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先般、わたしのツイッターに、写真とともにこのようなつぶやきを掲載しました。
生徒さんに尋ねると、この先生は普段から「人生とはこういうものだ」というような、人生論や人生哲学を語る熱い方だということでした。
何と申しますか、数学の先生っぽくない感じです。
しばらく前ですが、字を丁寧に書こうとしない生徒さんと指導中にこんなやり取りがありました。
菊池: え〜と、この英語の綴り、間違ってますね。
ここはaでなくて、uですよ。
生徒さん: uって書きました。
菊池: いや、これはaとしか読めないでしょ。
生徒さん: 自分としてはuって書いたんですが.....
菊池: あのですね。
いくら君がuと書いたと主張したところで、aとしか読めなければ、ここは×ですよ。
まあ、定期試験なら、採点する学校の先生も甘くしてくれるかもしれませんが、入試だったらどうするんですか?
uって書きましたって抗議しに行くんですか?
生徒さん: .....
菊池: わたしが普段言っているように、字は丁寧に書かなくては.....
それに学校の先生だって、定期テストなんか、したくてしてるわけではないんです。
しかたなしにやってるんですよ。
生徒さん: へ〜 そうなんですか。
先生って試験をするのが好きなんだと思ってました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
生徒さんって、学校の先生というのは、試験をやるのが好きだと思っている人が結構いるのでしょうか?
好きでやっている先生はまずいらっしゃらないでしょう。
このたび話題にした表紙には、先生の心の叫びが実にストレートに語られています。
しかもわたしが普段、生徒さんに「試験のときはこうすべき」と語っていることそのままです。
あのようなことが書いてあるということは、書いてあることをしない人たちが相当数いるということです。
ここで試験をするとはどういうことなのかを簡単に書いてみます。
まずもって出題ミスは許されません。
そして勉強した人とそうでない人の差が適度につくような問題を作らなくてはなりません。
中にはミミズがのたくったような字を平気で書いてくる答案を読まなくてはなりません。
こんなことを仕事とはいえ、やらなくてはならないのです。
面倒なだけです。
生徒さんに言いたいのは、試される自分のことだけを考えず、試す側の立場になって物事を考えてみてほしいということです。
そうすれば、試験に臨むにあたって、何が必要となるか、おのずと答えは明らかです。
問題作成をする先生も、頑張っておいでなのです。
例の表紙に当てはまる人は、もっとまじめに試験に取り組んだほうがいいのではないでしょうか。
指導開始前あるいは指導開始後やや経過してから、ときどきご父兄から「間に合いますか?」と尋ねられることがあります。
「間に合いますか?」の意味は様々でしょうが、指導開始後しばらくたてば、その生徒さんの力、学習に臨む姿勢がほぼ分かってきます。
それにより、「間に合う」かどうかの判断はできます。
指導開始前にご父兄のお話を伺った時点で、明らかに「これはいくら手を尽くしても無理だろう」ということもないわけではありません。
しかし、ご父兄の話だけでは、何とも言えない場合がほとんどです。
ここで家庭教師派遣会社によっては、「ご安心ください。当社にはそうした生徒さんのために、経験豊富なプロの先生方を多数紹介できます。そういう先生の指導があれば、きっと大丈夫ですよ」という営業トークが返ってくることになります(笑)
経験豊富な家庭教師ならば、それを生かして、いろいろなことができるでしょう。
しかし神ならぬ身である以上、不可能なことを可能にすることは、やはりできることではありません。
とは言うものの、ご父兄としては、早めに結果を知りたいというのが本音でありましょう。
ここで、「家庭教師をつけて、ホントに『間に合う』かどうか」とお考えのご父兄に、家庭教師の立場から3点お伝えしておこうかと思います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第一点目は、生徒さんの能力以上のことはできないということです。
わたしが考えるところ、能力というのは個々の生徒さんごとに決まっています。
「能力を100%引き出す」ことは可能ですが、「能力それ自体を向上させる」ことはできません。
ときどき、「能力は無限」「やる気になれば、OK!」などという文言を、特に受験産業の宣伝文句で見かけますが、わたしに言わせれば、大嘘です。
能力は有限であるからこそ、それを引き出すために、必死の努力が必要なのです。
そしてこの「能力」には、生徒さんが持っている潜在的な処理能力に加えて、志気つまり「どれだけその気になっているか」というのも併せて「能力」を形作っています。
第二点目は、実際に生徒さんに会ってみないと、正確なことは分かりかねるということです。
話を伺えば、その生徒さんのおおよその像は浮かんできます。
しかし例えば、「うちの子供は定期試験5教科で200点くらいです」というような事実ですら、意味するところはかなり違っています。
「器」はあるのだが、結果に結びついていないのか、能力的に目いっぱいなのか、というようなところは、わたしの目で直接に確かめないことには判断できません。
