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先月、↓のようなコラムを書きました。
<関連コラム>
時期的に、この「全国高校入試問題正解」(通称は「電話帳」)に取り組んでいる生徒さんはいるでしょう。
特にトップクラスはそうです。
今回は、わたしが中学生のころ、この「電話帳」にどう取り組んだか、どういう感想を持ったか、などを書いてみます。
まず、この「電話帳」を買ってきたのは、親ではなく、自分だったと思います。
中学生のころ、受験参考書・問題集の類は、親ではなく自分が書店へ出向いて買っていました。
この「電話帳」のタイトルと重厚さに、何となく魅力を感じたのでしょう。
いまの中学生で、問題集や参考書類を塾や親でなく、自分が買ってきて取り組んでいる、という生徒さんはどのくらいいるのでしょう?
わたしの世代・年代よりはよほど少ないのではないでしょうか。
そして、「電話帳」は、当時、5教科が1冊の本に収められていました。
いまは、科目ごとの分冊・分野別になっています。
このほうが、「5教科全部が1冊」になっているより、使いやすいです。
また、問題の解説も昔よりは丁寧になっています。
わたしが中学生の頃の「電話帳」は、特に数学の解説が不親切で、困っていたものでした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
この「電話帳」には、全国の公立高校の入試問題、名門と言われる私立高校の問題が掲載してあります。
取り組んでみて、私立高校のものは、非常に難しいものでした。
半分当たればいいほうです。
まるっきり歯が立ちません。
「名門と言われるところの人は、こういう問題、どうやってスラスラ解けるの?」
と、当時のわたしはビックリしていました。
ずっと後で聞いたところによれば、名門私立といわれる高校の入試問題全部に正解する必要はないのだとか。
ただ、当時のわたしの感覚ですと、トップクラスといえば、テストで満点近くを取るのは、当然のことでした。
ですから、開成高校とか、灘高校とか、そういう学校の受験生も、入試で満点近くを取っているに違いないと思っていたのです。
「ああいうところの学校の人たちっていうのは、こんなに難しい問題も満点近く取れちゃうんだ!
どうやったらそんなことができるの?」
という風に。
裏の事情を知っていれば、よかったのですが...
中学生のわたしには、そうした知恵を授けてくれる人はいませんでした。
ですから、私立高校の問題演習は早々に諦めました。
そして、公立高校の入試問題への挑戦に特化して学習に励みました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
公立高校の入試問題演習はやっていて楽しいものでした。
私立高校の入試問題とは違い、わたしも十分に太刀打ちできました。
「電話帳」には全国47都道府県の公立高校の入試問題がすべて収められています。
これを「日本全国の旅」よろしく解いていくのは、達成感がありました。
「東北地方が終わって、次からは関東だ!」
などと、やっていました。
後で聞くと、この「電話帳」の演習は、非常に効果的な受験学習法だそうです。
当時はそんなことを考えずにやっていましたが。
そのとき感じたのは、公立高校の入試問題といっても、各県ごとに難易度の差が若干あったことです。
一般的に、東京・大阪・神奈川のような大都市圏の入試問題は、他の県と比べて、少し難しい感じがしました。
「大都市圏は、受ける人数も多いし、名門私立高校があんなにあるくらいだから、入試の問題は少し難しいのかも」
と、思っていました。
また、入試過去問を解いていて必要なのは、アフターチェック、つまり「解き終わった後」です。
前々回にも書いたように、「電話帳」は解説が親切ではありません。
ですから、ある一定レベル、最低でも偏差値55は必要になってきます。
この点を踏まえると、受験学習としてもやりがいが出てくるのではないでしょうか。
わたしは英語の受験指導をしていて、ずっと不思議に感じていることがあります。
それは、
「英文法って、生徒さんにとっては、そんなに難しいことなのかなあ?」
ということです。
わたしがここで取り上げたいのは、英文法の中でも「基本中の基本」に属する事柄です。
そういった「基本中の基本」を彼らに教えて、演習問題を実施して、間違うたびに直して...を繰り返しても、
I am play baseball every day.
Are you play baseball?
