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定休日:日曜日
日々努むる子らを思ひつつ
人知れず 学び重ねし この子らに
幸あれかしと ただに 祈らん
あけましておめでとうございます。
令和4年、西暦2022年となりました。
今年も冒頭にあるように、年初に歌を詠みました。
これがわたしの偽らざる心境です。
コロナの勢いは、わが国でこそ落ち着いているものの、海の外ではまだまだ勢いは止まりません。
コロナを気にしながらの生活は、もっと続きます。
「コロナ禍生活」も、もうすぐ2年がたってしまうのかと思うと、いろいろと複雑な思いがよぎります。
昨年は、高校入試などで「コロナシフト」と思われる「易化減少」がありました。
今シーズンは、昨年の反動による難化が予想されます。
特に高校入試はそうなる可能性が高いです。
これまで実施されてきた模擬試験も、そういう点を見越しているようです。
そうなると、最後に笑うのは、人知れず学びを重ねてきた生徒さんです。
そういう生徒さんたちに、来る春、幸せが訪れるよう、できる限りのことをしてまいるつもりです。
入試スケジュールは、お正月明けに、中学入試、高校推薦入試、共通テストが立て続けに行われます。
在校生の皆さんも、模擬試験・実力試験が控えています。
健康に留意しながら、各種対策にいそしみます。
今後ともよろしくお願いいたします。
高校受験を目指す中3生は、お正月を物ともせず、勉強を続けています。
この時期から入試まで、いくらかでも伸ばせるものがあるとしたら、理科・社会です。
国語・数学・英語といった教科は、そうそう伸ばせるものではありません。
だとしたら、理科・社会の失点をいかに抑えるかは、非常に大切です。
わたしはこれまで、理科・社会の模試で85点が取れる生徒さんを、間近で、つぶさに見てきました。
模試で85点となれば、一高・二高クラスです。
こういう生徒さんというのは、なぜそうした点が取れているのかというと.....
(1)小さいころからの蓄積がある
(2)分からないところがあったら、教科書・資料集・図表を使って、まめに調べる
ほぼこの2点につきます。
わたしが見るところ、「小さいころからの蓄積がある」という生徒さんは、やはり理科・社会が強いです。
もっとも、強いのは、理科・社会だけではないのですが.....
「小さいころからの蓄積がある」というのは、理科にしても、社会にしても、百科事典に載っているような知識が豊富であることを指します。
そして、どちらにもそこそこ関心があります。
このクラスの生徒さんの場合、多くは理系志向です。
したがって、理科・数学に対する興味・関心は、文系科目に比べて大きくなる傾向にあります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べたように、理科・社会の模試で85点以上を取れる生徒さんは、理系志向が強いです。
しかし、社会科への興味・関心というのも、そこそこ持っています。
そういう興味・関心というのは、小学生のころから読書などを通じて、蓄積してきている感じです。
中学に入って、にわかに勉強を始めても、そうそう高得点は取れるものではありません。
小学校までに学んでいる知識というのは、高校受験で大きな力を発揮します。
逆に言うと、そういうものがあってこその高得点です。
とはいうものの、それだけでは不十分です。
そこに学習というものをする必要があります。
それが、「分からないところをそのままにしておかない」「教科書・資料集・図表を使って、まめに調べる」ということです。
要するに「転んでもただは起きぬ」という勉強法です。
理科・社会に限らずですが、学習の苦手な生徒さんは、「間違った後のメンテナンス」が絶望的にできていません。
こういうマメなメンテナンスは、正直に申し上げて、実に面倒です。
ただ、そういう面倒くささを乗り越えていかない限り、高得点は望むべくもありません。
「高得点には原因があって、結果がある」という、ごく当たり前の結論です。
動画へのリンクはこちら
わたしは、ナンバースクール志望者を随分と見てきました。
彼らのうち、文理の志向はだいたい「文系2割 理系8割」くらいです。
ですから、そういう生徒さんの多くは、理科・数学を得意とします。
そして、彼らは、相対的に国語を苦手と感じることが多いようです。
「うちの子供、国語の点数がどうもよくなくて.....