わたしとしては、軽々に言葉を発して、実際とは違った情報を発しないように心しています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第三点目として、わたしが「生徒さんはどこまで伸びを示すか」ということを判断する際に見ているポイントをここでは3つ、お話しします。
それらは以下の通りです。
1.これまでの成績の推移(定期試験や模擬試験、学校の内申評価など)
2.生徒さんの性格(学習に対して謙虚な姿勢であるか、物を丁寧に扱うか)
3.生徒さんの真剣さの度合い
体験指導の際の生徒さんは、たいていの場合、おとなしいです。
しかし、性格的なところや真剣さの度合いは必ず顔の表情、特に目に現れます。
不安な中でも学習とまじめに向き合おうとしているのか、はたまた逃げようとしているのか、というのは、口でいくら言い繕おうとしても決してごまかせません。
これは普段、ご父兄が生徒さんと接していて感じる性格と必ずしも同じではありません。
勉強を離れれば、素直でよい生徒さんであっても、学習に対して謙虚で、まじめな姿勢で向き合っているとは限りません。
逆の場合もあります。
具体的に「こういう場合は.....」という説明は難しいです。
生徒さんの性格のうち、わたしが見ているのは「学習に対してどうか」というところです。
そこにはわたしの動物的な感性が働いていると思ってください(笑)
4月の新学期から、あっという間に6カ月がたちました。
早いものです。
現在担当している中3生の皆さんは先月9月をもって、全員が部活動引退となりました。
先月から入試が終わるまで、毎月のように定期試験・模擬試験・実力試験などテスト!テスト!テスト!です。
そのような季節を迎えるに当たり、わたしが指導の際に留意することを、3点申し上げます。
一つ目は、特にみやぎ模試偏差値55以上(準ナンバースクール以上)の高校を目指す生徒さんには「高校0年生」としての自覚を持ってもらうということです。
わたしが常々申している通り、大学進学を考えている人にとって、高校受験は「中間試験」です。
ゴールではありません。
皆さんは今、緊張した日々を送っていると思います。
その中でも、準ナンバースクール以上に入学が決まった生徒さんは、高校生活が始まると、「高校受験は大変だと思っていたけど、中学のほうがまだよかったな」とほとんどの人が感じるようになるでしょう。
何しろ高校は、中学時代に比べ、学力が同じくらいの人が集います。
そうした中で、トップから最下位までの順位がつきます。
厳しくないわけがありません。
それゆえ、入試では問われないようなことであっても、塾で扱った発展的なことは、しっかり頭に叩き込んでおいてほしいのです。
そうした「高校0年生」としての自覚は、合格後に必ず役に立ちます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
二つ目は、特に英語・数学で進度を早くし過ぎないということです。
今年の中3生は全員が学習塾との併用です。
したがって、例年以上に塾との関連付けが大切になっています。
それゆえ、「受験を主導するのはオレさま」とばかりに、「教科書をさっさと終えて、1日も早く、入試の過去問を解きまくる」という方法を採りません。
わたしのような家庭教師を含めた受験産業従事者は、「学校よりいかに早く進んでおくか」ということに快感を感じます。
「早く進んでいる自分」「それに応じて頑張る生徒さん」というのは、やっていて非常に心地いいのです。
生徒さんは、やったそのときに、一旦はやり方を習得します。
しかしあまりにも拙速にそれを進め、時間がたってしまうと、抜けていってしまうのです。
そのために抜けないようなメンテナンスが必要になります。
塾と併用している生徒さんにとってみれば、あまりに向こう見ずな進度は、生徒さんの混乱を引き起こしてしまうだけです。
そして、とどのつまりが、「そんなに急いでも結果的には変わらない」ということになってしまいます。
わたしとしては、学校と塾との絶妙なバランスと橋渡しを行い、黒子に徹して、結果を出していくという姿勢を貫き通します。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
三つ目としては、その生徒さんの学習到達度によって、過去問の取り扱いを変えていくということです。
基本的に受験対策というのは、「過去問をいかにやり込むか」に尽きます。
そして受験に関して言及したものには、「過去問の大切さ」が力説されています。
こういうものを書いている人は、当然のことながら、現役の学生の頃は、それなりの成績を取っていたはずです。
しかし、これはわたしから言わせると、基本的には賛同するものの、全員に当てはまるものではありません。
特に、みやぎ模試偏差値40未満という生徒さんの場合は、入試過去問の使用を「最小限にとどめる」というふうにして行きます。
年が明けて入試が近くなってくると、学校の授業でも、入試過去問を使った演習が行われます。
それにプラスして、受験する高校の過去問をさらっと「雰囲気を味わってもらう」という範囲に絞り込みます。
そして残りは「できなかったところ」ではなく、「できたところ」「もう少し背伸びすればできそうなところ」を繰り返し演習していきます。