という風に書く生徒さんが後を絶ちません。
上の英文は、中1生あたりがよくやる文法の間違いです。
しかも、英語では最初のほうに出てくる「基本中の基本」です。
まあ、それでも「後を絶たない」くらいはまだ許容の範囲です。
公立中で、偏差値にして60近くになるという生徒さんでも、上に紹介したような間違いをしてしまいます。
何とも由々しきものだと感じています。
偏差値60というのは、全体の15%程度です。
そういう生徒さんにして、英文法の基本中の基本がなっていない生徒さんがいます。
となれば、その他大勢の生徒さんは、推して知るべしといえます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
英語の文法の基本的な部分・根っこの部分は、決して難しいものではありません。
その部分というのは、
「be動詞と一般動詞の使い方を区別できるか」
というところに尽きます。
そして、
「品詞という考え方を理解できていること」
も必要です。
ここの理解がきちんとしていれば、その後に新しいことが出てきても、理解は難しくありません。
逆に、「be動詞と一般動詞の使い分け」「品詞」を正しく理解していなければ、その後に必ずほころびが現れてきます。
きちんと生徒さんが理解しているかどうかは、英文を実際に書いてもらうと分かります。
そこで文法上のミスが少しでもあれば、それは「分かっていない」ということです。
そして、文法は「単なる暗記」でなく、「ルールの理解」を伴っていなくてはなりません。
This is a pen.
I read a book.
これらの文章には、英語の文法の根本が凝縮されています。
文法を正しく理解していれば、
I am play baseball every day.
Are you play baseball?
などという文章を書く道理がありません。
そして、学年が進んでも、新しい事項とゴッチャになることもありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
I am play baseball every day.
Are you play baseball?
確かにこのように書いたり、このように言っても、通じるのかもしれません。
しかし、こういう基本中の基本・英語の根本にかかわることを、かくも多くの生徒さんたちができずにいるというのは、非常におかしなことです。
例えば、中学生にもなって2×3の答えを、あるときは6と書いたり、あるときは7と書いたりする生徒さんがいたら、どうでしょうか。
「こりゃあ大変だ!」
こうなるのではないでしょうか。
それゆえ、
I am play baseball every day.
Are you play baseball?
と書くのは、2×3=7と答えるのと同じくらいに重大な間違いだと思うのです。
ただ、英語の指導をしていると、上に挙げたような間違いは、全く珍しくありません。
ごくごくありふれた光景です。
こういう基本・根本ができていないからこそ、その後の英語で苦労してしまうわけです。
逆に、基本・根本がしっかりしていれば、学年が進んでも、英語がぐらつくことはありません。
「英文法は基本・根本をしっかり押さえておけば、決して難しくない」
「英語が難しく感じるのは、基本・根本をしっかり押さえていないから」
この二つに尽きます。
先般、↓のようなYouTube動画を作りました。
今回のコラムでは、多賀城高の進学実績について、YouTube動画を作りながら感じたことを、つらつらと書いてみます。
まず、わたしが感じたのは、
「同じくらいの偏差値ボーダーの高校と比べると、国公立大への合格者が多い」
ということです。
傾向として、高校の難易度が高くなるにつれ、国公立大への合格者は多くなる傾向にあります。
卒業生数全体に占める割合を見てもそうです。
例えば、二高で約80%、一高ですと今年は73%です。
多賀城高と三桜・東高を比べると、ここ3年平均で↓のようになります。
多賀城高・・・平均23.0%
(普通科ボーダー偏差値51)
三桜高・・・平均14.5%
(普通科ボーダー偏差値53)
東高・・・平均11.7%
(普通科ボーダー偏差値50)
三桜と多賀城高の偏差値の差は2です。
ということは、多賀城高から見て、三桜は「ワンランク上」の高校になります。
その「ワンランク上」の高校を、多賀城高は、国公立大合格者の割合で、8.5ポイントも上回っています。
これは、多賀城高が「かなり頑張っている」ということが数字に現れていると言えるでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
多賀城高の国公立への合格率が、同偏差値くらいの高校より高いのはなぜなのか...
思うに、偏差値53~55の取れている受験生が、三桜や泉に行かず、多賀城高に行く傾向があるのかもしれません。
こうした状況になっているのは、通学の面であるとか、あるいは三桜の女子率がかなり高めだからとかが考えられます。
言い換えると、塩釜・多賀城・あるいは近辺にいて、偏差55あたりを取れている受験生が、泉や三桜は通学するのに遠い...
偏差値60越えをしていれば、宮一・三高が射程に入ってくるが、そこまでの成績ではない...
じゃあ、多賀城高校にするか...という感じで、多賀城高に進む...
