〒981-0933 仙台市青葉区柏木1-6-22佐藤アパートB101
電話での受付:15:00~20:00
定休日:日曜日
2月になりました。
今日は、私立高校の一般入試の「中休み」です。
昨日、および、明日は、私立高校の一般入試の日になっています。
生徒さんの話を聞いたり、各種ネット情報などを閲覧すると、感じるのは
「私立高推薦入試 多くなったな~」
例えば、宮城工業・仙台工業は、かつて高倍率の常連でした。
これらの学校は、学科ごとの定員が多くありません。
ですから、ちょっとした人数の増減で、倍率が大きく上下する傾向があります。
とはいえ、「私立高校の授業料が実質無償化」となってから、倍率がとびぬけて高くなることはなくなりました。
倍率ダウンということであれば、宮城広瀬・泉松陵といったところも同様です。
つまり、「授業料が安い」ということで、公立を目指すタテマエは崩れつつあるということです。
私立高校の推薦入試は、内申評定をクリアしていれば、学科試験なしです。
一部の例外はありますが。
そして、一部の例外を除けば、合格率は100%に限りなく近いです。
このように私立高校の推薦入試が、授業料の実質無償化以後、多くなっているのは、全国的な傾向です。
たぶん、この流れは、ここしばらく続くでしょう。
こちらとしても、世の中のそういう流れを見ながら、受験指導を行っていくことになります。
先日、Twitterを見ていると、個別指導塾の塾長?教室長?さんのツイートが目にとまりました。
内容としては、
「国語を受講するご家庭が少ない」
ということです。
国語は中学受験において、算数と並んで「重要教科」として扱われます。
首都圏で難関となっている国立・私立中学では、かなり難度の高い問題が出ます。
そのため、そういった試験への対策講座は、百花繚乱という雰囲気です。
ところが、国語は、中学に入学した途端、そういう「重要教科」という位置づけから滑り落ちます。
というより、数学・英語がかなり難易度を上げていきます。
そのため、中学の授業が始まると、相対的に国語の優先順位は低くなってしまうというわけです。
国語は数学・英語と性質の違う部分があります。
数学・英語は、
「今の部分が分からなくなると、ここから先はかなり分からなくなる」
ということが言えます。
ご父兄もその点、ご自身の学生時代の経験に照らしてよくご存じです。
ですから、数学・英語は、塾の講座として需要があるのも当然と言えます。
一方、国語は事情が違います。
国語の場合、
「今の部分が分からなくなると、ここから先はかなり分からなくなる」
ということはありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
国語の試験の場合、問題文となっていることも、「取りあえずは日本語」で書いてあります。
ですから、
「まるっきりチンプンカンプン」
ということもありません。
それゆえ、国語の読解問題を解いた場合、
「分からないことがハッキリ認識できない」
ということが起こります。
中学になってから、どうしても国語は「二の次」になりがちです。
英語・数学の対策に忙しくなるからです。
となれば、ご父兄のほうとしても、
「国語を何とかしてほしい」
という需要は低くなります。
それが結果として、前回のコラムで紹介した個別指導塾の方の
「国語を受講するご家庭が少ない」
という嘆きにつながります。
しかし、わたしの場合、
「国語の指導をしてほしい」
「国語だけをガッチリ指導してほしい」
というご依頼はこれまで意外とありました。
このようなご依頼を下さるご家庭は、ほとんどがトップ層です。
すなわち、ナンバースクール志望、あるいは二華中・青陵中志望でした。
ご依頼の内容は、
「他はまずまずなのだが、国語の成績に不安がある」
というものです。
こういう現実から考えるに、
「国語って日本語だから読めば分かりますよね」
ということは、起こりえないのが分かります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
トップ層における「国語という不落の城」。
これが、ある人から見れば、「国語は日本語だから読めば分かる」となっている現実...
