、これまで20年以上も無事故・無違反でゴールド免許だったのですが、一昨年に2日連続で違反切符を切られてしまうという大失態をしてしまったのです。
1回目の違反は、仙台東高の田圃道を指導の帰りに走行していたら、一時不停止を見落としたとかで、やられてしまいました。
周囲は車の姿が全くなく、一時不停止を見落としたという認識はなかったのですが、それでもお上には逆らえません。(涙)
二日目は、自宅のところでちょっと駐車して荷物を運んでいたところ、そこに仕事の電話が入りました。
駐車したことをすっかり忘れて30分ほど話すことに.....
戻ってみたら、例の紙がフロントガラスにベッタリ。
これはわたしが完全に悪いのです。
それはともかくとして、そんなわけで、いつもだと30分で終わるところを、「前科者向け」2時間の講習を受けたのでした。
まあ、せっかくの機会ですので、これも神様からの警告と受けとめ、講習をきちんと受けることにしました。
講習ではいろんなことをやっていました。
その中で、自転車事故のことを扱っておりましたので、子息が自転車事故に巻き込まれた場合のことを想定して書いてみます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「巻き込まれる」には2種類あります。
一つ目は被害者になってしまう場合です。
こちらは車にひかれた場合などですが、その際、相手が無保険者だったり、ひき逃げにあったりということが想定されます。
こんなことは想像したくもありませんが、そうなると、治療費はご家庭にかかってきてしまいます。
その際は、本人だけでなく、ご家族の生活にも支障をきたすようになります。
そういった場合に備えるものとして、自動車保険で「人身傷害」とか「搭乗者傷害」という名前で、治療費が賄われたりします。
以上は今までも想定されていたことですが、二つ目は加害者になってしまうケースです。
自転車を運転していて人に怪我を負わせたり、障害が残る、甚だしくは死亡に至ってしまうというケースです。
実際、こうした事故はこのところ起きており、スマートフォンを見ながらの運転で歩行者に迷惑をかけてしまう事例が急増中です。
そして賠償金額も億単位の判決が出ています。
実際の判例がこちらです。
そうなってしまうと、家族の今後の生活は想像を絶するものになってしまいます。
そういう場合に備えるものとして、「個人賠償」等の名前で保険会社が対応しています。
金額的にはさほど高いものではありません。
詳細については、ご興味があれば、現在ご加入中の保険会社に問い合わせてみるとよいでしょう。
先日、このコラムで、中学校の英語教科書における分量が多くなっている旨のことを申し上げました。
今回はその続編です。
中学校の英語において、増えているのは、英語の文章量だけではありません。
教科書で扱う単語の数も大幅に増えています。
実際、文科省のサイトで公開されている学習指導要領で確認したところ、この文書の137ページに今までが900語程度としてあった単語数が、1200語になっているのが分かります。
900語というと非常に多く感じられますが、Iだのyouだのtheだのといったものも1語であり、また不規則動詞の過去形・過去分詞もそれぞれ1語と数えています。
そう考えるとそれほど多いとは言えません。
わたしは英語以外の外国語を学んでいますが、そのとき語られるのは、「とにかくツベコベ言わずにまず1000語を覚えよ」ということです。
そう考えると、この数字は妥当なものです。
さはさりながら、単語数にして400語、割合にして3割増しというのはかなりの増やし方です。
これはどういうことかと申しますと、「できる人にはますますできるようになってもらいます。できない人に合わせて易しくすることはしません。優劣の差を今まで以上にハッキリさせます」ということです。
宮城県で多く使用されている英語の教科書であるニューホライズンの出版社、東京書籍に尋ねたところ、当然のことながら、この指導要領に基づいて教科書を編集しているとの返事でした。
ただどのような語を入れるかは、文科省から指導があるわけではなく、教科書会社の判断に任されているとのことでした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それに伴い、入試も変わってくるはずです。
その入試の変わり方というのは、ズバリ、問題の長文化です。
具体的に言えば、試験の際に出される文章量が増えるということです。
使用される単語の種類も増えていくでしょう。
来年の公立高校入試がすぐそうなるとは限りませんが、3年くらいかけて徐々にそういう流れになっていくのではないかと考えています。
英語というのはもともとコツコツやるタイプの生徒さんには、女神のように優しく、またやるべきことをやっていない生徒さんには鬼のように厳しい科目ですが、その度合いがもっと進みます。
では、それを受けてどうするかということです。
わたしから言わせると、やることをしっかりやっていれば、何も恐れることはありません。
逆にそういうことをしない生徒さんにとって、一度分からなくなってしまうと、自力で挽回できる可能性は非常に低くなってしまいます。
そうなると、わたしの指導においては、英語の指導を切ってしまう生徒さんが増えること、また切る時期も早くなってしまうと予想しています。
ただ、切れば切ったで、そういう生徒さんは切った分を他の科目に振り向けず、「勉強をやらない」という方向に向かうことがえてしてあるので、それはそれで頭痛の種ではあるのですが.....
