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時代あけまして、おめでとうございます!
新元号「令和」が始まりました。
明るくよい時代になることを切に願っています。
ここ数日来、わたしは、「サヨナラ平成! コンニチハ令和!」という一連の儀式およびそれに関連した報道を見ておりました。
弊コラムをお読みのご父兄の中にも、昨晩は大晦日のように、固唾を飲んで新しい日付となる午前0時の到来を待った方が多いのではないのでしょうか。
わたしもそうした中の一人です。
わたしは、昭和から平成になるときにも改元を経験しております。
今回は30年前と様相がかなり違います。
こうした動きを見ていて感じたのは、日本という国は、皇室とともに動いていくということでした。
政治の世界で選挙だ、政権交代だ、などと言ってみても、皇室に何か動きがあれば、そちらが国民の関心を集めます。
令和の時代では、来年すぐに東京オリンピックが開催されます。
国としての機運が上向いています。
そんなわけで、「明るく陽気に行きましょう!」
ちなみに、この「明るく陽気に〜」というフレーズは、わたしのオリジナルではありません。
漫談家のぴろきさんという方の持ちネタです。
また、受験関係で言うと、公立高校の入試制度が次年度以降変わります。
大学入試では、再来年にセンター試験に代わる「新テスト」が行われます。
「新テスト」に関しては、わたしなりに思うところはたくさんあります。
とはいうものの、おめでたい新時代です。
「入試制度改編も明るく陽気に考えましょう!」
そう自分に言い聞かせることにします。
いざ! 始動!
「数学と英語って、全然違うように見えて、根っこは同じだよな〜」
「数学って、実は『数学語』っていう外国語の試験だよな〜」
「そうなると、国数英って、みんな根本的なところは一緒だよな〜」
先般、生徒さんに数学を教えていて、ふとそんなことを感じました。
そのとき、ちょうど、ある生徒さんが、数学の問題につまずいていました。
わたしが、いろいろとヒントを出してもピクリともしません。
こういうことは決して珍しいことではありません。
ただ、こちらとしては、随分と噛み砕いたヒントを与えたつもりでした。
「ここまでヒントを出しても、この生徒さんは、全く反応を示せないのか.....」
そう思ったときに何となくひらめいたのが、「数学=『数学語』という外国語の試験」ということでした。
国語がすべての学問の基礎だということは、よく言われます。
生徒さんを教えていると、つくづくとそれを実感します。
特にわたしのように家庭教師という指導体制をとっていると、生徒さん一人一人をじっくりと見ることができます。
また、家庭教師という性質上、「学習弱者」という生徒さんに多く接します。
こういう生徒さんは、言葉一つ一つに対する理解が、平均点の取れる生徒さんに比べて、弱いです。
今回感じたのは、それより一歩進んで、「数学は英語と根っこが同じ」であるということです。
そして、「数学を『数学語』という外国語の試験と考えると、成績アップのヒントがある」と感じたのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
数学とは「数学語」という外国語の試験である.....
そう言われても、多くのご父兄はピンと来ないかもしれません。
ここで例を挙げます。
次のような文章を読んでみてください。
3,000円で仕入れた商品に、3割の利益を付けて、定価としました。
この商品を定価の3割引きで売ったら、1個当たりいくらの利益または損失になりますか?
小学校で出てくる算数の問題です。
この文章を英語に訳そうとしたら、日本語に当てはまる英語を見つけ、さらに英語の文法に合うようにして、英語に直します。
また、この文章を算数の問題として見るなら、言葉で表されることを数式に直して、答えを出します。
上の文章を英語に直すのでも、また数式に直すのでも、「元の日本語を英語または数学に当てはまるようにそれぞれ言い換える」という点では全く変わりません。
ちなみに、先ほどの算数の問題は、
3,000×1.3×0.7-3000
という数式になります。
「数式で表す」ということを、「和文数学語訳」と考えると、英語と数学には、「和文英訳」か「和文数学語訳」かという違いがあるだけです。
とするなら、英語の試験も数学の試験も根っこは同じことが問われていると考えることはできないでしょうか?
材料は全く同じでも、製造法の違いで、緑茶・紅茶・ウーロン茶になるというのとも似ています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、「和文数学語訳」と「和文英訳」の類似点について述べました。
当然のことながら、両者には大きな相違点があります。
英語は英語、「数学語」は「数学語」です。
「数学=数学語という外国語学習」をしようと思ったら、「数学語」に必要な計算、公式はしっかりマスターしておかねばなりません。
その上で、「元の日本語を数学に当てはまるように言い換える」という段取りを踏みます。
ちなみに、英語で
「仙台から東京まで2時間かかる」
という日本語を表そうとすると、
「例のアレは、仙台から東京まで2時間をわたしから持ち去っていく」
というふうに、英語に合うように言い換える必要があります。
こうした「言い換えのパターン」は、英語・数学とも、問題演習を通じて学びます。
「例のアレは、仙台から東京まで2時間をわたしから持ち去っていく」.....
