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しばらく前、ある方からこのようなことを聞きました。
・・・「みやぎ模試」ってありますよね。
その偏差値を見ていて、ちょっと驚いたんです。
二高が68とか、一高が66とか、なんでそんなに高い数字が出てるのかって。
「四谷大塚」の模試だと、二華中でもだいたい60前後くらいが「ボーダーライン」って出てきます。
青陵だともう少し低いです。
「みやぎ模試」って、そんなに難しいんでしょうか。
二高とかそういうところに入るには、二華中より大変なんでしょうか?・・・
このところ、「偏差値」という言葉は、ご父兄の間でもかなり認知されているようになっています。
ただ、ご父兄としても、いまひとつよく分からないところがあるというのが実情のようです。
以下、質問にお答えします。
(質問1)
「二高に入るには、二華中より大変でしょうか?」
<回答>
二華中のほうが大変です。
(質問2)
「どうして『みやぎ模試』は『四谷大塚の模試』より高い偏差値が出るんですか?」
<回答>
「四谷大塚の模試」は、優秀な生徒さんが多く受けています。
一方、「みやぎ模試」は優秀な生徒さんから、「お勉強苦手」系の生徒さんまで、幅広く受けています。
このため、「数字のマジック」が出てきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そもそも「偏差値」というのは、
「試験を受けている人たちの中で、どのくらいの順位にいるのか」
を示すものです。
ですから、「偏差値60」と言っても、
「あくまでその試験を受けた人の中で、偏差値が60でした」
という意味です。
「○○模試では偏差値60だったが、△△模試では偏差値40でした」
ということもあり得えます。
言い換えると、二高の「校内1位」と、「お勉強苦手系高校」の「校内1位」とで、同じトップでも訳が違うようなものです。
「四谷大塚の模試」は、二華中・青陵中を目指す優秀な生徒さんが多く受けます。
一方、「みやぎ模試」は、優秀な生徒さんから、「お勉強苦手」系の生徒さんまで、幅広く受けています。
となれば、優秀さが目立つのは、「みやぎ模試」のほうです。
「偏差値が高い」というのは、「どれだけ優秀さが目立つのか」という意味です。
そのため、「みやぎ模試」を受けたほうが、同じ受験生でも偏差値は高くなります。
よって、二高の「みやぎ模試」偏差値68が、二華中の「四谷大塚の模試」偏差値60より優秀ということにはなりません。
前回のコラムで、「偏差値には『数字のマジック』がある」と書いたのは、そういう意味です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、模擬試験は志願者全員が受けているわけではありません。
例えば、「みやぎ模試」。
こちらは、県内の多くの塾で実施しています。
しかし、最大手「進学プラザ」系の塾では、「みやぎ模試」を受験しません。
そういうときに、受験生やご父兄が困らないよう、「偏差値」があります。
「○○高校 ボーダー60」
という数字は、模試を受験しない生徒さんたちのことも考えて作られています。
ですから、
「この模擬試験、受けない人のことは考えなくて大丈夫?」
というような心配は不要です。
わたしが中学生のころには、「宮城学習会」「みちのく学習会」模試がありました。
これが、学校で実施されていたのです。
そのため、受験生がほとんどこの模試を受けていました。
その意味で、実に精度の高い模試だったのです。
この模試の結果が、学校での進路指導の目安として使われていました。
このころの模試には、「偏差値」というのが、表示されていなかったように記憶しています。
表示されていたのは、志望校別の順位でした。
受験生のほぼ全員が受けていたので、偏差値は必要なかったのでしょう。
今後、模試を受験したときは、今まで述べたことにご留意いただき、偏差値の数字をお読みいただければと思います。
表題にもある通り、昨日、二高の文化祭「北陵祭」に行ってきました。
わたしは、高校受験を予定している生徒さんに、なるべくオープンキャンパス・文化祭を見てくるように話しています。
ところが、当のわたしが高校の文化祭には、しばらく足を運んだことがありません。
たまたま仕事の合間で時間が取れたので、「北陵祭」がどんな感じか、行ってみました。
わたしが今回、いちばん知りたかったのは、
「どういう人たちが来ているか」
ということでした。
一番多かったのは、「高校生らしき人」
二高は制服がありません。
ですから、在校生なのか、他校生なのか、区別がつきません。
ただ、他校生もいる雰囲気でした。
見ると、中学生らしい人はほとんど見かけません。
「もうすぐ期末テスト」ということで、塾の講習に行ったりしているのでしょうか。
ほんとうは、二高を志望する中学生がもっと行くといいんでしょうけれど...
