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弊コラムでは、去る9月25日〜27日にかけて、ひのきvs進プラの前期選抜模試について取り上げました。
今回は、その続編です。
両校で前期選抜に出題される小論文とは、「小論文」と銘打ってはいるものの、実際は、理科・社会の記述式問題という不思議な試験です。
一高・二高の前期選抜受験を考えている生徒さん、そういう生徒さんをお持ちのご父兄はこの点、よく分かっていると思います。
多くの受験生にとって、小論文は不安の種でしょう。
そこで、この試験にどう対処していけばいいのかを3点書いてみることにします。
第1点目として、小論文試験に目を奪われ過ぎてはならないということです。
国語・数学・英語の3教科でしっかり得点ができなければ、小論文試験以前のお話です。
試験は小論文だけではありません。
3教科と合わせて決まります。
これらの科目は9割の得点を目指してください。
もっとも実際にはこれより多少低くとも合格はできているようです。
しかし、特にここ数年、前期においても後期においても、英語の易化が際立っています。
「ちょっとしたミス」が今まで以上に命取りになります。
留意しなくてはなりません。
内申に関して申すと、一高は前期選抜の出願内申に制限を設けない「太っ腹」ですが、実際の合格内申は、一・二両校でほとんど差がありません。
よって3教科で厚みのある得点をしていることは必須条件です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第2点目として、小論文の対策は、結局のところ、「当たり前のことを当たり前のようにコツコツやる」こと、そして対策には限界があることを自覚すべきです。
「当たり前のことを当たり前のように」というのは、学校の授業をしっかり受ける、試験を受けたら解き直しをして穴を見つける、繰り返しやって定着を図るという地道な学習を続けるということです。
理科・社会でこれまで受けた試験、あるいは問題集などは、そっくりそのまま前期試験対策になります。
ここをおろそかにして、いくら塾で実施される「前期対策講座」を受講しても意味がありません。
「前期対策講座」は、理科・社会の通常の模擬試験で、最低でも8割以上、通常は8割5分以上を常に得点できている人が受けて初めて本来の意義を発揮します。
基本的な事項がボロボロ抜けているようでは、記述問題を書きようにも書くことができません。
また小論文は、いくらやっても完璧になることはありません。
それが不安の種だというのはよく理解できます。
しかし、「不安だ」「不安だ」と、新しいことにあれこれ手を出しすぎると、国語・数学・英語の主要3教科の学習が隅に追いやられてしまいます。
それでは本末転倒です。
小論文試験は、他の試験と同様に後期選抜終了後に点数開示がされます。
が、あくまでそれは点数の開示だけです。
採点基準などは一切明らかにされていません。
よって合格基準も闇の中ですが、目標として6割を目指す形にしたいものです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第3点目として、今回は「具体的にどう書くか」ということの要点を2つ示します。
1.キーワードをしっかり書く
「キーワード」というのは、「この問題を出題したら、受験生にはこの単語はぜひ入れておいてほしい」と出題者が考えている語句群のことです。
例えば、円高になることで生じる日本経済への影響を問う問題が出たら、「輸出品」「輸入品」「価格」という言葉は外せません。
問題によって何がキーワードになるのかはそれぞれ違います。
要は、採点者に「この受験生はちゃんと分かってるな」という印象を与えることが大切です。
それがキーワードです。
2.主語・述語を的確に
日本語の場合、
「昨日、テレビ、何の番組見た?」
「あ〜、志村の動物園」
というように、主語を明示しなくても意味が通じてしまいます。
というより、主語をいちいち明示しないほうが作法にかなっています。
しかし、これが答案を書く段になると、マイナスの要因になってしまうのです。
生徒さんの答案を見ていると、しばしば「誰が」「何が」が曖昧になっている文章を書いています。
これでは出題者にうまくアピールしているとは言えません。
特に主語については、意識してしっかり書く必要があります。
ほかにも細かいことを言えばきりがありませんが、まずは上記のことを意識してください。
来年2月、いい結果が出ますように!
先日のツイッターでも少し触れたのですが、先ごろ返却された数学の定期試験の答案を見ていると、一部の生徒さんが、計算をあまりにもいい加減にやっている様子がうかがえました。
手抜きをして、正解するのであればいいのです。
しかし、間違っているのですから、話になりません。
そんなことがあって、先週までは怒り心頭でした。
「だから言わんこっちゃない.....」
「あれだけきちんと書けと指導したのに.....」
「ちゃんと書かずに手抜きをして計算して間違って、成績、下がりましたって言われてもなあ.....」
という具合にです。
しかし、そのとき、ふと
「これだけ生徒さんが、計算をぞんざいにやっているのは、生徒さんだけの問題なのだろうか? 教える側にも問題があるのではないだろうか?」
と考え始めました。
わたしがこのたび思い当たったのは、数学における計算というものを、教えるわたしのほうが今まで以上に重要視すべきではないかということでした。
もちろん、わたしは数学の計算を非常に重要なものだと考えています。
しかし、どこかに甘さがあったかもしれません。
マイナス符号を一つ見落としてしまったために、第一志望校に合格できず、別の道に進むことを余儀なくされてしまった人はたくさんいます。
それほどまでに重要な計算です。
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(前回の続きです)
学年が進んだり、難問になればなるほど、複雑な計算を必要とします。
その際、指導時間との兼ね合いで、途中の複雑な計算を省いて、「はい、模範解答ではこうなってます」と指導しがちです。
ちょうど、料理番組みたいなもので、「できあがりは、こうなりました!」とやっているようなものです。
指導を受けている生徒さんも、「指導者がああやっているわけだから、自分も計算、きちんとやらなくてもいいんだ」と考えている人がいるのではないか.....
