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生徒さんたちの多くは春休みの真っ最中です。
新学期へ向けて、わたしのほうも、これまでの復習、春休み明けに行われる実力試験の準備、新学期からのスケジュール組み換えなど、矢継ぎ早にいろんなことをこなしてします。
先週は、生徒さんの通信票の成績に一通り目を通しました。
高校受験や推薦狙いの大学受験を予定している生徒さんたちにとり、この学年末の評定の数字が重要であることは、今さら言うまでもありません。
生徒さんの評定の数字を見ていると、納得のできることがほとんどですが、中にはそうでないものもあります。
特に感じたのは、中学生を見ていて、「この生徒さんと、あの生徒さんが、どっちも4ってどういうこと???」「定期試験でこういう点数を取っていて、こういうところが分からなくても、4ってついちゃうんだ」ということが、随分とあったことです。
気のせいか、いつもよりこうしたケースが多いような気がします。
一言で言うと、「甘い!」のです。
こうした「甘さ」というのは、知らず知らずのうちに、わたしが現役学生のころと比較してしまっているからに違いありません。
ただ、「昔との比較」というのは、ご父兄の方も無意識のうちになさっていらっしゃると思います。
我が子がよい成績を取ってきて、悪い気のする親はいません。
「よい成績」ということだけを見れば、取り立てて問題にするようなことはないのかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
しかし、逆に言うと、数字が「インフレ状態」になってしまっているために、我が子の真の位置に気づかない可能性があります。
それゆえ、いざ受験となったとき、「ウワ〜 どうしよう〜」となる危険性をはらんでいます。
わたしたちも、体に痛いところができて、初めてそこが悪くなっているのに気づきます。
痛みが全くない状態で、ある日あるとき、ドカンと来る病気ほど怖いものはありません。
上述したように、評定はご父兄の想像以上に「甘い!」です。
そういう「甘い!」基準で、「評定が低い」という生徒さんは、「公平性」という点を差し引いても大問題だと思うのです。
評価者によって、基準がバラバラになり、それが高校入試の点数に影響してくるというのは、公平とは言えない、ということは認めます。
評価は人間が行う以上、どうしても基準に曖昧なところがあるのは事実です。
中学校間の学力格差もある中で、同じくらいの学力で、同じように学校で過ごしていても、評定が違ってくるということもあり得ます。
しかし、わたしの目から見て、「甘い!」基準で評定が付けられている中、3年間で都合27名の大人が、そろって低評価をつけているとすれば.....
その数字はかなりの確率で、信用に足るものと言えるのではないでしょうか。
ある特定の先生の担当科目だけが低い評価というのであれば、恨み節を語ってもいいでしょう。
そうでなければ、本人に問題があると考えるのが自然です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「この生徒さんは、学力よりいい評価を受けている」と感じる生徒さんは、おしなべて「仕事が丁寧」です。
提出物も遅れず、また字を書く際も、丁寧です。
字には人によって巧拙があります。
たとえ拙い字でも、そこに丁寧さが感じられれば、先生方はきちんと評価してくれています。
もっとも、これが「不公平」かどうかについては、疑問の残る部分ではありましょう。
一方、「この生徒さんは、学力より低い評価を受けている」と感じる生徒さんは、提出物の遅れがあったり、「仕事が乱雑」です。
「字が乱雑なのは、仕方がないじゃないか」という反論も予想されます。
が、こういう生徒さんは、例えば、副教材ワークをたとえ提出はしていても、こういう症状を伴っている場合が多いのです。
.....マル付けをしていたり、していなかったりする。
.....問題を解いていない空白の箇所がある。
.....書きなぐったような字で書いてあり、その問題がほんとうに正解しているかどうか、判読できない。
.....実は、間違ったところにマルを付けている。
百歩譲って、字の乱雑さは「本人の特性」ということで目をつぶることができても、「いかにもやっつけ仕事」というような提出物に先生方が低い評価しか与えないのは当然です。
さらに、字が乱雑でそもそも判読が難しいとあっては、これで高評価を与えよというほうが土台無理というものです。
低評価となっている生徒さんは、要するに、自分の提出物をチェックする相手である先生のことをまるで考えていないのです。
評価をしてくださる先生の身になって考えられない人は、低評価であるのも致し方ありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
さらに、「この生徒さんは、学力よりいい評価を受けている」と感じる生徒さんは、男子よりも女子が多いです。
それは「仕事の丁寧さ」と結びついています。
そうであるなら、男子より女子が平均的に評定が高いのは自然なことです。
また平均点も多くの場合、女子が男子を上回ります。
この点において、先生方は極めて公平に評価をなさっています。
わたしも200有余名の生徒さんを担当してきましたが、判読不能なほど乱雑な字を書きなぐっていた女子は、1名だけです。
男子の場合、こうした生徒さんの割合は、女子と比較し、かなり高いです。
特に、学習が苦手になればなるほど、そうした男子の割合は高くなっています。
そして、そういう男子は、字だけではなく、前回述べたような「デタラメな仕事」ぶりもセットになっているのが「お約束」です。
さらにこういう生徒さんは、提出物に出さないものがちょくちょくあるという場合も多くなっています。
それは本人と先生だけが知っていることで、ご父兄や受験関係者は知らない、などということも珍しくありません。
男子だから評価が低くなるのではなく、仕事がデタラメだから評価が低くなるのです。
「男子だから評価が低くなる」わけではありません。
「オレはテストでこれだけ点数を取っているのに、なんで評価が低いんだ」と悔しがる男子がいたとすれば、(もっとも、悔しがるほどの人なら、最初からこんなことはしていませんが)提出物を丁寧に、そして遅れずにやることでしょう。
