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11月に行われた中学生の定期試験が、どの学校でも終わろうとしています。
この季節に行われる定期試験は、行われる時期がバラけます。
わたしの生徒さんの場合、20日の開きがありました。
結果については、各生徒さん、よかった点、今後の課題とすべき点、様々あることでしょう。
今回のコラムでは、中1の定期試験について取り上げます。
表題は、「なぜ中1生の定期試験の点数が下がっていくのか」です。
ここで、担当した生徒さんが、中1のとき、どのような点数だったかを書いてみます。
定期試験は、4回です。
(Aさん)
491→480→486→481
(Bさん)
464→405→433→397
(Cさん)
230→212→219→187
(Dさん)
102→98→106→98
(Aさん)は、学年トップです。
5教科の評定はオール5です。
(Bさん)ですと、オール4くらいになります。
さらに、(Cさん)はオール3です。
100人換算で、80位くらいです。
(Dさん)となると、評定はオール2になります。
順位としては、後ろにあと2人です。
これを見ると、最上位層・最下位層は、点数があまり変わりません。
その他の成績層で、テストを重ねるごとに下がっていっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、中1生の定期試験の点数が、回を重ねるごとに下がっていくと述べました。
そして、最上位層・最下位層は、点数があまり変わらないことも、記しました。
では、平均点はどうでしょうか。
以下、実例です。
(A中学)
317→304→310→285
(B中学)
321→286→274→280
(C中学)
379→338→338→324
これを見ると、6月に行われる最初の結果がいちばん点数としては高いです。
その後、中1最後の定期試験では、最も低くなっている中学が2校です。
そして、少し高くなっているところが1校あります。
最上位層・最下位層の点数が、あまり変わらないことを考えると、このような結果になるのは、想定の範囲内です。
では、なぜそういう結果になるのか.....
ここでは2点、述べてみます。
(1)勉強の内容が難しくなる
当たり前の話ですが、勉強は次第に難しくなります。
ただ、それは小5・小6などでも事情は同じなはずです。
ところが、中学の場合、小学校でやや難しいような単元が、これまでに増して必要になってくるのです。
夏休みを過ぎ、10月あたりになってくると、そうなります。
特に英語・数学が。
よって、多くの中1生は、「前よりテストの点数が下がった(涙)」となってしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
(2)学習習慣が変わらない
勉強が難しくなれば、学習時間は増やす必要があります。
しかし、人間、そうそう「いつもの習慣」が変わるものでもありません。
生活習慣を変えるのがいかに難しいか...
それは、ご父兄もよくお分かりなのではないでしょうか。
例えば、
「お酒や甘いものを控えて、ダイエットをしなくてはならない」
と医師から言われて、どのくらいの方が、即実行できるでしょうか。
それをするには、かなり強い意志が必要です。
親がそうです。
となれば、中1生の子供も同じです。
しかも、多くの中1生の場合、
「勉強が難しくなった
→授業も分からないところが出てきた
→勉強量を増やさなくちゃ」
という思考にはなりません。
よほど本人に自覚がなければ、「これまで通り」の生活を送るはずです。
学習時間・学習方法も「これまで通り」です。
となれば、段々と定期試験の点数が下がっていくのも、不思議ではありません。
特に「上から順位を数えて80%より下」という生徒さんの場合、小学校からの積み残しが一気にこの時期に吹き出てきます。
そして、それにご父兄がビックリするというケースが毎年繰り返されています。
「転ばぬ先の杖」というのは、なかなか難しいです。
わたしは、Twitterで日々、思うところを発信しています。
その際、ときどき、いわゆる「教育困難校」で先生をやっていらっしゃる方から、興味深いツイートが流れてきます。
その多くは、自校の生徒が、いかに世間一般の常識とかけ離れているかということが、細大漏らさず書いてあります。
そのほとんどが、当欄をお読みのご父兄からご覧になれば、「エッ!」というようなことです。
ただ、わたしは、そうしたツイートを目にして、驚くようなことはまずありません。
「確かにそうだろうな~」
と感じています。
さらに、わたしも、そうした学校に生徒さんを送ってきた側でもあります。
全く他人事には感じていません。
最近ですと、こうした生徒さんは、仙台周辺の場合、私立高推薦入試で高校が決まります。
少子化ということもあり、選ばなければどこかの高校には入学できます。
それまで勉強というものに、関心を持ってこなかった生徒さんたちも、11月も終わりに近づくと、さすがに神妙になります。
そして、中学の先生も、また受験関係者も、彼らをどこかしらに合格させるべく、東奔西走します。
彼らが、これまで学習というものにどう向き合ってきたかは全く問うことなしに、です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
近頃、お上は「高校無償化」を打ち出しています。
それからというもの、私立高推薦入試で高校入学を決める中3生が増えました。
いわゆる「教育困難校」の入試も、これに含まれます。
この推薦入試は、1月半ばに行われます。
一部の例外を除けば、この推薦入試は、ほぼ受かります。
3月半ば過ぎまで、宙ぶらりんの状態になっている公立高校受験組を尻目に、彼らの高校受験は1月半ばで終わります。
私立高からすれば、この少子化の時代、確実に「我が校」に入学する生徒は、早めに確保しておきたいところです。
これは、ご父兄・生徒さんの側からしても、大きなメリットがあります。
高校合格が決まれば、高校入試の不安な日々からは、早々に解放されるからです。
私立高推薦で進路が決定した中3生は、4月の新学期が始まるまでどうなるか、どうしているのか.....
