過日、Twitterで見かけたツイートにこういうものがありました。
随分と反響が大きかったようです。
このツイートに関するわたしの考えは↓のとおりです。
少なくてもわたしは、「読書はコスパが悪くて受験には有害だから本を読むな」という指導をしたことがありません。
そういう指導をしている受験関係者も存じ上げません。
ただ、引用リツイートなどを見ると、実際にそういう指導をしている方はいらっしゃるようです。
ご父兄としては、読書がほんとうに受験に有害なのかどうか、戸惑ってしまいます。
わたしの考えとしては、スポーツにたとえると、次の通りです。
読書=筋トレ・走り込み
受験学習=実戦形式の練習
読書は、受験学習の下支えになります。
スポーツで言えば、筋トレです。
「野球で勝つには筋トレや走り込みは有害だからやめろ」
というコーチがいたとしたら、多くの方は
「この人、頭がおかしいんじゃないのか?」
と思うことでしょう。
また、
「明日の野球の試合に勝つため、実戦形式の練習は辞めにして、今日はずっと筋トレだけをやる」
というコーチがいたとしたら、多くの方は
「この人、頭がおかしいんじゃないのか?」
と思うことでしょう。
受験学習と読書の関係も、そのようなものだと考えていただきたいのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
筋トレや走り込みは、今日やって明日すぐに結果が出るものではありません。
毎日、毎日、来る日も来る日も、何らかの形で継続しなければならないものです。
ここぞというところで力が発揮できるかどうかは、結局のところ、筋トレや走り込みをどれだけしっかり、真面目に取り組んだかにかかってきます。
スポーツをやっている方にとっては、今さら申し上げるまでもないようなことです。
受験学習での読書というのも、事情はこれと似ています。
公文式の学習もこれに近いものと言っていいでしょう。
読書で鍛えられるのは、「受験の足腰」です。
しかし、「明日のテスト」「2週間後に迫った定期試験」などで結果を出すには、読書をやっていればいいということにはなりません。
読書は即効性のあるものではないからです。
ですから、例えば国語の現代文の成績がよくなるために、読書をするというのは、方向性が違います。
「読書はコスパが悪くて受験には有害だから本を読むな」という指導というのは、そういうことを伝えたかったのではないかと考えています。
たぶん...
そういう指導であれば、わたしも理解はします。
わたし自身はそういう言い方をしませんが。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
結局のところ、「受験から考えた読書」というのは、以下のようになります。
◎テストでいい点を取るために読書をするということは考えない
◎受験学習の合間の読書でもOK
◎読書の時間が受験学習の妨げにならないようにする
◎lineやYouTube動画の視聴より、読書のほうが受験としては遥かにマシな使い方
前回のコラムでも述べたとおり、読書は「明日のテスト」「2週間後に迫った定期試験」でよい点を取るためにするものではありません。
ただ高得点を取る生徒さんたちは、知識・ボキャブラリーが豊富です。
そういう知識は、だいたい読書を通じて得るケースが多いです。
また、読書に使う時間は、合間の時間でも大丈夫です。
学校によっては、5分程度の朝読書の時間が設けられているところがあります。
こういうのも、「合間の時間の活用」という趣旨です。
ちなみにわたしは、お手洗いでの時間を読書にあてています。
こういう時間は積み重ねると、結構な量になります。
受験学習の妨げにもなりません。
ここで留意すべきは、lineでのダベリやYouTube動画のダラダラ視聴のほうが、「妨げ」と点では、よほど大きいです。
受験に妨げになるほど読書をする生徒さんは、いてもごく少数でしょう。
中学での実技教科の評定については、現場で中学生を指導している受験関係者にとって、主要教科のような指導ができない分野です。
しかしながら、宮城県の場合、公立高校入試には実技教科の評定もしっかり関わってきます。
ですから、特に上位ほど、実技教科に苦手があると、その教科に関して神経質になってきます。
今回のコラムでは、実技教科の評定を上げるにはどうすればいいのか、実技教科に不安がある生徒さん向けに書いてみます。
さて、とある生徒さんは、実技教科の評定が次のように推移しました。
数字は実技4教科の評定合計です。
中1 15(平均3.8)
中2 18(平均4.5)
中3 19(平均4.8)
この生徒さんは、さる上位校に合格しています。
そして、進級するにしたがって、評定の数字がよくなっています。
このようになっていけば、生徒さんとしては理想であるわけです。
では、こうなるにはどうすればいいのでしょうか。
◎評定を上げようという意識
こうした意識は非常に大切です。
どの教科も、何となくやっていて評定がホイホイ上がっていくものでもありません。
○○高校に合格したい
→それには評定に改善の余地がある
→実技教科の評定を上げるにはどうすればいい?