こんな珍妙な日本語は、英語の問題演習をしておかない限り、試験場で思いつくものではありません。
数学の場合も同様です。
「3,000円で仕入れた商品に、3割の利益を付ける」
というフレーズを
「3,000に1.3をかける」
という風に「数学語訳」する必要があります。
この「言い換えのパターン」も、問題演習を経て学びます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
先日来、コラムで取り上げてきた、「数学=数学語という外国語の試験」に立ち向かう際に必要な、「日本語→数学語に翻訳」という作業は、決して易しくありません。
そこには高度な国語力が必要です。
「うちの子供は数学の計算はできるんですが、文章題や図形の問題が苦手で.....」というご父兄のお嘆きは、程度の差こそあれ、どの生徒さんにも当てはまります。
「3,000円で仕入れた商品に、3割の利益を付ける」→「3,000×1.3」
というような「日本語→数学語訳」は、その生徒さんの国語力が高ければ高いほど、早く確実に身につきます。
人によっては、演習を重ねても、全く身につかない場合があります。
それは生徒さんの習熟度の差です。
「国語力の差」とも言っていいです。
その「国語力の差」とはどういうものなのか.....
以前、担当していた中3生で数学の問題演習をしていたとき、次のような問題がありました。
ちなみにその生徒さんは、定期試験でようやく2桁の点数が取れるかどうかという感じです。
A,Bの2式のうち、左の式から右の式を引いた場合の差を求めなさい
この問題自体は「A−B」とやれば、答えは出ます。
この計算は中1で習うものです。
全然難しいものではなく、その生徒さんでも十分に対応可能です。
しかし、生徒さんは固まってしまったっきりです。
〜たぶん、「差」という言葉が分からないのだろう.....
そう思ったわたしは、その生徒さんに「差というのは引き算の答え」とヒントを出しました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
案の定、その生徒さんは、「差」という言葉の意味が分かっていませんでした。
〜「差」の意味を教えたから、今度は、答えを出せるだろう。それほど難しい問題でもないし.....
そう思いました。
が、その生徒さんは、一生懸命にその問題集の左側のページに目をやったまま、困惑の表情を浮かべています。
ちなみにその問題は、問題集の右ページに印刷されていました。
〜どうしたんですか? 分からないですか?
そう声をかけて返ってきたその生徒さんの答えは次のようなものでした。
「『左の式』って書いてあったので、問題集の左のページを見ていた。でも、左のページには、何だかたくさん書いてあるので、どれを書いたらいいのか分からなかった」
〜うわあ、分からなかったっていうのは、そこなの?!.....
そこで、わたしは「左の式」がAを、「右の式」がBを示すことを教えました。
そして、「左の式から右の式を引いた場合の差」というのは、「A−Bをすること」の意味であると、その生徒さんのため、「数学語」に「翻訳」しました。
そこで初めてその生徒さんは、正解を得られたのです。
ここで分かることは、「A−B」という計算はできても、問題文の意味を理解できなければ、正解にはたどり着けないということです。
上記の例は、特に学習の苦手な生徒さんにとっては、珍しいことではありません。
逆に言えば、問題文の意味をまるっきり読み取れないからこそ、学習が苦手のままになっているとも言えます。
「国数英すべて根っこは同じ」
わたしの申すことがお分かりいただけたでしょうか?
今年もこの季節がやってまいりました。
毎年恒例の仙台一高・二高硬式野球定期戦が開催されます。
「一高に行きたい!」
「二高に行きたい!」
こう考えている小中学生、そしてこういう子息をお持ちのご父兄は、球場まで足を運んでみてください。
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開催要項は以下の通りです。
日時: 5月11日(土)
開会式: 12:15
試合開始:13:00
場所:楽天生命パーク宮城
雨天中止時は,翌12日(日)に同じ時程にて
開会式は、12:15、試合開始は13時ということになっていますが、午前中から球場の前で両校によるイベントがあります。
また5月9日(木)には、定期戦を宣伝するための行進が行われます。
これを一高はアピール行進、二高はPR行進と呼びます。
その様子が↓です。
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両校による定期戦は、戦前に起源を持ちます。
両校による暴力事件(!)や戦争等でたびたび中止となり、戦後に復活しました。
ちなみに、わたしが現役高校生の頃、応援団幹部同士が試合のエール交換の際に殴り合いをやった場面を見ております(笑)
両校の新入生は、入学後、この日のために応援練習をやります。
そもそも両校は、男子校でした。
そのため、バリバリ男子校の雰囲気を残す定期戦そして応援練習は、特に女子生徒には負担が大きいかもしれません。
しかし、相手校の様子を目の当たりにすれば、そこに応援練習をしてきた意義を感じるはずです。
一高・二高志望の人たちにも、先輩の姿を目にするよい機会です。
わたしも当日は、同級生とともに球場へ足を運びます。
よい試合になればと思います。
先日までの10連休中は、多くの生徒さんが部活動の練習あるいは練習試合が組まれました。
ゴールデンウィーク期間中に、こうしたものが組まれることは、例年のことです。
