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生徒さんにとって、学校での部活は、学校生活で大きな意味を持ちます。
部活となると、それを統括する顧問の先生がいらっしゃるわけです。
こうした顧問の先生の中には、授業以上に部活に熱心な方もいらっしゃるようです。
ネット検索をしてみると、一般的な先生から「部活に熱心すぎる先生」に対する怨嗟の声があふれています。
逆にそうした先生から書き込みをされることは、よほど少ないです。
ネットに書き込む動機がないということなのでしょう。
では、こうした先生を受験業界から見るとどうなるか...
集団指導を行っている方からすると、「部活に熱心すぎる先生」はあまり気にならないかもしれません。
一方、「部活に熱心すぎる先生」にとって、塾あるいは塾講師というのは、天敵のような存在なのだろうと想像することがあります。
たぶん、そうしたタイプの先生は、生徒さんから
「塾の○○講習に参加したいので、この日は部活を休ませてほしい」
というようなフレーズが、いちばんムカッとするのだと思っています。
「なんで学校の行事より、学校の行事でないものを優先するんだ???」
あるいは、そういったことが言いづらい雰囲気になっている...
こういう感じなのかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしの場合、指導形態としては家庭教師という立場です。
そういうところから見ると、「部活に熱心すぎる先生」というのはメチャメチャ気になります。
というより、その先生の人となりがハッキリと見えます。
そうした先生は、授業よりも部活のほうに熱心です。
わたしからすると、「どうして?」と思ってしまいますが。
また、先生の中では、発言力が強いようです。
そのため、力関係で強い立場にない先生が、割を食っている面が感じられます。
そうした先生方の力関係は、外部には分かりづらい一面があります。
わたしから見て一番困惑するのは、「部活に熱心すぎる先生」が、学校の定期試験直前にもガンガン部活の予定を入れることです。
これは、他の同僚の先生や校長先生から苦情や注意というのは行かないものなのでしょうか。
あるいは、発言力が強い先生だから、周りは何も言えない...とか。
学校というところは勉強するところです。
そういう場所で、「試験より部活の予定のほうが優先する」ということを生徒に示しては、本末転倒という気がします。
学校にもいろんな事情はあるのでしょうが、そこの部分は「最低限のライン」としてキープしていっていただきたいと考えています。
中1生はもうすぐ定期試験デビュー戦となります。
そうした中で、今回のコラムは英語に絞って書いてみます。
今の中1生の英語のテストを見ていると、
「大変だなあ~」
と思わずにはいられません。
そのときに比較の対象とするのは、わたしが中学生の頃です。
今の中1英語の定期テストは、とにかく難しいです。
確かに、今の生徒さんたちは、小3のころから授業で英語の時間があります。
小5からは、英語のテストも行われます。
そういうことを考えると、中1の定期テストが、ご父兄の中1の頃より難しいのも、当然なのかもしれません。
しかし...
そのせいで、逆に生徒さんたちへの負担が大きくなっている面があるように感じます。
具体的に申し上げると、次の通りです。
その昔、ご父兄が中1生のころ、最初の英語の定期テストは、平均点が80点とか90点とかそういう点数でした。
そして、夏休みを過ぎて、ガクッと平均点が下がり、11月から12月にかけて行われるテストでは、他の科目並みになっていました。
なぜそうなっていたか。
英語の授業が中1から「よーいドン」だったからです。
そして、学習が進んで個々人の学力差によって結果はバラけるようになっていました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
しかし、今はご父兄が中学生だったころと違います。
今の中1生は、中学入学の時点で、英語の力はものすごく大きなバラツキがあります。
このバラツキというのは、こんな感じです。
・できる生徒さん=小学生のころから塾に通って英検の資格を取得している
・そうでない生徒さん=ほぼゼロの状態
・真ん中がいない
英語のできる生徒さんは、ご父兄が10代だったころに比べると、増えています。
小学生のころから、英検にチャレンジしている生徒さんも増えました。
それは、小学生向けの英語塾が、その当時に比べると多くなっていることからもお分かりいただけると思います。
そういう風潮もあって、英検は、英検ジュニア・英検準2級プラスなどと、「新商品」をつくっています。
一方、そうでない生徒さんは、「まるっきりの白紙」という感じです。
...英語が、まるっきりの白紙状態の生徒なんて、昔もいたでしょ
...以前は中1から英語を授業でやってたんだから、そういう生徒がいてもおかしくないよね
...その昔は中1から英語を始めてたから、中1のときには誰もが「まるっきりの白紙」では?
