〒981-0933 仙台市青葉区柏木1-2-29-301
電話での受付:15:00~20:00
定休日:日曜日
去る8月27日、「二華中・青陵中模試」が行われました。
わたしの担当している生徒さんも受験してきました。
これから秋口に入り、入試もより現実味を帯びてきます。
そのような折、受験生の中にはどうも志気が今一つ上がらないという人もいるでしょう。
今回のコラムでは、そうしたとき、ご父兄としてはいかに対処すべきか、ということを書いてみることにいたします。
申し上げるまでもございませんが、入試においては、本人の志気が最も大切です。
ですから、目指す学校に入りたいというはっきりとした意志があり、学習に意欲的であれば、問題ありません。
あとは、問題演習を重ねていくだけです。
しかし往々にしてそれに当てはまらない場合があります。
それは次の2つに分けられます。
(1)目指す学校に入りたいという気持ちはあるが、勉強に気乗りしない
(2)そもそも入りたいという気持ちがない
ここで、(2)であれば、スッパリ受験はやめたほうがいいです。
そうした場合、もしかしたら、子息は何となくご父兄の顔を伺って、小言を言われないようにしようとだけ考えているのかもしれません。
そして二華中・青陵中クラスになると、そもそも入りたいという気持ちがない受験生が合格できるほど、甘くはありません。
そのほかの私立中学に進むことになっても、成績が低迷を続ける可能性は高くなります。
ここで、ご父兄にとって悩ましいのは、(1)の場合です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べた(1)の場合、「入りたい」という気持ちに強弱があります。
0か100かという二者択一でくくり切れるものではありません。
「どちらかと言えば、気持ちが強い」のか「どちらかと言えば、気持ちが弱い」のかでも判断は分かれます。
前者、すなわち「どちらかと言えば、気持ちが強い」のであれば、入試が近づくと、本人の意識はだいたいいいほうに変わっていきます。
しかし、「どちらかと言えば、気持ちが弱い」「入りたい気持ちがないわけではないが、本人がどちらでもいい」と考えている場合が、最も悩むケースです。
そうしたときにどうすればよいのかについては、「あえてそのまま見守る。無理してやる気を出させようとしない」というのがよいと考えます。
その際、「中学受験なんて、もう勝手にすればいい!」とか「やる気がないんだったらやめてしまえばいい!」と感情に任せた発言を子息にぶつけてしまうのは、最もやってはいけません。
そう言いたくなる気持ちはよく分かります。
塾の送り迎えから、宿題の管理、入試情報の収集など心を砕いてやっているのに、肝心の当人が笛吹けども踊らずでは、虫の居所が悪くなるのも当然でしょう。
しかし、そこは子息のために「グッと我慢」です。
そのときに親としての真骨頂が問われます。
あくまで冷静に「遠くのほうから見守り続ける」というような考えでやっていくのが長い目で見て得策です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
以上のように書くと、ご父兄から次のような反論が予想されます。
.....「遠くから見守れ」などと、菊池は自分の子供でもないから、無責任にそんなことを言う。入試に間に合わなかったら、どうするのか?
.....感情的になってはダメなんて、そこまで自分は聖人君子になれない
そのようにお考えのご父兄は、仮に合格した場合の「合格後」の子息の姿を想像してみてください。
どっちつかずな気持ちで運よく合格に至った場合、「合格後」の学習で苦労する確率は高くなります。
そういう受験生は志気が高くない分、どうしても学習に打ち込めず、親子ともどもつらい思いをする可能性は高くなります。
わたしは、これまで、学校での学習に苦労している青陵中の生徒さんを何名か見てきました。
彼らはみなまじめで、彼らなりに青陵中に入りたいと願い、難関を突破してきました。
そういう生徒さんたちですら、もともと持っている力が、青陵中の人たちの中で相対的に低かったとしたら、成績は低迷します。
ましてや、どっちつかずな気持ちで合格した人が、「合格後」にどうなるかということは、想像に難くありません。
とはいうものの、合格するにせよ、残念な結果になるにせよ、中学入試のために学習してきたことは、その後の学習に大いに役立ちます。
「どっちつかずの気持ち」という受験生をお持ちのご父兄は、自然体に構えて「仮に残念だったとしても、高校入試のこともあるし.....」とお考えになってください。
それが最もよい方法なのではないでしょうか。
動画がきちんと表示されない場合は↓から
生徒さんの指導をしていて思うことの一つに、「それにしても何でこんなに教材が多いんだろう?」というのがあります。
学校の教科書、副教材ワーク、塾のテキスト、プリント、過去問集.....
