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ここ数年来、生徒さんの話を聞いていて、身につまされることがあります。
それは、
「何らかの理由で休んでいる学校の先生がとても多い」
ということです。
随分と前から、不登校になっている生徒というのは、「日常の光景」です。
不登校となっている生徒のための学校、あるいは彼らを取り巻く環境も、整備されてきています。
そうした一方で、休んでいる先生もかなり増えています。
この「休んでいる」というケース。
例えば、産休あるいはご病気で健康を損ねているという先生は、休む理由が分かります。
しかし、今の学校の先生の場合、「心を病んでいる」ケースが非常に多いようなのです。
わたしがその昔、学校に通っていたころにも、産休あるいはご病気で長期休業をされる先生はいらっしゃいました。
が、「心を病んで休んでいる」という先生は、ちょっと思い出せません。
もちろん、先生が心を病んで長期休業になっても、理由は生徒に明かされません。
とはいえ、生徒さんのほうは、先生が産休だったり、体の病気で休んだわけでないことは、雰囲気で察します。
昭和の時代と令和の時代で、「時代が違うから」と言ってしまえば、それまでです。
とはいえ、どうもモヤモヤ感が晴れません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
過日、わたしの生徒さんに、
「なぜ学校の先生は心を病んでしまうのか」
という質問を投げかけてみました。
そして、生徒さんは、その原因を次のように考えていました。
◎先生はとにかく会議が多いように思える
◎書かなくてはいけない書類なんかも多そう
◎うちは私立なのだが、「どうやって生徒数を増やすか」という会議があるようだ
これらのうち、どれが当てはまるのか、あるいは当てはまらないのか、わたしには分かりません。
しかし、生徒さんの目から見ると、このように映っているというのは、参考になるかもしれません。
わたしが考える原因というのが、
〇仕事が年々増えていくのに、マンパワーが追い付かない。
〇それまでは求められなかった「きめ細やかさ」が求められるようになり、現場で対応しきれない
ということです。
例えば、生徒間のいじめの問題です。
わたしが生徒だったときにも、生徒間のいじめの問題はありました。
しかし、今ほど騒がれていなかったことは確かです。
また、インターネット絡みの生徒間のトラブルなどというのも、昭和の時代には存在していません。
そうなれば、年々、新たな対応が求められます。
そして、やれ会議だ、報告書だということになります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学校現場で、新しい業務が増えた一方、それまでの仕事が減ったかというと、そうは見えません。
学校行事はだいたいわたしが生徒だったころのものを踏襲しています。
運動会、学芸会、修学旅行など。
組織というものは、新しい仕事を増やすことは簡単にできます。
一方、仕事を削るためには、「大きな力」が必要です。
公立学校ともなれば、何の仕事を削るかを判断するのは、現場ではなく、教育委員会や文科省になります。
そうなると、一つの仕事を削るにも、いろんなしがらみが出てきます。
例えば、運動会をなくしてしまうとします。
多くの先生にとっては、負担が少なくなり、歓迎されるでしょう。
しかし、体育の先生からは大きな苦情が来てしまうに違いありません。
どの先生の顔もつぶさずに業務軽減ということになると、調整が難しそうです。
多くの教育現場で、業務削減のための「鶴の一声」があるのか、どうか...
こうしたことは、外部にいる者が考えるほど、易しくないに違いありません。
わたしとしては、心を病んでしまう先生が、わずかなりとも少なくなることを、願わずにはいられません。
そして、それは、生徒さん・ご父兄も同じ気持ちでしょう。
わたしが受験指導をしていると、
「この生徒さんは成績がアップしそうだなあ」
「この生徒さんは成績アップが難しいなあ」
というのが、肌感覚でよく分かります。
この「肌感覚」というのは、要するに
「講師の言うことを聞き入れて、それをどのくらいそれを実行しているか」
です。
これは、成績上位者から中位層・学習苦手層まで幅広く言えることです。
そして、わたしのように受験指導をする立場にいると、
「生徒さんが、指示・アドバイスをなかなか聞いてくれない!!!」
というストレスをかなり持つようになります。
そんなわたしは日々
「生徒さんが、指示・アドバイスをなかなか聞いてくれない!!!」
という現状と戦っていると言っても過言ではありません。
ただ、そんなある日、ふと思ったことがあります。
「自分が現役学生の頃、先生って指示・アドバイスってどういうことをしてくださってたんだっけ?」
ということでした。
しかし、いざ思い出そうとしてみると、なかなか思い出せません。
「おかしいな~
いろいろ指示・アドバイスは受けてたはずなのに、なんで思い出そうとすると、思い出せないんだろう」
と感じました。
変な話です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
このように考えると、興味深いことが見えてきます。
それは、受験に関する指示・アドバイスに関してです。
講師の立場と生徒さんの立場とでは、意識の差があります。
教える側としては、事実として、指示・アドバイスを生徒さんに伝えています。
大切なアドバイスに関しては、何度も何度も、繰り返し、繰り返しをしながら...
