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今日は12月1日です。
受験に携わる者にとって、12月というのは、11月に比べても特別な意味を持ちます。
受験を控えている生徒さんの表情が変わっていく...
そういう様子も感じられます。
このところ、12月という時期を迎えて感じるのは、
「生徒さんの進路の決まるのが早くなっている」
ということです。
例えば、東北大では11月にすでにAO入試が行われています。
今回は、東北大医医に合格者が出ました。
東北大のAO入試は、一般入試に比べると、難易度が高いです。
そのほかにも、私大のAO入試も11月です。
高校入試は、さすがにここまで早くは決まりません。
しかし、「私立推薦」ということであれば、ほぼ合格は確定します。
決まるのは、1月半ばです。
そんなことがあり、高校は入学後すぐに
「早く進路を決めてください!
文系・理系、どっちに行くんですか?」
という具合にせっついてきます。
生徒さんにしてみれば、
「今、入学したばっかりなのに...」
という気分にもなりそうです。
が、背景にはこうしたことがあります。
進路決定がこのように早くなっています。
ということは、それよりもっと早く、生徒さんは自分の意向を決めておかなくてはなりません。
さて、わたしも頑張っていきます!
中3生は内申評定が通知されました。
受験する私立高校も決まっています。
この時期、公立メインの受験生を持つご家庭からは、
「私立高校の入試のための勉強ってどうやればいいんでしょうか?」
というお尋ねをよく受けます。
今回のコラムでは、この点への回答をメインに書いてみます。
◎私立の過去問をやり過ぎない
あくまでメインとなるのは公立入試です。
私立の入試問題は、公立と出題形式・難易度が違います。
私立の過去問演習を行うことは、公立入試メインの学習にプラスにはなります。
ただ、「やり過ぎ」は避けるべきです。
◎私立の問題は難しい
私立の問題は、公立に比べて、同等あるいは難しいです。
「この高校、こういう問題を出してるけど、この問題解ける人で、この高校を受験する人はいるの?」
このように感じることがよくあります。
ウルスラの問題、特に数学は難しいものが出ます。
もっとも出るのは、難しいものばかりというわけではありません。
基本的なものも出題されることはもちろんです。
大切なのは、
「難しい問題を無理して解こうとしない」
「易しい問題・基本的な問題をいかに確実に解けるか」
これが試されます。
このことは、私立入試のみに当てはまるわけではありません。
今回のコラムは、この時期に行われる中1生の定期試験についてです。
公立の中学校でこの時期の定期試験というのは、だいたいこんな感じで行われています。
・中3生と同じ時期に
・中3生よりもちょっと遅く
・そもそも定期試験がない
中3生と同じ時期に行われた中1生の定期試験の結果は、ぼちぼち出始めです。
その結果を受けて、多くのご父兄から聞かれる声の一つが
「小学校のときのテストに比べて、点数が下がった」
というものです。
「点数が下がった」原因として、ご父兄の多くは
「勉強が中学に入って難しくなったから」
とお考えになっているようです。
もちろん、これも原因です。
しかし、わたしが考えるに、原因はこれだけではありません。
一番大きな原因は、
「小学校と中学校で『テスト』がまるで違う考え方で作られているから」
テストが違う原理で作られているなら、出てくる結果が違ってくるのも当たり前です。
ところが、この「原理の違い」は、ほとんど知られていません。
そして、学校の先生も、これを意識している方は相当少ないです。
わたしのような受験関係者がひそかに知っていると言っても過言ではありません。
以下、どのように違うのかを述べます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎小学校のテストの平均点は80点程度
□中学校の定期試験の平均点は50~60点程度
小学校で単元の終わりごとに行われるテストは、受験業界で「カラーテスト」と呼ばれます。
このカラーテストについて、子供さんがもらってくる点数がいかほどかはご存じかと思います。
では、このカラーテストの平均点が学校から発表になったことはございますか?