まさかとは思いますが、そのようなことを危惧するようになりました。
わたしもほんとうのことを言うと、計算も含めて数学の指導には時間をしっかり注ぎたいのです。
しかし、受験科目は数学だけではありません。
他の科目にも目配りする必要があります。
生徒さんには、そうした事情でのやむを得ないやり方だと受け止めてほしいのです。
それから、計算過程の軽視という事情を少しでも改善するために、学校の先生方のご協力も不可欠とも考えるようになりました。
というのも、定期試験や副教材ワークなどでは、非常に貧弱な計算スペースしか与えられていないという現実があります。
中学校で提出を義務付けている副教材ワークは、印刷の都合もあってか、計算スペースはごくわずかです。
そこに答えだけなく、計算過程も書いて提出するように命じている現状があります。
そうなっては、どうしても生徒さん側として、計算をなるべく書かずに済まそうという気になっても致し方ありません。
ですから、例えば定期試験では計算スペースをタップリすぎるほどタップリとるとか、別に計算用紙を配付するとかの配慮をしていただけると、クラス全体の成績は何がしか改善が見られるのではないでしょうか。
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(前回の続きです)
実際の入試問題、例えば、センター試験や各大学の数学の入試問題では、計算スペースが実にたっぷりと与えられます。
テスト用紙に詰め切れないほどの問題を印刷し、計算スペースといえば、解答用紙の裏や問題用紙のごくわずかなスペースしか与えない.....
その一方で、
「計算過程をしっかり書け」
「おまえたちは、計算をきちんとしないから間違ったんだ」
と語るのも、よく考えてみれば、相当に理不尽な話です。
紙切れ1枚余計に配ることで、数学の点数が改善するかどうかは分かりませんが、計算はしっかり、はっきりとした字で書くべきという建前だけも学校側は用意してほしいところです。
ちなみにわたしは指導の際、とにかく計算に使うスペースは惜しむなと言っています。
指導の際にも、生徒さん宅で使うノートには、罫線を全く無視して、はっきり、大きく計算過程を書いています。
ただ、女子生徒の場合、罫線を無視するのには、抵抗があるようです。
加えて、使うノートにも問題があると思います。
小学校くらいまでなら、マス目があるものでもいいですが、中学以降になると、罫線のある大学ノートは数学に不適です。
何が最適かというと、罫線なしの無地のノートです。
罫線があると、見た目は非常にきれいになりますが、分数などを扱うときなど、どうしても支障が出てきます。
とにかく、見た目がきれいでも、計算間違いをしてしまってはどうにもなりません。
教える側としても、もうひと工夫必要であると、自戒を込めて書きました。
指導をしていると、いまさらですが、いろんなタイプの生徒さんがいます。
指導が滑らかに進む生徒さん..... 一筋縄ではいかない生徒さん..... すごいな!と思う生徒さん、いろいろです。
指導は、ご父兄・生徒さん・そして講師であるわたしが二人三脚であたらなくてはなりません。
それのどれが欠けても、指導は成り立ちません。
そこで、今回は生徒さんを4つのタイプに分けてみることにします。
(1)親の言うことも、講師の言うことも聞く
(2)親の言うことより、講師の言うことを聞く
(3)講師の言うことより、親の言うことを聞く
(4)親の言うことも、講師の言うことも聞かない
この中で、当然ながら、いちばん指導がうまくいくのは(1)のタイプです。
勉強量をしっかりこなせば、指導成果が現れやすいです。
(4)のタイプとなると、指導そのものが成立しづらくなります。
(2)のタイプの生徒さんも結構います。
ご父兄の前では、いろいろと反抗的なことを口走っていても、わたしの前では結構おとなしかったりします。
彼らにとって、講師は親や学校の先生とはちょっと違った位置づけの「他人の大人」です。
生徒さんにはそういう遠慮のようなものがあるのかもしれません。
指導では、まず講師の指示に従ってもらわなくてはなりません。
そういう意味で、わたしにとってこのタイプの生徒さんは指導をするのに問題はありません。
(3)のタイプ、すなわち「講師の言うことより、親の言うことを聞く」という生徒さんの場合は、相応の心構えが必要になります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回に述べた「講師の言うことより、親の言うことを聞く」という生徒さんがいるというのは、意外に聞こえるかもしれません。
しかし、指導をしていると、そういう生徒さんはいます。
だいたい、以下のようなタイプです。
1.本人のプライドが高め。指導されたり、指摘されることを好まない。
2.学習への関心はどちらかというと高いほうではない。
3.「講師の言うことより、親の言うことを聞く」ということを、そのご父兄ご自身は自覚がない。
「うちの子供は言うことを聞かない」とご父兄は考えている。
講師の場合は、四六時中、家庭の中にわけではありません。
時間が来れば、帰っていきます。
一方で、生徒さんにとって、自分の居場所はその家しかありません。
そこに親はいます。
となると、親とは顔を突き合わせなくてはなりません。
講師にとっては「生徒さん」であっても、親からすれば、「息子・娘」です。
そうなると、講師よりは親の言うことを聞かざるを得なくなるのでしょう。
そのご父兄が、社会的地位の高いと考えられている職種に就いていたりすると、余計にそうだったりします。
ところが、当のご父兄は、「うちの子供は言うことを聞かない。だから先生から言っていただかないと.....」と考えていらっしゃったりします。
一人一人の生徒さんに合わせて指導するというのは、難しいことではありますが、それがプロの役目です。
結果を出していきます!
わたしの指導を受けるようになった生徒さんの中で、特に公立小中学校に通っていて、平均点に満たない人は、わたしの指導に結構面食らっているのではないでしょうか?
