〒981-0933 仙台市青葉区柏木1-6-22佐藤アパートB101
電話での受付:15:00~20:00
定休日:日曜日
表題にありますとおり、このたび、教室を移転しました。
<新住所>
仙台市青葉区柏木1丁目6-22
佐藤アパートB101
上杉から、柏木への移転となります。
以前の場所よりは、小ぢんまりとした感じになりました。
引き続きよろしくお願いいたします!
先日、わたしの高校の同級生とゆっくり話す機会がありました。
彼は、とある会社を経営しています。
そのとき、彼のところで働いている従業員のことが話題になりました。
その従業員さんは、「みやぎ模試偏差値50くらい」の高校を経て、県内のとある大学を卒業しています。
その方は、学力的に「ちょうど真ん中あたり」といえます。
で、わたしの同級生が語るところによれば、次の通りです。
・・・自分の感覚で「真ん中くらいのレベルの人」なら、こういうことは無理だろうが、こういうことならできるというのがある。
そして、「真ん中くらい」なら、上司からこういわれれば、自分で考えて、こう動くというのがあるはずだ。
しかし、どうもそういう「普通の感覚」が乏しい。
いちいち細かいところまで、指示しなくちゃならない。
指示しないと動かない。
「ちょうど真ん中あたり」なのに、なぜ自分で考えて行動できないのか?
こういわれれば、こうするって、普通に出てくるものでは?
わたしは口元に笑みを浮かべながら、彼の話を聞いていました。
そして、彼の話を聞きながら、「三つ子の魂百まで」というフレーズを思い出していました。
彼が感じていることは、まさしく、わたしが生徒さんに感じたことと重なるからです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、わたしの同級生が感じたことというのは、
「学力的に真ん中あたりの人の水準というのは、自分が想像しているより、ずっと低かった」
ということです。
そこが理解できないと、
「普通のレベルのことが、なぜできないんだろう?」
という考えになりがちです。
ただ、こう感じているのは、彼だけではないでしょう。
これは逆に言えば、「真ん中あたり」というのは、世間から過大評価されていると言えなくもないのです。
わたしも受験指導をしていて、
「公立中学で真ん中あたり=偏差値50くらいは、自分が想像していたより、ずっと低かった」
と感じました。
こういうことは、わたしのような仕事についていないと、なかなか実感できません。
これを別の視点でとらえると、
「世の中の社長とか、指導的な地位にいる人というのは、『真ん中あたり』『普通』のレベルを、実際よりかなり高く考えている」
ということになります。
「真ん中あたり」「普通」といっても、生徒さんのレベルと、社会人の方のレベルとでは、経験値が違います。
ただ、人間のそもそもの能力・下地は、「生まれながらの要素」が強いです。
年数が何年たとうと、劇的に向上するというものでもありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前々回のコラムで話題に出した、社長をしている同級生とは、会話を続けました。
同級生:
いちいち指示しないとできないんだよ
わたし:
でも、指示すればできるんでしょ?
同級生:
そうなんだ。指示すればやるんだ。
わたし:
だいたいそれが、「偏差値50くらい」のレベルだよ。
これ、生徒さんも同じ。
まあ、細かく指示をしなくても、だいたいこっちの意図をくんで動いてくれるのって、「偏差値60近く」の人あたりからだなあ~
例えば、○○高校とか、◎◎高校当たりの出身とか...
