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今日8月1日は、教育コラム「雨か嵐か」の誕生日です。
菊池特訓塾の前身「プロ家庭教師菊池」として、ホームページをリニューアルし、コラムの連載を始めたのが2013年8月1日でした。
ホームページの認知度を上げるため、何かやろうかと考えた結果です。
「1日1コラム」ただし、「週休二日」からスタート
→2014年1月から「週休一日」
→2015年2月から「月月火水木金金」
途中、入院したりして、休止することはありましたが、あれから10年...
いや~ よくも続いたものです。
ただ、10年前と比べて、YouTube動画が随分と浸透してきています。
そして、文字によるコラムの力は、ここ数年、以前ほどではなくなりつつあります。
とはいうものの、文字情報は文字なりのよさがあります。
そのようなことを踏まえながら、
「ホームページ上のコラム」
「YouTube動画」
「Twitter」
をベースに発信を続けていきます。
発信については、これまで以上にガッチリ・しっかり取り組みます。
というのも、今年は、指導形態をこれまでの家庭教師から、塾という風に改めたからです。
やはり、塾と家庭教師とでは、勝手が違います。
そんなこんなで発信のペースをこれまで通り、維持していきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
約2週間ほど前、このような記事が「河北新報」に掲載されていました。
東北学院大学(=以下、「学院大」と書きます)についてです。
記事の内容は、学院大のキャンパスが五橋に来たことで、地下鉄の五橋駅に人があふれているというものでした。
学院大は、このところ、人気が上がっています。
学院大に限らず、校舎が新しくなると、その学校は人気の出る傾向があります。
ここで言う「人気が上がる」というのは、入試の際、志願者が前年、前々年などに比べて多くなるということです。
志願者が増えれば、難易度は上がります。
学院大は、県内の幅広い高校から、合格者・入学者が出ています。
ただ、「ボリュームゾーン」としては、偏差値50あたりの生徒さんが、第一目標にする、という感じです。
「偏差値50あたり」というのは、公立で言えば、東高・多賀城高校・仙台高校といった学校です。
そうした現状を見て、まず「この点を踏まえていただきたい」というポイントをひとつ記します。
それは、
「合格を第一目標とする受験生と、入学を第一目標とする受験生では、入試戦略の立て方が違ってくる」
ということです。
同じように見えますが、この二つはまるっきり違います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、
「合格を第一目標とする受験生と、入学を第一目標とする受験生では、入試戦略の立て方が違ってくる」
と述べました。
学院大の場合、入試に合格することと、入学することとは違います。
例えば、山形大や宮城大を第一志望とする受験生は、学院大を「併願校」、平たく言うと「滑り止め」にすることが多くあります。
この場合、山形大・宮城大に受かってしまえば、合格しても学院大には行きません。
逆に、高校の推薦を受ける場合などは、受かれば学院大に入ります。
こういうケースが、「入学を第一目標とする受験生」となります。
学院大の人気がアップして、
「そうなのか!
ライバルが多くなるんだね!
うわ~ どうしようか???」
このように思う受験生は、基本的に学院大への入学を第一目標にしています。
「高校偏差値=50あたりから下」の高校生というところでしょうか。
こうした受験生は、推薦入試を多く使います。
普通にペーパーテストを受ける受験生の割合はグッと少なくなります。
というのも、普通にペーパーテストを受けたのでは、入学できない受験生が相当数いるからです。
そうなると、普段の定期試験でしっかり結果を残し、高い評定を得ておくことが必要となってきます。
生徒さんの試験答案、あるいは、問題演習のテキストを見ていると、気付くことがあります。
それは、問題を解くとき、答案・テキストに書き込みをする生徒さんが、ほんとうに少ないということです。
例えばこういう問題のときです。
Aくんが、X地点から、Y地点を経由して、18km先のZ地点へ向かいます。
X地点からY地点までは、時速3kmで歩いていましたが...
