内申制度で個性や自主性は失われるのか? 〜まずは、すべきことをやれっていうことです〜 その3 2017/07/09

前回の続きです)

それに、「全く意味のない殴り書きしかされていないようなノート作り」しかできない人たちより、「全く意味のない綺麗なノート作り」をする人のほうが、相対的に見て成績はいいのです。

これは、平均点の男女差を比べると、たいていは男子より女子がまさっている、という点で実証済みです。

女子は「全く意味のない綺麗なノート作り」をいとわずにやれる人が多いからです。

こういう現状を見ていると、内申制度があっても、現状はかくのごとしです。

これを廃止した場合、どんな「混乱」が待っているかは想像に難くありません。

公立中学校の場合、体罰もできなければ、生徒を退学させることもできません。

「内申制度が最後の砦」となっているのは、十分に理解できます。

また、この先生は、「内申制度は、個性や自主性や批判精神が失われ、ワタミが喜ぶような従順な奴隷に近づいていく」ともおっしゃっています。

たぶん他の学校の先生もわたしも同じ見方をすると思いますが、内申ごときで個性や自主性が失われるほど、生徒さんたちはヤワではありません。

内申制度がもっと機能していれば、わたしたちはこんなに苦労はしていません。

子供の個性というのは、だいたいが「悪い個性、社会規範から外れた個性」です。

これを正していくのが教育であるはずです。

そして「自主性」は、往々にして「野放図」「無秩序」を招きます。

次回に続きます)

 

 

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