「うちの子供の成績、上げてください! 結果を出してください!」という前に その1 2018/10/01

「プロセスはどうでもいいから、結果を出せ!」

「結果を出してもらわないと困る」

上役からこのように言われた経験のあるご父兄は多いのではないでしょうか。

わたしも勤め人の時代は、このような言葉を何度も聞いてきた口です。

ですから、結果を出すことの重要性は、身に染みて分かっているつもりです。

翻って、ご父兄も当然のことながら、わたしを始めとする受験関係者に対して、「相応の結果」を求めます。

もっとも、わたしの場合、その「結果」は必ずしも「点数アップ」だけとは限りません。

例えば、

「高校に行ったときに困らないようにしてください」.....

「今のうちに、しっかり勉強する習慣をつけてください」.....

というようなことです。

とはいえ、最終的には、どのご父兄も「点数アップ」を希望なさっているはずです。

そこで、今回のコラムでは、「早く点数アップという結果が欲しい!」とお考えのご父兄に、成績の上がる仕組み、あるいは、上がらない仕組みをお伝えすることにいたします。

これまでのわたしの経験から申し上げますと、多くの場合、成績が上がらない最大の原因は、生徒さんの学習習慣そのものにあります。

よって、その習慣を変えていかない限り、こちらが勉強を教えても、その効果を十分に発揮することはできません。

ここでいう「学習習慣」というのは、単に机に向かう習慣がついているかどうかだけを意味するのではありません。

どういう勉強の仕方をしているのか.....

問題を解いていて、間違ったときに、どうしているのか.....

暗記すべき事項の覚え方は、どうしているのか.....

こうしたことも「学習習慣」です。

次回に続きます)

「うちの子供の成績、上げてください! 結果を出してください!」という前に その2 2018/10/02

前回の続きです)

特に、平均点の取れていない生徒さんの場合は深刻です。

悪い癖がビッチリと体に染みついて、雁字がらめになっているということはよくあります。

成績を上げるためには、こうした悪癖を地道に矯正し、教導していかねばなりません。

当然、この間は、目に見えるような形で点数アップが図られることは多くありません。

いろいろと難しく語りましたが、例えば、重症患者と軽症患者では、どちらが早く治るのかという常識に当てはめて考えれば、理解は容易です。

この点を、「早く点数アップという結果が欲しい!」というご父兄にはご理解いただきたいのです。

もとより、教え始めてすぐに結果の現れるという生徒さんもいます。

こういう生徒さんは、「伸びる要素」を持っています。

平均以上の学力があって、相応の下地がある.....

志気はもともと高いが、あと一押しが足りなかった.....

というような場合です。

そこに達しない生徒さんは、どんなに優秀な指導者にかかっても成果はすぐに現れません。

そもそも、塾などの受験産業は、こちらのコラムで述べたように、病院ではなく、ジムです。

病気治療には特効薬があります。

それを服用すれば、本人の知らぬ間に薬が病気を治してくれます。

一方、受験学習の場合は、本人が手を動かし、頭を使わなければ、成果は出ません。

次回に続きます)

「うちの子供の成績、上げてください! 結果を出してください!」という前に その3 2018/10/03

前回の続きです)

わたしとしても、ご父兄の付託に何とかおこたえしたいという気持ちがあります。

ご父兄がご苦労の末に得た貴重な労働の対価を、指導料として頂戴しているからです。

しかし、指導にかけられる時間と費用は無尽蔵ではありません。

よって、どうしてもご父兄の希望に沿えない場合が出てきます。

例えば、ここで3人の生徒さんの学習習慣の実例を記してみます。

学習科目は社会です。

 

◎Aさん

3日おきに30分程度学習 問題集を解いている。

答え合わせをしていない。

◎Bさん 

1週間に1回くらい、気の向いたときに学習 

教科書を読んで、太線のところにマーカーを引く。

やっている学習はそれだけ。

学校の副教材ワークは、回収日ギリギリで仕上げる。

◎Cさん 

学習時間はほぼゼロ 

試験前に慌てて、答えを見ながら、学校の副教材ワークを写して提出しているだけ

 

以上は、いずれもわたしの生徒さんの実例です。

生徒さんの「勉強、やってます!」の実情は、上記のようであることはしばしばです。

この中で、最も「軽症」なのは、Aさん、最も「重症」なのは、Cさんということは、常識的に理解できます。

Aさんには、答え合わせの重要性を説きます。

そして、きちんと自分のミスをチェックするように促します。

Bさんには、「この学習法は、やっていないよりはマシ」という程度であることを告げます。

そして、問題演習のしかたを教えます。

Cさんの場合は、学習するという習慣そのものを身につけてもらう必要があります。

習慣の定着には、Aさんでも2〜3か月、Cさんの場合は、6か月近くの時間が必要です。

成績うんぬんはそれからの話です。

次回に続きます)

「うちの子供の成績、上げてください! 結果を出してください!」という前に その4 2018/10/04

前回の続きです)

プロであるならば、ご父兄の期待にこたえることが、重要な責務です。

しかし、やはり無理なものは無理な場合があります。

前回のコラムで述べたように、そもそも学習習慣のおぼつかない生徒さんは、生活習慣そのものを改めてもらう必要があります。

それは、非常に地道で根気のいることです。

ご父兄の協力も仰がなくてはなりません。

以上、わたしが申し上げたことを、ご父兄ご自身に置き換えてみてください。

「明日からダイエットで、1か月に3kg減です。甘いもの、間食は今後一切できません。晩酌は一切ダメです」と言われたらどうでしょうか?

すぐにこれを実行できるご父兄は、多くないのではないでしょうか?