という思考プロセスを経るわけです。
まず意識しなければ、改善もありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎「仕事の丁寧さ」が必要
実技教科の評定は、主要5教科以上に「先生の主観、パッと見た印象」が重要です。
ですから、たとえその教科は苦手で嫌いでも、
「丁寧さを心がける」
ことで、成績は良くなっていく可能性があります。
前回のコラムで紹介した生徒さんには、「仕事は丁寧に」ということを繰り返しアドバイスしました。
生徒さんもそれを心得て、結果として成績が上がったわけです。
この種の「仕事の丁寧さ」というのは、生徒さんが学校を出て、社会人になっても大切です。
そうした意味で、単に学校の成績を上げるというだけでなく、
「社会に出てからも仕事の丁寧さは役立つ」
と考えておくといいと思われます。
◎「実技教科は受験に役に立つ」と考える
「受験」といえば、一般的には国数理社英という科目を思い浮かべるはずです。
その結果、実技教科は「受験には関係のない教科」という扱いになります。
それは結果として、
「音楽の授業を受けたところで受験に役に立つわけではない」
→だから、音楽の時間は寝てても、さぼっても、受験には影響しない
という考えに行きつくことになります。
何を隠そう、わたし自身が中学生のころ、そう思っていました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
実技教科に関して、中学生の頃のわたしは、「実技教科=受験に邪魔なもの」という考えでした。
さすがに提出物を怠ったり、サボることはしませんでした。
が、
「数学や英語ならともかく、音楽や技術家庭なんて、なんでペーパーテストがあるんだ?」
「実技教科の成績って、何となく先生のイメージで付けられている要素が多いから、不公平だよな」
などと、考えていました。
そのように感じている中学生は一定数いるのではないでしょうか。
今のわたしなら、こうした中学生にこうアドバイスします。
「受験ということを考えれば、実技教科の学習も役に立ちます」
「学年が進むほど、難関を目指すほど、一見して受験に関係なさそうな知識が役に立ちます」
「実技教科で学んだ知識は受験を下支えします」
中学の実技教科で学んだ知識が、その後に受験をどう下支えするかは、別に語る機会を設けます。
あまりに長くなってしまいそうですから...
ともかく、留意していただきたいのは、
「受験という点からしても、実技教科の勉強は役に立つ」
という点です。
ですから、中学生の皆さんは、どうぞ安心して(?)実技教科の学習に励んでください。
とにかく、中学生くらいの時期には、覚えられるものは何でも徹底して詰め込むことです。
高1生は入学してから1か月がたちました。
入学当初よりは精神的にも少し余裕が出てきたのではないでしょうか。
そういう高1生からときどき聞かれるのが、
「英語はどう勉強していったらいいですか?」
ということです。
今回のコラムでは、この点について、「偏差値55以上の高1生」向けに述べてみます。
ここで「偏差値55以上」というのは、みやぎ模試偏差値55以上の高校を想定しています。
さて、先ほどあった
「英語はどう勉強していったらいいですか?」
という質問への答えとして、高1生のこの時期、意外に使えるのが高校入試問題です。
特に英語の長文問題、つまり「コミュニケーション英語」の分野を補うにはちょうどいいです。
「え? 今さら高校入試問題?」
高1生の皆さんはそう感じるかもしれません。
しかし、使い方を工夫すると、この時期の長文問題の演習量を補足するには打って付けです。
目標としては、「全国高校入試問題正解」(旺文社)=通称「電話帳」などで、長文問題の演習量を確保することです。
・ナンバー生
→東京の独自問題校・大阪C問題・私立
・準ナンバー生など
→公立高校
これらを週3回、1回あたり30分程度で解けるくらいの問題量を解いていくといいのではないかと思います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「偏差値55以上の高1生」の場合、学習教材として学校からはおおむね次のようなものが与えられています。
・単語集
・文法解説書
・文法解説書を補うワークブック
・長文問題を扱うワークブック
学校によって、配付されているもの、その使い方はさまざまです。
なお授業で扱ったところに出てくる新出単語・熟語はすべて覚えるべきは言うまでもありません。
高1生のこの時期、ガッチリ取り組んでおくべきは、単語の記憶、文法問題です。
要するにボキャブラリーを増やしていくことが課題になります。
ただ、その反面、長文問題への取り組みがやや手薄になる印象を受けます。
長文問題のネタは、通常の高校生向け問題集を見ると、この時期に手ごろなのがあまりない印象を受けます。
そうした状況を補うのが、「高校入試の長文問題」です。
そして、高校生向けの「長文問題初級編」問題集を見ると、題材は意外と高校入試から引用されていたりします。
