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昨日まで、当欄では「学校の授業と部活との関係」について取り上げました。
その際、わたしは次のように主張しました
・学校では「学業第一・授業第一」である
・先生方の部活での負担が大きく、「授業第一」が難しい現状がある
・先生方の負担が小さくなるため、京都市が中学の部活廃止を打ち出したのは、理解できる
この件は、Twitterでも主張しました。
おおむね、わたしの意見に賛同しているようでした。
しかし、中にはこういう方もいました。
この発言主は、学校の中で授業より部活のほうが、教育的に価値があるとしています。
そして、
「学校の授業はビデオ授業で可能」
「国が手間をかけてビデオ一本作れば事足りる」
とも語っています。
そこで、今回のコラムでは
「学校でビデオ授業は対面授業の代わりになるのか」
ということを論じることにいたします。
まず、この件でわたしの主張の結論はこうです。
・授業の効果は対面授業がビデオ授業より遥かに効果がある
・学校でビデオ授業は対面授業の代わりにならない
わたしは、学校のような集団指導・家庭教師としての個別指導、いずれも経験があります。
また、オンライン指導・対面指導、どちらもやっています。
そこからの感想です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ビデオ授業と対面授業ではどのように違うのでしょうか。
この2種類の授業は、生徒さんからすると、どちらも授業を受けるという点では変わりません。
両者の違いはあまり認識・実感できない・しないかもしれません。
だからこそ、「国が手間をかけてビデオ一本作れば授業は事足りる」という意見が出るのでしょう。
しかし、指導する側からすると、ビデオ授業と対面授業では、ものすごく違います。
それがどれだけ違うのか...
想像するに、「コロナのときの無観客試合・コンサートと通常の試合・コンサートとの違い」ではないでしょうか。
無観客試合・コンサートを見ている側からすると、通常の試合・コンサートと違いがあるのは肌感覚で分かります。
一方、無観客試合・コンサートをやっている側からすると、どうなるか。
これは、観客が感じる以上にものすごい違いを感じるはずです。
観客の反応を感じながらやるのと、そういうものがまるっきりない状態でやるのとでは、全然雰囲気が違います。
学校の授業もそれに近いものがあります。
授業というのは、先生の「お言葉」を教壇から一方通行で発するものではありません。
生徒の反応を見ながら、そのときどきでやり方を変えていかなくてはならないものです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
確かに、先生によっては「一方通行」になっているような授業もないわけではありません。
教科書に書いてあることをボソボソ読みながら、生気なさそうに進めていく先生もいらっしゃらないわけではありません。
が、多くの先生は、生徒に多くのことを授けたい・指導したいとお考えです。
コロナ禍のときには、一定期間、対面授業はできませんでした。
一律にビデオ授業になったり、プリント学習を通じた自習だけをやるようになりました。
その結果はどうなったのか。
「できる生徒さんとそうでない生徒さんの格差が大きくなった」
こういう副作用が生まれました。
学校側・指導する側がビデオ授業で得た教訓...
それは
「ビデオ・オンライン授業では生徒さんが一定以上の自制ができないと成り立っていかない」
ということです。
このビデオ授業だけで一定程度の効果があるのは、
・上位層
・年齢はおおむね中2くらいから
・自制心が一定程度以上ある生徒
です。
それ以外の層は、確実に成績は落ちます。
学校というのは、成績上位層のためだけにあるわけではありません。
中間層以下の生徒さんの底上げも必要になってきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
また授業に関して言えば、先生が教室にいらっしゃるのと、そうでないのとでは、効果が違います。
これを理解するには、例えば、警官がパトロールしただけで犯罪率が下がるということを思い浮かべるとよいです。
ビデオ授業ということならば、「先生が教室にいらっしゃる効果」は期待できません。
また、対面授業とビデオ授業での大きな違いは、指導している側からすると、
「生徒さんの動きが360度で確認できる」
ことです。
集団指導ともなると、1人の生徒だけに目を配っているわけには行きません。
それでも、先生がその気になれば、1人の生徒を360度で確認できます。
ビデオ授業では、そういきません。
この違いは大きいです。
確かにビデオ授業というのは、ちょっと前までシステム的に不可能なことでした。
そのため、対面授業が「古臭い・効率が悪い」ように見えるかもしれません。