こんな感じの受験生が、思ったより多いのかもしれません。
東高がある場所は、ちょっと足を延ばすと、若林区内に、私立高を含めて選択肢は多いです。
少なくとも、多賀城高校の近辺よりは。
多賀城高校の近辺ですと、公立と言えば、利府・塩釜・松島と言った高校です。
偏差値53~55ちょぼちょぼくらいの受験生は、これらの高校には、あまり食指が動かないでしょう。
となると、いろいろ判断した結果、多賀城高校に落ち着く...
などというケースがそこそこあるのかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
多賀城高校は、その名の通り、多賀城にあります。
確かに住所上は多賀城です。
ただ、場所自体は、多賀城・塩釜・七ヶ浜の境目付近にあります。
JRで一番近い下馬駅からも、ちょっと距離があります。
かなりの生徒さんが、自転車通学しているのではないでしょうか。
立地はいま申したような位置です。
しかしながら、この多賀城高校は、多賀城・塩釜・七ヶ浜などの受験生にとっては、年々「近くて遠い高校」になっているようです。
わたしはプロフィールで明かしている通り、生まれ・育ちとも多賀城です。
同級生にも多賀城高出身者が多くいます。
そのため、特に多賀城市内の中学生が、なかなか多賀城高に行けない現状は、残念に感じます。
そして、多賀城以上に塩釜のほうが、進学実績という点で、いまひとつ元気がない状況にあるのも、残念です。
多賀城の出身者として、また受験関係者として、多賀城高が同じレベルくらいの高校の中で、進学実績がよいのは、うれしいです。
そして、多賀城高に多賀城・塩釜・七ヶ浜あるいは利府あたりからもっと受験生が通うようになればもっと嬉しくなるのですが。
年々、私立推薦で行く受験生ばかりが多くなっている.....
(次回に続きます)
(前回の続きです)
多賀城高は、わたしが中学生のときから、優秀な生徒がいました。
特に女性で。
当時の公立高校受験には、学区制というのがありました。
わたしの住んでいた多賀城からは、一高・二女(今の二華)などを受けることができませんでした。
そして、当時は公立高校、特に歴史のある学校は男女別学でした。
当時、多賀城からは、最優秀の女子が一女(今の宮一)、二番手校として多賀城高でした。
わたしの中3のときのクラスからも、
「一女に行くんだろうなあ」
と思っていた女性が多賀城高に行きました。
彼女は宮教大に行き、今は小学校の先生をされているそうです。
また、東北大の同じ学年、教育学部だったと思いますが、多賀城高出身の女性がいました。
当時は、文系学部が同じ体育の授業を受けたりして、意外と他学部の情報も入ってきていました。
特に女性に関しては(笑)
後で多賀城高に行った中学の同級生から聞いたところ、彼女は多賀城高でずっとトップだったとか。
多賀城高から東北大へという流れは、昔からあったということです。
今も、数年に1人程度は、東北大への合格者が出ています。
というわけで、ちょっとした昔話でした。
わたしは、ここでのコラムを書いている以外に、YouTube動画でも受験情報を発信しています。
その中で、再生回数の多いのが、
「定期試験で○○点取れると、どのレベルの高校に行けるか」
というシリーズです。
わたしとしては、ちょっと意外な感じがしています。
そもそも高校受験としては、公立高校の場合、内申点+入試本番の点で決まります。
ですから、本来、受験として大事なのは、学校の定期試験より模試の偏差値だったりします。
とはいえ、
「定期試験で○○点取れると、どのレベルの高校に行けるか」
というのは、生徒さん・ご父兄の立場からすると、大きな関心事であるようです。
そこで、今回、コラムで取り上げるのが、
「400点のカベ」
「430点のカベ」
です。
平均的な公立中学の定期試験ですと、「400点・430点」というラインはだいたい次の通りです。
◎400点以上
・・・上位25%
☆偏差値57
◎430点以上
・・・上位15%
☆偏差値60
もちろん、定期試験の難易度などで、この数字は前後にブレます。
そういったものを差し引くと、
「400点を超えれば、向山・宮城野あたりが視野に入る」
「430点を超えれば、宮一あたりが射程に入る」
という感じです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムでは、「400点・430点のライン」に関して、↓の表を載せました。
◎400点以上
・・・上位25%
☆偏差値57
◎430点以上
・・・上位15%
☆偏差値60
これを見て分かるのは、400点から430点の間に10%の生徒さんがいるということです。
「ひしめき合っている」と言ったほうがいいかもしれません。
430点~500点という「70点の幅」があるところには、15%の生徒さんがいます。
一方、400点~430点という「30点の幅」があるところには、10%の生徒さんがいます。
それだけ、400点~430点という点の層が団子団子状態になっていると言えます。
そして、この点の層はいちばん伸びしろが期待できます。
もちろん、全員が全員、伸びるわけではありません。
ただ、この層には、「隠れ430点のライン突破者」みたいな生徒さんがいます。
彼らはいろんな理由で、これまで「430点のカベ」をなかなか突破できなかった人たちです。
そして、彼らが意欲を高め、塾などで適切な指導を受けると、しだいに成績が伸びていきます。
「成績がこれだけ伸びました!」
と、塾が対外発信している生徒さんは、この成績の層が多い印象です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
400点から430点の間にいる生徒さんにとって、「430点のカベ」を突破するのは、なかなかに大変です。
この層にいる生徒さんが一生懸命に頑張れば、「430点のカベ」を突破できます!!!
