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定休日:日曜日
甲辰(きのえね たつ)の初めに詠む
新(あらた)しき 望み抱きて 見上ぐれば
初日に映ゆる 空ぞ さやけき
明けましておめでとうございます。
令和6年、2024年の幕開けです。
昨年に引き続き、本年もよろしくお願いいたします。
新年に当たり、わたしは2015年以来、詠んだ歌を披露しています。
今年は、「年が改まり、希望を新たに」というテーマで詠んでみました。
昨年は、受験指導の形態を家庭教師から、塾に変更しました。
まだまだわたしが思い描く目標点までは遠いです。
生徒さんも頑張っています。
わたしも彼らに負けず、頑張ります。
さて、入試のほうは、年明けすぐに、本格的に始まります。
二華中・青陵中といった中学入試、高校の推薦入試、大学共通テスト等々...
大学入試は、推薦・AOなど、終わっている受験生も多いです。
一方、中学・高校入試は、これからがシーズンです。
毎年のことではありますが、こういう寒くなる時節に入試はピークを迎えます。
学習もさることながら、体調管理も同じ程度に大切になってきます。
体調管理と言えば、わたしの周囲では、コロナではなく、インフルエンザ流行の話をよく耳にしています。
「一難去って、また一難」の感があります。
基本的なことではありますが、「うがい・手洗い・十分な睡眠」をもって予防に当たっていただきたいところです。
さて、始動です!
わたしは、整骨院に通っています。
そこの先生は、わたしがこのような職業に就いていることをご存じです。
先日、先生は、次のようなことをおっしゃっていました。
「自分も、柔道整復師などの国家試験、勉強しました。
何だかんだで、自分で頭を使って問題を解きまくるのが一番ですね。
授業聞いているだけでは、できるようになんか、ならないですよ。
自分も、中学生の頃は、学習塾に通ってました。
そこでのことを考えると、 問題を解くべきだと思いますよ。
自分は、国家試験の過去問、解きまくりました」
これを聞いていて、我が意を得たり、と思ってしまいました。
これは、わたしの考えと100%一致します。
やはり、そうなんです。
わたしが塾の授業の形態を考えるとき、最も腐心したのは、
「授業を聞いているだけにしない」
ということでした。
今の世の中は、分かりやすい授業が、いつでも、好きなときに、好きなだけYouTube動画で見ることができます。
それも、タダで。
ですから、YouTube動画と同じことをしているのなら、塾をやっている意味はありません。
そのような理由で、当塾の授業は、「問題演習を中心とした授業」を行っています。
「問題演習を中心にした授業」というのは、
「問題演習を主、解説・説明を従」
とする方法です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「問題演習するって、自習と同じでは?
じゃあ、わざわざ塾に行かなくてもいいのでは?」
そのようなお考えの方がいらっしゃると思います。
その通りです。
自分で勉強をするのが、最も確実で、何と言っても安上がりです。
し・か・し...
なかなか一人では勉強のできない生徒さんが多いわけです。
そして、当人が「勉強をやっている」と考えてやっていることが、単なる「作業」というだけの場合もときどきあります。
そのようなことを考えると、「他人の目」「第三者の目」がある環境で、問題演習をするというのは、意味のあることです。
このようにすれば、実際のテストに近い環境・雰囲気で問題に取り組むことができます。
それは、教室内での自習も同じです。
同じ自習をするなら、周りの目があるところでやったほうが、効率のよくなる確率は高いです。
ここで言う「周りの目」とは、「他の生徒の目」「講師の目」です。
そのような理由で、我が特訓塾は、教室内での自習を推奨しています。
さらに、自習において行うべきは、「頭を使って問題を解く」「できない問題はその原因をチェックする」ということになります。
こうしたことを積み重ねることで、 成績が上向く下地が作れます。
学習塾という空間、あるいは場所において、指導に当たる者が生徒さんへ、小まめに声掛けをすることはとても大切だと感じています。
例えば、こんな感じです。
...数学の○○の分野、こないだの確認テストで、あまり分かってないところがあったが、その部分はしっかり勉強できていますか?
...英語のここのところ、分からないところはありましたか?