とにかく紙の山、山、そして山です。
これが同じ紙でも、福沢諭吉先生のご尊顔が描いてあるものだったら嬉しいのでしょうが、何とかならないものかといつも感じています。
わたしの生徒さんで、塾と併用している人の場合、夏期講習、冬期講習といった講習ごとにテキスト配付のあることが多いです。
これを見ていると、少々もったいない気がします。
長期休暇の際の講習は、通常の授業とは違うプログラムになることが通例です。
また講習だけを受講しに来る人もいるので、そういうふうになっているのでしょう。
一方で、「どうせやるのなら、以前に使ったテキストをもう1回繰り返したほうが効果はあるんだけどな.....」と感じたりもします。
わたしのやり方はどうなのかというと、「できる限り、生徒さんが持っているもので対処する」というものです。
塾や学校で配付しているものがあれば、可能な限りそれを活用しています。
一番の基本となるのは何といっても教科書です。
受験関係者の中には、自作のテキストを作ったりする方もいらっしゃいますが、わたしはそういうことをしたことがありません。
「そこにあるものを繰り返し活用する」という方式です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
受験において必携と思われる志望校の過去問集についても、わたしは生徒さん全員に与えているわけではありません。
「この生徒さんには、これまでの模擬試験やテキストの解き直しをしていけば十分」と判断した場合には、過去問を使用しないことがあります。
中学生の場合ですと、学校で年明けに私立高校や公立高校の入試問題演習をやります。
それで十分と判断できれば、そうしています。
特に勉強の苦手な生徒さんの場合は、あれこれ新しいものをやってもらうよりは、「同じ問題を5回、10回と解いていく」ほうが効果的であると考えます。
それでは、優秀な生徒さんの場合はどうでしょうか。
2年前に仙台二高に合格した生徒さんに関して申せば、入試の対策は模試、塾における予想問題演習に絞り込みました。
公立高校の過去問は全くやっていません。
そのようにした理由というのは、塾から与えられるテキストや予想問題集がかなりの量だったからです。
それで、過去問集という新しいものに手を付けるか、それとも今までのものをしっかりやるかで、生徒さんの意向を確認しました。
生徒さんとしては、「新しいものよりは、今までのものをしっかりやりたい」ということでしたので、本人の意思を尊重し、そのようにしました。
3年前に仙台二高に合格した生徒さんの場合、過去問集をメインにし、模試、塾における予想問題演習で補っていくという風にしました。
また今春、仙台一高に合格した生徒さんは、宮城県の過去問集だけでなく、旺文社から出版されている「全国高校入試問題正解」(通称「電話帳」)に取り組みました。
いずれも本人の意思を踏まえた上でのやり方です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それでも、小中学生の場合は、「いかに教材を絞るか」という点を考えると、まだ問題はそれほど大きくありません。
悩ましいのは高校生です。
書店に行くと、いろんな種類の問題集・参考書がズラッとそろっています。
そのほかにも、高校では学校から配付されるものがあります。
予備校に通ったりすると、そちらからのテキストもあったりします。
定期試験、模擬試験、実力試験、個別に配付されるプリントもあります。
まさしく「紙爆弾」といっていいほどです(笑)
そのため、「教材との折り合いのつけ方」というのが一層大変になってきます。
これをどうすればよいのか.....
わたしの考えとしては、「メインとするもの、サブ的に利用するものをしっかり分けていく。そして『重要性が低い』と判断したものについては、目につかないところへしまっておく」というものです。
さすがに「重要度の低いものは捨ててしまう」というのにためらいを感じる人もいるでしょう。
そういう人にとっては、押し入れの奥深くに入れておくだけで、整理がついたような気になり、新鮮な気持ちで学習に向かえます。
高校から配付される参考書・問題集などについては、マイナー系出版社のものが多かったりするので、重要性が低く見られがちです。
しかし中身を見ると、大手出版のものに引けを取らず、いいものがあります。
大学受験については、難易度の差、一般入試か、AO入試か、指定校推薦か、など要素が多すぎて、とても高校受験のようにはいきません。
周りにアドバイスしてくれるプロがいれば、そのプロに従ってください。
自分で判断するときは、「自分はどの参考書と心中するのか」という考えでやってみてください。
それはあなたの「一生の戦友」になるわけですから.....
先月初めから、坐骨神経痛が出て、接骨院に通っています。
7月下旬、左脚の部分に突っ張った感じ・痛みが急に出てきて、歩く際に杖がほしいと思うくらいになってしまいました。
そこで、先月から2週間はほぼ毎日、その後は1日おきに通院しています。
おかげで痛みはだいぶ引いており、日常生活に支障はありません。
これからもしばらく接骨院通いは続きます。
接骨院からすれば、わたしは患者の一人です。
施術してくださるのは、専門家たる先生です。
したがって、通常の受験教師の指導とは、立場が逆になります。
そういう場面に遭遇して、今さらながら感じたことがありましたので、今回、記すことにいたします。
まず、受験指導と、病気治療とは共通点、相違点の両方があります。
共通点として1点挙げます。
それは、「マズいな」と思ったら、放置せず専門家に任せるべきであるということです。
病気の場合、症状が出ても、軽く考えたり、忙しさに紛れて放置してしまうということがままあります。
すると事態は確実に悪化します。
そしてほんとうにどうにもならなくなってしまったころに病院に駆け込んでも、打てる手は限られてしまいます。
それは受験指導でも同じです。
特に家庭教師の場合は、かなり切羽詰まってという場合が往々にしてあります。
ご家庭としては、切羽詰まらないとなかなか家庭教師を依頼するという気にはなれないというのも理解はできます。
しかし、こじらせるだけこじらせてしまったものを何とかするのは、かなりの時間と労力が必要です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