しかし、生徒さんの多くは、それを聞き流しているわけです。
そこで、講師としては、
「なんで、自分の話をちゃんと聞いていないんだ!!!!!」
という気分になります。
ただ、自分が生徒だったころのことを思い返してみると、指導に当たる先生のお話を一字一句、細大漏らさずに聴こうとしていたわけではありません。
そう考えると、
「自分は生徒さんに、繰り返し、指示・アドバイスをしたつもりでも、もっともっと繰り返していかなくてはならないんだなあ」
「生徒さんが自分の指示・アドバイスを聴く雰囲気をもっと作っていかなくちゃいけないんだなあ」
と思うようになっています。
「相手に話を聞いてもらえるには、同じことを繰り返す」
「相手に話を聞いてもらえるには、雰囲気づくりを心掛ける」
これって、子育てと同じなんですね。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「相手に話を聞いてもらえるには、同じことを繰り返す」
これは、教える側からすると、結構つらいです。
「なんで、またこんなことをしてるの?
何回も、これはしちゃダメって言ってるよね?」
このフレーズを口にしたことのないご父兄はいらっしゃらないのではないでしょうか?
子供が小さければ、毎日が「話を聞いてない我が子」との戦いです。
指導に当たっている者は、これに類することを毎日、毎日思っています。
実際に生徒さんへ向けて、口に出すかどうかは別にして。
何しろ、大多数の生徒さんは、
「先生の話をしっかり聞いて、成績を上げていこう!」
などとは、考えていないのですから、それも仕方がありません。
そして、その「大多数の生徒さん」の中には、トップクラスも含みます。
指導現場はこのような現状です。
それゆえ、
「講師の言うことを聞き入れて、それをできる限り実行する」
という生徒さんは、希少です。
希少であるということは、結果が出るということです。
このような現状を踏まえると、お分かりになるのではないでしょうか?
指導に当たっている方々が、口をそろえて、
「成績アップのコツは、いかに指導者の指示・アドバイスを取り入れるか」
と語っているのを。
そういうことです。
話は先月のことになります
去る5月11日、仙台一高と仙台二高と硬式野球定期戦が行われたときのことです。
この件については、↓のリンクをご参照ください。
この定期戦には、わたしの同級生を含むOBが随分と来ていました。
そのとき、観戦をしながら、いろんな話題が出ました。
そうした中、二高関連のことになると、多くのOBの関心というのが、割と一様でした。
OBはわたしも含めて、だいたい次のようなことが関心事のようでした。
今回のコラムでは、この関心事をいくつか挙げてみます。
<大学受験の合格実績>
何だかんだで、OBの関心事はこれが一番です。
わたしはこういう稼業をしています。
そのため、OB諸氏にはいろいろと詳しい説明を求められます(笑)
合格実績のなかでも、彼らのメインとなる関心事は、次のような感じです。
・東大合格者数
・東北大合格者数
→これらが、自分の卒業年度と比べてどうか
→そして、一高と比べてどうか
・二華と二高を比べて全般的な数字はどうか
ことにも、二華の動向は気になっているようです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<スポーツでどのくらい活躍しているか>
二高は「文武両道」ならぬ「文武一道」をスローガンにしています。
そんなわけで、運動部などはそこそこ強いです。
運動部関連でのOBの関心は、
「硬式野球はどのくらい強いのか」
というのが、大きいという印象を受けます。
硬式野球は、目立ちます。
定期戦もありますし。
もちろん、育英や東北のようなところには、全くかないません。
甲子園に行くのも、難しいでしょう。
が、夏の甲子園大会の県予選だと、ベスト16くらいまではちょこちょこ行きます。
7~8年に1回くらいは、ベスト8辺りまで行きます。
こういう話題は、盛り上がります。
そのほかにインターハイに行けるような選手が出てくれば、話題になります。
<後輩女性の活躍>
これは、ほんとうに盛り上がります。(笑)
二高はその昔、男子校でした。
女子生徒の受け入れは、2007年以降です。
「後輩女性の活躍」というのは、女性の卒業生が、卒業後にアナウンサーなどになることを指します。
なにしろ、わたしの世代の二高卒業生は、全員が男子です。
そして、「後輩女性」は若い方ばかりです。
彼女らの話題が盛り上がるのも自然の成り行きでしょう。
まあ、こんなところでしょうか。
ここ数年来、女子校が減っています。
これは、全国的な流れです。
宮城県内で「女子高校」は3校だけになりました。
白百合・宮城学院・そして石巻にある桜坂高校です。
そして、この3校は、いずれも定員割れになっています。
もちろん、人気のある女子校も宮城県外に行けば、ないわけではありません。
例えば、慶応女子のような超有名校の付属校など。
それから、女子学院・桜蔭のように東大合格者が多く出ているような学校です。
こういう「超ブランド」以外の女子校は、気息奄々(えんえん)といった風です。
そういう女子校受難の時代...