ごく一部の例外を除けば、勉強をほぼしなくなります。
いわゆる「教育困難校」に進む予定の中3生は、3月下旬ころまで、「我が世の春」を謳歌するわけです。
さらに、そういう生徒さんをお持ちのご父兄にしても、
「きちんと勉強しないと!」
と思う方は、少数であるようです。
学校からも、親からも「勉強圧力」のなくなった中3生はどうなるか。
ましてや、もともと勉強に向いているわけではない人が.....
結果は火を見るより明らかです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
私立高校からすると、まずもって、生徒を確保していく必要があります。
この少子化の時代、それが難しくなっているのは言うまでもありません。
「勉強しなくたって、高校は卒業できる」
「中学卒業して、何をしたいわけではない。
かといって、就職する気もない。
勉強していく気もない。
だから、とりあえず高校には入ったんだけど...」
こういう生徒さんは、増えていきます。
減ることはないでしょう。
高校の先生にしても、そういう生徒さんを指導していかねばならないわけです。
気苦労が絶えないのも分かります。
高校は義務教育ではありません。
よって、行くのも、行かないのも、最終的には生徒さん本人次第です。
高校は勉強する場所です。
そのため、勉強が分からない、つまらないとなれば、生徒さんとしては、通っていこうという気持ちが萎えてしまいます。
「合格させりゃあいいんでしょ」
「合格して、進路が決まってしまえば、後のことは知りません」
「教育困難校」に送り出してきた側として、こう考えるほど、わたしはドライになれません。
「どこの高校に行くにせよ、勉強していくという建前を、指導に当たる者が崩すべきではない」
そのような考えで、引き続き受験指導に臨みます。
先日、あるご同業の先生(以下、「A先生」とします)と話をする機会がありました。
その際、話題になったのは、わたしのTwitter上でのこのツイートに関してでした。
この一件は、わたしのほうから、
「これ以上、指導を続けることは難しい」
として、ご家庭に申し出をしたというものです。
わたしとしても、この案件については、以前からいろいろと考えるところがありました。
これ以上、よい方向には行かないと判断してからの「ご辞退」です。
わたしは、ずっと以前から、このような方針でやってきています。
これは、当コラムでたびたびお伝えしているとおりです。
これに対してA先生は、
「ご依頼を受けたからには、自分のほうから指導を辞退することはない」
というお考えのようでした。
そういうことで、「家庭教師のほうから、指導先に指導辞退を申し上げること」について、ひとしきり、A先生と話をしました。
家庭教師は、個々人やはり考え方の違いがあります。
ご父兄からご覧になると、「家庭教師」という一くくりに見えても、です。
ただ、わたしのように「スパッとご辞退を申し上げる」という家庭教師は、少数のようです。
A先生のお話を聞いても、それは感じました。
あるいは、SNSで発信しているご同業の方を拝見していても、そう感じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一般論として、仕事に携わった人は、できる限り、顧客の要望にこたえようとします。
ここで「顧客」とは、医師からすれば、「患者」になります。
役所であれば、「国民・県民・市民」です。
例外はあるでしょう。
が、大抵の人は、仕事に忠実であろうとします。
それは家庭教師も同じです。
わたしも同様です。
家庭教師は、基本的に、
「できるだけ、ご依頼いただいたご家庭の要望にこたえる」
という考えを持っています。
その「ご要望」とは、基本的に、子息・息女の成績アップです。
ただ、それには、様々な理由でこたえ切れない場面が出てきます。
例えば、中3の9月に、平均点ちょぼちょぼくらいの生徒を、週1回2時間の指導で、ナンバースクールレベルに合格させてほしい等。
その生徒さんの持っている能力としては、今の成績を維持していくのが精一杯です。
どんなに優秀な家庭教師が頑張っても、期待値レベルまでの到達はかなわない案件です。
こうした要望は、10年以上前、家庭教師派遣会社で実際にありました。
派遣会社の案件は、家庭教師側にノーを言う権利はありません。
当然です。
そうした経験から、わたしの能力を超えるご要望があった場合、指導をご辞退することは、「あり」だと考えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前々回のコラムでお伝えした「ご辞退案件」は、ご家庭の期待値レベルが高かったわけではありません。
原因は、「指導キャンセルの多さ」です。