とはいえ、今年は改元に伴う連休が長くなったこともあり、この点、例年とは異なりました。
その際、生徒さんの部活動の予定を脇で見ていて、わたしなりに感じるところがありました。
今回は、中学生の部活動に焦点を絞って、顧問の先生ならびにご父兄へ、提言という形で、わたしの考えるところをいくつか記してみます。
まず、顧問の先生方も、ご父兄も、「中学生の本分は勉強である」という点を、今一度しっかりと認識すべきではないかと考えます。
「そんなこと、言われなくても当然だよね〜」
このように多くのご父兄は、お感じになったに違いありません。
しかし、わたしが傍で見る限り、顧問の先生も、そしてご父兄の中にも、この点をお分かりでない方が一定数いらっしゃるのではないかと感じます。
特に顧問の先生が最優先すべきは、ご自身の受け持つ学校の授業です。
そちらが先生方の「本業」であるはずです。
わたしが側聞する限り、試験の前であるにもかかわらず、大会に参加する部活動もあります。
さらに、遠征試合も「これでもか」というほど、ビッチリ組んでいる場合もあります。
これでは、準備だけでも相当の労力になるはずです。
僭越ながら、本業である授業に支障をきたすのではないかと思うほどです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
意外に思われるかもしれませんが、文科省が定めた「学習指導要領」およびその「解説」には、「部活動」という項目はありません。
生徒会活動や学校行事に関する細かい記述はあります。
その一方で、これほど広く行われている部活動についての記述はありません。
ということは、部活動は、顧問の先生、生徒、あるいはご父兄の「自主性」に委ねられているわけです。
この「自主性」というのは、一見するとよさそうです。
が、大きな問題もはらんでいます。
ちょうどこれは、会社におけるサービス残業のようなものだとも言えます。
いざ何か問題が起これば、
「部活動は顧問の先生と生徒が『自主的』にやっている。学校としては管理上、責任を負いかねる部分がある」
という論法も成り立ちます。
部活動に熱心な先生も、「積極奉仕」をしていらっしゃるわけです。
それ自体は、実にすばらしいことです。
しかし、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」とも言います。
そこまで部活動に献身的になるのでしたら、授業研究を熱心にされたり、あるいは先生ご自身の充電のために時間を使っていただくという選択肢もあります。
そのほうが、かえって、お互いのためになるのではないでしょうか。
部活動をやる以上、何がしかの形で結果が出れば、それはすばらしいことです。
一方で、そこに至るまでに払う犠牲が大きすぎるのは困りものです。
「そこまでして、部活動でよい成績を収めて、それでどうするのですか?」
こうわたしが問いかけたら、「ウッ」と詰まってしまうのではないでしょうか。
顧問の先生にとって大切なのは、本業と休養です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
部活動の負担が、生徒にとって重くなっている原因としては、顧問の先生の過剰な熱心さだけではありません。
ご父兄のほうにも原因のある場合があります。
これまで実績のある強豪校では、ご父兄から「せっかくやるのだから、勝ってほしい。優秀賞を取ってほしい」という要望がなされることが少なくないといいます。
また、「部活動がないと、学校から帰ってきて、子供は何もしない。休日に部活動がないと、悪さをするかもしれない。休日でも部活動をやってほしい」というご父兄もいらっしゃると聞きます。
前述したように、部活動は顧問の先生の「自主性」に基づいて運営されています。
言い換えれば、先生のボランティアです。
更に言い換えれば、「労力の割には少ない報酬しか支払われない業務」です。
金銭を抜きにして頑張りたい、というお考えの先生もいらっしゃるでしょう。
しかし、全員がそうとは限りません。
先生に、最も大切な授業という本業があります。
そして、先生個人の生活もあります。
「何もしないでダラダラしているのなら、部活動でもしてもらっていたほうがありがたい」というお考えのご父兄もいらっしゃるでしょう。
はき違えていけないのは、部活動は託児所ではないということです。
以上の点をよく踏まえ、顧問の先生、生徒、ご父兄にとって、最もよい形を構築していく必要があります。
その点こそが、「自主的運営」たる部活動の目的にかなうはずです。
先日、このような記事がありました。
本記事は、東京都千代田区にある麹町中学校の大胆な改革をレポートしたものです。
改革の内容はいろいろあります。
その中で、受験関係者たるわたしの目を引いたのは、「定期試験廃止」です。
今回のコラムでは、この点に焦点を絞り、定期試験廃止の是非について、拙見を記します。
本件の結論は次の通りです。
1.麹町中のようなやり方による「定期試験廃止」は「あり」
2.一方で、生徒は定期試験があるときより勉強しなくてはならない
3.試験範囲が狭い、定期試験に準じた試験と、試験範囲が広い実力試験は、両方実施する必要あり
上記結論に基づき、以下、詳述します。
第一点目として、麹町中のような形で、定期試験を廃止するというのは、「なるほど、そういう方法もあるな〜」というのが、率直な感想です。
ただし、記事によれば、定期試験に代わるものとして、単元終了ごとに「単元テスト」を実施するとしています。
「単元テスト」は、現在の中学校でも広く実施されています。
主として、業者が学校用に作成したものが用いられています。