指導においては、わたしの説明を聴いて、問題演習をして、ハイ終わりではありません。
「なぜそれはそういう答えになったのですか?」
「選択肢の中で、それを選んだ根拠を言ってもらえませんか?」
「君のその書き方ではいかにもまずいですね。どうしてまずいと思いますか?」
という質問が、わたしから頻々となされます。
この問いかけに、生徒さんはいちいち考えて回答しなくてはなりません。
そして生徒さんの答えに対して矛盾点があると、すかさず「これは矛盾していますね。どこが矛盾していると思いますか?」と更に切り返されます。
上記に述べたような学力の生徒さんにとっては、大変だと思います。
だいたい、わたしからそういう質問を受ける生徒さんの顔はこわばっています。
「根拠? 根拠って言われても.... う〜んと、そんなにきちんと説明できないんだよな〜」
と心中つぶやいている様子が顔に書いてあります。
もっともわたしは、きちんと逃げ道も用意しています。
「特に根拠なくその答えになったとすれば、『何となくそう思いました』って言ってもらっていいです」と伝えています。
それでもしばらく何も言わず、黙ったままという生徒さんもいます。
わたしは根拠を聞きたいだけで、柔らかく尋ねているつもりですが、生徒さんのほうは必ずしもそうとらえていないのでしょう。
「質問」というよりは、「尋問」「査問」のように受け取っているのかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
上記のような質問をされる生徒さんはどう感じているか、正確なところは分かりません。
わたし自身は、何も生徒さんをいじめたくてそうしているのではありません。
生徒さんがどういう理由でそういう答えになったのか、どこを理解して、どこを理解していないのか、ということを、わたしなりに確かめたくてそうしているのです。
そういう質問をして感じるのは、特に平均点に満たない生徒さんたちというのは、「きちんと考えないで答えを書いている」という場面があまりにも多いことです。
とにかく、動物的直感というのか、ほとんど反射神経だけで、まともに考えずに答案を書いていることが多すぎます。
それは「考えない」のか「考えられない」のか、真の理由は藪の中です。
たぶん、両方の要因が混じっているのでしょう。
直感は重要ではありますが、それは考える必要がない、ということにはなりません。
わたしの指導で、少しでも生徒さんがきちんと考える契機につながってくれればいいと感じています。
そして、きちんと考えなければ、成績は絶対に上がりません。
受験のための学習は考えずに何となくやっていればいいほど、そんなに甘いものではありません。
わたしからいろいろと質問を受ける生徒さんにしてみれば、いちいちツッコミを入れられるのは、大変だと思います。
「ああ言えばこう言うで、いちいち『根拠は?』って言ってきて、ホント、そっとしておいてほしい」と感じていることでしょう。
しかし、そっとしておいたなら、成績は上がっていかないのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしのこういう指導の進め方に対して、一度ご父兄のほうから、「細かく質問するのをやめてもらえないか」という要望のあったことがあります。
指導が始まったばかりのその生徒さんは、「いろいろ『根拠は?』『どうして?』と聞かれるので、家庭教師の指導が疲れてしまう」と親御さんにこぼしたらしいのです。
わたしとしては、「特に根拠がなくその答えになったのであれば、そう答えてもらえばいいと、あらかじめ伝えています。きちんと考えるのでなければ、成績は上がりません」と回答しました。
そのご父兄から話を伺うと、その生徒さんは肝心な点をご父兄に伝えていませんでした。
それは、「何となく」その答えを選んだのであれば、そう答えてもらえばいいと、わたしが当該生徒さんにあらかじめ伝えていたという点です。
そんなわけで、ご父兄としては、我が子が理不尽な尋問を受けていると誤解したのです。
そのご父兄は「そうだったんですか。それは大変失礼しました」とおっしゃり、後日、その生徒さんはたっぷりと「教育的指導」を受けたらしいです。
とにかくその生徒さんは、心安らかに、そして安穏に指導の時間を過ごしたかったのでしょう(笑)
そして、その生徒さんは、家庭教師の指導を、学校における授業と同じようなものとして解釈したかったのでしょう。
学校と同じになってしまったら、わざわざ大枚をはたいて、わたしに指導を依頼する必要がありません。
ですから、指導のスタイルは今後も変えるつもりはありません。
もちろん、わたしとしても生徒さんに無理難題を吹っかけているわけではありません。
その生徒さんの習熟度を見て、「手加減」をしています。
これは、あくまで生徒さんにしっかり考えてもらうのが目的です。
ご理解賜れば幸いです。
指導に行っておりますと、ご父兄からしばしば言われることに次のようなものがあります。
「うちの子はちゃんとやってなくて.....」
「ちゃんと宿題、やってますか?」
「何だかさっぱりやらなくて.....」
こういうことをご父兄から言われた生徒さんは、だいたいこう言って反論します。
「やってるよ!」
「宿題もやってるし!」
「やってるのに、やってないって言うんだもんな.....」
わたしのコラムはご父兄向けに書いていますが、今回は表題にあるように、中高校生に向けて書くことにします。
なぜあなたがたの親御さんは、「やってない」とおっしゃるのでしょうか。
中高校生の皆さんからすると、「やってない!」と言われれば、「やってないわけじゃない」「最低限はやってる」と反論したくなるでしょう。
しかし、親御さんは「やってない」と感じてそうおっしゃっているのではありません。
親御さんのおっしゃる「やってない」というのは、「あなたの勉強に甘さがある」「真剣に取り組んでいない」という意味です。
「勉強、真剣に取り組んでいますか?」
というふうに尋ねられたら、胸を張って
「真剣にやっています」
と答えられますか?
