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「この生徒さんって、ホントにマジメだよな~」
そう思うときがあります。
ところが、
「この生徒さん、マジメなんだけれども、どうも成績のほうがイマイチ、イマニ、イマサンなんだよな~」
ということもあります。
今回のコラムでは、そのようなタイプの生徒さんに関して書いてみます。
まず、このようなケースとして思い当たるのが、「ほぼ最下位あたりが定位置」という生徒さんです。
彼らは、学習障害とか、ADHDといった発達障害という診断を受けているケースがあります。
あるいは、そういう診断を受けていなくても、「たぶん結構な確率でそうなんだろうな」と思える場合が少なくありません。
「成績が振るわない=不まじめ」という印象が、世間にはあるかもしれません。
しかし、「ほぼ最下位」くらいになると、その図式は当てはまりません。
彼らには、「表裏がない」という印象を受けます。
彼らは決してサボろうとしたり、手抜きをしたりしているわけではありません。
「やらない」のではなく、「できない」のです。
彼らを指導していると、「やらない」と「できない」の違いは、何となく分かってきます。
彼らのようなタイプの生徒さんを指導するときには、この点を留意しています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、「性格はマジメだが、勉強にしっかり取り組まない」という生徒さんがいます。
意外に思われるかもしれませんが、このようなタイプは多いです。
このタイプの生徒さんは、生活態度に問題があるわけではありません。
親から見ると、「素直ないい子」です。
勉強も「やらない」というわけではありません。
それなりに取り組んでいるように見えます。
ですから、親としては、
「この子はマジメなのに、なぜ結果が出ないのか...」
と悩むわけです。
このような場合、その生徒さん自身の能力ギリギリいっぱいまで頑張っているというケースは確かにあります。
しかし、多くは、
「親が思うほど、実は勉強に対してマジメに取り組んでいない」
という感想を持ちます。
このように書くと
「エ?」
と思われるかもしれません。
ただ、「マジメなのに成績が上がらない」という生徒さんは、以下のようだったりします。
(1)宿題を出したとき、少し頑張ればできそうな問題をやらずに空白にしている
(2)英単語などは、「半分覚えられていればいい」とか「70%できてれば」などと、勝手に「自分の限界」を決めている
このような感じだと、確かに「やっていない」わけではありません。
ただ、わたしとしては、大いに不満なのです。
彼らがマジメであるがゆえになおさら。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
さらに、「マジメなのに成績が上がらない」という生徒さんは、勉強が「勉強」でなく、「作業」になっていることがあります。
例えば、「教科書のまとめ作業」と称して、ノートを作り直すなどです。
これは、ご父兄から見ると、いかにも子供が勉強しているように見えます。
しかし、点を上げるためには、「教科書を読んで、問題演習をする」ことをしていかなくてはいけません。
「教科書を読んでまとめる」だけでは、不足なのです。
それから、この手の生徒さんは、ある意識に欠けているように感じます。
それは、勉強とは点が取れて初めてOKなのだという意識です。
彼らは、問題演習をやっただけで、満足してしまっているようです。
というより、それが勉強だと思っている節があります。
でも、間違ったところの検証は、しっかりやっていかなくてはなりません。
「マジメなのに成績が上がらない」生徒さんには、いま述べたような感覚が非常に乏しいです。
とはいえ、このようなところは、「マジメでないので、成績が上がらない」という生徒さんも同じです。
「マジメなのに成績が上がらない」生徒さんは、一見するとマジメに見えます。
それだけ、成績アップしない原因が分かりづらくなっていると言えます。
時節柄、「中学・高校を卒業したらどうする? どこに行く」というのが、よく語られるようになっています。
今回のコラムでは、卒業後の進路を決めるときに、今と昔でどう違ってきているかについて述べてみます。
先ほど、「今と昔」という言葉を使いました。
ここで「昔」というのは、ご父兄が小中高校生だったころのことを想定しています。
だいたい昭和の終わりから、平成1ケタあたりになりますでしょうか。
西暦で言えば、90年代です。
まず、そのころは、今ほど選択肢の幅は大きくありませんでした。
仙台・宮城の高校受験に関して言うと、
「この成績なら、ここの高校」
というのがほぼ決まっていました。
しかも、当時は、公立高校でもナンバースクールは、男女別・学区別になっていました。
私立高校も男女別です。
しかも今と違って受験のできる組み合わせは限定されていました。
ですから、お上や学校の事情で決まっていた「規制」が随分とあったわけです。