この1年、そうした理由で3件の案件を「ご辞退」としました。
かなり多いです。
これまでの経験ですと、そうした案件は、3~4年に1回あったかなかったかです。
ただ、こういうものというのは、不思議なことに連続して起こります。
家庭教師の指導は、基本的に「生徒さん・ご家庭のご都合に合わせる」形態です。
ですから、いろんな事情で、指導日の移動・振替のあるのは、やむを得ません。
しかし、ご辞退した3件のご家庭は、2日くらい前あるいは、直前にキャンセルのお申し出が頻発していました。
生徒さんの体調不良は、確かに直前でも致し方がありません。
しかし、たびたびそのようなことがあれば、成績アップという目的はかないません。
加えて、その3件のご家庭は、指導の振替もかなり難しい状態でした。
それは、当方の都合でなく、ご家庭のご都合です。
やむを得ない事情があっても、「指導がまともにできない」点に変わりはありません。
そうなると、わたしもかなりストレスがたまります。
精神衛生上、こうしたケースは、ご辞退するのが、「お互いのため」である気がしています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ただ、わたしのような家庭教師ばかりではありません。
家庭教師という指導形態の性格上、対象となるのは、平均に届いていないケースが多くなります。
中には、「うちの子はやる気がないので、やる気にしてほしい」という需要もあります。
また、精神面を含む体調面で、学校や指導を休みがちになっている生徒さんも、家庭教師の指導が向きます。
学習障害を含む発達障害のある生徒さんも、同様です。
わたしの場合、学力面は全く問題にしません。
ただ、生徒さんがやる気のないケース、キャンセルの多いご家庭は、引き受けていません。
「キャンセルの多いご家庭かどうか」は、実際に指導をやってみないと、分からない部分です。
一方、「そういう生徒さん・ご家庭でもOK」というご同業の方もいらっしゃいます。
そこは、考え方・感覚の違いです。
ラーメンにコッテリ好きもいれば、アッサリ好きもいるようなものです。
依頼するご家庭は、それぞれの志向に合った講師を選ぶといいです。
家庭教師も百人百様、バラエティーに富むのは、ご家庭としても選択肢が広がります。
必要なのは、ご家庭・家庭教師の双方にとって、相性のよい家庭教師選びをすることです。
「ご家庭・家庭教師の双方にとって」というところがミソです。
9~11月に行われた試験の結果、主たるものです。
◎中学生
<9月期末試験>
中1 459点 20位
中1 472点 2位
中3 476点 5位
<11月中間試験>
中1 426点 19位
中1 449点 20位
中1 415点 61位
中3 465点 14位
<8月実力試験>
中3 482点 1位
<10月実力試験>
中3 477点 5位
中3 429点 2位
<進プラ志望校判定テスト>
(10月)
中3 460点 偏差値75
(11月)
中3 486点 偏差値71
わたしとしては、「まだまだ上」を目指します。
「持てば持つほどほしくなる」という人間の性というべきでしょうか。
そうは言っても、上を目指さなければ、後は落ちていくだけです。
トップ層は安定しています。
中3で、「志望校へはやや不安定」という結果だった生徒さんには、個々に改善点を示しています。
いろいろと言いたいことはありますが、皆さん、皆さんなりに頑張っています。
わたしも頑張ります。
<空き状況>
現在、空きがございません。
そのようなわけで、お問い合わせをいただいた方は、「指導終了あるいは空きが出るまでのキャンセル待ち」となります。
冬休み中の追加指導は、例年以上に多くご依頼があります。
「コロナ前」に少しずつ戻りつつあることを、感じています。
引き続きよろしくお願いいたします。
中学入試は間もなく始まります。
現在、受験を控える小6生のご父兄は、願書の提出をします。
すでに願書を提出し終わっているご家庭、これからというご家庭、それぞれかと思います。
今回、ご父兄のほうから、出願に関して書類の書式や書き方など、ご相談がありました。
その際、改めて公立と私立のオンライン化について考えさせられました。
結論だけを書くと、
「公立は私立に比べてオンライン化が非常に遅れている」
というものです。
例えば、附属中の出願はその典型です。
附属中を受験するには、県外から受験する場合を除いて、出願書類を届けに、わざわざ学校まで出向かなくてはならないのです。
しかも出願の期間が、11月14日と15日の2日間のみです。
受付時間も、午前9時から午前11時まで及び午後1時から午後3時だそうです。
県外から受験する場合のみ、書類の提出は、郵送でいいのだそうです。
ハッキリ言いましょう。
「ダメだ、こりゃ」
明治や大正時代でもあるまいに...
