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今日から12月です。
多くの中3の生徒さんにとっては、「いよいよ受験の時節到来」という時期になります。
高校受験で、内申書は非常に大きな意味を持ちます。
私立推薦で行くことを決めた生徒さんにとってはなおさらです。
今回のコラムでは、いつもの視点を逆にして、中学の先生の目から見た内申書について語ります。
先生の見方を知っておくことは、生徒さん・ご父兄にとっても、有益でしょう。
さて、本題です、
中学の先生方のお話を総合すると、
「内申書を作成して、高校に間違いのないように提出することは、ほんとうに気を遣う」
ということです。
公立高校に関しては、内申書の書き方・提出基準にしても、だいたい前年踏襲です。
そしてフォームはどこも同じです。
一方、私立高校の場合、学校ごとに書式が違います。
またコースごとの受験基準、改変などもあります。
高校に間違った基準のものを提出してしまったら、高校側は受け付けてくれません。
しかもミスで出願をしなかったとなったら、大変です。
先生方は教科担当のプロです。
事務作業のプロではありません。
いくらお仕事とはいえ、重労働です。
先生方には感謝です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
内申書の関連で言うと、中学校の先生は、受験の専門家ではありません。
先生は、国語・数学と言った教科指導の専門家です。
それゆえ、内申書の作成や、私立高校の出願基準に関しては、専門外です、
そして、
「何点取れれば、○○高校に入れるか」
「内申評定で○○点である自分は、どの高校なら入れるか」
ということについても専門外です。
わたしが中学生のころには、学校で業者さんの模擬試験が実施されていました。
そこでは、中3の9月以降になると、
「○○高校の志望者の中で順位は、○○位」
「県内で○○位 地区内で○○位」
というのが、はっきり出ていました。
全県・ほぼ全員がその模試を受けていたので、精度としては非常に高いものでした。
現在は、実力試験が行われはいます。
しかし、席次は校内順位のみの発表です。
そうなると、先生方としても合否の判断は難しくなります。
先生方が進路に関して「余計なことを言わない」というのは、このような側面もあってのことです。
今まで述べたように、内申書や模擬試験などの受験制度がどうなっているのかを理解して、ご父兄としては子供の進路を考えておく必要があります。
いろいろと大変ではありますが。
先般、当方のYouTube動画で、公立高校の数学科・英語科のある高校を取り上げました。
三高・向山理数科vs泉・東高英語科 ~偏差値と入試倍率~ その1
三高・向山理数科vs泉・東高英語科 ~偏差値と入試倍率~ その2
今回のコラムは、この動画の補足編です。
泉高校・東高校の英語科志望の受験生へ向けて書きます。
こちらの英語科を目指す方というのは、当然のことながら、英語が得意なのだろうと思います。
そして、英語が好きというタイプ。
しかし、その反面、数学は苦手という受験生が多いのではないでしょうか。
以前、わたしが担当した中で、両校の英語科を目指した生徒さんは、だいたいこういう感じでした。
・英語を小さいころから習っている
・そのため、英語は5教科の中で、点数・偏差値ともいちばん高成績
・理科と数学の成績は芳しくなく平均点に達していない
もちろん、全員がこういう感じではないと思います。
ただ、両校の偏差値を考えると、こういうタイプの方は多いのではないでしょうか。
そして留意していただきたいのは、
「高校へ行っても数学からは逃れられない」
ということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
泉高校・東高校の英語科では、しっかり数学の時間があります。
泉高校に関して、数学の授業は、普通科文系クラスより3年間トータルでほんのちょっと少ないくらいです。
1年生から3年生まで、数学は必修です。
選択授業の取り方で、数学の時間を申し訳程度に少なくすることはできます。
数学は3年間きっちり学びます。
以下、英語科と普通科文系を比べた時間数です。
<泉高校 3年合計 数学の時間数>
◎普通科文系 15または17時間
◎英語科 12または14時間
東高の英語科は、1・2年時に、数学は必修です。
3年では、必修から外れて選択科目になります。
<東高校 3年合計 数学の時間数>
◎普通科文系 14または12時間
◎英語科 14または12時間
泉高校と東高校とで、数学が3年必修か、選択かというのは、国公立大の志望者が多いか、少ないか、によるものでしょう。
このようにして見ると、英語科は普通科文系より「英語をより深く学習する」という感じです。
数学に関して、大きな違いがあるわけではありません。
ですから、「英語科に行けば、あまり数学を勉強しなくていい」ということにはなりません。
むしろ「堂々たる主要科目の一つ」です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
