コラム連載3周年に当たって 〜いかに質の高い情報を提供していくか〜 その1 2016/08/01

弊コラムは連載以来、丸3年経ちました。

弊サイトを訪れるご父兄の足しになればと細々と始めたコラムですが、現在は200名近くの方が定期的にお読みくださっています。

この数字をどう見るか、ということについては、まだまだ発展途上の段階にあると考えます。

いろいろなところで話を聞くと、わたしのコラムを、非常に熱心にお読みくださっている方が多いのに、驚いている、というのが正直な感想です。

指導依頼のお問い合わせをくださる場合、このコラムをお読みになって、わたしの人となりを判断するという方がほとんどのようです。

その中には、長期にわたってお読みくださっている方も多数いらっしゃいます。

「コラムは1年以上前から読んでいます」

「問い合わせをする前、コラムは隅から隅までプリントアウトして読みました」

などという声も聞かれ、こちらのほうがかえって恐縮しています。

わたしがコラムを書きながら思うことを2つほど述べることにいたします。

まずひとつは、毎年書いている通り、弊コラムは「ご父兄の視点に立って書く」ということです。

受験ということを考えた場合、ご父兄にとって大切なことと、わたしのような受験関係者にとって大切なことは微妙に違います。

そうした場合、受験関係者は「自分にとって大切なこと」を書き連ねてしまう傾向にあります。

それを極力排除し、「ご父兄にとって大切なこと」に特化した書き方を引き続き行います。

(次回に続きます)

コラム連載3周年に当たって 〜いかに質の高い情報を提供していくか〜 その2 2016/08/02

(前回の続きです)

第2点として、「不特定多数のための底の浅い情報」ではなく、「特定少数のご父兄にとって、真に必要な情報」を提供していく、ということを目指していきます。

ご父兄の方々が弊コラムをお読みになるのは、ひとえに「子供の成績が少しでもよくなるようにしたい」「なるべくしっかりとした情報を得たい」ということに尽きます。

またわたしは、単に「受験」ということだけでなく、ご父兄にとって、子息の受験は「子育ての一環」であるということも踏まえ、「親の視点」ということも盛り込むようにしています。

この点、わたしは高校生の娘を持つ者として、実際に子育ても行っていますから、そこから出てくる視点は、単なる受験情報とは違ったものが出てきます。

そうすることで、内容に深みが増すことでしょう。

また本年4月からは、ツイッターを始めました。

こちらは、弊コラムとは、違った形で情報を発信しています。

ツイート数も4か月で700を超えました。

ツイッターはその名のとおり「つぶやき」です。

コラムより字数が少なく、その分、コラムでは拾いきれない情報をお届けすることで、お役に立てればと考えています。

なお、現在、情報の発信方法については、新しい企画を考案中です。

今秋の導入を目指していますが、なるべく早期にお届けするようにいたします。

今後ますますのご愛顧をお願いいたします。

平均点に届かない中1生が英語アップのために夏休みにすべきこと 〜親子二人三脚で〜 その1 2016/08/03

8月に入り、夏休みもたけなわとなってまいりました。

中1生にとっては、中学に入り初めての夏休みということです。

小学校とはまた違った夏の過ごし方をしていることでしょう。

さて、公立中学の中1生は、4月から英語の授業が本格的に始まり、6月には定期試験を済ませています。

授業開始後3か月を過ごしただけですが、個々人はすでに大きな差がついています。

6月の定期試験は試験範囲も狭く、平均点が8割前後といったところが相場です。

これが9月の試験のころには、ばらつきの差が大きくなり始め、11月の試験のころにはその差が決定的になります。

また少数ながら、先の定期試験の段階で、すでに平均点をかなり下回っている生徒さんがいます。

こうした生徒さんの場合、そもそも教科書にある英文が読めません。

わたしはこれまで、中3くらいになっても教科書の英文がほとんど読めない生徒さんをこれまで4人担当したことがあります。

彼らの中1時における英語の定期試験の推移は以下の通りでした。

いずれも100点満点です。

 

A君 52→36→20→8

B君 18→17→11→13

C君 21→18→24→12

Dさん 22→12→10→6

 

最初の試験は、平均点が80点くらいです。

A君以外の3名は、6月の段階で正解しているのが、リスニングの問題くらいで、英語の読み書きに関するところは、ほぼできていません。

(次回に続きます)

平均点に届かない中1生が英語アップのために夏休みにすべきこと 〜親子二人三脚で〜 その2 2016/08/04

(前回の続きです)

以上のような状況を踏まえ、平均点に届かない中1生が、夏休みの残りの期間、英語に関してどのようにすべきか、ヒントを3点記します。

第1点目として、英語がほとんど読めない場合、ローマ字からさかのぼって学習してほしいということです。

先ほど記したA君はローマ字を辛うじて読めましたが、他の生徒さんはほとんどローマ字が読めず、自分の名前がローマ字で書けませんでした。

今の生徒さんたちは、コンピューターなどの機会に慣れ親しんでいるから、入力の際にキーボードでローマ字入力を使っているのではないか、というお考えがあるかもしれません。

しかし現在のスマートフォンの場合、キーボードがなく、ローマ字入力も必要ありません。

よって、スマートフォンの操作には慣れているものの、キーボード操作が分からないといった現象が出てきています。

この段階にある生徒さんだと、自助努力で英語をどうこうしようというのは無理です。

よって、1対1の家庭教師または個別指導を受けるか、ご父兄が付きっ切りでローマ字の読み書きから教えるということに集中して取り組んでください。

本来ならば「英語を書く」という段階まで行ければいいのですが、まず読めないことにはお話になりません。

これができるかどうかで、今後の展開がだいぶ違ってきます。

(次回に続きます)