多く来ていたのは、たぶん、在校生のご父兄。
そして、そのご父兄と一緒に来ていた小学生くらいの子供さん。
在校生の弟君、妹ちゃんでしょうか。
彼らは「将来の二高生」となる可能性は非常に大きいです。
そうした意味で、「早めの情操教育」は効果がありそうです。
日曜の午後のひと時、有意義な時間を過ごすことができました。
今回のコラムは、生徒さんたちの点数を○○点アップさせる、という内容ではありません。
結論としては、受験学習というのが、種々の情報に騙されないためにも役に立つということです。
さて、本題です。
12年前に発生した震災に伴う福島原発事故の「処理水」を、海に流すという措置を巡って、様々な意見・情報が飛び交っています。
Twitterなどでも、それらを目にします。
ところが、「処理水」を海に流すことに反対している人たちの中に、マユツバものの「科学的な根拠」を基に、発信している人がいます。
さらに、都合のいいところだけを切り取った「科学的根拠」も見受けられます。
結局のところ、こうしたものが原因となって、福島はさらに苦しんでいます。
あの震災を経験した東北の人間として、「福島いじめ」とでもいうべき事態に、義憤を感じています。
そこで、今回、このようなコラムを書こうと考えました。
そもそも一般的な話として、
わたしたちは「科学の世界ではこうなっている」
と言われると、十分な知識がなければ、
「そういうものか...」
と納得してしまいます。
特に発信者が
「トリチウム、ストロンチウム...」
という単語や
「○○大学教授」「財団法人○○研究所長」
という肩書を伴うと、その効果は大きいです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そういうエラい肩書の人が、ごく少数ながら、都合のいいところだけを切り取った「科学的根拠」を述べることがあります。
彼らは「世の中をこうしたい」「世の中がこうであってほしい」という自分の願望を満たすために、おかしな「科学的根拠」を述べます。
そうした場合、自分の頭で考える力がなければ、おかしな「科学的根拠」に惑わされてしまいます。
わたしは文系の人間です。
ですから物理・化学...のような理系の科目は、さほど知識があるわけではありません。
しかし、受験勉強で知識を詰め込んでおけば、ある「科学的根拠」が、変なものか、そうでないのか程度のことは何とか判断できます。
受験というのは、そういうものにも役に立ちます。
「科学」を押し立てた主張に対して、「そりゃ、ちょっと変でしょ」と判断できるわけです。
「科学」に騙されないためにも、自分の頭で考える力を持っておくということは、非常に有益です。
おかしな主張にのめりこみ、おかしな宗教まがいのものにハマった挙句、持ち金を身ぐるみはがされる...などということは、世にたくさん例があります。
こういうものに騙されないよう、しっかり勉強しておくことは、自分の身を守るうえで、それなりの武器になります。
先般、定期試験がなくなった中学校について、本欄で取り上げました。
今回は、このコラムの補足という感じで話を進めます。
わたしは、前に書いたコラムで、
「『定期試験』と『単元テスト』では、生徒さん・ご父兄が感じる重みが違う」
という趣旨のことを述べました。
そもそも中学での「単元テスト」とは、どういったものなのでしょうか。
以下、記します。
「単元テスト」は、多くの中学で、単元が終わると実施されています。
例えば、関数が終わったら、関数の「単元テスト」。
英語のレッスン1が終わったら、レッスン1の「単元テスト」という具合です。
この「単元テスト」も、提出物などと並んで、内申評定を決める判断基準とされています。
そしてこのテストは、ほとんどの場合、教材会社が作るもので行われています。
中身としては、それほど難しい問題は含まれていません。
普通に勉強していれば、高得点が期待できます。
小学校で単元の終わりに実施するテスト(=受験業界で言う「カラーテスト」)と同じくらいの難易度といった感じです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「単元テスト」では、生徒さんの成績に差をつけるのが、難しいです。
先生方が、生徒間の差をつけるため、自作の「単元テスト」を作っているなら、話は別ですが...
