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定休日:日曜日
学校が新学期ということで、新規お問い合わせも入ってきています。
ご愛顧、誠に感謝いたします。
今回のコラムでは、「お問い合わせのホントとホンネ」と題して、お問い合わせのあったときに感じたことなどを書いてみます。
まず、ご父兄からお問い合わせがあったとき、結構な確率で聞かれるのが、「菊池本人が来るのか、それともほかの誰かが来る可能性があるのか」ということです。
答えとしては、「菊池本人が指導に伺う。ほかに人はいない」ということになります。
そもそも、わたしの場合、誰か自分以外の人を派遣するという想定で動いておりません。
一部の例外はありますが、わたしと同様のお仕事をなさっている方は、わたしと事情は同じです。
わたし以外の人を派遣するということであれば、「プロ家庭教師菊池」という屋号以外の名前を使うと思います。
たぶん「プロ家庭教師菊池」というようなストレートな名前でなく、もう少しパンチが効いて、成績の上がりそうな言葉を看板に掲げることになるでしょう。
指導依頼をなさるご父兄としても、菊池が来るのか、菊池以外の人が来るのかは、大きく違うはずです。
この点については、「菊池本人が伺います」とご父兄にお伝えすると、安心していただけるようです。
わたしがご父兄の立場になったことを考えると、合点がいきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
また、お問い合わせを下さるご父兄は、わたしのコラムを以前から読んでくださっている方がかなりいらっしゃいます。
「3年前から読んでいます」
「コラムはさかのぼって、全部読みました」
という感じです。
わたしからすると、非常にありがたく、また非常に照れくさいです。
「こうして読んでいただいて、ありがとうございます」
と言いながら、布団で頭をスッポリ覆ってしまいたい気分になります。
このサイトには、多いときで1日に800人近くからのアクセスがあります。
ここ最近は、1日500〜600人のアクセスです。
コラムをずっとお読みくださるご父兄からのお問い合わせは、非常に話が早いです。
わたしのことを一からご説明しなくても、だいたいのことはすでにお分かりいただいています。
ご父兄からすれば、指導依頼をしようとする菊池がどんな人間かというのは、大きな関心事です。
わたしの人となりは、コラムを2週間分くらいお読みになれば、おおよそのことはお分かりになると思います。
また、youtubeでも受験情報を配信しています。
そういうものをお読みになったり、ご覧になったりすると、菊池に対する理解も深まって行くのではないでしょうか。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしのこれまでの合格実績にある通り、二華中・青陵中やナンバースクール狙いという生徒さんは比較的多くなっています。
ご同業の方々と比べても、そういう生徒さんの割合は高い傾向にあると思います。
ただ、もちろんそういう生徒さん専門というわけではありません。
むしろ勉強はどちらかと言えば苦手という生徒さんのほうが多いです。
勉強は苦手であっても、「菊池の指導を受ける意思がある」という生徒さんであれば、ご依頼はお引き受けしています。
一方、「子供のやる気がないのでどうにかして下さい」というご依頼はほとんど来なくなりました。
わたしは繰り返し、「やる気がない生徒さんのお引き受けはできない」とこの場で語っているせいなのかな?とも感じています。
ビジネスという観点からホンネを言えば、「どういう生徒さんでも引き受けます!」と語るほうが、わたしの収入は増えるのです。
しかし、わたしの指導を受ける気のない生徒さんに何とかして振り向いてもらうには、膨大なエネルギーが必要です。
神経を痛めながら指導料をいただいても、わたしの心労は金銭に代えられません。
そうなっては、ご父兄・生徒さん・菊池、誰も幸せになりません。
お問い合わせを下さる際は、以上のような点を踏まえていただけると幸いです。
「中学受験」というと、当地仙台・宮城では、二華中・青陵中の受験が大きく扱われています。
その理由は、二華中・青陵中は難関だからです。
そして、大学進学実績においても、しっかりとした実績を上げているからです。
そういうこともあり、本コラムでは二華中・青陵中のことを主に取り上げてきました。
しかし、中学受験は二華中・青陵中だけではありません。
今回、わたしが書こうとしているターゲット層は、小学校の中で、真ん中〜平均よりちょい下くらいの成績の生徒さんです。
二華・青陵は、当然のことながら、トップ層でなければ合格はできません。
彼らの多くは、四谷大塚などで低学年のころからもまれてきています。
合格するのは、こういうトップ層の生徒さんです。
一方、実際の受験生というのは、真ん中〜平均よりちょい下くらいの生徒さんもそこそこいます。
ただ、当然の結果として、彼らが合格することはありません。
その辺りは、受験生たる本人も、またご父兄もほぼ織り込み済みのようです。
そういう生徒さんは、校区の中学校、あるいは東北学院、宮城学院、白百合、といったところに進みます。
ご父兄としては、「二華中・青陵中には合格できなくても、目標を持って勉強すれば、その後の高校受験にも役に立つはず」というお考えのようです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
しかし、ここには留意すべきポイントがあります。
「二華中・青陵中合格を目指さない、しかし、入試は受けてみる」という生徒さんがやっていけないことがあります。