そういう生徒さんの多くが志望する私立高校でも、その入試問題を見ると、「何が悲しくて、ここを受験する人が誰も解けないような問題を出すのか」という問題がズラリと並んでいます。
入試を迅速に採点するための措置だと思われますが、それを教材にして学習しようとすると、あまりに無駄が多いことに気づきます。
そこでわたしがやっているのは、これまで受けてきた各種試験の解き直しです。
入試まで抜かりなく務めます。
書店に行くと、すでに8月くらいから高校入試の過去問集が売り出されています。
いくつか種類があるので、「正直、どれがいいのか.....」というご父兄・生徒さんのために、指導に当たる者から見たランキングを示すことにします。
以下は、100%わたしの独断です。
各出版会社から、リベートのようなものは一切受け取っておりません(笑)
まあ、出版社からしても、このサイトはリベートを出すほどのところでもないでしょうし、仮に低評価であっても目くじらを立てることもないでしょう。
そんなわけで意味で非常にのびのびと書けます(笑)
公立高校については以下の通りです。
第3位 仙台リビング新聞社 高校入試虎の巻宮城県版 平成29年度受験
平成29年春受験用私立高校については以下の通りです。
第1位 東京学参
第2位 教栄出版
私立高校の過去問で、在仙私立高校は、教栄出版が全校そろっています。
東京学参は、東北、白百合、ドミニコ、明成、生文のシリーズがありません。
判断基準は「学習する際に、使いやすいか」「解説はしっかりしているか」という2点です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ここでいう「使いやすさ」というのは、「紙がいろんなところに散逸しづらい」ということを意味します。
特に受験生の指導は、終盤になると、教科書・過去問・過去に受けた試験・ノート等々がそこかしこに並び、机の上が「紙爆弾」と化します。
そうしたときに「あれ、あの年度の問題はどこに行ったっけ.....?」とならないのが、いちばんよいと考えています。
次に重要なのが、「解答・解説がしっかりしているか」ということです。
この過去問集の中には、解答・解説が非常にお粗末なものがあります。
特に数学については、その点がいい加減だと、「どこが間違ったのか」が分からず、非常にイライラすることになります。
公立高校のもので、最も使いやすく、解説のしっかりしているのが、東京学参です。
ここのものが、一番ストレスが少なくて済みます(笑)
次が、富士教育です。東京学参、富士教育とも収録は5年です。
標準的と言っていいでしょう。
その違いは、解説がしっかりしていることと、英語のリスニング対策ができていることです。
そのため、東京学参が富士教育よりややお高くなっています。
リビング新聞社のものは、分野別になっているのが特徴で、解説もそこそこOKです。
しかし紙がペリペリとはがせるようになっており、わたしとしては、使いづらかったです。
分野別だったり、逆に「紙がはがせて、自由自在にできるからいい」という方にはお勧めします。
ただし、整理整頓ができる、ということが絶対の条件です(笑)
(次回に続きます)
(前回の続きです)
教栄出版は、入試そのままのスタイルになっているというのがウリです。
年度別に答案がとじてあります。
しかしやってみると、意外なほど使いづらいというのが、わたしの偽らざる感想です。
おまけに、解答・解説は上記のものの中で、最も残念です。
それゆえ、ここを使うのは、非常に抵抗があります。
私立高校の入試過去問だと、ここの出版しかないものがあり、そういう高校だと、毎年ストレスがたまります(笑)
それからこれにプラスして、上位高、特に、仙台一高や仙台二高を目指す人ならば、これに挑戦すると非常に力がつきます。
これは、科目別、国・数・英3教科合本、理・社2教科合本が発売されており、俗称「電話帳」といいます。
今の中学生に「電話帳」などといっても分からないかもしれません。
昭和の遺物ですね(笑)
これはわたしが高校受験をしたときにも取り組みました。
わたしのころは、5教科まとめたものしかありませんでしたが、今はいろいろなタイプが出ています。
わたしは、北から順に解いていき、「全国一周の旅」というゲーム感覚で「今日の理科はいよいよ東京だ!」「数学は静岡を突破したぞ!」などとやっていたものでした。
いずれにせよ、入試問題を解く際には、ただ漫然とやるのではなく、「英語は繰り返しの〇回目に入った」というように、目に見える数字の目標を自分で決めてやって行くと、「やりがい」が出てきます。
先般、高校生を指導しているときに、英語の音読について、あらまし次のような質問がありました。
〜菊池は、英語の学習において音読が大切だという。
自分もその重要さはよく分かっており、音読を心がけている。
しかし特に、日本語になっている英語の発音やアクセントは、日本語と英語で違っている場面がちょくちょくある。
自分としては、気を付けているつもりだが、しっかり対処できていないのではないかと不安がある。
指導の際は、菊池が横にいて、間違った読み方をしていれば、そのたびごとに指摘してもらえるからいい。
ところが、自習の際には、誰もその間違いを指摘してくれる人がいない。
それをどうすべきなのか〜
思わず心の中でうなっていました。
その生徒さんの、真っすぐな思いが実によく伝わってくるではありませんか!