...きちんと食事、とってきましたか? 食べ過ぎはまずいですが、勉強してると、意外とカロリー、消費するものですよ。
などなど。
このようなことは、だいたいどこの学習塾でも、程度の差はあれ、やっているのではないでしょうか。
わたしも、これを積極的に行うようにしています。
それが生徒さんの成績アップへつながっていくからです。
しかし、その反面、感じることがあります。
〇受験指導者が生徒さんへ小まめに声掛けをするのは、必要であり、重要
〇でも、生徒さんは、受験指導者からの声掛け・気遣いを待っているだけでいいのか?
→生徒さんから、受験指導者に働きかけたり、成績アップのため、自分で考えて動いていくのも、必要なことなのではないか?
〇「生徒さんへの気遣い・声掛け」は、それが程度を過ぎると、かえって生徒さんのためにならないのではないか?
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで述べたとおり、受験指導者が生徒さんへ成績アップのため、声掛け・気遣いをするのは必要です。
そういったフォローがあるのと、ないのとでは、成績が違ってきます。
それゆえ、ご父兄としても、そういったものを塾に求めるのは、当然です。
しかし、わたしがここで述べたいのは、
「生徒さんは、受験指導者からの声掛け・気遣いを待っているだけでいいのか?」
ということです。
というのも、学習塾は「デパート」や「病院」とは性質が違うからです。
「デパート」で、お金を払うほうは「お客」です。
店員さんが、「お客」のために何くれとなく気遣いをしてくれます。
そして、「病院」で、お金を払うほうは「患者」です。
看護婦さんや先生が指示するように、薬を飲んだり、安静にしたり、検査を受けたりします。
一方、学習塾は「デパート」や「病院」とは、勝手が違います。
「成績がよくなる薬」のようなものを飲みさえすれば、成績がうなぎ上りに...などということはありません。
生徒さんが、頭を使って、講師の説明を聞き、演習を積んでいかないと、成績は上がりません。
ですから、塾は、「病院」というより、「リハビリセンター」や「ジム」に近い存在です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「リハビリセンター」や「ジム」では、自分で手足を動かしたり、頭を働かせる必要があります。
もちろん、そういった場所も基本的には指導者の指示に従って、動くことが前提となっています。
そして、そこでは、指導者がメニューをこなしている方に、声掛けをしたり、励ましたりすることがあります。
しかし、「リハビリセンター」の患者さんや「ジム」に通う人は、少しでも現状を改善しようと思えば、指導者に自分から働きかけていくはずです。
例えばこんな風にです。
...「もう少し、ウエストを絞るには、どのようにやっていったらいいんでしょうか?」
...「手のしびれを改善するには、日常生活で、どのようなことに気を付けたらいいんでしょうか?」
ですから、わたしとしても、生徒さんへの一方通行ではなく、生徒さんからも働きかけてほしいのです。
...「国語の課題作文って、どのように書くといいんでしょうか?
自分でいろいろやってみたんですが、よく分からなくて」
...「数学、計算ミスを少なくするには、どうやったらいいんでしょうか?
自分では指示通りにやってるつもりなんですが」
こういう具合に。
そして、そうやっていくことで、成績は改善していきます。
当塾の英語の指導は、「品詞」という考え方を大切にしています。
この「品詞」というのは、単語ごとに「名詞」「動詞」というように分解していくことです。
例えば次のような文章があったとします。
He has a pen.
このとき、「品詞」は次のようになります。
he=「代名詞」
has=「動詞」
a=「冠詞」
pen=「名詞」
本コラムをお読みのご父兄は、この「品詞」というものに、あまりよい思い出のない方が多いかもしれません。
「名詞」「動詞」というようなものは、国語の古文の授業で重視されています。
英語の授業ではそれほどでもありません。
しかしこのような考え方を、当塾では重視しています。
そして、授業では、しばしばこういう質問を生徒さんにします。
He has a pen.
ここで、heの「品詞」は何ですか?
hasの「品詞」はどうなりますか?
学校の英語の授業では、あまりこうしたことは聞かれないようです。
ことに、小中学校のレベルだとそうです。
わたしも中高の英語の授業で、しつこく「品詞」について言われた記憶がありません。
そして、それは今の生徒さんも同じです。
ですから、わたしは生徒さんへ「品詞」という考え方を徹底的に叩き込んでいます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
生徒さんは、わたしの授業を受講したての頃、非常に面食らうようです。
たぶん、学校ではこんなことをやらないからでしょう。
また、英会話学校などで英語をすでに学んでいる生徒さんも、しつこく「品詞」「品詞」と言われた経験はないようです。
だからこそ、
「じゃあ菊池が、じゃあこのオレがやらずに誰がやる?」
そのような心境です。
では、なぜ「品詞」なのか?
