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このところ、公立中学の英語がひどい状況になっています。
どのようにひどいのか...
それは、「できる生徒」と「できない生徒」の差があまりにつき過ぎているということです。
「真ん中あたり」の層が相当に薄くなっています。
現場の先生方がそれで苦労なさっています。
このことは、当欄でもたびたび申し上げてきたことです。
さて、こういう状況は、高校生の英語にも、当然ながら影響を与えています。
特に、偏差値50未満の高校の場合、「中学での積み残し」がそのまま高校へ引き継がれることになります。
そういう生徒さんは、中1の最初の頃で習う事項に、何がしかの不完全さを抱えています。
これをどうにかするには、中1の頃に戻って、その穴を埋めるほかありません。
これが遠回りのように見えて、一番の近道です。
で・す・が...
「中1の頃に戻ってやるなんて、イヤでございます」
という生徒さんが少なからずいるようです。
そういう生徒さんは、英語が分かるようになるより、中1英語を拒否する道を選ぶわけです。
もちろん、この先、英語の成績がわずかなりともよくなることはありません。
そして、このまま行けば、卒業後の志望先は相当に限られることになります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中1の頃の最初の部分が、ボコボコに抜けている...
でも、そのころに戻っての学習は、高校生の自分にはカッコ悪いのでやりたくない...
こういうタイプの生徒さんには、次のような経験があります。
わたしが家庭教師の派遣会社に所属していたころの話です。
季節はちょうど今ころでした。
新学期から高3になるという男子生徒さんの担当を指示されました。
偏差値50をちょい下回る高校の生徒さんです。
前任の英語の先生から、指導を引き継ぎました。
当時、彼は運動部に所属しており、志望校が東北学院大ということでした。
初回、指導に入って、その生徒さんの実力がどのようなものかをテストしてみました。
すると、中1の最初がガタガタというか、シッチャカメッチャカというか...
とにかく、ひどい状態でした。
本人も赤点ギリギリだと言います。
本人曰く、総体までは部活を続けて、そのあと勉強して、東北学院大に行きたいのだとか。
わたしはそこでその生徒さんに、
「あなたの英語の力は、中1の最初から、すでにつまずいています。
まずは春休み中だけでも、中1の最初に戻ってやり直しましょう」
と、提案し、その生徒さんも了解しました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ところが、初回指導が終わった後、2~3日して、突然「教師交代」を派遣会社から告げられました。
交代の理由は、
「息子は、菊池と指導の方針が合わないと言っている」
というものでした。
「中1の頃に戻って」というところが、生徒さんの中でどうも引っかかったらしいのです。
わたしは、初回指導の経緯を説明し、生徒さんからは了解を得ていたことを派遣会社に伝えました。
派遣会社の担当の方からは、
「事情は分かりました。
しかし、ご家庭からはそういうことですので。」
とのご返答。
わたしからは、
「せっかくご紹介いただいたのに、ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございません」
と、派遣会社の担当の方に謝罪しました。
派遣会社の担当の方からすると、「講師の交代依頼」は、どんな理由であれ、悪になります。
新しい講師を見つけねばならないなど、面倒なことばかりだからです。
結果論から言えば、
「英語がひどい状況だから、少しでも改善していこう」
などと、菊池が頑張ってしまったのは、全く余計なことだったわけです。
派遣会社にとって、最も大事なのは、
「ご家庭と契約を続けること」
です。
余計な波風が立っては困るわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までに話題にした新高3生のような生徒さんは、個人的な感想を言えば、
「こちらのほうからお断り」
です。
「プロ家庭教師菊池」としては、指導のお引き受けをしません。
中1の英語がガタガタなのに、改善の機会を拒否する。
そんな状態で、学院大に入りたいという。
学院大はそんなハンパな大学ではありません。
真面目に学院大を目指して学習している人に失礼です。
たぶん、この生徒さんは、学院大に入ることはできなかったでしょう。
家庭教師派遣会社の「よいお客様」というだけで終わってしまった可能性が高いです。
受験産業の従事者としては、それだけの話です。
例の生徒さんは、成績改善より、プライドを優先したわけです。
それも一つの選択ではあるでしょう。
こういう事案を見ると、中学英語がおぼつかない高校生は、成績を改善しようとしたら、プライドとも戦わなくてはならないということになります。
中1の頃に戻ってやったほうが、少しは英語が今より分かるようになるはずなのですが.....