英語科の生徒さんが、なぜしっかり数学を勉強しておく必要があるのか。
これには大学進学という点で見ても、そのほうがいいからです。
英語科の生徒さんは、英語が好きで、得意なのは当たり前です。
しかし、数学がしっかり学習できているという生徒さんは、そう多くありません。
ということは、数学の成績が良ければ、推薦で大学に進学することを考えた場合、有利になります。
「成績がいい」というのは、要するに評定が高いということです。
推薦の基準として広く用いられる「平均評定」の中には、数学も含みます。
周囲が「数学の弱さ」を抱えている人たちが多いならば、なおさら数学では手を抜けません。
ですから、いま英語科への進学を考えている方は、数学の模試の正答率に注目してください。
・泉英語科・・・70%以上の問題
・東高英語科・・・80%以上の問題
ここに書いてある問題を間違ったときには、「取りこぼし」と考え、次からは取りこぼさないようにしていただきたいのです。
「単なるケアレスミス」と考えていると、次にも同じことをやらかします。
今のうちからこのようにしていくと、高校で英語科に行っても、数学でサバイバルできるのではないでしょうか。
生徒さんが間違って書いた答えに接していると、感じることがあります。
それは、
「同じ生徒さんが、同じところを、同じように、繰り返し何度も間違っているケースが非常に多い」
ということです。
「今さら何を?」
こう言われるかもしれません。
そして、この仕事についている限り、生徒さんが「同じところを、同じように、繰り返し何度も間違っているケース」を気に病みすぎると、こちらが精神的にやっていけないという側面があります。
それゆえ、「生徒さんが繰り返す間違い」については、相当程度に免疫がついてしまっているのは、事実です。
ただ、そんな風に自分自身が妥協してしまうと、生徒さんの成績アップがおぼつかないものになってしまいます。
さて、能書きはこれくらいにします。
以下、本題です。
生徒さんが試験・練習問題を解いた後、自分の間違いをフォローする様子は、それなりに見受けられます。
しかし、わたしが見ていて、「間違いのフォローアップ」が何とか合格点というのは、中学生全体の3分の1程度です。
「中学生全体の3分の1」というと、偏差値換算で55以上ということになります。
残りの3分の2の生徒さんは、成績が下に行くに従って、フォローアップの不十分度が増していきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べた「残り3分の2の生徒さん」が、フォローアップする様子を見ていると、だいたいこんな感じです。
答えを間違う
→模範解答を見ながら、間違ったところを赤ペンで訂正
これは広く行われています。
学校では、副教材ワークを使うときに「間違ったときの訂正の仕方」として、かなり徹底している感があります。
「間違ったところがあったら、それをそのままに放置しない」
これはいいことです。
放置してしまっているケースも相当ありますから。
学習の苦手な男子は、この傾向が見受けられます。
この「赤ペン訂正」の大きな問題点は、訂正をしているとき、模範解答を写す作業にばかり気が行ってしまっていることです。
頭がほとんど働いていないのではないかと感じます。
一方、学校では副教材ワークの取り組み具合を判断するのに、間違った問題に対応する方法として、
「赤ペンでしっかりと直してある」
・・・高評価
「赤ペンで直していない」
・・・低評価
こういう基準があります。
それに沿っていないものは、内申評定に関わってきます。
そのため、わたしも「赤ペンでしっかり訂正」というところには、そのデメリットにある程度は目をつぶらなければならないと考えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
問題演習をするとき、必要なのは
「前にやった同じ問題・同じような問題を間違わないこと」
です。
「赤ペンで間違った問題を訂正して終わり」と考えている生徒さんは、
「次に間違わないようにするにはどうしたらいいか」
という視点がかなり抜けています。
そういう考えのもとに、同じ問題を解いても、同じように間違ってしまうのは道理です。
もちろん、彼らが間違った問題の中には、能力的に見て、解けそうもないものは確かにあります。
そういう問題を、彼らに「次に間違わないように」ということは、求めません。
わたしが彼らに求めるのは、
「現在の力をもってすれば、もう少しで手が届く問題を正解すること」
です。
ですから、わたしは指導中に、
「一生懸命に赤ペンで直しても、次の授業の演習で解けるようにならなければ、意味はありません」
「わたしがあなた方に求めるのは、試験問題・演習問題に正解することです」
ということをよく口にします。
「間違った問題は赤ペンで直しておしまい」と思ってほしくないからです。
間違った問題には成績アップのヒントがたくさんあります。
ミスをしてしまった原因を正しく突き止めて、
「次から間違わないようにするにはどうすればいいのか」
を、生徒さんには自分なりに考えてほしいのです。
成績向上のために、です。
今日のコラムは、むかしむかしのお話から...