全体の4人に1人だな。
同級生:
確かにそんな感じかもな~
何となく分かるわ~
わたし:
やっぱりね。
学歴なんて、10代だったころの「お勉強の能力」でしょ。
それが、大人になっても、理解力・吸収力のようなものって、子供のころとそんなに変わらないんだろうな
同級生:
なるほどな~
大会社となれば、優秀な人が集まるから、だから、あんなふうにもなるよな
わたし:
自分もこういうことを言っているけど、「真ん中あたり」のレベルは、
「いちいち指示しないと動かない」
「でも指示すればその通りにはやってくる」
っていうのを理解したのは、こういう仕事に就いてたからだよ。
そうでなきゃ、分かんないよ
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムまで、述べてきたことを整理すると、次の通りです。
・「真ん中あたり」の人たちは、細かく指示しないと動かない
・指示をすれば、その通りには動く
・世の中の「偉いさん」の多くは、「真ん中あたり」の人たちなら、細かく指示しなくても、動くものだと思っている
・指示する側の意図をくんで動くのは、「偏差値60近く」あたりから
→全体の4分の1くらい
社会人のレベルで、上述の通りだと社長である同級生は語っています。
これは、だいたいそのまま、「生徒さん」に当てはまります。
ここで重要なのは、
・世の中の「偉いさん」の多くは、「真ん中あたり」の人たちなら、細かく指示しなくても、動くものだと思っている
という点です。
「偉いさん」たちというのは、指示を出す側です。
「偉いさん」が優秀であればあるほど、部下との意識の差というのは仕事をするうえで付きまといます。
わたしの場合、「真ん中あたり」の人も「生徒さん」という目で見ます。
ですから、「生徒さん」に配慮はします。
しかし、社会に出れば、学生時代に受けられるような「配慮」があると限りません。
生徒さんがいずれ社会人になることを考えると、「経営者の気持ち」を理解しておく必要がありそうです。
先般、わたしのYouTube動画チャンネルで、ウルスラの科ごとの実績について述べました。
この動画を作成しながら、感じたことを補足のような形で記してみます。
まず、尚志に関しては、想像したよりよい結果を出しているんだなあと感じました。
例えば、上智・明治・立教と言ったところがそうです。
このクラスになると、type2以上なのかなと、勝手に想像していました。
尚志のみやぎ模試偏差値は、44です。
44という偏差値ですと、仙台市内で言えば、西高とか東高英語科が該当します。
そして、利府高や塩釜高普通科も、難易度としてこのくらいです。
そういう高校から、上智・明治・立教と言った顔ぶれが見られるかというと、かなり困難です。
「推薦枠の強み」を存分に発揮しているようです。
さらに、今回は動画の対象外としましたが、尚志から福島県立医大の医医が出ています。
福島医大の医医ともなると、type1の生徒でもなかなか受からないでしょう。
二高クラスでも、そこそこの成績を取っていなくてはなりません。
そういう方が、尚志コースに在籍していたというのは、驚きでした。
いろんな理由はあったのでしょうが、福島県立医大の医医に受かる方が、なぜ尚志に在籍していたのか、興味は尽きません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、type1とtype2との関係についてです。
一般的な進学実績を見ると、
type1>type2
となっているのは、間違いありません。
しかし、実績をつぶさに見てみると、
type1下位層<type2上位層
になっています。
例えば、今年の京大へは、type1・type2の両方から1名ずつ合格者がいます。
そして、山大の医医が一昨年、type2から出ています。
このほかにも、東北大への合格者はtype2出身者がいます。
このような例が示すところは、
type1下位層<type2上位層
になっているということです。
奇異な感じがするかもしれません。
しかし、これは決しておかしなことでも、不思議なことでもありません。
聞くところによれば、type1の実力を持ちながら、あえてtype2を選ぶ生徒さんがいます。
他校の例を挙げれば、一・二高の生徒全員が、東北大クラスの大学に入れるわけではありません。
逆に、泉高校や向山・南あたりからも、東北大合格者が途切れずに出ています。
このようなことを考えると、
type1下位層<type2上位層
との説明は、納得がいきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
type1の実績を見ながら思ったのは、東北学院高との比較です。
ウルスラは、県内の私立高校で、type1のような「特進コース」を最初に立ち上げた高校です。
言ってみれば、私立高校のパイオニアです。
中学入試において二華中、あるいは高校入試において二高などの併願校として、ウルスラは確固たる地位を築いてきました。
高校入試では、県内私立高校の最難関です。
ところが、近年、東北学院高がウルスラに迫りつつあります。
東北学院高が、これまでの男子校から、共学になったこと。
制服を撤廃し、服装自由化に踏み切るなど、「私立のナンバースクール化」を打ち出したからです。
そのため、前々回の入試では、「学院バブル」のような現象もみられました。
東北学院高にも、「特進コース」は男子校時代からありました。
来年、2025年に「共学化元年特進コース」の実績が、出ることになります。
そのとき、ウルスラとの比較でどうなるのか、わたしは興味があります。
その結果次第で、ウルスラtype1は、何がしかの影響を受けるのではないでしょうか。
「宮城県民の東北学院好き」に、ウルスラがどれほど格闘していくことができるか、注視していこうと思います。
数学には「文章題」といわれるものが出てきます。
小中学校の算数・数学で計算問題以外に出てくるアレのことです。
今回は、中学数学で扱う「文章題」について書きます。
さて、ここでいう「文章題」というのは、次のようなものです。
◎ある店で筆箱とノートを1つずつ買った。
定価の合計は750円だったが、その店では筆箱は3割引、ノートは2割引きで売っていたので、代金の合計は540円だった。
筆箱とノートの定価をそれぞれ求めなさい。
この手のものは、小学校からあります。
中学数学では、方程式を使って解きます。
これをどう解くのか...