そうお感じになるかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
しかし、現状はそうではありません。
今の中1生は中1英語のスタート時に
「小6までの内容を全部やったものとして中学の授業が進む」
これが、ご父兄の時代とのもっとも大きな差です。
小6までの英語の授業では、英語の単語の読み方・意味を習います。
一方、正確なつづりを書くことは必須とされていません。
しかし、中1の授業は
「小6までに英単語700くらいの英単語の読み書き、文法事項がきちんとできている」
という前提でスタートします。
小学校英語と中学英語で、連携がうまく取れていません。
そんなわけで、公立中学の1年生は、英語に関して、できる生徒さん・そうでない生徒さんの差が非常に激しいです。
そうした状況で授業をやらなくてはならない先生は大変です。
義務教育の段階で、このようになっているのは、非常に不健全な状態だと、わたしは考えています。
しかし、お上は「そうやれ」と指示しています。
先生方はお上の意向を受け入れざるを得ません。
そんな状況下で、受験に関心のあるご父兄は、英語に関して早めに通塾という道を選択しています。
それがなされない生徒さんが、受験でサバイバルしていくのは、なかなかに難しいようです。
このところ、中1生の定期テストデビューについて書いてきました。
今回のコラムは、
「菊池が中1だったころの定期テストデビューはどうだったのか」
ということをテーマにします。
この「中1定期テストデビュー」は、小学生のテストの常識しかないわたしにとって、驚きの連続でした。
◎テスト用紙はザラ紙
わたしがまず驚いたのは、テスト用紙です。
小学校の頃のテストは、色がついていて、紙質もきれいでした。
受験業界でいう「カラーテスト」という代物です。
テストというのは、「そういうもの」でした。
というより、それ以外のテストというものを受けたことがありません。
ですから、テストの紙質や見てくれのことを深く考えていませんでした。
ところが、中学の入学後は...
定期テストは、ザラ紙。
そして、当時はパソコンもないので、問題文は先生の手書きのものも。
国語や英語の長文問題なんかは、どうだったのか、ちょっと覚えていません。
いずれにしても、
「中学校って、随分と雑というか、優しくないところなんだなあ」
と思ったものでした。
このテスト用紙が小・中で違っている点は、今も現場で踏襲されています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎テストだけの日がある
小学校のテストは、授業中に行われるものです。
授業の一環という感じでした。
授業で習ったことの単元が終わると、担任の先生が時期を見計らって、テストがありました。
しかし、中学に入ると、テストだけの日というのがあるのです。
これにもビックリしました。
しかもそういう日が1年に5回もあるのです。
今の生徒さんは2学期制で、定期テスト年4回が通り相場です。
わたしが中学に入ったころは、3学期制で、年5回定期テストがありました。
「テストだけやってる日があるなんて、中学って、なんかすごいところだ...」
こう感じたのを覚えています。
あ...
これを書いていて、思い出しました。
小6のときだったか...
授業をやっていたら、11時くらいに中学生が三々五々歩いている様子が窓から見えました。
そのとき、先生が
「あれは中学生、テストだね。
みんなも中学に入ると、ああいうことがあるよ」
という主旨のことを仰ったのです。
小6のときには、その意味があまり分からなくて、
「ふ~ん そうなのか」
くらいの感想しかありませんでした。
そして、中学生になって、
「あのとき、先生が仰ってたのは、このことだったのか」
ということを思い出した記憶があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎順位が出る
小学校のテストでは、生徒の中で、学習レベルがどのくらいの位置にいるのかは分かりません。
しかし、中学の定期試験では順位が出ます。
「1年の生徒○○人の中で、あなたは〇位」というのが点数とともに明示されます。
点数は1点刻みに出て、その点に従って順位が出ます。
そしてその順位は、クラス内ではなく、学年全体で示されます。
自分は全体のどの位置にいるのか、数字で示されていて分かりやすいです。
それはわたしにとって、新鮮で斬新に映りました。
一方で、分かりやすいだけに、自分の身のほどをよく知ることになります。
◎範囲が広い
小学校のテストは、単元ごとの試験でした。
例えば、分数の単元が終わると、その分野のテストがあります。
試験範囲はその単元だけです。
一方、定期試験はそうではありません。
範囲は随分と広くなります。
これも、わたしにとってのテストの常識を覆してしまうものでした。
4月の始めに勉強したことが、6月ごろに試験問題となって問われるわけです。
「こりゃあ大変だ」と思いました。
とにもかくにも、小学校との最大の違いは、この定期試験でした。
昔々の、問わず語りの一席でした。
この前、ある方からこんなお尋ねがありました。
...大学入試については、結局、どうなってるのか?