頭の一女
顔の二女
体の三女
このフレーズ、何のことだかお分かりでしょうか?
これは、その昔、宮城県の公立高校が男女別学だった頃、宮城一女(現在の宮城一高)、宮城二女(現在の仙台二華)、宮城三女(現在の仙台三桜)の特徴(?)を述べたフレーズです。
今の高校生の皆さんは、このフレーズ、知っているのでしょうか?
わたしが高校生の頃はすでにありました。
誰が、いつ、どこで作ったかは分かりません。
相当に昔からあるのではないでしょうか?
もしかしたら、これら3校が「女学校」といっていたころの戦前から、とか。
このフレーズの意味するところは、
一女は学業優秀な生徒
二女は顔のきれいな生徒
三女は体育会系の生徒
が、それぞれ多いという意味です。
わたしが何でこんなことを書こうと思ったか...
それは、ネットでとある書き込みを見たからです。
それを書き込んだ方は、どうも「体の三女」という意味が分かっていなかったようです。
どうやらその方は、「体の三女」を別な意味に解釈したようでした。
「こんなフレーズがあったとはけしからん」という主旨のことが書いてありました。
まあ、言われてみれば、解釈の仕方によっては、そういう反応も致し方がないのか、とも感じましたが。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしは、三女あるいは現在の三桜高校に、「体育会系女子が多い」というイメージを持ったことはないです。
「体育会系女子が多い」という高校は、常盤木、古川商業(今の古川学園)というように、私立に多いイメージがありました。
育英・東北は、もちろんです。
ただ、育英・東北は元が男子校です。
ですから、わたしの中の「体育会系女子が多い」という高校は、先ほど述べた高校です。
ただ、一女・二女・三女の中では、その昔、「体育会系女子が多い」というのは事実だったのかもしれません。
「からだの三女」というのは、そのような文脈で語られたのではないでしょうか。
ところで、今回話題として出た、一女・二女・三女の中で、最も「昔の姿」が残っているのは、三女、つまり三桜高校でないかと思うのです。
二女つまり二華は、いちばん変貌を遂げました。
中高一貫校となり、中学生は県内トップの俊英ぞろいです。
東大・京大・医学部といった難関校への合格者も多く輩出するようになりました。
一女つまり宮一は、進学実績という面で、一女時代に比べて、実績が下がっています。
かつて県内の女子の俊英が集まった一女は、最トップ層の女子が一高や二高に入学するようになっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
旧女子校ナンバー、すなわち宮一・二華・三桜の中で、女子率の最も高いのは、三桜です。
そんなわけで、部活動の内容を見ていると、「いかにも旧女子校」という感じのクラブがあります。
クッキング、手芸、華道などなど...
このようなものは、宮一・二華にもあります。
それから、三桜というと、わたしには合唱が思い浮かびます。
森山直太朗さんの「さくら」(合唱)では、バックコーラスを担ったのは、当時の三女の音楽部の方々でした。
ここは、合唱だけをやるのですが、部の名前はなぜか「音楽部」です。
「さくら」が世に出てから、21年もたっているんですね。
あのころ、バックコーラスを務めた女性たちは、いま、アラフォー世代。
小学生あるいは中学生の子供さんを持つお母様になっている方も多いでしょう。
この音楽部は、全国レベルです。
「合唱がやりたくて三桜に」という人も多いのではないかと思われます。
音楽部は、文化系のクラブです。
「からだの三女」には当てはまらないかもしれません。
ただ、合唱は当然、体力勝負という側面もあります。
ですから、こういうのを含めて「からだの三女」と、わたしは解釈しています。
何だか、今回は、「そぞろ歩き」のようなコラムになってしまいました。
今回のコラムは、宮城県の公立高校入試の内申評定について書いてみます。
その中でも、その計算方法に関してです。
というのも、この評定の計算の仕方については、毎年、
「この計算方法ってどうなの?」
という苦情というか、疑問というか、そういう声を、ご父兄から耳にすることが多いからです。
そこで、今回は宮城県の計算方法を、他県と比べてみます。
比べる対象は東北地方にある他の5県です。
まず、宮城県の評定計算方法は次の通りです。
・主要5教科=5段階評定の数字
・実技4教科=5段階評定の数字×2倍
→これを中1から中3まで数字を合計する
☆195点満点
この計算方式は、生徒さんの間でも、ご父兄の間でも、認知度が高いです。
かなりの方がご存じのようです。
この方式を他県と比べてみると、次のことが分かります。
宮城と同じやり方で計算するのは、秋田・福島
→よって、宮城が特殊というわけではない
宮城の計算方法で、苦情の多いのは次の点です。
・実技教科が主要5教科の2倍換算
・1~3年まで同じ計算方式
実技教科が主要5教科の2倍換算になっているのに対して、
「どうも納得がいかない」
