〒981-0933 仙台市青葉区柏木1-6-22佐藤アパートB101
電話での受付:15:00~20:00
定休日:日曜日
乙巳(きのとみ)に改まりて詠める
初春や 泉ヶ岳に 照り添ひし
昇る 朝日を 仰ぎ見て 立つ
皆様、あけましておめでとうございます!
令和7年、穏やかな年明けです。
毎年恒例としている短歌を、今年も詠みました。
今年は、「泉ヶ岳」という地元の山を織り込んでいます。
わたしなりの心境をサラッと短歌の中で語りました。
さて、受験業界は、新年といっても、年末と何かがガラッと変わるわけではありません。
今の時期から中学入試・高校入試が本格化するからです。
入試シーズンの中で、最後に決まる公立高校入試まで、気の抜けない日々が続きます。
それは、受験生・ご父兄・受験関係者、みな同じです。
その日まで体力的に持つよう、細心の注意を払っていきます。
受験関係者にとって、入試は「毎年」のことです。
一方、生徒さんにとって、中学入試・高校入試・大学入試は基本的に、人生の中でそれぞれ一度きりです。
受験業界が長くなると、どうしても「慣れ」のようなものが出てきてしまいます。
わたしとしては、この「慣れ」とも戦っていくつもりです。
巷では、この時期、インフルエンザが流行する時期です。
以前ほどではないにしろ、コロナの罹患にも気を付けていかねばなりません。
わたしは引き続き「うがい・手洗いをしっかり!」で、対応していきます。
今年1年、どうぞよろしくお願いいたします!
生徒さんに受験学習を指導していると、ふとしたことで、自分がティーンエージャーだったころのことを思い出したり、疑問に思うことがあります。
そうした中で、
「自分の受験学習の中でいちばん役に立ったもの・役に立ったことって何だったんだろう?」
と考えたことがありました。
そのときに思い当たったのが、
「いちばん役に立ったことって、小学生の頃に百科事典などいろんな本から得た知識だろうなあ」
というものでした。
わたしは当時の宮城県の受験事情もあって、中学受験の経験がありません。
本格的に勉強をするようになったのは、中学生のころからです。
小学校のうちは、特に受験を意識することなく、のんびりとしたものでした。
アニメの「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」「ドラえもん」に出てくるような小学生生活に近いものです。
ですから、二華中・青陵中の受験を目指す小学生に比べると、時間には余裕がありました。
そういう時間を使って、自分の周りにある本をたくさん読みました。
親が買ってくれた百科事典、毎月1回配達される学研の「科学」「学習」などの学習書、従兄宅からおさがりでもらった様々な本...
親から「本を読みなさい」などと言われたわけではありませんが、興味のあるものを片っ端から、そして面白かったものは繰り返し、読んだ記憶があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしが興味のあることの本をよく読んでいたというのは、単なる偶然です。
学校の成績を上げようなどと考えていたわけではありません。
たまたま、わたしの周りに興味の持てる本があった...
たまたま、そういう本を好きなように読める時間的な余裕があった...