例えば、多賀城に住んでいたわたしは、一高・宮一(=当時は宮城一女)・二華(=当時は宮城二女)を受験する選択肢がありませんでした。
同時に、名取・岩沼に住んでいた男子は、二高・三高・二華を受けることができなかったのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ひところ、「規制改革」という言葉がはやりました。
その伝で言えば、ご父兄が小中高校生だったころは、受験に「規制」がありました。
これは、選択肢が今ほど多くなかったということです。
選択肢が少ないということは、逆の視点で言えば、
「選ぶときに迷いが少ない」
ということになります。
これを言い換えると、進路の選択に関しては、今ほど悩む必要がなかったわけです。
何しろ、仙台・宮城では、公立高校が軒並み共学化されています。
学区制も撤廃されました。
私立高校も、ほとんどが共学になりました。
そして学力別にいろんなコースが設けられています。
そうなると、
「選択肢が多すぎて、迷いに迷う」
というような場面が出てきます。
大学受験に関しては、もっと面妖です。
ご父兄が10代の日々を送ったであろう1990年代、大学進学率は、今と比べると、以下のようになっています。
1990年 36.3%
2000年 49.1%
2020年 58.5%
1990年代の初めは、大学進学率が4割を切っていたのです。
今は、半数以上が「学士様」です。
さらに入試の方法は、高校受験以上に複雑怪奇になりました。
受験を生業としているわたしにとっても、かなり気を付けておかないと、誤ってしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高校に進むにせよ、大学に進むにせよ、これだけ選択肢が多い中、どの道を選ぶか.....
「わたしは看護師になりたい」
「自分は電気技師に」
こういう明確な道があれば、それに適した進学先を選ぶといいです。
しかし、かなり多くの生徒さんは、中高校生の段階で、ハッキリしたものがあるわけではありません。
では、どうしたらいいのか.....
こうしたときに便利なのは、「消去法」です。
自分の学力・志向から考えて、「ここは無理」というものをバンバン削っていく方法です。
そうしたとき、
「○○高校より下は行きたくない」
というようなものでも、「有り」です。
ちなみに、わたしの場合、高校受験は「二高一択」でした。
つまり、ひとつを除いて、残りの選択肢を消し去ってしまったわけです。
大学受験のときには、
「自分は、理系っていう柄ではない。
難易度で東北大未満には行きたくない」
でした。
こうした選択は、今の時点で振り返ってみると、
「ベスト、つまり最善でないかもしれないが、ベター、つまりよりマシな選択だった」
と感じます。
進路に迷ったら、
「何になりたいか どうなりたいか」
ではなく、
「何になりたくないか、なれないか、どうなりたくないか」
を考えてみると、頭と心に整理がつきます。
今回のコラムは、ご家庭からの指導依頼についてです。
ひところ、実際の指導をやる前、ご家庭とすり合わせを行う段階で、ご父兄が
「厳しくやって下さい」
とおっしゃることがありました。
今、このようなご家庭はあまりありません。
家庭教師派遣会社では、ちょくちょくあったように記憶しています。
さて、先ほども述べたとおり、「厳しくやって下さい」とおっしゃるご家庭のご希望は、「厳しくやること」です。
家庭教師の指導というのは、なるべくご家庭や生徒さんの希望に合わせることが原則です。
それで、ご希望通りに「厳しくやった」結果はどうなるか.....
かなりの確率で、そのご家庭は辞めていってしまいます。
もちろん、「厳しくやる」と言っても、指導中に体罰をしたり、大声で威圧したりということをしたわけではありません。
生徒さんの性格、どのくらいできるのか、などを考えて、特段に「厳しくやって」いるつもりはないのです。
つまり、わたしなりに、手を加えてはいるのです。
とはいうものの、「厳しい指導」の結果は、先ほど述べたとおりです。
わたしにしてみると、「厳しくやって下さい」というご家庭の希望に従っただけなのです。
しかも、相当に手心を加えた状態で.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
家庭教師派遣会社の場合、最大の目的は「利益を上げる」ことです。
そのために、生徒さんには学習指導をやり続けていかなくてはなりません。
そして、ご家庭とは、契約が途切れないようにしなくてはなりません。
「厳しくやって下さい」の結果が、契約解除につながってしまった場合、その原因となった家庭教師は、「悪い家庭教師」になってしまいます。
たとえ、ご家庭からの希望が、「厳しくやって下さい」だったとしても。
家庭教師あるいは個別指導塾で指導経験があれば、いつかはこうした状況に出くわすことになります。
「厳しい指導」の結果、契約解除を引き起こした講師は、ここで、「厳しい指導」の結果がどうなるのかを学習します。
そうなると、指導に当たる講師としてはどう考えるか.....