中学の先生方の激務ぶりを聞くと、そこまで時間をかけるのは困難でしょう。
そのため、定期試験のない学校が、評定を付けると聞いたとき、
「それで大丈夫なの?」
と思ってしまいました。
それから、この「単元テスト」には、ちょっとした思い出があります。
かつて、家庭教師をしていたころ、「お勉強苦手系」の生徒さんが、ときどき、
「学校のテストで○○点、取れました!」
と、「単元テスト」を見せてくるということがありました。
彼らがとる定期試験の点数は、だいたい30点台、あるいはそこから下です。
彼らが見せてくれる「単元テスト」は、70点から上あたりが、「相場」です。
彼らにしてみれば、定期試験では取れることのない高得点の答案です。
嬉しくなって、わたしに見せたくなる気持ちはよく理解できます。
ただ、「単元テスト」が、レベル的にそのくらいとなれば、定期試験を成績の基準から外してしまうのは、マイナス面が多い印象を受けます。
こういうことって、判断が難しい...
俗に「暗記物」と言われるものがあります。
例えば、
「江戸幕府は1603年にスタート」
「水は水素と酸素からできている」
というようなものです。
受験のための学習を進めていく上で、「事柄の暗記」というのは、大きな分量を占めます。
そして、これ以外にも、漢字や英単語など、覚えなくてならないことが盛りだくさんです。
なにしろ、中学で出てくる漢字は、2,136字です。
読み方で4,388通りです。
漢字だけで、この通りです。
こう考えると、覚えなくてはいけないことの多さを今さらながら、実感なさるご父兄は多いかもしれません。
とにかく、これらは覚えるよりほかに仕方がありません。
ここでいう「覚えている」というのは、試験で問われたとき、それに的確な答えができることを意味します。
このように「覚えている」状態になるためには、学習時間をしっかり積み重ねていく必要があります。
そして、その学習時間の中では、
「とにかく繰り返すこと」
が必要で、大切になってきます。
わたしたちの脳は、コンピューターと違います。
1回やれば、それが永久に頭に記憶されるものではありません。
「繰り返すこと」がなければ、自然と忘れていきます。
受験は「忘却との戦い」です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この「暗記物」への対処法としては、いろいろなやり方があります。
結論としては、「覚えている」状態になっていればいいわけです。
ところが、特に、勉強の苦手な生徒さんとなると、凄まじいやり方をしている例が多いように感じます。
もっとも、彼らの場合、そもそもの話として、覚えることを覚えようとしない、という面はあるのですが...
それを差し引いても、
「え? こんなやり方、やってるの?
それじゃあ覚えられないでしょ」
という方法をやっています。
例えば、英単語です。
わたしが経験したのは、「じっと見るだけ」
新しく出てきた単語を、読めもしないのに、単語を「じっと見るだけ」で覚えようとしていた生徒さんがいました。
何も考えず、ただ単語を見つめるだけです。
当然、まともに覚えられるわけがありません。
これが分かって、記憶のしかたをアドバイスしました。
彼らもその方法ではまともに覚えられないことが分かっています。
しかし、それ以外の方法を知らなかったのです。
「覚えろ」とは言われても、「どう覚えるのか」という覚え方は教えられたわけではなかったでしょうから。
であれば、単語とにらめっこ遊びをやるほかありません。
まさしく「時間のロス」でしかなかったわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、いわゆる「暗記物」を「覚えている」状態にするには、どうすればいいのでしょうか。
目で見て覚えるとか、書いて覚えるとか、方法はいろいろあります。
わたしが試した方法、そして指導のとき、生徒さんにやってみた中で最もよかったのが、
「テキストの問題を繰り返し解きながら覚えていく」
というものでした。
ですから、当塾では、「先取り課題」と称して、これから指導していく単元のテキストで演習を積んでもらうようにしています。
例えば、
「次は第二次世界大戦の単元をやります。
課題はこれこれの部分です。
で、次回にはテスト形式で、定着度をチェックします」
という具合に。
このときには、「教科書、テキストの要点の個所、見ながら解いてOK」ということにしています。
いろんなものを見ながらでないと、解くのは困難なので。
もちろん、学んでいない単元をやるわけなので、定着度は決して高くありません。
しかし、演習を繰り返していくことで、段々と定着度が高くなります。
そして、足りないところ、間違っているところは、生徒さんが、いろいろな方法で個々に補っていくようにしています。
これが今のところ、最も成果が出ます。
ほかによい方法が見つかれば、その方法で補っていきたいと考えています。