共通テストが難しくて大変になってるとか。
私立大の入試は難しくなってるとか。
そうかと思うと、推薦合格が増えてるとか。
東大とか東北大とか、そういうところでも推薦入試をやってるっていうし。
複雑になり過ぎていて、サッパリ分からない。
こういう主旨のお話でした。
こちらからその方に申し上げたのは、手短に結論だけを言うと次の通りです。
「二極分化」
すなわち、
「難関大学・人気のある大学はきつくなっている」
「そうでない大学は、緩くなっている」
そういうことであろうと見ています。
大学入試はご父兄の高校生時代と比べて、変わっている部分・変わっていない部分があります。
そして、制度自体は複雑になっています。
そんなわけで、パッと見た感じでは
「一体全体、どうなってるの?」
とお感じになっても不思議ではありません。
先ほど話題に出した、共通テストのことも、国立大の推薦入試のことも、これはこれで事実です。
「大学入試の二極分化がますます進んでいる」
このように理解するのが、実態に合っているだろうと考えます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
もちろん、これまでも難関・有名大学とそうでないところの差というのはありました。
しかし、少子化の影響で、この差がさらに大きくなっています。
例えば、「共通テスト」。
これは、国公立大では基本的に一次試験として課されているものです。
そこに出てくる問題は、「共通テスト」の前身である「共通一次」「センター試験」よりも難易度が高いです。
生徒さんの出来具合を見ていると、特にトップ層は随分と勉強してきているんだなあと思います。
言い換えると、このトップ層は、小さいころから塾などに通って、鍛えられてきています。
また、塾などの受験産業も、ご父兄の時代より、入試への対応のノウハウを積んできています。
そんなわけで、問題の難化と受験生のレベルアップとのイタチごっこになっている風にも見えます。
それとは別に、ほぼ学力は問われない状態で入学できる大学もかなり増えています。
「とにかく学生の頭数をそろえることが第一。
学力は二の次、三の次...」
こういう大学も増えて行っています。
ですから、いまは「選ばなければ」、よほどのことがない限り、大卒にはなれます。
難関とそうでないところの差が拡大しているために、パッと見ると、大学入試の全体像が分かりにくいです。
が、実情は意外とシンプルです。
こないだ、社会科の定期テスト範囲を生徒さんと確認していたとき、生徒さんからこういう質問(?)つぶやき(?)がありました。
...遺跡を発掘したり、歴史を研究したりって、何か役に立つんでしょうか?
なんか意味が分からないっていうか
どういう役に立つのかと思って
わたしはこういう話を生徒さんとするのが好きです。
「そんなことはどうでもいいから!