それは、塾でやっている「二華中・青陵中コース」で勉強してしまうことです。
東京あたりの中学受験問題は、それほど難易度の高い中学でなくても、問題は相当に重量級というところがあります。
一方、二華中・青陵中の問題は、そういうところに比べると、そこまで難しくはありません。
ちょっと手を伸ばせば、解けそうな気がしてきます。
しかし、そここそが盲点です。
やって見れば分かりますが、小学校の中で、真ん中〜平均よりちょい下くらいの生徒さんは、全然歯が立ちません。
第一、問題を読んでいるだけで、途中で投げ出したくなってしまうでしょう。
そうなれば、「二華中・青陵中コース」でやっていることは、彼らにとって、消化不良になってしまいます。
消化不良になってしまうということは、やったことが身につくのではなく、やったことがムダになってしまうのです。
ムダになるということは、やっていないのとほぼ同じことになってしまうのです。
「二華中・青陵中合格は目指さないが、入試は受けてみる」という生徒さんの場合、「二華中・青陵中コース」は避けるべきです。
そして、塾で使っている非中学受験用の教材の問題をガッチリ解いていくコースを選ぶべきです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
さらに注意すべきは、「二華・青陵に受からなくても、中学受験はやったんだから」という意識です。
中学受験終了後、その後中学へ上がって、テストの結果に「こんなはずじゃなかった」となるケースが相当数あります。
真ん中〜平均ちょい下くらいの生徒さんが、二華中・青陵中受験に際して、
(1)塾の「二華中・青陵中コース」で勉強する
(2)「二華・青陵に受からなくても、中学受験はやったんだから」という意識から、中学受験終了後の学習が甘くなる
以上の(1)(2)どちらかが当てはまると、基本がガタガタになってしまいます。
そのガタガタは、だいたい中1の11月あたりに実施される定期試験までには現れてきます。
そうなってしまうと、ご父兄としては「あれだけ手間暇をかけて勉強したのに、これって一体、何なの?」と、感じるようになります。
真ん中〜平均よりちょい下くらいの生徒さんは、「二華中・青陵中向けテキスト」を使うべきではありません。
こういうテキストは、二華・青陵に合格できるだけの力がある生徒さん、あるいは、もう一歩で合格できそうな生徒さん向けのものです。
そのそも合格を目指さない生徒さんが使ってもいいことはありません。
小6用の標準的塾教材で、基本問題が7割取れる実力を維持していけば、中学入学後に慌てなくて済みます。
せっかくの中学受験の機会を今後に生かしていきたいものです。
動画へのリンクはこちらから
仕事柄、ネット上における受験情報、受験に関する発言にはおのずと関心が行きます。
そういうものには、高学歴者であって、受験関係者でない人たちのものが意外なほどたくさんあります。
例えば、ホリエモン氏なんかも、ちょこちょこ受験に関する発言をしています。
確かにこういう人たちは、高学歴です。
当然のことながら、勉強はできたはずです。
ですから、ホリエモン氏のような高学歴者がこう言っているということは、正しいんだろうな、と世間様は受け止めるでしょう。
しかし、彼のような人は、受験のプロというわけではありません。
ですから、わたしのような者から見ると、時としてピントの外れた見方、考え方をしていることがあります。
まあ、それは仕方がありません。
自分が経てきた受験体験と、受験を職業にする人との感じ方の違いは当然あります。
ただ、受験については、自分の経験だけからしか語れない人たちの声が大きいせいで、ときどき困ったことも起きてしまいます。
その「困ったこと」というのは、受験の現場を知らない人たちが制度設計をするせいで、当の受験生やご父兄が大弱りしてしまう場合です。
一昨年の「大学入試共通テスト」の導入に至るゴタゴタは、その典型です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
受験に関してネット上やマスコミで発言する人というのは、受験関係者以外には、高学歴者が多いです。
受験といえば、東大に代表される難関が世間様の大きな関心事です。
そのため、難関どころの動向は、大きく取り上げられます。
しかし、受験=難関ではありません。
実際は、難関以外で受験をするという人たちが、圧倒的多数です。
特に学習の苦手な人たちの層となると、高学歴者は絶対に想像できない現実があります。
ただそれは仕方がないことです。
わたしも、こういう仕事をしていなければ、決して知りえないような現実を多く目にしてきました。
高学歴者が、ネット上で現実から遊離したような談義をするくらいなら、大した実害もありません。
が、そういう高学歴者が権力を持ち、「オレが理想の入試制度を作る」と息巻くと、大変なことになります。
「大学入試共通テスト」を推し進めた下村元文科相などは、その典型です。
「共通テスト」が、当初のように行かないことが決まった後、下村氏の発言を読んでみました。
感想としては、「この人、全然懲りてないんだな」ということでした。
わたしには、下村氏が理想に走って、権力を振りかざし、結局のところ現場を混乱させたとしか映りません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
受験指導に関して申し上げますと、当コラムを長期間にわたってお読みくださっているご父兄の中には、
「菊池って、数学は途中式を省かずに書けとか、基礎は大事にしろだとか、分かり切ったことを繰り返し言ってるな。
こういうことを繰り返し言う必要あるの?