なぜこんなことをやっているのでしょう?
本来なら、こういうところをこそ、オンラインにすべきところです。
さらに、なぜわざわざ書類の郵送をさせず、親を平日に呼びつけるようなことをしているのでしょう?
誰も何とも思わないのでしょうか?
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回は、附属中の「呆れたシステム」について述べました。
それに比べると、二華中・青陵中は、郵送による願書提出を認めています。
まあ、「附属中よりはマシ」です。
一方、私立中は、web出願が基本です。
この差は何なのだろうと思います。
附属中・・・明治
二華中・青陵中・・・昭和
私立中・・・令和
わたしが見るに、各校の出願システムはこんな感じです。
私立中は、県内の私立中が、同じシステムを使っています。
こういう風にすれば、各学校が負担する費用も抑えられます。
わたしの担当するご父兄は、附属・二華・青陵などの公立に比べて、私立の手続きは、拍子抜けするほど簡便だとおっしゃっていました。
わたしも、出願内容を聞けば、そのように感じます。
「公立と私立では、考え方が違う」
「附属のように、父兄が直に書類を学校に持参するのにも、意味のあること」
そういう考えもあるかもしれません。
しかし、です。
「私立でできることを、公立ではなぜやらないの?」
これは実に素朴な疑問だと思うのです。
少なくても、受験関係者たるわたしはそう思います。
ご父兄にもそのようにお考えになる方は少なくないのではないでしょうか。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしは、オンライン化の温度差が、公立と私立で違っている理由は、もちろん知っています。
早い話、先立つものがないわけです。
オンライン化するだけの予算がない.....
要するにこういうことです。
たぶん、現場の先生方も、オンライン化すれば、こうした事務手続きも簡単になることくらい、よくお分かりのはずです。
私立の場合、こういったことを決断・決済するのは、最高権力者である理事長です。
理事長が首を縦に振れば、鶴の一声でオンライン化は決まっていきます。
一方、公立となると、議会を通して予算を決めて...と、スピードは遅いです。
民主政治はとにもかくにも、物事を決めるのに、時間が必要です。
とはいえ、公立と私立で、これほどにオンライン化で違いがあります。
これを目の当たりにすると、穏やかな気持ちではいられません。
要するに、こういうものというのは、お上を取り仕切るエラいさんの「政治決断」が必要になってくるわけです。
公立となれば、国立・県立・市立という縦割り組織の中での調整も必要です。
ただ、「世界第3位の経済大国」の公立学校で、オンライン化がこのようになっているのは、みっともない気がします。
「それにつけてもカネの欲しさよ」
「それにつけてもカネの欲しさよ」
先日、ある受験関係者の方々が、ネットで発信している内容を目にする機会がありました。
内容は、大筋、次のようなことが書いてありました。
...「国語」はすべての教科の基本という考えがある。
しかし、自分はこれに同意しない。
なぜなら、ある生徒の成績は、数学が満点近いのに、国語は7割ほどだ。
その生徒以外にも、そういう生徒はいる。
よって、「国語力」と他の教科とは、関係性がない。
これをお読みになったご父兄は、
「『国語』はすべての教科の基本」という考え方、合っているの? それとも違うの? どっち?」
このようにお感じになるかもしれません。
これに対して、以下、わたしなりの考えを述べます。
まず、「国語はすべての教科の基本」というフレーズに、わたしは「そのとおり」だと感じています。
そのとき、わたしと、ある受験関係者の方々とは、次のように考えています。
◎菊池
「国語」「国語力」という言葉には、「文章読解力」の意味もある。
「国語」という科目の試験の点数に限らない。
「文章読解力」は、すべての教科の基本である。
◎ある受験関係者の方々
「国語」「国語力」という言葉は、「国語」という科目の試験の点数のことである。
「文章読解力」という意味では使っていない
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしの考えでは、「文章読解力」と「国語の点数」は、違うものです。
どう違うのか...