ほんとうにそれだけです。
そして、中学・高校と学習が進むにつれ、小学校のときに読んだ本から得た知識が、いろんな形で試験問題に出ているのに気が付きました。
例えば、「奥羽山脈」という地名。
これは東北地方を縦断する山脈です。
この名前は、むかしむかし、我が宮城県がある太平洋側を「陸奥(むつ)」、山形・秋田がある日本海側を「出羽(でわ)」と呼んでいたことに由来しています。
わたしは、中学生の当時、こういう知識がありました。
ですから、「奥羽山脈」という地名を、単なる丸暗記ではなくして覚えることができました。
こういう記憶の仕方をしていれば、「奥羽山脈」と100回書いて覚えるより、確実に記憶に残ります。
そうなれば、テストでも点が取れる確率が高くなります。
このように、学校で扱う単元を下支えする知識があるかないかで、理解度は全然違ってきます。
こういうケースは、受験の場合、数限りなくあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで述べた「学校で扱う単元を下支えする知識」については、中高校生当時、特に何か深く考えたことはありません。
自分にとっては、何か特別なものではなかったからです。
まわりにある空気とか、水とか、そういうものでした。
しかし、今、生徒さんを相手に受験指導をしていると、自分の中高校生時代を比べながら、見ることができます。
そして、「小学校の読書で学んだ知識がなかったら、テストで高得点は取れなかったよなあ」
ということを、しばしば思います。
そのようなことを考えると、自分の受験学習でいちばん役に立ったものは、小学校のころ、自分の興味関心に任せて読んだ本から得た知識であると断言できます。
確かにわたしは、中学・高校のころ、受験のための学習は、できる限りやりました。
しかし、その学習は、あくまで、小学校の頃の読書で得た知識という土台の上に、建物を作ったということです。
土台が堅固であればあるほど、しっかりした建築物になることは言うまでもありません。
そして、土台が軟弱なら、その建物は、砂上の楼閣にすぎません。
砂上の楼閣は、遅かれ早かれ、崩れていってしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までいろいろと、それらしいことを述べてきました。
結局のところ、小さい頃から本を読んで、知識を得ていけば、受験に有利になります。
これは、大人から見れば、常識なんでしょうね。
子供のわたしが気付かなかっただけで。
だからこそ、うちの親は百科事典を買ったり、従兄の家から本のおさがりをもらっていたのでしょう。
自分が受験指導をする段になると、小さいころからの蓄積のある生徒さんは、理解力が優れています。
逆にそのような蓄積が少ない、あるいはほとんどないと、学習ではだいぶ苦労します。
指導においても、何度演習を繰り返しても、なかなか定着しません。
指導をしていると、目につくのは、学習の苦手な生徒さんたちです。
彼らも確かに努力はしています。
もっとも、学習の得意な生徒さんに比べれば、努力の度合いはずっと劣るわけではありますが。
とはいえ、同じ時間、同じように勉強しても、学習の得意な生徒さんとそうでない生徒さんとでは、得意な生徒さんのほうが結果は出やすいです。
こういう現実を目の当たりにすると、わたしが小さいころ、周りにいろんな本を置いてくれた親への感謝の気持ちが強くなります。
今回のコラムは、国語の入試問題について取り上げます。
その中でも、現代文に関してです。
古文・漢文は含めません。
以下、そのようにご理解の上、ご一読ください。
わたしが国語の入試問題を見ていて感じるのは、
「国語の入試問題、扱う題材が昔とは少しずつ違ってきてるよなあ」
ということです。
ここでいう「昔」というのは、ここ10年より前ということです。
ですから、ご父兄が受験をしたころのことも含んでの話です。
「変わったなあ」と感じるのは、
「これが入試問題になるの?」
というものから、文章を引っ張ってきているケースが増えていることです。
国語の入試問題というと、論説文・小説がそれぞれ1題、そして、漢字・文法などが問われるというのが、「定番」でした。
もちろん、このパターンは大きく変わったわけではありません。
「いかにも国語の入試問題の題材」というより、むしろ、実社会でよく見かけるような「実用的な文章」が題材に出てくる機会が増えています。
「実用的な文章」というのは、報道・広告の文章や、企画書・提案書のような文章です。
具体的には、このような文章です。
ざっとご覧になっていただいただけでも、
「これが国語の問題なの?」
と、驚かれる方が多いかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ただ、これは偶然ではありません。
今年2025年の大学入試「共通テスト」で、この「実用的な文章」が問われます。
昨年まで、「共通テスト」の国語は80分で大問4題でした。
今年からこれが90分で大問5題になります。