分かり切っているのに」
と感じた方がいらっしゃるかもしれません。
そうお感じになるというのは、たぶん、ご自身が高学歴で、受験指導をなさった経験のない方です。
そもそも一を聞いて十を知るタイプの生徒さんを除けば、圧倒的多数は繰り返し言って聞かせたり、教えたり、させてみせても、そうそう手際よく覚えてくれるものではありません。
テレビなどのコマーシャルが、あれほど同じことを繰り返すのにも、それなりに理由があるのです。
まして、受験勉強などと言うのは、おもしろおかしいものではありません。
彼らの試験の点を上げるためには、愚直に繰り返す以外に方法は存在しません。
そして同じことを飽きもせず、そしてあきらめずに語る「寛容と忍耐」が必要です。
高学歴者の方は、「自分は世間一般の人に比べると、かなりの少数派だ。自分の価値=世間の価値ではない」ということを認識していただくと、いろんなことが少しよくなっていくような気がします。
あくまで「気がする」だけですが.....
数学の計算ミスに関しては、これまでたびたび取り上げてきました。
今回は、この計算ミスに関するネット情報について、わたしが考えていることを書きます。
このネット情報は、youtube動画でも、あるいは文字で書き表したものであっても、様々な情報があります。
これらは、わたしから見ても、実にすばらしいものです。
「その通り! やっぱりすごいな! 現場をよく踏まえているなあ!」と感じるものばかりです。
こういう情報で語られることを実践できたら、数学での計算ミスは確実に減っていくはずです。
しかし、大変申し訳ないのですが、これらの情報には大きな欠点があります。
情報のほとんどは、「できる人向け」「ある程度できる人向け」です。
つまり、数学の苦手な人に向けたものではないということです。
事実、youtube動画での情報は、難関大学を突破するためのものが、7〜8割くらいです。
ということは、数学の苦手な人がこういうネット情報を見ても、使えるところはあまりありません。
せいぜい「途中式をきちんと書く」くらいです。
誤解されると困りますが、わたしはこういう情報の発信者を非難しているわけではありません。
数学の苦手な人(苦手の度合いにもよりますが)が、こういう貴重な情報を試してみようとしても、生かしきれないということを申し上げたいだけです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、数学の苦手な人が計算ミスをする原因は何なのか.....
「数学の苦手な人」にも決め方によりますが、ここでは、公立小中学校で、平均まで取れないという生徒さんということにしてみます。
そうすると、計算ミスの原因は大きく分けて2点です。
(1)計算の基本ルールが身についていない
(2)そもそも計算ミスをなくそうと考えていない
わたしの経験から申し上げますと、(1)(2)両方当てはまるというケースが圧倒的に多いです。
そもそも数学ができなくなってしまうと、計算ミスをどうにかしようなどということも、考えなくなってしまうようです。
そして、「ある程度数学ができている」という生徒さんでも、「そもそも計算ミスをなくそうと考えていない」というケースは意外に多いです。
つまり、こういうケースは、ネット情報を活用する以前のお話なのです。
当然のことながら、こういうネット情報は、「ある程度数学ができている」「数学の計算ミスを何とかしたい」ことが前提です。
こういう下地のない生徒さんは、せっかくの情報もまるっきり活用できません。
もっとも、計算ミスをなくそうと考えていない人が、こういう貴重な情報を見ようなどとは思わないでしょうが.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
公立小中学校で、平均まで取れないという生徒さんは、しばしば計算ミスのことを「凡ミス」といいます。
「凡ミス」というのは、「取るに足らないミス」ということで、「ケアレスミス」とも呼びます。
彼らは、計算ミスをするたびに、「またやっちゃった」という表情をします。
あまり深く意に介していないようです。
しかし、わたしが見る限り、「凡ミス」はもっと根深いものがあります。
「計算の基本ルールが身についていない・・・理解不足そして演習不足」
「そもそも計算ミスをなくそうと考えていない」
これらがガッチリ骨がらみになっています。