あるいは、菊池のような受験指導者に当たると、勉強させられそうだから、「指導方針が合わない」ということにしてしまったのか.....
いずれにしても、残念な気がしてしまうのです。
今回のコラムでは、中高一貫校の「中学」課程についての話題です。
県内には中高一貫校が公立・私立を含めて何校かあります。
そのうち、「難関大学への合格を目指す」という学校、あるいはコースですと、公立とは違ったカリキュラムを組んでいます。
特にその違いが現れるのは、英語・数学です。
英語・数学は、公立より速く進みます。
例えば、そういう学校では、高校数学を中学に前倒しして学習しています。
受験ということを考えると、当然にこのようなカリキュラムになるでしょう。
一方、理科・社会は、公立中学とだいたい同じペースで学習します。
そうした中で、「みやぎ模試」を学校単位で受験するところもあります。
「みやぎ模試」は、高校入試を目指す公立中学生向けの模試です。
以前に、とある一貫校で行われた「みやぎ模試」の結果はこんな感じです。
データの数字は一部ぼかしてあります。
「何となくあそこだろうなあ」と感じる方がいらっしゃるかもしれません。
それはご想像に任せます。
このデータを見ると、国数英と理社の平均点がハッキリと分かれていることにお気づきでしょう。
公立中学生が受験するときには、科目によってあんなに極端な差は出ません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ここで、英数が平均で9割を超しているというのは、さすがです。
今回、「みやぎ模試」の結果として出したのは、中2生です。
この中高一貫校の中2は、公立中学の中3分野をすでに学習しています。
この学校の難易度から言っても、納得できる数字ではあります。
その一方で、理社は英数とかなり差があります。
まあ、「かなり差がある」といっても、平均的な中学生から見ると、かなり優秀ではありますが。
全科目合計の平均を見てみると、400点を少し超すくらいです。
これを公立高校の入試に当てはめると、「一高のボーダーちょい上」になります。
理社に関して、ナンバースクール受験者、特に一・二高のレベルと比べると、やや低い印象を受けます。
それから、この結果の数字で着目したいのは、標準偏差の数字です。
標準偏差というのは、生徒ひとりひとりの点数がどれだけバラツキがあるかを示すものです。
それを見ると、国数英の数字は1ケタです。
一方、理社のそれは2ケタです。
その意味するところは、国数英の点数は、生徒間であまり差がないということです。
一方、理社は国数英に比べて、生徒間の差が見られます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
なぜ中高一貫校の中学生が、国数英>理社となるのかには、いくつか理由があります。
大きな理由としては、次のことが考えられます。
・カリキュラムがそもそも英数重視
・高校受験がない
この中で、「高校受験がない」というのは、意外と大きな要素だと思います。
カリキュラムが英数重視ということは、理社は英数ほどの重点を置かれていないということです。
生徒さんは、英数をこなすのに必死です。
ですから、そういう中高一貫校でも、成績が下位のほうにいる生徒さんにしてみれば、
「理社のことまで構っている暇がない」
ということになります。
加えて、高校入試がないとなれば、「いま、積極的に理社をやる必要がない」となるのも、無理からぬことです。
事実、この「みやぎ模試」で、理科が30点台、社会が40点台という生徒さんがいます。
この学校のレベルを考えると、「ありえない」点数です。
模試の標準偏差が、「国数英=1ケタ、理社=2ケタ」というのが、こういう事実からも読み取れます。
勉強している生徒さんと、そうでない生徒さんの格差というのが、ここにも感じ取ることができます。
それは、公立中学でも、中高一貫校でも変わりません。
「こないだ出した課題、やれましたか?」
→「はい、やれました!」
「やってて分からないところ、ありませんでしたか?」
→「はい、大丈夫です!」
以上は、指導のときに生徒さんとよく交わす会話です。
まさしく「日常の光景」です。
しかし、わたしとしては、生徒さんの「やりました!」という言葉を100%信用しているわけではありません。
「やりました」といっても、いろんな度合いがあることをよく理解しています。
例えば、「課題をやってきた」というフレーズについてです。
これだけの違いがあります。
・問題解いただけ
→その答えが合っているかどうかの確認はしていない
・問題解いて◎×つけた
→答えが合っているか、間違っているかの確認はした。
→間違っているところが、どう間違っているかの確認なし
・問題解いて◎付けて分からないところを探求
こういう「課題やりました!」を続けていれば、個々人の成績の差が出ることは明らかです。
ところが、生徒さんはこうした点に、ビックリするほど頓着しません。
課題となっている問題を解いてしまえば、
「後は野となれ山となれ」
という生徒さんの多さには、正直なところ、閉口しています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしは、中高校生の頃、問題を解いた後は、すぐに答えを見ていました。
というより、見たかったのです。
正しい答えかどうか不安だったからです。
特に数学ではそうでした。
計算力にあまり自信が持てなかったからです。
実のところ、「問題を解いた後は、すぐに答えを見る」というのは、今でもそうです。
習い性となっている感じです。
そういうワタシから見ると、問題を解いただけで、正解と突き合わせない生徒さんの多さには、ただ呆れています。
とはいえ、受験指導者という立場からは、呆れてばかりもいられません。
ちょっと冷静になって彼らを見ると.....