ここから分かるのは、国語という科目は「とっつきやすい反面、極めにくい」ということです。
数学は「分かる・できる」「分からない・できない」がハッキリしています。
トップ層となれば、平均的な生徒さんよりは、数学が「分かる・できる」状態にあります。
それゆえ、「できる・できない」の境界線は、数学の場合、明確に見えます。
数学を説明したり、教えたりするのに、国語のように曖昧な部分を感じることはありません。
一方、国語の場合、読解問題の選択肢においては「最も適当なものを選べ」という風になっています。
これを言い換えると、「問題文の中で、一番マシなヤツを選んでね」です。
だいたい、国語の選択問題の文章は、問題を作成した人が、「筆者の意図はこうだ」と解釈して、「作成者の言葉で」書いているものです。
よって、問題文それ自体に、何がしかの曖昧さがあります。
数学のように「1+1=2」というような公理・定理があるわけではありません。
国語の試験問題のこうしたところが、トップ層から見ると「極めにくい 思うように点が取れない」ことになります。
国語を侮ると、痛い目に遭います。
先月、当コラムで、わたしが小学生のころ、英語をどのように学習したかについて述べました。
それを踏まえて、今回のコラムでは、
「小学生に英文法をガチガチ教え込むのは、悪いことなのか?」
について論じてみます。
まず、結論から申し上げます。
(結論1)
小学生に英文法をガチガチ教え込むのは、悪いことではありません。
むしろ、必要なことです。
(結論2)
小学生に教える英文法は、「最小限のことを繰り返し」です。
「重要な文法は99%でなく、100%の理解を目指す」
以上となります。
以下、上で述べたことを詳しく書いてみます。
まず、小学生は英文法をしっかり身につけておく必要があります。
これは、言ってみれば、「小さいころからのしつけ」のようなものです。
「小学生にガチガチ英文法を教え込むのは、悪いことではない」
先ほど、このように書きました。
正確に言えば、
「小学生だからこそ英文法はガッチリ」
です。
小学生に向けた英語の教科書を見ていると、不思議なことがあります。
それは、
「小学生へ文法を教えるのは難しい」
というふうにお上が考えているらしいのです。
わたしが彼らに英語を教えてきての結論は、
「小学生へ文法を教えるのは決して困難ではない」
ということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしのやり方として、小学生に対しても、「主語」「動詞」「不定詞」といったような文法用語を、できるだけそのまま使っています。
その際、「不定詞とはどういうものか」というようなことを、いちいち説明に加えています。
四谷大塚に通っている小学生は、一応、こういう文法用語は国語のテキストで触れています。
ただ、そういう彼らでも、「主語」「動詞」「不定詞」というような文法用語を使うと、混乱し、ポカンとしています。
わたしとしては、「織り込み済み」の反応です。
彼らの反応にひるみません。
同じことを繰り返し、繰り返し、繰り返し...していくと、だんだん彼らも慣れてきます。
「繰り返し、繰り返し...」は、正直わたしにもキツいことです。
ただ、これも仕事のうちです。
彼ら小学生は、「繰り返し、繰り返し」で、文法が身につきます。
わたしの質問にも、答えられるものが多くなっていきます。
そうなると、英語の試験の成績は「高値安定」します。
小学校の英語の試験、あるいは、英検3級程度くらいまでなら、「習うより慣れよ」でも何とかなります。
そしてこれを続けていくとどうなるか...
中1の夏休みを過ぎたあたりから、英語の定期試験、模試などには、対応が難しくなっていきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中学に入学して、最も注意する必要があるのは、「英語を小さいころから習っていました」という生徒さんです。
経験上、そういえます。
...英語はずっと小さいころからいろんなところで触れてきている。
英検もかなり上のほうを取得済みである。
だから、英語には、それなりの自信がある。
こういうタイプです。
しかしそういう生徒さんも、中学生のトップ層には、「英語の試験」という点で、足元にも及びません。
理由は簡単です。
中学英語のテストで問われるような訓練をほぼして来ていないからです。
さらに、英文法の裏付けがないからです。
耳で覚えてきたことやフィーリング、丸暗記だけでは、中学での試験となれば、当然に「穴だらけ」です。
ですから、「数学はともかく、英語はずっと小さいころからやっているから得意科目!!」と考えるのは、非常に危険です。
とはいえ、そういう生徒さんは、しっかり文法を身につければ、無双状態です。
小さいころからの力を土台にして着実に学習を続けていく...