生徒さんの処理能力は、各人各様です。
スピードも違います。
ここで「よくできる生徒さん」と「苦戦する生徒さん」で、対応がどう違うかを比べてみます。
<よくできる生徒さん>
・文章を読みながら、「情報整理」をしている
・「情報整理」をしながら、その結果を図で表したり、メモを書く
・「情報整理」で得た「情報」をもとに、方程式を作る
<苦戦する生徒さん>
・文章を読みながら、「どうやれば方程式ができるか」だけを考えている
・「情報整理」をしない、あるいは、しようとしない
・出てきた数字を一生懸命に「ナントカ・エックスとナントカ・ワイの式」に当てはめようとする。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<よくできる生徒さん>は、「問題文に何が書いてあるか」を一字一句、正確にとらえようとしている様子が見えます。
前回の問題を例に挙げると、こんな感じです。
・筆箱は3割引 ノートは2割引
→「筆箱が定価の2割引、ノートが定価の3割引」ではない
→売っているのは、「定価の3割引・2割引」である
「定価の3割・定価の2割」ではない
こういうことを考えながら「正しい情報」を得ようとしています。
・「定価の3割引・2割引」で売る
・「定価の3割・定価の2割」で売る
この2つはかなり違います。
定価の2割や3割で売ってしまっては、売るほうの儲けがかなりなくなってしまいます。
そして、このように「情報整理」をしてから、その情報を基に、ようやく方程式を作ります。
<よくできる生徒さん>は、「情報整理」に最も時間をかけます。
プロの料理人が、仕込みに時間をかける姿とダブります。
「方程式を立てること」は、「情報整理」の次です。
「情報整理」がしっかりしていなければ、正しい方程式を立てることができません。
正しい方程式が立てられなければ、正解になりません。
となると、その問題は得点できません。
失点してしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
問題を解くには、まず「問題が何を要求しているか」を正しくとらえる必要があります。
しかし、<苦戦する生徒さん>は、「問題が何を要求しているか」を正しくとらえる必要があるという発想が乏しいように見えます。
彼らには、問題を解くにあたって、次のようなことを指示しています。
・問題文を読みながら、図やメモを書く
このことを繰り返し、繰り返し、繰り返し.....
指導しています。
しかし、彼らはなかなかそうしようとはしません。
そういうことができる読解力が十分でない、という側面はもちろんあります。
しかし、それ以上に感じるのは、彼らが「情報整理の大切さ」に頓着していない、という点です。
彼らが文章題を解くときに考えているのは、だいたい次のようなことです。
・どうやって方程式を作るか
・「公式らしきもの」「どこかで聞きかじったような解き方パターン」を一生懸命に思い出そうとする
・その「公式?」「解き方?」に、どうやって「ナントカ・エックスとナントカ・ワイ」を当てはめるか
「情報整理の大切さ」を説くわたしのアドバイスは、彼らにとって、単なる雑音でしかないようなのです。
かわいそうなワタシ...
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<苦戦する生徒さん>も、一定の条件のもとに、改善していきます。
・問題文を読みながら、図やメモを書く
→「情報整理」の大切さを感じ取る
わたしが指示したことを彼らなりに実行することで、進歩をしていきます。
それで、彼らには、
「菊池の指示を取り入れたほうが、そうでない場合より、点が高くなる」
ことを体感してもらいます。
・・・そうか! 言われたとおりにしていくと、前よりはできるようになるんだ!
・・・だから、これからもこういう風にやっていこう!
<苦戦する生徒さん>は、そう考えるはず...と、想像します。
ところが、彼らはそんなに生易しくありません。
指示した直後こそ、「それらしく」はするのです。
が、しばらくすると、「元の彼らの姿」に戻ってしまいます。
彼らの様子を見るに、わざとこちらの指示を無視しようというような悪意は感じられません。
単純に、
「指示されていることが、問題を目の前にすると抜け落ちてしまう」
感じです。
ここから分かるのは、
「しみついた癖を矯正するのは、非常に時間と手間がかかる」
ということです。
それゆえ、<苦戦する生徒さん>には、
・問題文を読みながら、図やメモを書く
→「情報整理」の大切さ
を言い続けていくつもりです。
今回のコラムでは、「推薦入試」について述べてみます。
この「推薦入試」という制度は、ご父兄が現役学生だった頃よりかなり多くなっています。
その昔、「推薦入試」というと、私立校で行われているのが一般的でした。
例えば、
東北学院中→東北学院高→東北学院大
というようにです。
これは俗に「エスカレーター式」といわれていました。
今、あまりこういう言い方を聞かなくなりましたが...