例えば、公立中学で平均に達しない生徒さんの場合、
「問題解いて◎付けて分からないところを探求」
というところをキッチリこなせない生徒さんがほとんどです。
ですから、「間違った問題の振り返り」をやっても、相当に粗があります。
ただ、探求の精度は高くなくても、できる範囲で、間違ったところを振り返ってほしいのです。
そういうのを少しずつでも積み重ねていくと、しかるべき結果を入試時にゲットできます。
こういうところの「ちょっとした差」は、とても大きいと感じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回に述べたとおり、公立中学で平均に達しない生徒さんの場合、答え合わせの精度は高くありません。
粗いところが目につくのは確かです。
しかし、答え合わせをしたのと、解きっぱなしにしたのとでは、違います。
そうした生徒さんは、例えば入試でトップ層と競うことはありません。
だいたい同じくらいの成績の人たち同士で入試は行われます。
高校に進んでもそうです。
ですから、どういう形であれ、自分の書いた答えが当たっているのか、間違っているのかをチェックするのは、意義があります。
要は、そうした集団の中でよい成績であればOKです。
一方、トップ層ともなれば、むしろ「間違えてからが勝負」です。
そこで求められるのは、「同じ間違いをどうやって避けるか」です。
間違いを深く探求せずしてはトップ層を維持するのは難しいです。
間違いを深く探求しない人は、高校受験ならば、運よくナンバースクールあたりに滑り込むことはできるかもしれません。
しかし、大学受験では鳴かず飛ばずになる可能性が高くなります。
上位同士の競争は、なかなかに熾烈です。
そこに対応していくためにも、「勉強やりました!」の密度はできる限り高くあらねばなりません。
こないだ、家内や義母らと花見をしました。
そのとき、わたしたちの近くでホライゾン学園の生徒さんたちが校外学習をしていました。
サクラの花の観察会のようなものを行っています。
ホライゾン学園というのは、日本語・英語の両方で授業を行っています。
公式サイトによれば、英語での教育が5~6割だそうです。
ホライゾン学園では、どんな感じの教育・授業を行っているのか、以前から興味がありました。
そんなわけで、この校外学習の様子を傍から見ていました。
以下、そのときの様子、そしてホライゾン学園の英語教育と受験英語との関連について、述べてみたいと思います。
まず、観察会では、日本人・外国人の先生、両方が引率なさっていました。
観察会の冒頭で、外国人の先生から、生徒さんたちへ英語で説明・指示があります。
生徒さんたちは、日本人の先生とは日本語で、外国人の先生とは英語で、話をしていました。
生徒さん同士は、日本語でやり取りしています。
観察のレポートは、日本語で書いていました。
わたしは、ホライゾン学園で、英語だけの授業、あるいは日本語ダメという授業をやっているのではないかと、何となく思っていました。
しかし、実際の授業は、公式サイトにある通り、日英両方で行われています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしがホライゾン学園で見た英語教育の様子と受験英語については次のような感想を持ちました。
またわたしは、明泉学園のフレンドクラブに所属する生徒さんの受験指導をした経験もあります。
そういったケースを含めての感想です。
・ホライゾン学園・明泉学園での「英語指導方式」(以下、「HM方式」と書きます)と「受験英語」とは、基本的に別物
・「HM方式」は、「受験英語」にとても役に立つ
・「受験英語」は、「受験英語」として学ぶ必要あり
・「HM方式」をやっているから、「受験英語」は楽勝とはならない
「HM方式」と「受験英語」は、自動車の運転免許試験に例えると、次のようになります。
・「HM方式」・・・路上での実地運転テスト
・「受験英語」・・・運転に必要な車の構造・交通ルールを学ぶ学科試験
「受験英語」は、英語の実践(読む・書く・聞く・話す)の基礎・土台になります。
ここを疎かにすることはできません。
運転技術はすばらしい...