たぶんないはずです。
つまりこの「カラーテスト」は、「生徒の序列をつける目的がない」ということです。
「カラーテスト」は平均が80点程度になるくらいに問題が作られています。
一方、中学校の定期試験は、小学校の「カラーテスト」とは違います。
試験の目的は、「生徒に序列をつけること」です。
生徒の学力を点数で測り、通信表の評定を出します。
評定の数字は、高校入試に直結します。
テストの平均点は、50~60点くらいが「相場」です。
小学校と中学校で、テストについては、これだけ性格が違います。
ですから、「中学校になってから、急にテストの点数が下がった」としても、不思議ではありません。
とはいえ、そういう点をもらう生徒さん、ご父兄にしてみると、愚痴の一つも言いたくなる気持ちも理解できます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中1生の定期試験につき、過日行われた公立中学で、英語・数学の得点分布表が手元にあります。
得点が30点台以下になっている生徒の割合はこんな感じです。
<数学>
平均点50点
0~29点 21.4%
0~39点 33.9%
<英語>
平均点52点
0~29点 20.7%
0~39点 32.2%
つまり、「5人に1人」は20点台以下です。
「3人に1人」は30点台以下です。
こういう生徒さんも、小学校のカラーテストで60点くらいは取れていたかもしれません。
「小学校のときは点が取れていた。
でも、中学に入って20点・30点という点を取ってくるようになった」
このように仰るご父兄は、これまで何人もいらっしゃいます。
「小学校のテストって、だいたい平均点が80点くらいです。
だから、60点という点だと、平均に行ってないってことなんです」
このようにご父兄にお伝えすると、だいたい
「エ!」
というお顔をなさいます。
ですから、中学での低得点も、小学校のときの学習に原因があったわけです。
ただ、わたしも受験に携わらず、子供が同じような点を取ってきたら、
「エ!」
という顔をしていたに違いありません。
こうしたテスト事情をまずもって知っていただければ幸いです。
この時期の受験生を見ていると、生徒さんの現状が今まで以上に分かるようになります。
「この生徒さんは、まだちょっと不安だが、逃げ切れるな」
「この生徒さん、このレベルの問題、解けなくなっちゃったか... 失速してきてるな」
こういうことを感じているわけです。
多くの受験生は、それほどペースが変わりません。
つまり、受験期が近づいたからと言って、大きく伸びたり、下がったりしません。
しかし、受験期に伸びる生徒さん、失速する生徒さんもいます。
彼らを見ていると、その原因は夏休み辺りの過ごし方にあるような気がしています。
言い換えると、こういうことです。
「夏休み辺りにコツコツやれていた生徒さんは、受験期に伸びていく可能性がある」
「夏休み辺りに手を抜いてした生徒さんは、受験期に失速する可能性がある」
今の時期、受験生は入試の過去問演習が始まります。
入試というのは、定期試験のように限られた範囲で行われるわけではありません。
基本的に、出題範囲は「これまでやったところ全部」です。
どこから出題されても、文句は言えません。
細かいところを突いてくる場合もしばしばです。
これまでの総決算を迫られるわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学校で行う単元テストや漢字テストのようなものであれば、短時間の学習でも、成果は出ます。
しかし、入試となれば、勝手が違います。
入試の範囲は広いです。
そうは問屋が卸しません。
成果が出ていないときの学習というのは、やっている本人にとって、ムダになるかもしれないものです。
学習をすれば、必ず成果が出るとは限りません。
一方で、学習を積み重ねないと成果は出ません。
ここがジレンマです。
夏休み辺りにした学習も、成果としては、後になってからです。
成果が出るまでは、自分との戦いを続けていかなくてはなりません。
この「孤独な戦い」ができるかどうか...