そういった事実を考えると、長文問題の勘を鈍らせないため、「高校入試の長文問題」に取り組むのは、意味のあることです。
これと似たような状況は、国語の現代文にも当てはまります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、この時期はボキャブラリーを増やしていくことが課題であると述べました。
この件で、補足をします。
英語のボキャブラリー不足というのは、実のところ、日ごろの学習で認識されにくいです。
これが数学なら、
「この部分のこの箇所が分からない」
というのが、ハッキリします。
ところが、英語のボキャブラリー不足は、数学などと比べて、目立ってここが分からないという風に感じることが難しいです。
試験では、難しいと思われる単語には一応、訳が付いていたりします。
が、分からない単語もしばしば出題されます。
ですから、ボキャブラリー不足を認識せず、放置したままだと、気づいたころには
「英語がまるで分からない」
ということになりかねません。
病気で言えば、自覚症状がないのに、ある日あるとき、突然に病状が現れてくるというようなものです。
そういった意味での「怖さ」が、英語にはあります。
また、この時期の高1生の英語学習は、短い文章に接する比率が多くなります。
そのため、長文問題にも取り組む必要があります。
ただ、長文問題は量的にそこまで多くなくて構いません。
今の段階では、
「長文に対する勘を鈍らせない」
くらいで臨んでも構いません。
中1生は段々と学校に慣れてきています。
この時期、以前の中1生であれば、ようやくアルファベットの読み書きが終わり、授業では
This is a pen.
Is this a pen?
というのを練習...
というのが「お約束」でした。
しかしそれは、もはや昔々のお話です。
彼らは、中学入学の段階で、
「英語がよくできる生徒さん」
「英語がさっぱり分からない生徒さん」
とに綺麗に(?)分かれています。
ここで、「英語がさっぱり分からない生徒さん」に焦点を当ててみます。
彼らの英単語に関する対応を見ていると、
「分からない英単語の意味は、自分で調べるという発想自体がない」
というケースが非常に多いことに気づきます。
ですから、そういう彼らには英語の学習を特にサボっているという意識が薄いです。
事実、彼らに
「分からない英単語は放置しないで、スマートフォンで検索してみるとか、辞書を引いてみるとか、自分なりにやってみてはどうなんですか?」
という質問を投げかけると、
彼らは
「エ?」
「ハア...」
という表情を浮かべます。
その表情には、
「英単語を調べるなんて、そういう発想はなかったなあ」
というのが、よく伺えるのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしの感覚からすれば、分からない英単語の意味を自分で調べるというのは、当たり前のことです。
みやぎ模試偏差値55以上の中学生なら、この感覚は持っています。
ところが、偏差値40を下回る、すなわち下から数えて15%くらいの生徒さんは、この「常識」が「常識」として通用しません。
一応、学校の英語の先生は、
「新しく出てくる単語は意味を調べてくる」
という指示を出してはいます。
そして、意味の調べ方についてもその方法は指導しています。
しかしながら、そういう意味調べをしなくても、特に不便を感じない層の生徒さんたちは、先生の指示を「黙殺」します。
累々たる「黙殺」の結果が、彼らの英語のテストの点数です。
こういう彼らからも学ぶことがあります。
「英単語の記憶ができない」と感じている中学生は、
「まずやるべきことをやっているか」
「授業の前に新しく出てくる単語は意味を調べてあるか」
を自問自答してみることです。
「こういうことをわざわざ言わなくてはならないのか」
とお感じになる方が多いかもしれません。
しかし、こういうことを今さら言わなくてはならないほどのレベルという中学生が非常に多いという現状があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、教科書に出てくる単語の意味調べをするのであれば、「教科書ガイド」の利用をいいと思います。
「教科書ガイド」の利用には、否定的な指導者もいるようです。
わたしの考えでは、
「利用法を間違わなければ、教科書ガイドは大きな武器になる」
です。
中学生の教科書に出てくるレベルの英単語であれば、英語の学習時間をしっかり確保することで、ほとんどはひとりでに覚えていくものです。
確かにこのごろは、中学の教科書にある単語でも、一昔前なら高校で学習するものも入っているのは事実です。
しかし、時間をかけて学習量を積んでいれば、英単語の半分以上が分からない、などということはないはずです。
もし「英単語が覚えられない」というのなら、
「そもそも英語、十分な時間を取って勉強してますか?」
ということを検証する必要があります。
受験学習での学習時間というのは、スポーツの練習量と同じです。
甲子園大会で優勝するような高校は、すさまじい量の練習をこなしています。
何もそこまでやれとは言いませんが...