「ご家庭からは『厳しくやって下さい』とは言われているが、ホントに厳しくやったらマズい。
当たり障りのない指導を続けていこう。
ただ、あまりにユルユルにすると、ご家庭からのクレームになるかもしれないから、クレームにならない程度に」
その指導の結果はどうなるか.....
成績は上がりません。
ひょっとしたら、下がります。
よくいって、現状維持です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「厳しい指導」を望むご家庭からすると、指導に当たる講師のホンネはたまったものではないでしょう。
しかし、事情をよく分かっている側からすると、ご家庭からのお申し出を額面通りに受け取るわけにはいきません。
結局のところ、「厳しくやって下さい」とおっしゃるご家庭の生徒さんは、「厳しくないユルユル指導」にも耐えられません。
わたしの経験からすると、「厳しさ」について、事前に注文のないご家庭の生徒さんのほうが、よほど「厳しい指導」に耐えられます。
ところで、この「厳しい指導」の内容について、もしかしたらご父兄は、体育会系の部活の「無理へんにゲンコツ」のようなものを想像なさるかもしれません。
ただ、わたしの考える「厳しい指導」とは、そのようなものではありません。
学習指導における「厳しい指導」とは、「とにかく学習量を積み重ねてもらう、積み重ねさせる」というものです。
例えば、満点になるまで、同じ問題の追試を行うなど.....
こちらのほうが、生徒さんにとっては、大声で喝を入れられるより何倍も「厳しい」はずです。
家庭教師の指導の場合、時間の制約があり、なかなか「ホントの厳しい指導」ができずにいますが.....
今回のコラムは、偏差値55以上の中3生に向けた話です。
「偏差値55以上」というのは、仙台・宮城で言えば、公立高校ならナンバースクール・館山・泉・南高・向山・宮城野あたりです。
さて、昨年から中学英語の教科書は、かなり難しくなってきています。
それは、当コラムでも、たびたび取り上げてきたとおりです。
「難しくなった」のは、教科書の文章量と英単語の数です。
特に英単語については、中学で扱う単語が増えました。
今の教科書を見ていると、
「この英単語、自分は高校のときに習ったんだけど.....
もうこの段階で出てきちゃってるのか」
と感じることしばしばです。
まあ、確かに今の生徒さんは、小学校のころから、学校の授業で英語を学んでいます。
わたしが中学生だったころとは、この点が違います。
とはいえ、いくら2年前倒しで英語を勉強していたとしても、2年分単語が多く覚えられるものでもありません。
小学生のうちに、基本的な単語は出てきます。
例えば、book, pen, I, youといったものです。
しかしながら、小学校の英語では、これらの単語が正確に書けなくても、試験としてはOKになってしまいます。
「とりあえず初歩の初歩だけをやれればいい」という考えからです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
英語の試験は、以前と比べて難しくなっています。
この「難しくなった」の度合いは、1年生のころが最も激しいです。
受験関係者の多くが、「中学の英語の試験が難しくなった」としているのは、この部分です。
1年生で脱落してしまえば、後々の挽回はかなり難しくなります。
受験関係者の嘆き節には、このような背景があります。
そして、2年生、3年生と続きます。
3年生で行われる各種の英語の試験を見ると、難しくなっているとはいえ、実のところ、わたしが予想したより、難化は緩やかな感じがします。
言い換えると、「難しさの度数」は、「以前→現在」で、こんな感じです。
<英単語>100→130
<英語の試験>100→110
この数字の意味するのは、どういうことか.....