中学・高校ともに定期試験の季節です。
生徒さんも試験に向けての学習をガッチリやっています。
さて、定期試験を前にして、今回のコラムで話題にしたいのが、中学校で行われる試験の点数・順位・平均点です。
高校受験を考えるとき、「点数・順位・平均点」はセットで考えなくてはなりません。
例えば、
「英語の点数が60点」
という結果が出たとします。
そのとき、
「平均点が50点のときの60点」
「平均点が70点のときの60点」
というのでは、「60点」の価値が違ってきます。
当然のことながら、この場合、「平均点が50点のときの60点」のほうが、価値はあります。
しかし、生徒さんもご父兄も、こういった「数字のマジック」を頭では理解しつつも、なかなか実感が伴わないというのが現状です。
こういう「数字のマジック」に惑わされず、より試験の実態を表しているのが、「順位・平均点」です。
ですから、中学の定期試験の場合、「点数・順位・平均点」をセットにして結果を見る必要があります。
事実、わたしは点数だけでなく、順位・平均点も見ています。
確かにテストの点数は、意味を持ちます。
何といっても、分かりやすいので。
が、それだけでは、正確な判断ができません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
公立中学の場合、主要5教科の平均点は、1科目が「60点台」というのが相場です。
ただ、学年や時期、その中学校の習熟度でも違ってきます。
さらに仙台の中心部あたりに位置する中学校と、それ以外の中学校では、問題の難易度なども違います。
ここでご留意いただきたいのは、1科目の平均点が「60点台」が相場というところです。
「60点台」ということは、点数が60点から69点まであるわけです。
ですから、平均点は意外と幅があります。
ということは、
「前回は数学が50点だったのが、60点に上がりました!」
といっても、
「点数としては上がったかもしれないが、単に問題が易しかった」
だけかもしれません。
また、それは逆もあります。
上位層(全体で上から15%くらい)と、学習苦手層(全体で下から15%くらい)を除くと、1科目プラスマイナス10点程度の上下は、「誤差の範囲」ということになります。
ですから、上位層と学習苦手層に属していない「中間層」の場合、5教科総合で30点のプラスマイナスは、成績が下がっているか、上がっているか、判断できません。
判断できる根拠は、「順位と平均点」です。
こういう実情をよく理解した上で、成績が上がったか、下がったかを判断していただきたいと思います。
今回は数学の話題です。
高校生に数学を教えていたとき、数学がかなり苦手という生徒さんから、しばしばこういうフレーズを聞くことがありました。
「数学は公式を覚えて、数を公式の通りに当てはめれば何とかなりますよね...」
このフレーズを聞いて、普通の数学の先生であれば、
「何を言ってんの?
そうじゃないんだよ!
数学は公式で解くものじゃないの!
何を考えているの、アナタは?」
という言葉が出てくるはずです。
ただ、わたしの場合、以上のような言葉が出てくるのをグッとこらえて
「このフレーズを言ってくる生徒さんって、今までもいましたが、そういう生徒さんが、公式をまともに覚えられたことがないんですよ」
と答えていました。
すると生徒さんは、
「・・・(無言)」
となるところまでがお定まりでした。
今、話題に出している生徒さんというのは、いずれのケースも定期試験で「何とか赤点回避ができればいい」という感じです。
そんなに高いレベルを求めているわけではありません。
さらに、テストでも公式を「きちんと」覚えていれば、それほど点を得ることは難しくない問題がいくつか出ています。
しかし、彼らは公式をしっかり覚えているわけでなく、点もボロボロです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、「数学の公式をきちんと覚えている」ことについて触れました。
ここで「きちんと覚えている」というのは、それを使った問題でしっかり点が取れていることを意味します。
頭の中だけで
「長方形の面積=縦×横」
「円の面積=半径×半径×円周率(3.14)」
と言葉だけ覚えていても、それを実際に使った問題でバツをもらってしまったのでは、「キチンと覚えている」ことになりません。
そのためには、その公式を使った問題を演習していく必要があります。
「数学は公式を覚えて、数を公式の通りに当てはめれば何とかなりますよね...」
と語る生徒さんは、この演習の部分が全く足りていません。
だからこそ、試験のときに間違ってしまいます。
「これ、頭では分かっていたんですが、試験のときには、コレとアレとを勘違いしちゃって...」
というような言葉を残して。
これは実に残念なことです。
彼らの言い分としては、ほかの教科で覚えることがかなり多くて、そちらにも力を入れなくてはならない、ということらしいのです。