「品詞」というのは、「単語一つ一つの役割」のことです。
それが分からない限り、文法の下地は整いません。
ここで「料理の作り方を習う」ことを例に挙げます。
料理を習う前提として、どの方も、包丁・皿・お箸・お玉がどういう役割をしているか、常識的にご存じのはずです。
・包丁は物を切る道具
・皿は料理を載せるためのもの
という風にです。
「包丁は料理を載せるときには使わない」
「皿は物を切るときには使わない」
これらも常識として分かっています。
一方、英語の場合、単語ごとの役割、どう使ったらよいかということは、学ばないと分かりません。
・heという英単語は、こういう使い方をしない。こう使う。
・hasという英単語は、こういう使い方をしない。こう使う。
これは、英語の中で決まっています。
その役割を区別するときに使う考え方が「品詞」です。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
いわゆる進学塾と言われる学習塾の授業は、基本的に「文法中心」です。
学校の授業は、文法の細かい解説まで手が回っていません。
で、学校の英語の試験では、文法がしっかり分かっていないと、高得点が取れない仕組みになっています。
それを補うため、いわゆる進学塾で指導する英語は、「文法中心」になります。
しかしながら、「文法中心」の授業をしても、「品詞」という考え方が頭に入っていないと、その効果は十分に現れません。
いま、英語の塾用テキストは、このような目次になっています。
「名詞」「接続詞」「動詞」が、どういうものなのかを理解せず、英語を理解することはできない、という構成になっています。
それゆえ我が特訓塾では、入塾すると「品詞」という考え方を徹底的に叩き込まれることになっています。
授業を通じて思うに、この「品詞」を徹底するには、それほど高い学力・英語力を必要としません。
公立中学で平均点の取れる生徒さんであれば、「品詞」という考え方を確実に理解します。
もっとも、彼らが確実に理解をするためには、1回こっきりサラッと説明しただけでは全く足りません。
折に触れて、そして思い出したかのように、授業で「品詞」に触れ続けていかなくてはなりません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「英語が苦手です」
こういう生徒さんは多いです。
ただ、「苦手」にもいろんなレベルがあります。
80点が取れていても、英語が苦手と感じる生徒さんがいます。
一方、40点でも、「自分は英語が得意」と語る生徒さんもいます。
他の科目、特に理数系の科目はそこそこ点が取れている...
一方、英語になると、どうも思い描く点が取れていない...
こういう生徒さんは、単語力のほかに、文法に対する知識がかなり貧弱です。
事実、こうした生徒さんに「品詞」のことを尋ねても、ほぼ答えられません。
さらに、「品詞」を基にした文法的な知識が、まるっきり欠落しています。
つまり、彼らにとって、英語は「ただ覚えるだけのもの」になり果てています。
彼らは、英語のルールが分かっていません。
となれば、あとは勘と曖昧な記憶を頼りにするほかありません。
そういう状態で、学校の授業はどんどん進んでいきます。
このタイプの生徒さんは、時期がある程度早ければ、何とか矯正可能です。
逆に、他の科目はあまりパッとしなくとも、「品詞の叩き込み」を早いうちから始めていれば、英語が抜きんでるという目はあります。
「品詞」という考え方を、早いうちから徹底的に叩き込む
英語の基本を固めるため、これ以外によい方法は今のところ思いつきません。
今回のコラムは、学校や塾で出される課題についてです。
この件については、以前、↓のようなコラムを書いています。
<関連リンク>
塾の課題をどうする?どうしている? ~菊池特訓塾の場合~ その1
塾の課題をどうする?どうしている? ~菊池特訓塾の場合~ その2
塾の課題をどうする?どうしている? ~菊池特訓塾の場合~ その3
今日はこれらのコラムの補足版といった感じで話を進めます。
課題に関する考え方は、学校と我が特訓塾とでは次のように違っています。
中学での課題の扱いを念頭に置きました。
<学校の課題>
・学校への提出が前提
・評定をつけるためのチェックポイントのひとつ
・全部終えることがまずもって求められる
・「見た目」がキレイなら高い評価 キレイでなければ低い評価
・解けない問題は、答えを朱書きして提出
・課題をやった結果は重視されない
<菊池特訓塾の課題>
・課題の提出・全部終えることは必ずしも義務ではない
・課題をどれだけやってきたかは、授業時のテスト・問題演習で判断される
・授業時のテスト・問題演習の結果がよくなければ、「課題をやっていない」と判断される