大学入試が変わるとなれば、それに右ならえして中学入試・高校入試も変わってきます。
ですから、
「国語の入試問題、扱う題材が昔とは少しずつ違ってきてるよなあ」
というわたしの感想は、「共通テスト」の流れの先取りを反映したものとも言えます。
確かにこれまで、国語という教科は「文系教科」と考えられてきました。
理系学部では入試に国語を課さない、あるいは配点の比重が低いのが一般的です。
しかし、報道・広告や、企画書・提案書といった「実用的な文章」は、文系・理系に関係なく接します。
こういう「実用的な文章」は、実社会で使われているボキャブラリーが多く散りばめられています。
そして、図表も頻繁に出てきます。
そうなれば、
「自分は理系だから国語が苦手」
という言い訳が通用しづらくなります。
ですから、こういう「実用的な文章」が入試の題材になるというのも、わたしは「好ましい流れ」だと考えています。
先月、当欄にて算数・数学関連の記事を書きました。
<関連コラム>
「公式当てはめ算数・数学」はなぜ怖い? ~数学ができなくなる原因~ その1
「公式当てはめ算数・数学」はなぜ怖い? ~数学ができなくなる原因~ その2
「公式当てはめ算数・数学」はなぜ怖い? ~数学ができなくなる原因~ その3
<関連コラム>にて紹介したコラムで言いたかったことは、↓のとおりです。
「算数・数学の問題を『公式』に当てはめさえすれば何とかなると考えると、大変なことになりますよ」
今回は、これに関連して、英語・古典の文法を取り上げてみます。
英語・古典の文法というと、ご父兄を含めて多くの方が顔をしかめます。
・・・三人称単数現在、
・・・「く・から・く・かり・し・き・かる・けれ・かれ」
こういった文言の群れです。
学校の授業で、これらは「とにかく理屈抜きにしっかり覚える」ことを前提として授業が進みます。
確かに英語・古典文法では、「とにかく覚えるしかない」というものがあります。
ただ、英語・古典の文法を「単なる暗記物」と考えると、行き詰まります。
わたしとしては、英語・古典文法「とにかく覚えろ!」という考え方と、「算数・数学の問題を『公式』に当てはめさえすれば何とかなる」という考え方とは、同じニオイがしてしまうのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで、わたしは次のように書きました。
〇英語・古典文法「とにかく覚えろ!」という考え方
〇「算数・数学の問題を『公式』に当てはめさえすれば何とかなる」という考え方
これら2つは同じニオイがすると述べました。
なぜ同じニオイがするのか...
「文法とにかく覚えろ!」と「公式に当てはめればOK」は、きちんと理解をした上で文法を覚えたり、数学の公式を使ったりという感覚が抜けてしまっているからです。
数学の公式は、きちんと数学的に意味があって、「公式」になっています。
それを丸暗記しただけでは、試験に太刀打ちできません。
高校レベルの数学ならば、定期試験の赤点回避すらなかなか難しいでしょう。
そして、これは英語・古典の文法も同じことが当てはまります。
まあ、確かに理論上は、英語・古典の文法を教科書に出てきた順に丸暗記してしまえば、事は足ります。
しかし、丸暗記など、とてもできるものではありません。
そこには、「文法に対する理解」というのも必要です。
事実、英語や古典で高得点を取れている生徒さんで、文法丸暗記だけで乗り切って切る生徒さんを見たことがありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「英語・古典の文法に理解が必要」
こう書くと、驚く方がいらっしゃるかもしれません。
驚いた方の中には、↓のような「活用表」が思い出されて、悲しくなったり、蕁麻疹が出そうになったりしていらっしゃるのではないでしょうか。
これを全部残らず丸暗記しろと言われれば、多くの人は拒否反応を示します。
ただこれは丸暗記するものではありません。
確かに、「これだけは最低限覚えなくてはならない」というものはあります。
数学でも九九を覚えないとどうにもならないのと同じように。
しかし、この「最低限覚えなくてはならない」ものを、しっかり覚えてしまうと、あとは適切に理解をするだけで、上に示した表を覚える労力は半分以下とか、3分の1以下になってしまいます。
この点については、英語も同じです。
英語の文法も、古典と事情は似ています。
「最低限覚えなくてはならない」ものを確実に覚えれば、その知識を活用することで、新しい文法事項を覚える負担が軽くなるのです。
例えば、
boy→boys
candy→candies
のように、「Sの付け方」を覚えると、「過去形-edの付け方」を覚えるのは、難しくありません。
以上述べたごとく、どういう科目であれ、「きちんと理解すること」で、丸暗記の苦役は少なくなるのです。
YouTube動画の中には、学習系動画が多くあります。
学習系動画というのは、学校の授業で扱う単元を、講師の方が詳しく解説してくれるという動画です。