注目していただきたいのは、白百合の指定校推薦に関してです。
この白百合というところは、定員の充足率や難易度を考えると、「推薦枠」はかなりいいものを持っています。
例えば、青山学院・立教・上智のような大学です。
このような大学は、普通に入試を受けて入る場合と、推薦枠を使って入る場合とで、難易度に大きな差があります。
推薦枠を使って入る場合のほうが、ハードルは低くなります。
わたし自身、このような制度になってしまっていることに、思うところがないわけではありません。
ただ、現状はこうなっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
白百合には、もちろん、仙台白百合大への推薦枠があります。
昔で言うところの「エスカレーター式」です。
ただ、どちらかというと、白百合の生徒さんは、「エスカレーター式」を好まないようです。
成績の優秀な生徒さんは、前回述べたような東京の有名私大への推薦枠を取りに行きます。
この白百合の推薦枠を使って、以前に立教へ合格した生徒さんがいました。
一方、こうした推薦枠のない高校に行くと、苦労する生徒さんも出てきます。
数年前に担当した向山の生徒さんは、東京方面の私大文系を希望していました。
ところが、向山高校が、こういう方面の推薦枠というのに、あまり頓着する雰囲気ではなかったようです。
結果、その生徒さんは、一般入試で明治学院大に進学しました。
彼らの学力を比べても、推薦枠があるか、ないかは、随分と差が出てくるものだと感じた記憶があります。
東京方面の私大入学ともなると、当然のことながら、ご父兄の懐具合と相談しながら...ということになります。
誰もかれもが目指せるわけではないでしょう。
しかしながら、東京方面の私大を目指すとなると、学校選択、そして推薦枠についての情報というのが、非常に大切になってきます。
以前、家庭教師として個別指導をしていたとき、こういう生徒さんがいました。
その生徒さんは、中2女子でした。
成績は、みやぎ模試偏差値で35~38程度。
ですから、100人換算にして、90番近くです。
おとなしいタイプでした。
真面目でもありました。
そんな彼女がときどき口にしていたのが、
「人と比べながら勉強したくない」
ということでした。
そんなわけで、家庭教師という方法を選んだのでしょう。
彼女が
「人と比べながら勉強したくない」
と口にする理由は何となく分かります。
一言で言えば、
「劣等感を感じたくない」
ということなのでしょう。
気持ちとしては分からないわけではありません。
が、こと受験ということになると、成果が出るためには、どうしても「今の自分と誰かを比べる」ことが必要であるように思います。
考えてみると、世の中は、「他と比べる」ことで初めて見えてくるものがたくさんあります。
「四国地方が梅雨入りしました。
昨年と比べ11日遅く、平年と比べても4日遅い」
という報道の仕方はよく聞きます。
今年の梅雨入りの状況を理解するのに、昨年・平年と比べるとより分かりやすくなるわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、受験の成果が出るためには、
「今の自分と誰かを比べる」
ことが必要だと書きました。
「今の自分と誰かを比べる」とは、「ライバル」を決めるということです。
手っ取り早いのは、周囲にいるクラスメイト・友達・部活の仲間など。
生徒さんに聞くと、この手の「ライバル」は、結構いるようです。
お互いに成績を教えあったりしているとか。
生徒さん自身は、こういう関係を「ライバル」設定とはあまり感じていないようです。
そして、「ライバル」設定は、心の中にとどめておけば十分です。
「ライバル」本人を目の前にして、
「君はオレのライバルだ!」
と、口に出す必要はありません。
「心の中で静かに闘志を燃やす」
これも、「ライバル」設定です。
実のところ、わたしも中高校生のころには、似たようなことをしていました。
「コイツにはどうしても勝ちたい」
「順位を上げるにはどうしたらいいだろうか」
こういうことをいつも考えていました。