つまり数学の演習までやっている余裕がない、と。
とはいえ、やはり数学に演習は必要です。
それがどんなに難しくないものであろうと。
受験学習というのは、生徒さんにとって、心理的にも肉体的にも大きな負荷がかかります。
だからこそ、世には学習塾というのがあふれています。
そして、受験学習というのは、大変だからこそ、
「できるだけ少ない労力で、できるだけ大きな効果を得たい」
と誰しもが思います。
そのため、「効率の良い学習法」というのが、いろんなところで叫ばれます。
学習に限らず、物事を効率的に進めるのは、望ましいことです。
しかし、この「効率の良い学習法」には、大きな欠点があります。
それは、「効率の良い学習法」と「手抜き」が紙一重になってしまう危険性があるということです。
例えば、学習するときには、
「計画を立てて勉強する」
「毎日、時間を決めて勉強する」
というようなものは、誰が見ても「効率の良い勉強法」になります。
一方、
「分かっているところに時間をかけない」
となると、話が違ってきます。
「分かっているところ」というのは、人それぞれです。
トップ層にいる生徒さんなら、大して時間のかからない個所を、学習苦手層の生徒さんは、なかなかできない、というのは、よくあります。
トップ層と同じことを、学習苦手層がやってしまえば、それは紛う方なき「手抜き」になります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「効率の良い勉強法」と「手抜き」の違いについて。
ここで数学を例に挙げます。
数学は、
「このポイントが分かれば、あとは流れで何とか求められる」
「この問題のカギはここ」
というものがあります。
トップ層ならば、そのようなポイントを押さえて、「いつもの力」を出せば、正解にたどり着きます。
一方、学習苦手層になると、話はまるで違ってきます。
仮にポイントが分かったところで、それをテストの答案にきちんと書ける保証はありません。
「あとは流れで...」といっても、答えを答案に書く段階で、「流れ」にならず、本人がアッチのほうへ流されてしまっているというケースを多く見かけます。
学習苦手層の生徒さんが、トップ層のような「効率の良い勉強法」をやろうとしても、それは単に「手抜き」になります。
だいたいにして、「効率の良い勉強法」というのは、お勉強のできる人が書いています。
ですから、彼らと同じレベルくらいでないと、「効率の良い勉強法」を使いこなすのは、難しいです。
さらに、そもそも論として、成績が上がっていかない、というのは、「学習量の不足」という理由がほとんどです。
「効率の良い勉強法」以前の話です。
この点、よくよく心に留めておく必要があると感じます。
当コラムでは、中学で英文法がどのように教えられているかについて、ちょくちょく話題にしてきました。
そして、どの程度・どのレベルまでの英文法を、生徒さんが吸収しているのか、についても関心を持ってきました。
今回は、トップ層の中学生に焦点を絞って述べます。
彼らは、当然のことながら、定期試験・実力試験・模擬試験とも、8割5分以上の点数は取ります。
もっとも、そのくらいでないと、トップ層とは言えないわけですが。
そのくらいの点数であれば、さすがに一般レベルの中学生よりは、英文法というものをよく理解しています。
しかし、つぶさにそのミスを見てみると、
「エ?
この生徒さんにして、ここをこんな風に間違えちゃう?」
ということが、意外とあったりします。
これが数学ならば、この種のミスはありません。
数学は論理を積み重ねて、正解を導きます。
「実はここって、プラスにしなくちゃいけないのに、マイナスにするものだと思ってました。テヘッ」
などということは、トップ層にはありません。
論理のほころびで、気が付くからです。
ところが、英語になると、トップ層でも
「じつはこれって、ホントは○○なのに、△△だと思っていました。テヘッ」
というようなものが、ゼロではないのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
彼ら中学トップ層の「意外なほころび」は、公立高校の入試くらいなら、何とかゴマかせます。
それなりに高得点を取るでしょう。
しかし、大学入試となると、話は違ってきます。
もっとも、大学入試といっても、千差万別です。
彼らが入りたくなるような大学の入試では、中学のときまでの「意外なほころび」が、より大きな形となって、のしかかってきます。
中学のときに、
「実はこれって、ホントは○○なのに、△△だと思っていました。テヘッ」
と、笑って済ませられたものが、笑い事ではなくなります。
そうした意味で、中学英語の文法というのは、極めて大事です。
そして、怖いものでもあります。
ですから、わたしは、特に小学生、中1の初めころまでの生徒さんには、英文法の基本事項を、徹底的に繰り返して演習するようにします。
「これは、どうしてこうなるんですか?