わたしの生徒さんも、ちょくちょく参考にしているようです。
そこで今回は、この学習系動画をどのように使うのがより効果的かということを述べてみます。
◎知識ゼロの状態では見ても大きな効果はない
この動画の中で教えている方は、予備校・学習塾などの先生が多いようです。
そのため、学習系動画は、どれを見ても分かりやすくまとめられています。
その道のプロである学校の先生より、嚙み砕いて解説してもらえる動画も多数あります。
ただ、動画で教えている単元について、知識がゼロ・あるいはゼロに近い状態で動画を見ても、大きな効果はありません。
いくら動画が分かりやすいと言っても、教える内容そのものは、学校の授業と同じです。
動画で扱う単元をよりよく、より深く理解するためには、その単元をある程度は分かっておく必要があります。
動画を見さえすれば、分かるようになると考えるのは、幻想です。
さすがにそこまでは、YouTube動画もカバーしてくれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎学習系動画を見る前に教科書等で自習をしておく
前回のコラムでは、
「学習系動画は、知識ゼロの状態で見ても大きな効果はない」
と述べました。
これを言い換えると、
「学習系動画を見る前に教科書等で自習をしておく」
ということになります。
動画を見るだけでも、そこまで難しい内容でなければ、理解できる部分は確かにあります。
しかし、動画はあくまで「学習の補完」と考えておかなくてはなりません。
というのも、いくら学習系動画が分かりやすいものだとしても、それは本質的に学校の授業と教えることは変わらないからです。
学校の授業を受ける際、予習・先取り学習がない状態で、授業をきちんと理解するのは、難しいです。
小学校高学年以降ともなれば、そうなります。
ですから、学習系動画を見る前に、教科書等でできる限り自習をしておくことをお勧めします。
ここで自習をしっかりしておけばおくほど、動画の理解は増します。
わたしが学習系動画で特にすばらしいと思っているのは、数学の空間図形・理科の実験を実際に行っている動画です。
これらは、学校の授業で説明を聴くより、視覚に訴える強みを味わうことができます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎学習系動画を見た後は該当箇所の練習問題を解いておく
学習系動画を見た後は、その単元のところの練習問題を解いておくことをお勧めします。
というのも、その動画を見ただけでは、ほんとうにその内容が定着しているかどうか分からないからです。
動画は分かりやすいものであればあるほど、見ただけで分かったような気になりがちです。
しかし、それが、ほんとうにきちんと理解できていることとは、話が別です。
ほんとうに分かっているかどうかは、動画で見た箇所の練習問題を解いてみることで分かります。
わたしの経験では、
「自分が思ったより分かっていない」
というケースが多いです。
学習系動画を見る目的は、内容を理解し、試験で点をしっかり取ることです。
動画を見て、分かったつもりになって、その後はそのまま放置していたのでは、せっかくの機会がムダになってしまいます。
そして、思ったほど練習問題ができていなければ、
自習→動画を見る→練習問題を解く
ということを再度、そしてしっかり理解するまでやってみることです。
特にこの「動画視聴の後に練習問題を解いてみる」ことを実行できる人はそう多くありません。
それゆえにこそ、こういうところで他の人に差をつけておきたいところです。
先般、伯母と話す機会がありました。
伯母の子供、つまりわたしの従兄は一高を卒業しています。
その時代の一高は、男子校で、仙台に学区制が敷かれる前の「一高全盛」の頃です。
そのころは、受験の難易度的に、一高>二高でした。
以下、伯母との会話の一部を再現してみます。
菊池:
もう今は、高校、一高も二高もみんな共学になってるんですよ。
一女も二女も、共学になって、学校の名前まで変わっちゃってます。
伯母:
そうなんだってねえ~
その昔は、一高っていうと、バンカラで男子校でっていう感じで、そういうところに女の子が入るなんてねえ~
時代が変わったとはいえねえ~
菊池:
一高は、生徒の半分近くは女子生徒ですよ。
それでも男子のほうが少し多いですけど。
それは二高のほうも同じです。
伯母:
そんなにいるの?
そんなに多いなんてねえ~
菊池:
一高の応援団の中にも、女子生徒がいますよ。
定期戦を見ていても、羽織袴を着て、男子生徒に向かって「おまえら~」とかやってますもん。
伯母:
あら~ そうなの?
応援団にも女の子がいるの?
大したものだねえ~
その昔の一高のことを考えると、何だか、信じられない感じ...
(次回に続きます)
(前回の続きです)
菊池:
それから、一高の女性の卒業生からはテレビ局のアナウンサーになってる人もいるんですよ。
○○テレビのアナウンサーなんかはそうです。
伯母:
はあ~
そういう人も出てるの?