それこそ病院、刑務所のようなところに入れば別です。

逆に言えば、そういう強制力を伴わない限り、実行の困難性はよく分かっていただけると思います。

「瀕死の重症患者を1週間で直してほしい」というご希望に沿うことは、どんな名医といえども無理です。

現実にできることは、少しでも状況が改善していくことです。

目に見える成果が出てくるのは、時間がどうしても必要です。

実際問題として、ご父兄の付託にこたえるのは難しい場合があります。

ならば、どこがどのように難しいのか、なぜ難しいのかをお伝えするのも、必要なのではないかと考え、今回のコラムに気持ちをしたためました。

もちろん、わたしとしては、最善を尽くします。

そして、ご父兄がわたしに結果を求める以上、わたしも生徒さんには厳しいものを求めていきます。

あくまで、「結果」を出すのは、わたしではなく、生徒さんだからです。

前のめりになり過ぎないようにするということ 〜「家庭教師は受験のお手伝い」の意味〜 その1 2018/10/05

今日は、標題のことを書く前に、落語のことをちょっと語ってみます。

しばらく前、ラジオで落語家の立川志の輔師匠が、留意すべきこととして弟子に繰り返し指導していることがあると言っていました。

それは、落語の登場人物に気持ちを入れ込み過ぎないということだそうです。

落語というのは、ご承知の通り、何名もの人物を1人の落語家が演じます。

しかも、それを瞬時に語り分けなくてはなりません。

ですから、登場人物に気持ちを込めすぎてしまうと、その切り替えができなくなってしまうそうです。

弟子に稽古をつけていると、弟子はどうしても登場人物に入れ込み過ぎてしまいます。

かと言って、気持ちを込めなくては、落語は語れません。

その辺の間合いをどう取っていくのかが難しいのだそうです。

一方、先代の円楽師匠(俗に「馬円楽」)の場合は、少々勝手が違いました。

先代の円楽師匠というのは、テレビ番組「笑点」に出ている三遊亭円楽師匠(俗に「黒円楽」)の師匠です。

先日亡くなった、桂歌丸師匠の前の司会であった方です。

先代の円楽師匠は、演じているときに、「芝浜」「藪入り」といったホロッとさせる題目(落語で言う「人情噺」)になると、涙を流しながら語ることがありました。

そのためもあり、彼は、俗に「泣きの円楽」と呼ばれています。

しかし、その演じ方は、落語の世界で、必ずしもよく受け止められていません。

演者が涙を流して語れば、聴衆は感動します。

が、プロの落語の世界では、あくまで「ご法度」のように考えられているようです。

長々と語りましたが、以上のような話は、わたしのように受験指導に当たる者が、よく心得ておかねばならないことだと思いました。

それは、指導に当たって、「前のめりになり過ぎないようにする」「どこかに冷めた部分が必要である」ということです。

次回に続きます)

前のめりになり過ぎないようにするということ 〜「家庭教師は受験のお手伝い」の意味〜 その2 2018/10/06

前回の続きです)

受験指導において、講師が熱い思いを抱いて指導に臨むことは必要です。

そういうことがなければ、目標をしっかり達成することは難しいです。

ただ、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」とも言います。

自分の思いだけを持って突っ走る姿は、傍から見ると、「熱い先生」のように見えます。

自分も何となく仕事をしているように思えてきます。

前回に紹介した、「泣きの円楽」の先代の円楽師匠のようです。

しかし、自分の「熱い思い」だけを指導の場に投ずるなら、どうしても生徒さんやご父兄が見えづらくなってしまいます。

そうなれば、生徒さんの気持ちは離反します。

結果的に、ご父兄にもご迷惑をおかけすることになります。

わたしの仕事は、「生徒さん・ご父兄の望む結果」を出すことにあります。

「菊池の望む結果」「菊池が好ましいと思う結果」ではありません。

以上のことにかんがみ、わたしは指導をする際、「自分は受験のお手伝い」ということを自らの戒めとしています。

そのようにすれば、前のめりになり過ぎるのを防ぐことができます。

生徒さん・ご父兄の目指す方向と、自分の仕事の差が大きくなりすぎることもありません。

特にこの時期以降は、中3生の内申決定、進路決定などが控えています。

わたし以上に悩み・不安が大きくなるのが、生徒さんであり、ご父兄です。

「自分は受験のお手伝いをしているのだ」と考えるなら、それはまさに、生徒さんやご父兄が受験関係者に対して望むことなのではないでしょうか。

そろそろ中3の進路指導が始まる前、上記のようなことをちょっと考えてみました。

二華・青陵受験とナンバースクール合格者の相関関係 その1 2018/10/07

今日は、二華・青陵中と、ナンバースクールの受験の関係について語ってみることにいたします。

まず、最近5年間におけるナンバースクール合格実績は、次の通りです。

 

仙台一高 4名

仙台二高 3名

仙台三高 1名

宮城一高 1名

合計 9名

 

家庭教師という受験業態は、受け持てる人数が、塾と比較にならないほど少なくなります。

そうした上での数字です。

これをどうご覧になるかは、お読みになった方がそれぞれご判断ください。

上記合格者のうち、二華あるいは青陵の中学受験を経験した人数は次の通りです。

 

仙台一高 3名

宮城一高 1名

合計 4名

 

9名中4名が、二華あるいは青陵の中学受験経験者です。

更に詳しく申し上げますと、一高合格者のうちの中学受験経験者は、全員が二華を受験しています。

宮城一高合格者は、青陵を受験しました。

今さら申し上げるまでもなく、二華中は難関です。

そのための通塾は、小学4年生辺りからすでに始まっています。

中学受験を経験した一高合格者も、その例にたがわず、勉強を続けてきていました。

二高の場合は、偶然なのか、中学受験経験者はいません。

わたしもアレレと思いましたが、たぶん偶然なのでしょう。

二高合格者のうち1名は、二高合格を目指して、小5の7月から指導を始めました。

塾と併用して、中3の卒業まで、指導を継続しています。

次回に続きます)

二華・青陵受験とナンバースクール合格者の相関関係 その2 2018/10/08

前回の続きです)

二華・青陵で今年1月に行われた入試の志願状況は以下の通りです。

 

<二華>

(出願者)465人 

(合格者)105人 

(倍率)4.43倍

 

<青陵>

(出願者)375人 

(合格者)140人 

(倍率)2.68倍

 