これに尽きます。
「いま、これだけデキてるんだから、多少サボったところでどうってことはない」
こう考えてしまえば、成績がダウンするのは、英語でも数学でも同じだからです。
去る6日、私立高校の一般入試の結果が発表されました。
結果はそれぞれだったと思います。
その中で、取り分けわたしの関心を引いたのは、東北学院高(=以下、「学院高」と記します)です。
昨年と比べても、コース別のボーダーラインはかなり上がっているようです。
わたしの生徒さんの受験結果、あるいは受験関係者の話を総合すると、そのように言えます。
事実、「この生徒さんのこれまでの成績なら、このコースは受かる」というようなケースで、スライド合格が出ています。
これで思い出すのは、2015年の尚絅の入試です。
この年、尚絅は新校舎が完成しました。
「新校舎落成記念」というわけではなかったのでしょうが、この年の入試では、大量のスライド合格、不合格を出したのです。
要するに、尚絅は前年までの合格基準をかなり上げたのです。
わたしは、当時これを「尚絅の乱」と呼びました。
今回の学院高の合格発表は、「学院の大乱」?と呼んでもおかしくないような印象があります。
学院高は、今回の入試が「共学化2年目」です。
昨年の「共学化元年」のときには、一昨年に比べて、人気が沸騰しました。
何しろ、対前年比2.4倍の受験生が押し掛けたのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
なぜ今年、学院高が「学院の大乱」と呼ぶほど、合格者を絞ったのか...
理由はハッキリしています。
共学化に伴う志願者増です。
昨年、学院高としても、合格者はそれなりに絞りました。
しかし、入学者はかなり定員オーバーとなりました。
学院高の場合、学院中から持ち上がる生徒のことも考慮に入れる必要があります。
学院高だけを見ていても、学院高の動きは分かりません。
学院中の結果はすでに出ています。
こちらも、合格点のボーダーラインは上がっているようです。
そしてこの流れで、高校のほうも合格者を絞ったのだと想像しています。
今回、前回入試より、合格者を絞ってくるだろうということは、わたしも予想していました。
たぶん、多くの受験関係者もそうだったでしょう。
ただ、ボーダーラインの上がり方は、実際の志願者数を見てみない限り、何とも言えない部分です。
これは、学院高としても同様だったでしょう。
今回の「学院の大乱」は、2015年の「尚絅の乱」に比べて、注目度が随分違います。
仙台・宮城の高校入試に及ぼす影響も、かなり大きいです。
学院高の入試は、トップ層の入試に直結します。
その辺りが、尚絅のケースとの違いです。
これに関しては、学院高から正式発表が出た段階で、また取り上げることにいたします。
現時点で判明分の生徒さんの合格状況は以下の通りです。
<中学校>
東北学院中 特進 1名
聖ドミニコ中 1名
<高校>
東北学院高 特進1名 TG総進 2名
尚絅学院高 文理1名
<大学>
立教大 経営 1名
合格した皆さん、おめでとうございます!
中学入試・高校入試とも、「学院の大乱」のあおりを受けてしまったような感じがしています。
高校受験生は、今年、いずれも公立高校受験を控えています。
公立高校の受験に関しては、過日、県教委から希望調査の結果が出ています。
そして、このたびの私立高校入試です。
これらを見て、「出願の練り直し」をする受験生は、毎年必ずいます。
入試というものの性格上、やむを得ないことです。
自分の志望が通る受験生、かなわぬ受験生、それぞれです。
「それが入試」だからです。
さらに、心にとめておいてほしいのは、
「シャカリキになって勉強しているのは、自分だけではない」
ということです。
そもそも合格点に足りてない受験生が、ボーダーラインに追いつき、追い越すには、相当にフンドシを締めてかかる必要があります。
受験生の皆さんには、入試までの期間、体調に留意し、睡眠もしっかりとって、日々の学習に臨んでいただきたいです。
今回のコラムでは、表題にある通り、ある通信制高校の卒業生について書いてみます。
以下は、最近、わたしに起きた経験談です。
さて、家内は、わたしとは別に自営業をしています。
最近、マンパワーが足りず、家内がハローワークを通じて、サポート役のアルバイトさんを雇いました。
仕事としては、家内の仕事のサポート、家事のサポートなどです。
そのアルバイトさんは、20代前半の男性です。
ある通信制高校を卒業した後、いくつかの職業に就いて、今回、当家に応募してきました。
わたしも、ちょっとした買い物を頼んだりしました。
また、彼の卒業した通信制高校はどのような感じなのか、聞いたりもしました。
契約の内容としては、週に3日程度、5時間勤務です。
ところが、その彼は、3日間働いて、すぐに辞めてしまったのです。
仕事を始めた当初は、
「正社員になるような仕事を探している。
もっとこちらで働けないか?」
と言っていたのです。
しかし、それほど日も立っていないのに、突然の「手のひら返し」...