これが受験期に現れてしまいます。
受験期に失速する生徒さんというのは、自分でその原因を自覚していないケースがほんとうに多いです。
だいたいこういう生徒さんというのは、夏休みを過ぎたあたりで、わたしのほうから何がしかの指摘を受けています。
その指摘を受け入れたかそうでないかが、受験期になって出てきてしまうのです。
「塵も積もれば山となる」
塵が積もって山になった結果、成果は正反対になってしまいます。
この点、受験生でない生徒さんには心しておいてもらいたいのです。
今日のコラムは高校受験のお話です。
その中でも
「内申書はあったほうがいいか?ないほうがいいか?」
ということを記してみます。
わたしの考えとしては、
「いろんな要素を考えると、内申書のあるほうがいいのかもしれない」
というものです。
以下、詳しく述べます。
もともとわたしは、
「入試のシステムはできるだけシンプルなものがいい」
という考えでした。
そうした意味で、
「入試は本番の点数、一発で決まる」
というのが、一番公平です。
そして、何より
「シンプルで分かりやすい」
です。
ですから、長年、わたしは
「内申書は不公平な制度だ。
なくしてしまったほうがいい」
という考えでした。
とはいえ、「シンプル」というのは、必ずしも「公平」とは限りません。
国会議員の選挙制度と同じで、必ずメリットとデメリットがあります。
そして、その制度で損をする人からは必ず苦情が出ます。
今、国会で選挙制度改革が言われ、「総論賛成、各論反対」になるのはそのためです。
しかし、わたしは、あるときから、内申書への考えが変わりました。
二高の先生のお話を伺ってからです。
それは、高校受験の説明会での出来事でした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
二高の先生のお話はこうでした。
・・・内申が高めで合格した生徒と、低めで合格した生徒。
両者は、入学後の成績に違いがみられる。
入学後もしっかり学習を続けることができている生徒は、内申高めで合格した受験生であるケースが多い。
反面、入学後に下位のほうになってしまうケースは、内申低めで合格した生徒が多い。
言い換えると、
「中学時代の内申が高かった、あるいは低かったことは、入学後の成績と相関関係がある」
ということです。
その先生は、次のように続けます。
・・・入試のときというのは、学力が最大値に達する。
しかし、高校に入学した後は、合格したことで満足してしまい、成績が下位のままになってしまう生徒が出てくる。
わたしはこの話を聞いたとき、ちょっと驚いたのです。
驚いたポイントは、高校入学後、成績が低空飛行を続ける生徒と、中学の内申点の低さとの相関関係です。
先生がそうおっしゃるということは、たぶんそれは事実なのでしょう。
高校の先生にしてみれば、できるだけ志気の高い生徒を教えたいはずです。
そして、できるだけ多くの生徒を、「難関」と言われる大学に送り込みたいはずです。
そうなら、低空飛行を続けることと、中学の内申点の低さに、着目せざるを得ません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「低めの内申」とはいえ、これまで述べたことは、二高に入学してくるレベルの生徒さんでの話です。
中学生全般を見れば、二高入学者の内申は、かなり高いです。
「低い」といっても、平均4.3以上くらいはあります。
あくまで「二高の入学者の中でどうか」です。
二高入学者を、高校の先生は、今まで述べたように判断しています。
となれば、高校受験で内申点を絡めて合否を判定しているのは、高校側に十分な理由があるということになります。
入学者の選抜というのは、基本的に
「試験時の学力がどうか」を測ります。
しかし、高校としては、
「入学後に生徒がコツコツと学習を続けるかどうか」
ということも測っておきたいわけです。
そして、内申点制度があるということは、中学校にもメリットがあります。
中学校としては、
「高校受験に内申制度があるんだぞ!」
ということで、学校運営がしやすくできます。
要するに、内申制度は中学校・高校の両方にメリットがあるということです。
そして、二高のようなところでも、内申制度にメリットがあると感じられているという事実があります。
そのようなわけで、
「いろんな要素を考えると、内申書のあるほうがいいのかもしれない」
と考えるに至りました。
さて、本コラムをお読みのご父兄はどのようにお感じになりますでしょうか?
昨日、わたしが運営するYouTube動画チャンネルに、「平均評定3.7からの仙台一高合格」をアップしました。
今回のコラムは、この動画に絡めた話題です。
わたしのところには、生徒さんはもちろん、生徒さん以外の方からも、内申評定に関してご相談が来ます。
そういった相談を下さるご父兄は、ほぼこのパターンです。
1.ナンバー志望
2.男子
3.志望校の合格者平均に評定がやや足りない
「平均評定が3.0に達していないのでどうしよう」
とか、そういうご家庭からも相談があってよさそうなのですが...