ここで焦点を当てたいのは、合格に届かなかった受験生です。

両校合わせて595人います。

この595人の進路は様々です。

また到達度も受験生によって様々です。

彼らが3年後に、どのような道に進むかは全く不明です。

が、ある一定程度は、ナンバースクールを目指し、合格しているのではないかとわたしは推測しています。

彼らはすでに、学習の習慣が身についています。

目標を決めて、受験学習を続けていかなくてはならないという点においては、中学受験も高校受験も変わるところはありません。

そうした意味で、中学受験経験者は、結果はどうあれ、将来、その経験が生きてきます。

実際、昨年、一高に合格した受験生は、前期選抜3教科で271点を取って合格しています。

この生徒さんの場合、二華受験のための学習を始めたのが、小6のころからでした。

他の受験生と比べて、かなり遅いスタートです。

結果は、残念ながら二華に縁がありませんでした。

もう少し早く受験学習を始めていたら、かなりの確率で合格できた生徒さんです。

それほどの力がありました。

中学受験時には目標まで及ばなかったものの、3年後に上記のような形で花を咲かせることができました。

これから先、このようなケースの生徒さんが多数出てくればと思います。

家庭教師という「看板の重み」 その1 2018/10/09

先日、仙台市内のある学習塾の塾長様と意見のやり取りをする機会がありました。

きっかけとなったのは、その塾長様が、ある受験関係者の方に宛てたブログの内容についてです。

わたしのほうで、その内容の詳細を確認したい点が出てきました。

そこで、当方より問い合わせを差し上げ、塾長様からは丁寧なご回答を頂戴しました。

そして、塾長様の受験に対する赤誠・衷情を深く知るところとなりました。

塾長様から貴重なお話をお聞きするに及び、わたしも「家庭教師という看板の重み」を再考してみました。

わたしは、日々、弊サイトそしてツイッターで、自らの考えるところを発信しています。

それらは、すべて「プロ家庭教師菊池」としての「看板」を背負った発言、書き込みです。

発言の際に生じる利益そして不利益は、すべて菊池に帰します。

ネット上にある情報は、匿名のものもあれば、実名のものもあります。

当然のことながら、実名でのものは、匿名のものよりも、その信憑性は「高い」と見なされます。

他方、何らかの意図をもって、真実でない、あるいは、信憑性に乏しい情報を実名で流せば、「強烈な毒」にも変じてしまいます。

わたしの場合は、実名どころか、顔写真、動画、果ては自分の卒業した学校の卒業証明書までネット上に公開しています。

そういう点を踏まえ、わたしの記した不用意な書き込みが、「強烈な毒」となってしまうことは、可能な限り避けていきたいと考えています。

次回に続きます)

家庭教師という「看板の重み」 その2 2018/10/10

前回の続きです)

仲間内で集まって話すような、いわゆる居酒屋談義のようなものは、文字にも残りません。

一瞬で消えてしまいます。

一方、ネットの書き込みは、ずっと残ります。

そして、わたしは、受験を生業としています。

ということは、弊コラムをお読みのご父兄の子息・息女の学歴に深く関与することになります。

社会経験のあるご父兄には、釈迦に説法になりますが、学歴というのは、非常に重要で、かつデリケートなものです。

東大理Ⅲの合格者以外は、大なり小なり、コンプレックスのようなものを感じた経験があるはずだからです。

ですから、日々このように受験すなわち学歴に直接関係してくるようなものを書いている身としては、特定の学校・地域・受験関係者について、滅多なことは書けません。

ネットの世界で、実名による発信をしようとすれば、いいことならば遠慮なく書けます。

ネガティブなことは、筆が鈍ります。

一方で、ネガティブな情報を求める人たちがいるのも事実です。

というのも、実名によるネガティブな情報は、「何でもあり」のネットの世界であっても、見つけるのに困難だからです。

そうなれば、実名によるネガティブ情報には、信憑性は別にして、どうしても飛びつく人が出てきます。

わたしもネガティブな情報を発信するときには、ある種の慎みのような気持ちを、引き続き持っていく必要があると改めて感じています。

次回に続きます)

家庭教師という「看板の重み」 その3 2018/10/11

前回の続きです)

さらに、わたしがコラムを書く際に留意しているのは、「自分が書く相手には、敬意を持つべき」ということです。

「自分が書く相手」とは、ご父兄・生徒さんは申すに及ばず、特定の学校・地域・受験関係者に関してです。

自分が日々こうしてコラムを書いていると、「書かれた相手」のことまでは、思いを巡らすことが困難になります。

しかし、「自分が書く相手」に、何がしかの敬意を持って臨めば、おのずと書いていいこと、悪いことの判別はできます。

受験関係者は、多くの場合、「自らはこうあるべき」という理想を持っています。

その際、ご父兄や生徒さんをはじめとして、自分が論評する相手を、「自分の理想を実現するための手段」としてしか見ないか、あるいは「敬意を持って接すべき相手」として見るかによって、雲泥の差が生じてきます。

もし「敬意をもって接すべき相手」として見るなら、コラムで扱う際にも、それにふさわしい内容になります。

文章を書く際にも、「敬意を持って接すべき相手」という考えを持っているのか、「自分の理想を実現するための手段」としてしか見ないのかは、おのずとにじみ出てきます。

もちろん、個々の文章においては、相手をきつく非難することがあります。

しかし、相手の人格を否定するような表現、人を人として見ていない表現は厳に慎んでいかねばならないと考えています。

例えば、「菊池のこれこれこういう点が間違っている」という表現は「あり」です。

「菊池は多賀城生まれの田舎育ちだ。受験に関しては、ノホホンと育ってきた。だから、所詮この程度の認識しか持てない」というのは、「人格攻撃」になります。

文字だけの情報と言うのは、語る人の声の表情などが読み取れません。

それゆえ、どうしても誤解が生まれやすくなります。

普段、こうしてコラムを書いている人間として、そして「看板を背負う」人間として、上記のようなことをよくよく理解しておくべき、とこのたび改めて感じました。

中学校の内申評定 基本的事項のおさらい その1 2018/10/12

先日、仙台市内では中学校で通信票が出ました。

そうした流れを受けて、先般、ある方から、「中学校の内申評定、実技は倍にするとか、平均評定とか聞いているが、仕組みがよく分からない」というお声を頂戴しました。

そこで、中学校の内申評定について、改めて基本的な事項を述べてみます。

数字の仕組みがよくお分かりにならない方は、以下3点だけをしっかり押さえてください。

 

(A)「評定」の数字とは、3月の学年末に出るものを指す。

したがって、1学期の通知票で出た数字は「学年の評定」の数字ではない。

(B)「平均評定」とは、通知票で出た数値を単純に合計し、科目数で割ったものをいう。

(C)学年ごとに出た「生の数字」を基準に、それぞれの入試で決めたやり方で「加工」し、「内申点」を決めていく

 