今はあまり行われなくなったものに、見合い結婚というのがあります。
これは知り合いに世話好きの人がいて、その人の仲介で男女がお見合いをし、結婚に至るというものです。
70代より上の世代の方はかなりこの方法で結婚が成立していました。
その当時ですと、「女性は25歳までに結婚!」という周りのプレッシャーというか、不文律のようなものがあったようです。
親や周囲がうるさく言うので、あまり気に入らない人としかたなしに結婚したという話もあるやに聞いています。
さて、翻って、家庭教師というシステムは、今も残る見合い結婚のようなものだとわたしは思うのです。
この場合、「縁談」を持ってくるのが、ほとんどの場合はご父兄です。
その際、子息が家庭教師の指導を受ける意思があるのであればいいのですが、問題はその意思がないときです。
「最初はいやがるかもしれないが、この家庭教師さんはよさそうな人だし、時間が経てばなじんでくるだろう」などと考えたりしてしまいます。
しかしわたしの経験上、「時間が経てばなじんでくる」などということはまずありません。
時間がたてばたつほど溝は大きくなり、結局のところ、短期間で指導終了という場合が実に多いのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
指導をする家庭教師としても、自分が受け入れられているかどうかはすぐに感じ取ります。
そこに指導契約が発生した場合、契約通りに仕事はします。
子息が家庭教師の指導に苦痛を感じているとしたら、家庭教師にとっても苦痛なことこの上ありません。
であるなら、そもそも指導を受ける意思のない子息をお持ちのご家庭は、家庭教師と最初からかかわらないほうが、お互いのために幸せです。
家庭教師派遣会社のほうは、基本的にお金を払ってくださるご家庭ならば、どなたでも歓迎します。
まさしく「お客様は神様」というわけです。
しかし現場の家庭教師のほうは、神様ではなく、生身の生徒さんを相手にしています。
わたしとしても、指導を受ける意思のない生徒さんに無理強いをするエネルギーを、わたしの指導を受ける意思のある生徒さんのほうに向けたいと考えています。
そういうご家庭とのお付き合いは、ご父兄、子息、そして家庭教師3者がこぞって幸せになります。
指導料という対価を支払うのであれば、不幸せになるよりは、幸せになったほうがいいというのは誰もが考えることです。
よって、家庭教師の依頼をご検討中のご家庭におかれては、「子息から見た家庭教師とは、見合い結婚の相手のようなものである」ということを考慮に入れてご選定下さい。
英語を勉強するとき、まず単語を覚えるべきというのは今さら言うまでもありません。
中学段階で、英単語はどうやれば覚えられるか、ということに関しては、学校のほうからも指導があるし、また各所でいろんなことが語られていて、情報があり過ぎるような気がしています。
そこで今回は、英語で平均点が取れない中学生のために、英単語の記憶をいかにして克服すべきか、そしてできる人はどうやって覚えているのか、ということを紹介しながら書くことにいたします。
以下3点に絞り、書きます。
まず第1点が、「英単語をしっかり記憶するんだ」という気持ちを持つことです。
「え? 精神論から?」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
とはいうものの、平均点が取れていない生徒さんを見ていると、平均点が取れている生徒さんに比べて「覚えなくてはならない」という気持ちが弱いのは間違いのないところです。
これは、覚える気があるのかないのか、0か100かというのではなく、人によって強弱があります。
点数が取れていない生徒さんほど、それが弱いです。
それでもこのような場合、「どうやったら英単語を覚えられるようになるのか」というのを、わたしに尋ねてくる生徒さんの場合はまだいいほうです。
点数が低くなるにつれ、そういうことすらしてこなくなります。
逆に言えば、「きちんと覚えなくてはならない」と感じ、「何とかしたい」と思うようになれば、問題の半分は解決します。
「効率的なやり方」などというのは、それからの話です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第2点目として、「単語を覚える」と一口に言っても、程度・段階があり、英語を見て和訳が出てくるだけでは完全とは言えないということです。