もちろん、わたしはビックリしました。
そして、その一方で、このようにも思いました。
「たぶん、彼は小さいころからずっとそうやって来たんだろうな~
こういう性格・習慣は治らないだろうな~」
(次回に続きます)
(前回の続きです)
さらに、彼にはビックリしたことがありました。
彼が3日だけ働いて、すぐに辞めてしまったことは、前回のコラムで書いた通りです。
その彼が、退職に当たって、1か月働いた分の給料を請求してきたのです。
確かに、彼には「週に3日程度、5時間勤務にすれば、1か月分の給料はだいたいこうなる」という金額を家内は示していました。
どうやら彼は、「1か月分の給料」のところだけはしっかりと覚えていたようなのです。
自分が3日しか働いていないことは忘れて。
あまりのことに、わたしも家内も呆れ果てました。
人間、なかなかここまで図々しくなれるものではありません。
さらに彼は、2~3か月くらいの期間で、職を転々としていることを隠して、履歴書を書いたのだそうです。
そんな彼を目にして、わたしは、彼の予備軍になっているような、過去の生徒さんのことを思い出していました。
彼そして、彼の予備軍となっている生徒さんというのは、「低燃費」なのです。
「低燃費」といえば聞こえがいいかもしれません。
しかし、その実は、
「何かを積極的にしようとか言う覇気がない」
という人です。
彼のように学校を卒業してもこういう具合の人は、小さいころからこのようだったということでしょう。
きっと。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
現在、学校というところは、義務教育段階なら、とにもかくにも卒業させてくれます。
どんなに学校を休んでも、宿題をやってこなかったりしても、です。
「不登校」は、その昔、「登校拒否」と言っていました。
この「登校拒否」は、「学校というのは、とにかく行くべきものだ」という考えが下地にあったからこその言葉です。
「不登校」には、体調不良、いじめ、友人関係の悩みなど、理由は様々です。
ただ、中には、「何となく行くのが面倒くさい」というケースも相当数あるのではないでしょうか。
「何となく面倒くさい」という理由で、すべきことをしないのは、学校でこそ許されます。
が、実社会では許されません。
実社会で、自分の居場所がないとなれば、「幸せの青い鳥」を求めて、職を転々とする以外になくなります。
もちろん、今回話題にした彼が、その後にどのような人生を歩もうが、わたしにとっては、どうでもいいことです。
ただ、彼のような人が身内にいたら、心穏やかではありません。
自分に妥協してしまうと、そこから抜け出すのは、非常に困難になります。
こんなことを書いているわたしも、何かのきっかけで、彼のようになるかもしれません。
それは、非常に怖いことです。
わたしも、この点、十分に心します。
それにしても凄まじい!
東北学院高(=以下、「学院高」と記します)の公式発表を見ての率直な感想です。
学院高の合格発表が終わりました。
そして、学院高から合格者数に関する公式発表がありました。
この数字が、以下の通りです。
そして、↓が昨シーズンの数字です。
これをご覧になるとお分かりのように、志願者と合格者の数は次のようになっています。
今年の志願者=昨年+589名
今年の合格者=昨年-286名
志願者は、昨年に比べて、589名増えています。
まさしく「大幅増」です。
その一方で、合格者を286名も減らしてしまいました。
人数が増えたことを考えると、今年の合格者は次のようになります。
◎今年の合格者=昨年-875名
この「合格者」には、スライド合格も含んでいます。
つまり、特進コースを志願したものの、総進コースで「格落ち合格」をしても、「合格」です。
この数字を見ると、このスライド合格がままならなかった受験生が、全体の半分近くを占めています。
2015年にあった「尚絅の乱」のときも、さすがにここまでは行っていません。
「学院の大乱」はやっぱり「大乱」でした。
私立高校の入試が、実質2倍近い状態まで行くのは、ちょっと記憶にありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回の数字から、どれほど難易度が上がったか、検証してみます。
わたしの推理では、以下の通りです。
「みやぎ模試偏差値+5程度」
この数字というのは、「瞬間風速的に、3ランクぐらいアップした」ということです。
具体的には、このような感じです。
特進コース: 一高と同レベルくらい
総進コース: 泉館山・南・向山をやや上回るレベルくらい
かつて、学院高の特進コースについて、わたしは、
「この特進コースに受からないとナンバースクール合格は厳しい」
という判断をしていました。
昨年、共学化になってからも、こうした判断は変わりませんでした。
共学化になって、志願者増があっても、です。
しかし、今年の場合は、学院中の入試も含めて、ボーダーラインがかなり上昇しました。
「上がった」という点においては、学院高のほうが、学院中より激しかったです。
今回の「学院の大乱」は、特にトップ層の私立併願校選びの地図を、大きく塗り替える契機となるでしょう。
来年以降は、今回の事態を受けて、生徒さん・ご父兄・受験関係者は、私立高校の選び方が間違いなく変わるはずです。
わたしも、今回のことは、よくよく心にとめていくつもりです。
それにしても、「学院ブランド」、恐るべし...