この手のものは、勉強苦手度が増せば増すほど、答案は白く、きれいです。
ほぼ考えている形跡がありません。
洗濯物であれば、白くてきれいなのは大歓迎です。
が、試験の答案となると、それは「考えた形跡がない」となります。
事実、上位層になればなるほど、いろいろと書いてあります。
そして、トップのトップとなると、書き込みは割とアッサリしてきます。
このように、数学では、何かしら書き込みをしている場合をよく目にします。
一方、国語の長文となると、数学とは事情が違ってきます。
上位層に行っても、本文に書きこんでいる生徒さんは、数学ほど多くありません。
とにかく、答案が数学以上に白くてきれいなのです。
そして、手を動かすことなく、問題を読み切れずに、間違いは累々となってしまっています。
わたしとしては、大いに不満です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
もとより、わたしとしては、生徒さんがしっかり点を取れていれば、やり方に口を出さないという主義です。
それは、数学・国語、いずれも同じです。
ただ、そういう生徒さんは、100人中1~2人がせいぜいです。
一方、点が取れていなければ、わたしの教えた方法を、まずはしっかりやってほしいと指導しています。
わたしが国語の読解問題の指導をするとき、下読みの段階では、↓のようにしています。
これは、わたしが国語の読解問題を解いているときにやっている方法と基本的には同じです。
ただ、指導する上でやることと、問題を解ければよいときとは、少し書き込みの内容は違ってきますが...
ところが、多くの生徒さんは、数学こそ補助線を引いたり、問題に書き込みをすることがあっても、国語はほとんどが「真っ白」状態です。
そんなわけで、わたしは国語の問題を読む上で、自分がどのようにその問題を読み砕いていったか、下読みの実物をときどき生徒さんに示しています。
この方法について、詳しくは、
「国語 読解 線を引く」
というようなキーワードでネット検索をかけてみてください。
文字の情報から、YouTube動画まで、ラインナップはかなり豊富です。
先般、中学生に英語の指導をしながら、ふと考えたことがあります。
「こんな感じで、中学の英語が難しくなっちゃうと、指導も大変だなあ~
前に増して英語嫌いが多くなりそうだし...
ところで、英語嫌いな人って、なんで英語が嫌いなのかなあ?」
わたしの場合は、中高校生のころから、英語とは「比較的いい関係」です。
それが高じて、ほかの外国語に手を出したりするなどしています。
「数学が好きで好きで仕方がない」という数学好きがいるように、わたしも「語学好き」なのでしょう。
ですから、「英語嫌い」という生徒さんの気持ちは、ほんとうの意味で分からないのかもしれません。
ただ、わたしなりに、そういう生徒さんを見ていると、
「たぶん、原因はこれだろうな」
というのはあります。
それは、90%以上の確率で、「英語のルールがよく分からない」というものです。
残り10%くらいは、「英語の単語がよく読めない」。
「英語のルール」というのは、つまり「文法」というヤツです。
「英語嫌い」という生徒さんには、英語の勉強が始まって間もなくあたりに習う文法に、何かしらの穴・不十分なところがあります。
「英語の単語がよく読めない」というレベルですと、学習障害など、発達障害の可能性も考えられます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
彼らがたどるコースはこんな感じです。
.....最初のうちは、何とか学校の授業にもついていけた
でも、授業が進むうち、
Are you...?
Do you...?
Does he...?
Is he...?