一生懸命に学習に向き合っているからこその質問ですね。
わたしはこういう質問、大好きです(笑)
特に高校生になると、一挙に単語数が増えます。
しかし学校の授業では、中学校と違って、いちいち新出単語の解説なんかはしません。
その一方で、試験問題には、発音やアクセントがちゃっかり出ています。
生徒さんには、わたしが考えるところを解きましたが、もしかしたら、同じように考えている生徒さんもいるかもしれません。
そういう人の参考になるように、わたしなりの解決法を提案することにします。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
昨日記した内容に関するわたしの考え方の結論は「間違っていることを恐れず、ガンガン読んでいく。間違いが分かった段階で、焦らずにひとつひとつ修正していけばいい。」というものです。
昨今、中学の英語の試験では、必ずリスニングの問題が出題されています。
わたしが現役の中学生のころは、定期試験にリスニングはありませんでした。
その代わり、公立高校の入試には、今と同様にリスニングがありました。
模擬試験では、3年生の秋ごろになってから、リスニングの問題が出てくるようなっていたと記憶しています。
リスニング試験が課されるようになったのは大いに結構なことです。
が、その一方で単語の発音やアクセントを問う問題がスパッと姿を消してしまいました。
私立高校では一部に発音・アクセントの問題が残っています。
それゆえ、自分が正しい発音をしているかどうかを検証するのは、昔に比べて、できにくい環境になってしまっています。
中学の段階で、単語の発音に関する「鈍感さ」を持ったままに高校に上がると、ある日突然に、単語の発音・アクセントが試験問題として出るようになります。
センター試験ではこうした問題が今もありますし、私立大学の入試問題も同様です。
そうした中で、単語の正確な発音に対処するためには、過去はどうにも変えられないので、未来を自分で変えていくしかありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、「未来をいかにして変えるか」という「変え方」は、「自信がない発音は辞書を引いて、いちいち確認。発音・アクセントの問題は、『自分の間違いを教えてくれるありがたいもの』」という意識を持つことです。
みやぎ模試偏差値50以上の高校に通う生徒さんならば、いずれかの段階で、発音・アクセントの問題集を解いていかなくてはなりません。
わたしも高校生の頃、集中して取り組んだ時期がありました。
わたし自身は、中学校まで英語で苦労した記憶がありません。
そういう者にすら、高校に上がって、「発音・アクセントだけで、しっかり覚えておかなくちゃならないことが、これだけあるのか.....」と目まいがしそうになった記憶があります(笑)
しかし、繰り返しやって行くと、必ず身につくようになります。
そうなれば、しめたものです。単語の発音に関しても、ある程度の自信は付くようになります。
ただ、ここで重要なのは「ある程度の自信」です。完璧というわけではありません。
間違いに対しては、常に謙虚でなくてはなりません。
.....と、こうやって偉そうに講釈を垂れるわたしですが、「おまえは人様に語れるほどなのか?」と問われれば、決して完全ではありません。
さすがに高校生までに出てくる単語は、確信が持てないということもほぼなくなりました。
が、難しい単語になると、「自信があります」などとは言えません。
とにかく、この件については、間違いを恐れず、音読をやりこなしてください。
間違いはいつでも直せばいいのですから。
わたしはときどき、指導の際に生徒さんの顔色を見て、「昨日は何時に寝て、何時に起きましたか?」ということを尋ねています。
そう尋ねる際のほとんどが、生徒さんの目にいつもの力がないときです。
またそうでないときであっても、受験生に対しては、そのように言うことがあります。
わたしが申し上げたいのは、明日に学校の授業があるという場合においては、睡眠時間を最低7時間は確保し、また夜は12時までに就寝してほしいということです。
いささか釈迦に説法になってしまいますが、快眠快食は生活の基本です。
学習にいそしむ生徒さんとて、それは変わりありません。
周りが暗いときに、明るいものがあると、人間というのは本能的に興奮します。
ナチスがよくやっていた夜のたいまつ行進というのは、それを利用したものです。
それゆえ夜が楽しいのは分かります。
わたしもそうですから(笑)
ただわたしが10代のころと比べると、「誘惑」が多いのも事実です。
LINEなどネット関連のものがそうです。
中には友人との関係を気にして、いつまでもズルズルと起きて、LINE三昧という人もいるようです。
友人も大事でしょうが、大したことは語っていないはずです。
であるなら、時間を区切るということは必要です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが見るところ、今の生徒さんで、不規則な生活になってしまう最大要因はスマートフォンです。
高校生未満の生徒さん、とりわけ中学生の場合は、グレーゾーンです。
もちろんスマートフォンを持つかどうかは、個々の家庭の考え方によります。
ただわたしがこれまで経験している範囲では、「この生徒さんにスマートフォンを持たせたら、そりゃそういう結果になるでしょ」という生徒さんほど、所有率が高いです。