が、道路標識の意味が分からない...
歩行者優先のルールを知らない...
そうなれば、たちまち交通事故になってしまいます。
かといって、「受験英語」しか知らないとなれば、英語での実践はできません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「HM方式」を受けてきた生徒さんたちに、「受験英語」を指導すると感じることがあります。
それは、文法的な知識がほぼない状態であるということです。
例えば、英作文をする場合、彼らは
「エ? そういう間違いをしちゃうの?」
というミスをすることがあります。
さすがに単純なものは間違えません。
が、少し入り組んだ問題になると、たちまち文法的な知識のないのが露呈してしまいます。
「英語ではこうなっているから、繰り返しなさい。慣れなさい」
基本的な「HM方式」は、これです。
一方、「受験英語」では、そうではありません。
Do you happy?
Are you play baseball?
これらの文章がなぜダメなのか、文法のルールにのっとって説明できなくてはなりません。
「HM方式」を受けてきた生徒さんたちは、指導当初、この文法の理解が不足しています。
これができないと、学年が進むにつれて、「受験英語」では高得点が取れない仕組みになっています。
「受験英語」は、「受験英語」として学ぶ必要あり
「HM方式」をやっているから、「受験英語」は楽勝とはならない
前回のコラムでこのように述べたのは、彼らを指導してみての体験に基づきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「HM方式」を受けてきた生徒さんは、それまで受けてきた英語教育での「勘と記憶」だけが頼りという感じです。
・・・だから「HM方式」はよくない!
わたしは、そのようには考えておりません。
「HM方式」で教えられてきた生徒さんたちにとって、文法のルールを重んじる「受験英語」は、最初のうち戸惑うようです。
しかし、文法のルールをきちんと学ぶことで、
「ああ、なるほど、何となく勘でやってきたけど、これってこういう理屈だったのね!」
と納得するようになります。
彼らは、文法のルールを会得するのが、通常の生徒さんに比べて速いです。
そして、彼らの表情は明るいです。
ですから、文法のルールをきちんと体得した後は、「受験英語」でも高得点を取るようになります。
それから、「HM方式」・「受験英語」、いずれでも、「日本語の国語力」は非常に大事です。
文章を読むとき、英語でも、日本語でも、書いてある内容には変わりないからです。
それゆえに、ホライゾン学園では、授業に日本語も取り入れているのでしょう。
小学校・中学・高校・大学と進んでいくに従い、確固とした国語力が必要とされます。
「HM方式」は、そういう現状に合わせていると思われます。
たぶん、ですが...