などというのが、ゴチャゴチャ出てきた。
どう使い分けていいのやら、よく分からない。
そんなこんなで英語が分からなくなった。
単語もいっぱい出てきた。
だから、あっさり英語とは縁を切りました。
分からなくなっても、試験で悪い点を取るだけだ。
日本人だから英語なんて、一生懸命にやらなくても、別に困らないでしょ。
ここで大切なのは、
「ゴチャゴチャ出てきて、どう使い分けていいのやら、よく分からない」
というところです。
英語の学習で一番大切なのは、
「最初に習うところを100%にしておく」
ということです。
99%であっては、学習が進めば進むほど、ボロ・ほころびが出てきます。
確かに、英語の最初のほうは、そんなに難しく感じません。
しかし、ここで手を抜いたり、100%の理解をしておかないと、のちのち大きなしっぺ返しがきます。
逆に、100%の理解をしておけば、いくら「ゴチャゴチャ出てきて」も、うろたえることはありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ですから、英語嫌いになるか、ならないかは、英語の学習が始まったばかりのころに決まります。
それを決めるのは、
「英語のルール、つまり文法への理解」
です。
これをみっちりと叩き込む必要があります。
練習問題を数多く解きながら。
そして、教えているほうがウンザリするくらい、同じことを繰り返し、繰り返し指導・演習していかなくてはなりません。
英語ビギナーの段階で、この「ウンザリ・みっちり演習」をすれば、英語嫌いになる確率はかなり下がります。
そして、その後に新しいことを学んでも、しっかりとした文法の土台があれば、少しの労力で吸収・克服が可能です。
単語の記憶についても、
「英語というのは基本ルールがある。
それが分かれば、克服可能だ」
と思えば、単語を覚えていこうという気にもなろうというものです。
ところが、学校で行われている英語の授業の様子を生徒さんに聞くと、英語のルールをみっちり叩き込む環境にはなっていません。
学校の授業の性質上、それも致し方ないところです。
とはいえ、テストではきちんと設問で問われます。
ですから、「文法のウンザリ・みっちり演習」は自力更生をするか、わたしのような塾の出番となります。
先日、生徒さんとの話で、テストの間違いについて、次のようなことを伝えました。
今回は、それをそのままコラムにしてみます。
以下、わたしの独白です。
.....わたしが生徒さんの問題演習を採点していると、同じものを同じように何度も間違ってる人って多いんですよ。
その生徒さんの能力にもよりますが、そもそもその生徒さんに手が届きそうもないような問題を解けとは言いません。
無理なものは無理ですから。
でも、わたしが言っているのは、無理な問題というわけではなくて、ちょっと注意すれば、ちゃんと正解するような、そういう問題のことを言ってるんですよ。
そういう問題をミスしてる生徒さん、ホントに多いんですよ。
もったいないことに。
こういうやり方で、こうやって解くと、正解することが多くなるから、
「これこれ、こういう風にやって解くといいですよ」
ってアドバイスしても、なかなかその通りにはしてくれないんですよ。
特に勉強が苦手な生徒さんほど、そうですね。
これも今のうちなら、いいんです。
テストの問題をミスしたところで、自分が困るだけですから。
でも、学校を卒業して仕事をするようになると、そういうわけには行かないんですよ。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしはこの仕事をやる前、会社員をしてたんですよ。
大学を卒業してから、そこに入社しました。
配属先は総合管理室って言って、社長が使う資料とか、そういうものを作ってたんです。
社長とか、偉い人が使う資料だから、絶対に数字、間違えられないでしょ。
だからわたしも、ミスがないようにどうすればいいかっていうのは、注意はしてました。
でも、社会人になると、「ミスがないようにどうすればいいか」なんて、誰も教えてくれないんですよ。
ミスをすれば、したで、それが重なれば、
「菊池は使えない人間」
って言われてオシマイです。
もちろん、わたしも学校にいたときから、テストでミスはしないように自分で工夫はしてました。
でも、会社に入ってからの「ミスをしないように」っていうプレッシャーは、学生のころとは全然レベルが違うんですよ。
学校の頃のテストで、自分のミスは自分に返ってくるだけです。
でも、会社に入ると、自分がミスすれば、ほかの人とか、上司とかにも迷惑がかかるんですよ。
同じミスでも、謝れば済まされる場合と、済まされない場合が出てくるんです。
ちょうど、野球なんかで、同じミスでも、何とかなるものもあれば、エラーをして、そのエラーでチームが負けるなんて言うこともあります。
それと同じです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学校のテストでミスをするのと、社会に出て仕事をしているときにミスするのとは、ちょっと性格が違うかもしれません。
ちょっと注意をすれば防げるミスを、何度も同じように繰り返したとき、学生の頃なら許されるんですよ。
テストで悪い点を取れば済みます。
でも社会人になると、許されない場合もあれば、許されても信用がなくなるんですよ。
わたしも、仕事をしていて、
「この人の仕事、なんでこんなにいい加減で、雑なんだろう?」
って、思うとき、あります。
塾ではいろんな人が関わりますから。
で、そういう人っていうのは、学校にいたときも、きっと同じようだったんだと思いますよ。
誰でもそうでしょうけど、同じことを同じようにミスする人に、仕事を頼みたいって思います?