しかし、「新しいものが昔ながらのものより常に良い」とは限りません。
コロナ禍が終わって、学校が対面授業に戻したのは、理由があります。
それは、長い目で見た教育的効果がビデオ授業より大きいと判断しているということにほかなりません。
そして、わたしも学校のこうした判断を支持します。
今回のコラムでは、Twitterに流れてきたツイートを基に話してみます。
まずは、以下をご覧ください。
この動画で話している女性は、インターナショナルスクールの出身らしいです。
ですから、英語がかなり流暢です。
彼女は意を決して北米に留学したものの、日本に戻ってきました。
そして日本に戻ってきて、日本の会社における不満を述べています。
動画の内容について、感じることは様々でしょう。
わたしとしては、これを見て、インターナショナルスクールとホライゾン学園がどう違っているかを書いてみようかと考えた次第です。
両者の違いの概略は次の通りです。
◎インターナショナルスクール
・授業はほぼ英語で行われる
・友達・先生との会話も英語
・日本では「正式な学校」と扱われない
☆以上には、学校によって、これに当てはまらないケースもあり
◎ホライゾン学園
・授業は日本語・英語
・友達との会話は日本語、外国人の先生とのやり取りは英語
・教科書は文科省検定教科書を使う「正式な学校」
上で紹介したインターナショナルスクール出身の女性は、ここで述べたようなインターナショナルスクールで育ってきたものと思われます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
インターナショナルスクールというのは「英語がペラペラになる」というだけの側面だけがあるわけではありません。
そこには別の面もあります。
わたしが考えるに、それは次のようなものです。
・子供が日本を「自分の国」として考えられなくなる
→日本以外の国(たぶん多くの場合はアメリカ)を「自分の国」と考えるようになる
・日本語の運用能力・読解力が十分でなくなる
そして、次のようなケースなら、インターナショナルスクールは適しています。
・両親のうち、どちらかが外国人(例えばアメリカ人)
・将来は日本でなく、アメリカなどに住んで、生活する
・日本と行ったり来たりはしても、「本国」は日本でなく外国
今からの時代、自分の子供は「英語がペラペラになるように」なるといい!
日本人の両親のもとに生まれた子供が、それだけが理由でインターナショナルスクールを選ぶのはリスクが大きい...
わたしはそのように考えています。
実は、最近、元AKB48の板野友美さんが、自身の子供について語る場面を動画で見たとき、その感を強くしました。
インターナショナルスクールに子供が通うことのマイナスがハッキリと出ているように思えたのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
板野友美さんの子供さんは、インターナショナルスクールの幼稚園版に通っています。
ところが、動画の様子では、どうも日本語での意思疎通が十分でないらしいのです。
長いフレーズになってくると、誰かから日本語で尋ねられても、言われている内容が理解できないことがあるようです。
その子供さんは、インターナショナルスクールの幼稚園版に通って、家政婦さんも英語で子供さんとやり取りしているとか。
板野さんは、子供さんの日本語力不足を感じていて、日本語の指導塾に子供さんが通っているらしいです。
そうなってくると、
「インターナショナルスクールの幼稚園版に通う意義って何だろう?」
と、思わずにはいられなくなります。
インターナショナルスクールのこういった短所をカバーするのが、ホライゾン学園の考え方です。
公式サイトにはこうあります。
① 英語で自由にコミュニケーションできる力を育てる
創意工夫された学習環境の中で多様な活動を行い、ネイティブスピーカーに近い英語能力と実践的なコミュニケーション力の習得を目指します。
② 第一言語(日本語)の力を伸ばす
英語を学びながらも、日本語の運用能力を保持し、さらに発展させることを重視します。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、ホライゾン学園の考え方を公式サイトから引用しました。
これによれば、「日本語を第一言語として、英語を授業に取り入れて学んでいく」という姿勢が伺えます。
この部分がインターナショナルスクールと基本的に大きく違うところです。
「インターナショナルスクールに通っていても、日本国内で、日本人の両親のもとに育てば、日本語は問題ないはず」
そのようにお考えになる方がいらっしゃるかもしれません。
確かに両親との日常的な会話は、日本語でも問題ないでしょう。
しかし、問題は学校生活で使うようなレベルの日本語です。
学校生活で使われる日本語は、日常会話レベルよりずっと高度です。
例えば、国語・数学...といった授業で使われる言葉がそうです。
また先生から発せられる指示、宿題などなど...