国語を専門的に見ていただけませんでしょうか?」
こういうご依頼は珍しくありません。
そして、こうしたご依頼を下さるご家庭は、ほとんどがナンバースクール志望です。
そうした生徒さんたちが国語を不得手とする原因は、主に以下の二つです。
(1)国語の試験問題の答え方・読み方を知らない
(2)日本語の単語・フレーズ・慣用句を知らない
その中でも、(2)に述べた「日本語の単語・フレーズ・慣用句に対する知識不足」は、トップ層でも意外なほど感じます。
<関連コラム>
キーとなる単語・フレーズ・慣用句を知らないために、間違ってしまうというケースは、誤答の半分くらいを占めているような気がします。
それほどまでに、語彙力は大きな意味を持ちます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べたように、彼らトップ層の数学力は、そこそこきちんとしています。
そうでなければ、トップ層には行けません。
彼らは当然ながら、数学の専門用語は理解しています。
しかし、国語の文章題に比べると、数学に出て来る用語は、圧倒的に数が少ないです。
ですから、語彙力が少なくても、数学用語が分からないという事態は避けることができます。
言葉を悪くして言うなら、数学の場合は、語彙力不足を何とかゴマカせる部分があります。
一方、国語の入試問題となるとそうはいきません。
日常生活では耳にしない言葉が多数出てきます。
数学用語も確かに日常生活に馴染みのある言葉ではありません。
が、国語の入試問題となると、
「彼女は『いぶかしげに』彼を見つめた」
「彼は自身の考えを『とくとくと』語った」
「彼女の言葉が『足かせ』となって.....」
というような言葉が出てきます。
中3生には読書以外で触れることは難しいです。
こういう言葉が読み切れず、答えを間違ってしまうケースをわたしも少なからず経験しています。
裏を返せば、言葉の意味がつかめることで、すんなり正解する問題もありました。
このあたりが、数学用語と違う難しさ、トップ層が国語に対する難しさを感じてしまう一因と思われます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べたような「『いぶかしげに』見つめる」「『とくとくと』語る」「『足かせ』となる」といった言葉を補う手立ては、読書以外にもあります。
そういう言葉を集めた問題集も販売されてはいます。
ただ、そこまでやっているトップ層は、なかなかいません。
それというのも、「ボキャブラリー不足」というのが、なかなか自覚しづらいからです。
この点、英語の単語力不足や数学の計算力不足と違うところです。
そして、学校の国語の授業でも、こうした言葉に出会えるとは限りません。
数学の授業で、「平方根」「方程式」などという言葉に触れる機会がないことは、考えられません。
しかし、『いぶかしげに』『とくとくと』などという言葉を、必ずしも教科書で学べるわけではありません。
そして、こういう「知らない言葉・フレーズ」の問題が解消されて初めて、「国語を解くテクニック」が活躍できるのです。
国語の指導をする側としては、ボキャブラリー力アップのために、それ用の問題集を与えたり、読書しろ、くらいしか手を打てないのが現状です。
<関連コラム>
中学生に国語を教えていて感じたこと 〜なぜ国語で点が取れないのか?〜 その1
中学生に国語を教えていて感じたこと 〜なぜ国語で点が取れないのか?〜 その2
トップ層が国語でしっかり得点できるための難しさを日々感じています。
わたしのコラムでは、これまで何度か公立中学の「評定3」について書いて来ました。
「評定3」とは、通信簿にある「国語3・数学3」というアレのことです。
そして、この「評定3」は、「真ん中あたり」を意味していないことも述べてきました。
<関連コラム>
実はこの「評定3」というのは、かなり幅があります。
<関連コラム>で示した数字によると、今、「評定3」という数字がつくのは、実に全生徒の46.6%、ほぼ半分です。
そして、「5・4・3」という数字になっているのが、全体の85.6%です。
つまり、2や1がつくのは、15%程度でしかありません。
ご父兄の中学生の時代、約30%の生徒に2か1がついていたころとは、相当に様変わりしています。
ですから、「評定3」の3人に1人は、ご父兄の時代の2と同じということになります。
学校の評定の付け方が変わったのは、2002年からです。
これは、平成生まれのご父兄が中学生だったころに、そういうシステムになっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回述べたように、公立中学で「5・4・3」という通信簿の成績になっているのは、全体の85.6%です。
昭和生まれのご父兄にとって、こういう現状は、違和感があるのではないでしょうか。