親御さんの「やってない」は、そこをおっしゃっているのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、親御さんは「真剣にやっているかどうか」の判断基準をどこに置いているのでしょうか。
それは大きく分けて2点あります。
第1点目は、試験の結果です。
親御さんは、「自分の子供には、ここまでの点数を取ってほしい」という期待値があります。
その「期待値」というのは、自分が現役学生の頃に取っていた点数・順位です。
「自分はこのくらいやって、これだけ取れたのだから、自分の息子・娘もそのくらいは.....」とお考えです。
ただ、それはあくまで「理想の期待値」です。
これまでのあなたがた中高校生の皆さんの様子を見て、「自分くらいは無理かもしれないが、ここくらいならできるだろう」ともお考えです。
それが「現実の期待値」です。
あなたがたが、親御さんの「現実の期待値」に達していないとき、親御さんは「ちゃんとやってない!」と判断します。
第2点目は、あなたがたが勉強をしていない時間の過ごし方です。
それは特に、LINEやyou tube、ゲーム類に向かっている等「スマートフォンに接している時間」です。
親御さんから「ちゃんとやってない」と言われている中高校生というのは、上記のような時間が、単なる息抜き以上になっていることがほとんどです。
確かに学校から出ている課題や塾・家庭教師などの受験関係者から出ている課題は「やっている」のかもしれません。
が、そういう時間が、息抜き以上になってしまえば、間違いなく「ちゃんとやってない」と判断されます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中高校生の皆さんの「スマートフォンに接している時間」は一日当たりどのくらいなのでしょうか。
あなたがたの親御さんは正確な時間は分からなくても、おおよその時間は把握しています。
いくら個室にいて、「親は自分のこと、見てない」などと思っていても、親御さんのほうは結構お見通しだったりします。
親御さんは、見ていないようで、きちんとご覧になっていらっしゃるのです。
それは、あなたがたの雰囲気で何となく察します。
あなたがたでも、例えば部活動を一緒にやっている周りの人を見て「あの人はちゃんとやっている」「あの人はまじめにやってない」と思っているでしょう。
口には出さないだけで、見ているものです。
ましてやあなたがたの親御さんにとって、あなたは息子・娘です。
注意・関心を持って見ていないわけはありません。
これまでは、親御さんが「ちゃんとやってない」とお考えになる要因を述べてきました。
逆に言えば、「ちゃんとやっている」とお考えになっていれば、こんなに強い味方はないはずです。
とにかく結果をしっかり出していれば、多少息抜きの時間が増えたところで、親御さんは温かく接してくださるはずです。
もしわたしの書いたことが嘘だと思うならば、「ちゃんと結果を出せば、小言は少なくなるか」と、あなたがたの親御さんに尋ねてみればいいです。
きっとこうお答えになるはずです。
「もちろん。だから結果を出すためにちゃんとやってね」
わたしは別途記載しております通り、実際の指導に入る前に、60分の「無料体験指導」を実施しています。
この「無料体験指導」について、わたしの考えを記すことにいたします。
これまでわたしのほうにお問い合わせを下さったご家庭は、ほとんどが子息の成績を真剣にお悩みです。
「何とかしてこうしてほしい」
「何とかならないものか」
という様子がメール・電話を通じて伺えます。
今更ながら、「こんなにわたしを必要としてくださる方がいらっしゃるのか」と感じます。
そのようなこともあり、ご家庭の多くは、お問い合わせを下さった段階で、わたしへの指導依頼の意向を固めてくださっているようです。
よって、そういうご家庭にとって、「無料体験指導」の位置づけというのは、
「菊池の人となりを確かめる」
「子供と相性がほんとうに合うのかを確かめる」
というものです。
ですから、学習塾などが行っているような「無料体験指導」とは性格が違います。
学習塾の体験指導は「集団の中の生徒さんの1人」であるのに対し、わたしの体験指導は1対1の指導を行うためです。
わたしは、社長&社員&小間使いという身分であるので、時間にどうしても制約があります。
そのため、当方の「無料体験指導」は、子息の成績に真剣にお悩みの方、わたしへの指導を依頼したいというご意向の強い方が優先となります。
したがいまして、漠然と「家庭教師の指導ってどういうものかちょっと体験してみたい」、「複数の塾・家庭教師と相見積りをして決めたい」というご家庭の「試食体験」のための意向に従うのは、困難となります。
その点、ご理解を下さいますようお願いいたします。
以前、下掲のリンクに示したコラムで、英語の入試が今後、大幅に変わり、難しくなる傾向にあることを述べました。
小4以下の子息を持つご父兄へ 〜学習指導要領の改定で入試はどう変わるか 英語がスゴいことに...〜 その1
小4以下の子息を持つご父兄へ 〜学習指導要領の改定で入試はどう変わるか 英語がスゴいことに...〜 その2
小4以下の子息を持つご父兄へ 〜学習指導要領の改定で入試はどう変わるか 英語がスゴいことに...〜 その3
小4以下の子息を持つご父兄へ 〜学習指導要領の改定で入試はどう変わるか 英語がスゴいことに...〜 その4
この記事で分かることは、英語のスタートをこれまで以上に早くやらなくてはならないということです。
これは、文科省で決まった方針です。
今、その移行期間として新課程へ向けて粛々と進んでいます。
こういう状況の下、小4以下の子息をお持ちのご父兄としては、「早めに対策をしなければ」とお考えの方も多いことでしょう。
そこで、すぐに思いつくのは幼少時から英会話教室など、会話を主体としたところに通うことです。
このごろの英会話教室では、単に外国人が英会話を教えるというだけではありません。
英検などの資格取得を目指していったり、日本人講師が英文法を教えたり、ということもごく普通に行われています。
そういう現状を踏まえ、また、わたしがこれまで担当してきた生徒さんを見てきて、「英語の入試対策として、幼少時から英会話教室に通うのは益があるのか」ということを述べることにいたします。
この問いに対して、結論を申し上げれば、「全体を見渡して損益、様々な要素を勘案すると、益が多い」と、わたしは考えています。
そしてその一方で、「その『益』の大きさは、ご父兄の期待ほどでないこともある。また時として『害』になることもある」とも考えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学習において、興味関心を持つということは、非常に重要です。