以下、詳述します。

 

(1)「評定」の数字について

俗に「評定」といっている数字は、学年末に出る通知票の数字そのものを指します。

「1年生の評定」は、来年3月の学年末に出てくる数字です。

「3年生の評定」は、3月時点の数値ですと、入試までに間に合いません。

そこで、12月までに出る結果をもとに評価が決まります。

1学期に出てくる評定の数字は、「中間発表」の数値です。

したがって、現在10月の段階では、「学年評定」が決まっていません。

学年末の評定に当たっては、学年を通じての結果を勘案して評価がなされます。

次回に続きます)

中学校の内申評定 基本的事項のおさらい その2 2018/10/13

前回の続きです)

(2)「平均評定」について

「平均評定」とは、前回のコラムにも記したとおり、通知票で学年末に出る「学年の評定」を合計し、科目数で割ったものです。

 

例えば.....

国4 数4 理4 社3 英3 音4 美3 保体4 技家4

→(4+4+4+3+3+4+3+4+4)÷9=3.7

となります。

 

実際に受験する場合、この「平均評定」は、大きな意味を持ちます。

と申しますのも、「平均評定」によって、高校受験の際に出願できるかどうなのかが、決まってくるからです。

例えば、現在行われている公立高校の前期選抜試験では、ほとんどの学校が、「平均評定」で出願できるか否かを定めています。

仙台二高は出願のための「平均評定」が3年間通じて、4.8以上です。

また、私立高校でも、同じような基準が定められています。

 

<仙台育英 特待生採用選考>

第3学年における5教科平均評定4.4以上

<宮城学院 選抜コース一般推薦>

2,3年次の5教科(国語,英語,数学,理科,社会)の評定合計が43(評定平均値4.3)以上


以上は、合格の基準ではありません。

あくまで出願できるという条件です。

試験は出願しなければ合格できませんが、出願の段階で、「平均評定」で縛りがかけられます。

「平均評定」は、公立高校より私立高校でかかわってくることが多くなります。

特に、私立高校の推薦入試において、何がしかの形で用いられます。

次回に続きます)

中学校の内申評定 基本的事項のおさらい その3 2018/10/14

前回の続きです)

(3)「評定」はどのように入試に使われるか

前回のコラムまでは、「評定・平均評定」とはどういうものか、ならびに、出願時にどのように関係してくるかについて述べました。

今回は、「評定」が入試の合否にどのように使われるか、について書きます。

入試の合否に「評定」がどうなるのかといえば、「生の数字」を入試の算定基準に当てはめて行きます。

これを俗に「内申点」と呼びます。

公立入試では、どのように「生の評定数字」を基準に当てはめていくかが公開されています。

後期選抜においては、3年間の主要5教科の数字をすべて合計し、そして、実技4教科の数字を2倍して合計します。

満点が195点です。

これを「内申点」と言います。

さらにこれを、学校独自の算定基準に当てはめ、入試本番と併せて合否を決定します。

私立入試については、この「内申点」の基準が公表されていません。

そもそも「内申点」として使われているかどうかも判然としません。

もともと、私立高校は、公立高校と違い、伝統的に入試本番一発勝負で合否を決めていると言われてきました。

ただ、宮城学院の入試要項を見ると、「提出書類,学科試験(国語・数学・英語)の総合評価による」とあります。

ここで「提出書類」とは、内申書の記載を示すものと思われます。

とはいうものの、書いてある文言は、「提出書類」であり、そこには生活態度や出欠席条項も含まれます。

「評定の数値を活用します」とは書いていません。

この点が、公立高校入試との相違です。

「評定」に関する基本的なことは、上述のことを押さえておけば、まずは十分でしょう。

小学校高学年から中学生の子供への「しつけ」 その1 2018/10/15

「しつけ」という言葉の意味を、弊コラムをお読みのご父兄はどのようにお感じになりますでしょうか?

この「しつけ」という言葉は、主として、小学校低学年までの子供に対するものとして、用いられている印象を受けます。

また最近は、児童虐待事件が多く報道されるに及び、「しつけと虐待の線引き」というのも語られます。

実際、虐待事件を引き起こした親は、異口同音に「しつけのためだった」と語ります。

そうした背景もあり、「しつけ」という言葉は、もしかしたらネガティブな印象を引き起こす単語になっているのかもしれません。

その点を十分に踏まえたうえで、今回は標題のようなコラムを書くことにしました。

普通、小学校高学年から中学生の子供に対しては、「しつけ」という言葉は使われません。

しかし、指導に当たってみると、この年代の子供に対する「しつけ」というものが、いかに重要かを肌身にしみて感じます。

さすがに彼らのほとんどは、日常生活・学校生活を送るうえで、基本的なことはできています。

これは、小学校低学年までの「しつけ」の賜物です。

しかし、こと学習という点に限ってみると、宿題などやるべきことをしっかりやってから、遊ぶなり、自分の時間を随意に使うという習慣の身についていない人たちをたくさん目にしてきました。

次回に続きます)

小学校高学年から中学生の子供への「しつけ」 その2 2018/10/16

前回の続きです)

彼らの中には、ゲーム機器から始まって、スマートフォン、YouTube等、全くルールもなしに、無制限にやり放題という人たちがかなりいます。

もちろん、学校の学習がしっかりできていれば、それも構いません。

問題はそのことが原因で、学習に支障をきたしていることです。

そういう人は、学校からの課題にもまともに取り組もうとしません。

推測するに、彼らのほとんどは、小学校高学年に差し掛かる時期までに、ゲームやスマートフォンの類を与えられます。

そして家庭内で何のルールもなく、野放図にやりたい放題を許された結果、取り返しのつかない事態に陥ります。

中学生になって、高校進学を意識するころに、「きちんと勉強しなさい」だの、「将来のことを考えてちゃんとやりなさい」だのと語っても、時すでに遅く、馬の耳に念仏となります。

彼らは、野放図にやりたい放題をやっても、何とかやり過ごせてしまうということを学習してしまっています。

ゆえに、のちのち矯正をしようと思っても、改まることは著しく困難です。

ですから、「子供へのしつけ」というのは、決して未就学児に対してだけ考えられるものではありません。

小学校高学年から中学生の子供に対する「しつけ」も、これまた重要です。

次回に続きます)