(1)「文章読解力」がないと、「国語の点数」でハイスコアは取れない。
(2)「文章読解力」があっても、「国語の点数」は低い場合がある。
例えば、国語で満点近く取るには、「文章読解力」がないと、そこまで点数は取れません。
しかし、「文章読解力」がある生徒さんでも、数学は満点近く、国語は7~8割止まり、というケースがあります。
国語の試験は、満点を取るのも、0点を取るのも難しい教科です。
「○○とはどういうことか、40字以内で答えなさい」
こういう記述式の問題が含まれている試験は、満点を取るのが数学以上に難しいです。
「文章読解力」があれば、適切な指導を受けることで、「国語の点数」はよくなります。
実際、わたしのところには、「国語だけを教えてほしい」という指導依頼がたびたび来ます。
「国語の点数があまりよくない。
他の科目はまずまず。
国語の点を改善してほしい」
というものです。
このようにおっしゃるご家庭のほとんどは、一・二高レベル、あるいは二華中レベルのトップ層です。
彼らの「文章読解力」はしっかりしています。
そこで、国語の学習法や正解の見つけ方を指導すると、成績は改善していきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
逆に、いくら国語の指導をしても、改善して行かないケースがあります。
それは、その生徒さんの「文章読解力」が弱い場合です。
この「文章読解力」は、その生徒さんの知っている言葉の数と大きな関係があります。
ここで「知っている」というのは、「どこかで聞いたことがある」というだけではダメです。
その言葉の意味を正しく知っているかどうかが大切です。
その言葉には、学校で習う理科や社会、数学の用語も含まれます。
成績が上に行けば行くほど、「文章読解力」はしっかりしてきます。
「文章読解力」がなければ、試験問題を正しく読むことができません。
それができなければ、試験問題に答える以前の話ということになります。
「正しく読む」というのは、その文の意味を「正しく理解できる」ことです。
単に字を読めればOKというわけではありません。
以上に述べたようなことは、特に学習の苦手な生徒さんを指導すれば、日々に直面することです。
「国語」はすべての教科の基本ということに同意できない受験関係者の方々も、「文章読解力」はすべての教科の基本と言い換えれば、たぶん同意して下さるはずです。
それほどまでに、「文章読解力」は大切です。
近頃、とある知り合いの方(=以下、「Aさん」とします)と話をする機会がありました。
その方は、わたしが受験関係者であることをご存じです。
そして、Aさんのお子さんは、すでに成人し、社会人になっておいでです。
このお子さんは、小さいころから、サッカーのクラブチームに所属していました。
高校は、サッカーの引きで、とある私立高校に入学しました。
卒業後は、専門学校に進み、就職しています。
サッカー関連のほうには進んでいないようです。
さて、そのAさんが
「中学受験をする小学生はかわいそうだ」
とおっしゃるのです。
曰く、
...ドラマみたいに、中学受験生は、ああいう試験を受けたり、プレッシャーを受けなくちゃならないのか?
...子供も大変だが、親のほうも大変だ。
...小学生のころは、もう少し遊んだほうがいいんじゃないか?
要約すると、このようなご意見でした。
Aさんのおっしゃる通り、中学受験となると、ご父兄への負担が大きいです。
それは、精神的なもの、肉体的なもの、そして経済的なものです。
わたしがAさんの言葉で引っかかったのは、
「中学受験をする小学生はかわいそうだ」
というところです。
わたしは、これまで彼らを実際に指導してきて、Aさんのようには思えません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中学受験と言っても、目指す中学によって、生徒さんへどれほどの負荷がかかるのかは、様々です。
仙台・宮城であれば、
二華>青陵≧附属>東北学院中>その他私立
といったところでしょうか。
東京などの首都圏でも、ランクは様々です。
開成・麻布・武蔵のように「御三家」と呼ばれるところがあります。
また、二華のような公立中高一貫校もあります。
ドラマの舞台になるのは、かなりの難関を目指すケースです。
実際、ああいうところばかりとは限りません。
当然の話ですが、中学受験は、小学生に学習面で負担を強いるものです。
確かに、そもそもの能力以上のところを、生徒さん本人の意思と関係なく目指させるというのであれば、Aさんのおっしゃる通り、「かわいそう」です。
しかし、「もう少し頑張れば手が届く」ところを目指して懸命に努力する小学生は、ほんとうにすばらしいです。
彼らは、指導するわたしの目から見て、「実にカッコいい」のです。
わたしの小6時代を考えると、彼らに比べて、いかにノホホンとしていたことか...