うちの息子・娘が勉強机に向かって、何やら書いているようだ.....
こういう姿をご父兄がご覧になった場合、
「勉強してるんだな」
とお感じになることが多いのではないでしょうか。
わたしも、成人した娘が、その昔に同じようにしていたとき、そのように判断していました。
まあ、そのようにならざるを得ないでしょう。
子供の脇にいて、じっくり観察しているなら別の話ですが。
ただ、わたしがこのように受験指導をするようになると、
「生徒さんは勉強したって言うけど、それって、『勉強』じゃなくて、『作業』でしょ」
と言いたくなる場面に、よく遭遇します。
「勉強」と「作業」の違い.....
その区別はちょっと難しいかもしれません。
以下、実例です。
◎「勉強」ではなく「作業」となっていること
・教科書・参考書を読む
→漫然と、何となく読むだけ
・「授業のまとめノート」を作る
・問題を解いた後、間違ったところを赤ペンで記入する
→そして、なぜ間違ったのかの検証はしない
いかがでしょうか?
...エ? これって、「作業」なの?
「勉強」じゃないの?
このように感じた方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、受験指導をする者から言うと、そのような結論になります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、「作業」ではなく、「勉強」とはどういうものなのでしょうか。
具体的には次の通りです。
(作業)
・問題を解いた後、間違ったところを赤ペンで記入する
→一心不乱に記入するだけ
→そして、なぜ間違ったのかの検証はしない
(勉強)
・問題を解いた後、間違ったところを検証する
→そして、次に間違わないようにするために自分で考えてみる
(作業)
・問題を解いた後、間違ったところを放置する
(勉強)
・問題を解いて、間違ったら、正解できるまで繰り返す
(作業)
・学校の授業を聴いて、内容を理解する
(勉強)
・学校の授業を聴いて、内容を理解する
→分からないところがあったら、質問する
このように一覧にしてみると、「勉強」と「作業」の違いがお分かりになるのではないでしょうか。
「勉強」というのは、要するに以下の通りです。
「分からないところを分かるようにする」
「分かる=練習問題を解いて正解する」
そして、「作業」というのは、「勉強」のための前準備という位置づけです。
この「作業」すなわち「勉強」の前準備の段階でストップしている生徒さんが実に多いです。
彼らを指導していると、それを強く感じます。
受験指導に当たっている側として、そのように感じているのは、わたしだけではないはずです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ただ、そうは言っても、「作業」しかできない生徒さんもいます。
公立の小中学校ですと、4人に1人くらいはそれに該当している印象を受けます。
「勉強」の前段階である「作業」にとどまっていても、成績自体は伸びる場合があります。
「作業」も量が積み重なると、それなりに結果が出ます。
ただ、「作業」ではなく、「勉強」をやろうと思えば、ある一定レベル以上の能力がいります。
学習苦手という層になると、
「間違ったところの検証というけれど、どこがどのように間違っているのか、そもそも分からない」
ということが、まま起こります。
例えば、中3でも、5人に1人くらいは、「時速」が何を意味しているのか、正しく理解できていません。
「時速40kmと時速30kmでは、どちらが速い?」くらいは、さすがに彼らも分かります。
が、「時速=1時間に移動できる距離」というのを、5人に1人くらいの中3生は理解していません。
そういう彼らが、時速や分速の絡んだ数学の関数の問題を、自分の力で検証していくのは、相当に至難の業です。
たとえ理論上は可能だとしても。
それこそ、彼らの学習時間にずっと家庭教師がそばに張り付いていれば、話は別ですが.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回まで、「勉強」と「作業」の違いを述べてきました。
実は、かく言うわたしも、「作業」だけでとどまってしまっていたことが、相当にありました。
ですから、今回のコラムは、自戒と自省の思いを込めて書きました。
そして、過去の自分に対しても、書いたつもりです。
例えば、「教科書のまとめノート」みたいなものは、小学校の高学年から中学の最初のころまで、よく作っていました。
色鉛筆を使ったりして、です。
よく、女子がやっていたりします。
当時のわたしは、こういうのが「勉強」だと考えていました。
周囲には、アドバイスをしてくれる人はいません。
ですから、「まとめノート」は熱心に作っていました。
しかし、ある日あるとき、
「これって、もしかしたらあまり意味のないことなのでは?」
と思い、以後は「まとめノート」作りを辞めました。
もう少し早く気づいていれば、よかったのですが...