麹町中で実施されている「単元テスト」がどういうものなのか、記事だけでは判然としません。
しかし、はっきりしていることは、多くの中学生は、「単元テスト」を、麹町中の生徒に比べて、相当に緩い気持ちで受験しているということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べた「単元テスト」のイメージとしては、小学校で実施されているテストが、そのまま中学でも用いられます。
それに基づいて評定が決められ、それが内申点として、入試にかかわってくるわけです。
よって、麹町中の生徒は、他校の生徒に比べて、随分と緊張感を持って、学習に臨まなくてはなりません。
手っ取り早く言えば、「定期試験」という名の年4回あるいは、3回の試験が、10回にも15回にもなるわけです。
しかも、これは科目ごとにバラバラな時期に実施されます。
なかなかハードです。
こうしたことは、見方によっては、入試の際に必要な「広範囲の学習」をする暇もなく、「単元テスト」という「狭い範囲の学習」に忙殺される可能性も捨てきれません。
また、記事によれば、麹町中では、年4〜6回の実力試験を実施するとしています。
わたしが同中のサイトで確認したところ、今年度の「実力試験」は、いずれの学年も4回です。
そのほかに、NRTテストや全国・東京都の学力調査もあります。
この実力試験は、通常の場合、通知票の成績に影響を及ぼしません。
ただし、記事の中では、この「実力試験」も、成績にカウントするのかどうかは不明です。
以上のことから考察するに、「定期試験の廃止」=「入試で問われるような実力の養成に没頭できる」とは、必ずしもならないことに気づきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そもそも、中学校では、2種類の試験をバランスよく実施すべき、というのがわたしの考えです。
2種類の試験とは、定期試験のように試験範囲を限ったもの、そして、実力試験・模擬試験のように試験範囲を限定しないものです。
ほんとうに優秀な生徒さんばかりであれば、「定期試験」「単元テスト」のようなものをなくして、実力試験一本でも、学習精度は保たれるかもしれません。
しかし、それをきっちりできるほどの人は、ほんの一握りです。
そして、それほどに優秀な人は、定期試験であろうが、実力試験であろうが、赫々たる実績を残します。
また、定期試験というシステムは、それなりに長所もあります。
最大の長所は、「時期が決まっていて、目標が分かりやすい」ことです。
なにしろ、実施時期はすでに告知されています。
ですから、その日から逆算すれば、目標は立てやすくなります。
一方、「単元テスト」では、常に緊張を強いられる分、大きな幹となる指針がつかみにくいという欠点があります。
麹町中は、場所柄、ご父兄・生徒さん、学習意識の高い人たちが多いものと思われます。
そういう場所でなら、「単元テスト」だけでも、やっていけそうです。
さはさりながら、日本国中で一律にそのシステムを取り入れようとすると、かなり無理が生じます。
中学ごとにおかれている立場は、みな異なります。
そうした特性を考慮し、前例踏襲主義に陥らないように漸進することが、理想と思われます。
なかなか難しくはありますが.....
高1生が高校の数学で最も面食らうことの一つに、答案の書き方があります。
小中学校の頃の数学の答案では、基本的に最後の答えさえ当たっていればOkでした。
もちろん、文章問題で式と最後の答えとをセットで書くということがあります。
これは、小学校の算数の問題に多いです。
また、中学校になると、「三角形ABCは〜であることを証明せよ」というような図形の証明問題では、文章で答えを書かなくてはなりません。
しかし、小中学校の場合、原則的に「答えだけ」を書きます。
一方、高校では、その原則がまるで様変わりします。
数学の答案は、原則的に「答えを導き出した途中式も採点の対象になる」ということです。
センター試験は、「答えだけ」ですが、多くの大学の一般入試では、プロセスを書きます。
言い換えると、中学でやった図形の証明問題のようなことを、すべてにわたってしなくてはなりません。
それゆえ、最後の答えが当たっていても、途中のプロセスをいい加減に書くと、減点の対象になります。
逆に、最後の答えが正解でなくとも、途中まで当たっていれば、部分点がもらえます。
高校の数学の定期試験ですと、中学と同様に、「答えだけ書けばいい」という問題が、大問1〜2題くらい出題されます。
残りは、先ほど申し上げたように、ひたすら途中式を答案に書いていかねばなりません。
かなりの負担増になります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
数学の得意な生徒さんであれば、高校入学後、答案の書き方が今までとは違っても、それなりに対応できます。
自分が頭で考えたことを、言葉で書き表せばいいので、ハードルはそれほど高くありません。
問題は、数学の苦手な人です。
それほど難しくない計算問題の類なら、なんとかできます。
これが関数、図形といった問題になってくると、「どう書けばいいのか分からない.....」という悩みが確実にやってきます。
数学の苦手な人で、高校入学後に直面する「答案の書き方」に、どう対応すればいいのか.....
今からできることはないのか.....
それに対するわたしの答えは、「教科書通りに途中式をしっかり書く習慣をつける」ことです。
数学の得意な人ならば、教科書通りにしなくとも、「肌に合った」解き方をすればいいです。
途中式を省く.....
自分独自の方法で解く.....