という声が強いのは、わたしとしても理解できます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、実技教科が主要5教科の2倍換算になっていることに、苦情が多いと述べました。
そのことに絡んで、以前、県教委になぜそうなっているのか、尋ねたことがあります。
県教委からの回答は次の通りでした。
1.主要5教科については、入試当日に学力検査があるので、評定はそのままとする。
2.実技教科は入試科目にないので、それへの代替として評価を2倍する。
この経緯は、以前に当コラムでも扱っています。
<関連コラム>
要するに、本来、高校入試は9教科で実施すべきだが、実技教科を実施しないので、その代わりに内申評定を使っているという論理です。
「そういう理屈もありと言えば、そうなるかもしれないが...」
そのように感じた方も多いかもしれません。
そもそも、公立高校入試は、昔の昔、9教科で行われていました。
実技教科の入試もあったわけです。
今の常識で考えると、ちょっと驚きですが。
そのような経緯を踏まえると、実技の2倍の意味が分かるのではないでしょうか。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回、昔の昔は、公立高校入試が9教科で行われていたと述べました。
以下、その関連で...
今年80代の後半になるわたしの父は、9教科・2日間で高校入試を受けたと言っていました。
わたしが中3の頃、
「おまえは5教科だけで、1日で入試が終わるから、楽だな」
と、言われた記憶があります。
宮城県の公立高校入試がいつから5教科になったのか、正確なことは調べられませんでした。
ただ、大阪は1967(昭和42)年以降に5教科になったそうです。
たぶん宮城県もそのあたりかと勝手に想像しています。
(正確なことをご存じの方は、ご指摘くだされば幸甚です)
そして、この1967年当時、高校の進学率は全国平均で約70%です。
ということは、今でいえば、みやぎ模試偏差値45未満の生徒さんたちは、高校に進学せず、中卒として働いたという意味でもあります。
「実技2倍」は、その時代の入試を引きずっているともいえます。
いずれにしても、内申評定で、実技教科を2倍換算にするというのは、それほど珍しいわけではありません。
それから、内申評定の換算方法で、苦情の元になるのは、
「中1~3年まで同じ計算方式」という点です。
この点については、「なぜこれが苦情の元になる?」と不思議に感じる方がいらっしゃるでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、
「評定が中1~3年まで同じ計算方式だと苦情の元になりうる」
と述べました。
この「苦情」とは、例えばこういうケースです。
・・・中1のころはあまり勉強しなかったが、中2・中3と学年が進むにつれて、少しずつ成績を上げてきた。
中3の後半あたりで、模試では志望する高校に合格できるくらいの点を出せるようになった。
ところが、中1の頃の評定の数字が若干低くて、「自分の過去の数字」が足かせになっている。
だから、志望校合格のためには、ほかの受験生より点を多くとらないと、合格点を取れないのではないか。
こうした「苦情」は、ナンバースクール辺りを目指す男子生徒、その生徒さんのご父兄から寄せられることがあります。
この論理としては、本来、入試は中3の入試日における実力を測るべきなのに、中1の頃の成績が入試に影響してくるのは、おかしいというものです。
この点については、なるほどと思えるところがあります。
そのため以下のように方式を決めている県があります。
・山形
中3時の5段階評定の数字のみで判断
・岩手
主要5教科の中1の評定を2倍、中2の評定を4倍、中3の評定を6倍にする。
実技教科は、さらに1.5倍にする。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
山形の場合、算定の対象になるのは中3のみです。
中1・中2のときの成績に縛られることがありません。
そうした意味で、段々と成績を上げてきたという生徒さんは、この制度で救われている部分が大きいです。
ただ、中学校の先生方としては、
「中1・中2に、ある程度はシバリがないと、生徒がたるむ」
ということもお感じになるでしょう。
そういうことがないため、学年が進むにつれ、評定の重要度を上げていっているというのが岩手方式です。
この岩手方式は、山形方式と宮城方式の中間をとったものです。
わたしが考えるに、生徒さんの志気向上や中学の先生の立場を考えると、岩手方式が最も有効なのではないかと考えています。
一方、「実技教科の評定の数字が2倍になる」というのは、公平には見えづらいです。
しかし、生徒さん・ご父兄は「実技2倍」というのをよく心得ています。
この「実技2倍」があるおかげで、実技教科を多くの生徒がしおらしく(?)受けているんだろうというのは、彼らを見ていて感じます。