だから、わたしがしているアドバイスも、
「ああ、次からはきちんとやろうな」
「同じことを注意されて許されているのは、学生のうちだけなんだな」
「授業のときのことは、聞き流しちゃいけないんだな」
って、思ってもらうと、今までよりは必ず成績が上がっていきますよ。
.....生徒さんには、だいたい↑のようなことを伝えました。
生徒さんには、少しでも結果が出てほしいです。
さて、本コラムをお読みの方は、どのようにお感じになりましたでしょうか???
7月24日から行った夏期講習、終わりました。
「こないだ始まったばっかりなのにな~
毎年のことだけれど夏休みって言うのは、あっという間に過ぎちゃうな~」
というのが、正直な感想です。
講習は↓のような感じでやっていました。
これらの写真は、すでにTwitterにアップしたものもあります。
今回は板書などの様子のみアップします。
ほんとうは人がいる様子などをアップしたかったのですが...
今回はこういう写真のみにします。
わたしが夏期講習中に気を付けていたことは、
「いかに教え過ぎないようにするか」
「生徒さんが頭で考え、手を動かすのをいかにしてサポートしていくか」
です。
これは、普段の指導のときもそうです。
わたしの第一の仕事は、勉強を教えることではありません。
生徒さんの成績を上げることです。
勉強を教えるのは、生徒さんの成績を上げる手段です。
目的ではありません。
この点を夏期講習中も留意していました。
今後もこの姿勢は変わりません。
この講習が、夏休み後の学習につながればと、本当に念じています。
菊池特訓塾は、本日、「メンテナンスの日」です。
明日から15日まで、教室での指導・コラムはお休みです。
16日からは、「通常指導」・コラム再開となります。
先日の話です。
指導中、中学生の生徒さんとテストの話になりました。
その生徒さんは、中学受験を経験し、今はある中学のトップ層にいます。
その生徒さんは次のように言います。
・・・どうして小学校のテストってあんなに簡単なんですか?
中学になると、定期テストは小学校のテストよりずっと難しくなります。
小学校でも中学のようなテスト、あったほうがいい。
あらまし、このようなものです。
「小学校のテスト」というのは、小学校で単元終わりに行われるテストのことを言っています。
受験業界では、これを「カラーテスト」と呼んでいます。
その生徒さんの意見を聞いて、わたしの感想は、
「ま、そりゃ、そうだ!」
その生徒さんは、中学受験をしています。
そのため、小学校時代はかなり難しい問題にも取り組んできました。
そういう経験があった上での、
「小学校でも中学のようなテスト、あったほうがいい」
ということだったのでしょう。
小学校と中学では、教育目標が違います。
加えて、小学校は1年生から6年生までいます。
ですから、小1の生徒さんにも定期試験を実施するというは、さすがに無理があります。
小学校に中学のような定期試験がないのは、そうした理由なのでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
小学校のころから塾に通っていれば、塾内でさまざまなテストを受けます。
行きたい中学によっていろんな模擬試験があります。
しかし、模擬試験はどこまで行っても、模擬試験です。
学校で行う試験と、塾で行う試験とでは、生徒さん・ご父兄の受け止め方は違ってきます。
学校の試験のほうは、塾のそれと比べても、ずっと権威があるように受け止められます。
「権威がある」というのが言いすぎであれば、学校の試験は、生徒さん・ご父兄により重く受け止められます。
そして、小学校のカラーテストと中学の定期試験の間には、大きなギャップがあります。
カラーテストにおいては、他の生徒さん、あるいはヨソ様のお子さんに比べて、自分あるいは我が息子・娘がクラスの中でどのくらいの立ち位置にいるのか、まるで分からない仕組みになっています。
「テストの結果は80点でした!」と言っても、クラス平均が実は85点かもしれません。
そうなると、「80点だからまあまあできた」とはなりません。
そこがブラックボックスです。
中学に入学した時のことを考えると、小5・小6くらいになったら、定期試験の導入ということがあってもいいような気はしています。
現実的には、難しいかもしれませんが。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
小学校で単元終わりに実施されるカラーテストは、小学校の教育目標には合っているのでしょう。
生徒さんたちがいつまでも小学生のままなら、これでもいいです。
しかし、彼らが小学校を卒業すると、中学ではテストが小学校と違ったルールで行われます。
その結果...