受験指導と、病気の治療との相違点として、ここでは2点挙げます。
第1点目は、病気の場合、突如として自覚症状なしに発症することがありますが、受験指導の場合、「ある日、突然マズい事態に.....」ということはない、ということです。
「マズい事態」は、必ず何がしかの「潜伏期間」があります。
ですから、ご父兄の目から見て、子息が「これではマズい」と感じたら、なるべく早く専門家にゆだねたほうがよいです。
いくら腕っこきの受験指導者でも、神ならぬ身である限りは、できることとできないことがあります。
第2点目は、病気の場合、本人が発熱・痛みなど「症状を症状として感じる」ことができますが、受験の場合、本人が「症状を症状として感じる」ことが必ずしもできないということです。
学業が低迷を続けているとき、生徒さんは「勉強が分からない」「どうやればいいのか」ということを感じてはいます。
しかし、
「自分は勉強に関心がないから」
「別に入りたい高校なんてない」
「勉強ができなくたって、だから何?」
というふうに考えてしまうようになると、「症状を症状として感じる」ことはできなくなります。
病気が悪化して命取りになることはありますが、学業が低迷したところで、命まで取られるということはありません。
逆にそこが、受験指導の難しさと言えます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが、このたび、坐骨神経痛の件で、患者になって思うのは、「まずは専門家の言うことを忠実に実行するのが重要」ということです。
これは受験指導でも同じです。
成績を改善したいと思ったら、まず第一歩として、専門家である講師の言うとおりにしてみることです。
「先生の言うことは聞きません。成績は上がりません。何とかしてください」
と言われても、なんともしようがありません。
また坐骨神経痛の治療は、接骨院での施術がすべてではありません。
症状を改善するために、ストレッチをやるように指示されます。
これはすなわち、わたしが日々、生徒さんに出している課題と同じです。
わたしも生徒さんに課題をしっかりやってくるように言っている以上、ストレッチも欠かさずやっています。
「仕事で忙しかった」「つい忘れていた」などというのは、やらない理由になりません。
施術をする先生も、「この患者さんは、指示したとおりに、ストレッチ、ちゃんとやってるか、やってないか」ということは、専門家ですから分かるでしょう。
患者であるわたしも、「何とかして1日も早く治りたい」という気持ちがあります。
そういう「積極的な姿勢」というのは、先生にも伝わっているのではないでしょうか。
そうなれば、先生のほうも、自然と施術に熱がこもるようになるでしょう。
おかげさまで、当初はどうなることかと思いましたが、日に日によくなっています。
受験指導における生徒さんも、「日に日によくなる」という状態になってほしいと切に思います。
先だって、生徒さんから「制服のない高校はどこですか?」という質問を受けました。
女子生徒の場合、制服のカッコよさが学校選びの大きなポイントの一つになります。
そうした意味で、逆に「制服がない」というのも「考慮すべき点の一つ」になりえます。
仙台圏の高校で、制服のない高校は以下の通りです。
仙台一、仙台二、仙台三、宮城一、仙台向山
宮城野、仙台、仙台工業、学院榴ヶ岡、仙台高専
仙台大志、宮城第二工業
このうち、仙台工業については、制服なしとしているものの、ほとんどの生徒が学生服を着用しています。
今回、改めて学校に問い合わせたところ、95%くらいの人が学生服を着ているのではないかと言っていました。
こうなると、「実質制服あり」と言えます。
そもそも制服がなくなったというきっかけは、1970年代の学生運動です。
県内には東北大学があったため、その当時、学生運動が盛んでした。
それが一高や二高、あるいは三高といったところに飛び火し、高校内にも、全共闘が組織されました。
その際、制服が「管理教育の象徴」としてやり玉に挙がったというわけです。
進学校と言われるところで、制服がない傾向にあるのは、その影響によります。
仙台向山や宮城野高校は、全共闘運動が下火になってから創立されたのですが、開校以来、制服は定められていません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一高、二高、三高で制服が定められていないのに対し、かつては、宮城一女、二女、三女といっていた宮城一高、二華、三桜においては、宮城一高だけが制服なしというのも興味深いです。
上記で述べたように、制服撤廃というのは、全共闘運動が関係しています。
二女・三女は一女に比べておしとやかだったのかもしれません。
二高において、新入生は、5月第2土曜日に行われる仙台一高との野球定期戦まで、中学の制服を着用してくるという「暗黙のルール」があります。
学校としては、新入生が私腹を着てきても、とがめることはないのですが、応援団幹部がそれを許しません。
それは制服がなくなってからも、ずっと守られてきました。
今はそうでもないようですが、わたしが現役学生のころ、応援団幹部は「怖い人たち」でした。
一方、一高ではそのような決まりがなく、こういうところにも校風の違いを感じます。
制服のない学校というのは、自由な校風です。
宮城野高校だと、部活動というものもなく、サークル活動だけなので、余計にそう感じるのかもしれません。
そういう学校では、緩い分、逆に自分できちんとコントロールしていかなくてはなりません。
「楽しい、楽しい」で3年間を過ごした結果、高校では何も身に付きませんでしたということのないようにしたいものです。
今週、仙台市内の中学校では、大半が定期試験です。
高校でも私立高校は今週からというところが多いです。
公立高校は、今月末にかけてです。
そんなわけで、「ここはテストに出るから」「ここは大事だから」という言葉が、学校の先生方や受験関係者から頻繁に発せられているはずです。
それを聞いている生徒さんは、
「フムフム、それは大事なのか」
「なるほど、そこはテストに出るのか」
と、特に疑うことなく学習にいそしみます。
ここで、生徒さんはこういう疑問を抱いたことはないでしょうか。
...「大事なところ」っていうけど、なぜそこがそんなに「大事なところ」なの?