文法的に説明してください」
「この単語は、品詞でいうとどういう品詞になりますか?」
というように、口頭試問も頻繁に行っています。
わたし自身がウンザリするくらいに。
これは、言ってみれば、「文法のしつけ」です。
トップ層も、「しつけ」は必要です。
この知識は、彼らが大学入試で路頭に迷わないための、「転ばぬ先の杖」です。
最近、中学校の定期試験関連で、次のようなコラムを書きました。
今回は、これらの続編というべきものです。
上のリンクに示したコラムでは、
「上位層と学習苦手層に属していない「中間層」の場合、5教科総合で30点のプラスマイナスは、成績が下がっているか、上がっているか、判断できない」
と書きました。
一方、トップ層や学習苦手層の場合、試験が易しかった、難しかったにかかわらず、点数としてはほとんど動きません。
言い換えると、トップ層ともなれば、どのテストも満点に近い点数を取ります。
逆に、学習苦手層は、30点台前半から下という点が並びます。
ですから、トップ層・学習苦手層が前回のテストより、合計で20点上がれば、これは「成績が上がった」と言えます。
また点が下がった場合は、点数の通り「成績が下がった」と言えます。
そもそもトップ層にとって、定期試験はごく一部の問題を除くと、難しくありません。
彼らにとっては、実力試験・模擬試験のほうが、よほど難しく感じるはずです。
一方、学習苦手層にとって、定期試験・実力試験・模擬試験の点数はほとんど変わりません。
どれもが難しく、点が取れないからです。
定期試験には、以上述べたような「現実」があります。
中学の定期試験は、答案が返されている状態になっている学校が多いかと思います。
順位・平均点がどうなるか、それを見て、成績アップ・ダウン・横ばい、いずれだったかが分かる運びです。
今回のコラムで話題にしたいのは、「1学期の中間試験より、1学期末のテストの難易度がどうなっているか」です。
そこで、中1・中2の数字を比べてみることにします。
以前に教えた生徒さんが受けた定期試験を、無作為に3データ抜き出しました。
数字は、主要5教科の平均点です。
(1学期中間)→(1学期末)→(2学期中間)→(学年末)の順に並べています。
<中1>
317→304→310→285
370→341→335→321
363→356→332→315
<中2>
311→322→337→350
303→345→326→350
281→292→309→324
並べてみると、興味深いものがいろいろと見えてきます。
まず、中1の場合、最初の定期試験から、学年末までは、平均点が少しずつ下がっていっています。
(1学期中間)→(1学期末)となるときも、少し下がっています。
一方、中2の場合は、中1と逆です。
学年末試験が近づくにつれ、平均点が少しずつ上がっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで示した定期試験の平均点が、中1と中2で、違った変動のしかたをしていると述べました。
前回コラムの中1の数字を、もう一度、掲載してみます。
<中1>
317→304→310→285
370→341→335→321
363→356→332→315
これを見ると、中1生の定期試験は、1学期中間に比べて平均点が、下がっています。
10点ちょい下がっている中学があり、中には30点近くの下落となっているところもあります。
「370点→341点」となったところは、1学期中間の平均点が高かったので、期末試験で「引き締め」を図ったとも取れます。
9月の定期試験の平均点が、6月に比べて低くなっているのは、単純に学習内容が難しくなっているからでしょう。
その中でも、数学・英語は、6月の時点で分からない・あやふやなものが、9月にはより一層重くのしかかって来ます。
分けても、英語は2年ほど前から、中1生にはかなり負担が大きくなっています。
ですから、6月に比べて、9月の定期試験の点数が下がったからと言って、
「成績が下がった」
という風には、必ずしも判断できません。
ほんとうにダウンしたかどうかは、平均点と順位を見る必要があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
今度は中2についてです。
前々回に載せた中2の数字をもう一度。
<中2>
311→322→337→350
303→345→326→350
281→292→309→324
中1の場合は、定期試験の回を重ねるごとに、平均点が下がっていきました。
一方、中2はそのような動きをしていきません。
むしろ、中1とは逆になっています。
つまり、定期試験の回を重ねるごとに、平均点は高くなる傾向にあります。
普通に考えれば、勉強が進んでいくと、学習内容は難しくなります。
ですから、テストの点数は下がっていきます。
中1の動きはまさにそうです。
一方、ここに記した学校は、そうなっていません。
そして、ほかの学校を見てみても、このような動きをしているところが多いです。
ということは、結果だけを見ると、
「中2の場合、先生方が意図的に問題を易しくしている」
という風に取れます。
なぜなのかは分かりません。
これを書いていて、以前に教えた中2の生徒さんが、
「1学期の中間テストに比べて、1学期末のテストは易しくしたって、学校の先生が言ってました」
と語っていたのを思い出しました。
それを考えると、この数字の流れが何とはなしに腑に落ちます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、次のように述べました。。
「中2は、定期試験の回を重ねるごとに、平均点が上がっていく。
これは、中1のケースとは逆の動きをしている」
この意図について、ホントのところは分かりません。
・・・中2は中だるみするから、テストを易しくすることで、生徒に成功体験を積ませ、中3以降の学習につなげるようにする?