計算ミスを「凡ミス」といい、「性格的なところを直せば、計算ミスは少なくなる」「計算ミスは大したことない」と考えている限り、計算ミスは絶対に少なくなりません。
そして、そのように考えているのは、生徒さんだけでなく、ご父兄にも多いです。
これはたぶん、ご父兄ご自身も生徒だったころには、そういう考えで数学に臨んでいたためなのかとも思います。
「ちょっと何とかすれば計算ミスが減る」というのは、数学がよくできる生徒さん限定です。
この計算ミスというのは、ご父兄や生徒さんが考えている以上に大きな問題を抱えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までのコラムで、わたしは主として数学があまりできない生徒さんのことについて述べました。
では、ある程度以上できる生徒さんはどうかと言えば、こういう生徒さんの中にも計算ミスはちょくちょくあります。
彼らはさすがに「計算の基本ルールが身についていない」ということはありません。
しかし、そういう彼らも「エ?」というようなミスをすることがあります。
その原因の最大のものは、過信であり、慢心です。
彼らは数学的能力が高く、ファインプレーをします。
その一方で、信じられないようなエラーをちょくちょくする生徒さんがいます。
彼らは数学での成功体験があります。
そのため、「自分はある程度数学ができるし、得意だ」と思いこんでしまうのです。
そう感じてもらうのは自由です。
実害がなければ。
が、そのことで計算がいい加減になり、実害が出てしまうなら、何とも不幸です。
ほんとうに優秀な生徒さんなら、計算ミスも皆無とは言いませんが、かなり少ないはずです。
そうした中で、ポコポコと計算ミスが出ているということは、そのやり方ではダメだということです。
これは、やり方というより、彼らの心構えから起きる問題です。
ネット情報は、彼らの過信、慢心を指摘してくれません。
こういう生徒さんには、「数学における謙虚さ」が何より必要である気がします。
新学期は始まっていますが、このところ、お問い合わせが続いております。
家庭教師という指導形態は、塾にちょい遅れでお問い合わせのくる場合が多いです。
例年ですと、この時期に8割近くは指導日程がふさがっていました。
今シーズンは、前シーズンに受験生が多かったことがあり、いつも以上に春休み時点での空きがありました。
平日の夜の時間帯というゴールデンタイムは、埋まりつつあります。
土日の指導枠も埋まってきています。
ご父兄のほうからすると、「どの時間帯、どの曜日が埋まってるの?」という疑問はあると思います。
しかし、「空き」と案内していても、お住まいとその後の移動の都合で、その時間にお引き受けできないケースがあります。
また、「埋まっています」と案内していても、他所との交渉次第でお引き受けが可能なケースもあります。
そのようなわけで、具体的な空き具合については公開しておりません。
その代わり、平日はまだお取りできるとか、夜の時間帯はもう取れないなどと言った形で案内をしています。
「空き」と案内しながら、引き受けができないならば、それはご父兄にウソをついたことになってしまいます。
そのようなトラブルを避けるための措置とご理解ください。
お問い合わせはこちらからも可能です。
お問い合わせの際は、お電話よりメールのほうが確実に対応できます。
よろしくお願いいたします。
動画へのリンクはこちらから
今回のコラムは、偏差値55以上の新高1生に向けたものです。
「偏差値55以上」というと、ナンバースクール、向山、館山のような準ナンバー、ウルスラのtype1,2や育英特進などです。
以前、わたしはこの件について、↓のようなコラムを書きました。
新高校1年生の生徒さんへ 〜入試はまだ終わっていませんよ〜 その1
新高校1年生の生徒さんへ 〜入試はまだ終わっていませんよ〜 その2
このたびは、以前に書いたもののバージョンアップ版とでも考えていただければと思います。
表題には「偏差値55以上の新高1生向け」とあります。
が、実のところ、一発目の中間試験が大切なのは、「偏差値55以上」と限ったわけではありません。
大切なのは、どの高1生も同じです。
ただ、「偏差値55以上」という新高1生の場合、高校側も、またご父兄のほうも、学習面においてはそれなりの結果を期待してきます。
さて、本題に入ります。
6月に行われる最初の中間試験がなぜ大切なのかは、結論から申し上げますと、「今後の試験の出発点になるから」です。