つまり、「教科書に出てくる英単語をすべて覚えてなくても、試験では高得点を取れてしまう」ということです。
それは入試でも同じです。
しかし、偏差値55以上の中3生には、
「定期試験や模擬試験、入試で高得点が取れればいいんでしょ」
という考えを持っていただきたくないのです。
というのも、入試や模試・定期試験で出てこなかった英単語、そして教科書には乗っている英単語は、高校入学後に「大学受験に必要な英単語」となるからです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「今、覚えなくてもいいなら、無理して難しい英単語、覚えることはないんじゃない?」
「大学受験に必要だというなら、そのときに覚えればOK」
そういう風に考えられなくもありません。
しかし、わたしに言わせると、
「それは甘い!」
はい、甘いです。
偏差値55以上の中3生であれば、今のうちから、わずかであっても大学受験を意識しておくべきです。
確かに、今のご時世、とにもかくにも大学には入れます。
偏差値55に達しない中3生であれば、今から大学受験のことを考えておく必要はないでしょう。
が、偏差値55以上の中3生となれば、話は違います。
ある一定以上の大学に入ろうと思えば、英単語は今のうちから覚えておけるだけ覚えておいたほうがいいです。
それでも、高校入学当初には、英語に関して、それほど中学とのギャップは感じないはずです。
ところが、高1の終わりあたりから、覚えておかなくてはならない英単語が、増えていきます。
加えて、大学入試を受けようと思えば、どこの大学でも英語の試験はあります。
要するに、数学からは逃れられても、英語からは逃れられません。
偏差値55以上の中3生には、これから先に、以上述べたような関門が手ぐすねを引いて待ち構えていること、よくよく認識していただければと思います。
この時期になると、中3生にとって、内申評定がいよいよ現実味を帯びてきます。
「この評定で、○○高校は大丈夫でしょうか?」
というような疑問・質問・お尋ねがYahoo!の知恵袋あたりを賑わします。
わたしのところにも、メールやら、YouTube動画のコメント欄に、そうしたお尋ねの来ることがあります。
このとき、こうしたものが寄せられるのは、「評定が足りていない」と思われる受験生、そして、そうした受験生のご父兄からです。
考えてみれば、当然です。
評定が足りているのに、評定の数字を心配する理由はないからです。
そうしたこの頃ではありますが、今回のコラムでわたしが取り上げるのは、「オール5付近の女子」についてです。
このようにオール5近くとなると、多くの場合、「目指すはナンバースクール」となります。
偏差値的には、宮城一高の「60%合格ライン」である62以上といったところでしょうか。
彼女たちは、実にマジメです。
コツコツと、そして、こまごまとやる努力をいといません。
彼女たちのようなタイプの生徒さんを見ていると、心底そう思います。
「マジメでない男子」は、彼女らの爪の垢でも煎じて飲むべきだろうと、これまた実感するわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そういう彼女らも長所ばかりとは限りません。
短所はあります。
彼女たちは、ときとして、
「中学校で行われる定期試験は、かなり前から高得点を目指してとにかく頑張る。
一方、模擬試験の成績は、定期試験ほどこだわりがない」
ことがあります。
トップクラスにいる「オール5付近の女子」に、少なからずこのような生徒さんがいるようです。
わたしもこれまでそういう生徒さんを何名か見てきました。
その結果、彼女たちはどうなるか.....
中2の後半あたりから、模試の結果が思うようにいかなくなるのです。
生徒さん本人も、ご父兄も、その理由が思い当たりません。
サボっているというのなら、まだ原因は分かります。
何しろ、勉強自体は、マジメにコツコツとやっているわけですから。
「なぜ? どうして?」と、親子で悩むようになります。
それでも、中2後半くらいからなら、まだなんとか時間があります。
これが、中3の夏休みを過ぎてから失速し始めると、かなり大変です。
公立校入試まで、半年を切っています。
その間、私立高校の入試があります。
さらに、出願希望調査、本出願などの数字に、心を乱されることになります。
模試の結果が思うようにいかない状態で、このような状況に直面するのは、かなりキツいです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
このような事態にならないために、いかにしておくべきか...
中1のころから、模擬試験、学校で行われる実力試験の結果も、定期試験と併せて、重視していくことです。
「今まで習ったところ、全部が範囲」という模擬試験・実力試験向けにも、常日頃から準備しておかなくてはなりません。
英語ならば、今やっていることが、そのまま模試・実力試験対策になります。
国語は、学校でやっている単元以外に、「初めて見る文章の問題」も、ときどきやっておく必要があります。
対策に注意を要するのは、数学・理科・社会です。
以前にやったことを忘れてしまわないように、メンテナンスしていかなくてはなりません。
わたしは、中学生のころ、模試のために、このメンテナンスは、定期的にやっていました。
メンテナンスとは、問題集を適当に開いて、アトランダムに問題を解いていくという方法です。
今、述べたようなことをやらずに、「定期試験に燃えるワタシ」をやり続けていくとどうなるか.....