...なぜそこが「テストに出るところ」なの?
そういうふうに考えると、「テストに出るから大事なのか」「大事だからテストに出るのか」という「鶏が先か、卵が先か」という論争になってしまいます。
現在、試験のために勉強している中高校生には、とにかく目の前の試験の点数が大切なのはよく分かっていますが、以下おつきあいください。
まず、「テストに出るから大事なのか」「大事だからテストに出るのか」についてです。
これはハッキリしています。
「大事だからテストに出る」のです。
これは間違いありません。
受験関係者としては、「テストに出るから大事」と考えがちですが、わたしはそのように思いません。
では、どういう点が「大事」なのでしょうか。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
出題者が「大事なところ」と考える根拠は大きく分けて二つあります。
まず第1点目が、「今後、学習を進めていく上で、あるいは社会に出てから使う頻度が高い」ところです。
試験問題を作成する先生方は、その科目の専門家です。
少なくとも大学まではその科目をみっちり勉強しています。
そうなると、「ここの部分は、後でこういうふうに使うようになる。使う頻度が高い」という箇所が出てきます。
そういうところは、今、学習を続けている生徒たちにしっかり勉強しておいてほしい、と考えるのも当然の成り行きです。
それは必然的に「大事なところ」となり、「テストに出したくなる」ところになります。
また、国語の試験に出てくる漢字の書き取りというのは、社会に出てから非常に使う頻度が高い、ということは十分に予想されます。
ちなみに今年の東大の国語の二次試験には、「救済」という漢字を書け、という問題が出ていました。
「救済」という漢字の書き取りなんて、どこの高校入試の問題なのかと思いきや、天下の東大の入試問題に「堂々と」出題されています。
漢字の読み書きは、国語の試験に必出の箇所です。
漢字の試験は、入学試験のみならず、就職試験でも出されます。
ですから、「大事なところはどこか」ということは、今の学習を続けているうちは、見えてきません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
出題者が「大事なところ」と考える第2点目の根拠は、「紛らわしいところ」です。
例えば、社会の地理でいうと、
...「二毛作」と「二期作」はどう違うの?
...「親潮」と「黒潮」が通る場所の違いは?
...「ツシマ海流」と「チシマ海流」を正確に漢字で書ける? さらに通る場所の違いは?
というようなところは、「大事なところ」になります。
テストというのは、一生懸命に勉強した人、そうでない人の差を数値で表すことが目的です。
学校においては、それが内申評定に用いられます。
また入学試験においては、合格者・不合格者を分ける基準になります。
この「紛らわしいところ」というのは、試験を受ける生徒さんの側としては、「イジワル」「引っかけ」と受け取るかもしれません。
試験とは「生徒の出来・不出来を数値で表す」「合格者・不合格者を分ける」ことを目的としていることを考えれば、そういう受け取り方も分からないではありません。
しかし、今になって考えてみると、それが単にイジワルではなくて、先生からの親心でもあったのかなあとも思います。
後に役立つのは、「正確な知識」です。
曖昧な知識はかえって邪魔になります。
先ほど例に出した「二期作と二毛作の違い」などというのは、紛らわしいがゆえに、テストがなければ、積極的に覚えようとする動機がなかなか出てきません。
こういうことを書いているわたしも、テストがなければ、「二期作と二毛作の違い」について、その違いを知ることはなかったでしょう。
以上のことを理解したうえで、テストに臨んでください。
そうすれば、「なぜテストがあるのか」という意義が見えてきます。
9月に入り、新規お問い合わせや指導時間変更などで、お引き受け可能となった時間をお知らせいたします。
まず、水曜夕方の時間が空くことになりました。
また土曜の時間も2件ほど、お引き受け可能です。
他の曜日に関して、夕方以降の時間は埋まっております。
日曜については、調整次第で1件、お引き受けが可能となりそうです。
平日の昼間は、だいたいの時間、お引き受けできます。
この時間ですと、社会人・既卒生・不登校となっている方・通信制学校に通っている方が中心になってきます。
今年度はまだそうした方からのお問い合わせはありませんが、最近3年間で、社会人2件、既卒生・不登校生・通信制学校生、それぞれ1件ずつお問い合わせがありました。
うち、社会人の方以外は実際に指導をしています。
社会人の方については、1名が看護専門学校の受験をお考えの方からでした。
最終的にご主人の同意を得られらかったことで、受験を断念することになり、指導に至りませんでした。
もう1件は、宝石鑑定士の資格を取りたいので、という方でした。
そういう資格については全く知識がありませんでしたので、こちらはお断りしました。
いろんな方がいらっしゃるのだなあと思います。
次に、冬休み期間に行う学習会についてです。
こちらは、現在、場所を探しています。
昨年行ったところは、今年、使えなくなるらしく、日程や費用、広さなどを考えながら、最適な場所を模索中です。
「まだまだ先のことじゃないの」とお感じになるかもしれません。
しかし、あっという間に秋が過ぎて冬がやってきます。
仙台では、あと2か月たつと初雪が降ります!