中学受験を目指して学習している小6生を、十把ひとからげにして「かわいそう」などというのは、彼らに失礼であると感じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしの目から見ていると、野球・サッカーといったクラブチームでプレーする小6生も、それなりにキツい練習をしています。
彼らのようにスポーツをしている小6生のほうが、中学受験をする小6生より、ハードであるように感じます。
強豪チームともなれば、親の協力も必要です。
しかし、クラブチームでスポーツをやる小6生が、「かわいそうだ」という話は、あまり聞いたことがありません。
中学受験にせよ、クラブチームでのスポーツにせよ、「生徒に負荷をかける必要がある」という点では同じです。
求められるものが、主にアタマのほうか、カラダのほうか、という違いがあるだけです。
中学受験でも、スポーツでも、一生懸命に頑張る小6生の姿は、「カッコいい」という点で同じです。
そして、「能力以上のことを求められて苦しい」というのなら、中学受験でも、スポーツでも、「かわいそうだ」という点で同じです。
勉強の得意な小6生もいます。
スポーツの得意な小6生もいます。
彼らが得意な分野で他の小6生と競い合うのは、成長過程において、好ましいことです。
そして、この経験は、学校を卒業して、社会に出た場合、大きな力となります。
もちろん、「やりすぎにならない」ことが大前提です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが見聞するに、「勉強をしてかわいそうになっている」ケースより、「勉強をしないでかわいそうになっている」ケースのほうが、よほど多いです。
学校にいる間、つまり社会に出る前であれば、あまりそうしたことを感じずに済みます。
しかし、社会に出ると、年齢が上がっていくにつれ、学校のお勉強の大切さを感じるようになります。
学校で学習面がイマイチでも、手に職をつける、あるいは、稼げる技術、特別な能力を持っているなら、お勉強にそれほど関わらずに済みます。
しかし、世の中は、有能な人たちばかりではありません。
経営者の立場になれば、これと言って、何の取り柄もない人に、誰が給料を払うでしょうか?
世の中の仕組みは、「勉強のできる」人たちがこしらえています。
となれば、そういう人が、自分たちに不利な仕組みを作る気づかいはありません。
事実、「自分は勉強せずに、もっと学生時代に遊んでいればよかった」という人に、わたしは会ったことがありません。
「勉強しておけばよかった」という話は、比較的よく聞きます。
学校における学習というのは、「これと言って特別なスキルのない人」を守ってくれる役割があります。
そう考えると、小学生のうちから受験に励む意味も理解できるのではないでしょうか?
数日前、「国語力」と「文章読解力」の関係・関連についてコラムを書きました。
今回は、このコラムの続編というべきものです。
わたしが指導していて大きな悩みのタネになっていることがあります。
「試験問題を正しく読める生徒さんが意外なほど少ない」
この点を実感します。
わたしのように、家庭教師という「究極の個別指導」を経験すれば、「試験問題を正しく読めない」というのは、大きな壁です。
ここで「正しく読める」というのは、「出題者の意向を100%理解できる」ということです。
単に書いてある字が読めることではありません。
「正しく読める」言い換えると、「出題者の意向を100%理解できる」ことができない...
これができずに、答えを間違う、あるいは、「分からない」とする生徒さんが少なくありません。
いや、むしろ、「こんなに多いの?」と感じることがしばしばです。
わたしの見る限り、試験問題を「正しく読める」あるいは、「出題者の意向を100%理解できる」生徒さんは、中学生あたりですと、「全体の3分の1程度」です。
残りの3分の2の生徒さんは、成績が下になるにつれて、「正しく読めない」割合が多くなっていきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「読み・書き・ソロバン」というフレーズがあります。
たぶん、どこかでお聞きになったことがあるのではないでしょうか。
ここで、まず「読み」という言葉が出ていることに着目して下さい。
それほどまでに、「読める」ことは大事です。
なお、ここで「読める」というのは、単に字が読めれば、事足りるものではありません。
これは、前回のコラムで述べたとおりです。
簡単な内容なら、「字が読める」=「理解できる」でいいでしょう。
しかし、ここで取り上げたいのは、試験問題、分けても、入試問題です。
書いてある内容は、どうしたって難しいものになります。
「止まれ」「駐車禁止」のようなメッセージなら、実にシンプルです。
伝える内容もそれほど複雑ではありません。
字が読めれば、理解するのにさほど難しくはないでしょう。
一方、試験問題は違います。
「時速40kmの自動車で、A君がX地点からY地点を移動する場合...」
試験問題としては、小学校高学年や中学生なら、最低でもこのレベルです。
この年代の生徒さんですと、5人に1人くらいは、「時速40km」の正確な意味を知りません。
「時速40km」とは「1時間に40km進むこと」を知らなければ、この時点で、この問題は解けません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「試験問題を正しく読む」ということに関して、中学生の例を出します。
中学生が受ける試験の問題文というのは、平均点あたりの生徒さんであれば、正確に読めているはず...