当コラムをお読みの方なら、どの方にも「科目の好き嫌い」「科目の得手・不得手」はある、もしくはあったと思います。
それは、国数英といった主要教科だけではありません。
美術・体育といった実技教科でも、そうだと推測します。
わたしもそうでした。
生徒さんの日々の状況を見ていると、それが如実に現れます。
そうした中で、学校の先生の好き嫌いというのが、意外と「科目の好き嫌い」と結びつくことがあります。
こうした傾向は、男子よりも女子に多い感じです。
男子にもこれがないわけではありません。
が、比率・程度を考えると、女子のほうがずっと多いです。
彼女たちに「好きな学校の先生」を聞いてみると、こういう答えが返ってきます。
・人柄が好き・尊敬できる
・授業が分かりやすい・丁寧
・ルックスに好感が持てる(男の先生・女の先生問わず)
「嫌いな先生」というと、こうなります。
・性格が嫌い・信用できない
・清潔感のなさ(特に男の先生に対して)
「嫌いな先生」の要素として、授業の分かりにくさはあまり上がって来ません。
嫌いな先生の授業は、そもそもあまり聞かない、ということなのでしょうか。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでの「先生の好き・嫌い」というのは、わたしの身にも返ってきます。
指導のときには、身を律しなければなりません。
このコラムを書いていたら、女子による「先生の好き嫌い」に関して、こういう話を思い出しました。
わたしの高校生の頃の友人で、宮城一女(いまの「宮一」)から京大に入った方がいました。
彼女は、某予備校のとある世界史の先生のファンというか、崇拝者(?)というか、その先生を絶賛していました。
その先生の授業がいかにすばらしいか、面白いか、目をキラキラさせながら語るのです。
わたしはそれを聞いていて、
「へ~ そんなに先生に入れ込めるものなのか?」
と、冷めた目で彼女の話を聞いていました。
まあ、結果として彼女は京大に行ったわけです。
万事めでたしでした。
また、これとは逆の話があります。
ある中学の女子生徒さんは、社会の出来がどうにもこうにもという感じでした。
彼女は、たびたび先生への不満を口にしていました。
その不満というのが、
「生理的に無理」
というものでした。
そして、同じ中学で、別の学年で担当した女子生徒さんも、その社会の先生のことを
「あの先生はわたしも受け付けない...」
と言って、思いっきりしかめっ面をしていました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
嫌いな先生ということについては、わたしにも記憶があります。
中学の数学の先生で、とにかく「虫の好かない」方がいらっしゃいました。
中学生の生徒が、先生に対して「虫が好かない」と思っていたのは、失礼な話ではあります。
が、これは感情の問題ですので、どうしようもありません。
そんなわけで、その先生とはできる限り関わりを持たないようにしていました。
その先生の授業はイヤでしかたがありませんでした。
が、数学を勉強しなくなったということはなかったです。
先生との相性はよくありませんでしたが、高い得点は欲しかったですから。
また、わたしの場合、中学生のころから、数学・理科といった理系教科より、国・英・社のような文系教科のほうが性に合っていました。
数学・理科は「点が取れさえすればOK」という感じでした。
そういうわけで、先生の好き嫌いが成績に影響したということはなかったように思います。
翻って、指導をする立場になれば、生徒さんのこういう志向を「単なる甘え」と切り捨ててはいけないと感じています。
指導に当たる者として、生徒さんに対応するときには、留意をしていきたいと思います。
高校生に英語の指導をしていると、いつも思うことがあります。
・・・高校の英文法の教科書って、なんでこんなに貧弱なんだろう?
・・・アレを超える英文法の教科書に会いたいなあ
・・・せめてアレがあるといいのになあ
とにかく、わたしは高校英語の教科書が不満なのです。
わたしとしては、まず教科書を精一杯に活用して、英語の基礎力を付けたいのに...
ところで、いま、高校生の英語の教科書は「コミュニケーション英語」「論理表現」という2本立てです。
授業もそのようになっています。
・「コミュニケーション英語」
→長文読解
・「論理表現」
→文法・作文
「コミュニケーション英語」というのは、長文を主に扱います。
ご父兄の世代だと「リーダー」という言葉のほうになじみがあるかもしれません。
一方、「論理表現」が扱うのは、文法・作文です。
ご父兄世代ですと、「グラマー」「コンポ」に相当します。
「コミュニケーション英語」=長文読解の教科書には、大きな不満がありません。
一方、「論理表現」=文法・作文は、ちょっと耐えられません。
扱う内容量が、記述の割には、いかにも少なすぎる印象を受けます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが今の高校生の英語を指導していて思い出すこと...