いずれにしても、高校入試の学習は、学校の授業をしっかり受けるという基本のもとにあるべきなんだろうと思います。
過日、Twitterに↓のようなツイートがされていました。
このツイート主さんは、どうやら二高→東北大へと進んだ方のようなのです。
そのようには明言なさっていませんが、過去のツイートをたどっていくと、よく分かります。
年齢的にも、わたしより少し若い方のようです。
さて、ここに書いてあるのは、大学入試のことです。
このツイートには、わたしも100%同意します。
大学入試は、ご父兄の世代と相当に様変わりしています。
特に変わったのは、私大入試です。
推薦入試が非常に多くなりました。
確かに昔も、推薦入試はありました。
しかし、これは
東北学院高校→東北学院大
宮城学院高校→宮城学院大・短大
という風に、俗に言う「エスカレーター式」が多かったと記憶しています。
これは今もあります。
ただ、今の入試は、それに加えて推薦入試の割合が非常に高くなっています。
こちらの資料によれば、平成のはじめ、私大入試の推薦割合が3割程度だったのが、いまや6割を超えています。
なぜそうなったのか。
私大の数が増えた一方、子供の数が減ってしまったからです。
私大としては、一般入試に先駆けて、入学者を確保するために、推薦入試の割合を大きくしていったのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
推薦入試の割合を大きくしていくとどうなるか...
これは、以前のようなペーパー試験を受ける一般入試の募集人数を少なくすることにつながります。
すると、一般入試が難しくなるわけです。
そうなると、私大としては、
「うちの大学は、偏差値がこんなに高いんですよ」
とアピールできます。
私大の推薦入試は、世の中に出回っている偏差値よりは、基本的に入りやすいです。
私大の一般入試の場合、受験生は複数の学校を受けているのが普通です。
国立に受かれば、そちらに行くという受験生も多いわけです。
しかし、これを私大側から見ると、次のように見えてきます。
...一般入試では、実際にどのくらいの入学者があるか判然としない。
入ってくるかどうか分からない受験生は、現状あまり当てにできない。
それより、推薦入試という形で、「浮気をしない」受験生を確保したほうがいい。
少子化で生徒集めも何かと骨が折れるし。
このような流れで、推薦入試という形を取ると、
「え? この高校から、この大学へ合格できちゃうんだ!!!」
というケースが結構あります。
わたしもそれは経験しています。
高校のほうとしては、それが「手柄」になるわけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
こうした推薦入試には、例えば、白百合・ウルスラ・ドミニコから上智大学へ進学できる「推薦枠」があります。
上智大学へ一般入試で入ろうとすると、難関です。
二高あたりからでも、全員が合格できるわけではないでしょう。
しかし、「推薦枠」を使うことで、一般入試よりは入りやすくなります。
私立高校は、こうした「推薦枠」があることで、生徒募集の呼び水にすることは普通に行われています。
逆に公立高校は、このような「推薦枠」を外へ向かって広報しない傾向にあります。
ですから、高校に入る前から、すでにこうした「推薦枠」に関する情報をつかんでおくと、かなりの「お得感」があります。
もちろん、「お得感」があるといっても、高校では相応の成績を残さなくてはなりません。
ただ、推薦入試で受かった生徒さんが、一般入試で受けて、どのくらいの生徒さんが合格できるかと言えば、「???」です。
このような情報は、ご父兄が率先して収集する必要があります。
そして、難関私立への推薦入試となれば、相応の経済的支出も必要になってきます。
ご父兄の時代の入試と違って、「情報戦」の入試になったというのは、そのような主旨です。
これから子供さんが大学入試を受けることになる場合、こうしたことも頭に入れておくといいでしょう。
当欄では、このところ、特に中学校で生徒間の英語力が二極分化している点について、繰り返し述べてきました。
今回のコラムでは、英語が得意な生徒さんに焦点を当ててみます。
この件については、先日、以下のようなコラムを書きました。
<関連コラム>
泉高校・東高校の英語科志望の受験生へ ~数学からは逃れられません~ その1
泉高校・東高校の英語科志望の受験生へ ~数学からは逃れられません~ その2
泉高校・東高校の英語科志望の受験生へ ~数学からは逃れられません~ その3
<関連コラム>は、英語科に進んでも、数学の学習をしっかりやるべき、という主旨です。
そして、今回は英語「だけ」が得意とならないために、どうしたらいいのかということを述べてみたいと思います。
学校では「英語がまるでダメダメ」という生徒をたくさん生み出しているこのごろ、英語が得意というのはすばらしいことです。
「得意なものが何もない」という状態よりは、よほど良いのは確かです。
しかし、その一方、英語「だけ」が得意で、他の教科は鳴かず飛ばずの状態となっていれば...