「中学になったら急にテストの点が悪くなった。
小学校のころまではそんなに悪くなかったのですが...」
このように言って、塾の門をたたくご父兄は少なからずいらっしゃいます。
わたしも、塾をやる前、家庭教師をしていたころは、そのような「中1案件」は、数多く経験しました。
ご父兄は、
「中学になったら急にテストの点が悪くなった。
小学校のころまではそんなに悪くなかった」
とおっしゃいます。
しかし、ほんとうのところは、小学校時代ですでに「かなり悪くなっていた」のです。
ただ、カラーテストの性質上、それに気付けなかったということなのです。
それは、中学の先生・ご父兄・生徒さん、それぞれにとって不幸なことです。
そのようなことが少なくなるためにも、小学校のカラーテストがもう少し差がつくものになればと感じます。
そして、定期試験が何らかの形で実施されればいいなとも。
う~ん。
現実には難しそう...
今回のコラムでは、生徒さんからの質問について取り上げてみます。
目的としては、生徒さんがうまくわたしのような受験指導者を活用して、成績アップしていくことにあります。
さて、生徒さんからの質問というとき、そもそも質問をする生徒さんというのは、ほぼ決まっています。
決して多くありません。
そして、質問をしてくるのは、上位層に偏っているかと言えば、そういうわけでもありません。
こういうのは、たぶん、学習の習熟度、つまり「お勉強がどのくらいできるか」より、生徒さんの性格的なものに起因するのだろうと感じています。
一般論として、教える側として、質問があるというのは、うれしいものです。
ただ、その質問があまりにたくさんだったりすると、必ずしもそうでない場合はありますが。
また、質問の内容によっては、歓迎されるものと、歓迎されないものがあります。
パターンとしては、↓のような感じです。
〇この部分のこの解説の書き方がいくら読んでも理解できません。
どういうことを言っているのでしょうか?
→歓迎されるパターンです
☆質問をする前段階として、自分なりに頭を使って、理解しようという姿勢がうかがえます。
「まず自分なりに頭を使う」というところが大切です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
〇「この単元~~が分かりません」
→あまり歓迎されないパターンです。
以前、家庭教師をしていたころには、こういうパターンの質問によく遭遇しました。
質問をしてきた生徒さんへ、「単元~~」の具体的にどの部分が分からないのか尋ねると、
「なんとなく、この単元が全体的に...」
このように、質問の個所が曖昧です。
要するに、これは勉強不足、あるいはほとんど勉強をしていない証拠です。
☆もし、勉強をした上で、質問をするのであれば、このような質問はしません。
「単元~~の、ここまでは分かったのですが、△△の部分以降が、よく分からなくて...」
→このようになるはずです。
〇「江戸幕府って何年にできたんですか?」
→これも歓迎されません。
なぜなら、教科書の該当箇所を読めば、すぐに答えは書いてあるからです。
こういう質問のとき、わたしは教科書や資料集の該当ページを指して、生徒さん自身がそれを読むように促します。
わたしが質問に対して、何でも答えるのは簡単です。
わたし自身も何となく、仕事をした気になります。
しかし、「生徒さんの成績アップ」ということを考えると、わたしをグーグル検索の代替品として使うのは、生徒さんのためになりません。
質問も、成績アップのための一里塚です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ときどき、わたしは生徒さんからの質問を指して、
「それ、いい質問ですね~」
というときがあります。
「いい仕事してますね~」
という某テレビ番組に出てくる鑑定士先生やニュース番組解説者のノリで。
わたしがいう
「それ、いい質問ですね~」
というのは、分からないことの結果より、なぜそれがそうなるのかというプロセスを尋ねてくる質問のときです。
この手の質問というのは、質問の内容について、周辺事項を含めてしっかり勉強をしてこないと、出てこないからです。
例えばこんな感じです。
「鎌倉幕府って、教科書には執権しか出てこなくなりますが、将軍っていなかったんですか?