なぜか、上に挙げたケースがほとんどです。
そこで、内申評定で悩まないようにするためには、次のことをご子息に心得てもらえればと思います。
◎「仕事は丁寧に」
「仕事は丁寧に」というと、何やら社会人として求められる素養のように聞こえます。
しかし、実のところ、これは学生でも同じです。
高内申という生徒さんは、「仕事が丁寧」です。
中学生の段階で「仕事が丁寧」というと、例えばこういったものです。
・字が丁寧に書いてある
・自分だけが分かっているのでなく、評価者である先生にも分かりやすい工夫を惜しまない
こんな感じです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中学生全般を見ると、ナンバー志望者は十分に「仕事が丁寧」です。
そうでないと、そもそも高い得点はできません。
「仕事が丁寧」かどうかは、「ナンバー志望者の中でどの程度の丁寧さなのか」ということです。
競う相手は、高いレベルにある人たちです。
偏差値60に達しない生徒さんとは受験で戦いません。
そこを留意しておきたいです。
◎副教科は受験に無関係と考えない
学校では、英語・数学のように、入試科目になっているものがあります。
そして音楽・美術といった副教科もあります。
「音楽・美術なんて、受験に関係ないよな」
「この副教科、内申に関係あるのがそもそもおかしい」
「副教科の内申評定が2倍になるなんて、何なの?」
ナンバー志望者には、こういう風に考えている生徒さんがいるようです。
口に出したりすることがなくても、このように考えている生徒さんは何となく分かります。
この件については、本来ならこのように偉そうなことを語る資格がありません。
他ならぬわたしが中学のときにこう考えていたからです。
タイムマシンに乗って、中学生のワタシにコッテリと説教をしたい衝動にかられます。
「オマエ、幼いなあ~ 物事をちゃんと見ろ!」と。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎学校でやることで受験に無関係なものはない
副教科は一見すると、受験に無関係に思えます。
主要5教科の点が取れればOKであると。
しかし、入試問題を見ていると、必ずしもそういうわけではありません。
例えば、大学入試2024年共通テストの国語の第1問の文章の出だしはこんな感じです。
モーツァルト没後200年の年となった1991年の、まさにモーツァルトの命日に当たる12月5日に、ウィーンの聖シュテファン大聖堂でモーツァルトの<<レクイエム>>の演奏が行われた...
ここで分かるのは、「モーツァルトなら高校生は知っているだろう」という前提で文章が出題されているということです。
確かに答えを導き出すには、モーツァルトを知らなくても支障がないという建前にはなっています。
しかし、モーツァルトを知らなければ、
「モーツァルト? モーツァルト? 誰? 何?」
となって、文章を読むときにも支障が出てこないとも限りません。
中学の音楽の知識がないより、あるほうがよいわけです。
ですから、副教科・学校行事・部活動など、入試に無関係なものはないといえるのではないでしょうか。
このように考えていくことが、内申評定で悩まない第一歩となります。
過日、定期試験の問題文の長さについて、↓のようなコラムを書きました。
<関連コラム>
これは、「その昔」に比べて、問題文が長くなってきているということを述べたものです。
今回のコラムは、これに補足をする、というイメージです。
問題文が長くなっているのは、大学入試や中学入試だけではありません。
高校入試もそういう問題が出ています。
また、定期試験にもその影響が及んでいます。
例えば、以下に示すのは、栃木県の公立高校の入試問題です。
科目は数学です。
数学の問題には見えないような問題文の長さです。
ただ、この問題は、まだ続きます。
国語や英語ならともかく、読んでいるだけでグッタリしそうです。
今の生徒さんたちは、こういうものに取り組んでいるわけです。
もちろん、今まで通りに計算や基本を問う問題は出るわけですが。
ちなみに、ある年の東大の入試問題がこれです。
(前回の続きです)
問題文が長くなる傾向にあるのは、数学だけではありません。
英語の定期試験には、初出の文章を出すケースも多くなっています。
「初出の文章」というのは、教科書で扱っていない長文です。
わたしが中学生のころ、英語の定期試験に初出の文章が出た記憶はありません。
初出のものが出るのは、模擬試験や入試のときぐらいでした。
そうした意味で、英語に関しては、これまで以上に付け焼き刃が通用しなくなっています。
定期試験の問題文が、どの教科も長くなるというのは、どういうことか。
それは
「できる生徒さんと、そうでない生徒さんとの開きが大きくなる」
ということです。
ですから、
「平均50点」
というテストでも、その結果は以前と様相が違っています。
ご父兄がイメージとしてお持ちになるのは、↓のような分布表です。
平均のところに人数が最も多く集まっています。
しかし、今の生徒さんの分布表は↓のイメージです。
できる生徒さんは、ますますできるようになり、競争が激しくなる...
そうでない生徒さんは、ますますできないようになり、選択の幅が限られる...