・授業時のテスト・問題演習の結果が合格点ならば、「課題をやった」と判断される
・「見た目」がキレイか、キレイでないかは、全く問題にされない
(次回に続きます)
(前回の続きです)
学校での課題は、提出が原則です。
内申書に記される「1から5」の評定は、定期試験の成績・提出物の状況・授業態度をもとに算定します。
ゆえに課題は提出が前提となります。
そこで必要なのは、
・全部やっているか やり残しはないか
・問題を解くにあたってはグチャグチャと書きなぐったりしていないか
という要素です。
一応、その課題は定期試験の出来具合で、結果をチェックするという建前になっています。
しかし、これはどこまで行っても建前です。
実際のところ、下のほうから数えて25%くらいの生徒さんは、学校の課題、特に副教材ワークは、自力で解けるのがせいぜい全問題の3分の1くらいです。
では残り3分の2はどうするかと言えば、せっせと写経、つまり解答の丸写しに取り組むわけです。
学校の先生も、それをやむを得ないこととして認めています。
それをダメと言ってしまったら、彼らは副教材ワークの提出が永遠にできないからです。
そして、「分からない問題は解答を赤で写して終わり」とすることが「勉強」という風に多くの生徒さんは勘違いをしています。
わたしとしては、この「勘違い」をずっと何とかしたいと感じてきました。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
当塾の場合、普段の授業の演習・授業時に行うミニテストの結果をもって、課題をやってきたか、そうでないかを判断しています。
演習問題・ミニテストの結果が良ければ、「課題をやってきている」とみなしています。
逆に、その結果がよくなければ、「課題をやってきていない」とみなしています。
生徒さんがどのように課題に取り組んでいるかは、原則としてチェックしていません。
問題演習・ミニテストで、生徒さんの結果におかしな点があれば、そのときに細かくチェック・指導が入ります。
「課題をやってきていない」と判断されれば、その後にガッチリと「教育的指導」が行われます。
「教育的指導」の内容としては、「強制自習」です。
普段以上の課題を解いてもらうようになります。
いくら課題をやってきても、演習問題・ミニテストの結果が良くなければ、「課題をやったことにならない」...
生徒さんにとって、初めは面食らうかもしれません。
そのような意味で、菊池特訓塾の課題のほうが、学校のそれより「厳しい」と感じられるでしょう。
そうなると、実質、「課題をしっかりやっていく」という選択肢以外、生徒さんには残されません。
それが結局、定期試験・模試・入試での好成績につながります。
冬休み期間に行った冬期講習の期間中、ある生徒さんと話をしました。
その生徒さんは、「社会が苦手」を自認しています。
「社会のどのようなところが苦手なのか」ということを、詳しく尋ねてみました。
すると、このような答えが返ってきました。
・・・社会の中でも、地理は今の日本・世界の様子を勉強する。
だから、社会の中でも何となく、興味が持てる。
でも、歴史は違う。
歴史は昔のことを勉強する。
なぜ縄文時代のこととか、何千年も前のことを勉強するのか。
そういうことを勉強する意味が今一つ分からない。
だから、興味が持てない。
実のところ、生徒さんからこのように言われたことは、初めてではありません。
ということは、意外と多くの生徒さんが、このような疑問を持っているのではないでしょうか。
もちろん、歴史は学校で教えられ、かつ入試科目にもあります。
「つべこべ言わずにやれ。
興味のないことを、勉強をしない言い訳にするな
入試にもあるんだから」
確かにこれは正論です。
こういう言い方をしても、悪くはないのかもしれません。
しかし、わたしとしては、できる限りこのようには言いたくないのです。
意味も分からず、「やれ」と言われたら、わたしだって、やはり興味は持てませんから。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
わたしたちの常として、自分にとってより身近なもの、自分の生活にかかわってくるものには、大きな関心を抱きます。
例えば、わたしは多賀城で生まれ育ち、仙台に住んでいます。
ですから、北海道や九州のことより、東北地方・宮城県・仙台や多賀城により大きな関心を持ちます。
それゆえ。今に生きる生徒さんが、「過去に起きたこと」を扱う歴史に、あまり興味・関心を持てないのも、不思議ではありません。
「いま起きていること」を扱う地理のほうが、彼らにはより身近に感じられるのも、納得がいく話です。
しかし、物事というのは、「いま起きていることだけ」を見ればいいわけではありません。