しかし、今の「推薦入試」は、私立校がかなり積極的に行っています。
これは少子化と無関係ではありません。
これまでのような「一般入試」は、「推薦入試」に比べて難しくなっています。
ですから、世間一般の常識・感覚としては、
・「一般入試」・・・難しい
・「推薦入試」・・・「一般入試」ほど難易度が高くない
ということになっています。
また「推薦入試」=私立校というイメージが一般的です。
ところが、国公立大でも、これまでの「一般入試」とは違うスタイルの入試を取り入れるところが多くなりました。
そうした中で、東大も「推薦入試」を行っています。
東大に限って言えば、
・「一般入試」・・・難しい
・「推薦入試」・・・「一般入試」以上にハード
です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一方で、私立高校の「推薦入試」は、前回のコラムで紹介した東大の「推薦入試」とは、かなり様子が違います。
2020年以降、私立高校の「推薦入試」は、比重が大きくなっています。
特に、偏差値にして45に達しない受験生、つまり100人換算で70番から下という受験生が進学する高校はそれに該当します。
彼らは、私立高校の「推薦入試」で進学するケースが多くなっています。
私立高校の「推薦入試」の場合は、一部の例外を除いて、ほぼ全員が合格します。
また国語・数学といった学科試験もありません。
面接・作文が「試験科目」です。
2020年以降に、この私立高校の「推薦入試」が多くなってきたのは、「高校の授業料の無償化」のためです。
言い換えると、「私立=授業料が高い 公立=授業料が安い」という「常識」が崩れてしまったのです。
宮城県のように、公立高校優位の地域は、「私立高校への進学=公立高校受験残念でした」というのが通り相場です。
それは今も変わっていません。
しかし、2020年以降は、特に平均に達しない層の受験生を中心に、ダイレクトに私立高校を目指すケースが多くなりました。
公立高校受験をすっ飛ばしてしまうわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回は、私立高校の「推薦入試」が、「一般入試」と比べて入りやすいものである現状を述べました。
そのことで、わたしが思い出したことがあります。
それは、「推薦入試」に関する生徒さんの発言です。
・・・「推薦入試」と「一般入試」では、なぜ「一般入試」が難しくて、「推薦入試」のほうが入りやすいんですか?
「推薦入試」っていうから、「推薦されるくらい優秀な人」で、「一般入試」より難しいんだと思ってました。
これはなかなかに本質をついています。
「推薦入試」というのは、本来そうあるべきなんでしょうね。
事実、東大の「推薦入試」は、そのようになっています。
一方、私立高校の「推薦入試」は、建前上はそうなっているのでしょう。
が、実際は必ずしもそうなっていません。
わたしが私立高校の「推薦入試」で、一番大きな問題だと思うのは、
1月半ばに合格が決まってしまうと、4月の新学期までほぼ勉強しなくなる
という点です。
3か月間、学習から遠ざかると、彼らの場合、高校の新学期が始まるころには、「ほぼリセット状態」になってしまいます。
公立高校入試まで勉強するという「建前」があるのと、ないのとでは、高校入学後、学力が相当違ってくるのではないかと想像しています。
現場の高校の先生のお話を伺いたいところです。
過日、神奈川県平塚市にあるKOSHIN学院さんの動画、ブログを拝読していました。
そのとき、次のようなフレーズが目に飛び込んできました。
世の中なんて習ってないことだらけ!
ほんとうにそう感じます。
詳しくは、KOSHIN学院さんの動画、ブログのリンクからご覧になってください。
<ブログリンク>
https://www.koshin-gakuin.jp/blog/2024/07/03/post-318/
<動画リンク>
https://youtu.be/5NpGA_BMe2o?si=0n4aNY7Tx-9M5y8U
さて、試験ではときどき「見たこともない問題」が出されます。
生徒さんからすれば、理不尽に映るでしょう。
・・・学校の試験って、習ったことがどのくらい分かっているかを試すものなんでしょ?
それなのに、なんで試験では「見たこともない問題」が出されるの?