もちろん、今後行われる試験が、すべて6月の中間試験で決まるわけではありません。
しかし、野球でも初回を三者凡退でピシャッと抑えるのと、ボコボコに点数を入れられてしまうのとで、試合の行方はかなりの確率で変わってきます。
それと似たところがあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
新高1生が4月に入学したての頃は、毎日が緊張の連続です。
校区の中学から新高1生になった生徒さんにとり、同じ入学でも、中学と高校では相当に勝手が違います。
中学のときには、小学校から上がってくるクラスメイト、自分より勉強が苦手なクラスメイトがいました。
しかし、高校では、あまり知った顔もありません。
また勉強についても、自分と同じくらいのレベルの人たちばかりです。
そうした中で行事も部活も始まっていきます。
そして「ちょっと高校生活に慣れたかも」と感じる6月には総体があって、すぐ後に中間試験です。
総体で「先輩、頑張って! 自分たちもしっかりサポートします!」と盛り上がった後で、ガツンと来ます。
「毎日、部活が忙しくて、そっちのほうに気持ちが行ってたけど、この時期にこんなにやんなくちゃいけないことがあるの???」
.....こんな感じで6月の中間試験に臨む新高1生は相当います。
言ってみれば、そこそこ楽しい気分になっていたところに、いきなり高額の請求書を突き付けられたような感じです。
もちろん、新学期スタートからコツコツやっていたり、先取り学習の貯金がかなりある生徒さんであれば、初めての中間試験も乗り切れるでしょう。
そういう計画性もなくて、何となく学校行事に流されてしまうと、あっという間に取り残されてしまう危険があります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
高校の定期試験は科目数も多いです。
新高1生の方は、高校の教科書を受け取ったとき、
「こんなに勉強するの?
数学や英語の教科書、2冊ずつあるし.....
ほかにもワークとか、よく分かんない本もいっぱい.....」
という感想を持ったかもしれません。
定期試験は中間試験ですと3〜4日、期末試験は4〜5日かけて行われます。
その試験の間は、ありがたいことに土日祝日をはさんでくれたりするので、実質1週間くらい試験が続きます。
中学のときに比べると、期間としては長いです。
中学では国数理社英という5教科でした。
一方、高校ですと、国語は現代文・古典それぞれ試験があります。
当然のことながら、内容は中学よりも高度なものです。
偏差値55以上の高校に通う生徒さんたちなら、中学の定期試験で「どこから手を付けたらいいの?」で悩むことはあまりなかったかもしれません。
高校の定期試験は、「どこから手を付けたらいいの?」で悩む場面も出てくると思われます。
何しろ、単純に中学のときの2倍の量の試験を受けるわけですから。
「試験の量が2倍」=「勉強の内容が2倍」というわけではありません。
とはいうものの、試験の量が多ければ、当然のことながら、突っ込んだところまで問われます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
中学の定期試験には、副教材ワークがありました。
これをしっかりやっておけば、それなりの点数は取れました。
偏差値55以上の高校に通う生徒さんであれば、この副教材ワークをやりこみ、8割以上は取れていたはずです。
一方、高校では、全員が8割以上というわけにはいきません。
公立中学に比べれば、確かに生徒間の学力差はよほど小さいです。
でも、高校に入れば、その時点でトップから最下位まで順位がつきます。
一応、定期試験を想定した副教材ワークや傍用問題集は配付されます。
そこからの出題もされます。
しかし、試験の内容としては、実力試験的な要素が大きくなります。
副教材ワークも傍用問題集も、中学のときのような「親切さ」「かゆいところに手が届く」という感じではありません。
ですから、定期試験であっても、範囲は結構広く感じられます。
そして、英語・数学の進度や難易度がきつくて、国理社といった教科は十分な学習時間が取れないということになる可能性があります。
新高1生の皆さんは以上述べてきたことを頭に入れて、「初めての中間試験」に臨んでください。
そこを何とか乗り切れば、「普通の高校生活」は送れます。
どうかそれまで、大変でしょうけれども、気を抜かずにやっていってください。
応援します!