こんな意図があるのかもしれません。
ただ、数字を見ていると、何がしか意図のあることは、感じます。
そうでないと、説明がつきません。
点が上がれば、生徒さんの志気は高くなります。
たとえそれが、意図的に易しくしたと思われるテストであっても。
「問題を易しくしただけで、実質は勉強の内容が難しくなっているのに...」
これは確かに正論です。
「数字のマジック」と言われれば、それまでです。
ただ、人の感情は必ずしも正論で動きません。
そうかといって、テスト問題を易しくしすぎるのも、考え物です。
そのあたりの匙加減が、先生方の腕にかかっています。
ですから、中2の場合、
「前回のテストより点数が高くなりました」
といっても、ホントにそうなのかは、順位・平均点を検証してみないと分かりません。
そこが実に難しいところです。
今回のコラムは、生徒さんの書く字についてです。
表題で「字は丁寧に書くべきか」と、あります。
結論を申し上げれば、
「丁寧なほうが、得をする可能性は高い」
ということです。
以下、
「なぜそうなのか」
ということを詳しく述べます。
わたしはよく生徒さんに、
「テストの答案は、採点する先生の立場になって書くように心がけてください」
ということを言います。
特にそれは、ミミズがノタクっているような字を書く生徒さんに向けて言っています。
そもそも、答案を採点する先生は、生徒さんの書く字には大変に寛容です。
相当にひどい字でも、しっかり読み取ります。
もちろん、それはプロゆえにこそですが。
ただ、漢字の書き取り問題となると、話が違ってきます。
わたしが生徒さんの答案を採点していて思うのは、
「字の点画がハッキリしない字は困る」
ということです。
例えば、「機」「襲」などという字は、画数が多く、入り組んでいます。
こういう漢字が書き取り問題に出ると、離すべきところがグチャッとくっついて見えたりして、採点に苦労します。
きちんと書いているのか、それとも間違った字の書き方をしているのか、パッとみて、判読できないのが一番困ります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
受験としてみれば、字は判読できればOKです。
そして、漢字の書き取り問題では、漢字の点画がハッキリしていればOKです。
字は必ずしも丁寧でなくて構いません。
しかし、わたしは前回のコラムで、
「字は丁寧なほうが、受験で得をする可能性は高い」
と書きました。
これはどういうことなのでしょうか。
例えば、高校受験の内申評定では、
「評定が高い=字が丁寧」
という生徒さんが多いです。
この高評定という点に関しては、
「仕事が丁寧であること」
が重視されるように思います。
特にそれは、主要5教科より、実技教科などの面です。
ですから、
「仕事が丁寧」ということが、「字が丁寧」ということにも通じます。
「字は丁寧なほうが、受験で得をする可能性は高い」
というのは、そういう意味です。
そして、ここでわたしが言いたいのは、
「丁寧な字」
ということです。
「きれいな字」
とは言っていないことです。
「きれいな字」であっても、平安時代の貴族が短歌を読むときに書いたような草書体・行書体は、受験として適切でありません。
字の癖というのは、なかなか直りません。
ただ、自身が悪筆と思われる生徒さんには、ほんの少しだけでも、
「丁寧に字を書かないと、先生が採点に困っちゃうんだな」
という気持ちで、答案に臨んでいただきたいです。
一般的に生徒さんは、ノートというと、罫線が引いてあるものを使っているようです。
例えば、こんな感じです。
世間には、「東大生のノートの取り方」というような本があります。
そして、それが「模範」ということになっています。
わたしはこれまで、トップクラスの生徒さんを多く指導してきました。
確かに彼らのノートの取り方は、当を得たものです。
しかし、わたしの考えとしては、それほどノートの取り方にこだわる必要がないのではないかというものです。
事実、彼らはそれほどノートづくりに神経を使っていません。
大切なのは、「ノートの取り方・作り方」ではありません。
「問題演習をどうやるか」
「問題演習の後、ミス・分からなかったところにどう対応しているか」
・・・このほうがノートづくりより100倍以上大切です。
そうした中、今回のコラムで焦点を当てたいのが数学のノートです。