「見たこともない問題」なんて、まともに解けるわけないのに...
このように感じているかもしれません。
わたしも、何を隠そう、現役学生の頃は、こんな風に思っていました。
試験を受ける側からすると、こう思うのは当然です。
しかし、試験を実施する側からすると、考え方が違ってきます。
というのも、先ほど述べたとおり、
世の中なんて習ってないことだらけ!
だからです。
試験で、「見たこともない問題」が出るのは、社会に出たときの予行演習のようなものになるのかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
生徒さんも学校にいるうちは、「学生だから」という理由で、守ってもらえる部分があります。
しかし、社会人になれば、「習ってないことだらけ!」のところで、自活していかなくてはなりません。
出題をする先生も、「見たこともない問題」の正答率が低くなることは、当然にお見通しです。
試験というのは、逃げも隠れもできないシチュエーションです。
そうした特殊な空間で、生徒さんが「見たこともない問題」にどこまで格闘できるか...
これは、入試を決定づけると言っていいでしょう。
それでは、こういう「見たこともない問題」に対応するには、どうすればいいのでしょうか。
方法はただ一つあるだけです。
「普段の学習をコツコツ・漏れのないようにやっていく」
たぶん、これしかありません。
わたしには、ほかによい方法が思いつきません。
もちろん、これをしたからといって、「見たこともない問題」が全部できるわけではありません。
そこには、問題のレベル・生徒さんの能力のレベルが絡んできます。
しかし、この「コツコツ学習」を続けていけば、「見たこともない問題」を解ける確率は高くなっていきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までのコラムでたびたび述べた「見たこともない問題」について、一言触れておきます。
これと反対の「見たことがある問題」「やったことのある問題」は、どうなのか...
成績が上位に食い込んでいる生徒さんほど、「見たことがある問題」「やったことのある問題」は正解を導き出せます。
逆に、上位から遠のくほど、「見たことがある問題」「やったことのある問題」でも、正解にたどりつくのが難しくなります。
「上位に食い込んでいる生徒さん」と「上位から遠のいている生徒さん」の違い...
能力的な面はもちろんあります。
ただ、それ以上に「意識の違い」が影響しているように感じます。
上位から遠のく生徒さんほど、
「今回は間違えたとしても次に正解するにはどうしたらいいか」
という意識が薄くなります。
「見たこともない問題」が解けるためには、まず「見たことがある問題」「やったことのある問題」をしっかり正解できなくてはなりません。
逆に言うと、それ以外に「見たこともない問題」に対処できる方法を、わたしはちょっと思いつきません。
人間、やれることは限られています。
「見たことがある問題」「やったことのある問題」を、次に取り組んだ時に正解が多くなるよう、生徒さんには意識を強めていってほしいと考えています。
過日、以下のYouTube動画をアップしました。
題は、「2024 宮城県高校別の大学進学実績(確定値)」です。
詳しくは、動画をご覧になってください。
ここでわたしが取り上げるのは、佐沼高校の実績です。
佐沼高校について、わたしは以前からその実績を注目しておりました。
そこで、こういう動画も作っています。
この佐沼高校は、県北の登米市にあります。
みやぎ模試偏差値46です。
この偏差値は、仙台の周辺でいえば、名取北・仙商と同じくらいです。
そして、この登米地区の常として、入試では定員割れしています。
そういう高校が、過去5年間、途切れることなく東北大合格者が出ています。
さらに今年は、弘前大の医医にも1名合格しています。
国公立については、岩大・宮教大・山大にも過去5年間、ずっと合格者を輩出しています。
登米地区というところが、交通事情・地理的な事情で、なかなかほかのところに通学するのは、難しいです。
そういうことを考えても、この数字は一言で、
「すごい!」
ことに、東北大合格者が、佐沼高校から、途切れずに出ていることを考えると、控えめに申し上げて、
佐沼高校のトップ>二高の下半分
となりそうです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
二高の下半分は、東北大に合格するところまでいけないでしょう。
県内の高校入試では最難関の二高でこんな感じです。
そうなれば、他のナンバー校では、推して知るべし。
ですから、ざっと見積もって、ナンバー校の7割くらいの生徒は、佐沼高校のトップにかなわないことになります。
登米地区は、仙台近辺と比べて、受験が盛んな地域とは言えません。
この地区の公立高校は、ほぼ定員割れ状態です。
そして、佐沼高校には、専門学校への進学者、就職する生徒さんも4分の1程度はいます。