そういう生徒さんは、「息抜きに勉強している」と思われる場合が多く、それゆえにこそ、そういう試験の結果になります。
逆に「この生徒さんは無体な使い方をしないだろうな」という生徒さんほど、低い所有率です。
そして携帯電話を持っていたとしても、いわゆるガラケーだったりします。
ガラケーであれば、LINEは使えませんから、それによる夜更かしという心配事は一つ減ります。
ただ小学生の高学年以上になってくると、「早く寝なさい!」というだけでは、大きな効果が望めません。
もし携帯電話がらみの夜更かしが続くようであれば、しっかりとルールを決めるべきです。
それが守れないようであれば、解約するという手段をとったほうがいいでしょう。
中学生くらいまでは、携帯電話がなくてどうしても困るようなことというのは、そうあるわけではありません。
むしろ親の側が「何かあったとき、子供に連絡がつきやすい」などという理由で持たせているのが多いはずですから。
仙台市内の公立小中学校など、2期制をとるところは、通信票の成績が来ています。
高校を受験する予定の中学生にとっては、評定が入試にそのまま「内申点」としてかかわってくることになるのは、今さら申し上げるまでもありません。
この通信票の成績の付け方は、ご父兄が中学生だったころとは、だいぶ様変わりしています。
その昔は、「相対評価」という方式でした。
この方式ではクラスの中で、7%の人に5を、24%の人に4を、という具合に、それぞれの評価の人数枠が決まっていました。
一方、現在は「絶対評価」というやり方になっています。
これは、上述したような人数枠がなくなり、極端に言えば、50%の人が5という評定もOKというものです。
そのようなわけで、ご父兄が10代のころよりは、評価が甘くなっているという側面は否めません。
それゆえ「うちの子は、オール3で、クラスの中では『普通』という扱いなのね」などと考えていると、入試の際に内申点という壁に阻まれて、泣きを見ることになりかねません。
「昔の評価」と「今の評価」の相違は、わたしの感覚ですと以下のようなものです。
(今の5)...昔の4.5以上
(今の4)...昔の3.5〜4.5
(今の3)...昔の2.5〜3.5
(今の2)...昔の1〜2.5
(今の1)...不登校など特殊な場合
昔の評価に小数点はありませんが、それだけ評価が底上げされているということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
昔でいえば、「オール3なら、まあ普通か」との解釈は成り立ち得ました。
では、現在の「オール3」はいかほどなのか、わたしの手元にある、生徒さんの席次表から抜粋すると以下のようになります。
生徒A (評定平均)3.4 (直前みやぎ模試偏差値)43
→☆偏差値43は全受験生100人中75番くらい
生徒B (評定平均)3.0 (直前みやぎ模試偏差値)53
→☆偏差値53は全受験生100人中40番くらい
生徒C (評定平均)3.0 (直前みやぎ模試偏差値)39
→☆偏差値39は全受験生100人中85番くらい
AさんとBさんでは、みやぎ模試偏差値が10違います。
点数にして、BさんはAさんを80点近く上回っています。
しかし、評定の平均はAさんが高いのです。
そしてAさんとCさんでは、偏差値が14違っています。
点数にして120点の開きです。
しかし、評定の平均は同じです。
Bさんくらいの成績ならば、3.5から3.8に届くか届かないか、くらいが「妥当な」数字です。
しかしAさんとBさんの場合は、授業態度、すなわち提出物を期限内に出しているとか、丁寧に書いているなどというところを判断されて、このような評価になっていると、わたしは判断しています。
と申しますのも、わたしの指導においても、両名の対照が手に取るように分かるからです。
Aさんには、高評価を得るだけの「丁寧さ」が感じられます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この成績を3年間続けると、「内申点」において、Bさんが「実力相応」の高校を受けようとした場合、おおよそ20〜30点近くも後れを取ってしまうことになります。
入試の前に、この点数がハンディキャップになってしまうのです。
ここで「20〜30点」と書きましたが、5教科で4をもらうか、実技教科で4をもらうかで、開く点数は違ってきます。
今のルールですと、実技教科の4のほうが2倍換算されるので、その差はより開く可能性があります。
以上は公立高校のシステムであって、私立高校の入試には当てはまりません。
私立高校の場合は、「入試一発勝負」か、推薦入試で評定を満たしているかどうかというのを見ます。
それから私立高校の場合は、素行や出席日数のチェックは公立高校よりずっと厳しいです。
そのようなことを考えると、「学校の先生は、しっかり一人一人を丁寧にご覧になっている」ことが分かります。
もちろん、中にはおかしな評価をつける先生もいないわけではありません。
わたし自身、そのようなことには、役目として目を光らせています。
しかし総じて、わたしが感じているところと、学校の先生方が感じるところは同じです。
そしてそれらは、わたしが普段から申し上げている「コツコツ努力してきた人が報われる」という、至ってシンプルなものです。
高1生の生徒さんは、9月に2回目の定期試験を終えています。
高校における定期試験も要領がつかめてきたことでしょう。
1カ月たたないうちに、3回目の定期試験が待っています。