平均点に届かない中1生が英語アップのために夏休みにすべきこと 〜親子二人三脚で〜 その3 2016/08/05

(前回の続きです)

第2点として、英語を読むのに支障がないという人は、「英語が書ける」ようになるため、教科書の音読、単語の記憶、英文の書き写しなどに取り組んでください。

教科書は、できれば、ご父兄の前で読ませるようにしてください。

本人任せにして「英語、読んでおきなさい」では、十分でありません。

1日1分で構いませんから、手間を取ってこれをやると、必ず効果が出てきます。

このタイプの生徒さんは、英単語を読むことができても、意味が言えたり、書いたりすることに支障が出てきています。

音読を本人任せにすると、覚えていない単語が読めないために、十分な取り組みができません。

本来であれば、辞書やネットで意味を調べたり、読み方を調べたりといったようなことを自分ですべきことです。

しかるにこの手の生徒さんの場合だと、手持ちのスマートフォンでラインだのオンラインゲームの検索はしても、英単語を調べるなどということはまずしません。

それゆえ、何らかの形で、ご父兄の介添えが必要です。

教科書ガイドには単語の読み方が書いてありますし、また教科書ワークには、単語表が付録でついています。これを活用してください。

(次回に続きます)

平均点に届かない中1生が英語アップのために夏休みにすべきこと 〜親子二人三脚で〜 その4 2016/08/06

(前回の続きです)

第3点としては、英語の単語を覚えるときには、意味だけを覚えるのではなく、文法を意識してほしいということです

せめて主語・動詞はどういうものかというくらいの感覚を持ち合わせてほしいということです。

このクラスの生徒さんの場合ですと、英語の単語をしっかり覚えていない、ということももちろんあります。

しかのみならず、英文を「何となく」「感覚で」羅列しているだけということが往々にしてあります。

「感覚」というのは大切なことです。

日頃の英語学習も「感覚」の涵養(かんよう)という点で大いに意味があります。

しかし当然のことながら、英語の試験は「感覚」だけで対処しきれるものではありません。

英文を書く際、「何となく」に頼って英単語を羅列してしまうのでなく、「どういうルールで英語は言葉が並んでいくのか」ということも併せて覚えていかなくては点が取れるようになりません。

ことに今春から中学の教科書の内容が一斉に変わり、出てくる単語の数、英文の量が格段に多くなりました。

これはいわゆる「ゆとり教育との決別」を鮮明にしたものです。

これの意味するものは、「生徒さんの間の上下の成績の差をこれまで以上にはっきりさせる」「一度分からなくなってしまうと、這い上がるためにはこれまで以上にエネルギーを要する」ということです。

以上3点を参考にしていただき、残りの夏休み期間を有意義に過ごすようにしてください。

仙台・宮城の高校受験 入学難易度が仙台二高>仙台一高となっているのはなぜか 〜ポイントは学区制と泉区〜 その1 2016/08/07

近年、宮城・仙台に転入されて子息が受験をするようになったご父兄の多くは、仙台一高と仙台二高の入試ランクがなぜ二高>一高となっているか、疑問に思われるかもしれません。

通常、どこの地域でも、一高というのは二高に先駆けて創立され、歴史が長い分だけ、社会的評価が高いというのが通り相場です。

しかし当地には当地の歴史的経緯があります。

わたしのように宮城県で生まれ育った者には、「久しい以前からそうなっている」こととして受け止めています。

今回は昔の事情をよくご存じないご父兄のため、なぜそうなったのかを述べるようにいたします。

まず両校は、歴史をたどると、どちらも旧制中学校に行きつきます。

仙台一高は、旧名を仙台一中、仙台二高は旧名を仙台二中といいます。

これは今の中学校とは違います。

戦前、義務教育が小学校6年までだったころ、小学校を終えたエリート男子のための学校です。

そうした流れで両校は長きにわたって男子校でした。

その女性版が高等女学校で、宮城一高・仙台二華高・仙台三桜高はその流れをくみます。

よって、その当時の一中、二中の受験は、ちょうど今の二華中や青陵中の受験に当たります。

わたしが側聞するところ、長い間、一高、二高は進学実績において均衡関係を保っていました。

(次回に続きます)

仙台・宮城の高校受験 入学難易度が仙台二高>仙台一高となっているのはなぜか 〜ポイントは学区制と泉区〜 その2 2016/08/08

(前回の続きです)

一高が優位になったのは、昭和30年代前半ころからです。

そのころは、一高が二高を凌駕(りょうが)していました。

その後、高度成長に伴う高校進学率の上昇により、受験競争が激化します。

これが様々な社会問題を引き起こしたため、昭和52(1977)年、宮城県の公立高校入試に学区制が導入されます。

仙台近郊に限って言えば、仙台駅を起点にして、この地区を仙台北学区、仙台南学区の二つに分けました。

そして出身中学校により、受験できる公立高校を制限したのです。

この学区制の導入により、一高は南学区の男子トップ、二高は北学区の男子トップとなります。

これにより、一高・二高は力が拮抗(きっこう)するはずでした。

しかし思わぬ事態が発生します。

泉市(現在の仙台市泉区)の存在です。

仙台市は政令指定都市を目指し、北部に隣接する泉市に合併話を持ち掛けます。

その手土産として、仙台市は合併後に、都市開発を優先して進めることを提案します。

折から、泉市は仙台市のベッドタウンとして人口が急増していました。

仙台市と泉市の合併の結果、泉市は仙台市泉区となり、宅地造成がさらに進むことになります。

都市開発の際、北部に重きが置かれたことで、相対的に北高南低といった状況を呈すことになりました。

(次回に続きます)