3月に行われた公立高校入試の平均点が発表されました。
具体的な数字はこちらをご参照ください。
平均点の結果は、全日制で5教科合計271.1点です。
昨年は260.4点でした。
約10点プラスです。これをどう見るか。
わたしは、「コロナ休校の影響で上下の格差が大きくなったのではないか」という風に見ています。
つまり、ナンバースクール等のトップ層は、例年通り、あるいはそれ以上に結果が出せたということです。
そして、平均から下の層は、結果が出ていなかったということです。
わたしが今回の「平均271.1点」という結果を見たときの率直な感想は、「入試は結構な手加減をした感じだったのに、平均でこれしか上がらなかったの?」というものです。
社会は前回よりプラス15.3点となっています。
一方、理科や英語は逆に平均点が前回より下がっています。
数学は問題の内容を見ると、だいぶ緩んだ感じがしました。
が、それでも平均3.1点のプラスにとどまっています。
各所からの情報によれば、ナンバースクールを始めとするトップ層は前回比べると、ボーダーラインが上がっています。
ということは、偏差値にして45から下の層は、「入試問題が易しくなっても、あまり点数が取れていない」ということになるのではないかと考えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
平均点というのは、その試験が易しいか難しいかを判断する上で、ひとつの目安になります。
しかし、例えば、こういう2つのケースだと平均点は同じになります。
(1)100人が全員50点を取る
(2)100人中、0点が50人、100点が50人
これらはかなり極端な例です。
ただ、今回の公立高校入試の結果や各所から伝え聞く数字を見ると、「上下の格差が大きくなった」と言えるのではないかと考えています。
わたしは、2月17日に配信した「公立高校入試問題 傾向は? 難易度は?」という動画で、「基本的に難易度は昨年を踏襲するのではないか」と述べました。
また、3月20日に配信したコラム「今シーズンの入試を振り返って その2」では、当初の予想を外してしまったと述べました。
一方で全体としての平均が前回と比べて、10点プラスになり、数学の平均点アップが3点程度になっています。
「上下の格差が大きくなった」というわたしの主張の根拠は、「思ったほど平均点が上がっていない」点にあります。
来シーズンについては、今シーズンより問題が難しくなるだろうと考えています。
難しくなるといっても、全員が同じ条件で試験を受ける点は変わりないです。
ですから、受験生やご父兄としては、必要以上に怖がる必要はありません。
コツコツやって、取れるものは確実にとり、そして、正しく怖がりましょう!
このたびラジオ放送への出演が決まりました。
来る4月26日(月)、コミュニティーFM放送局「なとらじ801」の番組「なとらじwide」のゲストコーナーで、電話出演します。
時間は、13:30〜14:00の中の10分〜15分間です。
内容は、新中1生の英語の負担が大きくなること、それに伴い、中学入試や高校入試がどのように変わっていくかについて述べる予定です。
興味のある方は、お聞きになってみてください。
番組はパソコン・スマートフォンで聴取可能です。
<パソコン>
「なとらじ801」のサイトにアクセスすると、「リスラジ」Listen Radioという表示が右上に出てきます。それをクリックし、「東北」→「なとらじ801」の順にクリックすると聞けます。
<スマートフォン>
「リスラジ」をクリックし、そこからアプリケーションソフトをダウンロード。
メインパーソナリティーは赤間智美さんです。
前回、なとらじ801に出たときと同じです。
前回はスタジオで生放送でした。
今回は電話出演です。
コロナ対策のためにそうしているそうです。
赤間さんのお顔が見えないと、ちょっと不安なところもあります。
まあ、その辺は、プロがうまく水を向けてくださると思います。
赤間さんのリードに従って、話すようにします。
当日、よろしくお願いいたします!
中学校は新学期がスタートしています。
新中1生にとっては、毎日が新しいこと、緊張の連続で精神的な疲れがたまる日々です。
新中1生をお持ちのご父兄にとって、「まずは子供が中学校に慣れること」というのを最優先に考えていただきたいと思います。
一方、そういう折ではありますが、「うちの子、ナンバースクール、狙えるかも? 入ってほしい」と、心密かに感じておいでのご父兄もいらっしゃるかもしれません。
今回のコラムでは、そうしたご父兄向けに、ちょっと早いかもしれませんが、「3年後の英語の高校入試」について触れてみます。
まず、ご存じのご父兄もいらっしゃるかと思いますが、今年度、中学校の教科書の改訂がありました。
その改訂で、特に英語の負担が大きくなります。
実際に子息の英語の教科書を手に取ってご覧になってみると、「エ? 中1のショッパナでこんなにやっちゃうの?」と驚かれるはずです。
実は、受験関係者の多くも、驚いたり、戸惑ったりしています。
そして、中学校の英語の先生も、戸惑っておいでの方が多いようです。
新中1生は、すでに小学校のころから、英語を国語や算数と同じような「教科」として学んでいます。
ですから、新中1生の英語の教科書も、その延長線上にあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べた点を踏まえると、ご父兄としては、「うちの子が高校入試を受けるとき、英語の試験はどうなるの?」という疑問が出てくるかもしれません。