いたとしたら、将軍って何をしてたんですか?
江戸幕府では、ずっと徳川が将軍をやっていて、教科書にもずっと出てくるのに」
これに答えることができるかどうかは、質問を受けた指導者の力量にかかっています。
生徒さんは、そのあたりのところもキッチリとこちらを見ています。
当然のことながら、わたしもすべての質問に答えられるわけではありません。
「次回の指導までの宿題」になることもあります。
わたし自身は、生徒さんから「いい質問」をされるのが大好きです。
自分の勉強にもなりますので。
いい質問をして、精いっぱいわたしを使い倒してほしいものだと思います。
今回の題目は、表題にある通りです。
わたしはこれまで10年以上にわたって、コラムを書き続けてきました。
そうした中で、この種の話題を書くのには、非常に心理的な抵抗がありました。
ただ、先般来、「あってはならない事件」が大手学習塾で起きてしまいました。
そこでこのたびは、この種のことに対して、塾側はどう考えているか、わたしはどうしてきたかを記します。
さて、先ほど述べた「あってはならない事件」とは、↓のことです。
↑に示した記事をお読みいただいたうえで、以下、お付き合いください。
そもそも、塾側としては、この種の事件については、非常に神経質になっています。
大手ですと、講師に採用される段階で、性犯罪はもちろんのこと、セクシャルハラスメントになりそうなことをしてはならないと、言われるはずです。
そして、それに関する書類も書かされると思います。
この種のことが起きてしまえば、その塾の暖簾にかかわります。
それは経営が傾くことを意味します。
実のところ、塾講師による性犯罪は、これまでもありました。
今回、それが大きく取り上げられたのは、
・犯人が業界大手の塾講師だったこと
・事件の内容が、極めて悪質だったこと
です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
事件を受けて、四谷大塚は再発防止策を発表しました。
父兄がスマートフォンなどで、授業をリアルタイムで確認できるようになるといいます。
つまり、「常時授業参観」の状態になるというわけです。
これはこれで、別の問題が出てくるのではないかという指摘が、各所からされています。
ただ、
「じゃあ、こういうものを導入する以外に、ほかに方法はありますか?」
と反問されると、
「ウッ...」
と口ごもってしまいます。
八方が丸く収まるというシステムというのは、なかなかに編み出すのが難しいです。
「再発防止策と言っても、あとは講師側の良心とモラルに頼るしかない」
というのが、現状です。
また、こういう事件の再発防止策として、日本版DBS証明書がスタートする旨、報じられています。
このシステムは、性犯罪の前科がないことをオンラインで証明します。
そして、一定の業種に就くときには、この証明書の提出を義務付けるというものです。
記事によれば、学習塾は「提出義務の対象外」になっています。
それがまた世間様の憤激を呼びました。
「なぜ学習塾を義務から外す???」
という声が相当に高かったようです。
わたしも
「あれ? なぜだろう?」
と思いました。
この感想は、他の塾関係者の方々も同じだったようです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ただ、このように学習塾が義務から外れたのには、理由があると思われます。
というのも、学習塾の講師には免許が要りません。
それから、開業にあたって、法的な規制もありません。
ここが、今回「提出義務あり」とされた学校・保育園の先生方に対する事情と一番大きな違いです。
早い話が
「学習塾とは何かということが法律で決まっていないのに、法律で枠をはめようがない」
ということです。
ただ、前回のコラムで紹介した記事に続いて、↓のような記事が発表されました。
学習塾には義務を課さず、日本版DBSシステムを利用してもらうというものです。
このシステムは、学習塾で「事実上のスタンダード」になるでしょう。
塾業界は、諸手を挙げて賛成するはずです。
塾側としても、こういう犯罪で前科のある人物を雇いたいとは思いません。
雇うとき、当人が前科を隠してしまえば、塾としては、防ぎようがありません。
ただ、学校で生徒と「不適切な関係」になって、免職・依願退職となった経歴のある人物を、このシステムでシャットアウトすることはできません。
これは、法的に犯罪ではないので。
とはいえ、このシステムで、「少しでもよくなる」ことは間違いありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたし自身に関して申し上げますと、
「生徒さんには触れない。
誤解されるような話はしない」
ということでやってきました。
わたしは、世間様から見れば、いい年をしたオッサンでしかありません。
そうした属性を考えると、何かあった場合、世間様からまず疑われたり、悪者にされたりするのは、わたし自身です。
いい悪いでなく、そういうものでしょう。
痴漢行為の冤罪事件で、無実を証明することがいかに難しいかを考えると、この点、お分かりいただけるのではないでしょうか。