などなど。
それで正解するのであれば、それでいいでしょう。
問題なのは、数学の苦手な人が、数学の得意な人のようなことをやると、失敗する確率が高いです。
「生兵法は大怪我の基」ということわざがそのまま当てはまってしまいます。
「何事も第一歩は教科書通りに」
これを忠実にやって行けば、何とか高校ではサバイバルできます。
高校の数学で図らずも赤点を取ってしまうような人は、まずこの「何事も第一歩は教科書通りに」ができていません。
今のうちから、わずかでも確実に得点のできる力を蓄積していく必要があります。
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先般目にした、ある個別指導塾の塾長さんがお書きになっているブログに、あらまし以下のようなことが記してありました。
この塾長さんのお知り合いの方の中3になるご子息が、あるところに長いこと通塾していました。
が、にっちもさっちも行かない成績になっているそうです。
そして、今度は家庭教師に騙されて(実際、本文には「騙されて」と記してありました)、週1回の指導で、3万支払っているとか。
「週1回の指導ではどうにもならない。家庭教師側はそのように説明をする義務がある。それでも構わなければ受け入れてもよかろう」と塾長さんは、主張なさっていました。
わたしも、家庭教師の末席を汚す者として、「はて? 自分に思い当たる節はないかな?」と、しばらく考え込んでしまいました。
この「騙した」家庭教師が誰、あるいは、どこの会社で、どういう「騙し方」をしたのか、ちょっと興味があります。
「頑張れば、どんどん成績が上がって行きますよ!」
「この教材を買って勉強すれば、志望校には必ず行けますよ」
.....というようなことでも話したのかな、などと、いろいろと想像をたくましくしてみました。
まず、当該家庭教師側が、低空飛行を続けている生徒さん、あるいはご父兄に対して、簡単に成績が上がるようなことを口にしているとすれば、それは論外です。
これは、わたしの感覚ですと、「騙す」行為になります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ちょっと指導すると、成績が改善する生徒さんは、確かに存在します。
しかし、そういう生徒さんは、もともと相応の力を持っていた場合に限られます。
何らかの原因で力を発揮できず、適切な指導を受けて、開花する場合があります。
一方、そういう力のない生徒さんの場合、そう簡単に成績は改善しません。
重症患者と軽症患者では、どちらの回復が速いかという、ごく常識的な例を想起すれば、簡単に理解できます。
一方、「騙す」場合に当たるかどうか、解釈が分かれそうなケースもあります。
例えば、家庭教師の派遣会社から仕事を請け負っている場合です。
営業のほうから「これこれ、こういう条件でやってくれ」と言われれば、現場の家庭教師側は拒否できません。
もちろん、営業サイドとして、「もう少し、指導回数を増やしては?」というようなことを提案している可能性は十分にあります。
しかし、ご家庭のほうから、「派遣会社の言うことは十分に理解できるが、これこれの予算でやってくれ」と言われれば、それは従わざるを得ません。
それは、わたしが指導依頼を受ける場合も同じです。
わたしも、生徒さんの成績や志望を考え、現状を説明申し上げた上で、「指導回数、増やしてみては?」という提案はします。
わたしの提案をどうするかについては、ご家庭の「政治判断」です。
「週1の指導で家庭教師についているが、成績は思ったようによくならない→家庭教師が騙した、家庭教師に騙された」とは、必ずしもなりません。
わたしとしても、指導をお受けするに当たっては、ご父兄から「騙された」と受け取られることがないよう、これまで以上に心にとどめていくようにしたいと考えています。
生徒さんからときどき次のような声を聞きます。
「歴史って、単に覚えればいいんですよね」
「歴史って、単なる暗記モノですよね」
こういうことを言われている瞬間、わたしは、だいたい微苦笑を浮かべています。
「こんなこと、社会の先生が聞いたら、きっと怒るだろうな〜」と感じながら.....
そして、このように言ってくる生徒さんのほとんどは、「単に覚える」とか「単なる暗記」それ自体ができていません。
「単なる暗記」だったら、覚えてもらえばいいのですが.....
歴史は、人によって、好き嫌いが非常にはっきりしています。
男子より女子生徒のほうが、歴史を苦手、というより、興味を感じないために勉強しないケースが多いように感じます。
確かに歴史は覚えることがたくさんあります。
多くの事項をしっかり記憶することなしに試験場に向かえば、よくない結果は目に見えています。
とはいうものの、「単に覚える」とか「単なる暗記モノ」かと言われると、「それはちょっと違うんじゃないの」と感じます。
出題者である社会の先生も、単に覚えているだけでは点数を取れないような問題をこしらえてきます。
更に申せば、歴史的事項の暗記だけでは、高得点は取れません。
なぜなら、歴史には、物語やテレビドラマと同様、「Aが起きる→そしてBになる→その結果、Cができる」というように、「流れ」あるいは「スジ」があるからです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
歴史と物語の関連性というのは、わたしの独創ではありません。
英語でいう物語story(ストーリー)という単語は、歴史history(ヒストリー)を語源とします。
つまり、歴史と物語とは、根が一緒です。
これがフランス語になると、histoire(イストワール)という単語が、「歴史」「物語」「話」といういずれの意味にもなります。
スペイン語のhistoria(イストリア)もフランス語と同様です。
こういうことを考えてみても、歴史の学習において、「流れ」や「スジ」がいかに重要かがお分かりでしょう。
「次の5つの歴史的事項を年代別に並べよ」
「○○はなぜ起きたか、◎◎という言葉を用いて説明せよ」
こうした問題が頻繁に出題されるのは、歴史において「流れ」や「スジ」が重視されるからです。
そうした「流れ」や「スジ」をしっかり押さえた上で、学習をしないと、歴史は「無味乾燥な単なる暗記モノ」に陥ってしまいます。
ここで桃太郎の話を例にとると、
「桃太郎が老夫婦のところに流れ着く」
→「鬼が島へ動物の家来を連れて鬼退治」
→「財宝を持ち帰り凱旋」
という「スジ」があります。
これらの順番は崩れません。
桃太郎が、財宝を持ち帰った後で、桃がドンブラコドンブラコと流れてくる、などということはないからです。
「スジ」をしっかり押さえた後で、
「桃太郎が腰にぶらさげていたのはキビ団子」
「桃太郎の家来になったのは、イヌ、サル、キジ」
というような枝葉の部分をしっかり覚えるようにしていきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
しかしながら、歴史の教科書を読んでいると、なかなか「流れ」や「スジ」をつかむことが難しいです。
そのようなときには、学習漫画を読んだり、あるいはyoutubeの動画を見るという方法があります。
さらに、歴史の学習では、資料集や図表の活用が不可欠です。
事実、歴史の試験では、資料集・年表・図表などが添えてあります。
そして、それらを基に出題されることも頻繁にあります。
とするなら、普段からそれらを見ておくことです。
活用の仕方は様々です。
「金閣寺」「銀閣寺」などの歴史的建造物、文化財などは、写真と併せて見ておくことで、記憶がより強固なものになります。
人物の姿も絵で示されたりすることがあります。
似たような名前の人物を記憶する際には、その助けになります。
ところが、歴史の苦手な人は、一生懸命に教科書に書いてある太字だけを見ています。
そして、そこにマーカーで線を引いただけで、「勉強した」ことにしている人のなんと多いことか!