わたしも昭和生まれの人間です(笑)
ですから、生徒さんの成績を見ながら、違和感を感じずにはいられません。
この「評定3」という数字は、こういう感じで付けられていました。
◎Aくん
<理科の成績>
(1学期中間試験)14点
(1学期期末試験)26点
→評定3
◎Bさん
<国語の成績>
(1学期中間試験)61点
(1学期期末試験)75点
→評定3
平均点の違い・周りの生徒さんのレベルの違いなど、AくんとBさんとでは確かに違います。
しかし、わたしが感じるのは、「強烈な違和感」です。
Aくんは5教科で100点取れるか取れないかという感じです。
このとき、5教科の評定は、理科を除いて2でした。
Bさんは、5教科で280〜300点あたりにいます。
どちらも、まじめな生徒さんです。
習熟度の違いはあるにしても、授業態度に問題があるとは考えにくいです。
上に挙げた例は、わたしが実際に経験したケースです。
「通信簿3」=「3分の1は昔の2」という現実をお分かりいただけるのではないでしょうか。
去る6日、東北学院中で、入試が行われました。
学院中は、これまで男子校でしたが、今年4月から共学となります。
今回の入試は、共学元年ということで、何かと受験界隈の耳目を集めています。
今回行われたのは、中学入試です。
2月には高校のほうでも入試が控えています。
新聞報道によれば、受験者数は次の通りです。
定員180
受験者数
(昨年)148
(今年)259
うち女子75=全体の28.95%
そもそも昨年度は、受験者数自体が定員割れしていたわけです。
ところが、今年は打って変わって、受験者数は昨シーズンの1.75倍になっています。
人数にして、111人の増です。
「共学元年」という目玉があったにせよ、数字の伸びとしては、相当に大きいです。
やはり「新装開店」の出だしに、インパクトのある数字を残せたというのは、学院中としても喜ばしいことだったでしょう。
この数字は、来年以降の入試にもつながっていくからです。
女子を入れたことで、男子受験生も増加しました。
昨年より増えた111人のうち、女子の占める割合は大きいです。
この75名は、共学化がなければ、ウルスラあたりを受けていたかもしれません。
「共学化元年の女子バネ」の強さを感じます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
今回、全受験生に占める女子の割合は、約3割です。
この数字は、以前、学院高のオープンキャンパスに来た女子の割合とほぼ重なります。
そして、男子校だった仙台一・二・三高といったナンバースクールが、「共学元年」となった年も、だいたい3割の女子学生が入試を受けています。
女子の割合は、今後段々大きくなっていくでしょう。
一・二・三高がそうであったように。
一方、女子校だった宮城一高は、共学後の男子割合は、2割程度です。
三桜の男子割合は、1割前後のようです。
男子校は共学後も女子生徒を引き付けています。
一方、女子校が共学化しても、なかなか「男子殺到」というわけにはいかないようです。
学院中に女子が入っていくということは、当然のことながら、他校にも影響があるはずです。
生徒の層から言って重なるのが、ウルスラです。
ウルスラと違うのは、学院中が「学院大」を持っていることです。
ウルスラに「ウルスラ大」はありません。
二華中・青陵中残念組の女子だけでなく、学院大を当初から狙っている女子層の取り込みも徐々になされていくでしょう。
今回の件については、当方でアップした動画があります。
<関連動画>
興味のある方は、こちらもご覧になってみてください。
動画へのリンクはこちら
本日現在で判明している各種試験の結果は次の通りです。
主要なものは以下の通りです。
<中学生>
◎期末試験
(11月)
中3 479点 校内順位1位
中2 453点 校内順位17位
(12月)
中2 451点 校内順位3位
◎みやぎ模試
(11月)
中3 402点 偏差値67
(12月)
中3 401点 偏差値65
トップ層は比較的安定しています。
平均が取れていない層は、わたしとして、不満が残る結果になっています。
この層にはありがちですが、試験でも、繰り返しやったところを、同じように間違えて点を失っています。
とにかく「繰り返しの演習」を徹底励行です。
<現在の指導枠空き状況>
現在「ほぼ完売」状態です。
お住まいの地域や指導可能な曜日によって、お引き受けできる場合とそうでない場合があります。
指導ご希望の際は、各方面の調整が必要となります。
4月からの新学期に向けて、指導を希望するご家庭を募集します。
家庭教師という指導形態の場合、「切羽詰まったときの最終手段」とお考えになっているケースが多いようです。
しかし、「転ばぬ先の杖」「切羽詰まってからではできることがかなり限られる」という側面があることもご理解ください。