卒業生が多くなれば、そういう人も出てくるだろうねえ~
菊池:
こうやってみると、一高なんかでも、元気のあるのは女子生徒ですね。
男子は昔に比べると、おとなしくなってきているような雰囲気です。
まあ、男子がおとなしくなってきてるって、一高だけではないんですが...
ざっとこんな感じです。
今の生徒さん世代にとって、一高に女子がいなかったというのは、感覚的に分かりづらいかもしれません。
それに、一高がかつて男子校だったことは、今の生徒さんに何の関係もないことに違いありません。
「卒業生っていう人たちは、オジサンとオジイサンばかり...」という受け止め方でしょうか?(笑)
わたしは受験関係者であり、今の一高の様子を間近で見聞きしています。
それゆえ、一高に女子のいることには、特に何かを感じるわけではありません。
しかし、昔を知る人にとって、一高の半分くらいが女子になっているというのは、「時代が変わったことの感慨」を覚えることであるようです。
去る16日、県教委より公立高校入試の出願希望調査の結果が発表されました。
その結果を受けて、YouTube動画にて、次のような動画を出しました。
<関連動画>
今回のコラムは、この動画の補足です。
2点、述べます。
◎南・向山・二華の関係
今年の希望調査では、南高が前年・一昨年と比べて、大幅に倍率が下がりました。
反面、向山普通科は大幅アップです。
〇南高
(一昨年)2.06
(昨年) 2.07
(今年) 1.56
〇向山普通
(一昨年)1.13
(昨年) 1.01
(今年) 1.64
南の0.5ポイント下落は大きな数字です。
南は数字が大幅に下がったとはいえ、それでも高倍率です。
二華は、今年の数字で0.90倍となり、定員割れです。
そのため、本出願では南高から二華へ変更する受験生が、一定程度出てくるでしょう。
みやぎ模試偏差値は、南・二華とも59です。
向山普通は、偏差値が57です。
二華と向山とでは、偏差値の差が2あります。
ということは、向山から見れば、二華は「ワンランク上」です。
そのため、向山→二華への動きはほぼないと思われます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎仙台工業は情報科新設+人気アップ
仙台工業、すなわち市工は、今年度から情報科が新設されます。
定員は40名(1クラス)です。
しかし、機械科が前年比10名減、電気科が前年比30名減となります。
市工全体として、定員は変わりません。
そのために市工は、昨年までの希望調査の倍率に比べると、算出の基準が若干違ってきます。
ただ、市工全体で、希望調査の数字は次のようになっています。
(昨年)
定員 200
希望者 184
倍率 0.92
(今年)
定員 200
希望者 243
倍率 1.21
この数字を見ると、全体として人気が上がっています。
情報科自体は、40名定員に対して、32名の希望者ということで、定員割れになっています。
希望調査の数字を見て、受験生が、情報科へ動くことも十分に考えられます。
◎宮城工業のインテリア科2.20倍
宮城工業、すなわち県工は、かつて高倍率の常連でした。
近年は、私立高の無償化の影響を受けて、人気が下がっていました。
今年は、久しぶりに県工が「県内最高倍率」2.20倍を記録しています。
県工全体では次の通りです。
(昨年)
定員 320
希望者 344
倍率 1.08
(今年)
定員 320
希望者 374
倍率 1.17
生徒さんがやらかす易しい問題のミスというのは、指導する側から見ていると、実に頭の痛い問題です。
受験指導をしていて、この種のミスは相当に耐性がつきました。
ただ、そうは言っても、彼らの答案をチェックしているとき、内心では相当にブツクサと呟いていることが多いのです。
口にこそ出しませんが。
「この生徒さん、またここでこういう間違いをしてるよ
あれほど繰り返しやって、あれほど言い聞かせているのに、またこれ、やってるのかよ...」
という風に。
わたしはこの手のツブヤキを内心でとどめているつもりではあります。
が、表情には出ているかもしれません(苦笑)
それで、そういう易しい問題のミスをしている当の生徒さんの多くは、ノンシャランというか、のんびりとした感じなのです。
そういうとき、わたしも黙っているばかりではありません。
「あなたは、ここ、こないだも全く同じように間違えていますよね。
何度か授業でも取り上げて、繰り返し演習していますが。
今後こう言うミスをしないようにするには、どうしたらいいと思いますか?」
そう尋ねると、そういう生徒さんからは、判で押したように次のような答えが返ってきます。
「次に間違わないように気を付ける」
そこでわたしは、ドッと疲れが出ることになります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
なぜ、ドッと疲れが出るのか...