しかし、練習量=学習量が足りていなければ、単語を覚えていくことは無理です。
この点をよく記憶にとどめておきたいものです。
今回のコラムでは中2生関連のことを扱います。
ここで想定しているのは、「公立中学の中2生」です。
中2生は、中1生とも中3生とも違います。
中1生と違って、中学校の生活の流れは何となく心得ている...
中3生と違って、受験を控えているわけではない...
この時期、中2生は「宙ぶらりん」な時期です。
ですから、ハッキリとした目標を見つけにくいのです。
加えて、運動部の場合、3年生の多くは6月で引退します。
すると、部の中心が2年生へと移るわけです。
そういう環境に囲まれると、お勉強のほうが疎かになってしまう下地が出来上がってしまいます。
さらに、学習内容に関しても、中2の夏休みを過ぎたあたりから、もうワンステップ難しくなります。
数学では、一次関数・図形の証明問題などが出てきます。
英語では、扱う単語の量・文法事項がさらに増えます。
英語は中学の入学段階で、上位と苦手層ですでに大きな差がついてはいます。
中2の夏休み以後、その差はさらに大きくなります。
そんなこともあって、これまで以上に差がついていく時期でもあります。
そうした意味で、中2の秋は「魔の秋」だと言えます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この中2の「魔の秋」を乗り切るには、今のうちから心づもりをしておかなくてはなりません。
さすがにトップ層になると、これしきのことで動ずることはありません。
わたしが「魔の秋」のことを想定しているのが、中の上から真ん中あたりの生徒さんです。
偏差値にして55~50くらいになるでしょうか。
このクラスの生徒さんですと、中2の秋に成績が下降していったり、逆に上向いたり、どちらにも転ぶ可能性があります。
「魔の秋」を乗り切るには、やはり「コツコツ学習」以外に方法がありません。
「魔の秋」を乗り切るために、春である今から準備をしておかなくてはなりません。
学習のペースを落とさないということは、非常に大事です。
加えて重視してほしいのが、学習量です。
公立中学の偏差値55~50くらいの生徒さんは、学習量の足りていないケースが随分と多い気がします。
「効率ある学習」以前に、量そのものが不足している生徒さんが相当にいるのです。
この点は意外なほどに盲点になります。
該当する成績層の生徒さんが、なかなかこの点を意識できていません。
そして、
「一定量以上の学習を継続して行う」
というのも、当初は大変です。
が、続けていれば、慣れてきます。
そういう状態になってくれば、「魔の秋」を乗り切る芽も出てくるでしょう。
昨日までのコラムでは「公立中学2年生の中だるみ」のことを述べました。
そして、それを書きながら、
「そういえば、中高一貫校の生徒さんたちも中だるみがあるなあ」
と思い返していました。
今回のコラムでは、二華中・青陵中など中高一貫校の生徒さんたちの「中だるみ」を書いてみます。
さて、彼らと公立中学の生徒で、大きく違っている点があります。
それは
「高校入試を経験するのか、しないのか」
です。
中高一貫校は
「高校受験をせずにそのまま大学入試の準備ができる」
というのが、大きなメリットです。
しかし、世の中、いいことばかりではありません。
「高校受験をしない」というのは、デメリットにもなります。
それは、
「高校受験をしない」
=「受験はまだ先の話」
=「学習する意欲・目標が見えず、ポヤーとボーッ」
という生徒さんが想像以上に多い印象です。
二華中・青陵中の生徒さんを高校受験に例えれば、
・二華=二高の上位3分の1より上
・青陵=三高の上位層以上
くらいになるでしょうか。
そのクラスを受ける公立中学の生徒さんに、「ポヤーとボーッ」はさすがに感じません。
しかし、二華・青陵中の生徒さんの場合、ちょっと様子が違います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
二華中・青陵中の生徒さん全員が「大学入試を目指してシャキッと感がみなぎっているか」と言えば、意外とそうではないのです。
どちらの中学もトップ層は、コツコツと学習を続けています。
それゆえにこそのトップ層です。
この層が、高校卒業時に、東大・京大・東北大医医のような難関大への実績をたたき出します。
しかし、そこから下って中位層から下位層になると、「シャキッと感」は少しずつ薄れていきます。
特に下位層になると、
「すぐ近くに迫った定期試験をいかに乗り切るか」
が、よほど切迫した課題です。
数年後の大学入試のことまで、頭が回っている感じはありません。
事実、高1生が初めて受ける進研模試の成績分布を見てみると、今まで述べたことを実感します。