このようになってきています。
先般、読売新聞の記事に興味深いものがありました。
これは、
「今、紙ベースの教科書が『正式』になっている。
ゆくゆくは、デジタル教科書を『正式』のものとする」
というお上の方針を巡る記事です。
今回のコラムは、
「紙の教科書・デジタル教科書、どちらが生徒さんのためにはいいの?」
という点について、わたしなりの考えを書いてみます。
わたしの考えとしては、
「基本は紙ベース。
それを補う形でデジタル教材を取り入れていくのがよい」
というものです。
「デジタル教科書」は、パソコンやタブレットで教科書の内容を映すというものです。
今の生徒さんたちは、オギャアと生まれたときから、パソコンや携帯電話が周りにあった世代です。
この手の機械にはよくなじんでいます。
それから、「紙の教科書」よりは「デジタル教科書」のほうが、あらゆる面で合理的なように見えます。
「紙の教科書」は重い思いをして学校まで背負わなければなりません。
一方、「デジタル教科書」はタブレットだけで済みます。
しかし、わたしは「デジタル教科書」を主とすることには、賛成しかねます。
特に低学年ほど、これまで通りの「紙の教科書」にしたほうがいいです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
実際に指導をしていると、使い勝手としては、「デジタル教材」より「紙ベースの教材」のほうがやりやすいです。
これは、たぶん学校の先生も同じでしょう。
ただ、もちろん「紙の教科書」には欠点があります。
例えば、数学の図形などは「デジタル教科書」が威力を発揮します。
そのようなわけで、今の教科書は、各所にQRコードが示してあります。
QRコードを読み取ってネットにアクセスすると、図形の3D画面、ネイティブによる英語教科書の本文音読が出てきます。
今の状態でも、「紙ときどきデジタル」という体裁にはなっているわけです。
また、紙は使い方がシンプルです。
そういう意味で、教育現場では「基本は紙の教科書」とすべきです。
部分的にパソコンを使うということはもちろんあっていいです。
ただ、特に小学校の低学年ほど、デジタル教材に触れるのは、限定的であるべきと考えます。
そして、何と言っても、テストはパソコンやタブレットでは行われません。
紙に書いて実施するわけです。
ご父兄がお勤めの職場でも、紙は生き残っています。
何でもデジタルになっているわけではありません。
そう考えると、「紙は有用である」という証明にもなっているのではないでしょうか。
普通、「体力」といった場合、スポーツ・運動のことが頭に浮かびます。
例えば、プロスポーツ選手が驚異的な走り込みをしたりするとき、
「普通の人とは考えられないような体力がある」
という言い方をします。
今回のコラムで扱うのは「学びの体力」です。
イメージとしては、↓のような感じのことです。
トップ層と他の生徒さんを見てみると、トップ層は「学びの体力」のある生徒さんが非常に多いです。
ここでいう「学びの体力」とは、具体的にはこうしたことです。
・授業を集中して聞く
・長い時間、内容の濃い学習を続けることができる
・難しい問題に挑戦し、解くために長い時間考えたり、解法を試すことができる
学習の苦手な生徒さんは、いま述べたことが容易にはできかねるようです。
授業を集中して聞くということで思い出すのは、二華中に合格した生徒さんのことです。
その生徒さんは、小学校中学年時から指導をしていました。
わたしが驚いていたのは、その生徒さんの集中力でした。
とにかく、指導中は姿勢を崩しません。
わたしが指導中に言い間違ったりすると、
「先生!
ここは、○○なんじゃないんですか?」
と指摘されます。
冷や汗ものでした...