だって、勝てばうれしいですから。
そして、負ければくやしいですから。
単純にこれだけでした。
あまり難しいことでなく、こういう単純さというか、闘争本能に直接訴えるやり方は、効果が大きいように感じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ここで話題を変えます。
前々回、「人と比べながら勉強したくない」生徒さんの話をしました。
そういう場合、「過去と今の自分を比べる」のもよい方法です。
例えば、1年前に比べて、順位はどのくらい上がっているか、点数はどのくらいとれているか、など。
前回・前々回のテストの結果と比べるのも一つの方法でしょう。
以前にテレビ番組「笑点」に長年出演していた林家木久扇師匠は、自分のライバルを
「先月の売上」
と語っていました。
師匠は落語家としてだけでなく、芸術家・作家・ラーメン販売会社の経営者として、多彩な顔を持ちます。
わたしも、自身の健康管理をすべく、起床してまずやることは体重測定です。
その結果をノートに記しています。
これなどは、「昨日の自分の体重」が自分のライバルです。
毎朝体重を測定するのは、気乗りしません。
飲酒をしたり、食べる量が多かったりした日の翌朝の測定は、ヒヤヒヤしています。
ただ、そこで体重が大幅に増えていれば、その日は飲酒や食事量には気を付けるようになります。
逆に、小まめに体重測定をすることなく、「痩せよう」「健康管理をきちんとしていこう」としようと思っても、それは無理です。
自分の現状が分からないわけですから。
成績アップの原理もこれと同じことです。
最近、わたしはYouTube動画で、アニメ「アルプスの少女ハイジ」をちょくちょく見ています。
しばらく前、どういう経緯かは分かりませんが、YouTube動画の「おすすめ」に、この「ハイジ」が出てきました。
全話そろっていて、英語の字幕もついています。
ほんとうに何十年ぶりかで、「ハイジ」を見ました。
今回のコラムで取り上げようと考えたのは、「ハイジ」と「おばあさま」とのやり取りの場面です。
概略、次の通りです。
「ハイジ」は字が読めません。
「ハイジ」は字に関心を持とうとしなかったからです。
「家庭教師の先生」がいくら「ハイジ」に字を教えても、まるっきり彼女は覚えようとしません。
そんな中、「おばあさま」は、「ハイジ」との初対面の日、「ハイジ」に本をプレゼントします。
字の読めない「ハイジ」に「おばあさま」は、本の読み聞かせをします。
その本には字だけではなく、絵もあります。
「おばあさま」の読み聞かせがきっかけで、「ハイジ」は少しずつ字に関心を持つようになります。
そして、字も段々と読めるようになっていきます。
この描写を学習指導・受験指導という点から眺めると、なかなかに興味深いものが見えました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学習というものにおいて、興味・関心は非常に大切です。
名コックといわれる人の手によるおいしい料理でも、満腹の状態では食べようという気になりません。
逆に、空腹の状態ならば、多少は変な味付けでも、十分にその料理をおいしく感じられるはずです。
前回のコラムから分かることは、「ハイジ」が字に関心がないわけではなかったということです。
彼女がもしまるっきり字に関心がないなら、「おばあさま」がいくら絵本を読み聞かせたところで、字を覚えようとはしなかったでしょう。
しかし、「家庭教師の先生」とは違うやり方をしたら、首尾よく「ハイジ」の興味・関心を引き出すことができました。
翻って、今度は塾の指導・受験指導についてです。
受験指導を行う人は、興味・関心が学習にいちばんよい薬になる、ということはよく理解しています。
ただ、受験指導となると、
「いかに興味・関心を引き出していくか」
という指導は大変難しいです。
というのも、受験指導は
「学校で指導していることを基礎にして、いかに点を取るようにしていくか」
が目的だからです。