例えば、
Aさんという女性が、同棲していたBさんという男性を殺害した
という「事件」
第三者からすると、
「両方で仲良くやればいいのに」
くらいにしか思いません。
それは、「今」しか見ていないからです。
しかし、過去にさかのぼると、いろいろと複雑な事情が出てくるかもしれません。
そして、
「ああ、なるほど。
そういうことがあって、この事件が起きたのね」
と理解できることになります。
その「過去にさかのぼること」が国単位になると、「歴史の授業」ということになるのではないでしょうか。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから「歴史」というのは、「物語」と同じです。
日本の国がこのように始まって、農業が始まって、貴族が出て、武士が出て、そして武士がいなくなって、今・・・
という感じで。
ちょうどこれは、人の一生もそうです。
生まれはどこで、両親はどういう人で、学校はどこを出て、仕事はこうで・・・などなど。
実のところ、英語では「歴史」=ヒストリーhistoryと「物語」=ストーリーstoryは、語源が同じです。
つまり「歴史」=「物語」そのものです。
別の言葉で言い換えると、「歴史」は「大河ドラマ」であるわけです。
そのように考えると、
「歴史は流れを押さえる」
ことが大切です。
ペリー来航→江戸幕府が倒れる→明治維新後には富国強兵を目指す
という流れには、その当時なりの必然性があります。
「明治維新→江戸幕府が倒れる」という流れにはなろうはずがありません。
それは「流れ」を理解していないとみなされます。
また、「次のアからエの出来事を年代順に並べなさい」という問題が出てくるのも、「歴史=「物語」だからです。
「なぜ歴史を勉強しなくてはならないのか」ということが分からない生徒さんは、このような背景を頭に入れておいてほしいです。
あとは、その意義を理解し、しっかり・ガッチリ学習です!
去る17日に、公立高校入試の出願希望調査の結果が発表されました。
この件については、YouTube動画でも取り上げています。
この出願希望調査というのがどのような意味を持つのか、当塾では受験生以外の生徒さんへ、授業で触れました。
そのときの彼らの反応、あるいは授業のときに感じたことをちょっと書いてみます。
◎生徒さんは、公立高校入試における難易度をしっかり理解しておく
中1・中2生は、一部の生徒さんを除くと、自分の「志望校」の難易度がどれほどなのか、かなり知識が乏しいです。
そのためか、彼らはときどき、「志望校」として「途轍もない高校」の名前を挙げることがあります。
例えば、定期テストで平均点が取れない状況で、
「一高が志望です」
などと語るとか。
そういう彼らに話を聞いてみると、
「どこかで聞いたことがある高校を何となく口にしている」
というケースが多い印象を受けます。
そのようなことがあり、当塾では学習指導に絡めて、「高校の難易度ランク」を指導しています。
生徒さんは、出願希望調査のような「生の数字」に非常に興味をもって反応します。
自分が進みたい高校のイメージを、なるべく早く作ってほしいところです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
◎生徒さんは、中1・中2のときの評定システムの「怖さ」と「大切さ」をしっかり理解しておく
宮城県の公立高校入試の場合、学校の通信簿の成績、つまり「評定」が、中1・中2のときにも算定の対象になります。
算定の対象になるだけなら、これは他県でもあります。
しかし、宮城県の場合は、
「中1・中2の成績が他県に比べて重視される傾向にある」
というのが、特徴的です。
これはどういうことか。
意味するところは、
「中3で頑張っても、中1・中2の評定に足を引っ張られる可能性がある」
ということなのです。
例えば、山形県は中3のときのみの評定が「内申点」です。
岩手県は、学年が上に上がるにしたがって、評定が高く評価される仕組みになっています。
山形や岩手のようなシステムは、何らかの形で後で挽回できる余地が残っています。
一方、宮城は、「中3になってラストスパートで挽回・逆転」ができません。
そのため、中3の11月ごろに、高校を正式に選ぶ段になって、慌てふためく中3生が少なくありません。
特に男子生徒にそう言う人が多いです。
そうならないように、
「今のうちからやっておくべきことは、できる限りやっておく」
ことが必要となってきます。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回までお伝えしたことをまとめると、
「中1・中2生は、自分の成績と志望校との差を分かっていない生徒さんが想像以上に多い」