「将来は英語を生かして仕事をしたい」
と考えても、なかなかに厳しいものがあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
大学進学・大学在籍中までは、そういう生徒さんでも、受け入れてもらえます。
文学部を筆頭として、「国際○○学部」「グローバル○○学科」というような学部・学科が、受け入れ先になります。
しかし、そこの学部で学ぶことは、「英語コミュニケーション学」「英米文学論」といった学問です。
学問となれば、
「英語が少し話せて、ほかの科目より中高校時代はテストの点が良かった」
というだけでは太刀打ちできません。
こういう学問は、むしろ国語の文章読解力や社会科などの知識、そして理数系の知識のほうが必要になってきます。
例えば、こういう文章があったとします。
・・・自民、公明、国民民主の3党幹事長が20日午前、会談する方向となった。
所得税が生じる「年収103万円の壁」引き上げを巡る3党合意に基づく協議の継続を確認する見通し
大学で学ぶ「時事英語」などには、テキストにこの種のことが英語で書いてあります。
英文そのものは、「英語が得意な生徒さん」なら、辞書等の助けを借りて、和訳することはできるでしょう。
しかし、このニュースがなぜニュースになっているのかとか、ニュースの背景はどんな風になっているかは、下地となる知識がなければよく理解できません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、意外に語られないのは、「英語の単語力と英語を聞き取る力との関係」です。
このごろは教育現場においても、ご父兄の学生時代よりは、「英語を聞き取る・英語を話す」ことが重んじられています。
というか、そういう「建前」になっています。
その成果としては、疑問符が付きますが。
「英語を聞き取る」ときには、何だかんだで、「英単語・熟語をしっかり・たくさん覚えている」ことが必要になってきます。
まあ、アメリカに短期旅行に行って、マクドナルドでアイスクリームを注文するくらいのことは、それほど難しくなくできるでしょう。
しかし、もっと込み入った内容を理解しようとすれば、英語の語彙力は必要不可欠になってきます。
一方、↓のような文章はどうでしょうか。
・・・現代米国史の主要問題が、企業のプロパガンダであることは疑いがない
これは、今年の東大英語2次試験の第1問のいちばんはじめに出てくるものです。
これが英語で書いてあります。
このくらいの内容のものの読解ができなければ、大学で学問として英語をやろうとしても、使い物にならないでしょう。
ですから、英語が得意な生徒さんは、他の科目がまるでダメとならないよう、留意しておきたいものです。
先般、生徒さんと話をしていたとき、ひょんなことから、歴史や古典の話になりました。
その生徒さんは、こういうことを語っていました。
・・・正直、歴史とか古典って、どうして勉強しなくちゃいけないのかと思いますよ。
数学や国語、英語は勉強しなくちゃならない意味は分かります。
でも、歴史や古典って、昔の出来事、昔の言葉ですよね。
それって、今と何か関係があるんでしょうか?
まあ、受験にあるから、歴史とか古典は勉強しますけど。
その生徒さんは理系志向です。
ですから、文系志向の生徒さんに比べて、歴史とか古典は、「無駄な科目」に見えるのでしょう。
そうなると、わたしの出番です(笑)
「歴史とか古典をなんで勉強するかなんて、余計なことを考えず、しっかり勉強しろ!