この点、ご父兄には見えづらいので、十分に心すべきところです。
わたしは弊サイトの文言にも書いてありますとおり、「勉強を教える」のではなく、「成績を上げる」ための指導者でありたいと考えています。
こう書くと、「菊池の仕事は、『勉強を教える』ことなのではないのか? 勉強を教えずに、成績を上げることなんてできるのか?」と、お感じになるご父兄もいらっしゃるかもしれません。
もちろん、そこは、十分に心得ています。
指導の際に手を抜くという意味ではありません。
わたしの意味するところは、「教えるだけ教えて、自分が自己満足しないように。『教える』というのは、生徒さんが成績を上げるための、数ある手段の中の一つ」ということです。
一生懸命に教えれば、生徒さんの成績が上がるというわけではありません。
これは、受験関係者であれば誰でも気づいていることです。
きちんとした指導は、成績向上のために必要ですが、それで十分なわけではないのです。
生徒さんが自分の力で考え、手を動かさなければ、成績は決して上がって行きません。
しかも、試験というのは、一種独特の時間と空間です。
「後からリラックスしてよくよく考えてみたら、正解していた」などと悔やんでも、後の祭りです。
試験という本番で力を出せなければ、何の意味も持ちません。
そのような観点からすれば、「教える」という行為は、生徒さんが考え、手を動かすことのできる補助車の役割を果たすだけであると、わたしは考えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そして、さらに申し上げますと、成績の現状を維持するだけでも非常に大変なことです。
受験関係者に大枚をはたいて「何とか成績アップを!」と託するご父兄の立場になってみれば、いくらやっても成績がピクリともしなかったら、愉快でないに違いありません。
わたしが同じ立場なら、間違いなくそう考えます。
しかし、一生懸命にやっていても、成績は下がってしまうことがあります。
ご父兄の方も学生時代にご経験がおありかもしれませんが.....
わたしも現役学生のころ、自分としてはやっていたつもりなのに、席次が思うようにならず、何度悔しい思いをしたか.....
何しろ、自分が努力をしている最中にも、ライバルたちも負けずにやっているのです。
受験勉強は孤独な戦いですが、必ず競争相手がいます。
その相手以上にやらなくては、「自分はこれだけやっていた」と考えていても、それは単なる思い過ごしです。
そのように考えると、成績はそんなにホイホイと上がるものではないというのは、ご想像がつくのではないでしょうか。
ただ、中には短期間のうちにメキメキと成績を上げていく生徒さんもいます。
しかし、そのような生徒さんは、例外的です。
彼らはもともと、その成績に到達しうる潜在的な力を持っています。
そして、彼らは必ず人並み以上に努力しています。
そうでもなければ、そのような結果は出ません。
まかぬ種は生えないのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
以下は、数日前、ツイッターにても書き込んだことです。
ご父兄の中には、子息の学業より、部活動やクラブチームの活動を優先的にお考えになっておいでの方がいらっしゃいます。
その中には、大別して2タイプあります。
一つ目のタイプは、「部活・クラブチーム優先」を自覚している方です。
こういう方の場合、子息の学業にはほとんど関心を持ちません。
もう一つのタイプは、「部活・クラブチーム優先」を意識していないが、結果としてそうなっている方です。
そういう方の場合、子息の学業に多少は関心があり、「勉強もある程度は.....」とお考えです。
が、部活・クラブチームの日々の活動に流されてしまい、どうしても学業のほうが後手に回ってしまっているというタイプです。
そして、塾や家庭教師につこうというご家庭は、意識していない方が圧倒的です。
こうしたご家庭は、時間的にも融通が利く個別指導塾や家庭教師を選びます。
勉学を優先するのか、部活・クラブチームの活動を優先するのかについては、人それぞれです。
しかし、部活・クラブチームの活動を、勉学に優先するとしたら、塾や家庭教師の下で学習しても、できることは、「成績がこれ以上下がらないようにする」ことだけです。
つまり、現状維持が精いっぱいなのです。
なにしろ、一生懸命にやっている生徒さんでも、成績を上げていくというのは難しいのです。
下がってしまうことさえあります。
であるなら、部活・クラブチームの活動を、勉学に優先している生徒さんの成績が上がるということはまずあり得ません。
事実、わたしはこれまでそういう生徒さんの成績が上がったのを見たことがありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「塾や家庭教師についたが、成績は変わらない」となれば、「では、やっていても仕方がない。高い月謝を出してそういうところに通わせる意味がない」とご父兄が考えるようになるのはごく自然です。
「部活・クラブチームの予定に合わせて、好きな時間が選べます!」と受験産業は触れ込みます。
しかし、勉学が第一優先ではない、というご家庭は、そうした理由で、退塾率が高くなる傾向にあります。
塾や家庭教師というのは、通いさえすれば、成績が上がるものではありません。
あくまで、生徒さん本人の学習を手助けしてくれるだけです。
こうならないために重要なことは、ルール作りを、ご家庭内でしっかりやっておくことです。
言い換えると、部活・クラブチームでの活動がたとえきつくても、学習面において「これだけはどんなことがあってもやる」ということを、親子間でしっかり取り決めることです。
厳格にルール作りをするのは、ご父兄の責任です。
わたしはこれまで担当してきた限り、こういうルールをご家庭できちんと設けている場合は、成績が改善していく可能性があります。
事実、これまでこうした生徒さんのうち、成績の改善したケースは、ご父兄がきちんとルール作りをしておいでのご家庭です。
「勉強やりなさい!」「宿題、ちゃんとやっておきなさい!」と言っただけでは、なかなか子息は動きません。
以上を踏まえた上で、学業と部活・クラブチームの活動の折り合いをどうつけるか、しっかりとした考えのもとにやっておく必要があります。
受験間近になって、親子ともども慌てふためかないためにも.....