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、学習苦手層の場合、「体力そのものもない」ということがときどき見受けられます。
「お勉強ができない」という生徒の場合、
「お勉強は苦手だが、体は丈夫」
というイメージをお持ちになるご父兄がいらっしゃるかもしれません。
もちろん、そういう生徒さんもいないわけではありません。
が、実態は違います。
学習が苦手という生徒さんは、以下のような例が意外とあるように感じます。
・発熱などがたびたびある
・気力・覇気が感じられない
・体育が苦手
・自分から行動を起こすことがない
・おとなしい感じ
・他人の話は聞いているようで、聞いていない
イメージとしては、ドラえもんに出てくるのび太君を劣化させたような感じです。
教育困難校と言われる高校に一定数いるようです。
体が丈夫でないというのは、わたしもそうです。
しかし、発熱して学校を休むと言っても、年に1~2回程度でした。
わたしが見聞きした生徒さんの中には、わたしの3~5倍くらいの頻度で体調不良になる生徒さんがいました。
そういう生徒さんの中で、学業優秀だったという例はちょっと思い出せません。
「学びの体力」と「実際の体力」というのは、意外と相関関係があるのかもしれません。
今、県内の公立高校は、県内のどこに住んでいても、どこからでも受験できます。
こう書くと、
「菊池は何を当たり前のことを言ってるんだ?」
とお感じになる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、この「当たり前」のことが「当たり前」になったのは、ほんの15年前です。
それ以前には、「学区」というのがありました。
例えば、白石や石巻の中学に通う中3生は、基本的に仙台の公立高校を受験できませんでした。
石巻在住なら、石巻近辺の公立高校だけを受けることができました。
中学生の時分、多賀城在住だったわたしは、一高・二女(今の二華高)などを受けられませんでした。
逆に名取・岩沼在住の中学生は、二高・三高などの受験ができませんでした。
もっとも、当時の二華は女子校でしたから、どこに住んでようが受験はできませんが。
そういう時代に育った者見ると、一高・二高に通学してくる生徒さんたちは、随分と遠くから通ってくるなあと感じます。
彼らの出身中学の名前を各種資料で見ていると、石巻、白石、古川、栗原...という地名を目にします。
数としては決して多いわけではありません。
が、わたしはそういう地名を見ると、
「遠いところから大変だろうなあ。」
などと思ってしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一高にしても、二高にしても、仙台市内中心部から通ってくる生徒が数としては多いです。
それは、わたしが高校生だったころと変わりません。
ただ、わたしのように多賀城から通うというのは、クラスメイトの中でもで遠いほうでした。
仙台中心部から通ってくる彼らは、だいたい自転車通学です。
学校の近くに住んでいる級友の中には、朝8時に家を出ても間に合うような人もいました。
こちらは、電車の時間を気にしたり、駅で待たなくてはなりません。
高校時代、そんな彼らをメチャメチャ羨ましいと思っていました。
しかし、石巻、白石、古川、栗原...といった所から通学する生徒さんのことを考えると、彼らからすれば、
「多賀城から通えるなんて、近いじゃないか」
となります。
このように通学圏が広がったのは、新幹線の役割が大きいように思います。
わたしが高校生だったころに比べて、新幹線通勤・通学もしやすくなりました。
白石・古川からだと、仙台は「次の駅」、栗原は「二駅目」です。
特急料金はかかりますが、仙台でアパートを借りるよりは安く済みます。
遠くから通ってくる生徒さんには、高校で頑張ってほしいと感じています。
過日、ナンバー志望の男子をお持ちのご父兄に向けて、内申評定に関するコラムを書きました。
<関連コラム>
ナンバースクール狙いの男子をお持ちのご父兄へ ~内申評定で悩まないために~ その1
ナンバースクール狙いの男子をお持ちのご父兄へ ~内申評定で悩まないために~ その2
ナンバースクール狙いの男子をお持ちのご父兄へ ~内申評定で悩まないために~ その3
今回のコラムは、そこで述べ足りなかったことを書いてみます。
上に挙げた<関連コラム>では、中学の内申評定が、高校の学習と関係してくると述べています。
つまり、高内申の生徒は、高校に進んでもコツコツ学習を続ける確率が高いというのです。
逆に、内申が低くて入学した生徒は、高校在学中、成績が低空飛行を続けるという確率が高くなるとか。
もっとも、ナンバー志望者の「内申評定が低い」というのは、一般の中学生に比べて、基本的に高いわけではありますが。
さて、今回のコラムで述べたいのは、「副教科の内申評定」です。
ナンバー志望者の場合、英語・数学などの主要5教科はほとんど5でしょう。
ですから、彼らのレベルだと、
「評定が低め=音楽・美術などの副教科の評定が低め」
ということになります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
宮城県の公立高校入試の場合、内申評定について、???と思われるルールがあります。
それは音楽・美術などの副教科が、英数などの主要5教科の2倍換算されることです。
例えば、音楽の評定が3なら、内申としては6点ということになります。
ですから、ナンバー志望者で、内申が低めというのは、
「音楽・美術などの副教科の評定が低め」
ということを実質的に意味しています。
そうなると、当コラムをお読みのご父兄は、ますます不思議にお感じになるかもしれません。
「なぜ中学の音楽・美術の成績が、高校の成績と関係があるの?」
こういう疑問です。
これはわたしがそう思うからということではありません。
<関連コラム>でも述べたように、二高の先生が仰っていることです。
では、なぜそう言えるのか。
考えられることとしては、以下の点です。
それは
「高内申=勉強だけでなく他のことでも仕事の完成度が高い」
ということです。
だいたい、「できる生徒」というのは、勉強だけができるという人は、意外なほど少ないです。
そこそこ何でも卒なくこなします。
それは、音楽・美術・体育・技術家庭...文字通りに何でもです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高内申を取るためには、
「丁寧にコツコツ手を抜かずに」
「どの教科も手を抜かずに」
これが大事になってきます。
この作法が体に染みつけば、高校でもしっかりした学習を続けることができるでしょう。
また、副教科で高内申を取るためには、例えば体育なら、運動ができるだけでは足りません。
期末テストの点数、提出物、授業への取り組み姿勢などなど...
