菊池の高校デビュー ~二高の応援練習はこうでした~ その1 2026/05/01

わたしはホームページのプロフィールに記してありますとおり、高校は仙台二高に通っていました。

二高というと、多くのご父兄は「勉強が大変!」とご想像になるかもしれません。

それはそのとおりなのですが、入学したてのころは、勉強以上に応援練習が負担でした。

応援練習が負担??? そもそも負担になるほどの応援練習って???

そのようにお感じになるかもしれません。しかし、二高の場合は、「ある事情」があります。

その「事情」とは、5月第2土曜日に行われる仙台一高との硬式野球定期戦です。

その定期戦の応援のため、入学してから約1か月の間、応援練習が朝・昼休み・放課後と行われました。

朝は7時50分からです。当時、わたしは、その7時50分に間に合わせるために、東北本線の陸前山王駅から6時半発くらいの列車に乗って通学していました。

応援練習では、校歌と応援歌10曲を徹底して叩き込まれます。応援歌は5番まであるものもあります。

そのほかに、エールに合わせた応援も仕込まれます。

応援の指導法というのは、極めてシンプルです。

「ひたすら繰り返し」

理屈もヘッタクレもありません。

毎日、繰り返し、繰り返し、でした。

これ、よく考えたら、受験学習と重なるところもありますね。

次回に続きます)

菊池の高校デビュー ~二高の応援練習はこうでした~ その2 2026/05/02

前回の続きです)

わたしは応援練習自体、あまりきついとは思いませんでした。

しかし、朝習の時間に間に合うために、毎朝5時半ころに起床しなければならなかったのがきつかったです。

周りの級友は、自転車で通学している人たちが多く、しかも通学が30分圏内という人たちがかなりいました。

そういう彼らがとてもうらやましかったです。

当時、二高は男子校であり、応援団幹部は怖い存在でした。

何しろ、時代はバリバリの昭和です。

とにかく彼らの指示は100%実行です。

また、二高は当時も今も制服はありませんでしたが、定期戦までは中学の制服を着用することが不文律でした。

「定期戦を経ないうちは、二高生と認めない」という応援団の方針・伝統です。

その伝統は、最近までありましたが、今はなくなっているようです。

そういった応援練習を経て、実際に仙台一高の生徒たちを目の前にすると、「こいつらには負けたくない!」という対抗意識が出てきます。

今は、共学になり、応援の様子も随分と穏やかに、そして牧歌的になりました。

やはり女性がいると雰囲気は違ってきます。

わたしのころは、もっと殺気立っていました。

相手校に対するヤジもドギツイものが多く、ちょっとこの場には書けません(笑)

次回に続きます)

菊池の高校デビュー ~二高の応援練習はこうでした~ その3 2026/05/03

前回の続きです)

わたしのころは、応援団ももっと殺気立っていました。

何しろ、そこは昭和の時代です。

たぶん、本コラムをお読みの方も、そのあたりは、察しが付くかと思います。

相手校に対するヤジもドギツイものが多く、ちょっとこの場には書けません(笑)

たぶん、令和に生きる二高の生徒さんたちが、タイムマシンに乗って、昭和の頃の我々を見たら...

「この人たちは何???」

きっとドン引きするでしょう(笑)