いよいよ新学期です。
中学ではそうでもないですが、高校ですと、明日から実力試験というところが多くあります。
教科書も新しくなり、学年が進むにつれ、内容が難しくなってきます。
高校生が特に面食らうのは、数学、理科(物理・化学)です。
わたしが中高校生に理科・数学を教えていて感じるのは、今さらながらという気はしますが、小学校の算数がいかに大切かということです。
公立の小中学校で、平均点の取れていない人ですと、必ず何がしかの箇所に、小学校の算数の欠陥があります。
計算の分野についていうと、分数の計算における習熟不足が目に付きます。
3人に1人くらいは、必ずどこかに不完全な部分があります。
その不完全な部分が、のちの高校入試でも足を引っ張っています。
そういうミスをする生徒さんは、「凡ミスをした」として、当の本人は、あまり気に留めていないようです。
が、実はかなり重大な間違いであることが多くあります。
円の面積と周の長さの区別がつかない人は、ざらにいます。
中学生の4人に1人はそんな感じです。
それから、速さ・時間・距離の関係、%などを扱う割合、「1:2」といった比の問題などになると、学年相応レベルは2人に1人といったところでしょうか。
小学校のときに算数の積み残しが多い生徒さんは、当然のことながら、学年が進めば進むほど、学習面で苦労するようになります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
残念なのは、中学校や高校では、新しい単元が次々と出てきて、小学校の算数を振り返るということが、学校にないことです。
授業についてくることが困難な生徒は、小学校の算数の振り返りをする必要があります。
中学校や高校の数学・理科の先生方も、この点、気が付いていらっしゃるはずです。
しかし、学校では、ついて来られない生徒が結果的に切り捨てられています。
公立中学では、基本的に課題が一律で出されます。
数学に関しても、習熟度に関係なく、同じものが出されます。
よくある副教材ワークの提出に関していえば、宿題をこなせるのは、平均点以上の生徒さんたちです。
それに達しない生徒さんたちは、できないところが出てきます。
そうなれば、体裁を繕うために、「配付された解答を意味も分からずに丸写しして提出」する箇所が出てきます。
学校の先生もそれを黙認しています。
本来は習熟度別に課題も別にしたほうがいいのですが、公立中学の現状を考えると難しいでしょう。
ただ、以前、富谷二中の夏休みの数学の課題では、「Aコース」と「Bコース」が設けられていました。
「Aコース」は小学校の復習を含めた基本的な内容です。
「Bコース」は現在、学校で扱っている基本的なところ、そして少し応用的なところです。
課題は2コースのうち、どちらかを選んで提出するようにというもので、非常によい試みだと感じました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高校入学後、多くの生徒さんは数学に面食らいます。
中学校までとはレベルが違うので、できる生徒さんたちも苦労することになります。
それをこなすのに、中学までの基本的な数学力、さらにさかのぼって小学校の算数の力も不可欠なことは言うまでもありません。
しかし、意外な落とし穴が物理・化学、特に化学です。
高校入学後は、理科で化学・生物を必修とするところが多いです。
その中でも、生物はまだ何とかなります。
生徒さんたちの多くを悩ますのが化学です。
高校化学の最初に出てくるのが、実は小学校の算数、特に「1:2」といった比に関する知識です。
この比に関するところは、割と地味なところです。
一見すると、簡単そうに見えます。
しかし、「実はよく分かっていない」というところが実感しづらい分野です。
そのため、比の概念が分からないと、化学が全くチンプンカンプンという状態になります。
逆に言えば、その比の概念さえきちんと理解していたなら、それほど難しいようなところではありません。
高校でも、小中学校の振り返りをすることはまずありません。
ほんとうは、中学や高校で、そういう生徒向けに、長期休暇の課題として、算数の振り返りをやってほしいのです。
それゆえ、比が分からないと、化学がずっと分からないままになってしまいます。
が、以上のようなことが少しでも軽減するには、小学校の算数ドリルをコツコツやっていくしかありません。
とはいえ、なかなかそれをやるのは、相当な覚悟とエネルギーが必要ですが.....
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新学期が始まり、学校の授業も本格始動です。
わたしも常々、「早めのスタート」ということで、生徒さんにはなるべく早めに目指すべきところを決めるように言っています。
そしてそれは、生徒さんに対してのみならず、自分自身に対する戒めの言葉でもあります。
そこで、今回は、生徒さんの志望校の現況を書いてみることにします。
現在、二華・青陵などの中学を志望している生徒さんは3名います。
仙台一高・二高を含むナンバースクールを志望している生徒さんは4名です。
東北大学など、旧帝国大学を含む国立大学を志望している生徒さんは2名です。
わたしは、以前にも書いたとおり、意図して「難関どころ」の生徒さんだけを集めているわけではありません。
わたしの指導を受ける意思のある生徒さんであれば、どの生徒さんでも受け入れています。
しかし、ご父兄や生徒さんが上記のような学校を望むのであれば、それにふさわしい指導をしていくことが必要であると考えています。
「難関どころ」というのは、文字通り、「難関」です。
そこに確実に合格できるためには、指導において、いささかの妥協もあってはなりません。
そして、それは生徒さん、ご父兄にも、そういうところを目指していくべき姿勢というのが必要になってきます。
わたしばかり意気込んでみても、生徒さんが全く別の方向を向いていては、目標の達成はできません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
幸いなことに、わたしが担当しているご家庭は、ご父兄そして生徒さんも、高い水準にある方がほとんどです。
「高い水準」というのは、生徒さんの学力が高いという意味ではありません。
受験という「人生の一大事業」を乗り越えるために、ご父兄・生徒さんが、人として当たり前のことができている、という意味です。
なぜそう考えるのか?