ということになります。
となれば、生徒さんたちは、入試にまつわる情報を自分なりに頭に入れて行動する必要があります。
それから、「○○高校に入りたい」が、どの程度「入りたい」なのかによっても、生徒さんの行動は違ってきます。
「どうしても○○高校に入りたい」なら、自分なりにいろんな努力をするでしょう。
逆に、「入れればいいけど、どうしてもというほどではない」となれば、そこまで熱心にやるわけではないはずです。
塾としても、生徒さんが志望校に合格できるよう、成績がアップするよう、いろんな策を講じます。
しかし、どこまで行っても、最終的にそれを生かすも殺すも、生徒さん次第です。
多くの場合、
「自分の志望校に必要な成績>今の自分の成績」
です。
イコール、あるいは逆のパターンはあまりありません。
そして、
「入試とは自分だけが頑張ったところで、ほかの受験生がそれ以上に頑張っていれば受からない」
ということが、なかなか理解しづらいようです。
この点、中1・中2生の生徒さんには、是非とも心していただきたいところです。
今回のコラムは、「マジメ」なのに点が取れない女子生徒についてです。
女子をお持ちのご父兄から、ときどきこのような声を聞くことがあります。
・・・うちの子供は、「マジメ」にやっている風なのに、さっぱり点が取れない。
なぜなのか?
この件については、以前にもコラムを書きました。
<関連コラム>
「マジメなのに点が取れない...(泣)」「なぜ?」&対策 その1
「マジメなのに点が取れない...(泣)」「なぜ?」&対策 その2
「マジメなのに点が取れない...(泣)」「なぜ?」&対策 その3
この<関連コラム>を補足・補強する形で話を進めていきます。
また、このコラムでいう「マジメ」とは、「勉強をしっかりやっている」という学習面についてです。
性格的に穏やかだとか、「マジメ」だとか、人間性のことを語りません。
この点、以下、ご了承ください。
さて、ここで、わたしは「マジメ」という風に、カギカッコを使っています。
これを言い換えると、一見して「マジメ」に見える彼女たちが、ホントのところ「マジメ」ではない、と言いたいわけです。
というのも、もしホントに「マジメ」なら、公立に通う中学生で、平均を下回る点ばかりを取り続けることは考えにくいからです。
学習障害のような生徒さんを別にして。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
「マジメ」なのに点の取れない中学生女子が、点の取れない理由というのは、ハッキリしています。
端的に言えば、
「これまで勉強してこなかった。
今も実はあまり勉強していない」
ということです。
だいたいこのタイプだと、こんな感じです。
・性格的、素行としては問題がない
・小学生のころから、学校の宿題以外に勉強する習慣がなかった
→そのころには、すでに部分的に分からない箇所が出てきていたが、本人も親もそうした自覚があまりなかった
・積極的に学習しない習慣がそのままついてしまった
困ってしまうのは、このような中学生女子は「傍からちょっと見ると、勉強しているように見える」ことです。
彼女たちは、机に向って、「勉強をしているような雰囲気」を出します。
しかし、実際にやっていることと言えば、
・スマートフォンいじり
・勉強と関係ないことをノートなどに書いたりしている
・「勉強」は、教科書を読みながら、太字のところに蛍光ペンで線を引いておしまい
・問題演習は、サラッと浅く、頭に負担のかからない方法で
早い話が、相当に手抜きをしています。
そして、生徒さん本人に手抜きをしているという自覚がほとんどありません。
さらに、ご父兄のほうとしても、そういう「手抜き」をしていることが分かりません。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
前回のコラムで述べたような「マジメな女子」は、意外に多いです。
わたし個人の感想として、このタイプの女子は、一見して「マジメ」に見える分だけ、たちが悪いと考えています。
言葉は悪いですが、周囲の人たちをダマしているわけですから。
しかし、本人に悪意がなかったりすることも多いです。
「勉強とはこういうもの」というのが、ベットリと染みついてしまっています。
解決策としては、塾などに通って、「勉強とはこういうもの・こうやるもの」というのをしっかり学ぶことです。
特に、彼女たちにやってほしいのが、
「しっかりと問題演習に取り組む」
という学習法です。
前回のコラムで紹介した
「教科書を読みながら、太字のところに蛍光ペンで線を引いておしまい」
という学習法。
これだけをやって、試験のときにどう対応できるのでしょう?