そういった中で、東北大や弘前大医医に合格するのは、並大抵のことではないと思うのです。
もちろん、優秀な生徒さんなら、周囲に流されず、そういう大学へも合格するでしょう。
ただ、そうは言っても、容易なことではありません。
加えて、泉・南・向山・宮城野・館山といった高校からも、途切れずに東北大合格者が出ます。
中学入試の県内最難関である二華。
高校入試の県内最難関である二高。
こういうところに合格できるのは、確かに能力と努力が必要です。
しかし、入学だけして安心してしまうと、高校卒業時には他校の優秀な生徒さんに太刀打ちできなくなります。
こういう現実があること、特にナンバー校の生徒さん・ご父兄には知っておいていただきたいです。
この時期になってくると、中3生からはボチボチと内申評定の話が出てきます。
「この評定だと、○○高校は狙えるか」
「今の評定で、△△高校を受けるとすると、入試本番でどのくらいの点数を取らなくてはならないか」
というものです。
このような「心配」が出てくる生徒さん・ご父兄は、だいたい次のようなケースがほとんどです。
・ナンバースクールあるいは準ナンバースクール
・中1・中2時の評定が志望校の平均値より少し低め
・男子生徒
みやぎ模試偏差値にして55に満たない高校を狙う生徒さんからは、あまりこのような「嘆き」を聞きません。
本来であれば、この層からの「心配」を耳にしたいところなのですが。
それから、女子からもあまり「評定が足りない」という話を聞きません。
そして、しばしば
「宮城県の評定システムというのは、理不尽なところがある」
という声も聞きます。
これは、そういう子供さんをお持ちのご父兄から、聞くことが多いです。
確かに各所から聞こえてくるこうした声には、賛同できます。
評定システムに、多くの欠陥があるのは間違いありません。
事実、わたしもしばらく前まではそのように考えていました。
(次回に続きます)
この評定については、高校入学後の学習と相関関係が見られるようです。
言い換えると、中学卒業の時点で評定が高い生徒は、高校入学後の学習もモチベーションが高いというのです。
二高の先生が仰るには、高校入試というのは、中学卒業時点で最も学習意欲が高く、点も高いわけです。
ところが、高校合格の時点で息切れしてしまう生徒が毎年、ある一定数必ずいるというのです。
そういう生徒は、どちらかというと、入試で評定が低い生徒が多かったそうです。
この話を聞いて、わたしも評定に関する見方を改めました。
高い評定を取るには、常日頃からコツコツ学習をやっていくことが求められます。
二高に入学するくらいの生徒さんなら、公立中学の平均レベルの生徒さんより、「コツコツ」というのは身についているはずです。
ただ、そうは言っても、中にはあまりコツコツやるタイプではない生徒さんもいます。
「地頭の良さ」で二高に合格する生徒さんがいることも事実です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
もちろん「地頭の良さ」だけで二高に合格し、その後もきちんと学習すれば、しかるべき結果を残せるでしょう。
しかし、よく考えてみれば、そもそもコツコツやるタイプでない人が、高校に入学した途端にコツコツとやるようになる確率は低いです。
人間の気性・性格は、そう簡単に変わるものでもありません。
そして、大学受験の場合、高校受験を「地頭の良さ」だけで乗り切った人が、赫々たる成果を残せるほど、甘い世界ではありません。
大学受験では、「ワンランク下のトップ層」にあっさりと抜かれてしまいます。
中には、高校に入学してから、気が抜けてしまって、学習に身の入らなくなった生徒さんも一定数出てきます。
そういう生徒さんは、中学時代、評定が高くないケースが多いというのは、納得のいく話です。
こういった現実は、なかなか表に出てきません。
ただ、内申評定という「不公平」な制度にも、それを設けるメリットはあるということです。
そして、それは内申評定が、入試本番の点に比べて、不公平な点があるため、生徒さん・ご父兄の理解がなかなか得られません。
そして、そのメリットは、中学側・高校側双方にあります。
このように考えていただくと、内申評定の意義が理解できるのではないでしょうか。
今回のコラムは本の紹介です。
数学が好きな中学生向けに、「数学の本」を紹介します。
こういった本は、小学生の頃、つまり中学受験生のときですと、割と読む機会があるようです。
ところが、中学生になると、ややこの種の本とは縁遠くなる傾向にあります。
「好きこそものの上手なれ」と言います。
そして、「数学好き」という方は、「好き」の度合いが、他の教科のそれとは段違いに大きいです。
興味のある方は、一度手にとって読んでみてください。
こうした本の場合、微分・積分・対数といった高校数学の分野まで扱っているのが常です。
ところが、この本は、範囲を中学数学に絞っています。
こんな内容が、書いてあります。
・なぜ割り算はゼロで割ってはいけない?