そういうのに疑問を感じてる時間があったら、歴史の年号や出来事の一つでも覚えろ!」
このように言ったほうが、受験としてはいいのかもしれません。
でも、わたしとしては、
「なぜ○○を勉強する必要があるの?」
という疑問を持つことは大切だと思っています。
さて、「遺跡を発掘したり、歴史を研究することは、何か役に立つのか」という疑問に対し、わたしの答えはこういうものです。
・歴史=国家を運営し、国民を束ねていく上で必要
→どこの国も「オラのご先祖様は昔からこんなに凄かったんだぞ! だからオラの国ってすごいでしょ!」と言いたがる。
→どこの国も自分の国に都合の良い歴史的事実をピックアップして吹聴したがる
ですから、個々人というよりは国家のほうで歴史を必要とします。
日本も他の国もそうです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、歴史のような学問で感じるのは、「政治体制・政治党派との関わり」です。
理系の学問というのは、歴史のような学問に比べて、「客観的な事実」「誰にも否定しえない事実」が割とハッキリ分かることが多いです。
例えば三平方の定理など。
もっとも、地動説のように、「客観的な事実」が政治的圧力を受けるということはありますが。
しかし、歴史のような学問の場合、「客観的な事実」「誰にも否定しえない事実」が、よく分からないことが理系の学問に比べてかなり多いです。
例えば1937年に起きたことになっている「南京事件」など。
これなどは、「客観的な事実」はもはやどうでもよくて、「外交の道具の一部」になってしまっている感があります。
こういうのは、生徒さんから見ると、「これって学問なの?」と思うことがあるかもしれません。
ちなみに、わたしが大学で学習した法律なんかも、
「人の常識が根拠になるとか、これって学問?」
と感じたことが幾度もありました。
文系の学問は、理系に比べて、そうした危うさを抱えています。
こういうことは大学入試をパスすることとは、直接関係ないです。
でも生徒さんには大学入学前に、頭の隅っこにでも入れておいてほしいことです。
過日、「家庭教師のもりた」森田先生のお書きになったものが目に留まりました。
https://www.katemori.com/post/twice
先生は、仙台在住でわたしとご同業です。
アップされたものは、中学校での定期テストの回数についてです。
内容としては、仙台市内の中学において、定期テストの回数が少なくなっているという趣旨でした。
わたしも、一部の中学で定期試験がなくなっていることは知っていました。
しかし、実施回数を減らしている中学があることは知りませんでした。
この件では、森田先生に連絡を取り、やり取りをしました。
そして、実態がどうなっているか、サラッと調べてみました。
まず、この定期試験については、そもそも「何回実施するかは中学校独自の判断」となっているようです。
ですから、教育委員会で定期試験を何回実施せよというようなことは、決めていないそうです。
これは、以前に教育委員会に尋ねて確認済みです。
ご父兄としては、
「同じ仙台市内なのに、隣の中学は年に4回定期試験があって、うちの中学では定期試験がないって、ちょっと変じゃない?」
と、お感じになるかもしれません。
しかし、今の制度では、そういうこともあり得るし、また現にそうなっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
定期試験を年4回実施しない中学は、仙台市でこのくらいあります。
・岩切・田子 なし
・六郷 2回
・寺岡・中山・茂庭台 3回
市内全部を調べたわけではありません。
ほかにもある可能性があります。
このうち、六郷中は9・2月に実施です。
寺岡中・中山中は、9・12・2月に行われます。
3年のみ12月実施分が11月実施です。
茂庭台中は、7・11・2月に行われています。
これをどう見るか。
寺岡中・中山中の場合、多くの中学が実施している6月の定期試験がありません。
ということは、2月に定期試験を実施したあと、半年ちょっとの間、定期試験がないことになります。
六郷中の場合は、例えば中3生だと、3年の学年評定が9月に実施する試験一発でかなり決まることになります。
もちろん、その間、学校としてはいろんな小テスト・単元テストのようなものを実施しているのだと思いますが。
岩切中・田子中のように定期試験のない中学も市内にはあります。
こういう中学も、他の中学と同様に、通信票に5段階の評定が出ます。
これは小学校の評価と違って、高校入試に直結します。
それゆえ、評定の数字の判定基準が気になるところです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
公立中学で、定期試験を少なくする、あるいは、廃止してしまうということについて、わたしの考えは基本的に反対です。
年4回・あるいは、6月・11月・2月の年3回実施というのが、「ほど良い回数」と考えます。
同じ年3回実施でも、寺岡中・中山中のように、9・12・2月というのは、バランスを欠きます。
公立中学で、定期試験をなくすという試みは、2018年に、東京都千代田区の麴町中学に端を発します。
教育界の風雲児的な存在となった工藤校長の手によるものです。
しかし、工藤校長の退任後、2023年には定期試験が復活しています。
定期試験を設けたほうが、学校経営上、メリットが大きいと、後任の校長が判断したためでしょう。
いま、定期試験をなくすのは、「本家本元」のほうで答えが出てしまったことを、一周遅れでやっているように、わたしには見えます。
受験という観点から考えると、公立中学で定期試験がなくなってメリットがあるのは、わたしの見る限り、
「勉強をものすごく頑張るトップ層」
だけです。
定期試験というのは、生徒さん・ご父兄・先生方にとって「分かりやすい指標」です。
通信票の評定が、高校受験にも直結するとなっていれば、なおさらです。
さて、この定期試験の回数減は今後どうなることやら...