これは言ってみれば、
「YouTube動画で大谷選手のバッティングフォームを見るだけで、バッティング練習は完了」
というのと同じことです。
こういうのは「練習をした」と言いません。
ところが、受験学習の世界では、こうした例が大手を振ってまかり通っています。
当然、結果は出ません。
こうした細かいことから、彼女たちには修正が必要となります。
中1・中2生は期末試験の準備をする季節となっています。
わたしの生徒さんの場合、多くは2月の第2週あたりが「テストの日」になっています。
今回のコラムは、中1・中2生に向けて、期末試験のことを書いてみることにします。
まず、この定期試験の後で、中1・中2生は高校受験に必要な「評定」が決まります。
いわゆる「学年末評定」です。
今、上の写真には「1学期」「2学期」「学年末」という数字の欄があります。
高校入試で、「評定」とか「内申点」などと言われる数字は、この「学年末評定」のことを言います。
宮城県の公立高校入試では、中1・中2の「学年末評定」が、入試に占める割合はかなり大きいです。
ですから、
「中1・中2だったら、高校入試ってまだまだ先だよね」
とは全然なりません。
事実、中3になって、
「思っていたより評定が足りない!!!」
という声を聞くのは毎年のことです。
確かに、わたしのような受験関係者にとって、
「評定が足りない!!!」
というのは、毎年のことです。
しかし、中1・中2の生徒さんにとっては、決して毎年のことではありません。
一生に一回のことです。
しかも、後からやり直しは効きません!
今、当塾で担当している生徒さんには繰り返し伝えています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
それから、期末試験の勉強をするにあたっては、
「問題演習と『間違った問題を今後は間違えないこと』が大切」
ということです。
もっともこれは、期末試験の学習に限らずです。
入試のための学習にも当てはまります。
「間違った問題を今後は間違えないこと」というのは、なかなかに難しいです。
特に、中学生全体のうち、3分の2くらいの生徒さんは、この部分が弱いです。
「弱い」というより、ただ何となく、それらしいことをやっているという風にしか見えません。
「次は間違えないようにしなくてはいけない」
「次は当たるようになるために、何をどうすればいいか」
と考えている様子が、ほとんど見られません。
何となく、惰性でそれらしいことをやっている風な感じです。
間違えた個所の答えを赤ペンでせっせと写すことが、「勉強」だと思っている生徒さんの多いこと、多いこと...
これをやって、頭を働かせているのかどうか...
わたしとしては、大いに疑問です。
逆に言えば、
「次は間違えないようにしなくてはいけない」
「次は当たるようになるために、何をどうすればいいか」
を、自分なりに考えて行動すれば、偏差値55までの生徒さんは、成績が改善して見込みがあるいうことです。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
更にもう一点です。
中1・中2生は、2月の期末試験が終わると、6月の中旬から下旬まで、定期試験がありません。
その間、約4か月です。
多くの中学校は、1年間に4回、定期試験があります。
附属中のように年3回というところもありますが例外的です。
定期試験から次の定期試験まで、この時期のインターバルが一番長いです。
そのため、この期末試験が終わったら、基本となる学習、特に英語・数学の基礎をガッチリ指導していきます。
この「基礎ガッチリ演習」は、言ってみれば、田植えの前に行う「苗代期間」です。
稲を育てるためには、この苗代が非常に大きな意味を持ちます。
実のところ、受験のための学習も、基礎を大事にする必要があるという点で、同じことです。
ですから、わたしとしては、2月の期末試験が終わってから、基礎固めを今まで以上にしっかりやっていきます。
「基礎ガッチリ演習」とは言いながら、やっていることそれ自体は、普段と大きく変わるわけではありません。
違うところと言えば、
「深く耕すことができる」
とでも言えるでしょうか。
この季節は、インフルエンザなど、感染症にも引き続き注意を要します。
体調管理を万全にして、これからの季節、臨んでいきます。
今回のコラムは、数学の計算用紙について書いてみます。
我が特訓塾は、数学の問題を解くとき、
「計算用紙をタップリ使う」
ことを生徒さんに勧めています。
授業のときにも、必要に応じて、計算用紙を配ることがあります。
計算用紙と言っても、特別な紙があるわけではありません。
A3のコピー用紙を主に使います。
計算用紙をタップリ使うのは、「計算ミス」をできる限り少なくするためです。
「とにかくしっかり計算のプロセスを書く」
「数字は自分が見て誤読しないように分かりやすく」
これらをやろうとすれば、どうしても潤沢な計算スペースが必要です。
多くの生徒さんは、数学の計算というものを甘く見過ぎでいます。
「数学の計算は、できて初めて評価される」
こうしたことに無頓着な生徒さんの多いこと、多いこと.....