わたしは、二華の数字を見たことがあります。
それによると、最上位層が二高とほぼ同じくらいです。
そこから少し下った上位層から中間層は二高がかなり優勢。
中間層から下は勝負にならないほど、二高が上回っていました。
二華でこういう状況です。
とすれば、青陵、あるいはウルスラ・東北学院中は「推して知るべし」と言えるでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
二華中・青陵中といった中学は、数学の進度が公立中に比べて速いです。
英語に関しては、数学ほどの「速さ」は確かに感じません。
が、公立中よりボリューム感は随分とあります。
それはウルスラ・東北学院中の上のクラスでも、同じです。
そもそもこうした中学のカリキュラムは「上位層」をターゲットとして作られています。
この「上位層」は、だいたい「上位20%」を想定しています。
となると、残り80%の生徒さんたちは、中3の段階で「生煮え」のまま、高校数学に突入することになります。
この「生煮え」の度合いは、下に行くほど、高くなります。
言い換えると、特にこうした中学の下位層は、中学数学の基本が固まらないまま、高校数学を中3段階で学習しなくてはならなくなります。
これは彼らにとって、かなりきついです。
もとより、「復習期間」「調整期間」が設けられることがあります。
そういう彼らの状況を慮って、また上位層の演習時間を増やすための措置です。
とは言え、下位層にしてみれば、公立中学から高校受験を経て、しかるべき高校へ行っていたほうが、まだ芽はあったという感覚が生まれても、不思議ではありません。
こうした現実のバランスをどうとっていくかは、かなり難しいです。
教科書ガイドは、その使い方次第で毒にもなれば、薬にもなります。
そういうこともあり、教科書ガイドに関しては、使う人、使わない人、各人各様です。
今回のコラムでは、教科書ガイドの「よい使い方」「マズい使い方」の例を述べてみます。
なお、わたしは教科書ガイドの良い点に着目し、積極活用を進める立場です。
<宿題のガイド丸写し・・・ダメ>
<予習や宿題の正解をチェック・・・good!>
教科書ガイドには、数学・理科などで、練習問題の考え方・式の立て方が詳しく書いてあります。
学校で課された宿題をガイド丸写し、あるいは丸写しに近い状態で済ませるなら、「毒になる」使い方です。
当然ですが。
一方、予習・先取り演習などで、練習問題の答えが合っているかどうかをチェックするのは、「薬になる」使い方です。
予習・先取り演習をしていて、自分の出した答えが正しいか、正しくないのかをチェックすることなしに、問題ばかりを解いていくのは、危険です。
試験の答案に間違った答えを書いたところで、0点にしかなりません。
自分の答えは、正しいのか、正しくないのか、自分自身に目を光らせておく必要があります。
そのための教科書ガイド活用というのは、「大いに意味あり!」です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<教科書の英文の和訳を眺めるだけ・・・ダメ>
<自分なりに英文の和訳をやってみて答えをチェック・・・good!>
教科書ガイドの使い方として、中学英語の教科書ガイドを使うことに、意見が分かれているようです。
わたしとしては、賛成の立場です。
そのほうがメリットは大きいと感じるからです。
「賛成しない」という方の言うことも分かる部分はあります。
・・・英文の和訳があると、それを見ただけで、分かったような気になってしまう
・・・和訳が綺麗すぎる
確かにこれはそういう面があります。
ただ、わたしに言わせると、
「教科書ガイドをこういう風にしてしか使えない生徒は、教科書ガイドがあろうが、なかろうが、試験の成績は変わらない。」
「成績は下がることがあっても、上がることはない」
ということです。
ですから、間違った使い方をする人のために、教科書ガイドの価値そのものが否定されてはなりません。
学習意欲のある生徒さんからすると、自分の出した答えが正しいか、そうでないかは、常に気になるはずです。
それをチェックするものとしては、教科書ガイドを参照する以外にありません。
必要なのは、「使用上の注意」をよく守ることでしょう。
風邪薬と同じです。
しばらく前に、Twitterにて↓のようなツイートをしました。
今回は、このツイート及びこのツイートの関連記事について述べます。
この関連記事は、N高から東大に入学した生徒さんのことを取り上げています。
ここで、N高というのは、通信制の高校です。
公式サイトにもあるように、N高は東大・京大といったところにも合格者を出しています。
このような通信制が随分と出てきました。
不登校あるいは、一般的な高校を辞めた生徒さん向けに、採算ベースに乗るほどの需要はあるようです。