それは、わたしが家庭教師派遣会社で仕事をしていたとき、あるいはご同業の方が担当してきたご家庭の現状とどうしても比較してしまうからです。
わたしもこの業界に身を置いて、随分と長くなっています。
そのため、いろいろと「アッと驚くような」ご父兄・生徒さんに巡り合ってきました。
しかし、特にご同業の方のお話を伺うと、わたしの想像を超えるような「アッと驚く」ご父兄・生徒さんを担当されてきた方がいらっしゃいます。
受験に携わる者として、「アッと驚く」ご父兄・生徒さんは、確かに、大いに勉強になります。
とはいえ、そういうご父兄・生徒さんというのは、子息の受験を目指すうえで、そういう姿勢でいいのか、という大きな疑問が頭をよぎります。
ですから、わたしとしては、現在、ご父兄や生徒さんにかなり恵まれているなあと感じています。
ただ、それゆえにこそ、「確実に第一志望校に合格する」というレベルを目指すため、妥協があってはなりません。
わたしが気を緩めた瞬間、現在の合格状況は維持できなくなります。
わたしも、ご父兄・生徒さんの期待に沿えるよう、できる限りのことを致します。
そして、ご父兄・生徒さんが、人として当たり前のことができているのであれば、わたしも、人として当たり前のことができているよう、常に自らを律しなければならないと考えています。
生徒さんにも「きちんとした覚悟」を求めます。
ご父兄におかれては、こうしたわたしの考え方をご理解ください。
2月・3月に行われた公立高校の入試で格闘した皆さんは、新しい環境での学校生活が始まっています。
新入生にとって、何かと不安の多いこの時期、先輩であるわたしの生徒さんが、二高の新入生へ向けて、心得などを語ってくれました。
以下、その生徒さん(本文中は、Aさんと記します)へのインタビューを掲載します。
<入学後に大切なこと 一番ハードな科目>
〇菊池:
今日は、ご協力、ありがとうございます。
この時期、新入生にとって、いちばん大切なことは何だと思いますか?
☆Aさん:
予習をきちんとやることだと思います。
特に数学の予習は大切です。
この時期だと、授業もそんなに速くないですから、今のうちに習慣づけをしていかないと後で大変です。
〇菊池:
新入生のころ、いちばん大変だった科目は何ですか?
やっぱり数学ですか?
☆Aさん:
物理ですね。
〇菊池:
はあ、物理ですか?
ちょっと意外な答えですね。
☆Aさん:
数学は1年の今ころはまだ大変じゃなくて、夏休みを過ぎたあたりから、結構ハードになってきました。
だから、この時期だと、数学ではなかったです。
物理は今までは見たことがないような新しい考え方が出てきて、数学より、物理が大変でした。
〇菊池:
二高では、1年生の理科で物理、やりますもんね。
わたしの生徒さんだと、化学をやる人が多いんですよ。
だから、高校へ入った途端、「化学、分からない」っていう生徒さんがたくさんいます。
☆Aさん:
それでも、化学の最初のほうは、そんなに難しくありません。
ただ、後のほうになってくると、分からないのがたくさん出てきちゃって.....(笑)
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<授業の進み方>
〇菊池:
1年生のころ、授業はどんなふうに進みましたか?
例えば数学なんかは?
☆Aさん:
ほかの学年はどうなっているか分かりませんが、自分たちは、チャート(筆者注:数研出版が出している数学用の参考書、二高は「青チャート」を使用)から先生が抜き出した問題をプリントで解くという授業をしていました。
問題は難しかったです。
入試問題を結構やりました。
そんなに進度は速くありません。
〇菊池:
ということは、教科書レベルのようなことは、自分でやっておくって言うのが前提になりますね。
☆Aさん:
はい、そうです。
〇菊池:
わたしもどういうプリントだったかは、見てました。
わたしが高校のころと比べると、随分と高度なことをやってるなと思いました。
☆Aさん:
中学校のころとは全然違います。
1年生の最初のころは、中学校って、なんて平和だったんだろうって思ってました(笑)
それでも最初のころはまだそんなにきついとは思わなかったです。
夏休みを過ぎたあたりから、分からないところが出てきちゃって.....
〇菊池:
ああ、2次関数の最大・最小の場合分けのところですね。
☆Aさん:
はい、そうです。
〇菊池:
英語はどんな感じでした?
☆Aさん:
普通です(笑)
数学みたいに急に分からなくなるって言うことはないです。
ただ英単語はたくさん覚えなくちゃいけないんです。
単語も長いものが多くなってくるし、熟語も紛らわしいのがたくさん出てくるし.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<新入生のころの学校生活>
〇菊池:
1年生になったばかりのころの学校生活、大変だったんじゃないですか?