・なぜマイナス×マイナスはプラスになる?
・円周率はなぜ一定の値なの?
・錐体の体積が3分の1になるわけ
・日常生活の中の√2
こういうのは、数学の世界ですと、「あまりに当たり前」のことです。
が、当たり前すぎるゆえ、いざそれを説明しようとすると、なかなか難しいです。
この本は、そうした疑問に答えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎別冊 大人の教養教室 中学・高校の数学 (Newton別冊)
Newtonといえば、科学雑誌として、その界隈ではよく知られています。
数学好きの中学生であれば、これまで何度か手にしたり、読んだりということがあったのではないでしょうか。
そのような中で、この本は、「数学好きの中学生が、高校数学を理解する上で、とば口になる」といった位置づけです。
それゆえ、「高校数学への足掛かり」として、割と気軽に読んでいけそうです。
内容は、こんな感じです。
・最新のVRゲームが楽しめるのも三角関数のおかげ
・負の数の登場は数学界で驚異的な出来事だった
・コピー用紙には2と3がかくれている
・ピザを6等分にする三角比
この本は、その名の通り、日常の身の回りにあるものを算数・数学的に説明しようというものです。
数学というと、どうしても「紙の上での学問」という認識が、他の教科に比べると多い気がします。
数学が「紙の上だけのものではない」ことを、改めて理解するきっかけになります。
内容は次のようなものを数学的に説明しています。
・宝くじを当てる
・ネクタイの結び方
・ジェットコースター
興味があれば、ご一読を。
受験では、いろんなことをたくさん記憶しなくてはなりません。
今回のコラムは、その中で、漢字・英単語の記憶について取り上げてみます。
漢字・英単語というのは、国語・英語の学習で日々使っているわけです。
ですから、普通に学習をしていれば、漢字・英単語を学習していることになるわけです。
ただ、日々の学習をこなしているだけでは、受験をするときに足りません。
漢字・英単語も、受験用の問題集・参考書を使う必要があります。
もっとも、中学英単語のレベルであれば、そこまで大げさなものは必要ないですが。
さて、以下、漢字・英単語の学習をどうするか深く掘り下げます。
漢字・英単語の学習をやるコツとしては、
「ちょっとした空き時間・すき間の時間を活用する」
「他の教科を勉強しているときの『箸休め』として漢字・英単語を学習する」
です。
「ちょっとした空き時間・すき間の時間を活用する」というのは、例えば、通学電車の中で、英単語・英熟語を覚えるといったことがあります。
これは、古典的な方法です。
わたしも、高校生の頃は、「試験に出る英単語」を通学電車の中で読みながら、記憶定着を試みていました。
「試験に出る英単語」というところが、年代を感じさせますね(微苦笑)
(次回に続きます)
(前回の続きです)
漢字・英単語を覚えるというのは、ある程度の時間やっていると、飽き・ダレが来ます。
わたしは、もともと国語・英語という科目が性に合っているほうでした。
ですから、漢字・英単語を記憶するというのは、そこまで苦痛というわけではなかったのです。
とはいえ、高校英語で使う単語を記憶するというものを、面白おかしいと感じたわけではありませんでした。
数学であれば、難しい問題をウンウン考えて、いつの間にかあっという間に時間が過ぎてしまった経験はあります。
ですが、漢字・英単語をぶっ続けて1時間も2時間も記憶の時間に充てるというのは、とてもできません。
そうしたとき、
「他の教科を勉強しているときの『箸休め』として漢字・英単語を学習する」
この方法は、わたしの肌に合っていました。
この方法というのは、例えば、数学の問題を解き終わった後、その合間に英単語・熟語などの学習を短時間でさらさらとやるというものです。
数学の問題を解くためには、しっかり考えなくてはなりません。
確かに、考えるだけなら、寝っ転がりながらでもできそうです。
が、式を書いたり、計算したりとなれば、さすがに寝そべりながらというわけにはいきません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
一方、漢字・英単語の記憶作業は違います。
こちらは、「ちょっとした時間の合間」「箸休め」として行うことが可能です。
寝そべりながらでもできます。
この点が数学の問題を解くときとは違うところです。
さらに、受験参考書という本にこだわらなくても、今はスマートフォンで、受験用トレーニングアプリが相当に充実しています。
キーワードでYahoo検索をかけたら、↓のような結果が出ました。
今の生徒さんには、こうしたアプリ類が随分とそろっています。
この点が、わたしのような昭和世代とは違うところです。
これを使わない手はありません。
そして、この「ちょっとした時間の合間」「箸休め」の時間は、積み重なると意外と多くの時間になります。
塵も積もれば山となるとは、よく言ったものです。
ちなみに、わたしは、用を足している最中に、とある英語関連の本を読んでいます。
その本は拙宅のお手洗いに置いてあります。
なにしろ、用を足すのは毎日必ずですし、その最中はほかにやれることも限られます。
これを積み重ねていくと、結構な量の文章を読めます。
以上、「合間時間」の活用術でした。
小学校英語は、受験関係者の間で、評判がよくありません。
その理由は、
「小学校で学んだことになっている英語の内容が、さっぱり定着していないから」
に尽きます。
英語を小学校だけで教えている先生なら、そういうことはあまり感じないかもしれません。
しかし、中学、特に公立中学で英語を担当する先生は、たぶん、そのようには感じていらっしゃるはずです。
先生方は、ある種の徒労感をお感じになっているケースが多いのではないか...