わたしが彼らにしてほしいのは、次に同じミスをしないようにするための「具体的な行動」だからです。
「気を付けよう」と思うだけなら、誰でも思います。
「具体的な行動」をせず、思っているだけで成績は改善しません。
また、いま述べた「具体的な方法」に関しては、わたしが指導のとき、
「ここをこのように考える、またはこのように書けば、次に間違う確率は低くなる」
という具合に、やり方を教えています。
「次に間違わないように気を付ける」
そのように答えるだけの生徒さんは、次に同じような問題が出てきたとき、同じように間違えてしまうことがほとんどです。
彼らは気を付けるなんてことはしないし、どうかすると、同じようにミスをしたことまで忘れてしまっています。
逆に、わたしが指導したことを、具体的な方法で実践する生徒さんは、着実に伸びを見せます。
そして、このように実践できる生徒さんは、驚くほど少ないです。
つまり、多くの生徒さんは、せっかくわたしが教えたことを、そのまま聞き流してしまっているんです。
もったいないことです。
わたしとしては、こんなにいいことを教えているつもりなのに...(苦笑)
(次回に続きます)
(前回の続きです)
生徒さんにはいいことを教えているつもりでも、生徒さんが聞き流すだけに終わってしまっては、残念なのです。
逆に言えば、わたしの指導・アドバイスを100%は難しくても、30%でも実践できれば、結果は出てきます。
そして、そのように実践できた生徒さんは、第一志望校に合格していきました。
生徒さんは、人それぞれに能力が違います。
それゆえ成績も違います。
ここで心にとどめておくべきは、例えば公立中で200点くらいの生徒さんと、450点くらいの生徒さんとでは、入試の場で競い合わないということです。
競い合うのは、200点レベルの生徒さん同士、450点レベルの生徒さん同士です。
ここで入試の合格点を取るには、易しい問題のミスを「気を付けます」だけで終わらせないことが肝要となります。
指導でのアドバイスを、少しでも「具体的な行動」をもって示すことができれば、合格は近いものとなります。
まあ、これだけ「合格への近道」を語っても、
「なるほど、菊池の言うことはもっともな点があるからやってみるか」
と考える生徒さんは少数です。
そして、これはわたしに限らず、他の受験指導に当たる方も事情は同じです。
あとは、生徒さん、どれだけこれを心にとどめてくれるかなあ~
過日、Twitterにて↓のようなツイートがありました。
こちらのツイートをされた方は、わたしもよく存じ上げています。
そして、定期試験のなくなった中学がどんな感じか、話はその方から伺っておりました。
そういう伏線があった上での、今回のツイートです。
わたしがこのツイートを見て感じたのは、
「中学校、特に公立中学で定期試験をなくしてしまうのは、デメリットのほうが大きい」
というものです。
このツイートには、受け持った生徒さんの平均評定が4.2と書いてあります。
4.2という評定は、だいたい5が2科目あって、残りは全部4という感じです。
このくらいの成績ですと、みやぎ模試の偏差値では、55~57か58あたりといったところでしょうか。
5の科目がどの教科なのかにもよりますが。
向山の普通科、宮城野の普通科の合格者平均という感じです。
ということは、みやぎ模試をその成績の生徒さんが受けた場合、330点~350点くらい取れているのが、「学校の通信票相応の成績」になります。
ところが、実際に取れた点数は250点。
試験の難易度にもよりますが、平均には届いていないでしょう。
学校の成績が本人の実力を過大に評価している感じです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中学校で定期試験がないとなれば、成績は単元ごとのテストや提出物などで評価するようになります。
ちょうど小学校のときのように。
ただ、小学校は中学入試をする生徒さんを除くと、校区の中学へそのまま進学します。
「そのまま進学」というのは、入試なしでという意味です。
一方、中学から高校への進学は違います。
基本的に学科試験、つまりペーパーテストを受けなくてはなりません。
そのテストは、当然のことながら、他校の生徒も受けます。
入試と学校の単元テストでは、性格が全く違います。
単元テストの範囲は狭いです。
問われることは、直前に学校で教わったことです。
小学校のときにやったテスト、受験業界で言う「カラーテスト」と体裁は同じです。
そして、単元テストで、学級内・学年順位は出ません。
一方、入試は「今まで習ったこと全部」です。
定期試験は、単元テストより少し範囲が広いです。