これまでは、「高校の授業・試験の流儀に慣れる」ことを最大の目標に据えてきました。
このたび半年が過ぎましたので、今後どのように学習を進めていくべきか、また進路の希望等に関して、先ごろ生徒さんたちと打ち合わせました。
これは高校1年生に関することではありますが、「高校0年生」たる中学3年生の参考にもなればと思います。
わたしがこの打ち合わせで最も強調したかったのは、「卒業後を見据える」ということです。
「高校に入ったばかりなのに、もう卒業後のことを?」と驚くかもしれません。
これに対する答えは「はい、その通りです」となります。
卒業後のことを考えずに高校生活を何となく過ごし、定期試験に追われて赤点回避のみが目標になってしまっている高校生はかなりいます。
そしてその結果、高3になって「はて、どうしようか.....」となっている人をこれまでたくさん見てきました。
もちろん、それはその人なりにいろいろな考え方があるので、「それも人生」です。
しかし「より上を目指したい」と考えれば、高1の時点からしっかりと準備をしておく必要があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高校1年生は、大学進学を考えるのであれば、「文系か、理系か」「一般入試か推薦入試か」「国公立大学か、私立大学か」ですべきことがかなり異なってきます。
推薦入試を目指すのであれば、定期試験の対策を主とします。
一般入試は学校の勉強だけでは足りません。
国公立大学は、センター試験の受験がベースにあるので、5教科に目を配る必要があります。
私立大学であれば、3科目に絞った対策となります。
わたしの経験からすると、国公立大の一般受験というのは、あれこれ言ってもハードです。
ハードさの原因というのは、文系・理系で程度の差はありますが、5教科全般に目を配らなくてはならないということです。
高1のこの時期であれば、国語・数学・英語の3教科がベースになります。
学習量もそれらに重点を置くことになるのは当然の成り行きです。
しかし問題なのは、英語や数学に時間を割くあまり、理科・社会がすっかり疎かになってしまうことです。
「重きを置く」必要はありませんが、「ボケない程度に細々とでもやって行く」ということを肝に銘じてください。
中学校に比べると、英語・数学が非常にハードで、他の教科まではなかなか手が回らないというのは分かります。
しかしそれでは入試を突破できないのです。
その旨、国公立大を目指す生徒さんには釘を刺しておきました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そして、準ナンバースクール以上に通う生徒さんであって、上を目指したいということならば、
「自分で積極的に仕掛けていく」必要があります。
ここで「自分で積極的に仕掛けていく」というのは、以下の3点です。
(1)定期試験をペースメーカーとしてとらえる。「最大目標」にしない。
(2)学校で扱う授業内容を上手に利用する。
(3)確固たる意志をもって、校外模試を積極的に受けるなど、自分の頭と体でできる限り動く。
実のところ、そういう学校に通う生徒さんであっても、定期試験だけで手いっぱいという人は少なからずいます。
そういう生徒さんは、県内でいえば、東北学院大を超えたところ(東北大、宮城教育大、宮城大)への入学は困難になります。
わたしが体験している限り、準ナンバースクール以上に通っている生徒さんというのは、高校入試のときに、それなりの成績を収めただけのことはあります。
逆にそうでもなければ、高校入試は突破できませんから.....
彼らは難関を目指すだけの十分な潜在能力を持っています。
それゆえ、そのまま成り行きでズルズルと「何となく」のところに行ってしまうのは、わたしから見ると非常にもったいない気がします。
一度しかない人生なのですから、せっかくの機会にやるだけのことをやってみてください。
これが後の人生にもつながっていきます。
弊コラムにて連載を始めてから、3年2カ月、そしてツイッターを始めてから約6カ月がたちます。
幸いなことに、多くの方にご愛顧いただいています。
コラムは、宮城・仙台にて受験を控えている生徒さんを持つご父兄向けに、わずかなりともできることを、ということで開始したものです。
その過程で、わたしが想像する以上の反響をいただいております。
分けても、わたしが現在担当している生徒さんのご父兄の多くは、熱心にお読みくださっています。
ときどきコラムについて、指導の際にご質問があったり、貴重なご意見をいただいたり、ということがあります。
コラムは主としてご父兄を対象として書いています。
一方で、勉強法や受験情報など、生徒さんが知り置くべき事柄も記してあります。
ご家庭によっては、弊コラムを毎日プリントアウトしたり、タブレット端末で生徒さんが読めるようにして、活用しているところもあると聞いています。
生徒さんにしてみれば、おもしろおかしなことが書いてあるわけではないので、どうしても読むのが億劫になってしまうでしょう。
ネットに関しては、本分である学習になると、実に簡単なことすら自分で調べようとしない生徒さんが見受けられます。
あれほどLINEだ、ツイッターだと勉強以外のところでは十分すぎるほど活用しているのにもかかわらずです。
そういう生徒さん向けに、ご父兄は少しでも子息の志気が上がるよう、自らも汗をかく必要があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中には、自らが積極的に弊サイトにアクセスして、自分の学習に役立てようという生徒さんもいます。