それから、
「実際の試験、あるいはその前段階の練習問題が解けて初めて『分かった』ことになる」
というような考えも、薄かったです。
わたしより成績のよかった面々は、以上述べたようなことを、もちろん知っていたのでしょう。
そういうのを含めて、わたしとの「能力の違い」だったと言えるのかもしれません。
生徒さんのテストの成績については、生徒さん・ご父兄・受験関係者、様々な思いがあります。
わたしもそうです。
そして、
「試験で一喜一憂せず...」
などと、生徒さん・ご父兄に語っていながら、内心、最も一喜一憂しているのが、わたしだったりします。
ここだけの秘密ですが...
このように、受験関係者としては、成績にナーバスになります。
ことにも、申し訳ないのが、なかなか成果の出ない場合です。
ただ、成果が出ていても、ご父兄がご不満をお持ちになるケースは、あるようです。
わたしは、以前、そうした経験があります。
以下、その件について、書きます。
ある中1生のご家庭から、
「家庭教師の指導をお願いしたい」とお問い合わせがありました。
聞けば、近所の集団塾に通っているが、
「全然成績が上がっていない」
とのことでした。
その生徒さんの成績は、指導開始当初、校内順位220人くらいの中で、150位程度でした。
家庭教師の指導としては、「よくありがちな成績」です。
この順位から、生徒さんの頑張りがあって、少しずつ席次が上がりました。
そして、1年後くらいには、100位程度までになりました。
ところが、ご父兄のほうは、不満をお感じになっていたようでした。
わたしは気づかなかったのですが...
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ご父兄のご不満に気付いたきっかけは、「タレコミ」です。
というのも、このご父兄は、
「全然成績が上がっていない」
ということで、わたしの指導を終了して、ある同業だった方(=以下、「A師」と記します)に指導依頼の問い合わせをしていらっしゃったそうです。
そして、ご父兄のお話の内容から、
「菊池が担当しているのかも?」
と、A師は感じたそうです。
そこで、わたしのほうへ
「もしやこういう方を?」
と、ご連絡があったというわけです。
A師がおっしゃるに、くだんのご父兄は、
「全然成績が上がっていない!
大切なのは結果!」
と、だいぶお冠の様子だったとのこと。
そこで、わたしは、1年間で、成績がこれこれこうなったと語ると、
「エ?