・・・とは言いません。
そして、そうは言えません。
その生徒さんの持っている能力というのがありますから。
しかし、やり方次第で改善できる道はあります。
まずは、「この430点のカベをどうしても突破したい」という意欲です。
「精神論かよ...」
こう言われそうです。
でも、やはりこの種の意欲・精神は非常に大切です。
それから、
「間違ってしまった問題を次に間違わないようにするには、どうしたらいいのか」
を常に考えておくということも大切です。
この2点を頭に入れておき、そこからやっと「どうやって行けばいいのか」という方法論の話になります。
「方法論の話」というのは、いわゆる「勉強法」のことです。
・・・こういう風にしていけば、英語は今より5点くらいは上がる
こういった内容のものです。
この種のものは、ネットで検索すれば、たくさんヒットします。
わたしも何度となく当コラムで書いてきました。
「なんだたった5点かよ」
こう思うのでしたら、まずはやってみてください。
各教科5点ずつを積み増せば、25点です。
先般、村井知事が「全国学力調査」は毎年やる必要があるのかという考えを公にしたそうです。
↓がネット記事です。
この「全国学力調査」は、毎年4月、小6と中3を対象に行われています。
公立校は基本的に全校、私立校は4割弱の学校が参加しています。
この「調査」は、生徒のためのものではありません。
学校の先生方・教育行政の方たちのためのものです。
言ってみれば、「先生への通信簿」という位置づけです。
そして、村井知事の発言というのは、費用面からのものです。
早い話が、
「この手の調査は毎年やらなくたっていいんじゃないの?
カネがかかるわけだし」
ということです。
そして、
「調査をするなら、もっと詳しいデータを公表すべき」
とも語っています。
これには、うなずける点があります。
では、この学力調査がどうなればいいのかについて、調査を受ける生徒さん、そしてご父兄の目線から考えてみます。
改善点としてはこうです。
<現在>
先生方のための調査
<これから>
先生方+生徒・ご父兄のための調査
☆具体的には、生徒個々人の順位(クラス内・学校内・市内・県内・全国)を出す
このようにすれば、年ごとに調査をする意義も出てきます。
そして、生徒さんやご父兄にも利益が生じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで申し上げたとおり、「全国学力調査」は指導する側が試されるために実施されます。
この点が、小学校でやる単元テスト(=受験業界で言う「カラーテスト」)、中学で実施する期末テストの類とは違います。
カラーテストや期末テストは、「先生が生徒の成績をチェックする」ことが目的です。
一方、「全国学力調査」は、「お上が先生方の成績をチェックする」ために行われます。
そのため、「全国学力調査」には、「生徒の成績には影響が及ばない」という但し書きが付いています。
わたしが、「全国学力調査」に「改善」をお願いするとしたら、
生徒個々人の順位(クラス内・学校内・市内・県内・全国)を出す
この点です。
生徒の順位を出すということについては、いろいろな意見があると思います。
わたしの考えでは、そのようにしたほうが、生徒さん・ご父兄にとって、メリットが大きくなるという考えです。
というのも、例えば、小学校のカラーテストでは、自分の子供がクラス内・学年内で、どのくらいの位置にいるのか、分かる仕組みにはなっていません。
ですから、
「うちの子供は算数のテストで80点取れてます!」
といっても、ヨソ様の子供のほどんどが、85点以上取っているということもあり得ます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「生徒個々人の順位(クラス内・学校内・市内・県内・全国)を出す」
このように書くと、
「塾屋が儲かるためにこんなことを言っているんだろう」
という声が聞こえてきそうです。
そう思ってもらって構いません。
ただ、特に小学校5・6年生あたりになれば、
「自分はクラス内・学校内などで、学校の勉強ではどのくらい位置にいるんだろう」
ということを知っておくことは、あっていいことだと思うのです。
なぜそう考えるのか...