そんなことを考えてると、入試でいい点が取れなくなる!」
なんてことは、言いたくありません。
ですから、生徒さんには、次のように語りかけました。
・・・生徒さんからこういう話をされるって、珍しいことではないんですよ。
確かに歴史とか古典って、昔の出来事、昔の言葉です。
昔のことをやって、今とどう関係があるのか分からないって、当然ですよね。
次に話すのは、わたしの考えです。
正しい答えはありませんから、参考程度に聞いてくださいね。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
以下、わたしの一人語りの続きです。
・・・歴史って、確かに扱うのは昔のことばっかりですよね。
生徒さんから見ると、
「1603年 江戸幕府ができたって言ったって、だからどうした?
江戸幕府ができたことと、今のオレたちの生活がどう関係があるんだ?」
こういう疑問を持つのは、当然だと思うんですよ。
でも、世の中には、「今のこと」だけを見てると、分からないことって、たくさんあるんですよ。
例えば、北朝鮮が、なぜ日本に向けて、ミサイルをぶっ放しているか、そもそも日本と北朝鮮はなぜ対立してるのかって分かります?
それから、イスラエルとアラブ諸国で、なんであんなにいがみ合って、戦争までやってるのか、なんて、分からないんです。
でも、過去にさかのぼって、これこれこういうことが昔にあったのだと知ると、
「ああ、だから北朝鮮は日本にミサイルを発射するし、中近東では戦争が絶えないのね」
っていうことが理解できるわけですよ。
共感できるかどうかは別にして。
歴史の勉強って、「今のことを理解するために、過去のことを知っておく」っていう意味があるんだと思うんですよ。
まあ、歴史の学習ってそれだけではないんですが...
(次回に続きます)
(前回の続きです)
生徒さんが質問します。
・・・歴史を勉強する意味は分かりました。
でも、古典って、必要なんですか?
使い道、あります?
以下、わたしからです。
・・・確かに古典って、使わないように見えますよね。
でも、意外と書き言葉の中に残ってるんですよ。
例えば、「いわゆる~」「言わば~」って言葉がありますよね。
「いわゆる」っていうのは、もともと「~と言われている」っていう意味です。
この「ゆる」って、「殴られる」の「れる」と同じで、奈良時代なんかに使われた助動詞です。
「言わば」は「もし~と言うのであれば」っていう仮定ifの言い方です。
古文にはしょっちゅう出てきます。
「いわゆる~」「言わば~」なんて、今の国語では「そういうもの」として覚えるしかないです。
でも、過去にさかのぼると、「なんでそういう言い方をするのか」が理解できるじゃないですか。
生徒さん
「ああ、そうなのかあ...
言われてみれば、そうなのかもしれませんね」
・・・そうなんです。
こういう表現って、書き言葉とか、固い言い方に残ってますよ。
固い言い方が、「昔の言葉に由来する」って、日本語だけじゃないんです。
そのほかの言語、英語にも、中国語にも、残ってますよ。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
さらにわたしから...
・・・それから、「わたしは」「学校へ」の「~は」「~へ」って、どうしてこんな風に書くんでしょうね?
生徒さん
「そう書かないと変じゃないですか。
『私(わたし)は』を『私わ』って書いたら、変じゃないですか?」
・・・どうして変ですか?
それは「私は」という書き方に慣れてしまったからですよね。
「~は」「~へ」って書いているのは、昔々、実際にこれは「~ハ」「~へ」って発音されていたからなんですよ。
昔の言い方、言葉の発音がこういう形で今も残っているわけです。
英語の綴りでnameを「ネイム」といい、capを「キャップ」というのと同じです。
同じaって書くのに、読み方が違いますよ。
まあ、こんな風に、昔の言葉や、昔はどう発音していたかっていうのは、意外と長く残るんです。
それから、学校っていうところは、そもそも「古典を教えるところ」として出発してることが多いんですよ。
そこでは聖書やコーランの読み方を教えます。
日本でも、江戸時代の寺子屋では、漢文の素読って言って、意味をやらずに音読の仕方だけを教えるとか、やっていたんですよ・・・
こんな風に生徒さんに語ったら、生徒さんは、「歴史・古典を学習する理由」が分かったようでした。
テストの点が上がるには、それを勉強する理由を理解したほうがより良い結果が残ると思い、今回のコラムとした次第です。
このところ、わたしはTwitter上で、
「主に小学校で算数がどう教えられているか」
の一端を目にする機会が増えています。
わたしが関心を持って見ているのは、算数の中でも、いわゆる「文章題」がどう指導されているかです。
文章題は、計算問題と比べて、苦手にしている生徒さんが多いです。
それは、彼らが中学に進んで、算数が数学となってからも、変わりはありません。
彼らが方程式の文章問題や関数・図形といった問題で、
「なぜ解けない?」
「なぜああいうところで引っかかってしまう?」
という原因を、わたしはできる限り深く理解したいと考えています。
そうした中で、とある小学校の算数で指導されている方法が目に留まりました。
その方法というのは、
「小学校で、こういう教え方をしてるところがあるの???