中2後半あたりから、模試・実力試験の結果が奮わなくなります。
定期試験は、評定5をとることが目的です。
6や7が取れるわけではありません。
ですから、定期試験にばかり心血を注いでは危険です。
定期試験の勉強だけで燃え尽きてしまわないように、留意しておきたいところです。
英単語をどうやって記憶すべきかは、多くの人が悩んでいるようです。
事実、Yahoo!のサイトに「英単語」と入れると、「覚え方」というキーワード候補がトップに出てきます。
それだけ、英単語を記憶するのに、悩み、もがき、苦しんでいる人が多いということです。
そして、「英単語記憶法」についてのサイト、YouTube動画もかなりあります。
どれが一番いいのか、正直迷ってしまいます。
ここで、「英単語記憶法」のサイト、YouTube動画がどのようなものか、述べてみます。
まず、これら「英単語記憶法」は、主として、高校生以上をターゲットにしています。
つまり大学受験や英検1級・準1級などを目指す人向けです。
逆に、中学生あたりまでで習う英単語は、「英単語記憶法」のカテゴリーに入っていないという感じです。
まあ、中学生くらいまででやる英単語は、「記憶法」をあれこれ言うまでもないということなのでしょう。
そのくらいの英単語が覚えられないようであれば、そもそも「英単語記憶法」を試したところで、ものにならないということです。
もっとも昨年あたりからは、中学生、特に中3生の英語の教科書に出てくる単語も、何だかんだで増えてはいますが.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「英単語記憶法」に述べられていることに共通していることがあります。
それは、「繰り返す」ということです。
「英単語記憶法は『繰り返す』こと?
ってことは、旺文社の『ターゲット1900』とか、Z会出版の『速読英単語』のようなものを、100回やればいいってこと?」
このように想像する方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、わたしに言わせると、このような単語集を「繰り返す」ばかりが、「繰り返す」こととは限りません。
英文を音読する.....
入試の過去問や問題集を解く.....
これらも「繰り返す」に含めて考えています。
言い換えると、英文の音読や、問題集を解けば、かなり多くの英単語に触れざるを得ないということです。
そのように「未知なる英単語との出会い」の機会を増やしていけば、どんなに覚えにくい単語でも「自然と」覚えてしまうものです。
普通の学力があれば。
そして、実際の英文に使われている英単語は、単語集に収録されているものより、大きな価値・意味があります。
英単語を覚えるとき、実際に触れた英文で出会った単語を無視して、単語集ばかりを眺めているのは、いかにももったいない学習法です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
英単語の記憶法は、それこそ百人百様です。
人の数ほど、記憶法があります。
ハッキリしているのは、「結果が出ないやり方は、不適切な覚え方」だということです。
知らず知らずのうちに、この「不適切な覚え方」をしている生徒さんは多いです。
わたしが実践して「効果がある」と感じたのは、
「単語集と実際の英文で出会った単語を連携させて覚えるハイブリッド方式」
です。
単語集を使って、できる限り、単語を頭にツッコミます。
当然、日々に繰り返しです。
それでも、次々と忘れていきます。
そして、英文を読んでいるとき、分からない単語をチェックし、単語帳と照らし合わせます。
単語力アップは、これをウンザリするほど、愚直なまでに繰り返す以外に方法がありません。
やっていることは、実に泥臭いです。
とにかく、まめに、コツコツとやっていかなくてはなりません。
「何か凄い英単語記憶法があるかも」
そのように考えていると、それは、どこぞでよく見かける「手軽で簡単!ダイエット方法」なるものと変わりません。
そんなにホイホイと効果が出るなら、誰もこんなに英単語で苦労をしていません。
そういう代物があるなら、真っ先にわたしがやりたいくらいです。
英単語力アップのためには、根気、やる気、元気の3要素が必要であるようです。
およそ人と人とが接するところ、当人同士の「相性」というものからは逃れられません。
それこそ、「馬が合う」「何となく気が合う」から始まり、「いけ好かない」果ては「生理的に無理」などなど。
「営業1課の○○さんは、好き」
「経理の××さんは、ちょっと性格的にいろいろと...」
といった、アレです。
家庭教師の指導は、この「相性」が非常に大切な意味を持ちます。