仙台・宮城の高校受験 入学難易度が仙台二高>仙台一高となっているのはなぜか 〜ポイントは学区制と泉区〜 その3 2016/08/09

(前回の続きです)

宅地造成が進めば人口が増え、それが高校入試の学区にも反映します。

仙台北学区の上位層男子は二高に進学します。

仙台北学区が南学区に比べてレベルが上がり、それがそのまま一高と二高の差になってしまいました。

加えて東北大学の教授・職員の子女が川内地区の公務員住宅に多くいた、ということも原因の一つとして考えられます。

ここも二高の学区です。

この学区制は昭和52(1977)年から平成22(2010)年の33年間にわたって続きました。

朝鮮半島の南北と同じく、こうした差は時がたてばたつほど大きくなります。

わたしが二高に入学したのは学区制がようやく定着しかけたくらいのころです。

すでにそのとき、一高とは入試の合格最低点でも差がありました。

しかし、そのときは二高がちょい上くらいで、今ほど差があったわけではありません。

それが学区制が終了するころには、進学実績で大きな差がついてしまいました。

これはわたしが見ていても気の毒なほどでした。

かつての一高の雄々しく、たくましいさまを知っているわたしには、何とも物足りない気持ちでした。

また二高は一高より3年早く共学化しました。

それにより、それまでは宮城一女(現在の宮城一高)に行っていた北学区の女子上位層が、二高に行くようになったということも影響しました。

(次回に続きます)

仙台・宮城の高校受験 入学難易度が仙台二高>仙台一高となっているのはなぜか 〜ポイントは学区制と泉区〜 その4 2016/08/10

(前回の続きです)

学区制が廃止され、共学化が実施されると、古豪復活という言葉にふさわしく、一高は息を吹き返し始めます。

一高の所在地である元茶畑という場所は、仙台駅からアクセスが容易であるということも影響しているでしょう。

近年では地下鉄東西線が開通し、「連坊駅」という名の「仙台一高前駅」ができたこともあり、ますます通学が便利になりました。

学区制の撤廃について申すと、一高OB会は長年にわたってこれをずっと県教委に訴えてきました。

一方で共学化には「男子校としての伝統を破壊する」ということで猛反対しました。

しかしこの共学化が皮肉にも一高復活を後押しします。

これまでは宮城一女(現在の宮城一高)、宮城二女(現在の仙台二華)に入学していた女子が大挙して一高を選択するようになったのです。

その逆に、上位層の男子で宮城一高や仙台二華を選択した人たちは極めて少数でした。

二高OB会には、学区制撤廃という考えがありませんでした。

二高は学区制の「最大受益者」でしたから、これも当然と言えば当然ですが.....

共学化について、二高OB会は一高OB会とともに反対を唱えました。

在校生を巻き込んでの共学化反対運動が巻き起こりましたが、結局は粛々と実施されました。

それが現在に至ります。

結局のところ、学区制撤廃と共学化で最も大きな利益を得たのが、仙台一高です。

そして最も割りを食ったのが、宮城一高です。

高校をめぐる長い歴史、いろんなことがありました。

「限定4名まで! お盆前10時間学習会」の意義 2016/08/11

今日から2日間にわたって、「限定4名まで! お盆前10時間学習会」を行います。

先月の「スイパラ懇親会」に引き続き、こうした会は初めての経験です。

生徒さんにとって、できる限り実りの多いものになるようにしてまいります。

この学習会を開くにあたって、「こだわり」とした部分が3点あります。

第1点目が、「参加人数を絞る」ということです。

いわゆる「個別指導」を行っている塾は、1対2ないしは1対3というところが主流です。

しかし、この場合「どういう講師に当たるのか事前に把握できない」という弱点があります。

そこで、今回は、講師をわたし1人が務めることで、この点を克服し、参加人数を絞った指導をするということを念頭に置きました。

第2点が、「学習時間をこれまで以上に確保する」ということです。

家庭教師の指導の場合は、1対1、1回2時間が原則です。

成績向上のためには、量をこなすことが必要条件です。

2日で10時間とすることで、これまで以上に量をこなしてもらいます。

第3点目として、仲間と競い合う要素を持ちたいと考えました。

今回参加する、4名の生徒さんは、学年も学校もそれぞれ違います。

寺子屋方式というのは、生徒さんにとってもそれなりに新鮮に映ることでしょう。

以上のことを考え、人数を1対4とすることにしました。

学習会は午前9時30分から開始です。

ツイッターでも、その間、進み具合をお伝えしていきます。

「限定4名まで! お盆前10時間学習会」第1日目終了 2016/08/12

昨日「お盆前10時間学習会」を行いました。

生徒さんたちは、きちんと5分前にはそろっています。

「時間を守る」.....当たり前のことですが、定刻前に全員がそろっているというのは気持ちがいいですね。

こちらの志気も高まります。

生徒さんは、小5、小6、中1、高1がそれぞれ1名ずつです。

お互いに名前も顔も分からない同士ということもあり、自己紹介をして、学習に取り掛かりました。

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今回参加した生徒さんは、外部生の方が1名で、ほかの3名は現在、担当中の生徒さんです。

学習中は真剣そのもので、しっかりと集中できています。

途中、休憩をはさんで、みんなでプリンを食べました。

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それからまた学習開始です。

我が家で飼っている猫も、生徒さんたちを歓迎しているようです(笑)

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この猫は人懐っこくて、来客があると、近寄ってきます。

名前は正式にはイチと言い、家内や娘はそう呼んでいますが、わたしはゴンスケと言っています。

生徒さんからは、「かわいい〜」「なでなでしよう〜」などと、ゴンスケはアイドル並みの扱いを受けていました。

昼休みに入って昼食を取りました。

テレビでオリンピックのメダル獲得のニュースを見ながらの昼食です。

ほっと一息ついたところで、トランプとサイコロでのゲームに興じます。

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わたしは基本的に、生徒さん同士を競わせる、ということを念頭に置いています。

懇親を深めるためのゲームとは申せ、例外はあり得ません!