もちろん、試験では字を書くことで回答します。
とはいえ、できることなら、図とワンセットで記憶していくのが望ましいです。
以上、述べたことをしっかりやるのは、難しいかもしれません。
ただ、「字と図のワンセット記憶」は、比較的ハードルが低いはずです。
歴史は勉強すれば、着実に点が取れます。
それを落としていまうのは、いかにももったいないです。
従前より悩んでいることの一つに、「指導の際のマルつけをどうすればいいのか」というのがあります。
どういうことなのかと申し上げますと、「マルつけは、生徒さんに任せてもいいものか、そして、任せるとすれば、どこまで任せればいいのか」ということです。
受験の指導に当たる方は、自らの任務として、「答え合わせはしっかり自分がやる」という場合がほとんどであろうと推察します。
わたしも、ある時期まではそうしていました。
しかし、特に中学生の指導の場合、彼らが課題をやってきても、マルつけが実におざなりである現状に閉口し果てていました。
家庭教師という指導体制を取っていると、そういう生徒さんの割合は非常に高いです。
特に男子に関していうと、目を覆いたくなるような惨状です。
「これほど噛んで含めるように、繰り返し、繰り返し、マルつけをやるように言っているのに.....なぜこの人たちには、してこないんだろう?」
随分とそう感じました。
今でもそういう傾向は変わっていません。
そこで、わたしが考え出したのが、指導中、原則として、演習した問題の答え合わせは、自らがやってもらうということでした。
そうすることで、「自習の際のマルつけは、自分でしっかりとやらなくてはならないものなのだ」という習慣をつけてもらおうとしたのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
とはいえ、以上はあくまで「原則」です。
中学生でも一定以上の習熟度に達しない生徒さんは、これまでどおり、わたしが採点してきました。
そして、とにもかくにも、「マルつけをする」という習慣は、以前に比べて、少しですが、つくようになりました。
しかし、ここで新たな問題が生じるようになりました。
間違っている答えにマルを付けている人が相当多いのです。
これは、生徒さんの性格や学習に対する向き合い方にもよります。
「問題演習は、問題を解いて答えを書くことが目的ではない」
「自分の答えの間違いを探すのが、ホントの勉強」
「いくら答えを書いても、間違っていれば、0点」
そのように指導をしても、「マルつけなんて面倒くさい」という意識が先に立っているせいか、マルつけの精度が今一つよくありません。
ここで、また頭を抱えてしまいました。
そんなわけで、現在は、生徒さんに自分でマルつけをしてもらい、それをわたしがきちんと採点しているかどうか、ダブルチェックするという方法に切り替えています。
わたし自身も間違えて採点している可能性があります。
そうした意味で、生徒さんとわたしのダブルチェックは理にかなっています。
マルつけ一つとっても、指導をより効果的にするにはどうしたらよいかという探求は、永遠の課題です。
本日現在の指導枠空き状況は以下の通りです。
お問い合わせをくださる方は、以下をご参照ください。
☆平日夕方でお取りできる時間
水曜夕方16:00−19:00の時間帯のみ
なお、月曜夕方の早い時間は、ペンディング状態です。
月曜夕方の時間は、7月以降、予約済みです。
☆土曜・日曜
空きがございます。
土曜・日曜については、お住まいの場所の関係で、指導のできない場合がございます。
詳しくはお問い合わせください。
現在、問い合わせをいただいて、返事待ちの案件があります。
それによって、対応できる時間は変動します。
☆夏休み期間の予定
追加指導、 短期指導のお問い合わせを承ります。
夏休み時期の短期指導のお問い合わせも来ております。
お盆期間には、学習会も予定しています。
すでに開催場所は決定しております。
追ってご案内いたします。
指導に当たって、当方は、特に次のような生徒さんの力になれます。
1.大学受験、赤点対策を希望する高校生
2.二華・青陵・附属など中学受験を予定する小学生
3.通塾しても、成績がなかなか上がらない中学生
このところ、特に2の中学受験を予定している小学生をお持ちのご父兄からのお問い合わせが多くなっています。
指導をお引き受けするに当たりましては、「生徒さんが、菊池の指導を受ける意思がある」ことが必要です。
菊池の話を聞く意思のない生徒さんの指導は、お互いのためになりません。
生徒さんにとっても、わたしにとってもよい結果をもたらしません。
成績については、一切問いません。
合格実績をご覧になりたい方は、当方の合格実績のページをご参照ください。
また、こちらの過去5年間の合格実績一覧もあります。
よろしくご検討ください。
「笑う門には福来る」という諺があります。
その意味するところは、いつもにこやかに笑っている人の家には、自然に幸福がやって来るということです。
科学的にこんなことはあり得ません。
しかし、逆、言い換えると、いつも不満を口にする人のところには、何がしかの不運が多くやってきているような気がします。
そして、それが更に不満の種となり、不幸を呼び寄せているようです。
わたしの周囲にいる人を見ていると、そう感じます。
翻って、わたしが生徒さんに行う指導の際は、どうしてもしかめっ面をしがちです。
している業務の性質上、苦しいこと、つらいことが多くなります。
そういう現状を何とかするため、指導中、最低1回は、生徒さんとわたしとで、お互いに笑い合う機会を持てるように心がけています。
人の感情を表す喜怒哀楽のうち、最も難しいのが、ある落語家曰く、「人を笑わせる」ことなのだそうです。