小学校高学年から中学生の子供への「しつけ」 その3 2018/10/17

前回の続きです)

ここで「しつけ」というと、大仰な感じがしますが、ごくごく基本的なことです。

「学校の宿題をまずやる」

「家庭学習は決まっただけやる」

「ゲームやスマートフォンの類は、やることをやってから。そして時間制限を設けて」

ということです。

この「しつけ」ができる年齢は、上限が中1くらいまでです。

中2そして中3と学年が進んでしまうと、「勉強はやっていかなくとも、何とかやりこなせてしまうものだ」ということを彼らは経験により学習してしまいます。

「学校の宿題をやっていかない」「副教材ワークは提出しない」「勉強に対して全く危機感がない」という人は、ほぼこれに当てはまります。

ご父兄にしてみれば、「小学校高学年や中学生になっても、そういう『しつけ』のようなものは必要なのか」とお感じになる方がいらっしゃるかもしれません。

しかし、以上は、家庭教師という業態をとる受験関係者には、ありふれた光景です。

日ごろのお仕事でお疲れかとも思いますが、ここは子供のためと思って、「ルールは厳格に 甘い顔をしない」ことを心がけてください。

子供に妥協をしない姿勢は、子供にも伝わります。

「うちの親は、この点については、やかましいし、ホンキ」と子供に思わせることが重要です。

そして、それは、いつの日か子供に感謝される日が来るはずです。

1科目だけを勉強したがる生徒さん 指示に従わない生徒さん その1 2018/10/18

先日の指導の際、ある生徒さんにガッチリと「教育的指導」を施しました。

理由は、その生徒さんが、わたしからの指示を無視して、学習をしていたからです。

その生徒さんは、定期試験を2週間後に控えていました。

そこで、未了だった試験範囲の部分の副教材ワークをやってくるように指示しました。

わたしの場合、課題は基本的に生徒さんの希望や考えを聞きます。

そして、なるべくその意向を反映する形で、すべき課題を決定しています。

生徒さんの意向をどの程度反映するかは、その時々の状況、あるいは生徒さんの成績状況を考えながらやっています。

今回は、生徒さんに事前に強化したい学習箇所などを尋ね、それをある程度反映させた形で副教材ワークの演習を行うように指示しました。

そして、迎えた次の指導日です。

その生徒さんは、「自分は社会が弱いので、社会のワークを5回くらい繰り返しました」と言います。

わたしの当初の指示より、量的にはかなり多いです。

「ほ〜 感心なことだ」と思いながら、社会以外の教科の副教材ワークの進み具合をチェックしました。

すると、ほぼ丸坊主状態、手付かずです。

「自分の弱点である社会をしっかりやってもらったのは、大いに結構。

でも、ほかの科目の勉強はどうするんですか? 

試験は社会だけではないのですよ。

社会でいい点を取れとも、ほかの勉強をしないで、点数が落ちたら、どうするつもりなんですか?」

と尋ねるました。

その生徒さんは「.....」

要は、そこまで深く考えていなかったのです。

次回に続きます)

1科目だけを勉強したがる生徒さん 指示に従わない生徒さん その2 2018/10/19

前回の続きです)

わたしは常日頃から、1科目にのみ偏った学習をしないように説いてきました。

もちろん、強化して学習したいものがあるのであれば、それをやってもらうのは大いに結構です。

一方、ある科目を強化して学習するならば、他科目のことにも目配りをしなくてはなりません。

他科目も、わずかではあっても、勘が鈍らないように、その間、ある程度の学習をしなくてはなりません。

生徒さんが「この科目を強化して学習したい」と言えば、わたしはそれを次回までの課題に反映させます。

そして、それを生徒さんに示し、双方が納得して取り組んでもらっています。

わたしは、課題にせよ何にせよ、あまり上からガッと押し付けるスタイルを取っていません。

とはいえ、生徒さんの意向に100%従えるわけではありません。

わたしの指示に従わず、他の科目の学習を全く疎かにして、「社会の学習をしっかりやりました」ということを認めるわけには行かないのです。

しかし、以上のような経験は、実は初めてではありません。

指示に従わない、そして自分がコレッ!と思ったものだけを学習するという生徒さんは、これまでにもいました。

わたし自身がなるべく生徒さんの意向を反映しようという姿勢を見せているので、「指示に従わなくともいいだろう」的に甘く見られたのかもしれません。

とはいうものの、いろいろと話を聞いてみると、根本的な点を認識できていないようなのです。

それは、わたしの指導を受ける以上、わたしの指示に従って学習を進めていくということです。

平均点に達しない生徒さんの場合、しばしばこういうことがあります。

次回に続きます)

1科目だけを勉強したがる生徒さん 指示に従わない生徒さん その3 2018/10/20

前回の続きです)