総合得点をつけ、1位を受賞した生徒さんには商品を授与しました。

こうして1日目が終わりました。

明日も同じメンバーで頑張ります。

「限定4名まで! お盆前10時間学習会」第2日目終了 〜皆さん お疲れ様でした〜 2016/08/13

昨日、「お盆前10時間学習会」第2日目を行い、全日程を終了しました。

1日目は見知らぬ同士ということもあり、ピンと張ったような雰囲気で始まりましたが、今日はずいぶんと和やかです。

全員集合と相まって、それぞれ学習を始めます。

4人それぞれが自分のやるべき課題に全力で取り組みます。

進み具合を見ながら、質問に答えたり、また留意すべきところをわたしが指導しました。

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指導を真剣に聴く生徒さんの表情というのは、いつ見てもカッコいい!

昼休みに入り、くつろいでいます。

中には、スマートフォンゲームに興じる生徒さんも.....

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年少の生徒さんが、年長の生徒さんから、手ほどきを受けています。

「モンスターストライク」というゲームだそうです。

どういうゲームだかはよくわかりませんが、楽しそうです。

年長者が年少者にこのように接する機会も、少子化の昨今、あまりないかもしれません。

昨日に引き続き、生徒さん全員でゲームをして、1位を獲得した生徒さんは「豪華賞品」を受け取りました。

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昼休み終了後、再び学習机に向かいます。

「腹の皮が張ると目の皮がたるむ」という言葉があるように、この時間は眠くなるものですが、皆さん、黙々と学習を続けます。

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あっという間に時間が過ぎて、「ちょうど時間となりました。」

指導を終え、ちょっとホッとしたわたしの表情は↓

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生徒さんからは、「え〜、もう終わっちゃうの〜」「明日も来たい〜」という声が。

雰囲気が楽しかったのと、うちの猫ともっと遊びたいというのがホンネのようです。

文字通り、ゴンスケは招き猫になってくれました(笑)

この2日間、「寺子屋方式」というのを初めて行っての感想ですが、1対4というのは、当初の見込み通り、「ベッタリになり過ぎず、離れ過ぎず」です。

わたしにとってもよい経験になりました。

機会がありましたら、また企画したいと思います。

参加した生徒さん、2日間よく頑張りました。

君たちの敢闘ぶりに心より敬意を表します。

魔法の勉強法??? 2016/08/14

しばらく前に、わたしのツイッター上に、このようなものを掲載しました。

「魔法の勉強法」とは、わたしのように受験を職業としている者から言わせると、突っ込みどころが満載です。

まあキャッチコピーとしては秀逸と言えるでしょう(棒読み)

これは町の商店などによく置いてある教材販売会社のグループ会社(会社自体は家庭教師派遣業をうたっている)の手によるものと思われます。

この会社が宣伝するように「魔法の勉強法」なるものがあるとすれば、ぜひあやかりたいところです。

しかし残念ながら、そうしたものは存在しません。

これは「投資すれば必ず儲かります」という詐欺集団と一緒です。

その一方で、わたしがこれまで担当した中には、急激に力を発揮する生徒さんがいました。

もちろん彼らは「魔法の勉強法」を使った形跡は一切なく、地道に努力してきた生徒さんばかりです。

彼らにはおしなべて次のような特徴がありました。

 

1.現在の学力と、潜在的な力との間に大きな差がある。

つまり、何らかの理由で能力が十分に発揮できていない。

2.素直である。

「素直」というのは、「分かりました」と聞くだけでなく、わたしのアドバイスをきちんと実行する。

3.意欲的かつ前向きである。

学習に取り組む際は、「面倒くさい」「だるい」などと否定的な言葉を一切口にしない。

 