この数学のノートに関して言うと、罫線の引いてあるものより、無地ノートのほうがよほど使いやすいです。
それは、学年が上がってくれば、上がるだけそうなります。
無地ノートを使うと、数学はこんな感じになります。
以上に示したのは、それぞれ中3の関数、高校数学Bで習う数列の漸化式の問題です。
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小学生の場合、小数点をきちんと書いたり、割り算の計算をするとき、この方眼マス目は非常に使い勝手がいいです。
初歩の計算を習得するとき、役に立ちます。
中学に入ると、だいたいは罫線のあるものを使うようになります。
ただ、罫線のあるものは、分数を書くとき、不便です。
分数の場合、分母・分子を2段で書くようになるからです。
こういうとき、無地ノートは使いやすいです。
学年が上がると、コチャコチャという小さい記号が多くなります。
そうなると、ますます罫線のあるノートは使いづらいです。
さらに、試験問題の答えは、無地ノートに書くのと同じです。
高校数学となると、答案に書く量が一気に増えます。
であれば、早めに「無地ノート」デビューをしたほうが、何かと都合のいい点は多いです。
そして、罫線に小さい字で押し込めると、計算ミスも多くなりがちです。
これが最も大切な点です。
ところが、生徒さんは、意外と無地ノートの存在を知りません。
なるほど、存在を知らないものは、使いようがないですよね。
というわけで、無地ノートの存在を知っておきましょう。
ある生徒さんが「国語が苦手」といった場合、目指す学校や他の科目の得点状況により、「苦手」の度合は様々です。
だいたい、このフレーズを口にする生徒さんは、「よくできる」タイプに多いです。
国語というのは、勉強をさっぱりしなくても、ある程度の点は取れてしまいます。
「ある程度」というのは、数学・英語に比べてということですが。
そして、満点の取りにくい教科でもあります。
さて、「国語が苦手です」といった場合、それにプラスして、
「特に記述の問題ができません。
何をどう書いていいのか、よく分からないんです」
というフレーズも漏れなく付いてきます。
それで、わたしが今回、焦点を当てたいのは、
「できないのは、記述だけなの?」
ということです。
事実、「国語が苦手」という生徒さんの答案を見ていると、
「次のア~オの中から、正しいものを1つ選びなさい」
という選択問題も、同じ程度に間違っていることが多いのです。
ところが、
「記述が苦手です」
という生徒さんはいても、
「選択問題が苦手です」
という生徒さんは、まずいません。
表題にある「~苦手なのは記述だけ?~」というのは、そういう意味です。
要するに、「記述が苦手」というのは、本人の「単なる感想」でしかないということです。
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ただ、そうは言っても、「記述問題が苦手」という感想はよく理解できます。
なにしろ、記述問題は、答えを文章にして書かなくてはなりません。
一方、選択問題は、あらかじめ書いてあるものから選べばいいわけです。
エネルギーという点では、記述問題のほうが余計に使います。
そのようなわけで、記述問題は時間がかかります。
「面倒なものは取りあえず後回し」とされます。
そんなこんなで、時間が足りなくなり、記述が真っ白、あるいは、やっつけ仕事となる生徒さんは、後を絶ちません。
確かに、「20字以内で書きなさい」くらいならともかく、「50字以内で」「80字程度で」などという指示があると、それだけでビビる気持ちは分かります。
「50字以内でとかって言われても、そんなに多く書けるわけない!」
という具合に。
ですから、わたしは、こうした問題のとき、
「最初は短いフレーズで書く。
そして後から字数に合わせて肉付けをしていく」
ということを指導しています。
「これだと、あと20字くらい足りないから、本文のこの部分をこんな風に文章に合うように、ちょっと形を変えて抜き出して、くっつけて...」
という感じです。
こうすると、記述問題のストレスは、いくぶん、軽くなるようです。
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