6月は総体・定期試験の季節です。
多くの中学・高校では、中間試験として行われるテストがあります。
そうした折、特に中学では、試験の範囲などがこのような形で示されます。
その中で、生徒さんが最も関心を持って見ているのは、試験範囲です。
教科書・副教材ワークの何ページから何ページまでなのか、などが書いてある場所です。
しかし、試験を実施する先生からすると、生徒さんたちに重要視してほしいと考えている箇所があります。
それは、「出題のポイント」です。
上掲したのは、中2生の数学「出題のポイント」です。
これを読むと、初めにこう書いてあります。
「次数」や「同類項」など、言葉の意味を理解し説明できるようにしましょう。
この文を「出題のポイント」の初めに持ってきたというのは、先生の意向を翻訳すると、次の通りです。
・「次数」や「同類項」など、言葉の意味を理解しているかどうかの問題を出します。
・こうした数学用語を理解しておくのは、数学でとても大事です。
・単に計算問題だけを出すわけではありません。
このようになります。
となれば、試験対策として、数学用語をしっかり理解しておくことが望まれます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この「出題のポイント」を見ていて気付くことがあります。
それは、多くの先生が「教科書の大切さ」を述べていることです。
「教科書をよく読み...」
「教科書やワークを活用しながら...」
という風にです。
これは実のところ、大きな盲点です。
言い換えると、「副教材ワークを繰り返し解く」ということは、多くの生徒さんが取り組んでいます。
この「副教材ワークを繰り返し解く」というのは、学校でも、受験指導上も奨励されているからです。
しかし、その一方で、教科書は学校に置きっぱなしというケースが多いのです。
いま、中学校では「置き勉」と称して、教科書などを学校にそのまま置いておくことが認められています。
わたしが中学生のころには考えられなかったことです。
教科書などを持ち帰ると、非常に荷物が重くなります。
持ち帰るときの負担が大きくなるからというのが、置き勉OKの理由です。
ですから、多くの場合、生徒さんたちは家に帰ってから、教科書を手にしたり、目にしたりしないのです。
トップ層も学習苦手層も、これは同様です。
そういうわけで、教科書なしで試験勉強をしている生徒さんが非常に多いのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
確かに教科書はなくても、副教材ワークがあれば、問題演習はできます。
点も学習したなりに取れるでしょう。
し・か・し...
特に上位層を目指す生徒さん、また上位層を自認する生徒さんは、教科書も使っていくべきです。
副教材ワーク・問題集などと併せて。
副教材ワーク・問題集を解く
→答え合わせをする
→解説をしっかり読んで理解
→間違っていたところを深く理解するために教科書で確認
これは理科・社会などの教科で威力を発揮します。
言い換えると、90点を93点に、97点を100点にしたい生徒さんに、この「教科書チェック」は有効です。
この「教科書チェック」をしておくと、理科・社会の論述問題では力を発揮します。
例えば
「明治新政府が学制を発布した理由を30字程度で書け」
というような問題です。
ここがよく分からないとしたら、問題集で解説を読んだ後、教科書で該当箇所を調べて読んでおくのです。
すると、一見すると難しそうに見える問題でも、かなり教科書に書いてあることが分かります。
教科書に書いてあるということなら、難しい問題でも文句は言えません。
「教科書を活用する」というのは、以上のようにするのが、現実的で効率的な使い方のように思います。
今日のテーマは、生徒さんの書く字に関することです。
字の上手・下手というのは、世の風潮として、昔ほど言われなくなりました。
機械の発達で、字を書くケースが、昭和の頃などに比べても減ったことと無関係ではないでしょう。
翻って、教育現場ではどうか。
定期試験・模試・入試などでは基本的に字を書かなくてはなりません。
その字というのは、生徒さんによって、様々です。
そうした中で、「読みづらい」とわたしが感じる字のパターンがあります。
このような字の印象というのは、こんな感じです。
・書くスピードを優先した感じの字(タイプA)
・筆圧が強く、字の大きさ・字の運び方のバランスが取れていない感じの字(タイプB)
・筆圧が薄い感じの字(タイプC)
ここで掲げた写真は、以前に教えた生徒さんの字を思い出して、わたしが真似てみたものです。
そして、こうした字の様子と、彼らの成績状況は次のようなものです。
・タイプAのような字を書く生徒さんは、主に成績優秀者