☆Aさん:
はい。
慣れるまでがちょっと大変だったかもしれません。
すぐに運動会があるし、定期戦(筆者注:仙台一高との野球定期戦のこと。ほぼ全校生徒が試合の応援をする)もあります。
ただ普通にやって、みんなに合わせて同じことをやっていればいいんで、わたしは何とか大丈夫でした。
きつい人にはきついかも.....
〇菊池:
わたしもその昔、二高で過ごしましたから、状況は分かります。
勉強・部活・定期戦の応援練習があるんで、その3つを同時にこなすのは、なかなか.....
☆Aさん:
それは、我慢して合わせるしかないと思います。
忙しいけど、それも楽しみなんじゃないかと。
二高に入ったことを実感できるんで.....
クラスになじめないことはないです。
〇菊池:
周りの人たちは、どんな感じでした?
特に中学のころと比べて。
☆Aさん:
まじめな人が多いです。
ただ、勉強ばっかりというわけでもないです。
運動がすごい人もいるし、にぎやかな人もいます。
〇菊池:
そのほかに、この時期、学校で過ごすのに注意しておいたほうがいいことってありますか?
☆Aさん:
6月の中間テストまでは、周りの人は一生懸命っていう感じでした。
中学のときに成績がよかったから、それが続いているのかもしれません。
ただ、夏休みを過ぎて、1年生の終わりころになると、差が大きくなります。
まきかえせなくなるし、ダラけるとまずいです。
自分のペースを早くつかまなくちゃならないです。
〇菊池:
なるほど。
いろいろと、ありがとうございました。
「塾ジプシー」という言葉があります。
これは、あっちの塾、こっちの家庭教師.....という具合に、転塾を頻繁に繰り返すこと、あるいはそういうご家庭を言います。
先般、何名かの受験関係者の方とお会いする機会があり、この塾ジプシーについての話題も出ました。
わたしが経験している限り、塾ジプシーの最高記録は
「公文(3か月)→進学プラザの集団指導(4か月)→関塾の集団指導(2か月)→関塾の家庭教師(2か月)→父親が学習指導(1か月)→菊池が担当(2か月)→別の家庭教師」
というのをやったご家庭です。
これは、わたしが家庭教師派遣会社にいる際に経験したものです。
こちらのご家庭は、公文や進学プラザ、関塾に行くには行ったが、成果が出ないので。父親が学習指導を行ったそうです。
しかし、父親にも仕事があるし、「餅は餅屋」ということで、ある家庭教師派遣会社に入会がありました。
そこで担当することになったのがわたしです。
当初担当するとき、わたしは「担当するのはいいんですが、きっとこのご家庭、すぐ教師交代とか、解約するとか言うと思いますよ」と事務方へ言いました。
指導が始まり、2か月たつと、予感が的中しました。
特にわたしには不満がなかったらしいのですが、「ちょっと気分を変えて別な先生も試してみようか」ということで(そのご父兄は、派遣会社の事務方へほんとうにそうおっしゃったそうです)、ほかの教師へ交代となりました。
その後、このご家庭がどうなったのかは分かりませんし、関心もありません。
しかし、常識的に考えて、これで成績を伸ばしてくださいというほうが、そもそも無茶なのではないでしょうか?
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べた塾ジプシーは、ご父兄にしてみれば、子供に合った受験関係者、子供に合った指導者を見つけるための「聖なる戦い」です。
実際、わたしがそのご父兄に面談したときには、学習に対する関心の高さ、子供のことをいろいろと考えている様子が伝わってきました。
わたしも子供を持つ親として、その心情は理解はします。
が、ハッキリ申し上げて、子供に100%合う塾や家庭教師など存在しません!
ちょうどそれは、100%の配偶者や100%の恋人がいないのと同じです。
恋人を求めるならば、「いい人を見つけるために、なるべく多くの、いろんな人とお付き合いしてみる」というのもあり得るでしょう。(わたしは、こうした領域についての知識に乏しいため、想像で書いています(笑).....)
しかし、受験関係者を選ぶのは、恋人選びとは違います。
塾ジプシーの大きな問題は、転塾のたびに、今までのことがリセットされてしまうことです。
最初から指導期間が決まっている短期指導を別にして、指導をする側としては、生徒さんを担当し始めて、すぐに100%の指導はできません。
その生徒さんの属性を理解するために、一定の時間がかかるからです。
例えば、どこが弱点で、どういう性格の人で、それを踏まえて現在の志望状況に持っていくために、どうすればいいのか等々の理解のためです。
家庭教師の指導としては、「見極め」のために、最低限、5回程度の指導は必要です。
そして、何より生徒さんが新しいリズムに慣れるためには、どう少なく見積もっても、3か月はかかります。
ようやく生徒さんの体がリズムに慣れたころ、「この塾はダメ」とばかりに転塾してしまっては、成績が改善するはずはありません。
事実、そうしたご家庭で、成績が上がったという話を聞いたことがありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
塾ジプシーをしているご家庭で、前回までに申し上げたことで最もまずい点としては、「教えを乞う側の子供にも塾・家庭教師に合わせようとする姿勢が必要」であるということに対する認識がスッポリ抜け落ちている点です。
ご父兄にしてみれば、「子供に合わせてくれる塾」が最も望ましいでしょう。
家庭教師という業態を取っているわたしの場合、集団塾や個別指導塾よりは、「子供に合わせやすい」システムになっています。
しかし、「受験関係者が子供に合わせる」だけではダメです。
子供のほうにも、「塾・家庭教師に合わせる」という姿勢がなくては、成績向上など望むべくもありません。
また、塾ジプシーの弊害が、受験関係者によって、指導方法が異なるということです。
昨日まで、「Aというやり方でやりなさい。Bではダメです」と言われていたものが、「Aではダメです。Bというやり方でやりなさい」ということがあります。
これは会社勤めなど、組織にいらっしゃるご父兄ならば、上司が変わると、ガラッとやり方が変わるのと同じです。
それはそれで、人心一新という点ではいいでしょう。
そうは申しても、2か月や3か月という短期間に、クルクルと上司が変わってしまったら、ご父兄は対応できるでしょうか?