わたしは、今よりずっと若いころ、このように考えていました。
しかし、彼らを指導していると、それは「美しい誤解」であることを、思い知らされました。
もちろん、平均点あたりの生徒さんが、試験問題をまるで理解していないということではありません。
理解している部分はあります。
ただ、彼らはちょくちょく問題文を誤読します。
論理的に考える力にも、弱さを感じることがあります。
さらに、間違った読み方がなぜ間違いなのか、説明してもポカンとされることがあります。
要するに、読解力が不安定なのです。
そういう現実に直面すると、
「試験問題を正しく読めるのは、中学生あたりで3人に1人」
いうのが、真実に近い気がします。
こうした現実をどう見るか...
「エ?エ?エ? そうなの?」
「まあ、こんなもんでしょ」
いろんな反応が予想されます。
ここでわたしの申し上げたいのは、
「試験問題を正しく読むのは、難しい」
「試験問題を正しく読めれば、上位3分の1には食い込める」
この2点です。
勉強が苦手...
テストの点数もよくない...
そのような生徒さんをお持ちのご父兄から指導依頼があるとき、次のようなフレーズを聞くことがあります。
...うちの子供は、テストの成績がよくないんです。
200人中160番くらいです。
こないだのテストは5教科で200点いきませんでした。
勉強の仕方がよく分かってないみたいで。
勉強のやり方を教えていただければ。
家庭教師の指導をやったことのある方は、きっと何度か、いや、何度も聞いたことのあるフレーズです。
このくらいの成績の生徒さんの場合、「勉強の仕方」を教えて、みるみるうちに成績が改善...なんていうことはまずありません。
確かにご父兄のおっしゃるように、このようなケースで、生徒さんは「勉強の仕方を分かっている」とは言えません。
彼らの場合、「勉強の仕方が分からない」ことが、成績不振の原因ではありません。
「そもそも勉強していない」
「勉強の仕方を教えても、教えた通りにできない」
これらが真の原因です。
「勉強の仕方を教えても、教えた通りにできない」というのは、生徒さん本人の能力とも関わりがあります。
ですから、ご父兄がご希望なさるように、「勉強の仕方」を教えただけでは、成績アップが難しいです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
勉強の仕方を教えただけで成績がアップするなら、こんなに楽なことはありません。
「勉強の仕方を教える」というのであれば、無料の動画がYouTubeでいくらでもあります。
それらは、都合のいい時間に見ることができます。
しかし、これらの動画には致命的な欠点があります。
それは、動画で触れられるような内容を実践するには、ある程度以上の学力が必要であることです。
言い換えると、動画で説明してあることをやるには、相応の力がいります。
勉強の苦手な生徒さんへ、「勉強の仕方」を説明したとしましょう。
「そもそも家庭教師が何を言っているか、よく分からない」というところからスタートしなくてはなりません。
さらに、彼らに「勉強の仕方」を教えても、1回説明したくらいでは定着しません。
繰り返し、繰り返し、教えているほうがクタクタになるまで、同じことを何度も何度も説明しなくてはなりません。
それでも、定着するのは、ごくわずかです。
こちらが教えたことの20%も覚えられれば、「かなりの歩留まり」と言えるでしょう。
1週間も指導が空けば、また一からやり直しです。
彼らへの指導は、決して易しくありません。
そして、決して甘くありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「勉強の仕方」の指導を受けた後、必要なのは「演習」です。
「演習」というのは、別の言い方をすれば、「勉強の仕方を教わったら、それを実際にやってみる」ことです。
スキーでボーゲンのやり方を教わったら、ゲレンデで実際にボーゲンを教えられたとおりにやってみることと同じです。
このように何かを教えられたら、実際にそれをやってみる必要があります。
世の中にある習い事は、その「演習」がセットになっています。
しかし、この点を、生徒さんも、それからご父兄も、分からない方が意外と多いです。
「勉強そのものは学校でやっている」という意識があるからでしょうか。
「勉強の仕方」を家庭教師からちょこちょこっと聞けば、すぐに成績が上向くと考えている方は、随分といらっしゃいます。