ここでいう「潜在的な力」というのは、その生徒さんの持つ理解力、もっと具体的に申すと「国語の力。抽象的な文章を読みこなす力」です。

「地道に努力する」というのはつまらないので、人目を引きません。

ビジネスというのは、いかに大勢の人の気を引くかということです。

それゆえ、夢を与えるような文言を顧客に向けて、投げ続けなくてはならないのでしょう。

が、所詮、そのようなものはいつかきっとメッキがはがれます。

わたしは怠け者の片棒を担ぐことはしませんので、頑張る生徒さんには引き続き、どこまでも味方になります。

なお、本コラムは明日15日、明後日16日とお休みをいただき、17日に再開します。

よろしくご了承ください。

数学における「基本に忠実に」の難しさ その1 2016/08/17

生徒さんの指導に当たって思うのは、「基本に忠実である」というのは、簡単なことのようで、実はなかなかに難しいということです。

特に数学の指導時、ある程度「逸脱のパターン」が見えます。

こういう仕事をしていると、多少の「逸脱」では驚かなくなります。

それでも、ときどきあまりに壮絶としか言いようがないような解き方をしている生徒さんを見ると、唖然としたり、肝をつぶしたりしています。

数学の教科書には、例題にその問題の解き方が示してあります。

しかしこのとおりにやっている生徒さんはまずいません。

何らかの形で端折ったり、改変したりして、そこに独創性(?)というのを加えています。

わたしは自分の考える「理想的な解き方」というのがあります。

ただ指導をしているときには、できる限り生徒さんのやり方を尊重しています。

修正しようとして、あまりに細かいことを言い過ぎてしまったのでは、生徒さんが混乱します。

そしてそれが、角を矯めて牛を殺すことになるのを恐れるからです。

きちんと結果が出せるのであれば、それを「生徒さんのやり方」として許容しています。

とはいえ、それも程度の問題で、正解を出すという結果に結びつかなければ、その解き方はしっかり修正しなくてはなりません。

特に勉強の苦手な生徒さんの場合は.....

ところが、この修正というのが難しいのです。

(次回に続きます)

数学における「基本に忠実に」の難しさ その2 2016/08/18

(前回の続きです)

その理由で思いつくのは次の2点です。

まず、修正を指導したところで、その指導を受け入れるだけの力がないという生徒さんが相当数いることです。

上位層にいる生徒さんであれば、指導を受けて、本人もそれを受け入れる心の準備ができれば、まず着実に実行します。

勉強の苦手な生徒さんの場合は、一つのことを習得するだけでも非常に時間がかかります。

ましてや修正するとなるとなかなか立ちゆきません。

またいったん身についたつもりでも、時間が過ぎれば元の木阿弥に戻るということがよくあります。

元に戻るだけならまだいいほうで、解き方そのものが忘却の彼方へ、ということも頻繁にあります。

第2点目として、そうした指導を本人が受け入れる気がない、あるいは基本を著しく逸脱していることに、無頓着であるということです。

いくらわたしが「このほうが間違いも少ないし、点数が取れる」と指導したところで、本人はそこにどっぷりつかっています。

「本人のやり方」のほうが体になじんで、心地よいのです。

人間、変わろうと思ってもなかなか変われないものであることは、わたし自身よく知っていますから.....

加えてそういう生徒さんは、そもそも「1点でも多くとりましょう」などという考えは希薄ですので、馬耳東風状態というのが常です。

(次回に続きます)

数学における「基本に忠実に」の難しさ その3 2016/08/19

(前回の続きです)

まあ、それはそれとして、「基本に忠実である」というのは、面白みが少ないものではあります。

ただ「教科書通りに解く」ことだけが、「基本に忠実である」わけではありません。

「教科書通りの解き方」というのは、「基本に忠実な解き方」のうちのひとつであって、ほかにも「基本に忠実な解き方は存在する」と考えるのです。

上位層の生徒さんであれば、基本もきちんと心得ているし(だからこその上位なのですが)、解法に独創性を加えてもよいでしょう。

逆に別な解法を求めることが、理解力をより深めます。

しかし、基本を踏まえない生徒さんがこれをやったところで、それは無手勝流というものであり、無知の蛮勇を振り回すだけの行為です。

そういう生徒さんは、まず「忠実に教科書通り」というのが最も無難で、確実です。

数学においては、この世のあらゆるものがそうであるように、基本と応用があります。

応用というのは、基本の組み合わせですから、基本がしっかり固まらない限り、難しい応用問題が解けるということはありません。

上位層にいる生徒さんは、他の生徒さんと特別変わったことをしているわけではなく、基本をしっかり繰り返しているだけです。

基本と応用は別個のものでなく、応用は基本の延長にあるに過ぎないのです。

仙台一高OB山岸智彦さまのご指摘にこたえて 2016/08/20

8月8日付弊コラム「仙台・宮城の高校受験 入学難易度が仙台二高>仙台一高となっているのはなぜか 〜ポイントは学区制と泉区〜 その2」の記載内容につき、これをお読みになった方から、ご指摘がございました。

ご指摘になったのは、昭和47年(1972年)に仙台一高を卒業されたという山岸智彦さまとおっしゃる方です。

内容は、「事実と異なる記載があるのではないか」というものです。

当該箇所は「一高が優位になったのは、昭和30年代後半(1960年代)ころからで、県教委が主導してそれを推し進めたといいます。」という部分です。

山岸さまがご指摘になったのは、主として2点です。

 

(1)仙台一高が仙台二高より進学実績において優位に立ったのは、昭和30年代後半でなく、前半であるのではないか。

(2)県教委がこれを主導したとあるが、そうした記述は確証がなく、具体性に欠けるのではないか。

 

わたしといたしましては、この箇所の記述に当たり、ネット掲示板「2ちゃんねる」の情報、およびわたしが懇意にしている一高卒の方2名(昭和30年代前半生まれおよび昭和30年代後半生まれ)の語る情報をもとに以上の記述をしました。

「ネット情報」と、その方々がおっしゃるものが符合していたために、上記のごとく記しました。

ご指摘を受けた件につきましては、記載内容に不備があったことを認め、すでに記載内容を変更しました。

今後とも、仙台・宮城の受験情報を求めるご父兄のために、有益な情報を提供するようにしてまいります。

弊コラムをお読みの方には、お手数をおかけいたします。

なお、山岸さまとわたしが本件についてやり取りを行ったメールを参考までに掲載します。

興味のある方は以下のリンクよりお入りください。

 

2016/08/08 20:41山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/08 23:10菊池が山岸さまに送付したメール

 

2016/08/09 20:39山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/10 16:23菊池が山岸さまに送付したメール

 

2016/08/10 23:01山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/11 8:16菊池が山岸さまに送付したメール