「計算は当たっていようが、間違っていようが、あとは野となれ山となれ」という気持ちが透けて見えます。
なぜここまで計算の結果に頓着しないのか、わたしは不思議で仕方がありません。
ですから、わたしとしては、
「計算は丁寧にやれ・きちんとやれ」
というだけにしていません。
きちんと計算用紙を用意するなど、「計算をしっかりやる」という姿勢を生徒さんに分かるようにしています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
数学のノートは無地のものがおすすめです。
この件については、以前に次のようなコラムを書いています。
<関連コラム>
生徒さんは、無地ノートをほとんど使っていません。
だいたい罫線の引いてある「大学ノート」か、罫線入りのルーズリーフです。
そのため、どうしても計算をするときに、数字はコチャコチャ・ゴチャゴチャになります。
実のところ、この「コチャコチャ・ゴチャゴチャ」は、計算ミスにつながっています。
・大きくて見やすい字を書く
・数字・数式を書くときには、ある程度の余白をとる
これをするだけで、計算ミスは減ります。
計算ミスをゼロにすることは理想です。
しかし、ミスをゼロにすることはかなりハードです。
一方、ミスは減らすことができます。
であるならば、なるべくミスの少ないやり方を心がけていくべきでしょう。
もっとも、そのようなやり方をせずとも、計算ミスのほとんどない生徒さんもいます。
そのような場合、そのやり方はその生徒さんに合っていると判断しています。
その生徒さんのやり方を矯正することはありません。
わたしが述べているのは、彼ら以外の99%の生徒さんに向けてです。
この点、ご了解ください。
今日は1月30日です。
仙台・宮城では、今日から私立高校の一般入試となります。
テレビや新聞などでは、
「私立高校の入試が始まりました!」
という報道がされます。
毎年、この時期になると、いつもと同じパターンです。
しかし、わたしが私立高校の入試を見ていると、
「ここ数年、変わったよなあ」
と感じることが多いです。
まず、私立高校にとって、今日から行われる入試は「メインの入試」ではなくなっています。
メインはすでに終わっています。
去る10日に行われた推薦入試です。
これがメインになってきたのは、ここ4~5年ほど前からです。
ちょうどこれは、「私立高校無償化」ということが行われるようになってからです。
ご父兄の世代にとって、
「公立=授業料が安い」
「私立=授業料が高い」
というのが常識でした。
ところが、この「私立高校無償化」により、その「常識」が必ずしも「常識」でなくなってしまいました。
そのため、平均点まで達していない中学生の場合、仙台・宮城の高校入試はこうなりました。
〇以前・・・公立入試「落ち」 私立入学
〇現在・・・私立推薦入試を受けてサクッと合格を決める
私立高校の一般入試を受ける受験生は、公立高校がメインとなっています。
(次回に続きます)
(前回の続きです)
そのため、宮城広瀬・泉松陵・宮城工業・仙台工業といった高校の人気がガクッと落ちてしまいました。
例えば、2016年、すなわち今から8年前は、こんな倍率でした。(以下は、いずれも後期選抜の数字)
〇宮城広瀬・・・1.56倍
〇泉松陵・・・1.33倍
ところが、2020年には、これらの高校があっという間に定員割れになってしまいました。
これらの高校は、昨年2023年は、泉松陵が1.00倍、宮城広瀬が0.96倍となっています。
宮城広瀬は定員割れです。
「私立無償化」は2020年4月からです。
・・・私立と公立で、授業料がそんなに変わらないんだったら、私立のほうがいいかも。
ペーパー試験はないし。
早めに高校が決まっちゃうし。
うちの子供はそんなに勉強が得意というわけではないから、そこまで無理して公立に行かせなくても。
このような考えの人が多くなってきたのです。
私立高校としても、「推薦」という形で手っ取り早く生徒の囲い込みをすれば、学校経営も安定します。
そして、こういう現象は、宮城県だけで起きているわけではありません。
全国的にそうなっています。
私立高校の一般入試は、そのような背景があって、行われています。
受験生の皆さんは、どうか、希望する学校、特に希望するコースに受かりますように!
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