それに対して、わたしの現在の見方は次の通りです。
(1)今までの入試より、長文化、難化する
(2)長文化、難化はするが、べらぼうな長文化、難化はしない
(3)言葉は悪いが、「改訂元年」ということで、「実験台」になる
(4)現在の小6生以降が取り組む高校入試は、3年後の英語の入試のでき次第で、修正されていく
ここでいう「難化」というのは、扱う単語の数や文法事項が増えることを指します。
文科省の学習指導要領によると、ご父兄が中学生だったころに比べて、約2倍の単語を覚えることになっています。
さらに、教科書を見ても、ページ数当たりの文章量が多く、長くなっています。
ですから、単純に考えて、入試にも長文化、難化の波が押し寄せることが十分に予想されます。
文科省の考えによれば、中3生は「今までの中3生」でなく、「英語をすでに5年勉強している」ことになるからです。
とはいうものの、これまでは高校で扱ってきたような単語が、いきなり公立高校入試にビシバシと情け容赦なく出されるという状況も考えづらいのです。
上で予想した「長文化、難化はするが、べらぼうな長文化、難化はしない」とはそういう意味です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
いま受験産業界隈では、新中1生の英語難化に関して、「大変だ! 大変だ!」の一色です。
これについては、わたしも同じように感じています。
しかしこうした風潮の中であえて付け加えると、新中1生の英語が難しくなるのは、ナンバースクール狙いのトップ層にとって、長い目で見ると得策なのではないかと考えています。
それというのも、今回の改訂は「強者をより強くする。弱者は切り捨てる」というものだからです。
ナンバースクール狙いの層にとって、今回の改訂でへこたれることはないでしょう。
二華中・青陵中のような中高一貫は、これよりキツいカリキュラムでしたから。
ただ、「へこたれることがない」というのは、「早めに準備をしておく」という前提付きです。
「早めの準備」というのは、「高校入試を見越して、早めに受験指導者につく」ということです。
「なんだ、そこか...」このようにお感じになった方がいらっしゃったかもしれません。
はい、そうです。
そこです。
ナンバースクール狙いの生徒さんですと、小学校のころから塾や英語スクールなどで英語をやっているケースはかなり多いです。
そして、初歩の段階で英文法のルールをしっかり理解できていないと、あとあと確実にジ・エンドです。
以上書いたことは、小学生以下の子息をお持ちのご父兄にもそれなりに参考になると思います。
今回のコラムでは、二華中・青陵中の新入生と、公立小中で学習の苦手な生徒さんの違いについて取り上げてみます。
二華中・青陵中の新入生というのは、優秀な生徒さんたちです。
押しも押されもせぬトップです。
その一方で、公立の小中学校には、学習が相当に苦手な生徒さんも一定数います。
「二華中・青陵中の新入生vs公立小中の下位層 どこがどう違う?」
もちろん、多くのご父兄は、何から何まで違うのはお分かりかと思います。
しかし、「この2つのグループを比べることで、受験に役立つことはないか?」と考えたのが、今回のコラムです。前置きが長くなりました。
以下、本題です。まず、「二華中・青陵中の新入生」と「公立小中の下位層」には、共通点があります。
それは、どちらも「素直な生徒さんが多い」ということです。
「二華中・青陵中の新入生」に素直な生徒さんが多いというのは、言わずもがなです。
「公立小中の下位層」も素直な生徒さんが多いです。
特に、中学の定期試験で5教科100点まで行くか行かないかという生徒さんになると、素直な生徒さんが多くなります。
そして、そういう生徒さんの多くは、まじめで、温和です。
むしろ、指導に手を焼くのは、150点から200点あたりの男子生徒です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、「二華中・青陵中の新入生」と「公立小中の下位層」の違いはどうでしょうか。
まず、当然のことながら、能力の差は歴然としています。
これはスポーツの得意不得意、体が丈夫か弱いのか、など、生まれついてのものが大きく関わってきます。
これは、本人の力ではどうしようもありません。
そして、それ以外に感じるのが、「知識量の差」です。
「二華中・青陵中の新入生」は、同じ学年の平均的な生徒さんに比べて、ボキャブラリーが豊富です。
知識量もあります。
わたしはこれまで、二華中・青陵中の合格者、また在校生に指導をしてきました。
それを見て感じるのは、「二華中に合格するくらいの生徒さんは、とにかくいろんなことを知ってるな〜」ということです。
もっとも、そうでもなければ、ああいう入試問題には対応できないと思います。
彼らは、平均的な高校生に比べても、知識量はかなりあります。
そういう知識というのは、何となくつくものではありません。
彼らが百科事典を見たり、読んだり、あるいはテレビ番組でも、知識系のテーマを扱ったものを見たりしているのは、よく分かります。
彼らは、「周りのものへの関心」というのが、自然と身についているといった感じです。
ボキャブラリーも豊富であるため、知的情報も吸収しやすいのでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
他方、「公立小中の下位層」の生徒さんについては、知識量の少なさをものすごく感じます。
例えば、太陽が東西南北どの方向から登って来るか分からない.....