 

2016/08/11 20:35山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/12 22:29山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/13 20:50山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/14 20:56山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/15 20:29山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/15 20:31山岸さまより送付のあったメール

 

2016/08/17 9:32菊池が山岸さまに送付したメール

みやぎ模試C判定の意味 その1 2016/08/21

高校受験用の模試として、宮城県内で広く用いられている「みやぎ模試」が出す判定基準につき、「最低、どのくらいとっていれば合格できるのか」とお考えになっているご父兄も多いことでしょう。

よい成績が出ていればそれでよいのですが、問題は志望校の成績に達しない、あるいはボーダーラインぎりぎりと判断された場合です。

各種ネット情報を散見していますと、「ずっとC判定だったのに合格しました!」などという人もいます。

それゆえ、「出た数字にどれだけ信憑性があるのか」という方もいらっしゃるかと思います。

そこで今回は、みやぎ模試の判定はどのようになされているか、特に「C判定」はどういう意味を持つのかについて、論じることにいたします。

なお、以下に記す情報は、みやぎ模試を主宰する株式会社宮城新教育の公式文書、および同社に直接確認を取っています。

まず、よく目にする「偏差値の数字」は「後期入試における合格確率60%の偏差値=B評定」を意味します。

そして判定基準は以下の通りです。

以下、「後期入試における合格確率60%の偏差値=B評定」を「基準」と記します。

 

S・・・基準+6以上(基準+53点以上)

A・・・基準+4または+5(基準+36〜52点)

B70%・・・基準+2または+3(基準+18〜35点)

B60%・・・基準+0または+1(基準+0〜17点)

C50%・・・基準−2または−1(基準−17〜−1点)

C40%・・・基準−4または−3(基準−35〜−18点)

C30%・・・基準−6または−5(基準−52〜−36点)

D・・・基準−7以下(基準−53点以下)

(次回に続きます)

みやぎ模試C判定の意味 その2 2016/08/22

(前回の続きです)

昨日のコラムにおける「基準偏差値」については、偏差値の数字だけですと分かりづらいので、点数も併記しました。

この点数は試験によって若干の変動があります。

このようにして見ると、「C評価」というのが、かなり幅のあることが分かります。

何しろ「基準点−52点」までであれば、「C評価」なのです。

これまでのわたしの経験から言うと、「B判定たまにC50%」という生徒さんであれば、ほぼ合格しています。

そして「C50%判定まれにC40%」というと、ここが「真のボーダーライン」といった感じです。

「C40%以下が常時」ということであれば、合格はかなり難しいです。

よって、「ずっとC判定だったのに合格しました!」という生徒さんは、わたしが判断する限り、「常時C50%判定」あるいは「C50%判定まれにC40%」という判定を得ている可能性が高いといえます。

ボーダーラインでのせめぎ合いは、内申点も大きな意味を持ってくるようになります。

また前期入試について、みやぎ模試は「基準偏差値+2または+3」を「合格確率60%の偏差値」として算出しています。

ということは、前期入試での合格を目指す場合、「B判定70%以上の偏差値」を常に出しているということが「合格の目安」になってきます。

前期入試は「A判定」を出し続けることに目標設定してください。

もちろん内申書で出願基準を上回っている必要があるのは言うまでもありません。

これを上回らないことには、出願できませんので.....

「うちの子は数学・算数の文章問題が解けなくて.....」とお嘆きのご父兄へ 〜まずは計算問題を確実に〜 その1 2016/08/23

指導依頼のお問い合わせをいただいたとき、あるいは初回面談の際、ご父兄の方々から比較的よくお聞きするフレーズがあります。

それは「うちの子は数学・算数の文章問題が解けなくて.....」というものです。

「解けなくて.....」の程度は様々です。

全体の平均くらいは解けていても、そのようにおっしゃるご父兄も中にはいらっしゃいます。

このようにおっしゃるご父兄の多くは、ご自身の学生時代は平均以上にできておいでのことでしょう。

そして子女と自分との開きが大きい場合、そのようにおっしゃるのではないかと推察します。

もし、ご自身の学生時代と、子女の成績に変わりがないのであれば、たぶんそのようにはおっしゃいません。

「文章問題が解けないのも、自分に似たんだ.....」ということで、とりあえずは納得できるからです。

今回のコラムでは、「文章問題がほとんど解けない」という場合に絞って、書くことにいたします。

まず、結論から申し上げますと、そのように「文章問題がほとんど解けない」真の原因は、文章の読解力不足にあります。

問題演習をすることで、何がしかの改善は見られますが、これはあくまで、対処療法です。

根本的な解決ではありません。

(次回に続きます)

「うちの子は数学・算数の文章問題が解けなくて.....」とお嘆きのご父兄へ 〜まずは計算問題を確実に〜 その2 2016/08/24

(前回の続きです)

「文章の読解力」というと、漢字が読めること、あるいは語彙が豊かであることに目が行ってしまいがちです。

が、それは「読解力」の一部であって、すべてではありません。

文章を読み、これを数式に表すというのも、読解力の一つです。

これは「読解力」というものの中で、高度な処理能力を必要とします。

「読解力」を数字で表すのは難しいですが、「文章問題がほとんど解けない」という生徒さんの場合、その「読解力」は少なくても3学年程度は遅れていると、わたしは考えています。