わたしも指導の現場にいて思うことは、「興味関心にまさるものはない」ということです。
興味があるものは、一生懸命に学習しようとします。
学習すれば、当然、成績も上がっていきます。
「好きこそ物の上手なれ」のことわざ通りです。
何しろ、英語のごくごく初歩の文法を「覚えようと思っていても覚えられない」などと泣き言(わたしから言わせると「たわ言」)を言っている生徒さんが、自分の好きなAKBのメンバーの情報を実に細かに、かつ正確に記憶していたりするのです。
英会話教室の楽しい経験は、英語に対する最初のハードルを下げてくれるという点で、絶大な効果があります。
しかし、残念ながらいいことばかりではありません。
多くのご父兄は、「将来、子供が英語を勉強する際、役立つように」ということで、英会話教室に大枚をはたきます。
ここでいう「英語を勉強する際、役立つように」というのは、要するに「英語の試験の成績がよくなるように」ということです。
そして「もしかしたら、将来、英語を使った仕事に就くかもしれないから、そのときのために」という側面も少しはあります。
英会話教室に通ったはいいが、中学校入学後に行われる英語の試験が、超低空飛行を続けることになれば、親として心中穏やかなはずはありません。
わたしはこれまで、「幼少時から英会話教室に通う」→「英語の読み・書きがかかわると、全く振るわず、英語が苦手科目に」という生徒さんを、何名か担当してきました。
そういう生徒さんほど、一旦つまずいてしまうと、英語を受け付けなくなります。
また、とことんこじらせてしまっている例も見てきました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
こじらせてしまう理由というのは、いくつかあります。
ここでは1点のみ挙げます。
それは英会話と文法の授業の「ルールの落差」です。
外国人の先生が行う英会話の授業ならば、とにかく「楽しく、積極的に話す」ことが求められます。
いくら文法的に正しくない英語であっても、「間違いを恐れず、積極的に話しましょう!」と言われます。
しかし、文法の時間になれば、突然そのルールは変わります。
その時点で、「間違いは許されない」ことになってしまうのです。
今まで、楽しく英語を勉強してきた子供が、ある日突然、rightとwriteは同じ「ライト」と発音し、文脈に従って書き分けができなければ、「あなたは間違いです」と言われてしまうのです。
そういう指導についていける子供であれば、幼少時からの英会話教室は「吉」と出ます。
しかし、そういう人ばかりとは限りません。
今まで味わってきた「楽しい英語」と「努力を要する英語」の差についていけなくなった子供は、「じゃあ、学校の勉強と変わらない」と感じるようになります。
となれば、今までが楽しかっただけに、その反動で、余計に「間違いの許されない英語」に背を向けてしまう結果になってしまうのです。
そうなると、これまで子供のためによかれと思って通わせていた英会話教室での体験が、英語嫌い・英語コンプレックスを非常に強く植え付けてしまう結果になっていまいます。
これは嘘や冗談でなく、わたしがこれまで接してきた生徒さんたちの偽らざる姿です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
幼少のころから英会話教室に通っていた子供が、読み・書きや文法となると、なぜ突然「できない子供」になってしまうのか。
理由は極めて単純明快で、その子の「日本語の運用能力が低い」からです。
英会話教室に通って、英語に対する興味関心は高まります。
しかし、その興味関心を受け入れるだけの器がなければ、英語の読み・書きの力が向上することはありません。
いくら濃厚で芳醇なワインをグラスに注いでも、そのグラスの容量が小さかったり、ところどころにヒビが入っていれば、決してそれを十分に受け止めることはできません。
それと同じ理屈です。
英会話教室にいらっしゃる外国人の先生は、とても楽しく、そして魅力的な授業をしてくれます。
が、その子の日本語の運用能力を高めてくれることはありません。
翻って、わたし自身の子供のことを述べますと、わたしは現在、高3になる娘に、小さい頃はあえて英語には触れさせませんでした。
その代わり、娘は公文に通って、「読み・書き・計算」をかなりこなしました。
公文の先生からの、「英語をやってはいかがですか?」というお誘いをずっと拒否し続けました。
娘が小6になって「英語をやってみたい」と自分から言い出して初めて英語の学習にゴーサインを出しました。
わたしが親としてほんとうに子供に施したかったのは、漢文の素読です。
しかしそれも時間的に難しかったため、その代替として公文を選びました。
これが娘にとってよかったのか、そうでなかったのかは、分かりません。
ただ、幼少時から英会話教室に通うことは、即、英語の入試対策になるとは限らない、ということだけは、ご理解いただければと思います。
少し前になりますが、9月28日に「日本学術会議」は、高校で学習する「生物」について、ある提言をまとめました。
その内容というのが、現在、高校で学んでいる生物の用語が多く、いわゆる「暗記科目」になっているので、学ぶべき重要な用語を4分の1ほどに絞り込むべきだというのです。
そして、専門家は「暗記ではなく、考える力を養うような科目にしてもらいたい」と語ったと報道されています。
この件については、わたしのツイッターでも言及済みです。
今回のコラムでは、ツイートできなかったことを補足することにいたします。
高校で習う生物は、学会の先生がおっしゃるように、暗記科目という色彩が濃いものです。
事実、センター試験で理科を必要としている文系受験者のほとんどは、生物を選んでいるはずです。
ただ、「学術会議」の提言を読む限り、学会の先生方は、入試の現状をよく知らないのではないでしょうか。
入試は、センター試験にせよ、何にせよ、単純な暗記だけで片付くような問題ばかりではありません。
暗記は非常に重要ではありますが、それだけではとても太刀打ちできるようには作られていません。
何がしか考える要素は必ず含まれています。
暗記科目と言われるような社会などもそうです。
以前、高校入試の過去問で、淡路島の緯度と経度を4者の中から選ぶという問題を見たことがあります。
これも思考力を必要とする問題です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
先に述べた学会の偉い先生方に限らず、大学入試「改善」諮問委員会のような組織にいる方々というのは、口を開けば「思考力が大切」と言います。
言葉を額面どおりに受け取れば、それに異論はありません。
しかしその実、彼らは「知識力」というものを非常に軽視しているのではないでしょうか?