学習会についても、決定次第、コラムやツイッターでご案内します。
指導をしていると、ときどき生徒さんがこちらの話を聞いておらず、ボーっとしていることがあります。
だいたいこの「ボーッとする」生徒さんというのは、決まったメンバーです。
家庭教師の指導の場合、生徒さんがあまりボーっとするということは少ないでしょうが、塾など集団指導の場合だとままあります。
講師からすると、こういう生徒さんを「精神のたるみ」とだけ受け取りがちです。
もちろん、そうである割合が高いですが、彼らの「ボーッ」をわたしなりに解釈すると、「彼らの『ボーッ』は単なる精神のたるみだけではない」となります。
では、「精神のたるみ」以外に何が原因なのかというと、それは「講師の話を理解できていない」という側面です。
「講師の話を理解できない」のは、学習をする際に学問用語、一般的な国語力、特に語彙力不足という面が非常に大きいと考えています。
わたしたちの日常生活においてもそうですが、知らない単語は聞き取れません。
電話などで珍しい姓を聞いたとき「ハッ?」と聞き返してしまうのはそれが理由です。
「ボーッ」としている生徒さんの場合、学習をする際には、そういう「知らない単語、聞いたことがない単語」が普段の生活に比べて、多くなってしまいます。
しかも書いて示されるならまだしも、講師からの指示・指導の場合は、聞き取ることを要求されます。
となれば、講師の話が理解できないことだらけだとしたら、「ボーッ」とせざるを得ません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
これまでのわたしの経験ですと、「ボーッ」としている生徒さんというのは、こちらが考えている以上に、「言葉を理解できる力」が足りていません。
指導中、生徒さんに
「これこれ、こういうことをやって下さい」
「この問題は、こうして、こうやって、こうなります」
というふうに指示すると、生徒さんはその通りに動こうとします。
しかし、ボーッとしていたり、あるいは、まるで見当外れのことをやっている生徒さんを見かけることがあります。
そういうとき、
「今、わたしがどういう指示をしたか、どう教えたか、それを言ってもらえませんか?」
と、生徒さんに言ってみます。
すると、生徒さんは、大体、ギョッとしたような顔をして、「菊池に指示されたこと、教えられたこと」を語り始めます。
生徒さんが語るところを聞くと、
「この生徒さんは、マジメに話を聞いていなかったんだな」
「この生徒さんは、この部分が理解できていないせいで、こんな頓珍漢なことをやってるんだな」
というのが手に取るように分かります。
マジメに話を聞いていない場合は論外です。
みっちり教育的指導を行います。
しかし、「この部分が理解できないせいで.....」という場合は、その部分を懇切丁寧に説明したり、またヒントを与えて生徒さんにじっくり考えてもらうと、スッと問題が解けたりします。
つまり、「ボーッ」の原因は、「理解できない箇所がある」ことだったのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この「ボーッとしている生徒さん」のことを書いていて、落語の「金明竹(きんめいちく)」という話を思い出しました。
この題目には、与太郎という主人公が出てきます。
この話では、与太郎が行動することで、周りに生じるドタバタ劇が面白おかしく描かれています。
当代きっての名人、人間国宝の柳家小三治師匠が演じるこの話の中で、与太郎が、自分のおじさんにさんざん小言を言われる場面が出てきたとき、与太郎はこうつぶやきます。
なお、小三治師匠は、通常の落語家が「与太郎」とするところを、「松公(まつこう)」という名でやっています。
〜小言なんて言うのは、ときどき何か言われるから、そうかなって思う。
いま言われた小言、何だっけなと思って考えて、思い出せないうちに、また次の小言が飛んでくる。
これまた何だっけなあって思ってるうちに、ごちゃごちゃになって、分かんなくなっちゃう。
「ボーッとしている生徒さん」と、ここで出てくる与太郎とは、全く一緒ではありませんが、共通している部分もあるのではないかと考えます。
つまり、「言葉を理解できる力が足りていない」というところです。
「言葉を理解できる力」が足りてないがゆえに、理解するのに人一倍、時間がかかってしまう.....
そして、本人は理解したつもりになっても、不完全なところが相当出てくる.....