「小学校の頃は勉強ができてたんですが、中学になって突然40点とか、50点とかテストで取ってくるようになって...」
とおっしゃるご父兄を、わたしは何名も見てきたからです。
だいたいこのように仰ってくるケースで、生徒さんがホントに
「小学校の頃は勉強ができていた」
という例はありません。
小学校のカラーテストでは、70点とか、80点とか取れていても、それは
「できていた」
ということにはなりません。
カラーテストの平均点が、一説には80点を超すともいわれているからです。
「そんなにできないってことがもっと早くから分かっていれば...」
このように考えるご父兄は、決して少なくないでしょう。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしの考えるところ、小5・小6の生徒さんは、
「自分はクラス内・学校内などで、学校の勉強ではどのくらいの位置にいるか」
を意識しておいたほうがいいです。
いずれ中学になれば、定期試験が行われます。
そこでは、
「あなたは学年で〇〇番です」
という順位が発表されます。
早めに自分の席次を知っておくことにデメリットはありません。
しかし、現在、公立の小学校では、そのような仕組みになっていません。
小学校で「クラス内・学年全体の順位を見る」というテストを新たに導入するのは、先生方にも負担が大きいでしょう。
そこで、「全国学力調査」のシステムを活用してはどうでしょうか。
あるいは、宮城県や仙台市が独自で行っている「学力調査」にも、「クラス内・学年全体の順位を見るシステム」を導入してみるとか。
もちろん採点システムの変更には、費用がかかります。
しかし、現場の先生方に新たな負担はかかりません。
加えて、「個々の生徒の順位を見る仕組み」は、生徒さん、ご父兄、先生方のいずれにもメリットがあります。
こう言う仕組みを導入すれば、「全国学力調査」を毎年やる意義があるように思えます。
本コラムをお読みの方はどのようにお考えになりますか?
仙台市内の公立小中学校は、2学期に入りました。
この1学期の終了に当たって、生徒さんへは通信表が配布されています。
今回のコラムでは、中学生の通信表の成績について述べます。
通知表の成績は、生徒さん・ご父兄とも、非常に関心が高いです。
というのも、この数字が高校入試に直結しているからです。
このあたりの知識は、よく浸透しています。
わたしは受験関係者という立場から生徒さんと通知表の成績を見ています。
そうした観点から見て、わたしが感じるのは、
「成績が過小評価されているケースより、過大評価されているものがかなり多い」
ということです。
例えば、
「この生徒さん、なんで英語が4になってるんだろう?
中間テストや期末テストの点から言って、5になってしかるべきなんだけれど...」
というケースは、さほど多いわけではありません。
ところが、
「この生徒さん、なんで英語が3になってるんだろう?
中間テストや期末テストの点から言って、2以外になりようがないんだけれど...」
というケースは意外とあります。
「成績が過小評価されているケースより、過大評価されているものがかなり多い」
というのは、そういう意味です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
通知表の成績が過大評価あるいは過小評価されていた生徒さんは、タイプ的にこんな感じでした。
◎過大評価されているケース
・同じ成績程度の生徒さんと比べて仕事がマメで丁寧
・女子に多い
◎過小評価されているケース
・同じ成績程度の生徒さんと比べて仕事に丁寧さが欠ける
・提出物を軽く見ている、あるいは軽んじている
・男子に多い
前回のコラムで述べたとおり、過小評価されているケースは、過大評価されている場合に比べて少ない印象です。
そして、過小評価されているのは、その理由を本人に尋ねると、思い当たる節のあることがあるケースが多いです。
一方、過大評価されているケースは、理由のハッキリしないことが多いです。
だからこそ、わたしがその評価に首をひねることがあるわけです。
これはたぶん、評価をつける側の先生の立ち位置として、
「生徒には、なるべくいい評価を付けてあげたい」
という気持ちが働いているのかもしれないと感じました。
もちろん、そういう先生ばかりではないとは思います。
しかし、人の気持ちとして、
「でき得れば、よいほうに評価したい」
という気持ちが働くのも、理解はできます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
親にしてみれば、子供の通信表が想定以上によく評価されていれば、苦情は出てきません。
通信表にまつわる苦情は、想定よりかなり低かった場合に出てくるものです。
しかし、通知表の成績が実力より過大評価されると、いわゆる「内申美人」につながります。
「内申美人」というのは、通知表の成績に比べて、模試の成績が振るわない生徒さんを指す「受験業界用語」です。
ここで「美人」といっても、女子のみに使われるわけではありません。