実のところ、学習苦手層の生徒さんは、学校からの指示、授業で使われる言葉への理解度が低い・遅いです。
彼らの「日本語力」さらに言えば、「日本語のボキャブラリーの力」が平均的なクラスメイトを下回ります。
日本人の両親のもとに日本語だけで日常生活を送り、学校生活も日本語だけを使って、なおそうした生徒さんがいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そうであるなら、インターナショナルスクールに入って、英語が「第一言語」になっている生徒さんはどうなるか...
想像は容易です。
学校の授業や先生からの指示を、英語で対応するのは、さほど困難ではないでしょう。
しかし、それが日本語になったら...
対応していくのは、なかなかに大変そうです。
また、社会に出て、仕事をするようになったときのことを考えてみると...
英語が「第一言語」ということであれば、日本の会社での勤務はハンディキャップになり得ます。
そうなると、
「自分って日本人? アメリカ人? どっち?」
という葛藤が、本人の中で始まるかもしれません。
今回、コラムの「その1」で紹介した動画の女性は、まさにそういう感じでした。
これがホライゾン学園となると、考え方が違います。
「自分って日本人? アメリカ人? どっち?」
というようなこともないと思われます。
ホライゾン学園は「普通の日本の小学校+α」という感じです。
事実、そこからは二華中・青陵中にも合格者が出ています。
というより、通常の公立小学校より合格者は多いくらいです。
ということは、ホライゾン学園も受験として大いに機能しているということができそうです。
受験英単語をどのように覚えるか...
これは、英語を勉強している生徒さんにとってずっとついて回る課題です。
この「受験英単語の覚え方」をネットで検索すると、洪水とでもいうべき量の情報に接します。
これらを目にして多くの方は、
「じゃあどうすればいいの?」
と迷うことになります。
そこで今回は、わたしの目から見て、ネット情報をどのように整理すべきか、どう対応すべきかを述べてみます。
まず、ネットにある「受験英単語の覚え方」は、こんな感じです。
・大学受験に焦点を当てたものが中心
・難関大学の入試を想定したものが多い
・「3日間で1700語を覚える」「1か月で2000語」などと数字(多くは誇大な数字)を見出しに使ったものが散見する
このネット情報にある「受験英単語の覚え方」が、どれだけの受験生に当てはまるか、正直なところ疑問符が付きます。
言ってみれば、「一定レベル以上にある人」向けになっています。
大学受験で、MARCHレベル以上を目指す生徒さんを想定している感じです。
ですから、そのレベルに当てはまらない生徒さん(中学生も含む)にとり、ネット上の「受験英単語の覚え方」は、あまり当てはまりそうにありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
MARCHレベルまで行かない高校生、そして小中学生は、受験英単語をどのように記憶するといいのか...
わたしの考えは次の通りです。
・教科書などに出てきた英単語は「ひとつ残らず」記憶すべきものと認識する
・英単語は正確に読めるようにする
・英単語を見て日本語訳が正確に言えることをまず目指す
・英文音読・問題演習の量を増やすことは、英単語学習と同じ意味を持つ
「え? こんなにシンプル?」
これらを見ると、そのようにお感じになった方が多いかもしれません。
以下、詳しく述べます。
◎教科書などに出てきた英単語は「ひとつ残らず」記憶すべきものと認識する
実のところ、これができていない生徒さんは非常に多いです。
英単語は覚えようと思わずに、頭に自然と入ってくるようなものではありません。
それは、漢字・各科目の用語も同じです。
この件に関連して、
「英単語、どうやって覚えるといいですか?」
という質問をしてくる生徒さんがときどきいます。
その生徒さんに、
「じゃあ、教科書などに出てきた英単語は、ひとつ残らずしっかり覚えなくてはならないって、そもそもあなたは考えていますか?」
と問うと、途端に無言になります。
要はまだこの水準だということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎英単語は正確に読めるようにする
文章として書いてあるものは、きちんと発音できるようになる必要があります。
日本語にせよ、英語にせよ、それは同じです。
しかしながら、この「きちんと読めること」のできない生徒さんは、非常に多いです。
学習苦手な中学生の場合、英単語を覚える以前に、「まず読めること」がなかなかできるようになりません。