◎「N高」のような通信制高校の概略
この通信制高校は、毎日の登校が必要ありません。
よって、一般的な高校のように、8時半まで登校して、4時まで授業をして、その後に部活動...という制度になっていません。
基本的には学校から出されるプリントを課題としてこなし、次回の登校日までそれをやっていきます。
登校日に担当の先生から指導や次の登校日までにやることなどを決めていきます。
これをスクーリングと呼んでいます。
◎時間に余裕がある
N高のような通信制高校の高校は、一般的な高校に比べて、時間の拘束が随分と緩やかです。
よって生徒さんは、自分の時間を十分に持つことができます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎「N高」が難関大学にも合格者が出せるわけ
N高が難関大学にも合格者が出せるのは、優秀な生徒さんが入ってくるからです。
彼らのような生徒さんは、何らかの理由で、全日制の高校をドロップアウトしたケースがほとんどです。
ちなみにわたしが以前に指導した中で、京大の法学部に合格した生徒さんは、体調不良でやむなく高校を中途退学し、通信制高校で頑張った方です。
◎受験だけを考えると「N高」は最適(ただし条件付き)
受験ということだけを考えると、N高のような通信制高校は非常に効率的です。
通信制高校には、定期試験のようなものがありません。
また受験科目にはない教科の授業を受ける負担も、一般的な高校と比べるとかなり小さいです。
要は、自分のペースで受験学習を進めることができます。
ほんとうに優秀な生徒さんで、難関大学の合格だけを目標にするなら、N高は大きな力を発揮します。
しかし、こういうシステムで結果を残せる生徒さんは、自分で自分をしっかりコントロールできるタイプの方です。
そして仲間や友人とあまり群れることが得意でない生徒さんにとっても、力が発揮できる場面が多いでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎一般的な高校と「N高」は難関狙いにおいてどちらがいい?
前回までのコラムで述べたとおり、N高のような通信制高校は、受験ということだけを考えると、非常に適しています。
特に難関大学を射程に置ける生徒さんなら、自分のペースでガンガンと受験学習を進めることができるでしょう。
しかし、現実問題として、N高から難関大学へ合格する生徒さんは、圧倒的に少数派です。
圧倒的多数は、一般的な全日制の高校出身者です。
では、それがなぜなのか...
結局のところ、通常の学校生活というのは、勉学・受験だけではないから、ということなのでしょう。
通信制高校というのは、クラスメイトという考え方が薄いです。
そもそもが全日制の高校にあるような集団生活がなじめないという生徒さんが多いからです。
そして、自分のペースで受験学習を進めることができるということは、逆にデメリットもあります。
そういうことのできない生徒さんにとっては、全日制の高校に比べて「サボる自由」もたくさんあるということです。
いくら難関大学に合格できるような生徒さんでも、周りの環境にあらがうだけの精神力を持った生徒さんは、そこまで多くないという証左なのでしょう。
先般、このようなツイートを目にしました。
今回は、これをもとにコラムを書いてみます。
進学校の生徒が上にあるツイートにある感じであるのは、よく分かります。
彼らは、「この先生の授業、聞くに値せず」と判断した場合、面と向かって礼を失するような態度はとりません。
ただ、口や態度にこそ出ませんが、授業のときの目線、その他の表情やしぐさで、
「この生徒たちは自分の言うことをきちんと聞いている」
「この生徒たちは自分の言うことをさっぱり聞かない」
くらいのことは分かります。
それはわたしが高校生のときにもそうでした。
「この先生、すごい人だな~」
こう思えば、その先生の語ることには、耳を傾けていました。
「この先生、こんなことばかり言ってて、ホントに大丈夫なの?」
そう感じた先生の授業には、どうしても熱が入りづらくなります。
そして、生徒同士で、
「○○先生は、これこれ」
「△△先生は、しかじか」
と、愚痴を語ったり、品定めのようなことをしていました。
これは今も昔も、変わりありません。
そんなわけで、わたしが彼らのように高位層を指導するときには、
「あなたたちが知らないことも、こちらには心得があるんだよ」
というようなことを、さり気なく語る場面を設けています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ここで大切なのは「さりげなく」というところです。
あまりに露骨に
「オマエら、これ、知らないだろう」
というような態度を彼らの前で見せてしまうと、嫌味にしかなりませんから。