そこは男でも「八方美人」と言われるのと同じです。
ただ、「内申美人」になっているのは、男子に比べて、女子がかなり多い印象を受けます。
「内申美人」は、とにかく要領がいいです。
中学生くらいですと、精神年齢は男子より女子がまさっています。
そうした男女差も「内申美人」に絡んできます。
ただ、その「美人度」が通用するのは、せいぜいが定期試験どまりです。
つまり、範囲の狭いところでしか、力を発揮できません。
範囲の広くなる模擬試験・実力試験といったものには、さっぱり歯が立ちません。
そう考えると、通知表の成績で過大評価されるのも、良し悪しだと感じざるを得ません。
生徒さんの学習のやり方を見ていて感じることがあります。
それは
「こういうやり方・解き方をしていて、次にやったときにホントにやれるかどうか、心配にならないものなのかなあ?」という点です。
こういう感想を持つのは、生徒さん全体の4分の3くらいに対してです。
さすがにトップクラスにこのような感想を持つことはまずありません。
ただ7割強の生徒さんに対しては、どうしても上に書いたような感想を持ってしまうのです。
そして、成績が下のほうに行けば行くほど、そう感じる機会は多くなります。
もちろん、生徒さんには能力の差があるのも分かっています。
「問題を解いていて、答え合わせをしたら、次に同じような間違いをしないようにするところまでが大切」
「試験で間違った答えを書いたら、それは『分かっていたけど間違った』にはならない」
これを繰り返し語り、またミスする原因も繰り返し指導し... ですが、どうも思ったように定着しません。
こういう彼らを見ていて強く思うのは、
「次にやったときにホントに間違わずにやれるかどうか、心配にならないものなのかなあ?」
「こんな風にやっていたら、テストを受けたとき、間違っちゃうかもしれないって思わないものなのかなあ?」
ということです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
まあ、わたしがいくらここで現状を嘆いたところで、「成績を改善したい」という気持ちを持たない生徒さんの心を変えるのは、難しいです。
もちろん、彼らの心に火をつけるべく、努力はしておりますが...
一方で、
「成績を何とかしたい!!!」
こういう気持ちを持つ生徒さんには、ここに大いなるヒントがあります。
今の状態から、ほんの少しでも
「できなかった問題は、次にやったときに解けるようになる!」
という気持ちを持つことです。
このようなマインドでいれば、自分なりに工夫をしていくでしょう。
・・・次に間違ったらまずいから、もう少し丁寧に解こう
・・・テストのときに同じように間違ったらイヤだから、ちょっと面倒だけど、こういう解き方をしよう
こういう「ちょっとした」ところに気を向けていれば、何らかの形で結果は出てくると思われます。
テストとしては、ヒットを打つより、エラーをしないことのほうが点は高くなります。
それは、別な視点で見れば、
「こういうやり方・解き方をしていて、次にやったときにホントにやれるかどうか、心配にならない」生徒さんがかなり多い
こういうことの裏返しです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたし自身、中高校生の頃、
「テストで間違わないためには、どうしたらいいのだろう」
というようなことばかり考えていました。
なぜなら、間違ったことで点が低くなるのは、イヤだし、残念だったかったからです。
自分なりに気を付けていても、間違うのがシャクの種でした。
ですから、指導している生徒さんたちに、
「いま間違った問題は、試験で間違わないようにしよう」
というような感覚のない生徒さんの多いことに閉口し続けているというのが、本音です。
わたしのような者は、全体を見れば、少数派だったのでしょう。
ただ、逆な見方をすれば、
「いま間違った問題は、試験で間違わないようにしよう」
という気持ちを持ち、
「自分はミスをするかもしれない
だから慎重に問題を解いていこう」
と思うようになれば、今の成績よりは、わずかなりとも上向く可能性が出てくるのではないかと考えるのです。
こうした小さいことから改善していかなければ、成績アップは望めそうにありません。
逆に言えば、自分の心持を少し改めれば、多くの生徒さんにとって、成績が上昇する可能性は出てきます。
ほんのちょっとしたことを改められず、せっかく持っている力を発揮できない生徒さんが多いのは、もったいないです。
今回のコラムでは、大学入試の国語の問題について取り上げてみます。
大学入試の悩みと言えば、まず数学・英語と言った教科です。
というのも、数学のような教科は、ストレートに「分かる・分からない」がハッキリしているからです。
一方、国語の問題については、そこまでストレートに「分かる・分からない」が明確なわけではありません。
満点もなければ、0点もないというのが、国語という教科の特徴だからです。
しかし、高校生の様子を見ていると、
国語の問題が解けない...