わたしの考えるところ、1科目だけ学習したがる生徒さんの心理状況と言うのは、思い当たる節があります。

東京都大田区にある松栄塾の塾長様は、ご自身のブログで、「面倒なことを避けたがるのは、幼さに起因する。幼さの判断基準は、快か不快かによる」とおっしゃっています。

わたしもこの説に深く同意します。

一念発起して、ある科目の学習に取り組むと、思いのほか、それははかどります。

それは本人にとって「快」ですから、引き続き積極的に取り組む。

他方、他の4科目の学習は、面倒すなわち「不快」なのでやらない。

そういう学習を続ければ、どういう結果になるかまでは考えない。

.....多分、単純にそういうことなのでしょう。

こういう生徒さんの行動は、いろいろ深い理由があるのではないかと当初は考えたりもしました。

なまじ受験に携わっていると、「ああいうことだろうか? それとも、こういうことだろうか?」と考え悩みます。

しかし、意外と事は単純で、「やりやすいところだからやった。面倒だからやらなかった」というところに落ち着きそうです。

もとより、「数学以外はほかに上げる見込みがない」とか、「とりあえず、社会だけは何とかなりそうだから、そこを集中的に」という生徒さんは、話が別です。

そういう生徒さんは、そういう生徒さんなりのプログラムを用意しています。

生徒さんの随意にやらせているわけではありません。

そういう場合を別にすると、1科目だけを勉強したり、指示に従わなかったりする場合、いずれにしても、成績アップというわたしの責任は負いかねてしまいます。

その点、厳しく対応していきます。

今後も戦いが続きます。

小5の秋から決定的に開いていく「生徒間の差」 〜それは分数から始まる〜 その1 2018/10/21

公立小学校に通う小学5年生は、この秋から算数で分数の「足し算・引き算」の計算が本格的に始まります。

今までも分数の計算は、学校で扱っていました。

しかし、グッと内容が難しくなります。

わたしは家庭教師という業態の性格上、勉強の苦手な生徒さんを多く見てきています。

そういう中学生を指導していて感じるのは、この小5の秋で習う分数の計算が、今後の学習における大きな分かれ目となっているということです。

つまり、この分数の計算を契機に、これまでの生徒間の差がさらに大きくなります。

これが、中学における学習、ひいては、その後の高校入試に大きな影響を及ぼします。

わたしの見るところ、平均点の取れていない中学生というのは、この分数の計算に何がしかの「穴」があります。

その「穴」というのは、当然のことながら、生徒さんの習熟度が低いほど大きくなります。

そして、その「穴」は、高校生になっても解消することはまずありません。

そういう根本的な部分が抜けているために、分数の計算で、繰り返し、繰り返し、同じように間違います。

それは、平均以上の生徒さんであれば、それほど苦もなく解けるような問題です。

繰り返し同じ間違いをするというのは、要するに、基本を理解できていないということです。

家の土台が曲がっていれば、積み上げれば積み上げるほど、歪みは大きくなります。

小5の分数の計算ができていないということは、学年が高くなるにつれ、「できなさ」の度合いも大きくなるということです。

次回に続きます)

小5の秋から決定的に開いていく「生徒間の差」 〜それは分数から始まる〜 その2 2018/10/22

前回の続きです)

しかし、問題なのは、実は小5の分数計算なのではありません。

小6でも分数の計算を習います。

本来であれば、小5で習った分数の計算力をそのまま保てればいいのです。

ところが、現行のカリキュラムは、単元として、非常に短い期間に「分数の計算はおしまい」となってしまいます。

そして、小6の分数をやるころには、小5でやったことを、人によって差はありますが、忘れてしまうという小6生が後を絶ちません。

その点が、大きな問題なのです。

ご記憶のご父兄も多いと思いますが、分数の計算は、「足し算・引き算」と「掛け算・割り算」では、計算方法が違います。

指導をしていて悩ましいのは、これらのやり方を混同してしまう生徒さんが多数いるということです。

ここで混同してしまうと、たいていは、そのまま中学・高校へ引き継がれます。

その後に自分の力で矯正することはまず無理です。

そこで、小5の子息を持つご父兄に申し上げたいことがあります。

「自分の子供の算数、ちょっと、いや、かなりマズいかも.....」

そうお感じの方はいらっしゃいますか?

「あ、自分のことかも」とお感じになったら、できるだけ早く受験関係者を頼っていただきたいのです。

もちろん、わたしでなくて構いません。

以上は、ビジネスを抜きにしての、わたしの「心の叫び」です。

今のこの時期、分数の計算をしっかりやっておかないと、平均レベル以上の高校・大学に進学するのは、困難とお考え下さい。

「ああ、なるほど。うちの子供、ちょっとマズいかも。菊池がそういうのだから、近くの塾に問い合わせてみようか」

そうお考えになって下さるご父兄が1名でもいらっしゃったなら、わたしは満足です。

現在の指導枠空き状況について 2018/10/23

現在の指導枠の空き状況についてお知らせいたします。 

 

☆確実にお取りできる時間 

月曜〜木曜22時以降 水曜を除く日中昼間

その他の時間は応相談

 

◎定期指導について

<月〜金曜>

水曜以外の日中昼間の時間16時まで、および22時以降が指導対応可能です。

いわゆる「平日のゴールデンタイム」は空きがありません。

<土曜>

空きがありません。

<日曜>

空きがありません。

<キャンセル待ち>

3件

 

以上の通りです。

現在、新規案件は、生徒さん・ご家庭のご都合による指導キャンセルが出た場合、スポット的に指導をお引き受けしております。

また、現在担当しているご家庭で、通常指導枠を増やしてほしいというご家庭があります。

キャンセル等で空きが出た場合は、優先的にそう言ったご家庭にキャンセル枠をご案内しております。

日中昼間は、現在、担当しているご家庭がございます。

水曜を除く日中昼間の時間に、新規案件のお引き受けは可能です。


ご依頼をいただくにあたりまして、主として、次のようなご家庭が対象となります。

☆日中昼間の指導が可能なご家庭

具体的には、不登校となっている生徒さん、いわゆるサポート校の高校生、高校既卒生、専門学校への入学をお考えの社会人

☆特に緊急を要しないが、ゆくゆくは長期指導を希望しているご家庭 

 

また、指導に当たって、当方は、特に次のような生徒さんの力になれます。

1.大学受験、赤点対策を希望する高校生

2.二華・青陵・附属など中学受験を予定する小学生

3.通塾しても、成績がなかなか上がらない中学生 

 

以上にかかわらず、菊池の指導を受けようという気持ちのない生徒さんの指導は、お引き受けしておりません。

「うちの子供は勉強をやる気がない。いやなことから逃げ出してしまう。だから、プロの力で何とかしてください」というようなご依頼には、申し訳ございませんが対応できません。

その代わり、菊池の指導を受ける意向があり、「頑張っていこう」という生徒さんは、成績にかかわらず、お引き受けいたします。

わたしの限られた時間は、「何とか頑張っていきたい!」「合格したい!」と考える生徒さんのために割いていきたいと考えています。

以上、よろしくお願いいたします。 

指導の際のワタシの姿 〜「キャラ変更」という「誠実な態度」〜 その1 2018/10/24

先日の指導で、ある生徒さんから「先生(=菊池のこと)って、小学生のころ、どういうキャラだったんですか?」と尋ねられました。

小学生のころ、どういうキャラ?

そもそも、自分が小学生のころ、キャラなんて言葉、聞いたことなかったなあ.....