体育で5を取っているのは、トップ層にいて、運動もそこそこできるタイプの生徒さんです。
逆に、サッカーや野球のクラブチームに入っていて、お勉強は真ん中より下という生徒さんがいます。
そうした場合、5を取れているケースは意外と少ないです。
わたしの見る限り、評定4が一番多いです。
こういうことを考えると、「高内申=どの科目もオール5に近い」というのは、なかなかに大変なことです。
そして、高校に入学してからも、中学のときと同じ、あるいはそれ以上のペースで受験学習を続けていけるということと相関関係があるというのも、何となく分かる気がします。
高校の先生にしてみれば、中学でいくら頑張った生徒でも、それは過去の話・過去の栄光です。
先生方が向き合っているのは、「今の状態の生徒」だからです。
二華・青陵中の入試には、作文の問題が出されます。
字数としては、500字とかいうものです。
原稿用紙1枚とちょっとくらいの文章を試験中に書かなくてはなりません。
なかなかにハードです。
その際、
「書くネタに困ったときはどうすればいい?」
というのを、わたしなりにまとめてみます。
結論を手短にいうと、
「筆者に反対の主張を書く」
「試験問題の中にヒントあり」
です。
青陵中の場合、作文の課題には、一定の長さの文章がセットされています。
受験生に求められる課題としては、この文章を参考にしながら、自分の考えを記せというものです。
ここで大切なのは、問題文の指示が「筆者の主張を参考にしながら」となっていることです。
生徒さんの作文を見ると、だいたいが筆者の主張に賛成の立場から書いています。
もちろん、それでも筆が進むのであれば、OKです。
一方、筆者に反対の主張を書こうとした場合、賛成の主張をするときに比べて、いろんなことが書けるようです。
わたしの目から見ると、反対の主張を書いたほうが、生徒さんは生き生きとしています。
「そりゃあ、そうだろうなあ」
そう思います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「筆者に反対の主張のほうが書きやすい」
これには理由があるように感じます。
日常生活でも、人や物の長所というのを語るのは、難しいです。
腹の中にはない褒め言葉をいうのは、なかなかに骨が折れるものです。
大してすばらしいと感じないものでも、
「これ、すばらしいですね~」
などと言わねばならないときには、相応のエネルギーが必要です。
それは、わたしがここで申し上げるまでもありません。
一方、短所・マイナス面は限りなく出てきます(笑)
特に難しいことはありません。
生徒さんでもその点は同じです。
また、採点者である先生にしてみれば、「筆者の主張に賛成」というのは見飽きてしまっています。
先生も人間です。
同じような賛成の主張は、食傷気味になるでしょう。
ですから、「筆者の主張に反対」の論を張れば、ちょっとは読む気力が増えるかもしれません。
もっともわたしは
「作文には筆者と反対の主張をしなさい」
といっているわけではありません。
作文の書くネタに困ったときには、こういう方法もあると言っているだけです。
生徒さんが考えたように書けそうで、なおかつ字数もクリアできそうであれば、それで十分です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「作文のネタは文中にヒントがある」
これも、ネタに困ったときには試してみることができます。
二華と青陵を比べると、二華はヒントが少ない感があります。
例えば、前回の二華中の設問はこんな感じでした。
中学校では、様々な小学校から来た人たちと共に、よりよいクラスにしていくことが大切です。
あなたにとって「よりよいクラス」とはどのようなクラスですか。
次の条件にしたがい、あなたの考えを、四百字以上五百字以内で書きなさい。
これをヒントにすると、ネタとしてはこういうことが絞り出されます。
・「よりよいクラス」というワードから連想する
→「より悪い・良くないクラス」ってどんなだろう?