このように想像しています。
せっかく小学校で英語の授業を導入したのに、以前より状況が悪くなっているのは、非常に残念です。
これは現場の先生方の責任ではありません。
設計図を描いた「お上」に全的な責任があります。
その責任とは、
小学校の英語では、「しつけ」を放棄したから
→「しつけ」とは「文法というしつけ」
です。
語学学習の初歩では、あれこれ詰め込みすぎてはいけません。
言い換えると、「薄く広く」であってはならないのです。
「深く狭く」でなくてはなりません。
ところが、小学校の英語では、「読む・書く・聞く・話す」を「薄く広く」なぞっているだけです。
しかもそこには、文法に裏打ちされた論理もヘッタクレもありません。
わたしに言わせると、「狂気の沙汰」です。
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(前回の続きです)
子供を教育するためには、彼らに「何をしてよくて、何をしてはダメなのか」を、幼いころに教え込まなくてはなりません。
それを「しつけ」といいます。
近年、「しつけ」という言葉は、我が子を虐待して恥じるところのないヒトデナシどもが、己を正当化するため、しばしば用います。
よって、「しつけ」という言葉のイメージはよくないかもしれません。
しかし、それが大切であることは申すまでもありません。
初学者に英語教育をするとき、「文法の指導」が「しつけ」に当たります。
小さいころに適切な「しつけ」を施されなかった子供は、その後にどうなるか...
申すまでもありません。
そして、小学校では、「文法と言うしつけ」をされずに、「英語とはこういうもの」と教育された小学生が量産されています。
そういう生徒が、中学校・高校と進んだときにどうなるか...
結果は想像の通りです。
現実問題として、中1に入学した段階で、英語は、「小学校のころから塾に通ってきた勝ち組」と「その他大勢」の学力差が二極分化してしまっています。
鳴り物入りで新規導入された小学校英語。
実際にやってみれば、導入前よりひどい状態に。
目をそむけたくなる「現実」です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
英語初学者のときに、教えるべき英文法はそれほど多いわけではありません。
・「名詞」「動詞」などの「品詞」の概念を教える
・be動詞と一般動詞の肯定文・否定文・疑問文の書き分け
生徒さんがウンザリするほど、授業で何度も何度も、繰り返して演習することです。
小学校の英語でやるべきは、これだけで十分という気がします。
この「繰り返し演習」をやれば、彼らが中学に上がったとき、その後の英語学習は、今よりスムーズに運ぶはずです。
このやり方は、実のところ、当塾が英語の授業で取り組んでいることです。
入塾当初、この「繰り返し演習」をやると、彼らの多くは戸惑います。
特に「品詞」の概念については、とっつきづらいようです。
しかし、しばらくすると、彼らの相当多くは、極めて正しく文法を理解するようになります。
基礎の基礎をしっかり固めれば、その後に新しい文法事項が出てきても、恐るるに足らずです。
きちんと基礎を初学者の段階で教え込めば、「お上」が考える以上に、生徒の理解は深まります。
小学校英語の理想を追い求めれば、キリがありません。
必要なのは、「今より少しでもマシにすること」です。
「お上」が、「繰り返し演習」を取り入れることは、まずないでしょう。
残念ですが...
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