生徒さんの場合は、この与太郎とは比べ物にならないくらい、高度なものに取り組んでいます。
となれば、「言葉を理解できる力」がいかに大切か、というのがよく分かります。
ツイッターにも書いたことですが、先日の指導で、ある生徒さんが、特定の高校を指して、非常に侮辱的な言動をするということがありました。
わたしもそれを聞いて、久しぶりにドカンと大きな雷を落としました。
今後の指導のこともありますので、この件にまつわる見解を記してみたいと思います。
まず、わたしの生徒さんが指導中、他人様の学歴をバカにするような発言をした場合は、容赦しません。
理屈ではありません。
こういう言動が嫌いなのです。
ですから、どうしてもそういうことをしたい人は、辞めてもらうか、わたしのいないところで言ってください。
わたしのところからは、いろいろな生徒さんが巣立っていきます。
ですから、侮蔑的な言動を聞いていると、そこに入学した生徒さんの顔が浮かんできて、とてもではないですが、心穏やかにはなれません。
また、わたしは会社勤め等の社会経験を通じ、学歴というものが、社会に出ると、いかにデリケートなものかということもよく知っています。
そして、わたしは、受験産業従事者として、日々、学校というものを評し、またネットなどを通じて、外に自ら考えるところを発信しています。
となれば、学校を評するとき、特にマイナスイメージにつながってしまうような内容については、表現に細心の注意を払うべきなのは、最低限のマナーであると考えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
これまで、他人様の学歴をバカにする人にたびたび出会ったことがあります。
それは、生徒さん、社会人、さまざまです。
わたしが、そのような人を理解できない理由というのが、自分は他人様の学歴をバカにできるほど、立派な経歴を持っているわけではないというのが最大の理由です。
わたしも「身の程」を知っておりますので、身分不相応なことはとても口にできません。
こういう人の言うことを聞いていると、つくづくと自分とは思考回路の違う人なのだなあと感じてしまいます。
彼らはよほど鈍感なのか、よほど豪胆なのかのどちらかでしょう。
いずれにしても、あまりかかわりを持ちたくない人たちであることは間違いありません。
次に、侮蔑された人は、非常に不愉快に感じると思うからです。
他人様に向けた侮蔑の言葉は、いつの日にか直接・間接に自分の身に返ってきます。
これまでの経験ですと、だいたい他人様の学歴をバカにする人というのは、客観的にみると、バカにした相手に比べて、そう立派な経歴を持っているわけではないという場合が多かったです。
心の中で、「あなたは自分のことを棚に上げて、他人様のこと、いえるの?」と、何度つぶやいたことか.....
でも、そう言っているときの本人は、きっと快感なんでしょうね。
わたしにはさっぱり理解できませんが.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
他人様の学歴をバカにする人というのは、政治家の中にもいます。
今から書くのは、宮沢総理大臣、舛添前東京都知事です。
彼らは東大法学部を出ています。
かつての宮沢総理大臣は、「人に会えば学歴を尋ねる」人として有名でした。
後輩議員や新聞記者などに、学歴を尋ね、東大法学部出身でないと、露骨にバカにする態度をとったそうです。
ですから、新聞各社は、宮沢総理大臣の番記者に、東大法学部出身者を当てなくてはなりませんでした。
また舛添前東京都知事にも、厚労大臣であったころ、こんなエピソードがあります。
テレビ番組に出演し、コマーシャルに入ったところで、任命者である麻生総理大臣の出身大学を直接口に出して、「アイツはあんなところしか出てないから」と口を極めてバカ呼ばわりをしたといいます。
そして、当日の解説員に彼がバカにした大学を出た人がいて、出演者がそれとなく示唆したところ、ひきつった表情をして、「でも〇〇さんは別だけどね」と、慌てて取り繕ったとか。
こうなると、もはや漫画でしかないです(笑)
彼らとまでは行かなくとも、有能にして彼らのような行動をする人というのはいます。
そしてそういう人というのは、有能ゆえに出世します。
しかし、人望がないため、何かしくじりがあって、その座から転げ落ちてしまうと、誰も助けてくれません。
学歴は非常にデリケートなことであるため、自分の学歴をバカにした人間を、人は決して許すことはないからです。
恒例となりました「対抗バトル」の結果は以下のようになりました。
(模擬試験の部)
仙台市宮城野区 中学3年 W.Sくん
☆前回比 偏差値7アップ 改善率17.07ポイント
(校内実力試験の部)
仙台市若林区 高校2年 A.Iくん
☆前回比 43位アップ 改善率26.71ポイント
(敢闘賞)
仙台市青葉区 高校3年 M.Aさん
以上3名が「英雄認定」されました。
W.Sくんは7月に次いでの受賞です。
W.Sくんが受けたみやぎ模試では、前回比、偏差値7アップ、素点60点アップという驚異的なスコアをたたき出しました。
6月に部活動を引退してから、勉強量をさらに増やしていき、今回、突き抜けた成績をとることができました。
志望校の判定もA判定です。
引き続き、学習に邁進してください。
校内実力試験では、A.Iくんが受賞です。
A.Iくんは、将来の目的意識をきちんと持っている生徒さんです。
学習は大変だと思いますが、「将来の目的実現のために、今、何をやらなくてはならないのか」ということを常に考えながら、学習に臨んでください。
また今回は、高校3年生のM.Aさんに「敢闘賞」を授与します。
M.Aさんは、ずっと「高値安定」の成績を残しています。
ただ、M.Aさんのような成績を残している生徒さんの場合、どうしても対抗バトルの選考基準から漏れてしまいます。
そこで、今回は敢闘賞を授与し、日ごろの努力をたたえます。
この原稿を書いていて浮かんでくるのは、頑張る生徒さんたちの真剣な表情、真摯な姿勢です。
生徒さんの一生懸命な姿勢にこたえるべく、わたしも気を引き締めて指導に臨みます。
NHKで放送されている連続テレビ小説「ひよっこ」では、昭和39(1964)年、集団就職で東京に出てきた主人公を巡るやり取りが描かれています。
昭和39年といえば、今から53年前、日本が高度経済成長期にあるころです。
そして、現在、平成の御代において、すでに経済は、低成長時代・成熟時代に入ってから久しくなります。
1964年と、2016年の経済関連指標は以下の通りです。
出典は内閣府資料によります。
(経済成長率)
1964年 10.4%
2016年 1.3%
1956年〜1973年平均 9.1%
1991年〜2016年平均 1.0%
社会情勢がこのように変わってしまっているにもかかわらず、教育現場、特に商業・工業・農業高校といった実業系高校の基本的な仕組みは、成長時代と変わっていません。
そもそも、教育というのは、俗世間の干渉というものを受けにくい土壌にあります。
しかし、それが仇となって、学校でやっていることと、実社会とのズレが大きくなり、「学校は出たけれど.....」ということになりかねません。
その結果、勉強が苦手な生徒さんの場合、目的意識が希薄で、かつ必要なスキルを身に着けずに学校を卒業してしまうと、「安く上がる労働者」「いつでも首切りが可能な労働者」のままでずっと固定してしまう可能性があるということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
日本が成長期にあるときには、勉強が苦手であっても、技を身に着け、そこから一生懸命に働いて、努力して、努力して....とすれば、家庭を持って子供を養うことが可能でした。
そしてその中には、たたき上げて、人を何人も使うようになっている方もいます。
しかし、現在は、本人の努力だけでは埋めがたいような差ができてしまっています。
契約社員や派遣社員は、どんなに頑張っても、ずっと身分が不安定.....