確かに英単語は読むことができれば、それでことが足りるわけではありません。
日本語の意味を記憶できているというのは、その次のステップです。
しかし、読めない単語の意味は、覚えることができません。
読めない漢字は書けるようにならないのと同じです。
◎英単語を見て日本語訳が正確に言えることをまず目指す
「英単語を覚える」といえば、多くが「英単語の訳を覚える」ことに費やされます。
教科書にも、欄外に「新しく習う単語」がズラッと載っています。
これらの単語を見て、訳が瞬間に言えることを目指します。
これは多くの生徒さんがやっています。
しかし、これを「ひとつ残らず言えるようにする」と考えている生徒さんは決して多くありません。
こういうところに、単語力の差が出てきてしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎英文音読・問題演習の量を増やすことは、英単語学習と同じ意味を持つ
受験英語の学習といえば、英文を音読したり、あるいは問題集を解いたり、ということがイメージとして浮かびます。
その点は、国語や数学の学習と同じです。
この英文音読・問題演習自体は、英単語学習・英単語力アップという側面を含んでいます。
意外とこの点は、多くの生徒さんに理解されていないように感じます。
英単語を学習する時間はもちろん必要です。
しかし、「英単語を見て訳が瞬時に出る」だけで十分な学習とは言えません。
単語集だけを学習していても、それはあくまで畳の上の水練です。
英文音読・問題演習という「実戦演習」も行っていく必要があります。
そして、英文音読・問題演習をしっかりやっていけば、自分でも気づかないうちに単語力はついていきます。
今まで、4つのことを述べてきました。
MARCHレベルまで行かない高校生、そして小中学生は、この4点をしっかりやれれば十分です。
英単語の記憶というのは、非常に地味で、根気が必要です。
ネットで話題になる「大学入試用の英単語は、どれを使えばいい?」というようなものは、上記4点をしっかりやっている生徒さんが考えればいいことです。
「国語で高得点を取るためには、日本語の語彙力が大切」
本欄では、たびたびこのことを主張してきました。
国語の入試問題に出てくる長文は、小難しい言い方をしているものが多いです。
生徒さんが、文章の意味を理解できない場合の多くは、
「使われている言葉の意味を知らない」
ことが原因となっています。
このボキャブラリー不足というのは、大人の世界でも起きます。
例えば、こないだ、Twitterで「無言の帰宅」というツイートに絡んで、次のようなことがありました。
ここで、レスを付けた方は、要するに「無言の帰宅」という言葉の意味を知らなかったようです。
国語の入試問題、特に小説のような文学作品では、こういう表現がたびたび出てきます。
それを知らなければ、設問にきちんと答えることが難しくなってきます。
国語のボキャブラリーについて、語彙力を増強したいなら、「読書をせよ」と語られます。
しかし、今回のコラムでは、読書以外でボキャブラリーを増やす方法を示してみます。
◎漢字・語句問題集
国語の入試問題は、ほとんどの場合漢字の問題が出ます。
東大二次試験、共通テストといった試験でも漢字力は問われます。
これを解いていくことが、そのまま語彙力増強につながります。
問題を解くときには、漢字を書ける・読めるだけでなく、その意味も覚えるようにしていきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎国語の教科書の音読
国語の教科書の音読というと、小学校低学年の頃の宿題を思い出すかもしれません。
学校からは「音読カード」のようなものが渡され、課題がやれたことをご父兄のハンコで証明してもらうというものです。
この「音読カード」の課題は、小学校中学年・高学年になると、自然と「卒業」となります。
しかし、この国語の教科書の音読というのは、ボキャブラリーを増やすのに、とても優れた効果があります。
この音読は、長い時間やる必要がありません。
1日にわずかな時間(3~5分程度)でOKです。
ただし毎日です。
どのくらいの期間やれば、どのくらい効果が上がるかは、正直に申し上げて未知数です。
ただ、これをコツコツと長い期間やったのと、やらなかったのとでは、結果が違います。
そして、この国語の教科書の音読の最大の特長...
それは、真面目にこれをやっている生徒さんは、ほとんどいないことです。
ライバルはいない...
国語の教科書の音読で国語のテストの成績がアップしていくなんてほとんどの人が想像すらしていない...