そのくらい改善してるのに、全然成績が上がってないって言ってるんですか?」
と、A師は驚いていらっしゃいました。
「全然成績が上がっていない!!」
これって、わたしがこのご家庭をお引き受けしたときに、ご父兄から発せられたフレーズそのままです(笑)
わたしはそれを聞いて、次のように感じました。
...「全然成績が上がっていない」というご父兄のお言葉は、ホントに成績が上がっているかどうか、特に関係はないんだ。
...「全然成績が上がっていない」っていうのは、要するに「アンタに不満がたまってるんだよ!」っていうことなんだ。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
A師に聞いた話によれば、もともとこのご父兄は、A師に指導をお願いするご意向でした。
というのも、このご父兄のお友達の子供さんが、A師の指導を受けていました。
その縁で、A師に指導をお願いするも、そのときには指導の空きがなくて、指導ができなかったのだとか。
そこで、ご父兄は集団塾を辞めてから、わたしのところにお問い合わせを下さったというわけです。
わたしはそれを聞いて、「このご父兄には申し訳なかった」と感じました。
そうなれば、不満もたまるでしょう。
そして、よほど成績が爆上がりするのでなければ、
「全然成績が上がっていない!!」
という風にもなります。
ちなみに、2度目のお問い合わせをいただいたA師は、
「全然成績が上がっていない」
「成績が、結果が...」
と、ご父兄が呼号するのを聞いて、
「これは引き受けたら、のちのち揉めそうだ」
と判断。
引き受けをご辞退されたということでした。
ただ、このご家庭は、A師が主催する勉強会には参加していました。
生徒さんからの話でそれは分かりました。
わたしも当時は、勉強会をやっていたときです。
わたしのほうの会には参加せず、A師のそれに参加したということは、よほどわたしに不満があったのだと思います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
俗に、「知らぬが仏」というフレーズがあります。
校内順位220人中、150番からスタートして、100番台まで1年ほどかけてたどり着いても、
「全然成績が上がっていない!」
として、他所への鞍替えを打診していたというケースは、なかなかに教訓的ではありました。
そもそも、わたしが「第一志望」であったなら、たぶん、「全然成績が上がっていない!」とはならなかったはずです。
ひとえに、「全然成績が上がっていない!」というのも、感情的なところから来るものだったと推測されます。
ただ、その「全然成績が上がっていない!」に固執し続けた結果、「第一志望」のA師からも袖にされてしまったのには、ビックリですが...
わたしは典型的な俗物です。
聖人でも何でもありません。
それゆえ、こうした事実を知ってしまったがため、ご父兄とは無用の葛藤が生じてしまいます。
そうです。
「知らなきゃよかった」
のです。
もちろん、その後の指導では、ご父兄も、わたしも、何事もなかったように平静を保っていました。
ただ、そうした中にあって、生徒さんは素直で、気立てのよい感じです。
それが救いでした。
というより、救いはそれだけだったと思います。
そう感じてしまうのは、わたしが聖人になり切れないゆえの未熟さです。
わたしは、車で移動するとき、ラジオをよく聞いています。
テレビやYouTubeのように、目からではなく、耳からのみの情報というのも、それなりに貴重です。
さて、先日、いつものようにラジオ放送を聞いていました。
そのとき、番組のパーソナリティーが、興味深いことを語っていました。
この方は、音楽、特にJ-POPに関する知識がかなりのものです。
普段の番組でも、そうした話がちょこちょこ出てきます。
そこで、先日亡くなったYMOの高橋幸宏さんの話題で、この方は次のように語っていました。
...自分はYMOが好きだ。
その昔、音楽雑誌のYMO関連のものは、漏れなく読んだ。
YMOは、高学歴者が多い。
インタビューなどでも、難しい言葉・日常ではあまり聞かない言い回しの言葉がかなりあった。
自分としては、YMOの言葉を理解したかった。
そのため、辞書を引いて、その言葉の意味を確かめた。
その結果、そういう言葉・フレーズを覚えるようになった。
わたしは、このパーソナリティーの方の話を聞き、こう感じていました。
「あ~ 理想的な覚え方だな~
こういう風に覚えるのって、忘れないしな~
興味関心とセットになった覚え方って、最強だよな~」
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで紹介したエピソードは、「好きこそものの上手なれ」の諺を地で行くような話です。
例のラジオパーソナリティーさんは、
「YMOのことなら、できる限り、何でも理解したい」
という強い気持ちがあったわけです。
その当時は、「物を調べる」というのが、今ほど簡単ではない時代です。
それでも、「知りたい!」という強い欲求があれば、そういう困難さを乗り切れるというわけです。