したがって、特に男子の場合は、そうなると、結婚もままならない.....
これが現実の世界です。
実は、生徒さんたちにとって、最も身近な「親以外の大人」である学校の先生自身が、学校以外の社会というのはどうなっているのか、ということに対して、実体験のある人が非常に限られています。
そのため、上記に述べたような状況の変化を、先生ご自身が感じにくい、ということが事態の困難に拍車をかけています。
そして今の生徒さんは、わたしが中高校生だったころと比べても、将来への心配が多くなってしまっています。
そうした現状を踏まえ、実業系に進む生徒さんは、しっかりと専門知識を身に着けてください。
それは一生の宝になります。
そして、社会に出てから求められるのは、その人の潜在的な能力以上に、「仕事を丁寧にこなせるか」ということです。
それは、今、生徒さんたちが取り組んでいる勉強と大きな共通点があります。
わたしがしばしば「一生懸命に頑張る生徒さんを応援する」と言っているのは、そういう側面もあることを理解してください。
来月10月9日(月・祝)に、ひのきグループと進学プラザグループは、仙台一高・二高の前期選抜模試を実施します。
一高・二高の受験に関する両巨頭が同日に試験をぶつけてくるというガチバトルをやります。
ひのきの必勝館や進学プラザのtoppa館に通塾している人は、自動的に所属しているほうを受けることになると思われます。
それ以外の人で、前期選抜の受験を考えている人は、どちらを受ければいいか、迷うかもしれません。
そこで、今回は、両者の共通点、相違点を述べてみることにいたします。
まず共通点です。
ここでは3点述べます。
1.合格判定は入試と同じ基準で行う。
すなわち、国語・数学・英語のペーパーテスト+小論文+内申評定で決定する。
2.受験時は、中学校の制服着用を義務づけている。
3.試験実施日に父兄説明会がある。
両者とも「実際の入試と同じ条件で実施する」ということを全面的に打ち出しています。
また出題される問題も、実際の入試に準ずるとしています。
ですので、以前、進学プラザでやった「一高・二高突破模試」のようなものとは違ってくるはずです。
会場も入試の雰囲気を出すように制服着用です。
この点、みやぎ模試やぜんけん模試の会場受験とは異なります。
ただ、進学プラザのtoppa館に通っている人は、実施会場に赴かず、自分の通っている教室で受験するようです。
わたしが確認した限りではそうですが、全員がそうなのかは不明です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
次に両者の相違点です。
順を追って説明します。
<対象校>
ひのき 一高・二高
進プラ 一高・二高・三高
<対象学年>
ひのき 中1・2・3
進プラ 中2・3
<小論文問題の取り扱い>
ひのき 中3は学校別の問題 中1・2は共通
進プラ 中3は学校別の問題 中2は共通
<自宅受験>
ひのき 可能
進プラ 不可
<特典>
ひのき 小論文web講座が1,000円で受講可能
進プラ 東進ハイスクールの安河内講師による特別英語授業
ひのきの模試は、一高・二高のみが対象で、進学プラザの模試は、三高も対象にしています。
したがって、三高の前期を狙っている人は、進学プラザ一択となります。
対象学年については、進学プラザが中2・3であるのに対し、ひのきは中1も対象にしています。
実際のところ、現在の中1は「前期選抜廃止元年」になるので、受ける意味があるのかと考えてしまうかもしれません。
しかし、どういう模試でも、しっかり受けて、しっかり復習すると学習に効果はあります。
また、ひのきとしても、中1から生徒を囲い込んでいきたいという狙いもあると思われます。
特典については、ひのきで小論文web講座が1,000円で受講できるというのは、大きな魅力です。
中3生ですと、通常料金17,280円が、この模試を受けることで1,000円になるそうです。
この点については、ひのきに問い合わせて、しっかり確認しました。
この特典を比べると、ひのきのほうが進学プラザに比べて「お得感」があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
さらに、両者の内申評定の扱いについて述べてみます。
これについては、ひのき・進学プラザ双方に問い合わせ・確認を取りました。
まず、ひのきについては、受験申し込みの段階で、申込書とともに内申評定を記入する書類を同封し、それを受験の際に持参してもらうという形をとります。
中3の場合は、1・2年の学年評定および3年の1学期の評定を記します。
中2の場合は、1年の学年評定および2年の1学期の評定、中1の場合は、1学期の評定を記します。
進学プラザの場合は、試験当日に評定を記します。
そのために評定の数字をあらかじめ準備しておく必要があります。
記入すべき評定については、ひのきと同じです。
ただし、進学プラザは中1生が対象外です。
toppa館に通っている人は、受験申し込みの際に、評定を記入する用紙が配られています。