どう書いてよいのか分からない...
どう解けばよいのか分からない...
このような悩みを持っている生徒さんは意外と多いように感じます。
ただ、数学などの悩みが大きすぎて、国語のことまで気が回らないといった風です。
ですから、国語のことで「悩み」を語ってくるのは、上位層にいる生徒さんたちです。
彼らが国語の問題を解けずに悩む理由は、いろいろな原因があるものと考えられます。
ただ、その中でも意外と大きいのは、
「国語の試験問題に使われる語彙の力が足りていない」
というところにあります。
そして、さらに大きな問題は、
「語彙力不足は意識されにくい」
点です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べたことに説明を加えます。
大学受験に出るような語彙というのは、例えばこんな感じです。
・「忌憚(きたん)」のない意見を言う
・彼の家を訪れるのは、「敷居が高い」
・存在と存在の本質の「形而上(けいじじょう)学的」研究
・出来上がった作品を「ためつすがめつ」見る
こういったものが、ビシバシ出てきます。
この種のものを日常生活だけで習得するのは、かなり困難です。
数多くの本に触れ、読書量を積まなくてはなりません。
しかし、時間は無限にあるわけではありません。
そのため、こういう「大学受験に独特な言い回し」を集めて効率的に学習できる参考書があります。
「大学受験 国語 語彙」というキーワードを入れて検索すると、いろんな参考書がヒットします。
また、アプリケーションソフトもあります。
「大学受験 国語 語彙 アプリ」で検索すると、アプリも開発されているようです。
これらの中身は、大きく違うものではないようです。
何となく気に入ったものをやればいいと思われます。
これを使って学習する大きなメリットは、
「分かっていたようでいて、実はよく分かっていなかった単語を発見し、意味を習得する」
点にあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
・・・分かっていたようでいて、実はよく分かっていなかった単語を発見し、意味を習得する。
それをやって、成果は上がるのか?
こういう疑問が出てくるでしょう。
結論を言いますと、
「成果は上がります!」
そもそも論として、書いてある文章の意味がよく分からなければ、設問に対して正確に答えようがありません。
確かに前後の文章から、「分かっていたようで、実はよく分かっていなかった」単語の意味を類推することはできます。
しかし、そうした単語が一つや二つだけではないとしたら、類推も困難になります。
そして、生徒さんが間違った答えを書いた場合、間違いの原因を突き詰めていくと、
「この文章のキーとなるこの単語の意味がよく分かっていなかった」
というケースは意外なほど多いです。
そこで、彼らに
「ここにあるこの単語の意味は、これこれこういう意味です」
というようなヒントを与えると、すんなり正答を導き出せるということも少なくありません。
これが意味することは何か。
間違った原因が「ボキャブラリー不足にあった」ということです。
この不足を補った結果、正しい答えが出せたというのは、つまりそういうことです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから大学入試問題の国語は、単にボキャブラリーを知っていれば事足れりというものではありません。
高校の授業でやったような知識が求められることも多いです。
例えば、今年の共通テスト第1問です。
ここでは、「モーツァルト没後200年レクイエム演奏における宗教行事の側面」について述べられています。
一昨年の共通テストでは、「正岡子規の書斎にあったガラス障子」に関する記述が出てきています。
確かに、モーツァルトや正岡子規のことを何も知らなくても、問題は解ける建前にはなっています。
しかし、こうしたものへの知識が全くなくして、文章の内容を読み砕くのは、なかなかに難しいです。
そして、共通テストの受験生が、「正岡子規って誰ですか?」というレベルでは話にならないということです。
事実、モーツァルトにも正岡子規にも、注釈は付いていません。
これ以外にも、宇宙工学のような理系のことを扱う文章が出たりもします。
ここから分かることは、「高校の授業、ちゃんと受けてるよね?」という側面を、国語の出題者は織り込んで問うているということです。
ここが弱ければ、当然に高得点は望めません。
大学入試の国語が一筋縄ではいかない理由がこういうところにもあるように感じます。
先日、中学生へ社会科の授業をしていました。
内容は、日本地理です。
そのとき、ある生徒さんが、地名を変な読み方で言っているのに気づきました。
その一方で、地名それ自体は正確に漢字で書いています。
「もしや?」
と思い、その生徒さんに地名をいくつか読んでもらました。
すると、まるっきりの自己流で読んでいる例が出るわ、出るわ...