大人でもそれはできないはずです。
であるならば、精神的にも経験上も、発達途上にある10代そこそこの子供がそういう状況に対応できるはずがないのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ちなみに、我が家の場合、娘に関して申せば、2歳10か月のころから、中1の夏休みまで、公文に通っていました。
保育園から、小学校に上がる際、通塾の便を考えて、一度、小学校の近くの公文教室に変えたことがあります。
また中1の夏休みから、高1の夏休みまでは、某所にお世話になり、その後、別のところにお世話になりました。
中1の夏休みで転塾したのは、公文で培った基礎を踏まえ、受験というものを意識しなくてはならないと考えたからです。
高1で転塾したのは、学習内容に対応できないということでした。
わたしもこういう仕事をしているため、ご同業の受験関係者のいろんな部分が見えます(笑)
しかし、不足しているところは、わたしのほうでいろいろと補うようにしていました(まあ、それがわたしの職業でもありますので.....)
「菊池は学習指導を職業としているから、そういう芸当ができる」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。
確かにそうかもしれませんが、子供をお任せする以上、基本的に相手を信頼して預ける必要があります。
どうしても不満が出るというなら、そもそも他人に任せず、ご自身で教えるのが最善です。
ただ、そうなれば、プロでない方が教える場合、成績の保証はできません。
うまくいかない場合は、誰のせいにもできません。
転塾というのは、その塾の考え方や環境などに大きな不満があるときや、対応できない部分が出てきたときに検討すべきことです。
あちらこちらと「いい塾を求める旅」は下策です。
子供は、生身の人間であって、着せ替え人形ではないからです。
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テレビなどのコマーシャルを見ていると、ライザップという会社の広告がちょくちょく流れてきます。
体重がかなり増えてしまった芸能人が、しょぼくれた出で立ちで現れ、減量に成功した姿が画面いっぱいに映し出されるというコマーシャルです。
ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。
あのライザップでは、当然のことながら、受講者はプログラムに組まれたように食事制限、トレーニングをしなくてはなりません。
受講者は苦しい思いをして、いろんな誘惑に打ち勝ち、そうして初めて結果が出ます。
そうでもなければ、あのような結果は出ません。
そうした意味で、ライザップが「ジム」「道場」であることは疑いがありません。
これをお読みの多くの方も、ほぼ異論のないところでしょう。
一方、「病院」という施設は、「ジム」「道場」とは少しシステムが違います。
入院するとなれば、基本的にやることは「受け身」です。
担当医師や看護師さんの指示に従って、手術を受けたり、薬を飲んだり、検査を受けたり、安静にしていなくてはなりません。
患者としてできることは、そうした治療の苦痛に耐えることだけです。
ただし、リハビリのように、自らが積極的に治療するという意志が必要なものもあります。
では、塾・家庭教師といった受験産業は、「ジム」「道場」なのか、それとも「病院」なのかと言われれば、疑いもなく「ジム」「道場」です。
ただ授業を聞いているだけで、成果は出ません。
ライザップで、体を動かし、食事制限を守らなければ、成果が出ないのと同じです。
「病院」の薬のように、「自分でない誰かが、自分の知らないうちに、寄ってたかって成果を出してくれる」というものではありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
塾・家庭教師といった受験産業は、「病院」ではなく、「ジム」「道場」なのだというのは、前回述べたとおりです。
しかしながら、意外とこの点をお分かりになっていらっしゃらない方が多いように思います。
多くの場合、生徒さんが自分から塾・家庭教師につきたいと、手を上げることはありません。
親から言われたわけでもないのに、自ら進んで、「やってみたい!」と言う生徒さんは、例外的です。
そのため、どうしても塾・家庭教師=「病院」という感覚を持ってしまいがちです。
これは致し方がないように思います。
あとは、指導を通じて、塾・家庭教師とは「病院」ではなく、「ジム」「道場」であることを理解してもらうようにします。
ところが、ご父兄の場合、生徒さんと違って、なかなか「指導を通じて.....」というわけには行きません。
こういう文章を目にして「そう言われれば、なるほどその通りかもしれない」と感じることはあっても、自覚することはなかなか難しいです。
塾・家庭教師は、しかるべき指導料を払ってしまえば、それでメキメキと子息の成果が出るわけではありません。
生徒さんが、自分の頭で考え、演習を積むということをしなければ、成績が向上することはありません。
ですから、塾・家庭教師の指導者は「先生」と呼ばれはしますが、「病院」の「先生」とは、その点で一線を画します。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
ご父兄が、塾・家庭教師といった受験産業を「病院」のようなものと誤解してしまうのは、実は、受験産業側にも一端の責任があります。
受験産業従事者は、自分たちが実は「ジム」「道場」であるにもかかわらず、意識的に、あるいは無意識のうちに「病院」然として振舞ってしまうということが少なくありません。
外に向かって自らの存在を宣伝する場合は、自戒の念を込めて申し上げると、わたしも含めて、どうしてもライザップのコマーシャルのように、「うまくいった例」だけをアピールしがちです。
ライザップの場合、そこは「ジム」「道場」であると、ほとんどの人が認識しています。
そのため「受講者も相応の努力をしなければ、ああいうふうにはならない」ということはよく理解できます。
しかし、受験産業の場合、実態は「ジム」「道場」であるにもかかわらず、そういう意識がご父兄の間で自覚されにくいです。
それだけに、
「これだけいろんな塾・家庭教師についても、さっぱり成績が変わらない。子供にもっと合ったところはないものかしら?」
「長い間、塾へ通わせているのに、子供が全然やる気を見せない。全くやる気のない子に、やる気を出させるのが、プロの仕事なのに.....」
となりがちです。
これなどは、受験産業=「病院」と誤解しているゆえに出てくる発想です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べたことに、「理屈としては分かるが.....」とお感じのご父兄もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そのようにお考えになるご父兄も、学生時代を経ていらっしゃいます。
「周りがいくら言っても、自分がやらなくちゃと思わないと、成績は上がっていかない」ということは、よくお分かりのはずです。
であるなら、次のような人がいたらどうお感じなりますでしょうか?