それは、わたしが高1で使った英文法の教科書です。
その教科書は、ネット検索をかけたところ、どうも検定教科書ではなかったようなのです。
中高一貫の「体系数学」的なテキストでした。
当時の「大人の事情」はどうあれ、わたしはこの「英文法の教科書」を超える英文法の教科書に会ったことがありません。
この「英文法の教科書」は、割と薄めでした。
昭和の時代の、味気も素っ気もない本です。
しかし、書いてある内容は、今の「論理表現」の教科書の2倍以上のことはあったように思います。
高1の英文法担当の先生は、
「この教科書を隅から隅まで覚える。
そうすれば、どんな本でも読める」
と、口癖のように仰っていました。
わたしは中学のとき、英語で苦労をした記憶がありません。
が、高校入学後、この英文法の教科書に次から次へと出てくる文法事項・慣用表現には苦労をしました。
「こんなに覚えなくちゃいけないものなのか...」
と、高1のときには、ウンザリ・ゲンナリしていました。
ただ、試験には出るわけです。
詰め込む以外に仕方がありませんでした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高1のときの「英文法の教科書詰め込み」は、大変でした。
ただ、その後は、高1で詰め込んだことが繰り返し、いろんな形で出てくるようになるのを実感しました。
そうなると、「大学受験に必要なことは、だいたいこのくらいの範囲」という目途はつきます。
「この教科書を隅から隅まで覚える。
そうすれば、どんな本でも読める」
このように仰っていた先生の言葉は、そのとおりでした。
いま思い返せば、高1のとき、食傷気味になりながらも「教科書詰め込み」をやっておいてよかったと思います。
何しろ、あのときに詰め込んだことが、いまだにわたしのメシのタネになっているわけですから。
翻って、今の生徒さんの学校での英文法についてです。
こちらは、「論理表現」の教科書+「Next Stage等の文法問題集」で行われています。
・普段の授業では、「論理表現」の教科書を使う。
・「Next Stage等の文法問題集」を、小テスト・定期試験・実力試験の範囲に含めて学習していく
みやぎ模試偏差値55以上の高校だと、だいたいこういう感じになっています。
しかし、わたしから見ると、「論理表現」の教科書にある内容が、いかにも貧弱に見えます。
ほんとうに足りないのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが高校生に英文法の指導をしていていつもストレスになっているのは、「Next Stage等の文法問題集」で解説をするときです。
解説をしていると、わたしは教科書を開いて、
「はい、ここに解説があるでしょ」
ということをしばしばやります。
問題集のところには、確かに解説はあります。
しかし、生徒さんに説明するときには、教科書にきちんと書いていてもらったほうがありがたいのです。
わたしとしては、
「教科書に書いてあるほど大事で基本的」
という説明ができます。
生徒さんとしても、
「教科書で書いてある」
と言われれば、しっかり覚えざるを得なくなります。
説明も、系統だった説明がなされています。
そうしたとき、いまの「論理表現」の教科書ではいかにも貧弱で不十分です。
こうしたとき、わたしが高校生のときに使った英文法の教科書なら、しっかり説明が書いてあります。
「ああ、あの英文法の教科書があればナア~」
と、昔の教科書に思いを致すわけです。
「あの教科書」であれば、基本となるものはほぼ網羅してあります。
薄い教科書でしたので、目的の記述にたどり着く手間もそれほどかかりません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「高1のときには英文法の基礎をガッチリ固めておく」
大学受験ということを考えると、まずもってこれは「初めの一歩」「一丁目一番地」です。
もとより、大学を選ばなければ、ここまでする必要はありません。
しかし、本コラムをお読みの方は、たぶん「一定以上のレベル」の大学受験のことを想像されているはずです。
であれば、英語において、高1の過ごし方はとても大切です。
というのも、英語の場合、
「単語熟語など、とにかく多くのことを覚えておかないとスタートラインに立てない」
からです。
数学は覚えなくてはいけない事項が、英語と比べても段違いに少ないです。
一方、英語では共通テストに必要な英単語数が、4,000語程度だそうです。
英単語のようなものは、短い期間にそうそう大量に覚えられるものではありません。
この英単語のほかにも、熟語も要記憶事項です。
ということは、高1の段階で、覚えるべきことをしっかり覚えておかないと...