・タイプBのような字を書く生徒さんは、主に学習障害など発達障害を持つ生徒さん
・タイプCのような字を書く生徒さんは、みやぎ模試偏差値にして40前後くらいの生徒さん
→公立中学で100人換算80~90位くらい
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回、タイプAとした字は、大学の先生がこの種の字を書きます。
これをさらに草書風(?)にすると、医者の手書きのカルテの字になります。
わたしが担当した中で、某所の医医に進んだ生徒さんも、この種の字を書いていました。
わたしとしては、文字の判読が難しいときがちょくちょくありました。
いつぞや、その生徒さんが受けた定期試験だったか、校内実力試験だったかで、採点後の答案に
「字は丁寧に書きましょう」
などと朱書きされて戻ってきたことがありました。
先生もちょっと困っていらしたんですね(笑)
それでもしっかり採点されていて、点はしっかり取れていましたが。
ただ、このタイプの生徒さんは、丁寧に書こうと思えば、それなりに判読できる字を書けます。
そこが、他のタイプと違うところです。
タイプBのような字を書く生徒さんは、多くありません。
こちらの判読も難しいですが、タイプAとはまた違っています。
このタイプの生徒さんは、ほぼほぼ学習障害など発達障害を持つ生徒さんでした。
特に算数・数学の学習障害です。
小学校低学年の子たちが書く字と似ているところもありますが、またちょっと様子が違います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一番多いパターンは、タイプCの生徒さんです。
みやぎ模試偏差値にして40前後くらいの男子生徒というケースが大勢を占めます。
公立中学で100人換算80~90位くらいの成績です。
わたしはこのタイプの字を書いて、成績優秀だったという生徒さんは記憶にありません。
前回紹介した学習障害を持つ生徒さんも、このタイプの字を書きます。
そして、スポーツ・体育が得意という感じでもありません。
タイプ的には「ドラえもん」に出てくるのび太君がそれに近いです。
ただ、実際の彼らは、のび太君に比べても、覇気がない感じがします。
彼らの書く字、そして彼らの書いた答案を見ていて思うのは、
自分が書いた字を読み誤っていることが多い
特に数学・理科の計算問題なんかがそうです。
彼らが計算問題を間違うのは、そもそもの勉強量が足りていないというのが、最大の原因です。
それにプラスした形で、マイナスの符号を見落としたり、6を0と見間違ったりします。
数字そのものを見落とすこともたびたびです。
そんなこともあって、彼らがもう少しだけでも判読できる字を書くようになれるといいと思っています。
まあ、百年河清を待つような話ではあるんですが...
過日、Twitterを見ていたら、こういうツイートがありました。
このツイートは、わたしなりに感じるところがありました。
以下、述べてみます。
わたしが今回述べたいのは、中学で数学が超絶苦手な生徒さんへの数学指導です。
基本的にわたしは、こうした生徒さんに次のような方針で接しています
彼らができそうもないことを、どうやって教えずに済ませるか
彼らには「できないこと」でなく、「できること」を繰り返し演習するよう指導する
数学の良くできる塾の先生方は、Twitterの文章にあったように、数学を学問としてきっちり学ばれてきた方です。
数学は、言葉の使い方など細かい部分に非常に神経をとがらせます。
真面目で実直な方ほど、生徒さんの数学力を上げるためには、きちんとした指導をしなければならないと考えます。
それは、その先生が真面目に数学に向き合っているからこそです。
数学を研究したいという生徒さんに対してなら、そういう指導が有効です。
しかし、数学の超絶苦手な生徒さんに対して同じように指導してしまっては、まるっきりの逆効果です。
短所・デメリットが大きくなり過ぎてしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
数学という学問を大学で学ぶとか、指導する相手がトップ層なら、細かい部分に神経を尖らせる指導は大切です。
しかし、数学が超絶苦手な生徒さん相手に、塾で数学を教えるときは、これをやるべきでありません。
塾などで受験指導者が彼らになすべきは、「テストの点を上げること」です。
彼らは将来、数学者になるわけではありません。
となれば、受験指導者として、何より優先すべきは「テストの点を上げること」です。
そのためには、彼らができそうなことに絞って、それを徹底して繰り返すことが必要です。
トップ層に対してなら、サラッと一言二言で済ませることでも、超絶苦手な生徒さんは10回・20回...と演習を繰り返さなければなりません。