引き続きよろしくお願いいたします。
昨年末の話になります。
高校の同級生と忘年会をしました。
わたしにとっては、年末恒例です。
忘年会は前回に引き続き、zoomを通してのオンラインとなりました。
彼らとは、5月・12月に、こうして集まる機会を持っています。
そんな彼らと話していて感じたのは、
「男子校っていうのも、なかなかいいもんだよな〜
このところ、仙台では男子校・女子校っていうくくりが、はやらなくなってるみたいだけど」
ということでした。
わたしはプロフィールにも記してあります通り、仙台二高で高校時代を過ごしました。
当時は、男子校です。
公立高校は、わたしが中学生のころ、男子校・女子校・共学校が混在していました。
ただ、長い伝統を引き継いでいるところは、基本的に共学校はありませんでした。
小中学校と普通の公立に行ったわたしにとって、男子校というのは、ある種の特殊な空間でした。
そして、10代後半の男子にとって、「周囲は男だけ」という環境は、なかなかにストイックなものでした。
高校にいるときには、「男だけ」という環境に、我が身の運命を嘆いたりしたものでした(笑)
が、卒業して、同級生と接点を持つと、
「あの雰囲気、環境は、あれはあれで、いいところがあったよな〜」
と感じるようになりました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
現在、当地宮城・仙台は、別学校が次々と消えて行っています。
2010年に公立高校が共学化されてから、その流れは私立高の中でも決定的になりつつあります。
今、公立高校で別学というと、埼玉・栃木・群馬に残っています。
そして、開成・灘・筑駒・麻布といった超トップの私立高はいずれも男子校です。
宮城県くらいの人口規模ですと、東大合格者を二高以上あるいは、二高くらいに二桁出すようにでもならないと、私立男子校は存続が難しいのかもしれません。
あるいは、北海道にある北嶺・函館ラサールのように、寮を用意して、「勉強留学生」を募集するとか。
もちろん、学校としても、私立高校は採算の取れないことはできません。
東北学院中・高が共学化したのも、「時代の流れ」です。
しかし、わたしとしては、「トップ層の男子が中学・高校で、男子校で過ごす」という意義を、認めています。
仙台・宮城からも、多くはありませんが、そういう学校を目指して県外に行く生徒さんもいます。
惜しむらくは、県内に彼らの要望を受け止められる場所がなくなってしまったことです。
男子校のよさというのは、卒業後、随分とたってから、ふと感じたりするものです。
その辺り、共学しか経験のない方には実感しづらいところであるのでしょう。
驚くべきニュースが飛び込んできました。
大学入試共通テストが実施される予定の東大キャンパスで、受験に来た高3生3名が刃物で切り付けられるという事件が起きました。
事件を起こしたのは、17歳の高2生です。
報道によれば、犯人は愛知県にある東海高校の生徒とか。
この高校は、私立の超名門です。
毎年、東大合格者は30名程度で、医学部に強い学校としても知られます。
生半可な頭では、この高校に入れません。
そういう超名門高の高校生が、事もあろうに、こういう事件を引き起こしてしまったのです。
この原稿を書いている時点で、亡くなられた方はいらっしゃらないようです。
被害に遭った高校生には、かけるべき言葉も見つかりません。
不幸であったとしか言いようがありません。
無事を祈りたいです。
この犯人の高2生は、成績不振のため、自暴自棄となり、大勢の人を巻き込んで死のうとしたとか。
ほんとうに迷惑な話でしかありません。
しかも、よりによって、何の罪もない共通テストの受験生を、東大という会場で無差別に狙ったのです。
世間一般の受け止め方も、「まさか、あそこの高校の生徒が!」というものでしょう。
が、わたしから見ると、この犯人の思考回路が何となく見えてくるのです。
(前回の続きです)
(前回の続きです)
実のところ、無差別殺人を引き起こすような人というのは、いわゆる「頭のいい人」「優等生」が意外なほどいるらしいのです。
「いかにもコイツはこんなことやりそう」というような感じでなく、前科もなければ、それまで普通に暮らしてきたというタイプです。
例えば、小説「八つ墓村」のモデルになった1938年の津山事件の犯人は、学業優秀で知られていたそうです。
2008年、秋葉原で起きた事件の犯人は、青森のトップ高である青森高校の出身でした。
ちょっと性質は違いますが、連合赤軍、オウム真理教といった党派・宗教がらみの事件にも、東大・京大といった高学歴者が名を連ねています。
今回の犯人である17歳の高2生は、東海高校という超名門高に在籍しています。
そして、かなり念入りに準備をしてきています。