一定レベル以上の大学の受験では確実に詰んでしまいます。
英単語を覚えなくてはならないというのは、万人に平等です。
高校の受験英語における高1の役割を、よく知っていただきたいと願っています。
こないだ中学生の指導中に、高校入試の「スポーツ推薦」の話になりました。
その生徒さんは、「スポーツ推薦」で高校に入ろうとしているというわけではありません。
ただ、「スポーツ推薦」はどういう人たちがそれで行っているのか、ちょっと興味があったようです。
その生徒さんにとって、「スポーツ推薦」というのは、
・育英の野球部に入って甲子園に出る人
・サッカーでJリーグに行くような人
こういうイメージがあったようです。
もちろん、そういう中3生もいます。
しかし、そういうスポーツエリートは、ごく一部です。
「スポーツ推薦」で行く中3生全員が、全国大会に出るようなレベルというわけではありません。
実際はもっと多くの人が「スポーツ推薦」を利用しています。
「スポーツ推薦」で行く中3生は、わたしが見た限り、おおよそこんな感じでした。
・勉強は得意なほうではない
・スポーツの種類はさまざま
→野球・サッカーに限らない
・学校の欠席が少ない
・部活を引退まで続ける意志がある
・どれだけそのスポーツが上手かどうかはあまり問われない
もちろん、その部の活躍度合いで、「スポーツ推薦」に求めるレベルは違ってきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高校入試における「スポーツ推薦」の場合、端的に言うと、次の条件がクリアできれば合格できます。
・体が丈夫
・ちゃんと学校に来ている
・部活を途中で辞めない
この「スポーツ推薦」の場合、キーとなるのは、部活の顧問(監督)の先生です。
そこには、さまざまな「ルート」があります。
わたしの知る範囲で最も多かったのは、中学の部活の先生と、高校の先生になにがしかの接点があるケースです。
そこで、「青田買い」のようなものが行われています。
入試は、面接・作文などです。
学力試験はありません。
ただ、高校入学後には、お勉強もします。
定期テストも受けなくてはいけません。
聞くところによれば、上手な選手のほうが、そうでない人より、テストの成績はいい傾向にあるそうです。
これも納得できます。
彼らが学力を問われずに、「スポーツ推薦」で高校に入ったとしても、高校卒業後にも、学力が問われないとは限りません。
「スポーツ推薦」で高校に入る場合は、そういうことも考えておく必要がありそうです。
つまるところ、学校というところは、「学問をする場所」です。
「部活をする場所」ではありませんので。
過日、中学英語がおぼつかない高校生についてのコラムを書きました。
今日は、その続編です。
<関連コラム>
ここで主に焦点を当てたいのは、
「中学英語に戻るのはよいが、どのようにして『戻る』ことがよいのか」
ということです。
ネット検索をしてみると、記事は成人向けに書いてあることが多かったりします。
社会人になってから、英会話をやってみたいとか、仕事で英語が必要になったとか、そういう方たち向けです。
高校生向けには、単語をしっかり覚えるなどとあります。
しかし、「覚えなさい」と言われても、彼らにはなかなかに難しいようです。
こうした場合、わたしが取る方法としては、
「中1英語の問題集を繰り返し解く」
というものです。
まずは、最初の3章くらいを10回くらい繰り返し。
次に、4章以降を5回繰り返し。
よく分からないところは、解説を見ながらでもOKです。
一にも二にも「繰り返し」です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中学英語がおぼつかなくなる原因...
「最初に出てくる英語のルールの身につけ方が完璧でないから」
これに尽きます。
・"I love you"がOKで"I you love"とならない理由
・"Do you...?"と"Are you...?"を使い分ける基準
このルールの理解にわずかでも穴があれば、その後に英語がパッパラパーになるのも当然なのです。
中学英語が分からないという生徒さんは、このルールを身につけるために、「繰り返し」をする以外にありません。
前回のコラムで述べたように、最低10回程度は。
これをやれば、
「少なくとも以前よりはマシになる」
「少し英語が分かるようになる」
こうした体感ができるようになります。
生徒さんに、この「徹底した繰り返し」を指導した感想としては、
「繰り返しには意外と拒否反応を示さない」
というものです。
むしろ心地よさのようなものを感じているようなのです。
これまでの勉強に比べれば、分かることをやっているわけです。
その「心地よさ」は理解できます。
以上述べたことは、「言うは易く行うは難し」です。
指導者なしで、自力でやるのは困難だと思います。
今回のコラムは、英検の「試験問題」についてです。
英検は多くの生徒さんが受けています。
学校でも受験を推奨していたりします。