さらに、その遅れの度合いが甚だしい場合、「学習障害」と呼ばれるようになります。

こうした生徒さんでも、日常生活を送るうえでは、全く問題がありません。

それもそのはずで、日常生活のほとんどの場面においては、それほどたくさんの語彙数は必要ないからです。

その証拠に、幼稚園に通う子供であれば、しっかり大人と意思疎通できます。

というより、子女が幼稚園に通うようになれば、いっちょ前の屁理屈も語れるようになります。

しかし彼らの日常生活において、「衆議院の定数是正」とか「カ行変格活用」などという語を用いることはありません。

その一方で、学校の授業が始まった途端、日常生活とかけ離れた抽象的用語のオンパレードにさらされることになります。

(次回に続きます)

「うちの子は数学・算数の文章問題が解けなくて.....」とお嘆きのご父兄へ 〜まずは計算問題を確実に〜 その3 2016/08/25

(前回の続きです)

小学1年生の授業にしてそうですから、学年が進めば進むほど、抽象的な事柄を理解する力を必要とします。

この力がなければ、授業についていくことが難しくなってきます。

例えば、次のような文章をご一読ください。

 

(問題)

B君とD君が会話をしています。

 

「おーい、B君! 体育の徒競走、やっと君に勝てたよ。」

「ああ、負けちゃったね。でもタイムはA君には負けたけど、C君には勝てたよ」

「へえ、C君に勝てたんだ。じゃあ、ずいぶんがんばったね。」

「うん、何とかね。ところでA君とはどっちが速かったの?」

「A君はぼくに追いつけなかったよ」

 

(問い)

徒競走の早かった順にA,B,C,Dを並べなさい

 

以上は、小学生の生徒さんの国語力調査のために、今春わたしが作った問題の一部です。

この問題文で使われている言葉は、小学生であれば、知らない単語はないはずです。

しかし、ここから着順を割り出すという作業は、これをお読みのご父兄も、メモを取ったり、相関図を書くのでなければ、正確に回答するのは難しいはずです。

ここで申し上げている「読解力」というのは、上記のような文を読んで、それを論理的に考え、理解するというものです。

ちなみに答えはD→A→B→Cの順です。

(次回に続きます)

「うちの子は数学・算数の文章問題が解けなくて.....」とお嘆きのご父兄へ 〜まずは計算問題を確実に〜 その4 2016/08/26

(前回の続きです)

数学・算数の文章問題というのは、上記のような問題を解くのに見合うだけの力を必要とするのです。

よって、「文章問題がほとんど解けない」という生徒さんが文章問題に向かい合ったとき、わたしが最も心していることは、「どの段階で見切りをつけさせるか」ということです。

ある程度の力がある生徒さんであれば、解けるまでウンウン粘ることも必要です。

しかし、「文章問題がほとんど解けない」という生徒さんが、これと同じことをやってはいけません。

狙うとしたら、あくまで部分点狙いで行きます。

考えることが悪いわけではありませんが、「そんな時間があれば、計算問題を確実にやれるようになったほうがいい」と、わたしは考えます。

ご父兄は、ともすると「文章問題が解けない」というところにばかり目が行きます。

しかし、数学・算数は、文章問題だけが出されるわけではありません。

むしろ、こういう生徒さんに必要なのは、「いついかなるときでも、計算問題をビシッと解ける状態にしておく」ことです。

実のところ、「いついかなるときでも、計算問題をビシッと解ける状態にしておく」というのは、易しいようでいて、極めて難しいです。

教える側としては、多くの労力を必要とします。

よって、「文章問題が解けない」ことより、計算間違いで点を落とすことこそ、嘆くべきものなのです。

週末のつぶやき 〜ああ内申点、内申書〜 その1 2016/08/27

わたしの生徒さんの夏休みはすっかり終わりました。久しぶりに学校に出ると、いろいろと気疲れがするものです。

この週末を使って「夏休みボケの疲れ」を少し修正してください。

今度の月曜からの1週間はいつも以上に長く感じられるかもしれません。

さて、早いところでは、29日から期末試験が始まります。

仙台市の中学校のように、2期制をとるところでは、9月の第1週が期末試験のピークです。

中3生は、当然のことながら、内申書にかかわる大きな試験を迎えます。

ところで、わたしが生徒さんの指導に当たる者として、内申書に、どういう見識を持つのか、ご父兄の方々も関心事でありましょう。

わたしがとりうる考え方としては、大別して2点あると思います。

ひとつは「とにかく生徒さんには、第一志望に受かってほしい」というものです。

もうひとつは、「生徒さんに、第一志望に受かってほしいのはその通りではあるが、頑張った人とそうでなかった人で、結果の違いが出るのはしかたがない」とする考え方です。

ご父兄からすれば、前者のほうが指導者として好ましいかもしれません。

しかしわたしは後者の側に立ちます。

理由は単純で、頑張らなかった人とそうでない人の結果が同じになってしまったら、頑張った生徒さんとしてはたまったものではないだろうと考えるからです。

(次回に続きます)

週末のつぶやき 〜ああ内申点、内申書〜 その2 2016/08/28

(前回の続きです)

「結果を得るためには手段を選ばない」という大人は少なからずいます。

わたしの任務は生徒さんの成績向上ですが、わたしがやろうとしていることは、「頑張った生徒さんは頑張った分だけ、成果が出るようにする」ということです。

怠ける生徒さんの片棒を担ぐ気にはどうしてもなれません。

ただ、中には「頑張っても成果が出ない」という生徒さんがいます。

それはとても残念なことです。

それゆえそうした生徒さんの応援はできる限りいたします。

内申書というものに関していうと、わたしがこれまで経験する限り、「過大評価」はあっても、「過小評価」はありません。

わたしは宮城県の公立高校入試で実施されている内申点の制度は、他県に比べても、問題があると考えています。

それゆえに、過般は県の教育委員会に質問状を出し、見解を聞きました。

しかし、内申制度に問題があるということと、ある生徒さんが、内申書で低い評価を受けてしまうこととは問題の性質が違います。

低い評価を受けている生徒さんは、何かしら原因があります。

それは本人が自覚しているかどうかは別です。

提出物をきちんと出さないとか、乱雑な字で書きなぐって提出するとか、授業中に寝てばかりいるということがあるならば、評価が低くなっても、それは全面的に生徒さん本人の責任です。