一方、学習苦手層の生徒さんが多く進む高校の場合、進学校とは様子がかなり違うようです。
そういう生徒さんに、例えば対数関数がどうやって誕生したか、などというのを語っても、まず反応はありません。
彼らの場合、理解できていることが、進学校の生徒さんとは、大きな開きがあるからです。
彼らの前では「強面である」「厳しい」ということが、生徒に言うことを聞かせる「権威」になっているようです。
コミュニケーション能力の高くない先生ですと、授業運営にはかなり苦労があります。
何となく合点がいきます。
受験指導ということになると、「強面」「厳しい」というのは、個人経営の塾にそうしたところがあります。
そして、「強面」「厳しい」のは、上位層向けのスタイルです。
というのも、学習苦手層に「強面」「厳しい」というスタイルで接した場合、その層の生徒さんの多くは辞めていってしまうからです。
そこが一般的な高校と受験指導の違うところです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしも若いころには、ガンガンとやっていました。
「喝入れ」もしました。
しかし、このごろは、そこまでガンガンと「喝入れ」することもほとんどなくなってきています。
これは年齢のせいで、性格的に丸くなってきた(?)というのがあるのかもしれません。
いろんな経験をしてきて、滅多なことでは驚いたり、反応したりしなくなったということもあります。
ただ、わたしが受験指導をしていて学んだのは、
「喝入れをしても、しなくても、やる生徒さんはやる。やらない生徒さんはやらない」
ということでした。
ですから、「喝入れ」それ自体には、期待していたほどの効果はないようだと感じました。
これは、わたしがそう思ったということです。
他の受験指導に当たる方が同じように思っているかは分かりません。
わたしはそう考えてからというもの、あまりガンガンと「喝入れ」をしなくなりました。
そして、
「何とかして成績を伸ばしたい」
というところから、
「できる限り努力はするが、それでもやろうとしない生徒さんは、放置する・切っていく」
「エネルギーは意力のある生徒さんに振り向ける」
という風にしました。
今、それでやってます。
先般、YouTubeのショート動画を見ていたら、次のような話が紹介されていました。
・・・投稿主は3歳の息子を持つお母さん。
こちらの子供さんは、目下トイレトレーニング中。
しかし、失敗することが多い。
この子供さんが通う保育園の先生からも、
「とにかく褒めてあげてください」
といわれる。
そのアドバイスを受けて、自分なりに子供を褒めている。
が、なかなか思ったように子供は改善していかない。
あるとき、ご主人の実家に行く用があった。
そこで、彼女は、一計を案じる。
義母にトイレトレーニング中の息子を褒めてやってほしいと依頼。
義母は、その頼みを受け、義父・義母・義妹が団結して、子供のトレーニングの様子を褒めまくった。
息子は最初、照れているようだった。
ところが、義父・義母・義妹のアゲアゲが功を奏したのか、以後、トイレで失敗することがほとんどなくなった。
投稿主は、自分では褒めたつもりだったが、足りなかったのかもと反省。
こういう内容でした。
わたしはこの動画を見ていて、
「褒めることの大切さは分かっていたつもりだが、褒め言葉って、こっちが考えているより、印象に残りづらいのかも」
と感じていました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ここで、わたしの学生時代あるいは社会に出てからのことを考えてみます。
そうすると、褒められた記憶より、怒られたり、注意を受けたりという記憶のほうがより残っています。
褒められたという記憶は、思い出そうとするとなかなか出てきません。
一方、学校の先生・上司・顧客に怒られたり、注意を受けたりした記憶は、無限に出てきます。
・・・幸せを数えたら 片手にさえ余る
・・・不幸せ数えたら 両手でも足りない
そういう歌が昔ありました。
「褒められ」と「叱られ」とでは、ちょうどその歌詞のようです。
まあ、数量的には、「叱られ」のほうが「褒められ」よりずっと多いでしょう。
しかし、「褒められ」という体験だって、きっとあったはずなのです。
ところが、「褒められ」の記憶があまり残っていないということは、その記憶が残りにくいということの証明になるのかもしれません。
だとするなら、褒めるときには、少し大袈裟なくらいでもいいということなのでしょう。
そして、逆に言えば、少し大袈裟なくらいでないと、人は「褒められた」と感じない、あるいは感じにくいということになります。
褒めた側は褒めたつもり...
が、それを受け取る側は、「褒められた」という記憶が残りにくい...