そこに出席するような方は、功成り名遂げた方ばかりでしょう。
ですから、学生のころから、知識力というのは相当にため込んできたはずです。
それゆえに、「知識なんて、単純に覚えれば何とでもなるもの」というふうに考えているような気がしてなりません。
生徒さんたちに指導をしていて感じるのは、彼らの「知識量の不足」です。
だいたい、「思考力」などというのは、知識量をガンガン増やしていけば、自然と身につくようになります。
高校生くらいまでなら、(知識量の積み重ね)=80%、(思考)=20%くらいで丁度いいです。
そのように考えると、今後の入試で「これまで以上に思考力を問う」と言われても、全く動じる必要はありません。
試験の傾向が変わるのであれば、今までとは違った訓練を付け加えるだけで構いません。
そういう対策は、専門の受験関係者がきちんとプログラムを組んでくれるはずです。
それに従って、やれば大丈夫です。
初めての傾向での試験ということであれば、受験生やそのご父兄としては気が気でないのはよく理解できます。
しかし、受験で必要なのは、合格点をとることです。
満点を取ることではありません。
「確固とした知識力」が身についていれば、乗り切れるのではないでしょうか。
最近、「見捨てられた高校生たち」(学事出版・朝比奈なを著)という本を読みました。
著者は、「教育困難校」と呼ばれる高校で勤務した経験から、そこがどういうところなのかを赤裸々に語っています。
著者の考えとしては、「教育困難校」における生徒の実情と、「貧困」の問題とは非常に密接に関係しているというものです。
「教育困難校」という言葉の定義は難しいですが、これは「底辺校」と呼ばれていたところをイメージしていただければと思います。
また、サポート校、定時制高校というところも、「教育困難校」の問題と重複するところがあります。
本コラムにおいては、受験関係者という立場から、本書の内容について2点、述べてみることにいたします。
まず、著書によれば、「教育困難校」に通学する生徒はだいたい3パターンに分けられます。
(1)本来、持っている能力が高い生徒
(2)ヤンキー、ワル
(3)無気力で生気が感じられず、学力が非常に低い生徒
(1)のタイプは、いじめや家庭の事情などで不登校となり、中学校の内申書が悪く、「教育困難校」に来ざるを得なくなった生徒です。
(2)のタイプは、イメージ通りです。
(3)のタイプは、おとなしく、問題を起こすことはありません。
一方、人の話を理解しているようで、理解しておらず、学習障害の疑われるケースが多数あります。
そして「対人コミュニケーション能力」が不足しています。
著者によれば、「教育困難校」においては、この3タイプの混在が最も深刻な問題だと語っています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べた、「教育困難校」の生徒の3類型については、わたしとしても、大いにうなずけるところがあります。
これまで家庭教師という仕事をしていて、「あの生徒さんは(1)タイプだな」「あの子は(3)タイプだな」と思い当たるところがたくさんあります。
それでも、わたしの仕事は、基本的に彼らの高校入学をもって終了します。
指導が終了し、彼らがその後にどういう道を歩むかは、想像するしかありません。
本の内容を見ると、「やっぱりそうなんだ」ということで、意外性はありませんでした。
第2点目として、彼らが就職をするとき、どうなるのかということが、目を引きました。
ここに、こういう記述があります。
(引用開始)
ある時、企業の人事担当者が直々に学校を訪れた。
その春に卒業して就職した女子生徒の件である。
「実は困っているんです。
本人の希望どおり現場で製造に当たらせたところ、ものすごくペースが遅くて....」
・・・(中略)・・・
「旅費の計算をしてもらっても、路線や地名が分からないから、困っているんです。
こないだ見るに見かねて口を出したところ『乗り換え』っていう言葉がわからないって言うんですよ。
いやあ、困っちゃって」
(引用終了)
そして、その上司は彼女の低学力に閉口し、勤務終了後、算数の問題集を買ってきてやらせているという事実も書いてあります。
著者によれば、この女子生徒は(3)のタイプ、すなわち、おとなしく、問題を起こすことはないが、本人の能力の面で、できることが限られてしまうというケースです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べた女子生徒の件では、わたしも彼女の様子が容易に想像できます。
家庭教師をしていると、こういうタイプの生徒さんは珍しくないからです。
このケースでは、学習障害も疑われます。
わたしは、「お釣り」という言葉を知らない中3生を担当したことがあります。
その生徒さんは、学習障害という判断はされていませんでしたが、わたしから見て、十分にそのケースに当てはまります。
その生徒さんは、もちろん、買い物はしたことがあります。
80円のものを買って、100円を店のレジに出せば、20円が自分の手元に返ってくるということは知っています。
しかし、それを「お釣り」というのだ、ということを中3で知らないのです。
わたしは家庭教師として、そういう生徒さんを担当することになっても、その生徒さんにわたしの話を聞く気があれば、指導を引き受けます。
そしてできるだけのことをやります。
しかし、企業は厳しい環境の下で、利益を出していかなくてはなりません。