などなど、心の中で自問自答しました。

そして、生徒さんには、次のように答えました。

「まあ、わたしが小学生のころ、『キャラ』なんて言葉はなかったんですよ。

あえて言えば、『優等生キャラ』でなかったことだけは確かでしょうね」

そう言うと、生徒さんは「へえ〜 意外.....」と語っていました(笑)

生徒さんは、わたしの小学生時代を美しく誤解していたのかもしれません。

それはともかくとして、わたしは指導の際、生徒さんが各人各様であるように、自分のキャラも意識的に変えています。

今の言葉で言えば、「キャラ変」つまり、「キャラ変更」ということになるのでしょうか。

それを短時間のうちにやってのけています。

事実、わたしは、生徒さんによって、厳しいことをズバズバと遠慮会釈なく言います。

そうかと思えば、何一つキツいことを言わずにいたりもします。

厳しいことを言われている生徒さんにしてみれば、「菊池って、ほかの人の前では、こんなに優しいんだ」と感じるでしょう。

一方、そういうことを言われずにいる生徒さんにしてみれば、「こんなに厳しいことを言われたりするのね。自分のときとは、全然違う」と感じるでしょう。

それが顕在化しないのは、家庭教師という指導体制をとっているためです。

生徒さんは、わたしが他の生徒さんの前では、どういうキャラなのかということに気づくすべがないからです。

次回に続きます)

指導の際のワタシの姿 〜「キャラ変更」という「誠実な態度」〜 その2 2018/10/25

前回の続きです)

前回のコラムで述べたような「キャラ変」は、たぶん、どこの受験関係者でも大なり小なりしていると思います。

それは、学校の先生も同様です。

ただ、他の生徒が見えるところで、これを露骨にやってしまうと誤解を生みます。

ある生徒には特に厳しくし、ある生徒には優しく接していれば、「あの先生、贔屓してる!」と言われてしまいます。

もちろん、特定の生徒だけを「お気に入り」とする先生もいらっしゃいます。

しかし、多くの場合、「キャラ変」は、指導における先生なりの考えを反映したものです。

例えば、同じ高3でも、旧帝大クラスの難関大を目指す生徒さんと、それ以外の大学を目指す生徒さんとでは、生徒さんへの対応が当然違ってきます。

そもそも両者では、受験生に求められるものが異なるからです。

学年が違えば、これまた生徒さんに対する接し方も違います。

おとなしい生徒さんもいれば、負けん気の強い生徒さんもいます。

一人一人がこれほど違う生徒さんに、わたしが全く同じように接していたら、それこそおかしな話です。

ですから、指導の際は、「この生徒さんには、こういうキャラで行こう」「この生徒さんには、こうで.....」と考えながら接しています。

わたしの仕事は、生徒さんの成績アップです。

今より、何らかの形で勉強ができるようになることです。

であるなら、「キャラ変」も「プロの仕事」であるはずです。

次回に続きます)

指導の際のワタシの姿 〜「キャラ変更」という「誠実な態度」〜 その3 2018/10/26

前回の続きです)

「キャラ変」については、次のようにお考えの方もいらっしゃるかもしれません。

「相手によって接する態度を変えるのは問題」.....

「教える立場にある者が、『生徒によって態度を変える』と公言するのは、いかがなものか」.....

この点に関しては、2016年センター試験の国語に出題された「キャラ化する/される子供たち」に、興味ある記述があります。

この文章の趣旨によれば、一世代前の大人だと、相手によって接し方を変えるのは、不誠実ではないか、と考えながら生きてきたという認識があったとしています。

一方、現代の若者は、「外キャラ」、すなわち対人関係に応じて意図的に演じられるものを使い分けます。

筆者によれば、「外キャラ」の使い分けは、彼らの不誠実な態度の現れではありません。

「外キャラ」を状況に応じて使い分け、他者との「共生」を目指そうという、彼らなりの誠実さを示している、というのです。

わたしの場合は、プロとしての仕事をするための「外キャラ変更」です。

生徒さんの成績アップが、わたしに課せられた任務ならば、生徒さんごとの「外キャラ変更」もまた、必要なことです。

ただ、いくら「外キャラ変更」をしても、最終的には生徒さんに対する、わたしなりの慮りや、人として敬意を持って接するという点に変更はありません。

そこを「外キャラ変更」でうやむやにてしまっては、生徒さんとの信頼関係が成り立ちません。

この点を十分にわきまえながら、生徒さんの前では、「その生徒さんにとって必要なキャラ」を演じ続けていきたいと考えています。

高校受験を控えた「やる気のない」中3生に親が贈る言葉 その1 2018/10/27

先日、あるご同業の方のブログを拝読していたところ、生徒さんの「やる気」に関する記載がありました。

そこには、「やる気を見せない中学生でも、中3生になって、中総体が終わったり、受験が近づいて来たら、どういう生徒も勉強に対して『やる気』を出す」とありました。

これを読んだとき、高校受験を控えた中3生の「やる気」について、ふと考えるところがありました。

わたしは、試しに、過去に担当した生徒さんを振り返ってみました。

受験が近づいてきて、すべての生徒さんが「やる気」を出したかと言われれば、必ずしもそうではありませんでした。

もちろん、これは、「やる気」というものをどのように定義するかで違ってくるでしょう。

少なくとも、わたしの感覚ではそうです。

中には、自身の受験が近づいても、まるっきりの他人事といった風の生徒さんもいました。

当初より、その生徒さんは、「やる気」のようなものは薬にしたくてもないような状態でした。

そして、中総体が終わろうが、受験が近づこうが、全くペースは変わりませんでした。

今なら、こういう生徒さんの指導は、引き受けません。

ですが、家庭教師の派遣会社に所属していたころは、こちらに拒否権はなかったのです。

わたしにとって、そういう生徒さんとのかかわりは、契約満了時までです。

それは途中解約であろうが、進学に伴う解約であろうが、いずれにしても、必ず終わりはあります。

しかし、そういう子供をお持ちのご父兄にとっては、受験関係者との契約は終了しても、子供は依然として我が子です。

こういう子供にはどう対処すればいいのでしょうか?