彼は、事件を起こしたとき、「俺は東大を受験するんだ!」とわめいていたとか。
今回、東大で共通テストを受けた受験生は、住所の割り振りの関係で、たまたま東大にいただけです。
二次試験と違い、東大で共通テストを受ける受験生が、東大を受けるとは限りません。
ただ、犯人にとっては、共通テストの第1日目に、東大という試験会場でこうしたことを引き起こすことそのものに、意味を感じたのかもしれません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
今回の「東大前刺傷事件」に関連して、超名門高の高2生が引き起こした事件は、重要な示唆を与えています。
つまり、「名門校・進学校に入学した後の成績・学内序列」のことです。
入学前の小学校・中学校で、いくら成績優秀でも、そういう人たちが集う名門校では、ずっと深海魚状態という生徒は決して珍しくありません。
そもそも、公立の小中学校で、「勉強が苦手」という生徒は、今回の犯人のように勉強で悩んだりしません。
成績が悪かったところで、死ぬほどのことでもないということがよく分かっているからです。
しかし、超名門の高2生にとって、これまでは「成績が悪くなった」という経験をすることがありませんでした。
わたしの経験からも、二高入学後、成績があまり振るわず、中退・不登校・心療内科への通院というケースがあることを、目の当たりにしています。
もちろん、成績が高校時代に奮わなかったとしても、その後に努力すれば、いくらでも道は開けています。
今回の刺傷事件は、レアケースではあります。
ただ、トップ層の子息を持つご父兄に申し上げたいのは、人もうらやむ超名門校に入ったとして、必ずしも幸せな結果になるとは限らないということです。
今回の件は、ほんとうに誰にとっても不幸でありました。
家庭教師という受験の指導形態は、個別指導塾などに比べて、指導を始めるタイミングが遅くなる傾向にあります。
「いま通っている○○塾では、うちの子供、なかなかやっていくのが大変なのかも。
じゃあ、家庭教師を」
というケースは多いようです。
そうなると、受験というタイムリミットまでできることというのは、どうしても限られてきます。
そうした生徒さんの中で、
「この生徒さん、もう少し早く来てもらえれば、今よりずっとよくなってかも」
と切実に思うケースは少なくありません。
そういう風に感じる生徒さんは、女子生徒が多いように感じます。
男子にもそういう生徒さんは確かにいます。
しかし、女子ほど多くない印象です。
理由を考えてみると、女子のほうが男子よりマジメという生徒さんが多いからです。
特に中学生辺りだとそうです。
そうしたマジメさを引き出すと、
「当初思ったよりもいい感じの吸収力だな」
と感じることがあります。
何かのきっかけを与えられると、マジメな生徒さんは「持っている力」を少しずつ発揮するようになります。
もちろん、能力には個人差があります。
能力以上に成績は上がりません。
とはいうものの、わたしとしては、そういう生徒さんを見ていて、
「だったら、もうちょっと早く来てもらえれば」
と思ってしまうのです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
家庭教師という受験指導形態は、学習の苦手な生徒さんの占める割合が大きいです。
彼らは、男子でも女子でも、とにもかくにも勉強をしていません。
前回、「女子は男子よりマジメ」と述べてはいます。
が、学習の苦手な層の場合、「きっかけ」を与えられないと、勉強への動きは鈍いです。
彼ら・彼女らに言わせると、「やってないわけではない」と言います。
が、「やった中身」を見ていると、「やってる」とは到底言えないレベルというのが通り相場です。
そうした状況で指導を始めると、基本となるところがボコボコと抜けています。
入試が間近になって、慌てて「何とかなりませんでしょうか?」と言われても、できることには限りがあります。
そんなこんなでやり始めると、
「この生徒さん、もう少し早く来てればな」
と感じることしばしばです。
もちろん、全員が全員こうだというわけではありません。
しかしながら、可能性があるのであれば、やはり少しでも伸びしろがあるうちに、と感じてしまうわけです。
いつどのようなタイミングで指導を開始するかは、ひとえにご家庭の「政治判断」です。
わたしとしては、生徒さんの成績が少しでも上向くようになってもらえればというのが、偽らざる心情です。
動画へのリンクはこちら
去る19日、県教委より公立高校入試の出願希望調査の結果が発表されました。
Twitterでは結果のリンクをすでにツイートしましたが、再度こちらからもリンクを貼ります。
この調査結果に関連して、昨日youtubeにて「公立高校入試 出願希望調査 出ました」という題で動画をアップしてあります。
今回のコラムは、この動画の補足をします。