そうなると、生徒さんの興味・関心を引き出す授業とは正反対のことをする必要が出てきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「点を取るための指導」というのは、どうしても「ハイジの家庭教師の先生」のような教え方になる傾向にあります。
何しろ、試験では、国語の読解問題にしても、
「この文章を読んで答えろ!」
と指定してくるのは、出題者のほうです。
生徒さんのほうに問題を選ぶ権利はありません。
試験で高得点を取るためには、興味・関心が向かないことにも、我慢して知識を身につけていく忍耐力が必要です。
「受験学習はつまらない」
と感じる理由がここにあります。
わたしのように受験を稼業としている者は、生徒さんの「無興味・無関心」と日々戦っています。
その一方で、わたしはできる限り、
「いかに生徒さんの興味・関心を引き出していくか」
という授業をしていきたいと考えています。
その場合、試験にはあまり関係のないことが多くなってしまいます。
例えば、
・・・「ハイジ」(Heidi)の正式な名前は「アーデルハイト」(Adelheid)で、「貴い」という意味です。
だから、「ハイジ」は言ってみれば、「貴子(たかこ)ちゃん」になります。
試験には関係ありませんが、意外と生徒さんの受けはいいです。
こういうものを要所要所にさりげなく取り入れていくというのが、「受験指導」では精一杯です。
菊池特訓塾では、以下の要領にて夏期講習を開催します。
塾生は原則全員参加です。
塾生には別途案内します。
塾生以外にも、興味のある方は、こちらまでご連絡ください。
◎講習は「頭を働かせ 手を動かす」
講習では、演習・自学時間を重視します。
下記の指導時間以外に、教室内で自学をしていただきます。
入試とは、制限時間内で、どのくらい頭を働かせ、手を動かすかを競うものです。
それゆえ、講習では、「頭を働かせ 手を動かす」時間をガッチリ取ります。
◎夏期講習日程
7月22日(月)~8月10日(土)
☆この期間は夏期講習のみを実施いたします。
通常指導はありません。
◎講習時間割
〇・・・講習実施日
◎料金
<夏期講習のみに参加の方>
☆いずれも税込み
小5・小6 24,200円
中1 25,300円
中2・中3 29,700円
模擬試験代 3,000円
テキスト代 4,000円
<塾生の方>
別途案内します
過日、仙台市内の中体連総体が終わりました。
運動部に所属し、県大会に行けなかった中3生は、一応この総体で部活動は引退となります。
引退後は、入試に向けた受験生生活が始まります。
今回のコラムでは、公立中の3年生、その中でもトップ層の生徒さんに向けて焦点を絞ります。
そして、これから始まる受験勉強と、高校入学後に何を感じるかについて述べてみます。
さて、トップ高狙いの中3生は、これから何かと落ち着かない日々が始まります。
それでも、夏休みが明けるころまでは、今までとそれほど変わりないペースで日常が流れます。
これまでと変わるとすれば、こういうところでしょうか。
・部活が引退となって、その時間がポッカリと空く
・オープンキャンパスが始まる
・塾ではとにかく「受験生」であることを刷り込まれる
本格的に「受験生っていう身分からは逃げられない」と実感するようになるのは、10月あたりという生徒さんが多い感じです。
そして、10月あたりからは、ご父兄も生徒さんも、ある種の緊張状態になります。
そのころには、
「早く、受験、終わってもらえないかなあ」
などと感じるはずです。
ところが、トップ高に入学した後にも、苦労は続きます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
来年の3月、高校受験が終わり、志望校への入学が決まったとします。
気持ちとしては一段落です。
しかし、高校に入学すると、それもつかの間だったことが分かります。
「やれやれ
受験、終わった」
とはなりません。
そのことに関連して、以前、一高に合格した生徒さんが、しみじみと次のようなことを語っていました。
・・・高校に入ると、高校受験のときは、まだ平和だったって感じます。
高校に入ると、やらなければならないことが多いんです。
定期テストの科目も、中学の倍あるし...