なんとなれば、この指導形態は、「講師:生徒=1:1」が基本だからです。
指導するとなれば、「相性」vs「相性」が、ガチで絡み合うことになります。
しかし、家庭教師は、講師と生徒のみがプレイヤーではありません。
ご父兄もまた極めて大切なプレイヤーです。
よって、「ご父兄との相性」は実に大切です。
それは、「生徒さんとの相性」と同じくらい、あるいは、それ以上です。
ここでいう、「ご父兄との相性」とは、どういうことか。
普通、「相性」といえば、人と人同士の性格、人柄との関係を意味します。
「ご父兄との相性」とは、もちろん、そうした面があります。
しかし、わたしが申し上げる「ご父兄との相性」とは、それだけではありません。
ご父兄が、受験に対してどのような考えをお持ちなのか、ということが、非常に大きな位置を占めます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ご家庭をお持ちのご父兄は、ほとんどの方が常識を持って、子育てをなさっています。
受験も子育ての一環です。
受験は、子供を育てるという大きなくくりの中に含まれています。
ほとんどの常識的なご父兄は、子供の幸せを願っているはずです。
ところが、「何をもって『子供の幸せ』と考えるか」は、ご父兄によって、濃淡強弱さまざまです。
以下、具体例を出します。
仮にご父兄が2名いらしたとします。
◎Aさん
・受験にはそこまでこだわりはない
・勉強より部活に優先度を置くこともある
・勉強は大切かもしれないが、「第一」ではない
◎Bさん
・子供はまず「勉学第一」 よって、まず優先するのは「受験」
・子供がどこに進学するかは、最終的に子供の能力だが、親としてはできる限りサポートしたい
ここで「Aさん」が、どんなに人としてすばらしい方であっても、わたしは「Aさんと相性がいい」と感じることはありません。
お二人の違いは、仕事のしやすさ、ご家庭の収入をどれだけ子供に振り向けてくれるか、なども違ってきます。
わたしは、業務として受験指導をしています。
この受験指導は、わたしにとって、「生活の手段」です。
Bさんのほうに、わたしがより「相性のよさ」を感じるのも、人情というべきかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
さらに、「講師側へ求めるレベルが厳しすぎる」というご父兄もいらっしゃいます。
このような方は、わたしの目から見て、ほんとうに「きちんとして」いらっしゃいます。
しかし、何事にも「ほどほど」があります。
以下、一例を挙げます。
以前、インターネットによる個人情報の漏洩を、非常に気にするご父兄がいらっしゃいました。
試験の成績などを、メール等でお知らせくださるようにお願いしても、
「個人情報の漏洩の危険がある」
として、応じていただけませんでした。
そういった成績は、紙に書いて、生徒さんに持たせるのです。
そのほかのことも、一事が万事このような調子です。
このご父兄に、わたしは「相性のよさ」を感じることはありませんでした。
生徒さんは非常にまじめで、頑張る方です。
しかし、当方の方針がお気に召さなかったらしく、3か月で指導終了となりました。
つまり、「生徒さんとの相性」がいくらよくても、「ご父兄との相性」が芳しくなければ、指導は長続きしません。
わたしにしてみれば、非常に残念ではあります。
が、わたしでは何ともしようがありません。
現在、長くお付き合いしているご家庭は、生徒さん・ご父兄いずれも「相性の合う」ご家庭です。
わたしも、そこそこ長く、こちらの受験業界にお世話になっています。
途中、会社勤めなどをして、受験業界からまるっきり離れていた時期もあります。
そういう経験を通して、受験業界を眺めると、「業界ドップリ」という方とは、一味違った見方をしているような気がします。
さて、受験業界でも、塾・家庭教師に携わった経験のある方は、何かしら「教える」ということに興味を持っています。
よって、そこには「生徒さんたちに勉強を教えたい」と、まず考える面々が集います。
要するに、「まず学習指導」であるわけです。
この点、ご父兄にも、生徒さんにも、異論はないでしょう。
しかし、「結果を出す」となると、ハードルが高くなります。
ここでいう「結果を出す」というのは、生徒さんの成績が上がることを指します。
例えば、テストの順位が100位→50位になったとか、です。
学校の先生ですと、そこまで短期的な結果は求められません。
ただ、受験業界における指導側は、そうした「目に見える成果」が求められます。
指導する側からすると、生徒さんひとり、ひとり、もともと持っている力も違うし、やる気も違います。
そうした中で「目に見える成果」を出すのは、ハードです。