では、できる生徒さんはどういう状態で単語を覚えているかと言えば、
(1)英単語を見て和訳ができる
(2)和訳から英単語を正確に綴れる
(3)品詞が言える
(4)発音・アクセントが正確
(5)単語の用法をマスターしている
ということができてワンセットと考えています。
ですから、「英語を見て和訳ができる」というだけでは不完全です。
英単語の記憶とはこの不完全さをいかになくしていくかという点にあります。
わたしの見るところ、平均点の取れない生徒さんの「英単語を覚えました」というのは、だいたいが1の段階でとどまっています。
辛うじて2の段階が「覚えている」単語の半数に届かず、3以下に関しては「?????」のような状態です。
定期試験で英語の試験が9割以上という生徒さんは、間違いなく(1)〜(5)をしっかり記憶しているし、また記憶できていなければ「こりゃ一大事!」と考えています。
点数の差は記憶に対する深さの認識が根本から違っていることから生じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第3点目として、和訳を見て、英単語が正確に綴れるようになるためには、その英単語の綴りの特徴をしっかり記憶することです。
具体的に言えば、head(頭)という単語であれば、「hedと綴らず、eとdの間に余計なaが入るんだな。あとは規則通りに書けばいい」ということを認識しながら、覚えているということです。
その点さえ覚えれば、あとは規則的な綴りですから、記憶の負担は軽くなります。
できている生徒さんは、このように「記憶に強弱をつけている」のです。
それができていない生徒さんだと、そういった意識なしにまるまる覚えようとして、結局かなりのものが不完全になってしまっています。
またhistory(歴史)のように比較的綴りが長くなる単語であれば、historyと覚えようとするのではなく、his-to-ryというふうに、単語の中をしっかり分けて、その塊ごとに正確に記憶することを心得ています。
単語が長くなるほど、記憶はしづらくなってしまいます。
が、「最初からまるごと覚えようとせず、いくつかの部分に分ける」という方法を用いれば、いくらか記憶の負担は軽くなります。
以上のことを実践し、少しでも点を上げて行ってください。
わたしは指導において、小学校低学年の生徒さんを除き、基本的に問題演習後の答え合わせをすべて生徒さん自身にやってもらっています。
記述式の問題については、わたしがやることもありますが、大抵はそうしています。
そのようにしているのには、大きく分けて2つ理由があります。
第1点目は、自分が採点をすれば、わたしがするときに比べて、自身の間違いに気づきやすいと考えるからです。
第2点目は、「できなかった自分」と向き合うことで、成績を向上させてほしいからです。
小学生の段階ですと、課題に関しては、なかなか一人で採点するというのは難しく、ご父兄の手を借りることが多いです。
中学以降では自己採点が原則です。
誰しも自分の間違いを知覚することは嫌なものです。
かく言うわたしも、起床後すぐに体重計に乗ることを日課にしていますが、毎朝「自分の姿」と向き合うのは快いことではありません。
しかしこれをやっているおかげで、目方が安定しているのだと思います。
そういう中で、正解でないのに、マルをつけている生徒さんがこれまで少なからずいました。
このような生徒さんの場合、学習に対する志気が高くなく、やらされ感が満載でした。
そして自身の成績に恥ずかしさのようなものはあるが、それを克服するための努力をする姿勢を見せない点で、共通していました。
わたしはその点を何度も注意しましたが、彼らが受け入れるということはありませんでした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そして当然のことではありますが、第一志望に合格するということもありません。
お勉強のほうには縁が薄い生徒さんということで、それはこちらとしてどうしようもありません。
もっともそのような生徒さんがいるからこそ、まじめにコツコツやるタイプの生徒さんが得をする仕組みになっているのですが.....