述べたいことは2点です。
(1)定員割れの高校について
出願希望調査で定員割れとなっていても、本出願で引き続き定員割れになるとは限りません。
定員割れとなっている高校・学科は、本出願のときに「狙い打ち」にされます。
広瀬・松陵あたりは、そういう「揺り戻し」の来る可能性が高いです。
また、本出願で定員割れとなっても、点数が学校の定めた基準に満たない場合、不合格となる場合があります。
事実、定員割れが常態化している高校でも、不合格となる受験生が出ています。
(2)二華高の定員について
二華高の定員240名には、中学から持ち上がって来る生徒も含まれています。
この中入生は、入試を受けずに「不戦勝」で、二華高に入ります。
その生徒の数は公表されていませんが、中学の入学定員は105名です。
ですから、実質的に二華高の定員は、240名でなく、135名とお考え下さい。
以上、よろしくお願いいたします。
わたしは、テレビ番組「笑点」を欠かさず見ています。
放送している時間は、基本的に指導が入っているので、録画で見ることがほとんどです。
その「笑点」、出演メンバーの林家三平さんが、昨年12月をもって、番組を「卒業」しました。
本人から「卒業」を申し出たということです。
番組を見ていると、三平さんの力量不足は明らかでした。
それがいろんなところからの声となり、三平さん本人にも届いていたようです。
「卒業」に関して、出演メンバーである三遊亭圓楽師匠は、三平さんのことをこう語っています。
・・・「だってね、一応収録が終わると、『あそここうだよ』とか『ああいうときはこうしなきゃダメだよ』ってさんざん言ってきたの。
ところがそれを消化できなかったし、私に言わせると、人の言うこと聞かなかった。
簡単に言えば」
「つまり俺を信用してないってことだね。
俺を信用しない人間は、こっちも信用しないから」・・・
これを読みながら、わたしは、
「落語家というプロの世界にもこういうことがあるのか。
受験指導にもこういうこと、あり過ぎるくらいあるのは、当たり前かもなあ」
と苦笑していました。
もちろん、落語家というプロと、「生徒」という立場のアマチュアとで、話を一緒くたにはできませんが。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしも生徒さんに対しては、
「あ〜したほうがいい。こ〜したほうがいい。」
とアドバイスをします。
しかし、わたしの場合、
「生徒さんていうのは、1回や2回、言ったくらいでは全然動かない」
というのがよく分かっています。
これまでの経験上、どんなに時代・年月を経ても変わることがありません。
「10回言って、0.1でも動いてもらえばいいかな」
くらいの気持ちでやっているというのが現状です。
しかも、
「この生徒さんにこれを言っても消化しきれないだろうな」
と思ったことは、そもそもアドバイスしません。
生徒さんの消化不良に終わってしまうだけだからです。
「これだったら、何とかやれるかもしれないな」
と思ったこと以外、生徒さんに求めることはしません。
人にはそれぞれ「器」があります。
言い換えると、能力・長所・短所は人によって大きく違います。
前回紹介したインタビューの中で、三平さんが、圓楽師匠のアドバイスを生かせなかったのは、三平さんの能力の問題である可能性が非常に高いです。
ただ、そこはプロの世界です。
よかれと思ってしたアドバイスが聞き入れられなければ、圓楽師匠とすれば、
「俺を信用してない」
となるのも仕方がありません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで述べたように、「先輩・指導者のアドバイスを聞く」といっても、プロの落語家と生徒さんとでは事情が違います。
生徒さんに指導者の指導を受け入れてもらうには、時間と手間がかかります。
しかし、そうはいっても、「指導者の意見を素直に取り入れる」生徒さんのほうが、成績は伸びます。
それはプロであろうが、生徒さんであろうが、事情に変わりはありません。
もちろん、先輩や指導者のアドバイスといっても、全部を聞く必要はないと思います。
わたしとしては、結果が出てもらえれば、どういうやり方でもOKです。
が、結果が出ず、こちらの指導・アドバイスを聞こうという姿勢がないとしたら、それはアドバイスを受ける側に問題があります。
アドバイスを受け入れるということは、つまり、今までのやり方を変えていかなくてはならないということです。
これは脳味噌に負荷がかかります。
何しろ、これまで神経を使わなかったところに、注意を向けなくてはなりませんから。
ですから、人から何をどう言われようが、「これまで通り」のほうが、楽なのです。
ただ、それでは進歩がありません。
わたしもなるべく生徒さんには受け入れられるべく努力を続けます。