とはいえ、ご父兄からすれば、ハードゆえにこそ、高い指導料を払って、受験業界に子女を託すわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
塾に勤める講師、あるいは、家庭教師派遣会社に登録して、そこから仕事を依頼される家庭教師なら、
「教えることより、結果を出すことが難しい」
という段階までで、悩みは終わります。
わたしのようなインディーズが直面する悩みは、
「顧客集め」
です。
どんなにいい授業をしようとも、それを聞いてくれる生徒さんがいない限り、どうにもなりません。
わたしのように、「プロ家庭教師菊池」として一軒家を構えている者は、「顧客集め」も自分でしなくてはなりません。
実は、これが一番難しいです。
それは、「教える」「生徒さんの結果を出す」よりも、です。
塾・家庭教師のような受験業界に足を踏み入れようという人たちは、「教えること」というところから第一歩を踏み出しています。
「教える仕事をするためには、まず生徒がいなくてはならない」ということは、眼中にありません。
よって、塾講師や家庭教師は、「指導のプロ」です。
しかし、「生徒集めのプロ」すなわち「営業のプロ」ではありません。
わたしが会社員時代、営業職として働いていたことを思い出すと、「営業のプロ」以前に「アポ取りのプロ」にならなくてはならない事情と似ています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
勤務している塾講師は、それをやらなくてはならなくなる時点まで、営業活動のことなどを考えたことすらないのです。
「営業活動が大得意」という塾講師・家庭教師は、まずいません。
営業活動が得意なら、そちらをやる仕事に就いているはずですから。
よって、自分のやりたいことと、現実とのギャップに悩むことになります。
さらに、
「いい授業をすれば、生徒さんが来る」
「指導料を安くすれば、生徒さんが来る」
というようなものでもないのです。
「いい授業をする」にしても、「授業を聴く」生徒さんがいてこその話です。
ですから、わたしにとっても「ご父兄が菊池に指導依頼をしたくなるようにするには、どうすればいいのか」を考えるのは、最優先課題です。
幸いにして、わたしの場合は、会社勤めの経験があります。
そこで、営業の仕事もやりました。
そのときの経験が、随分と役に立っています。
「芸は身を助く」という言葉通りです。
そして、SNSなどで発信するにしても、発信できるだけのものを自分の中に蓄積していなくてはなりません。
このコラムにしても、来る日も来る日もアップし続けるのは、かなりのエネルギーを必要とします。
ですから、「生徒さんが来る」システムを作るのは、大変です。
学習指導という現場にいると、
「仙台一高って人気あるんだな~」
ということを、実感します。
生徒さんの話、あるいは、生徒さんの語る口コミ・噂話の類を聞いても、そう思います。
わたしがこれまで経験したことから言うと、
「志望校は一高です」
と、答える生徒さんが、想像以上に多いです。
そうした中には、一高ガチ狙いで、そこをパスできるだけの力の生徒さんがいます。
また、中には、明らかにそのレベルに達していないという生徒さんもいます。
例えば、学校の定期試験で平均点に達していない、という生徒さんの中にも
「志望校は一高です」
と答えるケースがあります。
わたしが会社員勤めを辞め、学習指導をやり始めたころ、こうした彼らの反応には、いちいち驚いていました。
しかし、このごろは、特に何も感じなくなりました。
こうした生徒さんに慣れてしまったせいでしょう。
そもそも仙台一高という高校は、入学のために、みやぎ模試偏差値66という数字が出ています。
この数字は、県内2番手です。
ですから、かなりの難関です。
学校の定期試験で平均点が取れないという生徒さんには、かなりハードルが高いです。
登山経験のないわたしが、「まずエベレストに挑戦します」くらいのことと同じレベルの話かもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、「一高志望です!」と語る生徒さんのことを述べました。
明らかに合格レベルに達していない生徒さんは、実際に受験となると、受ける生徒さんは必ずしも多くありません。
さすがに現実的になるからでしょう。
この点、二華・青陵といった中学受験、あるいは大学受験とは様相が違います。
さて、わたしが不思議に感じるのが、
「なぜ一高なのか?」
です。
「志望校は二高です!」
「志望校は三高です!」
これでもいいような気がするのです。
ところが、明らかに合格レベルに達していない生徒さんが、そのように語ることはありません。
とにかく