入試にしても、定期試験にしても、順位が大切になってきます。
入試の予行演習が模試です。
中学生になって、模試や定期試験を全く経験しないというのは、一定レベル以上の高校への入学の際、相当に支障をきたします。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
定期試験をなくす試みについては、以前に東京の麴町中でなされたことが、ある時期に話題となりました。
そこから少し遅れる形で、定期試験をなくす試みが各所で行われているようです。
しかし、東京の麹町中では、定期試験をなくす決定をした校長がいなくなってから、定期試験が復活しています。
定期試験が復活したということは、それをなくしてしまったデメリットがメリットより大きかったせいでしょう。
「本家」のほうが、定期試験を早々と復活させています。
その一方、周回遅れで定期試験をなくす中学が出てきているというのも、おかしな話ではあります。
定期試験をなくすメリットというのは確かにあります。
「よくできる生徒さん」
「自分をコントロールできて目標に向けてコツコツ頑張れる生徒さん」
・・・こういうタイプの生徒さんにとっては、定期試験がなくても大丈夫でしょう。
むしろ、ないほうが受験としては、うまくいく可能性が高いです。
しかし、公立中学でそういう生徒さんがどれほどいるでしょうか?
「定期試験を目指して勉強した結果」というのは、点数や順位が数字で示されます。
これは、生徒さんにとっても、ご父兄にとっても、分かりやすいです。
「分かりやすいことのメリット」というのは大きいです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
今回、話題として取り上げた「平均評定4.2&模試250点」というケースについて、さらに深く掘り下げてみます。
この生徒さんが所属する中学校は、宮城県の北のほうにあります。
付近の公立高校は軒並み定員割れ状態です。
ですから、高校を選びさえしなければ、高校進学に問題はありません。
ただ、例の生徒さんは、自身の模試成績の不甲斐なさを、泣いて悔しがったということだそうです。
であれば、せめて中学に上がってから、定期試験はあったほうがよかったように思います。
そして、特に女子生徒の場合、実力試験や模擬試験の成績に比べ、評定が高めに出るというのは、「よくある話」です。
受験業界では、これを「内申美人」と言っています。
たぶん、この生徒さんは、それなりに課題をこなし、提出物関連も不可なくやれていたのでしょう。
本人・親としては、良い評価になっていれば、学校の先生に苦情を言う理由がありません。
たとえそれが、本人の実力以上の評定がついていたとしても。
そして、受験は他校生も同じ条件で行います。
であるなら、なおのこと、中学の段階で、定期試験をなくしてしまうのは、メリットよりデメリットが多いです。
漢字の問題は国語の入試問題として、必ずと言っていいほど出てきます。
その中でも、書き取り問題があります。
生徒さんの答案を見ていると、
「これ当たってると思えるのに、バツがついてる!」
というケースが、意外なほどあります。
こういうケースが出てくるのは、次のようなときが多いです。
◎定期試験でなく模擬試験
◎生徒さんが悪筆
◎男子生徒
入試でどのような採点がなされているのかは分かりません。
しかし、悪筆というのは、漢字の書き取りに絞っていえば、決して得をすることはありません。
そこで今回は、漢字の悪筆をごまかす方法を書いてみます。
悪筆をごまかす方法として有効なのは、
「直線を引くつもりで漢字を書く」
というものです。
ちょうど、美術の時間にやる「レタリング」をやるようにです。
例えば「菊池」はこんな具合になります。
悪筆がなぜ困るか。
その理由は、特に画数の多い漢字の場合、ほんとうに正しく書いてあるかどうか、判断に迷うからです。
例えば「襲」という字。
この字の中で「龍」の右の部分、つまりツクリの部分が正しく書けているかどうか、判読できないのであれば、採点者としてはバツにせざるを得ません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
実のところ、定期試験では、あまり「疑問の漢字採点」を見かけません。
なぜか模擬試験なのです。
ということは、学校の先生は悪筆ではあっても、かなり甘々に見てくださっているということなのでしょう。
ただ、こういう「お目こぼし」が入試のときにされる保証はありません。
採点する側からすると、悪筆は文字の判読ができない点に一番困ります。