ということであれば、取り組んでみて損のない話ではあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎語彙力・漢字のアプリケーションソフトを使う
この学習法は、問題集を使う方法と同じです。
前々回のコラムで紹介したものは、紙ベースで演習することを想定しています。
今回、紹介する方法は、携帯電話のアプリケーションソフトです。
「高校受験 語彙 アプリ」などのキーワードでGoogle・Yahoo!等の検索サイトを検索すると、いろいろなものが出てきます。
この中から、これっ!というのを選んで取り組んでみるとよいです。
アプリなら、自分が間違った問題などを機械がやってくれます。
時間のちょっとした合間などで使ってみるとよいと思います。
ここで留意すべきは、
「国語の入試に必要なボキャブラリーは増やそうという意識がないと、増えづらい」
ということです。
特に大学入試に出てくるようなボキャブラリーがそうです。
形而上(けいじじょう)・桎梏(しっこく)・刹那(せつな)・やおら立ち上がる...
こういう言葉は、読書だけだと、出会うのがちょっと難しいです。
そういうのを補っていくのが、国語の語彙力増強のための学習です。
こうした学習は、
・勉強時間の合間にサラッと短く
・量はわずかでいいので、継続する
この2点が大切になってきます。
わたしはこれまで二華・青陵などを含む中高一貫校に通う生徒さんを多く担当してきました。
彼らには高校入試がありません。
公立中学に進む生徒さんは、中学に入学してから、3年後に高校入試があります。
そしてそれから3年後に大学入試があります。
一方、中高一貫生には、高校入試がありません。
一足飛びに大学入試に行きます。
「高校入試がなく、ストレートに大学入試に向けての対策ができる」
というのが、中高一貫校のウリです。
ただ、これには長所・短所どちらもあります。
わたしが中高一貫校生を担当して感じるのは、
「時間を有効に活用できていない生徒さんが意外と多い」
ということです。
それを感じるのは、彼らが中学生のときです。
二華・青陵・東北学院特選・ウルスラtype1のような中学(以下、「Aクラス中学」と呼びます)に関していうと、確かに英語・数学は、公立中学に比べて速く進みます。
例えば、中3の段階で、すでに高校数学を学習します。
しかし、同じ中3でも、「Aクラス」中高一貫生と公立中学生とでは、意識に大きな差があります。
ナンバースクール狙いの公立中学生の熱気・活気・空気は、やはり入試を控えてこそです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一方、「Aクラス中学」の中3生に、ナンバースクール狙いの公立中学生が持つ熱気・活気・空気はありません。
それは当然と言えます。
置かれた環境が違うからです。
わたしの感じる彼らの印象はこんな感じです。
・トップ層
→クールにコツコツ
→大学入試のことも見ている
・それ以外
→公立中学の2年生のようにフワッとした雰囲気
→学校の定期テストで悪い点を取らなければOKという雰囲気
「Aクラス中学」の中3生は、一般論として公立中学の3年生より優秀です。
ただ、公立中の3年生が出す熱気・活気・空気を見ていると、
「『Aクラス中学』の中3生、もう少し何とかピリッとした雰囲気にならないものか...」
と感じます。
では、どうすればいいのか...