次回に続きます)

高校受験を控えた「やる気のない」中3生に親が贈る言葉 その2 2018/10/28

前回の続きです)

こうした子供は、たぶん、「将来困るから、勉強しなさい!」などと言ってみても、まず聞き入れることはないでしょう。

親など周りが焦って言えば言うほど、意固地になります。

ですから、こういう場合は、「発想の転換」が必要です。

「あなたの将来なんだから」という言い方をするから、彼らは耳を傾けないのです。

では、どう言うか。

「あなたが勉強しないと、親であるわたしが困る」と言ってみるのです。

親にしてみれば、確かに子供の将来は心配でたまらないはずです。

が、それ以上に、職を転々として、いつまでも自分たちの収入を頼ってこられたのでは、まともに老後を過ごせないはずなのです。

事実、ニートと呼ばれる「いい若い者」は、2017年の「子ども・若者白書」によれば、国内に71万人います。

彼らの多くは、親の収入に寄生しているものと思われます。

ちなみに鳥取県、島根県の人口は、それぞれ59万、71万です。

これほどの人たちが、いわば「穀潰し」という状態にあります。

「中3にもなるのに、うちの子供はさっぱり勉強もやらなくて.....」とお嘆きのご父兄は、試しに子息にこう言ってみてください。

 

あなたが勉強しないと、親であるわたしが困る。

あなたが困るのは、自業自得だ。

しかし、将来きちんとした仕事に就かず、自分の収入にいつまでも頼られては、困る。

自分たちにも老後の生活がある。

あなたは、あなたで自分の食い扶持を稼いでいってほしい。

そのための準備としての勉強だ。

 

それを折に触れて言ってみてください。

子息は変わらないかもしれませんし、変わるかもしれません。

言うだけはタダです。

お悩みのご父兄は、一度お試しを。

問題集への書き込みはOK? NO? その1 2018/10/29

そろそろ中3生は、内申評定が最終決定する11月の定期試験を迎えます。

学校から配付される範囲表には、今回範囲となっている教科書や副教材ワークの範囲が記してあります。

そして、副教材ワークの提出期限なども併せて記してあります。

この範囲表について、わたしがいつも疑問に思っていることがあります。

それは、「ワークは繰り返し解きましょう」という文言がしばしばあることです。

学校の先生がおっしゃることはもっともです。

わたしも、生徒さんには副教材ワークを繰り返して解くように勧めています。

そして、「菊池からの課題」として、副教材ワークの演習を、学校からの指示にプラスして課すこともあります。

しかし、副教材ワークでは、基本的に一度テキストの該当箇所に書き込みをしてしまうと、繰り返し解くことができません。

「1回解いたらおしまい」です。

それでも、理科・社会は繰り返し演習できる構成になっています。

国語・数学・英語では、そういう作りではありません。

わたしが申し上げたいのは、「ワークは繰り返し解きましょう」という、せっかくのアドバイスの実践は、困難な場合が多々あることです。

わたしはいつも「変だな〜」と感じています。

先生としては、「ワーク、自分の指示通りに、繰り返し解いてくる生徒なんて、まずいないよな」と思っていらっしゃるのかもしれません。

あるいは、そこまで深く考えていらっしゃらないのかもしれません。

いずれにしても、残念なことだと感じています。

次回に続きます)

問題集への書き込みはOK? NO? その2 2018/10/30

前回の続きです)

前回は学校の副教材ワークの話をしました。

以下は、副教材ワーク以外の問題集についてです。

わたしの方針としては、問題集への書き込みを一切しないように指導しています。

理由は、前回のコラムでも述べたように、問題集を繰り返し解いてもらうためです。

図を書く必要がある問題のときには少々不便ですが、この方針は徹底しています。

ところが、他の受験関係者の方もそういうふうにしていると思いきや、案外とそうでもないようです。

例えば、塾などでは、使用している教材へ直接書き込みをするようにしているところも意外と多いです。

確かに、塾ではいろいろな種類の教材を備えています。

ですから、直接書き込んでも、まだまだやり足りないところが出てきます。

また、1冊の教材を最後まで上げた場合は、別の教材を配付してくれる塾もあります。

ただ、わたしの場合は、一度解いた問題でも、また解き直してもらうことが珍しくありません。

家庭教師という業態を取っている場合、生徒さんが一度は解けた問題でも、しばらくすると、解けなくなっているということが日常茶飯事だからです。

わたしの場合は、トップ層にいる生徒さんを除くと、「一冊の問題集を徹底して繰り返す」というスタイルを取っています。

そのための書き込み厳禁です。

問題集をどのように解いていくかは、その人の成績や置かれている状況によって、いろいろです。

「一冊の問題集を徹底して繰り返す」という人は、問題集への書き込みを避けたほうがよさそうです。

中3生の受験指導 〜「高校受験は一生に一度きり」という現実を踏まえて〜 2018/10/31

このところ、中3生をお持ちのご父兄からは、いろいろなご質問、ご相談を受ける機会が多くなっています。

多くの中学校では、9月から10月初旬にかけて定期試験がありました。

さらに、間を置かずして、11月に定期試験があります。

この定期試験で、評定が最終決定します。

このところのご父兄からのお尋ねは、そういった事情もあるものと思われます。

わたしのような受験関係者にとって、高校受験にまつわる一連の流れは、まさしく「サイクル」です。

「年年歳歳、花、相似たり」という漢詩のフレーズそのままです。

夏休みに入るころはこうなって、10月に入るとこうで、12月になるとこうで....という風に、ほぼ流れは同じです。

しかし、生徒さんやご父兄にとっては違います。

生徒さんにとっては、一生に一度きりの高校受験です。

ご父兄にとっては、兄弟姉妹がいれば、同じような流れを経験するかもしれません。

しかし、その子にとっては、一生に一度きりであることには変わりありません。

わたしが中3生の受験指導をしていて常に心しているのは、「その生徒さんにとっては、たった一度きりの高校受験である」ということです。

その点を踏まえるようにしていけば、おのずと生徒さんやご父兄にはどのように接しなくてはならないのか、ということが、決まってきます。

そして、さらに大切なのは、「自分にとって、受験はヨソ様の子息のこと。でも、生徒さんやご父兄にとっては、ウチのこと」である点です。

事実、わたしは娘の高校受験のとき、それを感じました。

ヨソ様の子息と我が子のことでは、感じ方がまるで違いました。

「親の立場」というのは、子供の受験に対して、かくも神経を擦り減らすものなのかとつくづく思います。

この点を忘れることなく、受験指導に当たっていきます。

今日で10月は終わりです。

明日からの11月に備えます!

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