そうなると、上記のような女子生徒が就ける仕事は、非常に限られたものになってしまいます。
そしてそれが「貧困」にもつながりかねません。
このほかにも、「見捨てられた高校生たち」は、勉強になる記述がたくさんありました。
興味のある方は、ご一読を。
冬休みのイベントとして、年末に「学習会」を以下の要領にて開催いたします。
指導内容: 講師1名(菊池)対 生徒さん3〜6名の個別指導
日時: 12月27日(水)および12月29日(金)
09:00−17:00(途中1時間の昼食休憩あり)
場所: 仙都会館 7階B会議室
住所: 仙台市青葉区中央2-2-10
JR仙台駅 徒歩5分
JR仙石線あおば通駅 徒歩1分
地下鉄広瀬通駅 徒歩3分
tel: 022-222-4187
詳しい場所はこちら
受講費用: 2日間 1名につき、18,000円 1日のみ 9,000円
1日のみのお申し込みも承ります
消費税はいただいておりません
☆受講に当たっては、会場まで各自お出で下さい。
☆昼食は各自ご用意ください。
☆受講費用につき、現在担当のご家庭は、後日、通常の指導料とともにお支払いください。
外部の方は、当日精算です。
☆お申し込みは、6名までです。
定員に達した時点で、募集を締め切ります。
12月10日(日)までに人数が3名以上とならない場合は、実施を見合わせます。
☆お申し込みのキャンセルは、12月11日(月)までにお願いします。
それ以降のキャンセルについては、以下のようなキャンセル料がかかります。
12月12日(火)〜19日(火)...受講料の半額
12月20日(水)〜26日(火)...受講料の70%
それ以降...受講料の全額
場所は仙石線あおば通駅からすぐのところです。
会場は、12名までが収容可能ということで、「そこそこゆったりできる」くらいのスペースです。
今回は、27日、29日というふうに、「飛び石開催」となります。
なぜそうなったのかというと、28日に当該場所に先約があったからです。
2日間で14時間という学習時間は、通常の指導分の7回分です。
初めて参加する生徒さんは「2日間で14時間も勉強できるかな〜」と不安に思うかもしれません。
しかし、やってみると思ったより集中できると、生徒さんには好評です。
おかげさまでリピーターも増えました。
人数は限定6名までとします。
学習する内容については、生徒さんそれぞれと事前に打ち合わせることにし、その生徒さんにとって最も必要なものを選んで実施します。
外部生の方も積極的にお申し込みください。
外部生の方とも、演習内容については、事前にじっくり打ち合わせる時間を設けています。
中3生の皆さんは、長町中学校のように定期試験が終わってしまったというところがありますが、もうすぐ定期試験というところがほとんどです。
そして、入試本番の日は、一歩一歩近づいています。
今回のコラムは、どの高校入試過去問集を買えばよいのかについて、述べてみます。
基本的には、こちらのコラムを参照してください。
仙台・宮城の高校受験 高校入試過去問集 どれを買えばいいか 〜菊池の独断で選びました〜 その1
仙台・宮城の高校受験 高校入試過去問集 どれを買えばいいか 〜菊池の独断で選びました〜 その2
仙台・宮城の高校受験 高校入試過去問集 どれを買えばいいか 〜菊池の独断で選びました〜 その3
上掲のコラムの中で、一部内容が変わっているところ、リンクの貼り直しが必要なところがありますので、それを掲載します。 公立高校のお勧めについては以下の通りです。
第1位 東京学参 宮城県公立高校入試問題 H30年度用 過去問題5年分収録(CD付)
第2位 富士教育 宮城県公立高校入試問題 平成30年度受験 (公立高校合格ブック)
教英出版では、予想問題集、科目別過去問集(過去8年分)が出ています。
今年は、仙台リビング社で出版している「虎の巻」がまだ出ていません。先日、問い合わせたところ、出るのが遅れているといっていました。
なお、他県のものは出版されています。
平成30年春受験用私立高校については以下の通りです。
第2位 教英出版
私立高校の過去問で、在仙私立高校は、教栄出版が全校そろっています。
東京学参は、東北、白百合、ドミニコ、明成、生文のシリーズがありません。
これにプラスして、上位高、特に、仙台一高や仙台二高を目指す人ならば、これに挑戦すると非常に力がつきます。
俗称「電話帳」です。
今の生徒さんに、「電話帳」と言っても、何のことか分からないでしょうね。
わたしには、この「電話帳」という言葉がいちばんしっくり来ます。
昭和の人間なものですから.....(笑)
このシリーズは、科目別、国・数・英3教科合本、理・社2教科合本が発売されています。
加えて、数学・理科・社会では分野別の問題集が出ています。
日々、学習を続けている生徒さんにとって、「必要最小限の努力で最大の結果を出したい」と考えるのは、人情というものでしょう。
そして、できればやりたくないというのが本音です(笑)
もっとも、そんな虫のいい話がないことは生徒さんも百も承知です。
とはいうものの、生徒さんとしては、「学習において、量が大切なのか、それとも質が大切なのか」というのは気になるところです。
この問いに対して、わたしはためらいなく、次のように答えます。
「量! 量! 量! 質はそれから」
トップクラスになってくると、質の重要度は増します。
が、わたしの見る限り、圧倒的多数の生徒さんたちに不足しているのは「量」です。
演習量!