「まずご父兄のほうから、意識を変えていただく」
ことがわたしの頭に浮かびます。
「意識を変えていただく」というと、大仰に聞こえるかもしれません。
・公立の中3生は高校入試に向けてしっかり勉強している
・我が子は高校入試がないけれど、「高校ゼロ年生の親・受験生の親」という感覚を持つ
これだけでもかなり違ってきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「親の意識ってそんなに大切?」
「うちの子供って、さっぱり親の言うことを聞いてる感じでもないが」
そうお感じになるご父兄がいらっしゃるかもしれません。
わたしに言わせると、
「親御さんの意識はすごく大切!」
わたしが生徒さんに接していると、彼らは親御さんの後ろ姿・意向をよく見ています。
そして親御さんの意向に影響を受けています。
この点については、ご父兄ご自身が中高校生だったときのことを思い出していただければと思います。
「親の意向は全く気にならなかった」という方は、いらっしゃらないのではないでしょうか。
ですから、中高一貫校の中学生をお持ちのご父兄は、
うちでは高校受験をしないけれど、「高校ゼロ年生の親・受験生の親」という感覚を持つ
これだけでも、子供の意識は変わります。
もちろん、そのようにご父兄のほうで意識を変えたから、子供の成績が必ずしも上向くようになるとは限りません。
ただ、トップ層以外だと、まず親御さんが変わってこそ、本人の意識は変わります。
高3が近くなってくると、ご父兄の意識・子供の意識ともに自然と高まっていきます。
それゆえにこそ、
「受験生という意識をまず親である自分が持つ」
ということが大切になってきます。
ネットでニュース・記事を閲覧していると、「偏差値」という言葉が随分と使われていることに気づきます。
例えば、芸能人や新人アナウンサーを紹介するときに、
「○○アナウンサーは、偏差値70を超える超難関校を卒業し...」
などという記事にちょくちょく出くわします。
こういう書き方がされるということは、どう解釈すればよいのか。
「偏差値」という考え方が、受験業界にいない方々にも、知られるようになってきていることの一端を示しています。
ところで、この「偏差値」という考え方に関して、わたしが抱く感想は、
「偏差値を正確にご存じの方は少ない」
というものです。
それも当然と言えば、当然のことでしょう。
この「偏差値」というのは、ある一つの試験を受けた人たちを、一定の基準に基づいてランク付けするというものです。
受験をする立場としては、次のことを頭に入れておく必要があります。
・試験の平均点を「偏差値50」とする
・例えば70点を取ったとき、
「平均点が40点のときの70点」
「平均点が60点のときの70点」
→この価値が違ってくるので、偏差値で「その点数の価値」を判断する
・厳密に言えば偏差値は「試験ごとに状況が変わる」
→そのために中学受験・高校受験・大学受験で状況が変わる
(次回に続きます)
(次回に続きます)
前回述べたように、偏差値というのは、
「取った点が全生徒から見てどのくらいの位置にいるのか」
を示します。
例えば、数学の模擬試験で70点取ったとします。
ただ、この70点という点数は
(ケースA)「平均点が40点のときの70点」
(ケースB)「平均点が60点のときの70点」
では「70点の価値」が違ってきます。
当然に(ケースA)が「高い価値」となります。
また、
(ケースC)「試験を受けた人の最高点が70点で、30点台の人が続出」
(ケースD)「周りに70点台の人は数名いて、最高点は95点で、50点台の人が多かった」
ここでは、(ケースC)のほうが「高い価値」となります。
こう言ったケースを決まったやり方で計算したのが「偏差値」です。
ですから、「偏差値」は厳密にいうと、試験のたびごとに「土台となる数字」が違ってきます。
模擬試験にしても、受験する人が「8月模試」と「9月模試」で全く同じということは考えにくいからです。
とはいえ、全体として見た場合、8月と9月で、受験者のメンツが大きくは変わりません。
そうした事情を踏まえて、月ごとの模試成績は、点数でなく、偏差値で比べるわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで述べたように、偏差値は厳密にいうと、試験のたびに「土台となる数字」が違ってきます。
ただ、模試では、受験者全体の学力レベルは模試ごとに大きく変動しないと考えます。
そういう考え方を基準として、月ごとの模試成績を比べることができます。
しかし、この「土台となる数字」は、中学受験・高校受験・大学受験で違います。
例えば、
・中学受験向けの「二華中・青陵中模試」
・高校受験向けの「みやぎ模試」
・大学受験向けの「共通テストマーク模試」
これらの模試で仮に「偏差値60」となっていても、その意味するところは全く違います。
「偏差値60」というのは、
「その模試を受けた人たちの中で、100人換算で上から15番目あたり」
という意味です。
以前、中学受験をしていた生徒さんのご父兄から、次のような質問を受けたことがあります。
...中学受験の模試だと、二華のボーダー偏差値が60で、青陵が54などと書いてある。
これが高校受験になると、二高が偏差値68で、一高が66となっている。
68とか66とかっていう高い偏差値ってどうやったら出るんですか?
二高や一高って、かなり難しいんですか?
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラム「その3」で紹介したケースは、言ってみれば、「偏差値という数字のマジック」のようなものです。
「二華中・青陵中模試」と「みやぎ模試」では、受験している生徒さんの学力レベルがまるで違います。
「二華中・青陵中模試」を受ける生徒さんは、学力的に見て、比較的レベルの高い生徒さんが多いです。
平均以下というレベルなら、通常は公立中学に進むからです。
一方、「みやぎ模試」は、公立高校入試のための模試です。
そのため、公立中学生のあらゆる層が受けます。
ですから、ある生徒さんが、「二華中・青陵中模試」と「みやぎ模試」を両方受けた場合、(そういうことはまずありえませんが)偏差値はどうなるか...