そもそも東西南北とはどういう方向を示すのか分からない.....
こういう中3生は珍しくありません。
そういう生徒さんは、当然、地図上の方角が理解できません。
彼らのボキャブラリーの少なさについてはもちろんです。
知識量が少ない→ボキャブラリーが少ない→理解できる事柄が少ない→知識量が少ない(以下ループ)という循環を繰り返しているようです。
そのためか、彼らの興味関心というのは、同じ年齢の平均的な生徒さんたちと比べると、かなり狭い範囲に限定されています。
現在行われている学校の試験は、単に習っていることを覚えれば事足りるわけではありません。
応用的な問題になればなるほど、「知識量」がモノを言います。
そして、そういう「知識量」が多ければ多いほど、受験のときには強くなります。
ご父兄にとって、モノを知っている生徒のほうが、受験に強いだろうということは、常識的にお分かりかと思います。
小さいころから百科事典的な知識を多く持てば持つほど、受験には有利です。
「二華中・青陵中の新入生」と「公立小中の下位層」の生徒さんを比べながら見ていると、それを実感します。
動画へのリンクはこちらから
4月も何だかんだでもうすぐ終わります。
ゴールデンウイークも間もなくです。
多くの中学生は、勉強モードという感じではないかもしれません。
そういう時期ではありますが、今回は定期試験で5教科400点の取れる中学生にスポットを当てます。
400点以上の取れる中学生というと、だいたい全体の25%から30%の間です。
そして、450点以上の取れる層となると、全体の5%から10%の間というのが、だいたいの相場です。
このように考えてみると、400点の取れる中学生にとって、450点の壁というのは大きいです。
わたしから見て、450点以上の取れる中学生、その壁が突破できない中学生がどのように違うのかについて述べてみます。
まず、最大の違いというのは、そもそもの能力、言い換えると、生まれ持っての力です。
この「そもそもの能力」がなければ、450点の壁は突破できません。
まじめに努力している生徒さんにとっては残酷な話です。
しかし、これは事実です。
この事実を踏まえた上で、以下、話を進めます。
「450点の壁」を超えられるのは、「満点を取る気持ちで試験に臨んでいる」生徒さんだけです。
400点は取れるが、450点が取れないという生徒さんは、この姿勢がありません。
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(前回の続きです)
「450点以上を目標」と思って、その通りに450点取れるという生徒さんはかなり少ないはずです。
「450点以上を目標」と考えていたら、430〜440点あたりに落ち着きます。
「450点以上取っている」という生徒さんたちは、ほぼ例外なく満点を取る気持ちで試験に臨んでいます。
彼らは口に出して「自分は450点以上取る」ということはあまり言いません。
しかし、彼らがどういう姿勢で試験に臨んでいるかは、普段の学習姿勢、ちょっとした場面で口にしたりすることでおおよそのことは分かります。
それから「450点以上取れている生徒さん」と「450点取れない生徒さん」との差で感じるのが、「450点以上取れている生徒さん」のミスの少なさです。
当たり前と言ってしまえばそれまでですが、能力的にもそうですし、ミスを少なくする工夫が身についています。
「満点を取りに行こう」と心密かに考えていれば、自分なりにミスを少なくする工夫をするはずなのです。
「450点以上取れていない生徒さん」ですと、そこのところがどうしても甘いです。
もちろん、そうした「甘さ」は、彼らの能力的なことも一因です。
が、指導をしている限り、どうもそれだけが原因ではありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「400点は取れるが、450点が取れない」という生徒さんの場合、その原因は能力的なことが一因であると前回述べました。
しかし、「能力的なこと」だけでは説明できないこともあります。
こうした生徒さんが、特に深く考えずに試験に臨むと、成績は現状維持、もしくは下がってしまいます。
彼らは当然のことながら、「450点以上取る生徒さん」に比べて、「詰めの甘さ」が目立ちます。
その「詰めの甘さ」というのは、「エ? こんなところで間違えてるの?」というものが、少なからずあります。
こういうところが積み重なって、結果に表れているような気がします。
「最後の詰めの甘さ」というのは、「この問題、分かった!」と思う瞬間から始まります。
わたしも偉そうなことを言っていますが、現役学生のころは、こうした間違いをした口です。
ただ、「どうしたらそういう詰めの甘さをなくすことができるか」ということは、いつも頭の中にありました。
「400点は取れるが、450点が取れない」という生徒さんは、そうした意識が足りていないように感じます。
その点がわたしにとっては不満です。
ここを何とか克服することが、「450点の壁」を超えるためにはどうしても必要です。
ホントに「450点の壁」を突破したいのなら、何とかやってもらうしかありません。
難しいとは思いますが.....
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