ライザップに通いながら、全く痩せようという努力をせず、トレーナーの指示にも従わない.....
「全く痩せる気のないわたしを、どうにかして痩せようという気にさせてくれるのが、ライザップの仕事じゃありませんか?」と言ってくる.....
「気は確かか?」と、多くのご父兄は感じるのではないでしょうか?
であるなら、受験産業にもそれと同じことが当てはまります。
もちろん、わたしは、受験産業が通常の「ジム」「道場」とは異なることは十分に認識しています。
依頼者がご父兄で、指導を受けるのは子息であるという点がライザップとは異なります。
とは申せ、そういう事情を勘案しても、塾・家庭教師は「ジム」「道場」であり、「病院」ではないという事実は、いささかなりとも揺るぎません。
よって、受験産業従事者がいくら心を砕いて「病院」のように振る舞おうとしても、それには限界があります。
塾・家庭教師は「自ら助くる者を助く」のです。
受験に「特効薬」は存在しません。
受験産業は「病院」になれません。
受験産業は「ジム」であり「道場」なのです。
今回は、「仙台二高 入学後の心得」と題して発表したコラムの続編というべき記事です。
先輩であるわたしの生徒さんが、仙台一高の新入生へ向けて、心得などを語ってくれました。
以下、その生徒さん(本文中は、Bくんと記します)へのインタビューを掲載します。
<入学後に大切なこと 一番ハードな科目>
◎菊池:
今回は、ご協力、ありがとうございます。
一高の新入生にとって、この時期、一番大切なことは何だと思いますか?
☆Bくん:
最初はいろいろと慣れないことが多いので、新しい環境にとにかく慣れることだと思います。
それから、勉強のモチベーションを保つことです。
◎菊池:
確かに新しい環境に慣れることって、大切ですよね。
勉強のモチベーションもそうですし.....
勉強の中で、高校に入ってから、一番大変だった科目は何ですか?
☆Bくん:
数学です。
中学校とのギャップが激しいのが数学です。
一高の場合だと、一番初めの小テストで、自信がなくなってしまうのが一番怖いです。
◎菊池:
小テストですか?
☆Bくん
はい。
一番初めの小テストは、5月の上旬にあります。
定期戦(筆者注:仙台二高との野球定期戦のこと。ほぼ全校生徒が試合の応援をする)の直前くらいです。
◎菊池:
あ~、小テストですね。
一高の小テストって言うのは、名前は小テストですけど、かなりガッチリした問題が出ますからね。
いつもそうですが、一高の小テストは難しいですからね。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎菊池:
数学のほかに大変な科目と言うと?
☆Bくん:
化学です。
化学も覚える量が半端ないです。
◎菊池:
化学ですか.....
一高は、1年生のとき、理科は化学をやりますよね。
物理は2年生になってからですよね。
一高に限らずですが、化学が大変だというのはよく聞きます。
今、化学が「半端ない量」だって言いましたが、どのくらい「半端ない量」でしょう?
中学のときと比較して。
☆Bくん:
中学校の5〜6倍はあります。
「こういうのを覚えなくちゃならないの?」っていう感じで.....
とにかく覚えるしかないんで.....
◎菊池:
わたしも高校生を教えていて、ときどき「化学が分からないんで、教えてほしい」と言われることがよくあります。
なかなか対処はできないんですが(笑)
英語はどうですか?
☆Bくん:
英語は、段々大変になってくるっていう感じです。
最初のうちはそうでもないですが、覚えなくてはならない単語がジワジワと増えていきます。
◎菊池:
確かにこれはそうですよね。
数学とか化学みたいに、最初から分からなくなるって言うことはないですが、段々大変になってきますよね。
分かります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
<学校生活 生活面など>
◎菊池:
学校の生活面で、新入生のとき、どういうのがきつかったですか?
☆Bくん:
部活と、勉強と、応援歌指導の3つをやらなくちゃならないのが結構きついです。
◎菊池:
そこは二高と似てますね。
応援歌指導はどのくらい練習するんですか?