「みやぎ模試」のほうの偏差値のほうが高く出ます。
受験者に優秀な生徒さんが多ければ、「偏差値の数字は低く出る」
そういうことです。
校区の小学校ではずば抜けたトップだが、二華中に行くと、平均くらいの「ただの人」に...
これと事情は同じです。
ですから、「偏差値」という言葉が使われるときには、多少、留意する必要があります。
以上のことを踏まえたうえで、正しく偏差値を理解していただければ幸いです。
この時期あたりから、来春に公立高校受験を控えているご家庭からの「入試に向かう空気」は、本格化します。
そこで今回は、宮城県の公立高校入試のシステムについて、述べてみます。
わたしの目から見て、宮城県の公立高校入試のシステムは
「そこそこ回っている」
という感じがします。
「そこそこ回っているってどういうこと?」
そうお感じになった方がいらっしゃるかもしれません。
と申しますのも、公立高校の入試システムは、時代時代で変わってきました。
そのシステムを見ていると、
「現在のシステムは改善の余地はある者のまずまず良いもの」
という感想をわたしは持ってます。
今の入試システムは、以下のようになっています。
・入試は内申評定+入試本番の合計点で決まる
・得点は、内申評定と入試本番の点を決まった計算式で計算する
・計算方法は、各校ごとに決まっており公表されている
・入試は3月初旬の一発勝負
・県内公立高校のどこでも受けられる
実のところ、今のシステムになったのは、そんなに昔のことではありません。
2020年以降のことです。
ですから、システムとしては、割と新しい部類に入るといってよいかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、
「今、公立高校が入試システムとして導入しているものは、2020年から」
という話をしました。
しかし、今のシステムというのは、実をいうと「まるっきり新しいもの」というわけではありません。
わたしの見たところでは、
「30年前までのシステムを、今の状況に合わせて少し手直しして『新しいシステム』とした」
という感じです。
別な言葉で言い換えると、
「一周回って昔のシステムが少し今風になって復活した」
そのように思います。
「一周回って...」というところが、それなりに興味深くはあります。
では、ここ30年間でどういうシステムが採られたか。
簡単にまとめてみるとこんな感じです。
◎むかしむかしのシステム
:入試は内申評定+ペーパー試験で一発勝負
↓
↓
◎推薦入試が行われる
:定員の一部をペーパー試験を経ずに、中学校の通信票の成績を基に合否判断
↓
↓
◎入試を2回実施
:定員の一部を前期入試でとり、残りを後期入試で
↓
↓
◎今のシステム
:入試は内申評定+ペーパー試験で一発勝負
:「むかしむかしのシステム」をちょっと手直ししてバージョンアップ
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回に紹介したように、宮城県の公立高校入試システムは、
「30年前までのシステムを、今の状況に合わせて少し手直しして『新しいシステム』とした」
ということです。
以前に行われていたやり方、特に入試を前期・後期で2回実施していたときには、相当に評判が悪いものでした。
このシステムは、県の教育委員会の名誉のために言っておくと、理念としてはすばらしいものでした。
しかし、現場の高校の先生・中学の先生・ご父兄や生徒さんからは、
「2回の入試実施はやめてほしい」
という悲鳴・怨嗟の声が相当に聞かれました。
その声は、公立高校からだけでなく、私立高校のほうからも聞こえてくる有様でした。
今はそのころに比べると、落ち着いています。
ここから分かることは、
「入試のシステムは、すばらしい理念・理想より、シンプルで分かりやすいものが支持される」
ということです。
現在の公立高校入試のシステムが「そこそこ回っている」と思う理由がこの点にあります。
もちろん、システムに完全なものはありません。
時代が変わっていくとともに、新しい要素も必要です。
しかし、「シンプルで分かりやすいもの」は、何だかんだと言って、定着しやすいように感じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ところが、シンプルで分かりやすいものは、定着している感があっても「弱い」のです。
その「弱さ」をつけ狙うのは、お上の存在です。
お上は「改革」と称して、いろんなものを変えたがります。
シンプルであるがゆえに、「改革のやりがいがある」と見なされてしまうようです。
そして、その「改革」が急進的であればあるほど、世間の喝采を浴びることになります。
お上も仕事をした気になるのでしょう。
それは入試にまつわる制度「改革」も同じです。
ところが、鳴り物入りで行われる「改革」...