生徒さんは問題を解いて、それで勉強が終わったと思っているようですが、本来の学習というのは、答え合わせにこそその真髄があります。
問題を解いただけでは、「勉強」の半分もしていないのです。
この点を取り違えている生徒さんが実に多いです。
さはさりながら、自力で自分の間違いに気づくためには、ある一定以上の力が必要です。
さしずめ、公立中学で5教科の定期試験が200点を下回る生徒さんの場合だと、それが難しくなります。
そういう生徒さんの場合は、全部をきちんとはできなくても、「最低でもここはしっかりできて、はっきり覚えている」というような核となるものを作ってほしいのです。
そうすれば、わずかずつではありますが、成績は上がっていきます。
最小の時間をかけて、最大の成果を得るためにも、答え合わせをしっかりやるよう心掛けて、それを実行するというのが肝要です。
高校1年生の生徒さんを担当すると、毎年決まって彼らの口から出ることに、中学の先生とは一味違った分からない授業をしている先生が少なからずいることです。
その「授業の分かりづらい」という度合いが、中学の先生に比べると高くなっています。
高校は中学に比べて高度な内容を扱いますので、授業が分かりづらくなっていることは、仕方のないことです。
しかしそういうことを差し引いても、分かりづらい授業をする先生は、中学に比べて高校のほうが多いような気がします。
わたしが高校生のころを振り返っても、分かりづらい授業をする先生は高校のほうが多かったです。
では、なぜそうなのかということをわたしなりに2点に分けて考えてみました。
第1点目は、高校の先生の場合、中学の先生に比べると、難関大学出身者が多いことです。
そのため専門とする教科に対する知識の量は、中学の先生よりも多く、深くなるでしょう。
すると、職業柄、生徒が理解しているかどうかにかかわらず、いろんなことをしゃべりたくなります。
それはわたしのような受験関係者についてもいえることですが、教えているというのは、結構それで気持ちのいいことなのです。(笑)
それゆえにどうしても教えたがり、授業が独演会状態になってしまいます。
また学問の研究者としては有能かもしれませんが、必ずしも教えることにたけているとは限らない、という側面もあります。
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第2点目として、中学の先生のほうが高校の先生に比べて、若年の生徒に接するのが慣れているということがあります。
中学の先生は12〜15歳まで、高校の先生は、15〜18歳までを担当します。
そこで、意識的にせよ、無意識にせよ、中学の先生のほうが分かりやすく生徒に語りかけようという心理の働く場合が多いと思われます。
違っているのは3歳だけですが、この差は大きいです。
幼稚園や保育園の先生が普段どのような口調で児童に接しているかを考えれば分かりやすいでしょう。
では、分かりづらい高校の先生への対策としては、どうすればよいのでしょうか。
まず考えられるのは、授業の先取りを進めていき、少しでも理解力をつけておくことです。
そうでなくても、高校の授業の内容は中学に比べて難しくなっています。
そうした対策は必要です。
それから、あとはわたしのような家庭教師を含む受験関係者に頼ってもらうということです(笑)
受験関係者が分かりづらい授業をしてしまうと、すぐにクビになってしまいますので、学校の先生よりは分かりやすくしようという意識が働きます。
実はこれがいちばんの対策のような気がします。
来月、総合体育大会が終わると、あっと言う間に中間試験がやってきます。
その際、中2・中3の生徒さんが留意すべきは、「前の学年で2月の学年末試験後にやったことも、試験の範囲になる」ということです。
4月の新学期以降、この時期までの公立中学校は、学校行事が多数重なって、まともに授業が進みません。
そのため「試験範囲、これだけしかないぞ!」と思いがちですが、残念ながら、そうは問屋が卸してくれません。
生徒さんのかなり多くの人たちが、春休みをはさんで新学年になると、前の学年で学んだ2〜3月頃にやったことは、きれいさっぱりとリセットしてしまいます。
ここで、仙台市内のある中学校において、定期試験の間隔がどのようになっているかを調べたところ、以下の通りです。
(前学年末〜1学期中間)4か月1日
(1学期中間〜1学期末)2か月20日
(1学期末〜2学期中間)3か月4日(1・2年) 1か月25日(3年)
(2学期中間〜学年末)1か月28日(1・2年) 3か月4日(3年)
前学年の学年末試験から1学期中間試験までの間隔が他に比べて大きいことがよく分かります。
「試験がないから、のびのびしていられる」と思っていたら、途端に大きなツケが回ってきます。
特に理科や社会のような教科、3年生の社会については、例年、範囲が非常に大きくなります。
先生によっては、前の学年のものは出さないという「優しい」方もいらっしゃいます。
しかし、当たり前の話ですが、定期試験では範囲にならなくとも、入試にはしっかり出ます。
入試問題を秋以降にやっていて、「ここは学校で習った記憶がない」などと生徒さんがいってくる場合のかなりの部分が、この「学年末試験以降の2・3月ににやったこと」です。
学校によっては、すでに範囲が内々にあるいは公式に出ています。
「前学年のサビ」は今のうちにしっかり落としておいてください。
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