中学と高校の差がすごいんですよ。
高校でやることを、中学にもっと下ろしてもらったほうがいいです。
そうしてもらえると、高校がもう少し楽になる・・・
この生徒さんの言っていることは、よく理解できます。
これは、わたしも高校入学してしばらくしてから、感じたことです。
「高校でやることを、中学にもっと下ろしてもらったほうが・・・」というのは、まさしく二華・青陵といった中学がやっています。
まあ、このシステムはこのシステムなりに、短所はあります。
とはいえ、トップ層の生徒さんにしてみれば、先ほど一高の生徒さんが語ったようなことを感じている人は多いかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
公立中の3年生にとって、前回述べたようなことは、
「そんなこと、急に言われたって...」
という気持ちになるかもしれません。
しかし、トップを目指す彼らは、高校入学後、一部の例外を除けば、
「中3の頃は、まだ平和だった」
と、感じるようになります。
で、トップ層の公立中の3年生はどうすべきか...
・高校合格は「あくまで通過点」
→受験学習は高校合格だけを目的としない
・いま取り組んでいる受験学習は、高校以降の学習にも直結していることを理解する
こんな感じでいいと思います。
逆に、現時点で、それ以上のことはできないでしょう。
今後の受験学習に、この2点を理解して臨むのと、理解せずに臨むのとでは、「高校入学後に」いろんなことが違ってきます。
当然のことながら、公立中の3年生は、高校生活をまだ経験していません。
ですから、
「菊池の言っていることは、ホントなのか?」
と感じる生徒さんもいるでしょう。
しかし、ここでほんの少しだけ、わたしの言うことに耳を傾けてもらえば、「1年後」はほんの少しだけ、苦労は減ります。
「菊池の言っていたことは、それほど的を外してなかったな...」
こう感じてもらえば、わたしとしてはうれしいです。
前回までのコラムで、トップ校を狙う公立中の3年生が、高校入学後にどういうことを感じているのかについて述べました。
今回は前回までのコラムとリンクします。
話題は、「塾テキストにある中学数学の難問」についてです。
彼らトップ校を目指す生徒さんたちは、塾において、一般レベルの生徒さんよりはレベルの高いテキストを使っています。
「発展○○」とか「◎◎応用編」といったテキストです。
ご父兄がこういうテキストの表紙を目にすると、
「ああ、うちの子供は、塾で難しいこと、やってるんだな」
と、安心するわけです。
公立高校入試でも、トップ高の場合は、何だかんだで、「数学の出来」が合否を決めます。
そのような意味で、日ごろから数学にしっかりと取り組んでおくことは、今さら改めて申すまでもありません。
そういうことを反映してか、彼らが使う数学のテキストは、ハードです。
難問がズラリと並んでいます。
こうした難問は、名にし負う私立高校の入試問題から採用されていることが多いです。
二高を目指すケースでも、こうした難問に取り組むときには、青息吐息になる生徒さんは多いのではないでしょうか。
教えているこちらのほうも、ハードさを感じている点では、生徒さんと同じです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
数学に関して、塾テキストの「発展○○」にあるような問題すべてに答えられなくても、二高のような県内最難関に合格は可能です。
公立高校入試では、結構ハードなものが1問くらい出ます。
それが解けなかったとしても、二高に合格はできます。
もっとも、ほかで失点がないようにしなくてはいけませんが...