今であれば、スマートフォンをチョコチョコッとやれば、情報はゴマンと出てきます。
そして、難しい言葉・日常ではあまり聞かない言い回しも、かなり簡単に検索できます。
ただ、「いつでも簡単に調べられる」と思うと、案外に人間は無精になってしまうのかもしれません。
要するに、いくら機械が発達しても、「調べよう」「知りたい」という気持ちがなければならないのです。
逆に、「調べよう」「知りたい」という気持ちが強ければ、どういう手を使ってでも、自分の気持ちを満足させようとします。
これが、受験学習と直結すれば、極めて大きい成果が出ます。
わたし自身を振り返ってみてもそうです。
わたしは、現役学生のころから、興味関心が圧倒的に理系より文系志向でした。
興味関心が成績アップの「スタミナ剤」になるのは、いつの時代にもそうであるようです。
菊池特訓塾は、開校に向けて、準備をしている最中です。
今回は、菊池特訓塾のロゴについて、述べてみます。
当特訓塾のロゴは以下の通りです。
Twitterにはすでに公開しています。
ほかにもこれからドシドシ使っていく予定です。
このロゴは、わたしが作ったものではありません。
プロの手によるものです。
ネットには、ロゴを自作するサイトなどがあるようです。
ただ、今回は、「餅は餅屋」にしました。
このプロは、同級生に紹介してもらいました。
この同級生は、あるところの社長をしています。
プロの方には、わたしがどういう塾を作ろうと思っているか、詳しく聴いてもらいました。
わたしの思いを聞いて、プロの方は、3種類のロゴを製作して下さいました。
これら3種類のロゴには、次のようなキャプションが付されていました。
(1)ハードワークな塾であることを明示。あえてスパルタな環境を求めているユーザー向け
(2)小学生でも通いやすいイメージ。塾の内容が何冊も学習することを明示。
(3)他2つのロゴと比較して、中間的なイメージ。特訓へのイメージでも小学生も中学生も通いやすい印象に。
わたしが気に入ったのは、(1)です。
「自分としては、(1)がやりたい塾のイメージに合ってると思いますが」
と、プロの方には伝えました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
すると、プロの方は、こう言いました。
...(1)のようにハードなイメージにすると、小学生なんかは怖がって、あまり多く生徒さんが来ないかもしれません。
塾って言うと、やっぱり勉強するわけですよね。
(2)なんかは、少し親しみやすい感じです。
そうすると、生徒さんも塾に通いやすくなるかもしれません。
プロの方のアドバイスは、ありがたかったです。
ただ、わたしは、
「誰でも通いやすい」
「親しみがわく」
というようなものに、そもそも興味がありませんでした。
自分が作ろうと思っているのは、「菊池特訓塾」です。
「特訓塾」というところが、ミソです。
ですから、「菊池特訓塾」がガッチリとハード系であることを、ロゴにも込めたいと考えました。
もちろん、そうすることで、生徒さんたちは「菊池特訓塾」に入るのを、ためらってしまうかもしれません。
しかし、わたしの考えは、
「それでためらってしまう方は、菊池特訓塾と縁がない生徒さん・ご家庭」
です。
このようにでも考えていなければ、自塾をそもそも「○○特訓塾」などと命名したりしません。
「誰でも通いやすい塾」は、「誰も通わなくなる塾」になるリスクのほうを、わたしは恐れています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「菊池特訓塾」のロゴを正式に決めるに当たっては、家族に相談しました。
そのときに相談したのが、次のようなものです。
家族には、プロの方から提案された3種類のロゴを見せました。
そして、こう言いました。
「ぞれぞれ3種類のロゴ、どう感じるか、どういう塾のイメージなのかを言ってほしい。
どれがいい、これが好み、という感想でなく。
ロゴが醸し出すもの、ロゴから感じるイメージを言ってほしい。」
すると、家族の反応は、だいたい似ていました。
「(1)ハードワークな塾であることを明示」とプロの方がイメージして作った感想としては、次のようなものでした。
...いかつい。昭和っぽい塾の感じ
何だかガッチリしているイメージ
娘からは、
「たぶんこれって、パパがやりたい塾のイメージだよね」
との言葉。
な~んだ、分かってるじゃん(笑)
家族が受けるイメージ、そしてわたしが目指す塾のスタイルは、大筋で通じるところがあると、わたしは判断しました。
そして、正式に現在のロゴとして採用しました。
ロゴのデザインをプロにお願いしたのは、もちろん「餅は餅屋」という面が第一です。
しかし、これは、「菊池なりのホンキ」を示したつもりです。
というわけで、当コラムをお読みの皆様、「菊池特訓塾」と併せて、ロゴも末永くよろしくお願いします。
成績upのヒント!
教育コラム「雨か嵐か」
〒981-0933
仙台市青葉区柏木1-6-22佐藤アパートB101
15:00~20:00
日曜日