ところが、ほとんどの生徒さんは、自分に量が足りないということを自覚していません。
特に、公立小中学校で平均点に満たない生徒さんの場合、人一倍学習量が必要になります。
しかし、実態はというと、人一倍学習量をこなしているのは、トップクラスの生徒さんたちです。
人一倍学習量の必要な人たちは、人0.5倍とか、人0.1倍くらいの学習量しかこなしていません。
これでは、人一倍学習量をこなす人に勝てるわけがありません。
とにもかくにも、量をこなさないことにはお話になりません。
コンピューターであれば、一度入力したデータは、破損しない限り、ずっと残ります。
しかし、人間の頭は、悲しいことにそういうふうにはできていません。
常に繰り返し上書きが必要なのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
もっとも、勉強の苦手な生徒さんだと、問題を解くのにそれこそ人一倍時間がかかります。
平均的な生徒さんであれば、10分もあればこなせる量を、20分、30分かかる場合は珍しくありません。
となると、いくら「自分は2時間勉強しました」と言っていても、こなしている量自体は、平均的な生徒さんの半分以下です。
わたしがここで問題にしているのは、「勉強量」です。
「勉強時間」ではありません。
そしてそういう生徒さんの場合ですと、「勉強量」もさることながら、「勉強時間」もこなしていないことが多いです。
そうなると、なかなか一人では学習できず、塾や家庭教師といった、指導者の手を借りることになります。
指導者についたら、その先生の指示通り、まずはやってみることです。
わたしのような受験産業従事者が行うのは、ホテルのルームサービスのように、周りがあれこれ世話を焼いてくれるものではありません。
あくまで、受講者である生徒さんが頭・手を動かすことが必要です。
これはトレーニングジムと同じです。
トレーニングジムでは、まず体を動かすことが求められます。
一定量のメニューをこなさなければ効果は出ません。
塾や家庭教師の指導もそれと同じです。
ただ、受験指導の場合は、トレーニングジムと違って、使うのは頭・手ですが.....
その点を勘違いしてしまうと、せっかくの指導料がご父兄・生徒さんにとって、有効に活用されなくなってしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前述したように、成績を上げるためには、まず、学習量をこなすことです。
この点に関していうと、ときどき、「課題のおかわり」を求めてくる生徒さんがいます。
「こないだくらいの宿題量だと足りないんで、もっと課題、増やしてください!」
「宿題、終わってしまった後は、どうすればいいですか?」
こういう問いかけをくれる生徒さんは、当然のことながら、必ず成績が上がっています。
相応の学習量をこなしているわけですから。
「宿題、終わってしまった後は、どうすればいいですか?」
という問いについては、こういうふうに答えることにしています。
「宿題、もう1回繰り返してやってみてください。
別に宿題は1回やれば終わりという決まりはありません。
もう1回やると、前回やったところで分からなかった箇所や、勘違いしているような部分が見えるようになってきます。
それをしっかり練習すると、成績が上がっていきますよ」
そしてこのように量をこなすと、今度は「もっとよい方法」というのが気になってくるようになります。
そういう段階で必要になってくるのが、「質」です。
そこで効率的な学習を目指し、「最小の効果で最大の結果を出す」という方向に持っていきます。
まずはしっかり、学習量をこなしてください。
くどいようですが、「学習量」です。
「学習時間」ではありません。
現在、一部の中学校を除いて、多くの高校受験生は11月に行われる定期試験に向けて、少しでも内申点を上げるべく奮闘中のことかと思います。
それが過ぎれば、後は受験に向かってひたすらに走り続けることになります。
塾などで指導教科の中心となるのは、英語・数学です。
理科・社会は「重要度が低い」ということになっています。
しかし勉強は英語・数学ばかりやっていていいのかと言えば、そうではありません。
受験科目というのは、だいたい5教科ですから、理科・社会をどうして行くかというのが重要になってきます。
英語・数学は積み上げていく教科ですので、今やっていることが、そのまま「これまでやってきたことの復習」になります。
数学の場合は、積み上げ方が英語とは少々性格が違いますが、まあ、「積み上げ教科」といっていいでしょう。
しかし、理科・社会の場合は、これと訳が違います。
中3で扱う公民を学習したからと言って、1年生でやった縄文時代やアメリカの地理が分かるわけではありません。
定期試験であれば、以前に学習した内容は問われません。
内申点だけを気にするのであれば、それでもいいでしょう。
しかし、実力試験や模擬試験は、そういうわけにはいきません。
分けても、入試では一挙に「忘れたツケ」を支払うことになります。
これに備えるには、理科・社会を定期的にメンテナンスしていくほかありません。
平均点が取れている中学生ならば、こうしたメンテナンスを怠りなくやってほしいところです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
理科・社会のメンテナンスは、いろいろな方法があるでしょう。
手っ取り早いのは、過去の定期試験や模擬試験の問題を解き直してみることです。
中でも定期試験の解き直しというのは、基礎力をつけるのに最適です。
入試では基本的過ぎて問われないようなところでも、定期試験ではしっかり設問に出てきたりします。
それからわたしが中学生のころによくやっていたのは、問題集をでたらめに開いて、そこに取り組むというものです。
これを学校で履修している箇所とは別建てで、週2程度、やっていました。
わたしはこれを称して、「理社の乱取り」と言っていました。
「理社の乱取り」は、その代わり、あまり時間をかけすぎないように留意していました。
あくまで、入試や模擬試験のためのメンテナンスという意味合いでやっていたからです。
理科30分、社会30分を1セットとして週2回こなすというメニューだったと記憶しています。
こういうふうにすると、中3になって「歴史の江戸時代のところ、すっかり抜けてる〜」などと、うろたえずに済みます。
そして模擬試験や実力試験の結果も、「理科・社会のせいで点数が今一つ.....」ということがなくなります。
特にトップ層の生徒さんは、ゆめゆめ理科・社会で点数を落とすことのないようにしてください。
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