そして、最も易しいのが、「人を怒らせる」ことなのだそうです。
確かに人を怒らせるのは、実に簡単です。
一方で、「人を笑わせる」ことは、難しいです。
何しろ、一人一人、笑いのツボは違います。
生徒さんでも、それぞれ学年・性格・趣向が違えば、「おもしろい」と感じることも異なります。
いずれの場合にせよ、わたしは、少しでも指導時の雰囲気を明るいものにしたいと考えています。
ただ、以上は、指導時において、やることをきちんとやるという大前提があります。
指導が面白おかしいだけのものなら、成績は上がりません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで述べたように、生徒さんによって、ツボは異なります。
彼らが気持ちよく笑うようにするには、こちらも当意即妙な対応をすることが求められます。
無口な生徒さんもいれば、おしゃべり好きな生徒さんもいます。
小学生もいれば、高校生もいます。
「だいたい、この辺り」と狙いを定めて、彼らにボンとぶつけます。
いつぞやの話でしたが、無口でおとなしめな生徒さんに言った軽口で、こんなことがありました。
.....この単語は、mouseでネズミという意味です。
ミッキーマウスやパソコンのマウスは、こちらですね。
それから、この単語はmouthで口という意味です。
日本語だと、どちらも「マウス」ですが、注意してくださいね。
ミッキーマウスにmouthを使っちゃったら、口のお化けがディズニーランドで踊ってるみたいになるでしょ。
そういったところ、その生徒さんのツボにはまってしまったらしく、しばらくその生徒さんは、思い出し笑いを繰り返していました。
まあ、わたしとしては、そこまで受けてもらえれば、軽口をたたいた甲斐があったというものです。
そして「マウス」といっても、mouse(ネズミ)とmouth(口)の違いをしっかり覚えてもらえば、わたしの目的は達します。
今後とも、明るく、そしてためになって、成績の上がるような指導を目指していきたいと考えています。
弊コラムでは、傾向として、高校と言うと、公立高校を取り上げることが多かったように思います。
今回は、聖ウルスラ英智高校typeⅠコース(以下、ウルスラtypeⅠと記します)について書いてみることにします。
ウルスラtypeⅠは、県内最難関の私立高校になっています。
ウルスラtypeⅠに関するわたしの率直な感想を申し上げると、
「よくやって来てるよな〜 ここまで来るのに、学校のほうも、随分と苦労があったんだろうな〜」
というものです。
ウルスラtypeⅠの特徴は、一言で言えば、「受験勉強だけ」です。
とにかく、ひたすら受験勉強をして、難関大学に行くことだけを目指すという高校です。
「予備校・学習塾に限りなく近い高校」であると言えます。
彼らは、部活動をすることなく、学習に集中します。
見方によっては、全員が「受験学習部」という部活動に所属しているとも言えます。
こういう学校は、合う人とそうでない人とで、評価は分かれるでしょう。
しかし、この少子化の時代に、私立高校を経営して生き残るために、ほかにどんな選択があるのか、と学校経営者から問われたら.....
わたしは言い返すだけの言葉を持ち合わせません。
その点、腹の据わり方が、公立高校とは訳が違います。
そうした意味で、ウルスラtypeⅠが行ってきた「挑戦」には、敬意を表します。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ウルスラtypeⅠの国公立大合格者は、以下の通りです。
平成30年 在籍53 合格39 74%
平成29年 在籍50 合格40 80%
平成28年 在籍57 合格42 74%
これを仙台一高・二高の数字と比較します。
<仙台一高>
平成31年 在籍320 合格240 75%
平成30年 在籍320 合格221 70%
平成29年 在籍320 合格234 73%
<仙台二高>
平成31年 在籍320 合格257 80%
平成30年 在籍320 合格272 85%
平成29年 在籍320 合格236 74%
また、ウルスラtypeⅠの東大+京大+東北大の合格者は、以下の通りです。
平成30年 在籍53 合格 8 15%
平成29年 在籍50 合格15 30%
平成28年 在籍57 合格11 19%
これを仙台一高・二高の数字と比較します。
<仙台一高>
平成31年 在籍320 合格 84 26%
平成30年 在籍320 合格 73 23%
平成29年 在籍320 合格 96 30%
<仙台二高>
平成31年 在籍320 合格125 39%
平成30年 在籍320 合格132 41%
平成29年 在籍320 合格103 32%
上記の数字は、いずれも公式サイトからの引用です。
ウルスラtypeⅠの今年度3月の数字は未発表です。
一高・二高の在籍者数は、両校の1学年の定員の数字です。
上記を見ても、ウルスラtypeⅠの国公立大学への進学実績は、一高・二高と同じくらいです。
また東大+京大+東北大の合格率は一高と同じくらいであることが分かります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ウルスラtypeⅠの学校生活を一高・二高と比較してみます。
以下の掲載事項は、公式サイトや学校、在校生への取材を情報源としています。
(1)部活動
ウルスラtypeⅠ・・・なし
一高・・・全員所属 部活動積極推進
二高・・・全員所属 部活動積極推進
ウルスラtypeⅠは、部活動をせず、全員が「受験学習部に所属」です。
この点、部活動を積極的に推している一高・二高とは一線を画します。