この視点は重要です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前々回のコラム=「その1」で紹介した例で、3歳の子供がとても褒められてからというもの、トイレの失敗をしなくなったというのは、大変興味深いです。
結果から言えば、お母さんの褒め方が不足していたということになります。
もちろん、これは結果論です。
こちらのお母さんとしても、結果が分かっていれば、もっと口をからして子供を褒めたはずです。
翻って、受験指導の場合、対象となる年齢層は10代の生徒さんです。
3歳の子供にやるようにすれば、生徒さんは自分をバカにしていると感じてしまうでしょう。
となれば、かえって効果が薄れてしまうかもしれません。
それに、その生徒さんの成績のレベルや志気なども、関係してきそうです。
同じ学年でも、ある生徒さんには「褒め言葉」として効くが、別の生徒さんにはツボを外してしまう、ということも十分にあり得ます。
そのように考えると、どのように褒めたらよいのかというのも、難しいテーマです。
ただ、いずれにしても、
「褒めるときにはちょっと大袈裟だったかもと思うくらいで、丁度いい」
というのは、いろんな場面で活用できそうです。
わたしも今回の実例を見て、大いに得るところがありました。
先般、教科書ガイドの使い方について、本欄で取り上げました。
今回のコラムは、その続編といった趣きです。
以下は中学の教科書ガイドについて、科目別に「要る」「要らない」を取り上げてみます。
そこで「要る」「要らない」度を、次のような記号で示します。
◎・・・手元に置くことをおススメ
〇・・・あったほうがいいかな
△・・・苦手な人以外はなくてもOK
この判定は「定期試験で点を取っていく」ということを念頭に置いています。
<国語の教科書ガイド>・・・判定△
国語の教科書ガイドについては、国語の苦手な生徒さん以外、特に必要はないと思われます。
古文・漢文・文法のところでは、教科書以上に詳しい解説がしてあります。
そういうものがあったほうがよいと感じる場合以外は、なくても大丈夫でしょう。
<数学の教科書ガイド>・・・判定◎
数学の教科書ガイドは、手元に置いておくことをお勧めします。
これの良さは、練習問題の解答が式とともに書いてあることです。
教科書には、練習問題の答えが付いていません。
ですから、教科書で自習をするとき、この練習問題の答えは大いに力を発揮します。
トップ層の生徒さんは、先取り学習のときにガイドを使うといいです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<理科の教科書ガイド>・・・判定〇
理科の教科書を使って、予習・復習をしようとすると、ちょっと分かりづらい、場面が出てきます。
そうしたときに、ガイドがあると便利です。
ガイドには、実験の結果が書いてあったり、あるいは教科書の内容がコンパクトにまとめてあったりします。
そうしたときに、「あってもいいかも」と感じた次第です。
<社会の教科書ガイド>・・・判定△
社会の教科書ガイドは、特に必要ないと考えます。
勉強をする場合は、教科書の本文をしっかり読み、資料集・地図帳を参照しながら、問題演習をするということでOKです。
「内容のまとめ」のようなものは、副教材ワークや各種の問題集のところに書いてあることが多いです。
必要なときには、それを参照しましょう。
<英語の教科書ガイド>・・・判定◎
英語の教科書ガイドは、手元に置いておきたいです。
これには本文の和訳、単語の訳や解説などが、細かく書いてあります。
予習段階で、単語の意味調べをする手間が省けるというわけです。
その際、注意したいのは、本文の和訳だけを見て、分かった気にならないことです。
この点だけを見て、受験関係者の中には
「英語の教科書ガイドを買うと英語の成績が落ちる」
という方もいらっしゃるようです。
わたしはそのようには考えません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回、受験関係者の中には
「英語の教科書ガイドを買うと英語の成績が落ちる」
という方がいらっしゃるようだと述べました。
わたしが見聞する限り、そうした方は少数派です。
なぜそのようにお考えになるのか。
話を総合してみると、
「生徒が英語の本文の和訳を丸写し、あるいは見ただけで分かった気になってしまうから」
ということのようです。
確かにそういう生徒がいないわけではありません。
しかし、それはそういう使い方をする人に問題があります。
率直に申し上げて、英語の本文の和訳を丸写ししたり、見ただけというのは、勉強に値しません。
こういうことをやっている当の本人が、このことを一番わかっているはずです。
なにしろ、頭の働いている要素がゼロですから。
こういう使い方をしている人が試験を受ければ、結果の良いはずはありません。
およそこの世の中のものは、「100%悪」「100%善」というものは、ほとんどお目にかかりません。
先ほど申し上げたような使い方をする生徒が出てくるというマイナス面はあります。
が、わたしは全体を見渡せば、英語の教科書ガイドのプラス面のほうが大きいと考えています。
成績upのヒント!
教育コラム「雨か嵐か」