ですから、生徒さんに誤解を受けることがあってなりません。
それは「李下に冠を正さず」というフレーズの通りです。
これはたぶん、わたし以外の塾関係者の方々もほとんどは同じだと思います。
ただ、極めて少数そう考えない人間が紛れ込んでいるようです。
そのため、こちらとしても非常に迷惑千万な話です。
事実、昨年わたしは、今回の件とは違いますが、ある受験関係者が逮捕された件で、非常に迷惑したという経験があります。
「こういうこともあるのか...」とビックリしたり、グッタリしたりしました。
そうしたこともあり、今回のようなことがあると、わたしの思いを書かずにいられなくなり、今回のコラムとなりました。
しばらく前、↓にある記事を目にしました。
これを目にしたとき、
「お!お!お!」
「やっぱりそうなるか...」
という二つの感想を持ちました。
記事にある東京の麹町中は、新進気鋭の校長先生が、定期試験廃止などを打ち出しました。
これらの改革は、非常に注目を集めました。
「中学では当たり前と考えられているもの」
を改めたからです。
そして、このような「麹町中方式」は、一部ではありますが、取り入れた中学校があります。
実のところ、今年度から、県内のとある中学でも、定期試験が廃止されました。
この中学のことは、ある受験関係者の方から先日、いろいろと話を伺いました。
ところが、それから程なくして、この改革の総本家である麴町中が、先祖返りしてしまいそうだという記事を目にしたという訳です。
わたしがビックリしたのは、そういう理由からです。
そんなわけで、県内のとある中学校は、この先どうなっちゃうんだろうなという感想を持ちました。
さらに、わたしが感じたのは、
せっかく「改革」を始めたばかりなのに、言い出しっぺの中学が、「いち抜けた!」をしてしまうなんて...
ということでした。
「定期試験廃止」というのは、中学の現状を考えると、非常に難しいようです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
定期試験をなくした、県内のとある中学校(=以下、「A中学」と書きます)については、ある受験関係者の方(=以下、「B先生」と書きます)から、詳細を伺いました。
定期試験の廃止については、どういう効果があるか、A中学で試験的にやってみたそうです。
事実、A中学の年間行事予定表をネット検索してみると、「中間考査」「期末考査」というものが存在しません。
わたしには、非常に斬新に見えました。
しかし、「実力試験」というのはあります。
これは、各中学で「プレ高校入試」という感じで、広く実施されています。
で、B先生がおっしゃるには、
「定期試験がなくなってしまい、A中学の生徒には不評」。
わたしは、てっきり定期試験がなくなって、生徒は大喜びしていると思いきや、そうではなかったようでした。
つまり、定期試験はなくなったものの、それに代わって単元テストなどが評価の対象となっているそうです。
そのため、定期試験の回数が実質増えた感じで、負担が大きくなったというのです。
この「単元テスト」は、単元が終わるごとに、ほとんどの中学で実施されています。
業者が作る「ミニテスト」という感じのものです。
問題自体は、定期試験に比べてかなり易しめの印象です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、
「定期試験がなくなってしまい、A中学の生徒には不評」
と書きました。
ただ、これはある一定レベル以上の生徒さんの反応という気がしています。
付け加えると、定期試験がなくなってしまい、喜んでいる生徒さんもきっといるのでは...と感じています。
というのも、B先生のお話によれば、A中学は受験に熱心な中学とは逆の方向を向いているところだそうです。
ちなみにA中学の付近にある公立高校は、軒並み定員割れ、もしくは定員ギリギリです。
その点が、「定期試験廃止の言い出しっぺ」である麴町中とは大きく違うところです。
麴町中は、仙台で言えば、五橋中・上杉山中に当たるでしょうか。
となれば、
「定期試験廃止=さすがにテスト前くらいは少し勉強していたのが、それさえもなくなる」
という感じになってしまったのではないかと勘繰ってしまうのです。
そして、それがご父兄の不評を買っているのではないかとも思ってしまうのです。
いくら「ミニテストなどで成績を出している」と言っても、定期試験とミニテストでは、生徒さん・ご父兄の受け止め方は、まるっきり違います。
定期試験の持つ「重み・権威」は、ミニテスト(あるいは単元テスト)に比べると、非常に大きいものがあります。
生徒さんの成績アップを実現していく上で、「生徒さんをどのように褒めていくか」というのは、大きなキーになります。
受験関係者の中には、
「自分は滅多に生徒を褒めない」
と公言する方もいらっしゃるようです。
ただ、それは指導に当たる際に、それぞれのスタイルが違うゆえです。
そのようにおっしゃるというのは、逆に申せば、
「生徒さんの成績アップを実現していく上で、『生徒さんをどのように褒めていくか』というのは、大きなキーになる」
ということをお認めになっているということです。
わたしは自分でどういうタイプなのかと言うと...