当然のことながら、そのような生徒さんは進取の気性に富んでおり、これまでは全員が第一志望に合格しています。
いつぞやある生徒さんからは、「菊池はコラムでいろんなことを書いている。受験情報は構わないが、勉強法については書くのを控えてほしい」という注文が来ました。
わたしが訳を尋ねると、こういうことでした。
〜菊池が効率的な学習法を書くと、これを読んだ受験生はそれを参考にする。
その結果、彼らの成績が上がってしまう。
自分は高倍率のところを受験するので、ほかの人の成績が上がるようになっては困る。
だから、勉強法のことは書かないで、自分だけにその方法を教えてほしい〜
わたしは大笑いして、そんな心配は全然する必要がないから、これまでどおりに学習を続けてほしい、と伝えました。
その生徒さんの実に熱心な様子が伺えます。
ここまで言われれば、家庭教師冥利に尽きるというものです(笑)
もちろん、その生徒さんは第一志望の高校に優秀な成績で合格しました。
入学後もよい成績で推移しているそうです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ツイッターに関しては、コラムでとらえきれないものを、思いつくたびにコメントするようにしています。
もともとツイッターは140字という制限があり、そうそうたくさんのことは語れません。
しかし、そういう少ない字数の中に、わたしの魂を込めることは十分に可能です。
コラムと同様、受験の参考になさってください。
また、わたしの目から見て、「これはそのとおりだなあ」とか「これはご父兄も知っておくべき」と感じた他の方のコメントは「リツイート」という形で積極的に掲載しています。
ツイッターというのは巨大な海のようなものです。
そのため、「どういう情報があるのか、多すぎて分からない。しかもその書き込みが正しいものなのかどうか、判断できない」という場合がでてきます。
わたしが他の方のコメントを取り入れているのは、それをおもんばかってのことです。
他の方のコメントというのは、主にわたしとご同業の方です。
役に立つ情報を発している方はたくさんいらっしゃいます。
そのようなコメントを併せて読むと、より参考になります。
また生徒さんのご父兄の中には、「いいね」というボタンを押してくださったり、わたしのコメントを「リツイート」という形で、他の方に広めてくださっている方もいらっしゃいます。
これはわたしにとっては大きな励みになります。
わたしの書くものに、何らかの価値を見出していただければ幸いです。
高校1年生になると、県内の多くの高校でベネッセが主催する「進研模試」が開催されています。
これは全国規模で行われており、他県の高校も参加しています。
先般、東北地方における学校別のランキング表を某所より入手いたしました。
以下のデータは、某高校が公式の文書として出しているものから、抜粋しています。
なお、資料には受験者数・県名・教科ごとの平均点が記してありますが、学校名は伏せてあります。
学校名については、受験者数やこれまでの進学実績を基に、わたしが推定しました。
この試験は300点満点です。
国語・数学・英語の3教科で実施され、いずれも100点満点です。
(平均点トップ5)
1位 仙台二 179.3点
2位 秋田 171.9点
3位 山形東 165.2点
4位 盛岡一 162.8点
5位 仙台一 161.7点
.....と続きます。
宮城県内の高校の順位は以下の通りです。
9位 仙台二華 152.2点
12位 仙台三 146.3点
14位 宮城一 144.0点
青陵中の4年生(通常の学校であれば高1に当たる)も、学校の予定表を見る限り、受験はしているはずですが、このランキングの中にはありません。
二華と違って高校から入学してくる人たちがいないので、別扱いになっているのかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
また、トップ20に入っている高校の県別の数字は以下の通りです。
1位 宮城 5校
2位 山形 4校
3位 秋田・青森・福島 3校
6位 岩手 2校
人口から言って、宮城が1位なのは当然としても、山形が健闘しています。
第1位から第20位までの平均点の差が、48.8点です。
1科目にして16.2点ですから、大きいですね。
わたしが何名かの生徒さんから上がってくる数字を見て分析する限り、この試験は、だいたい東北学院高校で「平均よりちょっと下」というものです。
東北学院高校には中学から入ってきた人たちも含んでいます。
そのため正確な数字は出せませんが、だいたいのイメージはつかめます。
東北学院高校のみやぎ模試偏差値は57です。
今回の試験は、中学時のときに受験するみやぎ模試や、合格ナビ模試とは、比較にならないほど高いレベルでの競争です。
宮城県の高校については、だいたいこんなものでしょう。
青陵が未知数であり、そこが加わるとまた違ってきます。
二華については、中学から持ち上がってくる人と、高校から入学してくる人とで、相当開きがあることは容易に想像できます。
定員の人数を見てみると(中学入学):(高校入学)=105人:135人ですから、平均に直すとこのくらいです。
前年弊コラムで、高1の段階で、二華の中学入学者の半分は二高に勝てていない、という話をしました。