彼らは、指導者が「え? ここでこういうつまずき方をするの?」というところでつまずきます。
これを克服するには、できそうなところを繰り返す以外に方法がありません。
そして、出来そうもないところは、バサッと損切りしてしまうことです。
真面目な受験指導者ほど、出来そうもないところに時間を割いて、説明しがちです。
しかしそれは、学校の先生がすることです。
受験指導者がすることではありません。
こういう「大胆さ」が、受験指導者には求められているような気がします。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
彼らのように数学が超絶苦手な生徒さんを指導していて感じるのは、
「繰り返し演習することを意外と嫌がらない」
ということです。
トップ層の生徒さんたちが、易しい計算問題などを繰り返し演習すると、たちまちダレます。
「分かり切っていることをなぜ繰り返しやるのか」
「こういうことをやるなら、もう少し受験に役立ちそうなことをしたい」
こういう風に顔の表情が語ります。
一方、数学が超絶苦手な生徒さんはそうでありません。
意外なほどスムーズに演習します。
彼らが嫌がるのは、分からないことを考えさせられることです。
それから、数学が超絶苦手な生徒さんは、同じことを繰り返し演習しても、忘れたり・抜けていくスピードも速いです。
基本的なことは、繰り返し演習を続けなくてはいけません。
そして、そういう「繰り返し指導」は、こちらが考える以上に彼らの満足感を得やすいです。
「学校の授業と違って、分かることをやらせてもらえる」
というわけです。
当然ですが、こういうことだけをやっていて、高得点は望めません。
しかし、彼らに必要なのは、高得点ではありません。
「前回のテストより、いくらかでも点が上がること」です。
今回のコラムは、わたしから生徒さんへの質問に関してです。
わたしは指導中、問題演習の採点をしながら、生徒さんへよくこんな質問をします。
「このように答えた根拠は何ですか?」
それは、彼らの書いた答えが当たっているとき、間違っているとき、そのときの状況によります。
とはいえ、間違っているときのほうが、どうしても多くはなりますが。
このときの生徒さんの反応は、その生徒さんの成績状況・性格などが反映されます。
このように生徒さんに尋ねることで、わたしは生徒さんを詰問するつもりはありません。
なぜその生徒さんがそのように答えを書いたのか、純粋に理由・プロセスを知りたいだけです。
そして、この「根拠は?」と尋ねるときには、次のようにも付け加えます。
「もしこの答えを『何となく』『勘で』書いたり、選んだとしたら、そういってください」
このようにすると、成績が上位に行くほど、その理由を詳しく語ります。
ところが、成績が下のほうに行くほど、彼らの口は重くなります。
わたしとしては、
「『何となく』『勘で』そのように書いたり、選んだとしたら、そういってほしい」
ということなのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学習苦手層の生徒さんは、
「このように答えた根拠は何ですか?」
と問うと、
「何となく」
「勘で」
十中八九こう答えます。
わたしが
「『何となく』『勘で』と答えてもらって構わない」
と言っているので、正直にそう答えているわけです。
しかし、たまに彼らなりの理由を述べることがあります。
もちろん、それはほぼほぼ間違いです。
しかし、彼らが発するちょっとした単語・フレーズが、かなり大切・重大なものを示すことが往々にあります。
「あ~ この生徒さんは、ここで引っかかってたのね~」
「学習苦手層の生徒さんって、こんな風に考えるから、みんな同じような間違いをするんだ~」
こういう感じのことです。
それは他の生徒さんを指導する上でも大切なことだったりします。
彼らに一種の口頭試問をするのは、
「とにかく頭を働かせてもらう」
という考えでやっているからです。
彼らなりに一生懸命に考えた結果も、それが正解になって初めて「理解している」と認められます。
間違った答えをいくら書き連ねても、それは「勉強をしっかりやっている」とはみなされません。
小さなことからも知れませんが、点を取れるようになるというのは、こうしたことの積み重ねにあると感じています。
受験において、医学部受験というのは「特別枠」的なものとして語られます。
それは医学部医学科の試験というのが、同じ大学の中でも飛び抜けて難易度が高いからです。
ここでいう医学部受験というのは、「医学部医学科の受験」という意味です。
そうした中で、今回のテーマを語ることにします。
さて、ある調査によると、医学部の学生のうち、親が医師という割合は、次の通りです。
・国公立大で約3割
・私立大で約5割
どうお感じでしょうか?