評価する先生に責任はありません。

学校の先生は、一人一人細かく見ています。

「自分はこんなに内申点が低くて、入りたいところに全然届かない。どうしよう」などと、受験直前になって慌てても、どうにかなるものでもありません。

宮城県の内申制度は、後から挽回できるという制度になっていません。

制度のよい、悪いはともかくとして、そうなっています。

ルールを嘆かずに、やれることをやって行きましょう。

発達障害を持つ生徒さんの指導について その1 2016/08/29

ときどき、発達障害を持つ生徒さんのご家庭からのお問い合わせがあります。

障害は様々です。

中には、「エッ? この生徒さんがホントに発達障害?」と感じることもあります。

わたしは発達障害そのものを治すことはできません。

それは専門家に委ねるべきことであり、わたしのようなものが軽々に口をはさむことは現に慎んでいます。

わたしができるのは、発達障害を踏まえた上での学業の成績改善、受験指導です。

これまでの経験から申しますと、学習障害以外は比較的対応が容易です。

理由はいくつかあります。

その最大のものとしては、学習障害以外の発達障害の場合、すでに専門家による判断を経ている場合がほとんどだからです。

そして、そうした場合、「発達障害を踏まえた上での学業改善」という考え方を十分にご理解いただいた上で、お問い合わせを下さっています。

また、そもそもご家庭としては、生徒さんが抱える発達障害そのものをわたしに改善してほしいという発想がない、ということもあります。

指導の際にわたしが見ているのは、「わたしの指導をしっかり受けることができるか」という点のみです。

これまで経験したもののうちでは、アスペルガー症候群を持つ生徒さんの指導を行ったときに、体験指導の段階で、お断りしたということが1回だけありました。

その生徒さんはわたしの指示に従おうという気持ちがなく、全く指導にならなかったためです。

それ以外は大丈夫でした。

(次回に続きます)

発達障害を持つ生徒さんの指導について その2 2016/08/30

(前回の続きです)

注意を要するのが学習障害を持つ生徒さんです。

学習障害の場合、「勉強の苦手な生徒さん」と「学習障害を持つ生徒さん」の区別がつけにくいです。

それでも、指導当初より学習障害であるという判断が専門家から下され、ご父兄もそれを認識している場合は、まだ対処が難しくありません。

対処に注意を要するのは、わたしのような学習障害に関する素人から見て、当該生徒さんに、学習障害が疑われる一方、ご父兄がそうした認識がないという場合です。

そういう場合、生徒さん本人の学習成績が芳しくないのを、本人が怠けているだけだと思ったりしがちです。

そうなると、生徒さん本人にとっても、ご父兄にとっても不幸なことです。

その件に関連して、以前にこんなことがありました。

あるとき、小学2年の生徒さんを持つご父兄から、指導依頼がありました。

その生徒さんは、非常に学習が苦手で、ご父兄としては、家庭教師の指導を考えているとのことでした。

話を聞くと、学校の先生からは学習障害が疑われるので、専門家に診断してもらったほうがいいといわれたというのです。

しかし、そのご父兄は、なかなか診断を受ける踏ん切りがつかず、現段階でやれることをやって、しばらく様子を見たいとお話になりました。

そこでわたしがお伝えしたのは、まず学校の先生のアドバイスに従ったほうがいいということでした。

学校の先生は学習障害の専門家ではないが、生徒を何人も見て来ているはずだからです。

そして仮に指導を引き受けるにしても、まず専門家がどう判断したかを待って、それから指導をお引き受けしたいと申し上げました。

(次回に続きます)

発達障害を持つ生徒さんの指導について その3 2016/08/31

(前回の続きです)

学習障害が疑われる生徒さんで、ご父兄にその認識がない場合、これまでわたしは専門家の受診をするように伝えてきました。

家庭教師という立場上、実はそのことをご父兄にお伝えするというのは、かなり勇気がいることなのです。

学習障害という知識がないご父兄の場合、「うちの子供を障害者にするつもりですか!!!」という反応が返ってくるのを恐れるためです。

家庭教師としても、「ここで思ったことを伝えて、わざわざ波風を立てるよりは、このまま黙っておいたほうが.....」と考えがちになるものです。

それはわたしもそうですし、また多分、わたしと同業の方々もそうだと思います。

ただわたしとしては、もし専門家の診断を受けて、そのように判断されたことで、生徒さんの負担が軽くなるのであれば、ご父兄にお伝えしたほうがよいと考えています。

「うちの子供を障害者にするつもりですか!!!」という反応があり、険悪な関係になってしまったとしても、それはしかたのないことで、そこまでのご縁だと考える以外にないと思うからです。

わたしとしては、その生徒さんにどういう障害があろうが、「一生懸命に頑張る生徒さんであれば、できる限り応援する」という極めて単純な考えのもとに指導を行っています。

学習障害に対するプログラムと、受験を目指すプログラムは当然異なります。

わたしとしては、両者の橋渡しを、生徒さんにとって最も効果が出るようにやって行くつもりです。

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