ですから、公立高校入試の仕組みを考えると、難問ばかりをウンウン言いながら取り組むのは、効率がよいとは言えません。
個々人の数学のレベルにもよりますが、「ほどほど」が望ましいです。
では、なぜ塾テキストに、難問がズラリと並んでいるのか、それに取り組む意味があるのか、ピンと来ないかもしれません。
これは、高校入学後に生きてくる場合が多いように感じます。
確かに、「公立高校合格」だけを考えれば、そこまでの難問は不要です。
しかし、高校入学以降も、学習は続くわけです。
むしろ、高校入学以降のほうが、本番です。
その高校数学で、中学数学の難問が生きてきます。
中学数学と高校数学では、問われること・単元は違います。
とはいえ、難しい問題にある程度取り組めば、高校数学でのアドバンテージは大きくなります。
そう考えると、塾テキストの難問に意味が見出せるのではないでしょうか。
当塾は、授業のスタイルとして「演習」を重視しています。
この「演習」では、授業の時間内に問題を解きます。
その後に採点をして、弱い部分のフォローを自ら行っていきます。
そのとき、口を酸っぱくして言っているのが、
「正解して初めて『分かった』ことになる」
「演習をやってみて、当たらなかったら、それは『分かった』ことにはならない」
ということです。
生徒さんは、意外と「結果が出せないとしたら、それは学習をやったことにはならない」ことに無頓着です。
さすがにトップ層となると、この理屈は分かっています。
しかし、公立中に通う生徒さんですと、それが必ずしも当てはまりません。
みやぎ模試偏差値にして55に達しない、つまり全体の3分の2は、
「結果が出せないとしたら、それは学習をやったことにはならない」
という意識がどうも薄いです。
能力的に解けない問題があるのは、致し方がありません。
能力以上のことをやれとは、彼らに強要していません。
しかし、やれるはずの問題を何度も間違ったりするのは、彼らの意識の問題です。
そういった「意識の甘さ」には当然のことながら、指導する側として厳しくなります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで述べた「意識の甘さ」について、以下、さらに突っ込んでいきます。
この「意識の甘さ」は、公立中の生徒全体の3分の2に感じ取れると書きました。
ということは、
「正解して初めて『分かった』ことになる」
という意識を持ち、「分かる」ための学習を心がけていれば、その3分の2の中では、成績が改善していくということです。
ただ、これは
「言うは易く行うは難し」
の感があります。
それからこのレベルにある生徒さんを見ていると、学校の課題への取り組み方で、悪い一面が出てきてしまっています。
ここでいう「悪い一面」とは、次のようなことです。
・学校の課題は、字を丁寧に書いたか、など「見た目重視」の傾向がある
・課題をやった後の「結果」は、あまり重視されない
例えば、中学校で配付される副教材ワークについてです。
定期テスト直前に、この副教材ワークの試験該当箇所を「仕上げる」課題を出す学校が多いです。
しかし、生徒のレベルは千差万別です。
そのため、
「解いてみて分からなかった箇所は、模範解答を朱書きして提出する」
という指示が出されます。
この「模範解答の朱書き」が、実にクセモノです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「模範解答の朱書き」については、何らかの効果があるケース、効果がほとんど見込めないケースがあると、わたしは感じています。
「一生懸命に書き写すこと」だけをしようとすると、「書き写すこと」だけが目的になってしまうおそれがあります。
例を出します。
・江戸幕府を開設した人は?
→(徳川家康)
☆この手のものなら、「模範解答の朱書き」もそれなりに意味があるかもしれません。
・偶数と偶数の和は偶数となることを証明せよ。
→「模範解答の朱書き」は、意味を理解せず、単なる「写経」になってしまうおそれあり。
必要なのは、「模範解答の朱書き」することではありません。
「次に同じような問題を出されたときに、解けるかどうか」です。
そのため、当塾では、課題の際の「模範解答の朱書き」を必須としていません。
模範解答と照らし合わせて、ときにはメモを取りながら、自分なりにしっかり頭へ叩き込むようにする
→このやり方がいい結果をもたらすケースが多いようです。
わたしは、
「結果が出れば、どういうやり方でもいい。
しかし、結果が出なければ、それはいいやり方ではない」
ということを繰り返し生徒さんに語っています。
すべては結果を出すために...
去る3月15〜17日付コラムで、県内高校の大学進学実績を掲載しました。
<関連コラム>
高校別の大学合格実績 令和6(2024年)宮城県版(速報値) その1
高校別の大学合格実績 令和6(2024年)宮城県版(速報値) その2
高校別の大学合格実績 令和6(2024年)宮城県版(速報値) その3
この値は、「サンデー毎日」3月24日より引用した「速報値」です。
今回のコラムでは、「確定値」を掲載します。
この数値は、「大学入試全記録」(毎日新聞出版)より引用しました。
赤字で示された数字は「速報値」と変更があった個所です。
<東大>
二高 17
二華 4
青陵、一高 3
石巻、東北学院 1
<京大>
二高 4
二華 4
一高、ウルスラ 2
三高、古川学園 1
<東北大医学部医学科>
二高 12
二華 2
一高、三高 1
<東北大>
二高 93
一高 65
三高 49
二華 26
ウルスラ 16
青陵、育英 10
宮一 9
石巻、向山、東北学院 6
古川黎明、南、宮城野 5
泉館山、古川 4
古川学園 3
泉、岩ケ崎、佐沼、多賀城、東北、宮城学院 1
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一高・二高・二華における東大合格者数は次の通りです。
今年(一高)3(二高)17(二華)4
昨年(一高)2(二高)7(二華)8
一昨年(一高)4(二高)11(二華)6
東大+京大+東北大医学部医学科の合格者数は次の通りです。
今年(一高)6(二高)33(二華)10
昨年(一高)9(二高)27(二華)16
一昨年(一高)7(二高)27(二華)15
東大+京大+東北大だと以下のようになります。
今年(一高)70(二高)114(二華)34
昨年(一高)82(二高)89(二華)40
一昨年(一高)72(二高)112(二華)45
また、一高・二高・二華および青陵・三高・宮一の東北大合格者の推移は以下の通りです。
数字は、(一昨年)→(昨年)→(今年)です。
(一高)67→75→65
(二高)94→76→93
(二華)36→29→26
(青陵)13→17→10
(三高)52→47→49
(宮一)10→15→9
本件については、後日YouTube動画にて詳しく扱う予定です。
わたしは申し上げるまでもなく、小中高校生をはじめとした受験指導を生業としています。
その目標は、
「生徒さんが第一志望校に受かること」
です。
そうした仕事をしながら、今でもたまにふと考えることがあります。
・・・彼らに教えている受験学習って、どう役に立つんだろう?