それでも漢字の書き取り以外なら、前後の文脈で読めるケースがほとんどです。
しかし、漢字の書き取りは、「字が正確に書けているかどうか」を判断します。
2本線を引くべきところが、3本線だったり、1本線しか書いてなかったりとなれば、バツになります。
いま、わたしたちが使っている標準的な字体である明朝体は、もともと版木を彫るために生まれたものです。
ですから、手で書くものとは違って、曲線よりは直線ベースのものが彫りやすいわけです。
そして、そういう明朝活字のように「直線ベース」で漢字を書けば、悪筆はごまかせます。
<こちらが明朝体>
<こちらが草書体>
どちらが読みやすいかは、明らかです。
ですから、生徒さんの側としても、悪筆を自任しているのであれば、せめて漢字の書き取りのときだけは、「直線ベース」で書きたいものです。
そうすることで、無用の失点を減らす可能性をいくぶんなりとも高くしていきたいものです。
先月、私大入試について、以下のようなコラムを書きました。
<関連コラム>
これは大学受験の話ではあります。
しかし、ここで紹介した話は、
「高校に入る前に、大学受験のことを考えておけば、やり方次第で世間的に評価の高い大学への入学が容易になりうる」
というものです。
今現在、私立高入試の時期です。
それゆえ、前回の話題を掘り下げてみます。
今回のコラムで取り上げる話は、わたしが家庭教師として高校生を指導していたころの話です。
結論を先に書くと次のようになります。
◎その生徒さん(=以下、A君と書きます)は、首都圏の中堅私大文系に進学した
◎進学に当たっては、一般入試で挑んだ
◎A君は、みやぎ模試偏差値50代後半の公立高校に所属していた
◎A君が私立高に属していて、推薦入試制度を上手に利用できていれば、入学までの苦労はより少なくなっただろう
以下、話を進めます。
A君を担当したのは、高2の冬からです。
その時点で、MARCHレベルの私大文系を目指していました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
しかしMARCHレベルはなかなか大変だというので、志望を別の大学にすることにしました。
結局、その生徒さんはそこに一般入試を経て入学することになったのです。
その大学の偏差値は、旺文社が解説しているパスナビのサイトで、最も難易度の低い学部が47.5です。
東北学院大は同じ基準で比べると、40.0です。
山形大学は42.5になります。
これらの大学の数字は、だいたいの参考値と思っていただいて結構です。
で、入試が近くなって、ご父兄の方から聞いた言葉というのが、あらましこういうものでした。
・・・いろんなことを考えると、早いうちから情報を集めて、推薦入試とかそういうことを考えておけば...
私立高校に入って、推薦入試で行けば、もっと入りやすかったのではないか...
仰りたいことはよく理解できました。
わたしが題目に出した「情報戦」というのはそういう意味です。
志望する大学に合格するということ「だけ」を考えれば、一般入試だろうと、推薦入試だろうと、同じです。
行きたいところが決まっていて、推薦を受けることができるなら、それを利用しようと考えるのは当然です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高校入試の説明会の様子や、パンフレットなどから判断すると、私立高校は「推薦制度がいかにしっかりしているか」をアピールしています。
今回のコラムで取り上げたA君がもし私立に行っていたら、きっと推薦入試制度を使って進路を決めていたでしょう。
一方、公立高校は、そのようなアピールの仕方をしていません。
主流になっているのは、国公立大学受験です。
そして、A君のいた公立高校も、その例外ではありません。
私立大学文系に進むのは、「反主流」になってしまいます。
そういう空気の中では、
「推薦入試制度を使って都内の私大文系に進学する」
という情報を得るのは、なかなか難しそうです。
ですから、もし行きたい大学の方向性が決まっているのであれば、高校入学前、つまり中学生の段階で、情報を集めておくことが早道となります。
私大入試が「情報戦」になっているというのは、そういう意味です。
今まで申したのは、「受験」ということに絞った考え方です。
大学入学後や就職時には、一般入試を経たというアドバンテージはあるようです。
ですから、一般入試で苦労しても、それがまるっきりムダになるわけではありません。
そういうことも心にとどめておきたいものです。
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