わたしの生徒さんも、中3で英検2級合格している生徒さんも、いたりします。
ちなみに、2級は「高校卒業程度」という「公式発表」です。
一方、実はこの英検、受験関係者にはあまり評判がよくありません。
その理由というのは、
「英検に『合格』しても、学校のテストの点が必ずしも上がるわけではない」
「英検○級合格すると、生徒さんが自分の英語力を過信して英語の学習にゆるみが出る」
といったものです。
しかし、これは、あくまで英検というシステムに関してです。
今回、わたしが焦点を当てたいのは、英検の試験問題です。
英検の試験問題は、受験という角度から見ると、とても良い問題だと思っています。
そのため、わたしはたまに英検の問題を指導のときに使うことがあります。
一種の模試の問題としてです。
「英検の問題は使える!」
わたしはこのように思っています。
英検過去問集の解説も、長すぎず、短すぎず、という感じです。
ボキャブラリーを問う問題も、長文読解の問題も、バランスが取れています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
英検では、だいたい6割ちょいくらいできれば、合格します。
そういうわけで、できる中3生だと、2級(高校卒業程度)をクリアします。
彼らにとって、英検の最大の目標・目的は、「合格」です。
6割ちょいでも、8~9割でも、どちらも「合格」です。
ただ、例えば、できる中3生が、2級を8~9割できる状態になるのは、かなり大変です。
中3生の2級保持者も、8~9割できるという生徒さんは、かなり少ないのではないでしょうか。
ですから、わたしとしては、中3ならば、「3級を8~9割できる」ことを目標にしたいと考えています。
わたしが英検の問題でいいなあと思うのは、第1問のボキャブラリーの問題です。
これを単に正解するだけ、というのではなく、正解以外の選択肢に関するボキャブラリーも増やしていくようにすると、結構なレベルに達します。
その昔は、大学入試「センター試験」にこの種の問題は出ていました。
が、今の「共通テスト」は長文読解のみです。
そうしたことを考えると、こうした語彙に関することを問われるのは、いい機会です。
今後の指導でも、英検の問題は必要に応じて使ってみたいと考えています。
高校1年生は、ようやく少し、学校のペースに慣れてきたころです。
高1生というと、中高一貫校を除けば、「高校数学デビュー」が最初の難所です。
そういう折ではありますが、今回は国語の「古典」分野について書いてみます。
まず、多くの高1生にとって、「古典」は甚だ人気がありません。
彼らには、高校数学で手一杯な状況です。
一方、「古典」の授業は淡々と進んでいきます。
そして、6月に高総体が終わって、定期テスト間近になったころ、
「わ~ 何だかさっぱり分からない」
ということに気づく高1生はかなり多いです。
そして、「古典」は嫌いになり、縁遠くなっていきます。
それは、一とか二とか数字のつく高校の生徒さんも、例外ではありません。
生徒さんたちは、なぜ「古典」が嫌いになるのか...
生徒さんによって原因はいろいろあるかと思います。
わたしの考えるところ、
何が書いてあるのかよく分からない
これが最大の理由です。
書いてある内容がいかにも抹香臭いとか、現代の風潮と合わないとか、他にも原因はあるでしょう。
が、つまるところ、
「よく分からないことを試験問題として問われ、分からずに不愉快な思いをする」
こういうことのようです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「古文」に関しては、生徒さんがなぜ「古文」が嫌いと思ってしまうのか...
2つのテキストを生徒さんに見てもらいました。
<テキストA>
今は昔、比叡の山に児ありけり。
僧たち、宵のつれづれに、「いざ、かいもちひせん。」と言ひけるを、この児、心よせに聞きけり。
さりとて、し出ださんを待ちて寝ざらんも、わろかりなんと思ひて
<テキストB>
今となっては昔のことだが、比叡山の延暦寺に児がいた。
僧たちが、宵の退屈さに、「さあ、ぼたもちを作ろう。」と言ったのを、この児は期待して聞いていた。
そうであるからといって、ぼたもちを作り上げるのを待って寝ないのも、児はよくないだろうと思って
これは、高校古文の最初に掲載されていることが多いテキストです。
<テキストA><テキストB>とも、書いてある内容は同じです。
「古文は嫌い」...
そう言っていた生徒さんたちも、<テキストB>がもし試験問題だったら、古文は嫌いにならないと言います(笑)
まあ、<テキストB>だと、「古文」の試験問題にならないわけですが。
とはいえ、生徒さんたちが「古文」を嫌いにならないためには、内容がしっかり分かるようになればいいわけです。
そして、そうなるためには、ボキャブラリーと文法の理解が必要になります。
・・・そういうわけで、あまりに予定調和で、オチのないお話でした。
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