「生徒さんによって使い分けている」
という感じです。
それは、その生徒さんの成績、性格、本来持っていると思われる能力、などをいろいろ判断して、
「その生徒さんに最も適していると思われる褒め方、あるいは褒めない方法」
を考えています。
それが吉と出るか、凶と出るかは分かりません。
いずれにしても、結果として生徒さんの成績アップがなされればOKです。
そこで考える必要のあるのは、
「褒め方として、結果を重視するか、プロセスを重視するか」
です。
これがなかなかに悩みの種です。
「結果重視、プロセス重視」とはどういう意味かは、次回に詳しく触れます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「結果重視」というのは、結果(=得点)がしっかりできていれば、それでOKという考え方です。
「プロセス重視」というのは、結果がよくてもプロセスが悪ければ、それを認めないという考え方です。
さらに、結果が悪くとも、プロセスがよければ、ある程度それを認めるということでもあります。
わたしの場合、基本的には「結果重視」です。
言い換えると、
「当たっているのであれば、どういう求め方をしてもOK」
というものです。
例えば、数学の解き方で、わたしが指導した方法ではないやり方で解いても、生徒さんが正解している限りはそれを認めています。
そして、それが褒めるに値することであれば、
「よくできました」
「頑張りましたね」
という言葉を添えます。
しかし、結果が悪ければ、「教育的指導」の対象になります。
例えば、数学の解き方で、わたしが指導した方法で解いても、結果として正解にならなければ、基本的に認めることはありません。
だいたい世の中というものは、そういうものです。
結果がよければOK...
結果が悪ければダメ...
特に当塾のように「上位公立高狙い」を目標としている受験指導ならば、当然そうなります。
入試はあくまで「結果」、つまり正解か不正解かで判断されるからです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
とはいうものの、何事にも例外はあります。
例えば、学習苦手系の生徒さんの場合です。
「結果として正解にならなければ、認めない」
ということばかりをしてしまうと、彼らの立つ瀬がなくなってしまいます。
そうなってしまうと、彼らのやる気にもかかわってきます。
能力の差というものは、個々人バラバラです。
大した努力をしなくても、できる生徒さんがいます。
一方で、一生懸命にやっても、なかなかできるようにならない生徒さんがいます。
指導をしていると、そのあたりは、実によく見えてきます。
そして、それは実に残酷なものです。
彼らなりに努力をしていると思えるときには、結果はよくなくても、そこに至るプロセスは褒める場合があります。
「答えとしては間違っていますが、この部分でこういう書き方をしているのは、頑張って勉強してるっていうことですね。
そこは認めます。
次からは正解できるよう、頑張りましょう」
という具合です。
結果として、正解をしていないのですから、試験のための学習としては目標を達していません。
ただ、一方で、彼らの努力も
「努力の跡は認める」
と言えば、次につながる可能性はあります。
わたしが生徒さんの褒め方に留意するのは、成績アップのためです。
褒め方ひとつで、生徒さんの成績が上向けば、しめたものです。
成績upのヒント!
教育コラム「雨か嵐か」
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