わたしの感想としては
「え? こんなに少ないの?」
です。
わたしは国公立で7割くらい、私立大だと9割くらい行っているのかと勝手に思っていました。
これは逆に言えば、国公立で7割、私立大で5割の学生の親は、医師でないということです。
ただ、親が医師でないとしても、所得の高い傾向にはあるようです。
わたしは受験指導者として、医学部志望者で、お医者さんの子息・子女を随分と見てきました。
彼らを見ていて感じるのは、
「積極的に医者になりたい」
と考えている生徒さんは決して多くないということです。
高校に入って、大学受験が近づいてきて、何となく成り行きで...
という感じの生徒さんが多数派でした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
彼らと接していると、自分が将来、医学の道に進むのは、「ごく普通のこと」と考えているようなのです。
例えば、漁師の家に生まれ育つと、自分も漁師になろうと考えるというような感じに近いです。
ですから、彼ら医学部志望者に、
「なぜ医師になりたいのですか?」
「医師になったら、どういうことをしたいですか?」
このように尋ねると、ハッキリした答えが返ってこないことがときどきあります。
わたしが担当するのは、彼らが医学部に合格することです。
ですから、彼らが医学部に合格すれば、そこでわたしは任務終了です。
ただ、医師になるというのは、大学に入ってからのほうが大変です。
「なんとなく、自然の流れで、そういう感じで...」と思い続けながら、医学部内での勉強を続けていくのは、かなりきつそうです。
もっとも、入学後に、「これこれこういう方面に行きたい」と考えるようになるのも、アリだとおもいます。
要は、志望する段階で、おおよその方向性・志向のようなものを持っていたほうが、合格後もいい方向に作用すると言いたいのです。
わたしとしては、「合格する前に必要な学習」の手助けを引き続き行っていきます。
過日、当コラムで、中学での定期試験がなくなる・実施回数が減っているというテーマを扱いました。
<関連コラム>
この件について、生徒さんやご父兄がどう考えるかを尋ねてみました。
質問は
「中学で、定期試験はあったほうがいいか、ないほうがいいか」
です。
で、その結果...
<生徒さんからの回答>
定期試験を受けるのは嫌だがあったほうがいい
<ご父兄からの回答>
定期試験はあったほうがいい
ないと困る
このように答えた生徒さん、ご父兄が圧倒的多数を占めました。
興味深いのは、
「この生徒さんなら、きっとこう答えるだろう」
と、わたしが予測したのと、ほぼ合っていたということでした。
生徒さんからの声はこんな感じです。
◎定期試験はないほうがいい。
(理由)
・面倒だから
・受けたくない
・受けたくないし、模試があるので、定期試験は必要性を感じない
しかし高校受験があるなら、定期試験は必要
◎定期試験はあったほうがいい
(理由)
・受けるのは嫌だが、ないと勉強をサボる気がする
・定期試験がないのは何か変だ
最初からなければ違和感は感じない
・定期試験がないなら内申評定がどうなるのか分からなくなる
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ご父兄からの声は、100%「あったほうがいい」というものでした。
・定期試験がないと子供が勉強しなくなる
・定期試験がない場合、評定はどうなるのか
・会社の同僚の子供さんの中学で定期試験がなくなった
その方は非常に困っている
わたしが、ご父兄・生徒さんの話を聞いていて、感じたのは、
定期試験ってやっぱりあったほうがいいよね
ということでした。
わたしが中学生だったら、
「定期試験を受けるのはイヤだが、それがなくなったら、後で困ることになりそう」
と答えたでしょう。
生徒さんの多くも、これに近いです。
学校側からすると、評定をつけるにあたっては、
小テストをこまめに実施する...
副教材ワークの提出頻度を高める...
など、確かにやり方は様々にあります。
しかし、定期試験というのは、「誰にとっても分かりやすい目標」です。
この「分かりやすさ」というのは、なかなか無視できません。
定期試験にも欠点があるのは事実です。
しかし、それをなくした結果、角を矯めて牛を殺すようなことになりかねません。
公立中学にあっては、年3~4回の定期試験を実施したほうが、長所が多いように思われてなりません。
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