わたしは性格的に生徒さんへは、
「受験勉強が何に役に立つのかなんて、余計なことを考えず、いい学校へ受かるよう、しっかり勉強しなさい!」
ということは言いたくありません。
ですから、ときどき生徒さんへは、授業中、
「この学習は、将来、どういう局面で役に立っていくのか」
ということを口にするようにしています。
まあ、確かに彼らが取り組んでいる受験学習は、仮にその大部分を忘れてしまったところで、社会生活は送れます。
ただ、受験学習で学んだことを知っているのと、そうでないのとでは、知っているほうが得をすることが多いのは確かです。
ことにも、このごろは、ネット社会になったりしています。
そのため、こういう社会に適合するには、
「年を取ってからでも学習は必要」
「受験学習は学校を出てからでも知っておくと得する」
という側面があることを認識しておく必要があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしも生徒さんと同じ年の頃、つまり中高校生時代に、
「受験学習がどのように役に立つか」
なんて、知っていたわけではありません。
「勉強をしっかりやって、世間的に評価されている学校に合格していけば、何かいいことはあるのだろう。
そういう学校に合格した場合と、そうでなかった場合では、合格したほうが、たぶんいいのだろう」
・・・そんな程度の認識でした。
それは、社会経験という「実体験」がないため、当然と言えば、当然ですが...
また、そういうこと以外に、今の世の中は、一昔前に比べると、ネットの恩恵を受けています。
そのため、社会全体が便利になっています。
そして高齢化しています。
社会全体が便利になっているということは、犯罪者にとっても、便利になっているということです。
いまから50年前に、「ネット詐欺」などというものは存在していません。
ですから、「知識がある」のと「知識がない」のとでは、「知識がある」ほうが、「よりよく」生きられるわけです。
それは、人間、年齢を重ねていけば行くほど、「知識がある」ことの恩恵を受けることができます。
受験学習というのは、そういう知識の土台を作っているという風に、わたしには思えます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
人間、ある程度長く生きていると、それまでは思いもよらないことに遭遇します。
例えば、わたしは10年ほど前、S字結腸穿孔(せんこう)という病気にかかりました。
前触れもなく、大腸に穴があいてしまう病気です。
初めて「穿孔(せんこう)」という字を見たとき、
「穿孔の穿の字は、「うがつ」って読むよな~ 漢文で出てきたなあ
穿孔の孔の字は、「あな」って意味だよな~
『穿孔』で、『穴が開いた』って意味なのか...」
と、頭の中でつぶやいたのを覚えています。
そして、内臓関連の話は、その昔やった理科の生物の知識と結びつきます。
これらの知識はなくても、困りはしないでしょう。
でも、知識のあるほうが、よりお医者さんの説明は頭に入ります。
相続関連の話もそうです。
社会科で出てきた知識がいきます。
法定相続人・法定相続割合を、知っているのと知らないのとでは、実際に相続をすることになった場合、その手続きの意味の理解度が違ってきます。
高齢になればそれだけ、自分を守ってくれる「知識」は、あったほうがいいと感じます。
生徒さんが取り組む受験学習も、そうした使われ方をすると考えると、「志望校に合格!」以上の意味が見出せるのではないでしょうか。
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