ですから、生徒さんのほうも、もう少し歩み寄ってほしいものだと、指導者のいうことを聞かない・聞けない生徒さんを見るたびに、感じざるを得ません。
今シーズンの中学受験は、去る8日の二華中・青陵中受験をもって、「ほぼ終了」となりました。
2月からは「来シーズン」となります。
高校受験は「3月終わり」であるのに対し、仙台・宮城の中学受験は「1月終わり」です。
小学生の子息を持つご父兄にとって、「中学受験、するかしないか」は、悩むところかもしれません。
当コラムをお読みのご父兄であれば、なおさらでしょう。
今回は、「中学受験をしない」という選択をした小5・小6のご父兄向けに、「公文をやっていくべき? それとも進学塾?」というお悩みの参考になるようなコラムを書いていきます。
ここでわたしが「公文をやっていくべき?」という前提で書いているのが、「公文を少なくとも2年くらいはすでにやっている」というケースです。
この点、まずお断りをしておきます。
わたしが考えるのは、次の通りです。
◎トップ層・準トップ層・・・進学塾
☆できれば小6辺りまで「進学塾+公文」が「理想」
◎それ以外・・・公文
ここでいう「トップ層」とは、ナンバースクール、すなわち一・二・三高・宮城一高・二華高辺りが狙える層です。
「準トップ層」とは、南・向山・館山・泉あたりを想定しています。だいたい「上位30%くらい」とお考え下さい。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回、公文と進学塾をどうするかについては、「トップ層・準トップ層」「それ以外」で、「合っている方法」が違う旨、書きました。
「トップ層・準トップ層」か、それとも「それ以外」かは、学校で単元が終わったごとに行われるテスト(受験業界でいう「カラーテスト」)では判断が難しいです。
この「カラーテスト」は、平均点80点を超すのが普通だからです。
この判断は、模擬試験を受けてみるなどして、「外部の目」を通すのがよさそうです。
「トップ層・準トップ層」の生徒さんであれば、小5・小6のいずれかの段階で、進学塾での学習を始めたほうがいいとわたしは考えます。
公文の学習は、言ってみれば、スポーツでいう「筋トレ」です。
進学塾の学習は、「筋トレ」を土台にしての「実戦演習」です。
それゆえ、公文と進学塾、両方をやっていくのが理想です。
事実、うちの子供が小学生のころに公文をやっていたとき、中学生で進学塾+公文をやっていた上級生がいました。
その方は、結果、二高に合格しています。
ただ、両方をやるというのは、何かと負担が大きいです。
その際、どういう方法が一番よいのか、ひとえにご父兄の「政治判断」がモノを言うことになります。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までに申し上げた「トップ層・準トップ層」以外、つまり「上位30%以外」という生徒さんの場合、そのまま中学までは公文への通塾をお勧めします。
公文というと、「算数・数学=ひたすら計算」というイメージが強いかもしれません。
それゆえ、
「数学は計算問題だけでなく、図形や文章題も出るのだから、計算だけで大丈夫なのか?」
とお感じになるご父兄もいらっしゃることでしょう。
しかし、このクラスの生徒さんの場合、計算力のしっかりしていないケースが実に多いです。
特に、「下位層20%」つまり「上から数えて100人中80位以下」という場合、基本的な計算の基本が抜けまくっています。
特に分数の計算です。
英語は、昨年4月から小学5・6年生で、「正式教科」です。
そのため、中1で習う英語は、以前に比べてレベルが高くなっています。
平均点の取れない生徒さんの場合、「公文で基本となるところをしっかりやっておく」ほうが、中学のテストでも成績がよくなります。
「トップ層・準トップ層」以外であれば、小5・小6のうちは、「とにもかくにも足腰を鍛えておく」ことを念頭においてください。
「足腰の弱さ」は、学年が進むにつれ、露呈することになります。
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生徒さんを指導していると、
「この生徒さんは、自分にこういうことを求めているんだな」
というのが、よく分かります。
そして、
「この生徒さんは、自分にこういうことは求めてないんだな」
というのも、よく分かります。
指導の目的というのは、成績アップです。
ですから、生徒さんが求めていること、あるいは求めていないことを、100%指導のときに実現できるわけではありません。
ただ、そうはいっても、まるっきりそうしたことには聞く耳持たずとなれば、生徒さんのほうも不満ばかりが残るでしょう。
そのバランスをどううまく取っていくかが、長期的な視点に立った場合、非常に大切です。
