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わたしはホームページのプロフィールに記してありますとおり、高校は仙台二高に通っていました。
二高というと、多くのご父兄は「勉強が大変!」とご想像になるかもしれません。
それはそのとおりなのですが、入学したてのころは、勉強以上に応援練習が負担でした。
応援練習が負担??? そもそも負担になるほどの応援練習って???
そのようにお感じになるかもしれません。しかし、二高の場合は、「ある事情」があります。
その「事情」とは、5月第2土曜日に行われる仙台一高との硬式野球定期戦です。
その定期戦の応援のため、入学してから約1か月の間、応援練習が朝・昼休み・放課後と行われました。
朝は7時50分からです。当時、わたしは、その7時50分に間に合わせるために、東北本線の陸前山王駅から6時半発くらいの列車に乗って通学していました。
応援練習では、校歌と応援歌10曲を徹底して叩き込まれます。応援歌は5番まであるものもあります。
そのほかに、エールに合わせた応援も仕込まれます。
応援の指導法というのは、極めてシンプルです。
「ひたすら繰り返し」
理屈もヘッタクレもありません。
毎日、繰り返し、繰り返し、でした。
これ、よく考えたら、受験学習と重なるところもありますね。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしは応援練習自体、あまりきついとは思いませんでした。
しかし、朝習の時間に間に合うために、毎朝5時半ころに起床しなければならなかったのがきつかったです。
周りの級友は、自転車で通学している人たちが多く、しかも通学が30分圏内という人たちがかなりいました。
そういう彼らがとてもうらやましかったです。
当時、二高は男子校であり、応援団幹部は怖い存在でした。
何しろ、時代はバリバリの昭和です。
とにかく彼らの指示は100%実行です。
また、二高は当時も今も制服はありませんでしたが、定期戦までは中学の制服を着用することが不文律でした。
「定期戦を経ないうちは、二高生と認めない」という応援団の方針・伝統です。
その伝統は、最近までありましたが、今はなくなっているようです。
そういった応援練習を経て、実際に仙台一高の生徒たちを目の前にすると、「こいつらには負けたくない!」という対抗意識が出てきます。
今は、共学になり、応援の様子も随分と穏やかに、そして牧歌的になりました。
やはり女性がいると雰囲気は違ってきます。
わたしのころは、もっと殺気立っていました。
相手校に対するヤジもドギツイものが多く、ちょっとこの場には書けません(笑)
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしのころは、応援団ももっと殺気立っていました。
何しろ、そこは昭和の時代です。
たぶん、本コラムをお読みの方も、そのあたりは、察しが付くかと思います。
相手校に対するヤジもドギツイものが多く、ちょっとこの場には書けません(笑)
たぶん、令和に生きる二高の生徒さんたちが、タイムマシンに乗って、昭和の頃の我々を見たら...
「この人たちは何???」
きっとドン引きするでしょう(笑)
それだけ時代が変わったということです。
そういう昭和の世代の人たちが、校長・教頭になっている時代です。
それから、実際に試合をする選手たちにとって、定期戦というのは、特別な試合なのだそうです。
そして、かなり緊張するそう。
確かに、全校生徒の前で、「伝統の一戦」をプレーするわけです。
学校のメンツがかかっています。
生徒だけでなく、父兄やら、OBやらも多数観戦に来ています。
緊張するなというほうが無理かもしれません。
というわけで、定期戦は結構な確率で、荒れた試合になります。
「え? ここで?」という場面でエラーが立て続けに出たりします。
こういう光景は、今も昔も変わらないようです。
もうすぐ定期戦の季節がやってきます。
昨日まで、二高の応援練習について述べました。
今度は、その定期戦に出場した野球部の同級生について書いてみます。
わたしが二高に在籍していたころ、エースピッチャーで、Kという男がおりました。
彼は、わたしと小学校5年生のころ、同じクラスでした。
彼は小6に上がるとき、転校していき、高校で再会しました。
Kは、女子には非常に人気があったようでした。
「ようでした」というのは、わたしはKがそんなに女子の間で、モテていたというのを、当時は全然知らずにいたのです。
Kが相当に女子間で人気があったというのは、高校を卒業して、彼の「華麗なる逸話」のいくつかを耳にしてからです。
確かに、Kは顔立ち凛々しい感じでした。
そして、Kは二高のエースです。
彼女らの気持ちも分からないではありません。
そして、その後にわたしが40代の頃のある時、中学の同級会を開く機会がありました。
わたしの通った多賀城市にある城南小学校は、卒業生全員、多賀城二中に進学します。
その際、女子の結構な面々から「その昔、わたしはKが好きだった」という話をされ、彼の人気の高さを再認識することになりました。
そんな中、ある女性が、わたしに「実は…..」とこんな耳打ちをしてきました。
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(前回の続きです)
…実はKが転校後、ある人を介して、Kにラブレターを送った。
その後、「ある人」曰く、Kにそのラブレターを渡したところ、クラスメイトに知られ、からかわれた。
そこで怒ったKは、クラスメイトの前で、ラブレターを破り捨てた。
その話を聞いて、自分は非常に落ち込んだ。
でも、Kがそんなことをする人とは、今でも思えない。
だから、そのときのことを、Kに直接尋ねてみてくれないか?
あなたもKも二高なんだし…
40も過ぎて、なんでわたしが、その昔のクラスメイトの色恋のことで、こんなことをしなくちゃならないの、とも思いました。
が、「根がいい人」のわたし(笑)は、彼女の頼みを聞き入れました。
そして、直接Kに尋ねることにしました。
Kから返ってきた答えは、次のようでした。
…彼女はクラスメイトとして、記憶がある。
が、そういう手紙をもらったかどうかは、記憶にない。
しかし、手紙を級友の前で破り捨てるなどということは、断じてやっていない。
そういうことをした記憶はない。
だいたい、もらった手紙を破り捨てるなんて、そんな失礼なことを自分はするはずがない。
それだけは彼女に伝えてほしい。
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(前回の続きです)
Kから、そのように言われて、それをそのまま彼女に伝えました。
彼女はほんとうに喜びました。
その様子は、まるで10代の「恋する乙女」そのものでした。
そのころの彼女は40代です。
そうなっても、なお30年近くも前の出来事に、「かくも美しき10代」の自分に戻れるのです。
わたしはさすがに、そこまで純情にはなれません。
彼女が独身で、わたしは妻帯者ということも影響していたのでしょう。
「ああ、これで胸のつかえがとれた。
やっぱりKは、自分が考えていた通り、手紙を友達の前で破ったりするような人ではなかった。
それにしても、わたしが頼んだ人、どうしてそんなことをわたしに言ったんだろう?」
そこで、わたしは答えました。
「簡単な話。その頼んだ人も、Kのこと、好きだったんじゃないの?」
そういうと彼女は納得していました。
何にしろ、モテるというのは、いろいろと大変なことがあるのだと感じました。
まあ、わたしとしては、思わぬ形で、その昔のクラスメイトの「惚れた腫れた」に関わることになったわけです。
Kと彼女との間を行き来して、双方に気を遣い、わたしは「偉大なる媒介者」というべきでしょうね(笑)
こうした浮いた話というのは、結婚以来、ずっと縁遠くなり、今日に至ります。
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