(2)通常授業
ウルスラtypeⅠ・・・50分8〜9校時
一高・・・55分6校時
一高・・・45分7校時 8校時のときもあり
ウルスラtypeⅠは、月〜金18:40まで授業があります。
(3)土曜授業
ウルスラtypeⅠ・・・80分4校時 毎週
一高・・・55分3校時 月1回
二高・・・なし
ウルスラtypeⅠの土曜授業は、14:30終了です。
(4)長期休暇中の講習
ウルスラtypeⅠ・・・全員参加 勉強合宿あり
一高・・・生徒が取りたい講習を取る 多くの生徒が何らかの形で参加
二高・・・生徒が取りたい講習を取る 多くの生徒が何らかの形で参加
ウルスラtypeⅠの長期休暇中の「講習」は、「実技教科がない通常の授業」といった感じです。
また、勉強合宿もあります。
ですから、夏休みでも、実質の休みは、5〜7日くらいです。
上記をご覧になって、ご父兄や受験生がどうとらえるかは、それぞれです。
とはいうものの、カリキュラムはハードです。
ここまでやらないと、「公立大好き」の宮城県の中で、実績を出して生き残っていくのは難しいということなのでしょう。
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日ごろから、ご愛顧、お問い合わせをありがとうございます。
わたしは、家庭教師という指導体制をとっています。
そのため、集団指導塾に比べると、ご依頼案件は、千差万別です。
しかし、そうした中で、せっかくお問い合わせをいただいているにもかかわらず、「これはちょっと.....」という案件の来ることがあります。
多分、こうしたお問い合わせは、他のご同業の方も同様に感じているはずです。
今回は、2例を挙げます。
(1)週1回60分で全教科教えてください!
依頼の内容はこんな感じです。
.....うちの子供は、定期テストで5教科150〜170点くらいで、勉強が苦手です。
急に勉強するのも大変だと思いますので、週1回60分でお願いできませんか?
点数はそういう状況なので、できれば全教科見てほしいです.....
申し訳ないですが、ご希望に沿うのは不可能です(断言!)
学校の授業でさえ、1校時45分や50分になっています。
週1回でこの時間では、何もできません。
中学生の場合、1回の指導は120分が原則です。
わたしは、事情をお話して、再度検討していただくようにお願いしています。
だいたいその後、ご連絡の来ることはありません。
お互いにそれでいいのだと思います。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
(2)とにかく勉強より部活・クラブチーム優先
依頼内容はこんな感じです。
.....うちの子供は、○○部に所属しています。
それから、部活とは別に、○○にも入っています。
○○が忙しくて、勉強ができていません。
○○の活動がこうなので、○○が..... ○○が.....
お話を伺っていますと、「勉強より部活・クラブチーム優先」という風にお考えの様子が伝わってきます。
確かに家庭教師は集団塾と異なります。
ある程度は時間の融通が利きます。
「部活をやっていてもOKです!」という面をウリにしているところがあります。
しかし、部活・クラブチームより勉学を優先させる、という姿勢がご父兄にない限り、成績を上げるのは極めて困難です。
高校進学後は、その部活・クラブチームでの活動を優先させたいというのなら、それはそれで一つの考えです。
そういうご父兄には、学習にまつわる現状を説明します。
そして「今の成績を維持し、高校で何とかサバイバルしていく程度のことしかできませんが.....」ということを伝えています。
それでいいというのであれば、お引き受けしています。
それに納得いただけないようであれば、依頼はお引き受けしておりません。
当然のことながら、指導開始後は、当方の指示に従っていただき、相応の課題もこなしてもらいます。
「部活が..... クラブチームが.....」というようなことは認めません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回まで、(1)(2)で述べたことに関して、わたしが困ってしまうようなご依頼がご父兄からあっても、ある意味当然だと考えています。
ご父兄は受験のプロではありません。
ですから、プロの目から見ると、「!!!」と思えるような依頼も無理からぬことです。
それは我が子を思うご父兄のお気持ちとしては、あり得ることです。
その後に、指導がうまくいくために大切なのは、指導者であるわたしの声に、聞く耳を持っていただけるかどうか、ということなのです。
「今まではこんな風に考えていたけど、これって、無理だったんだね。じゃあ、こう考えることにしようか.....」というようにです。
例えば、わたしが病を発症して病院にかかったとします。
医学について全く素人であるわたしは、お医者様が「!!!」となるような要求をすることがあるかもしれません。
当然、お医者様としては、医学的見地から、そうした要求は認めづらいことを語るはずです。
そのとき、その言葉を聞く患者側のわたしとしては、
「なるほど。医学的にはそういうことなのか.....」
という具合に納得するか、
あるいは
「あんな風に医者は言うが、それってそんなに大したことじゃないんじゃないの?」
という具合に感じるかで、その後のわたしの病気は回復具合が全然違ってくるでしょう。
わたしとしても、インフォームドコンセントは大事にしたいと考えています。
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