→隣のクラスはちょっとイヤな感じだったから、隣のクラスをネタにしてみよう
・「よいクラス」って、誰にとって、先生にとって? 生徒にとって?
→先生にとっての「よいクラス」と生徒にとっての「よいクラス」って違うのかも
二華中をガチ狙いするくらいの小6生なら、このくらいは試験場で思いつくでしょう。
そのときには、「ネガティブなこと」のほうがより連想されやすいです。
そして、ネタにもしやすいです。
もし、本コラムをお読みの方で、このほかに思い付くことがありましたら、当方までお知らせいただけるとありがたいです。
過日、某所ネットの書き込みで、学校英語についてのものがありました。
それには、
「英語教育は、もっと英語が話せるようなものにすべきだ」
とありました。
こうした話は、わたしが中学生のころからあったように思います。
ですから、こうした話題は「古くて新しい」といえます。
今回のコラムでは、教育現場での「話す英語」について、わたしがどう考えているかを記します。
わたしの考えは、「話す英語」を重視する授業に反対です。
むしろ昔ながらの「受験英語・文法訳読重視の英語」に立ち返るべきというものです。
「話す英語」重視・・・
理想だけならいくらでも語れます。
しかし、この日本国内で、英語を話せないと社会生活ができないという場面はほぼありません。
確かに、ビジネスで英語を使う機会はあるかもしれません。
が、ビジネスの場を一歩出れば、そこは「日本語の世界・日本語だけの世界」が果てしなく広がっています。
学校の英語の授業でいくら「話す英語」重視にしたところで、演習量が圧倒的に足りません。
これができるとしたら、ごく少数者だけを集めて授業をやるくらいしかできないでしょう。
インターナショナルスクールのように、英語で数学や理科を学んだりでもしない限り、「話す英語」の実用にはほど遠いです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回に述べたとおり、今の日本の社会状況で、「話す英語」重視の授業をするのは無理です。
一方、「受験英語・文法訳読重視の英語」に立ち返ることはできます。
受験英語・文法訳読重視の英語は、面白いものではありません。
しかし、これは、学校を卒業して「話す英語」を学ぶ必要が出てきたとき、基礎にはなります。
そして、「がっちりとした基礎」を持っている人は、「話す英語」を習得していくスピードが速いです。
なぜそうなるのか、以下をご覧ください。
<文章A>
すみません
お肉の売り場はどこですか?
<文章B>
国会では首相指名選挙が行われ、自民党の高市早苗総裁が選出されました。
受験英語で重きを置いているのは<文章B>です。
学校を卒業して、「話す英語」を勉強するとき、<文章B>になじんでいれば、<文章A>のような英語は習得が速いでしょう。
あちらで生活するようになれば、<文章B>に出てくる単語も、ビジネスの場面などで使う可能性は十分にあります。
<文章A>レベルの人が、<文章B>レベルになるのは、かなり時間がかかります。
そんなこともあり、わたしとしては、「話す英語」重視の授業には賛同しかねています。
さて、皆様はどうお考えでしょうか?
今日は12月30日です。
年齢を重ねていくたびに思うのが、
「1年の過ぎるのは早い」
なんだか、半年ごとに年末年始が来ているようです(笑)
今年は、学習塾での業務を終え、家庭教師に出戻ってきた1年でした。
そういう意味で、何かと動きのあった1年ではありました。
ところで、このところ、生徒さんを指導していて感じるのが、
「生徒個々人の差が今まで以上に大きくなっている」
ということです。
わたしが主に関わるのは、彼ら生徒さんの学力です。
しかし、差の大きくなっているのは、学力だけではありません。
日頃の生活習慣、学校生活への対応力などなど。
もちろん、こうした差は今に始まったことではありません。
昔からありました。
しかし、このごろは、
「きちんとしている生徒さんと、できていない生徒さんに二極分化してしまっている」
という風に感じています。
こう考えているのは、わたしだけではありません。
受験産業に携わってきたご同業の方が等しく思っていることのようです。
今後、この差は大きくなることがあっても、縮まることはないのでしょう。
わたしもこの点を踏まえて、指導に当たっていきます。
今年1年のご愛顧、感謝申し上げます。
コラムは来年1月3日から再開です。
皆様、どうぞよいお年を!
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