生徒さんにしても、ご父兄にしても、しっかり勉強した経験があれば、「ちょっと家庭教師からやり方を耳打ちされたくらいで、成績が上向くものでない」ことは理解できます。
なにしろ、学校の授業が朝から夕方まであって、なおかつ塾・家庭教師が、世の中にあふれているわけですから。
YouTube動画のような無料のもの、料金の安いものは、どこまでも安いなりの効果です。
この点、「常識」をもって考えれば、理解するのにそれほど難しくはない話です。
冬休みが始まっています。
この時期は、毎年、「入試の靴音の高まり」を感じます。
今年は例年以上に「追加指導」があります。
また、入試直前期ということのお問い合わせも、例年以上です。
12月に入って、「模試の結果に不安がある」ということで、4件立て続けにお問い合わせがありました。
聞けば、目指すところは、二華・一高・二高といった難関を目指す受験生ばかりです。
ここまで集中するのは、ちょっと記憶にありません。
たまたまだったとは思いますが...
こうしてご指名を受けるのは、ほんとうにありがたいことです。
ただ、お問い合わせをいただいた時点で、冬休みの指導は、「売り切れ完売」となっていました。
そのようなわけで、お問い合わせいただいたご父兄には、泣きの涙で「これ以上は申し訳ございません」とお伝えしました。
アー、担当したかった...
こればかりは、その時々の状況によります。
わたしは、フリーランサーとして、社長&社員&小間使い&営業・広報担当をこなしています。
ですから、学習指導だけに集中するわけにもいきません。
「一人親方」という身軽な身分である分だけ、負荷のかかる部分もあります。
そのようなわけで、体調に留意しながら、冬休みを乗り切っていきます。
よろしくお願いいたします。
このところ、時節柄というべきか、作文の指導をすることが多くなっています。
宮城県の公立高校入試には、国語で毎年160~200字の作文が課されます。
二華・青陵中は、400字とか500字といった作文がガッツリ出ます。
生徒さんの作文を見ていて感じるのは、
「学力差が作文にはハッキリ出る。
ハッキリというより、ハッキリし過ぎるほど」
ということです。
その中で、特に「学習苦手系」の生徒さんの場合、とにかく日本語として成り立っていない文章を書き連ねます。
彼らの書く文章を見ていると、文章を書くことの難しさを痛感します。
そして、一つの文章も、やたらと長いものが多いです。
これを短くすると、30%程度は読みやすくなります。
「文章はできる限り短く!」
「とにかく短く!」
この頃は、こればかり言っているような気がします。
ただ、これは、わたし自身も気を付けていることです。
課題作文は、採点する先生に読んでいただくものです。
その際、文章が長くては、先生方もウンザリしてきます。
最後まで先生方の「読む気力」が萎えないようにしなくてはなりません。
「読み手の立場になって書く」
これがほんとうに必要な気がします。
そして、これは難しいです。
今日は12月30日です。
「いよいよ押し詰まってまいりました」という「いつものフレーズ」が、そこかしこに聞こえてくるようです。
今回のコラムが、今年ラストです。
例年のように、今年度中の指導は昨日までです。
今年は例年以上に「駆け込み指導依頼」が多くありました。
そのため、本日も指導に伺いたかったのです。
が、仕事の整理のこともあり、指導は例年通り、「昨日まで」といたしました。
さて、コロナは依然として収まる気配がありません。
今年の秋口あたりから、わたしの担当する生徒さん・ご父兄の間で、コロナ感染者が急に増えました。
秋には、両親も感染してしまいました。
高齢でもあり、かなり心配しました。
幸い、後遺症のようなものは出ていないようです。
後遺症などは、以前に聞いていたより小さくなっているように感じています。
そのせいか、学校のほうは、一部を除いて「コロナ前の日常」に戻りつつあります。
コロナがインフルエンザ並みになるのは、いつなのでしょうか?
その日が一日も早く来ることを待ちたいです。
今年1年も、多くの皆様に支えられ、この年の瀬を迎えることができています。
この場を借りて、感謝申し上げます。
コラムは新春1月3日より再開します。
どうぞよいお年をお過ごしください!
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