「一高に入りたいです!」
なのです。
なぜそのように考えるのか、彼らに尋ねたことがあります。
すると、こんな答えが返ってきました。
「二高はいちばん難しいから、ちょっと、それで、一高に」
「一高は自由って聞いているから、自由なところがいいかな~って」
「二高はいちばん難しいから、一高に」
ちょっと安易な感じがしないではありません。
ただ、人間の心理としては、理解できます。
事実、毎年、入試倍率は、二高より一高が高いです。
「できる限りの難関を」となれば、三番手でなく、トップは「恐れ多い」ということで、二番手に飛びつくのでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、自由度の高い高校は、やはり人気があるのでしょう。
生徒さんの立場になれば、それはよく分かります。
わたしも、中学生のころには自由度の高い高校に憧れました。
中学は小学校に比べ、いろんな制約が多いように感じていたからです。
一高は自由度の高い高校です。
それは、二高以上です。
そういうところは、生徒さんにも知れ渡っているようです。
ただ、自由度が高いということは、自主自律が求められます。
そういうもののない「自由」は、「気まま」でしかありません。
あるいは、「混乱」があるだけです。
一高で求められる学力は、当然ですが、かなり高いです。
東大などをはじめとする、難関大学進学が、一高生にとって、最重要課題です。
よって、中学の定期試験で平均点の取れない生徒さんは、一高から見れば、相撲の世界でいう「顔じゃない」のです。
もちろん、そういう生徒さんが、仮に一高を受けても、入試でハネられるだけです。
「一高に入りたい!」という希望がかなわないのは、確かに残念ではあります。
しかし、明らかに合格基準に達しない生徒さんが、入試でハネられるのは、一高にとっても、生徒さんにとってもかえって幸せなことです。
高校入学後に要求される学力レベルを考えると、それは強く思います。
中学入試で、生徒さんが苦労することの一つに「季節が問われる問題」があります。
「季節が問われる問題」というのは、主に国語においてです。
しかし、二華・青陵といったところでは、「総合問題」を解くとき、「季節の知識」を必要とすることがあります。
「季節が問われる問題」?
「季節の知識」?
ご父兄にはちょっとピンと来ないかもしれません。
これは、例えば以下のような問題です。
(1)月見
(2)アサガオの花
(3)田植え
→これらが、いつの季節のものか?
実際に出される問題自体は、もう少し複雑です。
こういった問題は、ご父兄にとって、それほど難しくは感じられないでしょう。
しかし、人生を10年ちょいしか送っていない小学生にとって、事情は違います。
こういうものは、人生を長くやっていけば、生活の中で自然と身についていきます。
一方で、受験生である小学生は、ご父兄ほど人生のキャリアがありません。
それゆえに、この手の問題は、彼らを悩ませます。
そして、指導する側にとっても、悩みのタネです。
このような問題が中学入試で問われるということは、逆の見方をすると、「差がつく問題」であるということです。
人生経験の少ない彼ら小学生にとって、この種の問題は意外にハードです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回紹介したコラムでは、中学入試における「季節が問われる問題」について述べました。
多くのご父兄にとって、月見・アサガオの花・田植えの季節はいつか、難しく感じることはないはずです。
ところが、今の生徒さんにとって、季節の風物詩を感じるというのは、段々と難しくなっているように思います。
例えば、月見などと言うと、
「何ですか? それ」
「月っていつも出ているのに、月を見て何をするんですか?」
という答えが返ってきたりします。
そこで、わたしが、
「ウサギ、ウサギ、何見て跳ねる?
十五夜お月さん 見て跳ねる」
という歌を歌っても、
「聞いたことありません」
で、これ以上、会話が成り立ちません。
だいたい、中学受験をしようというような小学生は、オタマジャクシやカエルを目にしないようなところで育っているケースがほとんどです。
そう考えると、上記のような反応も理解できなくはありません。
ですから、季節を問う問題は、そういう彼らにとって、紙の上での暗記物でしかなくなります。
試験はパスできれば事足ります。
とはいえ、季節を実感できなくなっているのも、寂しい話ではあります。
こういう一般常識は、毎日の家庭生活で、身につけていくのが、最も近道である気がします。
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