それだけ時代が変わったということです。

そういう昭和の世代の人たちが、校長・教頭になっている時代です。

それから、実際に試合をする選手たちにとって、定期戦というのは、特別な試合なのだそうです。

そして、かなり緊張するそう。

確かに、全校生徒の前で、「伝統の一戦」をプレーするわけです。

学校のメンツがかかっています。

生徒だけでなく、父兄やら、OBやらも多数観戦に来ています。

緊張するなというほうが無理かもしれません。

というわけで、定期戦は結構な確率で、荒れた試合になります。

「え? ここで?」という場面でエラーが立て続けに出たりします。

こういう光景は、今も昔も変わらないようです。

もうすぐ定期戦の季節がやってきます。

仙台二高のエースピッチャーとラブレター その1 2026/05/04

昨日まで、二高の応援練習について述べました。

今度は、その定期戦に出場した野球部の同級生について書いてみます。

わたしが二高に在籍していたころ、エースピッチャーで、Kという男がおりました。

彼は、わたしと小学校5年生のころ、同じクラスでした。

彼は小6に上がるとき、転校していき、高校で再会しました。

Kは、女子には非常に人気があったようでした。

「ようでした」というのは、わたしはKがそんなに女子の間で、モテていたというのを、当時は全然知らずにいたのです。

Kが相当に女子間で人気があったというのは、高校を卒業して、彼の「華麗なる逸話」のいくつかを耳にしてからです。

確かに、Kは顔立ち凛々しい感じでした。

そして、Kは二高のエースです。

彼女らの気持ちも分からないではありません。

そして、その後にわたしが40代の頃のある時、中学の同級会を開く機会がありました。

わたしの通った多賀城市にある城南小学校は、卒業生全員、多賀城二中に進学します。

その際、女子の結構な面々から「その昔、わたしはKが好きだった」という話をされ、彼の人気の高さを再認識することになりました。

そんな中、ある女性が、わたしに「実は…..」とこんな耳打ちをしてきました。

次回に続きます)

仙台二高のエースピッチャーとラブレター その2 2026/05/05

前回の続きです)

…実はKが転校後、ある人を介して、Kにラブレターを送った。

その後、「ある人」曰く、Kにそのラブレターを渡したところ、クラスメイトに知られ、からかわれた。

そこで怒ったKは、クラスメイトの前で、ラブレターを破り捨てた。

その話を聞いて、自分は非常に落ち込んだ。

でも、Kがそんなことをする人とは、今でも思えない。

だから、そのときのことを、Kに直接尋ねてみてくれないか? 

あなたもKも二高なんだし…

40も過ぎて、なんでわたしが、その昔のクラスメイトの色恋のことで、こんなことをしなくちゃならないの、とも思いました。

が、「根がいい人」のわたし(笑)は、彼女の頼みを聞き入れました。

そして、直接Kに尋ねることにしました。

Kから返ってきた答えは、次のようでした。

…彼女はクラスメイトとして、記憶がある。

が、そういう手紙をもらったかどうかは、記憶にない。

しかし、手紙を級友の前で破り捨てるなどということは、断じてやっていない。

そういうことをした記憶はない。

だいたい、もらった手紙を破り捨てるなんて、そんな失礼なことを自分はするはずがない。

それだけは彼女に伝えてほしい。

次回に続きます)

仙台二高のエースピッチャーとラブレター その3 2026/05/06

前回の続きです)

Kから、そのように言われて、それをそのまま彼女に伝えました。

彼女はほんとうに喜びました。

その様子は、まるで10代の「恋する乙女」そのものでした。

そのころの彼女は40代です。

そうなっても、なお30年近くも前の出来事に、「かくも美しき10代」の自分に戻れるのです。

わたしはさすがに、そこまで純情にはなれません。

彼女が独身で、わたしは妻帯者ということも影響していたのでしょう。

「ああ、これで胸のつかえがとれた。

やっぱりKは、自分が考えていた通り、手紙を友達の前で破ったりするような人ではなかった。

それにしても、わたしが頼んだ人、どうしてそんなことをわたしに言ったんだろう?」

そこで、わたしは答えました。

「簡単な話。その頼んだ人も、Kのこと、好きだったんじゃないの?」

そういうと彼女は納得していました。

何にしろ、モテるというのは、いろいろと大変なことがあるのだと感じました。

まあ、わたしとしては、思わぬ形で、その昔のクラスメイトの「惚れた腫れた」に関わることになったわけです。

Kと彼女との間を行き来して、双方に気を遣い、わたしは「偉大なる媒介者」というべきでしょうね(笑)

こうした浮いた話というのは、結婚以来、ずっと縁遠くなり、今日に至ります。

お問合せ・ご相談はこちら

受付時間
15:00~20:00
定休日
日曜日

ご不明点などございましたら、
お電話もしくはお問合せフォームよりお気軽にご相談ください。

お気軽にお問合せください

メール・お電話でのお問合せ

022-727-8677

<電話での受付>
15:00~20:00
※日曜日は除く
※電話は
「雅興産(みやびこうさん)」と出ます

ごあいさつ

002-100-132.jpg

主宰者の菊池です。
「受かってほしい アナタには」がプロ家庭教師菊池のスローガンです。「勤勉と競争」を重視しています。

プロ家庭教師菊池

住所

〒981-0933
仙台市青葉区柏木1-2-29-301

電話受付時間

15:00~20:00

定休日

日曜日