☆Bくん:
1日1回、昼休みにやります。
◎菊池:
学校生活で、特徴的なことは?
中学のころと比べて.....
☆Bくん:
みんな、頭よく見えます。
実際そうなんでしょうが.....
それから、行事とか、とにかく全部が新鮮に見えます。
刺激があります。
行事とかは、ちょっと何て言ったらいいのかよく分かりませんが、刺激があります。
◎菊池:
なるほど。
いろいろと参考になりました。
ありがとうございました。
以上が、インタビューです。
インタビューの中の「一高の行事は刺激が多く、新鮮に見える」という点を補足しておきます。
一高はかつて旧制中学の伝統を持つ男子校であり、長く県内最難関という地位にありました。
そのため、生徒間に独特の気風があり、行事などにもそれが色濃く反映していました。
一高は「自主自律」という校風があり、自由度が高い校風があります。
それは二高と比べても、学校生活の面で縛りが少ないように感じます。
中学のころと比べて、「刺激が多い」と感じるのも、ある意味、当然でしょう。
ただ、自由と気ままをはき違えないようにするのが肝要です。
「定期試験で400点が超えられること」
高校受験において、中堅上位からトップ校を狙っている生徒さんの実力を判断する場合、この点をわたしは判断基準の一つにしています。
もちろん、試験によって難易度は変わってきますが、基準の一つにはなります。
その際、ちょうど400点辺りを行ったり、来たり、あるいは、あと一歩届かず、という生徒さんも多く見てきました。
今回のコラムでは、そういう生徒さんは、常時400点越えをしている生徒さんと、どこがどう違うのかについて、3点、書いてみることにいたします。
まず第一に、400点越えのできない人の場合、問題文を読み間違えたり、あるいはしっかり読んでいないなど、「国語力の違い」を感じます。
特に感じるのは、問題文の読み違いです。
さすがに易しい問題であれば、彼らは間違えません。
ところが、複雑な文章や思考力を要するような書き方をされると、ちょくちょく読み間違えをします。
例えば、「A君の背丈はB君より大きい」というのと、「B君は、身長において、A君にかなわない」というのは、「同じ」ことを言っています。
しかし彼らは、この2つの文章が「違う」と判断して、その結果、間違った答えを書いてしまう、といった具合です。
こうした間違いをした彼らに、そう解答した理由を尋ねると、結局のところ、読み間違えをしているということが分かります。
もちろん、400点越えの人も、読み間違えをすることがあります。
が、頻度としては、400点を超えられない人のほうが多いです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第2点目としては、「間違い」というものに対する意識の差です。
400点越えのできている人、特に一高や二高を狙う人たちにとって、「間違い」というのは、「あってはならないもの」です。
ですから、彼らが「間違い」をすると、決して放置しません。
なぜそこが間違いなのか、次から間違わないようにどうすればいいのか、ということをきちんと考え、次に生かしています。
逆に400点越えのできない人を見ていると、その点に甘さがあります。
同じような間違いをしたりすることもしばしばです。
問題の読み間違いと並んで、「間違いというのは、あってはならないもの」という意識がどうにも希薄なような気がします。
それゆえ、同じ間違いでも、「まるっきり遠い間違い」というわけではなく、「もう一歩のところで正解に届かない間違い」が多いです。
そのせいか、しばしば答案に書く字を間違ったりもします。
例えば、江戸幕府3代将軍「徳川家光」を、足利義満との類推で「徳川家満」といった風にです。
「徳川家光」を「徳川家満」と書いてしまうと、点数としては0点です。
ですから、400点越えをしようと思ったら、「間違いには徹底して敏感になる」という姿勢が必要です。
「まるっきり遠い間違い」だろうが、「もう一歩のところで正解に届かない間違い」だろうが、「間違い」であり、0点であるには変わりありません。
能力的にトップクラスにかなわないと思ったら、
「次に間違わないようにするにはどうしたらいいか」
「どうやったら間違いが減らせるのか」
を常に頭に入れて学習に臨まなくてはなりません。
それができなければ、いつまでも「400点越えのできない人」で終わってしまいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
第3点目としては、苦手科目を勉強していない、ということが挙げられます。
誰しも苦手からは逃げたいです。
それはわたしもそうです。
トップクラスの生徒さんにも苦手科目を敬遠するという傾向はあります。
「400点越えのできない人」は、こちらから見ていると、明らかに苦手科目の勉強を疎かにしています。
「いや、やってます!」という人もいるかもしれません。
しかし、課題のでき具合を見たり、指導の際にやり取りをしていると、「この科目、ちゃんとやってないな」くらいのことは、こちらとしても見通せます。
苦手科目は苦手であるだけに、どうも深く掘り下げてやらなくてはならないという感覚が足りていません。
気の抜けたコーラよろしくフワフワとした気持ちで漫然と学習を続けていても、なかなか目標には届かないのです。
定期試験は、5教科どの科目も平等にそれぞれ100点ずつです。
そして試験は、「当たる」ことより「いかに間違わないか」に意識を集中するほうが好成績を収められます。
であるなら、歯を食いしばって、苦手の克服をする以外に方法はありません。
「自分はこれだけ頑張って、いろいろやっているのに、どうしても苦手科目が克服できません。
どうしたらいいですか?」
と胸を張って言えるようにしてください。
その水準まで行けば、400点越えはできます。
400点越えが可能かどうかは、「ちょっとした意識の差の積み重ね」です。
ホントに、ホントに、「ちょっとした差」です。
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