これが今年も続いているかどうかは分かりませんが、興味深いことではあります。
月例となりました「対抗バトル」の結果は以下のようになりました。
(模擬試験の部)仙台市泉区 中学3年 Y.Aさん
☆前回比 偏差値6アップ 改善率19.35ポイント
今回は、みやぎ模試で偏差値が前回の模擬試験に比べてプラス6、点数にして66点上昇したY.Aさんが英雄認定されました。
豪華副賞(笑)も併せて進呈されます。
指導において、Y.Aさんとは主として数学の演習を行っています。
最近は理科・社会にも力を入れるようになりました。
そのおかげでの今回の伸びです。
Y.Aさんは家の装飾、インテリアに興味を持ち、将来もそちらの方面に進みたいという意欲を示しています。
指導の際も、しっかり集中できています。
入試までもう少しです。残りの期間、しっかり勉強して、できる限り成績を伸ばしてください。
今やっていることは、何らかの形で必ず将来役に立ちます。
今回の受賞をきっかけに、さらに飛躍していくことを望みます。
Y.Aさんの日頃の努力に心から敬意を表します。
志気が低い生徒さんは、ご父兄にとっても扱いが難しいことだと思います。
それはわたしのような受験関係者にとっても同様です。
特に家庭教師という職業に就いていると、そういう生徒さんを多く目にすることになります。
そういう生徒さんに見られることとして、共通しているのは「学習・受験に対する無関心」です。
中3のこの時期になっても、自分の受験を人ごとのようにとらえている人はかなりの割合でいます。
わたしから言わせると、「受験ってあなたの人生でしょ。そんな大事なことなのに、関心がないんですか?」と言ってしまいがちになります。
しかし腹が減ってたまらないとか、いうように本人が切迫したものを感じていないわけですから、馬耳東風の状態は続きます。
そうした生徒さんに必要なのは、「分からないところを分かるように勉強する」ということ以前に、気持ちをそこに向けるようにすることです。
先ほど「学習・受験に対する無関心」と言いましたが、「学習に対する無関心」と「受験に対する無関心」では意味合いが少し違います。
これまでの経験ですと、「受験に対する無関心」をなくしていくほうが、「学習に対する無関心」をなくしていくより容易です。
今回は、「受験に対する無関心」の対処法として、2点提言いたします。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一つ目は、みやぎ模試の偏差値ランクを見せることです。
志気が低い生徒さんは、そもそも学習に関心が極めて薄いです。
それゆえ、高校の難易度が全体的にどの程度なのか、何点取れればその学校に入れるのか、などということはまず知りません。
彼らの知識はだいたい次のようなものです。
一だの二だのと数字の付いたところは、できる人たちが入る(=従って自分には全く関係がない).....
自分の家の近くにある高校は、何となく名前だけは聞いたことがある(=でも詳しいことはよく知らない).....
お勉強の苦手な人たちが集まっているような高校が存在する(=自分の先輩や知人にそういう人がいる).....
そういう生徒さんに「A高校は偏差値68で、B高校は偏差値50で、ランク付けはこうなっている」というリストを見せると、大きな関心を示します。
学習に関心を示さなかった生徒さんほど、熱心にその表を見ています。
人間だれしも数字が書いてあるものには説得力を感じてしまいます。
さらに人の常として、ランキングは大好きですから、それら2つを満たしたものには大きな関心を寄せます。
それは志気の低い生徒さんとて例外ではありません。
じっと食い入るように見つめる生徒さんもいれば、「〇〇高校って、何点取れれば入れるんですか?」などと具体的な数字を尋ねてくる場合もあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
二つ目は、内申書のシステムを説明することです。
彼らはさすがに内申書というものがあることは知識として分かっています。
通信票の評定が低ければ、入試に響いてくるということも知っています。
しかし具体的に「どのように」かかわってくるか、というところまでは、分かっていません。
公立高校と私立高校で、その扱いが違うことや、評定が3と4で、入試においてはどれだけ有利か、という知識はさらにありません。
さらに宮城県の公立高校のシステムでは、3年生でいくら追い上げても、1・2年での内申における失点は容易に取り返せないということを話すと、みるみるうちに表情が曇ります。
そのような彼らに内申書における評定の扱われ方の事実を話すと、かなり神妙な顔つきになります。
そしてなぜ定期試験や副教材のワークにしっかり取り組む必要があるのかを説きます。
もとよりそのようなことを一度や二度やったところで、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざの通り、しばらくすると「元の彼ら」に戻ります。
ですから、折に触れて、彼らに事実を伝え、切迫感を持ってもらうようにします。
ご父兄がこれをやろうとすると、相応の受験知識が必要となります。
ご父兄も子息のために「お勉強」が必要です。
このようなことをやっても改善していかない生徒さんはいます。
しかしいくらかでも子息が上向いていく確率があるのなら、実践する価値はあります。
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