そんなことをしてたら、そりゃあ文章問題、苦手にもなってしまうな~」
というものでした。
それは、もう少し詳しく言うと、
「『公式らしきもの』に数を当てはめるだけで答えを出す」
「文章題にある文言がちょっとでも変わってしまうと、その『公式らしきもの』は全く役に立たない」
要するに、ごく初歩的な文章問題に対応できるだけで、まるっきり応用のきかない指導方法でした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
すべての小学校がそのように指導しているわけではないでしょう。
そして、その「指導方法」は、たぶん文章問題の解けない生徒が、少しでも解けるよう、それなりに工夫したもののようです。
確かにそこには、小学校の先生なりの愛情が感じられます。
算数の単元テスト(受験業界で言う「カラーテスト」)に出てくるような文章問題であれば、「先生の教えたやり方」で少しは問題が解ける可能性があります。
「ドラえもん」の「のび太くん」とか、「サザエさん」の「カツオ君」でも、そのやり方でちょっとは点が取れるかもしれません。
しかし、前回のコラムに書いたとおり、「先生の教えたやり方」は、ちょっとでも文章問題の言い方が違うと、まるで用を足さなくなります。
そして、できない生徒は、中学に上がっても、まずできるようにはなりません。
では、どうすればよかったのか...
文章問題であれば、なるべく図を書いたり、その図にメモを書き込んだりするよう、指導すべきだと考えます。
例えば、小5算数で出てくる「速さ」であれば、こんな感じの図です。
このように指導がされていれば、これは応用が利きます。
「速さ」という単元を理解しようとすれば、なるべく多くの問題で図を書いて考え、その考え方を体にしみこませることが非常に大切になってきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが「怖い!」と感じているのは、算数・数学が「公式を当てはめて解けばOK」と勘違いする生徒さんが、意外に多いことです。
・・・先生! 数学って、教科書にある公式を覚えれば何とかなりますよね!
数学が振るわない高校生から、このセリフを何度聞いたことか...
そのたびに、わたしは暗澹たる思いになっていました。
こういうセリフを語る高校生で、公式を覚えて、何とかなったことはありません。
ですから、小学校の算数で「『公式らしきもの』に数を当てはめるだけで答えが出るよ!」というようなことを、先生御自らがなさっているというのは、信じがたい光景に見えてしまいます。
わたしは、算数・数学を指導する際、
「問題文に書いてある字だけをニラメッコしていないで、図を書いたり、その図にメモを書いたりしてください」
ということを、繰り返し指導しています。
ニラメッコしただけで、難しい問題が解けてしまうのは、かなり優秀な生徒さんです。
そういう生徒さん以外は、わたしを含めて、算数・数学の文章問題を解くときには、図を描くなどする必要があります。
「公式当てはめ算数」は、そのときだけ分かったような気分になります。
繰り返しますが、「そのときだけ」なのです。
今日は12月30日です。
冬期講習は昨日までに前半戦が終わりました。
冬期講習の様子を写真ででもお知らせできればよかったのですが、今回は撮影まで手が回りませんでした。
というわけで、文字だけでのご報告を...
当塾の講習では、「演習中心」に、できる限り、手を動かし、頭を働かせ...ということを励行します。
いくら丁寧に、分かりやすく、という授業を心がけていても、生徒さんが「ふんふん」と聞いているだけでは、結果が出ません。
わたしはそのように考えています。
ですから、授業においては、過度に手取り足取りにならないよう、気を付けています。
そして、生徒さんには、
「なぜ今、この学習をするのか、しなくてはならないのか」
「この学習は、学年が進むと、このようにかかわってくる」
というようなことを、できる限り伝えるようにしています。
そうすることで、
「入試に必要なんだから、ツベコベ言わずにやれ!」
というようなことを、なるべく言わずに済むようにしたいと考えているからです。
そんなこんなで、今年1年も、多くの方からお支えをいただきました。
こころから感謝申し上げます。
コラムは来年1月3日から再開します。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください!
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