そして、さらに
「もしや?」
と思い、別の生徒さんにも同じことをしてみました。
すると、勝手な読み方をしている地名が、これまたゴロゴロ...
例えば、高知県にある四万十川(しまんとがわ)を「しまんじゅうがわ」と読んだり、京都の丹波(たんば)を「たんなみ」と読むなどです。
アアアアアア!!!と、頭を抱えてしまいました。
確かに社会のテストでは、日本地理の地名を漢字で正確に書ければ、減点されることはありません。
世界地理の場合は、中国・南北朝鮮の地名でもカタカナで書くのが主流です。
一方、日本国内の地名には、漢字で書くことが求められます。
そんなわけで、生徒さんが国内の地名をどう読んでいるかについては、これまで全く無頓着でした。
これは大変なことをしてしまっていたと反省しきりでした。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしの感覚から言うと、地名を覚えるとき、まずどう読むのか教科書などでチェックするというのが、「常識」です。
地理の教科書には、きちんと読み仮名が振ってあります。
自己流の読み方で覚えてしまっては、あとで困ってしまいます。
ですから、少なくない生徒さんが無手勝流に地名を読んでしまっていることを、想像すらしていませんでした。
「地名を覚えるときには、漢字で正確に書けるだけではダメです。
読み方も教科書などでまず確認してください」
というようなことまで、生徒さんへ言わなくてはならないのだろうかという気持ちは正直あります。
ただ、現状がこのようならば、わたしの口から言っておかなくてはならないのでしょう。
確かに、入試問題ということだけを考えれば、地名は漢字で正確に書ければOKなわけです。
そして、今のうちは、それでもいいでしょう。
しかし、日本の地名との付き合いは、学校卒業後も続くわけです。
社会人として地名をおかしな読み方のままで覚えていたら、仕事にも差しさわりが出てくる場面がないとも限りません。
ですから、わたしとしても、今後は生徒さんが地名の読み誤りを少なくできるよう、水を向けていく努力をしていきたいと思います。
この時期になると、高校受験を迎える中3生からは、定期試験・模擬試験・内申評定など、様々な話を聞きます。
そうした中で、彼らから耳にする機会の多いのが、みやぎ模試の採点基準のことです。
具体的には次のようなものです。
・記述式問題の採点基準がよく分からない
・当たっている問題をバツにされた
・国語や英語の作文の点数はどうやって決めてるの?
こうしたものの中で、最も苦情の多いのは、
「明らかに当たった問題をバツにされた」
というものです。
当コラムをお読みのご父兄も、学生の頃には、先生方の採点ミスに遭遇したことがあったのではないかと想像します。
その際、定期試験であれば、先生方はミス訂正に応じてくださいます。
しかし、模試となると、そうはいきません。
「やられ損」になってしまいます。
その点が、生徒さんにとっては、納得いかない部分のようです。
それから、漢字の書き取り問題の採点ミスもあります。
これも、なんだかよく分からない理由でバツにされたというケースも意外と見かけます。
わたしから見ていると、点画がハッキリ書いてあり、
「これをバツにするのは、明らかに変だ」
という場合です。
これもまた「やられ損」です。
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(前回の続きです)
そんなわけで、特に生徒さんには、漢字の書き取り問題で漢字を書くときには、点画をハッキリ書くように指導しています。
採点者側としては、点画のハッキリしないもの、行書のようになっているものが困るわけです。
それは模試のみならず、定期試験・入学試験でも同じことです。
そうすることで、バツにされる確率は若干なりとも低くなります。
ただその一方で、
「間違っていてもマルが付いている」
「減点すべき箇所が減点されていない」
というケースもときどき見受けられます。
そうした例は英作文に見られます。
一番多い間違いは、
「冠詞があるべきところについていない」
というものです。
冠詞とは、aやtheのことです。
冠詞の採点に関しては、「甘い」印象を受けます。
ただ、現実問題として、冠詞の使い方は、細かいことを言うと非常に難しいです。
そういう事情があったりして、あまり厳しく採点していないのでしょう。
あるいは、実のところ、採点者自身もよく分かっていないという面があるのかもしれません。
そういうことを考えると、採点ミスは「プラスマイナスしてゼロ」くらいなのかもしれません。
当たっているものがバツにされたというのは、癪にさわるのは確かなのですが...
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