内申の計算方法については、尋ねませんでしたが、ひのきの中1生の場合は、1学期の成績を「3年分の成績」として計算するのでしょう。
中2生の場合は、2年生1学期での評定を「3年生の成績」とみなして計算するものと思われます。
ここで受験生の不安の種は、小論文でしょう。
名前は「小論文」となっていますが、実際は、理科・社会の記述問題です。
これをどのように対策するかについては、別の機会に弊コラムで述べることにします。
わたしは弊サイトのトップページにも記しておりますとおり、わたしの指導を受ける気のない生徒さんは、引き受けをお断りしております。
その代わり、成績がどんなに低迷していても、それを理由にお断りすることはありません。
わたしの指導を受ける気持ちのある生徒さんならば、どのような人でも歓迎します。
理由は簡単です。
成績はいくら低迷していても、講師の言うことを実践する気持ちがあれば、成績は改善していく余地があります。
もちろん、実際には「実践する気持ち」だけでは不十分です。
講師の言うことを聞き、まずは指導の通りに自らの手で問題演習を積み重ねていく必要があります。
逆に、指導を受け入れる気がなければ、改善は見込めません。
家庭教師の指導は、文字通り「指導」です。
指導の場は、道場と同じ、スポーツクラブのトレーニングジムと同じです。
道場やトレーニングジムでは、受講者本人が手足を実際に動かさなくてはなりません。
指導に当たる師範・インストラクターといわれる人は、あくまで受講者本人のアドバイザーです。
そして、家庭教師の指導の場合は、自分の頭で考え、自分の手で書いて、答えを導きます。
ホテルのサービスのように、座っていれば、周りがホイホイと何でもやってくれるわけではありません。
そして座って、授業を聞いているだけで成績が上がっていくほど、受験学習は甘くはありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、「成績が低迷している」という生徒さんの場合、具体的にどのように「低迷」していたのか、3件記します。
下記はいずれも、中学3年生の引き受け時のケースです。
<ケース1>
小学2年生で学ぶ掛け算の九九が不完全。
7×8とか8×6辺りになると、かなり怪しくなる。
<ケース2>
英単語がほとんど読めない。
自分の名前がローマ字で書けず、ローマ字の読み書きもほぼできない。
「あなた」を英語で書くようにいうと、"jmt"と書く。
<ケース3>
数学の学習障害。
計算問題はこなせるが、それ以外はほぼできない。
小学校の算数で出てくる文章題は、不能状態。
<ケース3>の生徒さんの場合は、専門家から学習障害という診断が出ていましたが、<ケース1><ケース2>の場合は、そうした診断は出されていません。
実際、わたしが担当しての感想は、<ケース1><ケース2>の生徒さんが、学習障害というふうには、感じられませんでした。
彼らに共通することとして、指導はきちんとまじめに受けるということです。
指導を受けようとする意識が感じられ、わたしとしても快く彼らに接することができました。
そして課題を出すと、彼らなりに一生懸命にやってきました。
実際の試験の結果となると、なかなか厳しくはありましたが、家庭教師の指導というのは、こういう生徒さんたちのためにこそあるのだと考えています。
神奈川県平塚市に、KOSHIN学院という学習塾があります。
その塾長である瀬下先生は、わたしが尊敬申し上げている先生の一人です。
過日、ツイッターでもリツイートという形で引用しましたが、先生が学習における時間感覚に関することをブログでお書きになっていらっしゃいます。
詳細はこちらを参照してください。
このブログを紹介したツイートは、原稿を書いている時点で、「7リツイート、22いいね」が付いています。
賛同者の多いことが見て取れます。
わたしが述べたいことは、先生がおっしゃっていること、100%そのままです。
「瀬下先生って、もしかして、自分?」とツッコミを入れたくなるくらい(笑)
それにしても、時間の感覚を持って勉強に臨んでいない生徒さんの多いこと、多いこと.....
わたしの場合は、学習塾とは違って基本的に1対1で生徒さんに向き合います。
そのため、否が応でも生徒さんの時間感覚のなさが目に付いてしまいます。
そしてやはりというべきか、当然というべきか、勉強の苦手な生徒さんほど、時間感覚がありません。
ただ、彼らの言い分としては、
「時間感覚というけれど、自分がやっていることのどこがどうよくないのか、分からない」
「解きたいのはやまやまだが、そもそも問題に書いてあることが分からない」
ということになるでしょう。
わたしとしては、指導の際、物事には何でも締め切りというのがあり、その締め切りを過ぎた仕事は、いかに立派でも何の意味も持たないことを教えるようにしています。
彼らも「ふ〜ん」というような表情で聞いています。
こういうところから、少しずつでも改善していくほかないのかもしれません。
頑張ります!
成績upのヒント!
教育コラム「雨か嵐か」
〒981-0933
仙台市青葉区柏木1-6-22佐藤アパートB101
15:00~20:00
日曜日