今回のコラムでは、「トップ層」「勉強苦手な層」に分けて、彼らが指導に求めるものの違いについて述べてみます。
まず、「トップ層」の場合、彼らは「知的好奇心が満たされること」を望んでいます。
言い換えると、「教科書に書いてあること」「テキストにあること」だけを説明・演習していては、彼らは満足しません。
「それだけの指導であれば、わざわざ時間を割く意味がない」と考えます。
そして、彼らは、「テキストに書いていないこと」「この単元が後々の学習にどういう絡み方をしてくるか」というような話は、喜んで耳を傾けます。
生徒さんによって、「喜ぶツボ」はちょっと違ったりしますが、まずまずこんな感じです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
では、「勉強苦手な層」はどうでしょうか。
彼らはそもそも多くを指導に求めていません(笑)
ただ、彼らが望んでいるのは、「指導が自分の分かるものであること」です。
言い換えると、
「学校の授業は何だかさっぱり分からないが、菊池の言っていること、指導は分かる!」
と思ってもらえることがまずもって大事です。
もちろん、彼らの「分かるところ」だけをやっていたのでは、学習指導になりません。
そもそも、彼らの「分かるところ」は、ごくごく限られたものであるからです。
ですから、指導の際には、「今は分からないが、ちょっと頑張れば分かりそうなところ」を、小出しにしていかなくてはなりません。
それから、彼らは「分かるところ」の繰り返しを、意外なほど嫌がりません。
例えば、数学の計算問題のようなところばかりを「トップ層」がやれば、すぐに拒否反応が来ます。
一方、「勉強苦手な層」は、そういう問題を嬉々としてやります。
何度繰り返しても、拒否反応は来ません。こういう彼らの姿を見ていると、「分かっているところができる!」ということに、トップ層以上に喜びを感じているようです。
トップ層は「分からないところ」にイラつきます。
トップ層にとって、「分かる」のが当たり前だからです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「トップ層」「勉強苦手な層」の両方を、じっくりマンツーマン指導していると、学校、特に公立中学での授業というのは、相当に無理があるように感じます。
学年が進めば進むほど、無理が重なってきています。
英語・数学のような教科は、「無理」が大きいです。
思うに、「トップ層」「勉強苦手な層」が出てくること自体、それほど大きな問題はないのです。
問題なのは、「トップ層」と「勉強苦手な層」が、混在して同じ授業を受けていることです。
ご父兄が現役学生のころと比べて、受験業界は随分とバージョンアップしてきています。
そのため、塾などで早いころから「試験に勝つ」指導を受けてきている生徒さんと、中学3年あたりまでまるっきり放置されてきた生徒さんの差は、かなり大きくなってしまっています。
ご父兄の子供時代より、少子化が進みました。
それゆえ、「手をかけられてきた生徒さん」「そうでない生徒さん」の違いは、埋めようもないほどです。
学校としても、その辺りの事情はよく分かってはいます。
が、学校としてもやれることには限界があります。
学校は受験のためにあるわけではないからです。
わたしとしても、こうした現状を踏まえ、指導の際にいかしていければと考えています。
この時期、受験生は明けても暮れても入試、入試です。
中1・中2・高1・高2の在校生は2月の期末試験が待っています。
最近、特に受験生の皆さんにお話ししているのが、
「やれることをやろう やれないことは無理」
ということです。
あるいは、
「やれないことは無理 やれることをやろう」
とも言い換えています。
焦り気味の生徒さんは、
「あれもやらなきゃこれも手付かず.....」
となっています。
わたしも実はそうでした。
今もそうです。
ただ、そうしたとき、
「やれないことは無理 やれることをやろう」
そう考えると、「やるべきこと・やれること」がハッキリしてきます。
そして、その「やれること」を徹底してやると、気持ちが少し落ち着きます。
さらに、それは「あれこれ手を付ける」より、よい結果が出ます。
「この時期、何をどうしていいか迷う」.....
こういう生徒さんは、自分に何ができるか、そして何ができないかを、ハッキリさせませんか?
例えば、英語・数学は、これ以上伸びが期待できないから、「生かさず殺さず」にして、理科・社会に時間をかける.....というふうに。
何とか自分の頭で考えて、「できること」をやっていってほしいのです。
以上は、半分くらい、わたし自身に向けても書いています。
わたしも「やれることをやる」に徹していきます!
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