当初の理想・理念に合わせてやってはみたが、マイナス面が目立つようになった...
「これじゃあ、前のほうがまだマシだった」...
得てしてこういうことが起こります。
今の公立高校入試システムが、30数年もの時を経て、一周回って「むかしむかしのシステム」に戻った。
ということは、30数年間の「改革」は、いったい何だったの?
...こういう疑問が残ります。
入試システムの「改革」は、こういうことの繰り返しでした。
「じゃあ、これから高校受験をするうちの子のときにはどうなるの?」
こうした疑問には、機会を改めて取り上げることにいたします。
中学では、ここ数年来、部活が縮小傾向にあります。
京都市が公立中学で、再来年に部活を廃止する旨、決定しています。
そのことについては、先般のコラムで述べたとおりです。
<関連コラム>
ご父兄や生徒さんの立場からすると、部活はできる限りいろんな選択肢があったほうがよいということになります。
「部活に参加しない」という選択も含めて、です。
しかし、ご父兄や生徒さんが考えるべきは、部活を管轄する先生のお立場です。
更に突き詰めて言うと、先生方の労働条件です。
現場の先生方のご負担が大きくなっているというのは、いろんなところから伝わってきます。
であるならば、ご負担を少しでも軽くする方向に持っていくべきというのは、誰にも異論はないでしょう。
そうしたことを考えた上での、部活廃止・縮小傾向ということです。
ここでご父兄・生徒さんに留意しておいていただきたいのは、
「部活は課外活動である」
ということです。
課外活動というのは、「授業のほかにやること」です。
別の言葉で言い換えると、
「学校では授業が第一で、部活は第二以下」
です。
そうであるならば、先生方の部活管轄業務を減らしていくというのは、理にかなっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが学校の先生のご負担を減らすべきだと考えている理由がいくつかあります。
・長期で休んでいる先生が相当にいらっしゃる
・部活が負担となって授業準備が疎かになりがち
・部活の管轄時間は無給あるいは雀の涙程度の賃金だけ
わたしが驚くのは、長期でお休みになっている先生の多さです。
そのお休みの原因というのが、生徒さんの話を総合すると、心の健康を損なっているケースが多いようなのです。
生徒の不登校どころか、先生が不登校状態になってしまっているケースを多く耳にします。
わたしが小中高校生の頃、長期でお休みになっている先生というのは、記憶にありません。
学校の先生に求められることが、その昔に比べて、高質・多量になっていることの証左でしょう。
例えば、部活一つとってもそうです。
わたしが中学1年のころ、所属していたバレー部の先生は、部活にあまり顔を出しませんでした。
練習は生徒がほぼ自主的にやっていました。
今、顧問の先生が同じことをしたら、すぐに責任問題になるでしょう。
一般企業でも、コンプライアンス(法令順守)が厳しく求められるようになっています。
それにより、業務に携わる先生のご負担が大きくなったという側面も当然にあり得ます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
また、わたしがTwitter等を通じて現場の先生方から聞く話として、
「部活が負担となって授業準備が疎かになりがち」
という点があります。
学校がまずもって優先すべきは、授業です。
「国語の先生ならば、国語を生徒さんたちに授ける」
「数学の先生ならば、数学を生徒さんたちに授ける」
先生方もそう考えて、教職に就かれているはずです。
ところが、部活顧問のための準備が忙しくて、授業準備がままならないという先生方が多くいらっしゃるようです。
そうなってしまうと、それは本末転倒になってしまいます。
授業準備が十分にできないのは、部活だけが理由ではないでしょう。
そのほかにも、会議・研修など多くのお仕事があるわけですから。
また授業や学校行事などでも、負担を軽減しても差し支えないものはあると思います。
加えて部活の負担を軽くする手段があるなら、それを現場に取り入れていくのは、理にかなっています。
わたしとしては、学校の先生のご負担がいくらかなりとも軽くなればよいと考えています。
そして、それは、ご父兄・生徒さんにとっても利益になります。
学校のこういう現状を見ていると、部活業務の負担軽減の難しさを感じます。
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